検索結果
-
PROGRAM/放送作品
アンタッチャブル
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2024.04.10
ブライアン・デ・パルマ復活!ケヴィン・コスナーをスターに押し上げた“西部劇”『アンタッチャブル』
アメリカに禁酒法が敷かれていた、1920年代から30年代はじめ。悪名高きギャングのアル・カポネは、酒の密造と密輸で莫大な利益を上げ、シカゴで「影の市長」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。 警察や議会、裁判所までがカポネの影響下に置かれる中、孤独な戦いを始めた男が居た。財務省から派遣された若き捜査官、エリオット・ネスである。 ネスは意気盛んに、密造酒摘発に乗り出す。しかし配下の警官は買収されており、捜査情報の漏洩で、初陣は大失敗に終わる。 世間の失笑を買ったネスは、初老の警官マローンと偶然知り合う。彼が信頼に値する男だと見定めたネスは、カポネに対抗するためのチーム作りへの協力を依頼する。 躊躇するマローンだったが、ネスのまっすぐな正義感に打たれ、警官の本分を通すことを決意。 マローンの指導の下、新人警官のストーン、財務省から派遣された簿記係のウォレスという仲間を得たネスは、大掛かりな摘発を成功させる。早速カポネの側から買収や脅迫などが仕掛けられるが、ネスは断固はねのけるのだった。 賄賂や脅しに決して屈しない4人のチーム“アンタッチャブル”と、カポネの築いた帝国は、血で血を洗う戦いへと、突入していく…。 ***** 「アンタッチャブル」というタイトルは、元々は本のタイトル。その内容は、実在の財務省捜査官だったエリオット・ネスが、アル・カポネ逮捕までの顛末を語ったインタビューを元に、構成されたものである。 この本によると、ネスたち“アンタッチャブル”は、デスクワーク中心の捜査官。銃を撃ったなどという話は、登場しない。 ところがこれを原作にしたTVシリーズの「アンタッチャブル」(1959~63/全118話)では、事実を大幅に脚色。ロバート・スタック演じるネスは、FBIの捜査官とされ、彼とその部下が毎回のように銃撃戦に臨んでは、ギャングを射殺するシーンが登場した。このシリーズはアメリカだけではなく、日本でも大人気となり、70年代頃までは度々再放送が行われていた。 TVシリーズの制作から、時は流れて20年余。1980年代中盤になって、このTVシリーズの放映権を持っていたハリウッドメジャーのパラマウントが、自社の75周年を記念する企画として、「アンタッチャブル」の“映画化”に取り組むことを決めた。 担当となったのは、パラマウントの契約プロデューサーだった、アート・リンソン。しかし彼は、原作となったTVシリーズを見ていなかった。 そんな彼が脚本を依頼したのは、デヴィッド・マメット。映画の脚本は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81)『評決』(82)を担当。後者ではアカデミー賞にノミネートされている。それ以上に評価されていたのは、劇作家として。「アメリカン・バッファロー」(76)「グレンガリー・グレン・ロス」(84)などを手掛け、後者ではピューリッツァー賞やトニー賞を受賞している。「アンタッチャブル」のTVシリーズは、リアルタイムで見ていたというマメット。シカゴ育ちで故郷をこよなく愛し、また“禁酒法”の時代に関しては、「マニア」と自負するほど詳しかった。 マメットはリンソンと打ち合わせながら、脚本の執筆を始める。実在の“アンタッチャブル”のメンバーが10人だったのを、4人に絞るのは、TVシリーズに倣いながらも、2人は端から、TVの映画版にする気はなかった。「75周年作品」にも拘わらず、パラマウントは1,500万㌦という、当時としても“大作”とは言えない製作費しか提供しなかった。そんな状況でリンソンが監督として声を掛けたのは、スローモーションや長回し、360度回転カメラ等々、技巧を凝らした映像美で熱狂的なファンを持っていた、ブライアン・デ・パルマ。 サイコサスペンスの『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)、ギャング映画の『スカーフェイス』(83)などではヒットを飛ばしたデ・パルマだが、その頃はちょうどキャリアの曲がり角。敬愛するヒッチコックにオマージュを捧げた『ボディ・ダブル』(84)、初のコメディに挑戦した 『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)が続けて大コケしたため、メジャーヒットを欲していた。 そんなデ・パルマが本作『アンタッチャブル』(87)の監督を引き受ける決め手となったのは、マメットが8か月掛けて書いた、その時点では第3稿となる脚本。これまで自分が手掛けてきた作品と違って、例えばジョン・フォード作品のような「伝統的なアメリカ映画の流れ」を汲んでいると感じたのである。 デ・パルマはこの作品を、“ギャング映画”ではなく、『荒野の七人』のような“西部劇”だと捉えた。実際マメットは、「老いたガンファイターと若いガンファイターの物語」としてストーリーを組み立てたと語っている。「神話的なアメリカのヒーローにまつわるスケールの大きな話」。これがプロデューサーのリンソン、脚本のマメット、監督のデ・パルマの間で一致した、本作の方向性となった。 主役のエリオット・ネスは、かつてなら、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダが演じたような役柄。望まれるのは、理想主義と強さを合わせ持つ、良い意味でクラシックな個性だった。 まずメル・ギブソンの名前が挙がったが、『リーサル・ウェポン』(87)の撮影が重なっていた。続いてウィリアム・ハートやハリスン・フォードなど、当時の売れっ子俳優が候補となった。 しかし、予算が折り合わない。そこで浮上したのが、売り出し中ではあったが、かなり知名度が落ちる、ケヴィン・コスナーだった。 コスナーの起用に懐疑的だったデ・パルマは、監督仲間のローレンス・カスダンとスティーヴン・スピルバーグに相談したという。 カスダンは、『再会の時』(83)でコスナーを起用しながらも、上映時間の関係で彼の出番を全カット。その後西部劇『シルバラード』(85)で正義のガンマンの役を与えている。スピルバーグは、プロデュースしたTVシリーズ「世にも不思議なアメージングストーリー」(85~87)の中で、自分が監督した一編で、コスナーを主役にしている。「彼はクリーンかつ素直で将来性がある」2人の監督のコスナーに対する評価は、まったく同じもので、デ・パルマもコスナー抜擢の踏ん切りがついた。 ネスの仲間のキャスティングも、重要だった。カポネを脱税で摘発することを提案する経理のエキスパート、ウォレス役には、『アメリカン・グラフィティ』(73)で知られた、チャールズ・マーティン・スミス。彼はこの「真面目でおかしな男」を、「漫画チックにしてはならない」と、肝に銘じながら演じたという。 アンディ・ガルシアは当初、カポネの用心棒で殺し屋のフランク・二ティ役の候補だった。しかし本人の希望もあって、新人警官ストーンのセリフを読んだらハマったため、“正義”の側に身を置くこととなった。 さてベテラン警官のマローンである。何とか“大作”の装いにしたいと考えたデ・パルマは、かねてからファンだった、元祖ジェームズ・ボンド俳優のショーン・コネリーにオファーした。「初めて脚本を読んだ時は“まるで天の啓示”のように感じた…」という、当時50代後半のコネリー。コスナーとの組み合わせは、まさに「老いたガンファイターと若いガンファイター」であった。 コネリーに対して、「いつも遠くから彼の仕事は素晴らしいと思っていた」コスナーは、この共演について、「プロの俳優としての、そして個人としての彼のスタイルには影響されたし、そこから学ぶこともあった」と語っている。まさに役の上での、ネスとマローンの関係に重なる。コスナーにとってコネリーは「特別な人」となり、後に自らの主演作『ロビン・フッド』(91)に、特別出演してもらっている。 コスナーはメソッド式で、ネスの役作りを行ったという。カポネについて、あらゆる文献を読み漁り、財務省関係、FBIなどで実際にネスを知っていた人々から話を聞いた。その中には実際の“アンタッチャブル”の、その時点でただ一人の生存者も含まれている。 ただマメットが、ネスのタフガイのイメージを和らげようと、守るべき愛する家族を持つ男としたことに関しては、役作りは容易だった。コスナーには当時、3歳と1歳の子どもがいたからである。 本当はデスクワークが似合う男なのに、成り行きで深みにはまっていく。シカゴの暗黒街の現実を知るにつれ、段々とタフになっていく。コスナーの役作りで、そんなエリオット・ネス像が出来上がっていった。それはデ・パルマによるネスのイメージ、「下水に落ちた白い騎士」と、正に合致していた。 「白い騎士」に対抗して、“悪”を体現するアル・カポネ役に、デ・パルマが切望したのは、ロバート・デ・ニーロだった。1960年代末、無名時代の2人は何度も組んでいたが、それから15年以上。アカデミー賞を2度受賞して、すでに名優の誉れ高かったデ・ニーロを起用するには、僅か2週間の拘束で、製作費の1割に当たる150万㌦も払わなければならなかった。 デ・パルマは、渋る映画会社の重役たちに、己の降板まで仄めかして起用を承諾させた。しかしデ・ニーロ本人から、なかなか出演のOKが届かない。 宙ぶらりんの状態でデ・パルマが頼ったのが、ボブ・ホスキンス。『モナリザ』(86)の演技で、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で俳優賞を受賞して波に乗っていた彼にデ・パルマは、「もしデ・ニーロがやらなかったら、やってくれるか?」と、失礼を承知でオファーを行ったのである。 結局デ・ニーロが出演に応じ、デ・パルマはホスキンスに謝罪の電話を入れることとなった。数週間後、ホスキンスには詫び料として、20万㌦の小切手が届いたという。 正式な契約の日に、デ・ニーロに初めて会ったアート・リンソンは、酷いショックを受けた。出演していたブロードウェイの舞台の出で立ちで現れたデ・ニーロが、「七十キロもなくて、ポニーテイルをしている上に、三十歳ぐらいにしか見えない」状態で、ろくに口をききもしなかったのだ。カポネは太っていて四十歳、騒々しい男なのに…。 リンソンはデ・パルマを罵った。「あんな奴のためにボブ・ホスキンスを断ったなんて!もうおしまいだ」 そんなリンソンをデ・パルマはなだめながら、太鼓判を押した。次に会う時のデ・ニーロは、別人のようになっていると。 それから5週間。現れたデ・ニーロは、すっかり変わっていた。彼は契約後、すぐにイタリアに飛び、そこでパスタやポテトやピザ、ビール、牛乳を詰め込んで11㌔増量。更にカポネの出身地、ナポリ風のアクセントを身に着けて帰ってきたのだ。いわゆる“デ・ニーロアプローチ”だ。 更には古いニュースを見て、本物のカポネそっくりの声と動作、癖を身に付けた。外見的にも、髪の生え際を剃ることで、カポネの月のように丸い顔を作り上げた上、撮影中はローマから来たメイクアップ・アーティストが毎日3時間掛けて、顔の左側にカポネの有名な古傷を再現。更にはボディ・スーツを着込むことで、万全を期した。 本作の衣裳は、ジョルジョ・アルマーニが担当したが、デ・ニーロはリトル・イタリーの洋服屋に頼み、もっと本物らしくリメイク。更には画面には映らないにも拘わらず、絹の下着を、カポネが注文していた店に発注。それに加えて、カポネ愛用ブランドの葉巻や靴も手に入れた。 リンソンは、これらの経費の請求書に肝を冷やしながらも、デ・ニーロの役作りに関しては、不安を抱くことはなくなっていった。 本作のクランクインは、1986年の8月上旬。13週間の撮影で、使用されたロケ地は25以上。その多くが30年代前半には、カポネ行きつけの場所だったという。 クライマックスで、カポネの脱税の証拠である、帳簿係を拘束するための銃撃戦が撮影されたのは、シカゴのユニオン駅。20人のスタッフが2週間掛けて準備を行い、照明のために、電力会社が一時的に駅への電気の供給を増やした。 ここでデ・パルマは、映画史に残る『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”を引用。赤ん坊の乗ったベビーカーが階段を滑り落ちていく中で、激しい銃撃戦をデ・パルマの十八番、スローモーションで捉える。 実はこのシーンは、本作が“大作”の装いながら、製作費が抑えられたための、“代案”だった。本来は、列車に乗った帳簿係を車で追った上に、列車に乗り移って銃撃戦が繰り広げられる筈だったのが、予算の都合で実現不可能。代わりに撮られたこのシーンが、結果的にデ・パルマらしさが横溢する、本作を代表する名シーンとなったのである。 新旧問わずデ・パルマ作品には、“映像美”に走る反面、ストーリーがおざなりになる傾向がある。しかし本作は、マメットのストレート且つ説得力のある脚本によって、そうした欠点を解消。更には、デ・パルマが以前から仕事をしたかったという、エンニオ・モリコーネ作曲のスコアも素晴らしい響きを見せ、1987年に作られた“西部劇”としては、これ以上にない仕上がりとなった。 当初予定されていた製作費1,500万㌦はオーバーして、2,400万㌦が費やされたが、87年6月に公開されると、北米だけで7,500万㌦を稼ぎ出した。その秋に公開された日本でも、配給収入が18億円に達する大ヒットとなった。 アカデミー賞では、ショーン・コネリーに助演男優賞が贈られた。そしてケヴィン・コスナーはこの後、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)『JFK』(91)『ボディガード』(92)等々、ヒット作・話題作への出演が続く。特にプロデューサーと監督を兼ねた『ダンス・ウィズ…』では、アカデミー賞作品賞と監督賞の獲得に至り、大スターの地位を手にした。 監督のデ・パルマは、本作のヒットでせっかく取り戻した“信用”を、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで無化する。次に復活するのは、やはり人気TVドラマシリーズを、オリジンを軽視して映画化するという、本作のパターンを踏襲した、『ミッション:インポッシブル』(96)となる。■ 『アンタッチャブル』™ & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
-
PROGRAM/放送作品
(吹)アンタッチャブル【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2023.08.30
失われた祖国への“愛”が生んだ、クストリッツァ監督の大傑作『アンダーグラウンド』
昔、あるところに国があった…。「ユーゴスラヴィア」。それが、映画監督であるエミール・クストリッツァが生まれ育った国の名前。「単1の政党が支配し、2つの文字を持ち、3つの宗教が存在し、4つの言語が話され、5つの民族から成る、6つの共和国により構成され、7つの隣国と国境を接する」と謳われた、バルカン半島に位置する連邦国家だった。 クストリッツアは、1954年生まれ。「ユーゴスラヴィア」を構成した6つの共和国の1つ「ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国」の首都サラエボの出身である。 初の長編作品『ドリー・ベルを憶えてる?』(1981)で、「ヴェネツィア国際映画祭」の新人監督賞を受賞し、続く『パパは、出張中!』(85)で、「カンヌ国際映画祭」の最高賞=パルム・ドールに輝いた。 快進撃は止まらず、『ジプシーのとき』(89)では再び「カンヌ」で、監督賞を得ている。 その作風は彼の友人、オーストリア出身で2019年にノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケの言葉を借りれば、「シェイクスピアとマルクス兄弟のちょうど中間」。高尚でクラシカルなシェイクスピアのようなストーリーと、マルクス兄弟のようなスラップスティックコメディという、シリアスとユーモア両極端の要素が、混在している。それがクストリッツァの作品世界である。 80年代に手掛けた3本で、ヨーロッパを代表する映画監督の1人となった彼は、1990年にアメリカに移住。『カッコーの巣の上で』(75)『アマデウス』(84)などの名匠ミロス・フォアマンの後任として、コロンビア大学映画学科の講師に就任する。そして初のアメリカ作品『アリゾナ・ドリーム』(93)を、ジョニー・デップ主演で撮った。この作品も高く評価され、「ベルリン国際映画祭」で銀熊賞を受賞している。 チェコスロバキア出身のフォアマンのように、その後はアメリカで作品を撮り続けるという選択肢もあったろう。しかし『アリゾナ・ドリーム』撮影中に、“ボスニア紛争”が勃発。故国が内戦状態に陥ったことが、彼の運命を変える。「…僕はユーゴスラヴィアに生まれ、ユーゴスラヴィア人の誇りを持ってこれまで生きてきた。地球上のどこに滞在していようと、ユーゴスラヴィアとは心で結びついていたんだよ。その祖国が、ある日突然、消えてしまった。これはもう、自分の恋人を失ったようなもので、いつも何とかしたい、祖国を救いたいと思っていた」 本作『アンダーグラウンド』(95)を撮ろうと思ったきっかけ。それは、「祖国への愛」であった。 結果的にクストリッツァのキャリアを語る上で、絶対的に外せない“代表作”となった『アンダーグラウンド』。製作から30年近くを経たことを鑑みて、「ユーゴスラヴィア」の歴史をざっと紐解きながら、それと密接にリンクしている、全3部構成のストーリーの紹介を行う。 ***** 第1次世界大戦後に、バルカン半島に建国されたユーゴスラヴィアだったが、第2次大戦が始まると、ナチス・ドイツが進出。当時のユーゴ政府は「日・独・伊三国同盟」に加わり、「親ナチス」の姿勢を見せる。しかし、これに反対する勢力がクーデターを起こし、政権の奪取に成功する。 怒ったヒトラーは、1941年4月にユーゴを侵略して、占領・分割。そこでユーゴ共産党政治局の一員だったチトーを総司令官に、人民解放軍=パルチザンが組織され、ナチスへの武力抵抗が展開された。 *** 1941年、セルビアの首都ベオグラードでナチスが爆撃を開始したちょうどその頃、共産党員のマルコは、友人のクロを誘って入党させる。彼らはナチスやそのシンパを襲っては、武器と金を奪った。 ナチスの猛攻を避けるため、マルコは、祖父の所有する屋敷の地下室に、避難民の一団を匿う。クロの妻は、そこで息子のヨヴァンを出産。そのまま息絶えてしまう。 43年、クロは惚れた女優ナタリアを拉致。結婚を目論むが、ナチスに逮捕される。酷い拷問などで重傷を負ったクロは、マルコの手で、件の地下室へと運び込まれる。 美しいナタリアに横恋慕したマルコは、クロを裏切り、彼女を我が物とする…。 *** イデオロギーや民族、宗教を越えた“愛国主義”の立場からの、チトーの“パルチザン闘争”は勝利を収め、祖国の解放に成功。1946年には彼を国家のリーダーに頂く、社会主義体制下の連邦国家として、「ユーゴスラヴィア」の歩みが始まる。 先にも挙げた「単1の政党(共産党)が支配、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国(マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ)」というユーゴだったが、1948年にはソ連と対立。社会主義国ながら、東西どちらの陣営にも属さない、ユニークな政治体制となる。 自主管理と非同盟政策を2本柱に、1961年には社会主義国では初めて、エルヴィス・プレスリーの楽曲がリリースされるなど、「自由化」が進んだ。 付記すれば、1954年生まれのクストリッツアは、西側からの若者文化流入の全面的影響を受けた世代。映画では、ルイス・ブニュエルから『フラッシュ・ゴードン』(80)まで幅広いジャンルを好み、音楽ではセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがカバーした「マイウェイ」をこよなく愛するという彼の嗜好は、紛れもなくこの時期のユーゴに育ったが故である。 *** 1961年、地下室に潜ったクロたちの“戦争”は、まだ終わっていなかった。チトー政権の要人となったマルコが、15年以上に渡ってクロたちを騙し続けたからである。ユーゴはナチスの占領下に置かれたままで、地上では激しい戦闘が続いていると。 地下室の人々は、小銃や戦車などの兵器を製造。マルコはそれを密売し、私腹を肥やすが、マルコの妻となったナタリアは、罪の意識に苛まれアルコールに溺れる。 崩壊の時が、突然訪れる。クロの息子ヨヴァンの結婚式で、マルコとナタリアの関係に、クロが気付く。更にアクシデントから、戦車の砲弾が発射され、地下室に大穴が開く。 クロは、息子ヨヴァンと共に外へ。ナチスを倒そうと意気込む彼らの前に現れたのは、英雄として讃えられるクロの生涯を映画化している撮影隊。ナチの軍服を着た俳優たちを「敵」と認識したクロとヨヴァンは、攻撃を開始する…。 *** 1980年、カリスマ的な指導者だったチトーが死去。すると、ユーゴが乗り越えた筈の、民族や共和国間の対立が、経済危機を背景に激しくなっていく。 91年に連邦の一員だった、スロヴェニアとクロアチアの独立が宣言されたのをきっかけに、セルビア側からの軍事介入などで、ユーゴは内戦状態に。“ユーゴスラヴィア紛争”は、ここから2001年までの10年間にも及んだ。 そして連邦国家「ユーゴスラヴィア」は、完全に解体されることとなる…。 *** 泥沼の内戦状態となった、ユーゴの地に、クロ、マルコ、ナタリアらの姿があった。クロは戦闘の司令官として、マルコとナタリアは、強欲な武器商人とその妻として。 クロはかつての親友、そして最愛の女性と、どのような形で、再び相見えるのか? ***** 『アンダーグラウンド』のベースになったのは、デュシャン・コバチュヴィッチが20年前に書き下ろした戯曲。但し「戦争が続いているとウソをついて、人々を地下に閉じ込めた男の物語」という根幹だけ残して、他はすべて変えることとなった。 クストリッツァとコバチュヴィッチは、共同で脚本を執筆。元は家族を描いたストーリーを、国家をテーマにした作品に変えていった。コバチュヴィッチ曰く、「我々の母国をあまり知らない人たちに国民の生きざまや、この悲惨な戦争が起きざるを得なかった理由について知ってほしかった…」 クストリッツァのこの新作に、出演を熱望したハリウッドスターがいた。前作『アリゾナ・ドリーム』の主演俳優ジョニー・デップである。 ジョニーは、クロらと同様に地下室に閉じ込められる、マルコの弟イヴァン役に立候補。この役のためなら、「セルビア語をマスターする!」と決意表明したのだが、クストリッツアは、本作はユーゴの役者だけで撮ると、断わったという。 その言葉通り、主要キャストはユーゴ出身者で固めた本作の撮影は、93年10月にチェコスロヴァキアのプラハのスタジオでスタート。撮影は断続的に行われ、旧ユーゴ、ドイツのベルリンとハンブルグ、更にブルガリアを経て、95年1月に旧ユーゴのベオグラードでクランク・アップとなった。 クストリッツァは本作の製作中、ストーリーがどこに向かって行こうとしているのか、自分でも「わからなかった」と語っている。映画史に残るラストシーンも、「撮影しながら思いついた」のである。 未見の方のために詳細は省くが、ドナウ川にせり出した土地に、主要キャスト全員が揃って展開するこのシーンは、“バルカン半島”の在り方への希望と解釈する向きが多かった。しかしクストリッツァによると、「ヨーロッパ全体のメタファーのつもり」だったという。 因みに人々を騙して地下室に閉じ込めるマルコの行動は、情報を遮断して民衆の支持を集める、“共産主義”のメタファーと受け止めてかまわないと、クストリッツァは語っている。 本作は「カンヌ」で、クストリッツァにとっては2度目となるパルム・ドールを受賞。そうした絶賛を受けると同時に、大きな物議を醸すことにもなった。本作の内容が、ユーゴ内戦を煽ったセルビアの民族主義者寄りだとの批判が、フランスの知識人たちなどから行われたのである。 クストリッツァは、“ユーゴスラヴィア人”を自任し、「自分はいかなる政治グループにも属していないし、特定の宗教も信じていない」と明言していた。それ故に、様々な政治的立場の人間から、裏切り者扱いされた側面もあったと言われる。 こうした糾弾によってクストリッツァは、「カンヌ」でパルム・ド-ルという頂点を極めたその年=95年の暮れに、「監督廃業宣言」するまでに追い込まれる。それは割りとあっさりと、覆されることにはなるのだが。 その後のクストリッツァは。ほぼ3~4年に1作程度のペースで、劇映画やドキュメンタリー映画を発表し続けている。またミュージシャンや小説家としても、活動している。 それと同時に、政治的には「先鋭化」が進んだというべきか?ユーゴスラヴィア紛争におけるセルビア側の責任を否定し、西側諸国の干渉を一貫して批判するようになる。ユーゴ紛争に於いて「人道介入」の名の下に、米軍を中心とするNATO軍が、セルビア人勢力に大規模な空爆を行った上で、ユーゴに駐留するようになったことに対しては、強い憤りを表明している。 更にクストリッツァは、アメリカはじめ西側との対立を深めつつあった、ロシアの独裁者プーチンへの支持を公言するようになる。2022年、ロシアがウクライナに侵攻した前後には、「ロシア陸軍学術劇場」のディレクターに就任したとのニュースが報じられ、各方面に衝撃が走った。その後この“就任”に関しては、本人側から否定するコメントが出されたが…。 すっかり毀誉褒貶が激しい、アーティスト人生を送ることになったクストリッツァ。それは『アンダーグラウンド』という、失われた祖国への「愛」故に作り上げた、世紀の大傑作に端を発する部分が大きい。 昔、あるところに国があった。そして、この物語に、終わりはない…。■ 『アンダーグラウンド』© MCMXCV by CIBY 2000 - All rights reserved.
-
PROGRAM/放送作品
ウォーターワールド
ケヴィン・コスナー×デニス・ホッパー共演で贈る、史上空前のSFスペクタクル!
世界が海の底に沈んでしまった未来の地球。人々は皆、人工浮遊都市の上で生き延びていた。伝説の陸地を求め、海賊との壮絶な戦いに巻き込まれてゆく男の旅を描いた、近未来海上アクション・アドベンチャー。
-
COLUMN/コラム2019.05.13
吸血鬼を恐れぬ現代に、どんな恐怖を暗示させるのか—? 『地球最後の男 オメガマン』
■チャールトン・ヘストンのディストピア三部作 『地球最後の男 オメガマン』(71)は、TVシリーズ『ミステリーゾーン』(58〜64)における数多くのエピソードや、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)の原作を手がけた作家リチャード・マシスンが、1954年に発表した同名長編小説の映画化だ。日本で翻訳が出版されたときの邦題が「吸血鬼」で、そのタイトルどおり、ウイルスの蔓延によって人類は夜行性の吸血鬼と化し、抗体として人間のまま生き残った主人公ロバート・ネビルが、孤独に耐えながら彼らと戦う物語だ。 もっとも「吸血鬼」は過去に3度映画化されており、『オメガマン』はその2本目にあたる。1本目は怪奇俳優として名高いヴィンセント・プライスが主演した『地球最後の男』(64)。マシスンが偽名で脚本執筆に加わっただけあって、物語は原作にきわめて忠実だ。またタイトルからもわかるように、『オメガマン』はギリシャ語アルファベットの最後となる文字「Ω(オメガ)」を用い、『地球最後の男』を婉曲的に踏襲している(ちなみに3本目の『アイ・アム・レジェンド』(07)はこちらを参照) この『オメガマン』はネビルを演じたチャールトン・ヘストンがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画で、その頃の彼の立ち位置を知ると動機がわかりやすい。『十戒』(56)や『ベン・ハー』(59)など、宗教啓蒙的な性質を持つ史劇大作で世界に名を広めたヘストンだが、60年代後期は俳優としての変革期にあった。そこで先述の作品で得たパブリックイメージを保たせながら、自身のキャリアに柔軟性をもたせるための、既成でない対勢力にあらがう新たなヒーロー像を模索したのだ。中でも際立ったのが、人類が猿に支配される『猿の惑星』(68)や、人間を食料加工品にする『ソイレント・グリーン』(73)といった、時代の機微に応じて製作されたディストピア(暗黒郷)SFへのアクセスである。 当時、アメリカはインフレが加速して石油価格が上昇し、景気が後退。ベトナム戦争の長期化によってNASAの宇宙開発は凍結され、社会を暗く揺れ動かしていた。これらの事象に対する動揺を反映するかのように、アメリカ映画界にはダークで終末感に満ちた作品が群発したのである。ヘストンはそんなムーブメントに対し、自らディストピアSFに活路を見出し、マシスンの原作の現代的アレンジに強い関心を示していたのだ。 ヘストンは「吸血鬼」を主演作『黒い罠』(58)の撮影時、監督のオーソン・ウェルズから勧められて手にとっている。そして原作に惹き込まれた彼は1969年11月、プロデューサーのウォルター・M・ミリッシュ(『荒野の七人』(60)『夜の大捜査線』(67))と話し合い、ワーナーと接触。翌1970年1月には『地球最後の男』にあたってアウトライン研究を始め、同年2月8日に脚本担当のジョン・ウィリアム・コリントンと、彼の妻ジョイスらと共に脚本開発に移行している。 ■作品の背後にあるゼノフォビア コリントン夫妻は『地球最後の男』と同様、ネビルが科学者である設定を引き継ぎ、また異なるポイントとして、ウイルスの影響によって変貌した人間の描写を更新させた。『オメガマン』において彼らは黒衣をまとい、自分たちの共同体を「ファミリー」と呼び、生存権を主張する“ミュータント”に変えたのである。 映画はこうした形で、人種のカテゴリーが崩壊し、社会的優位をが脅かされていくことへの警戒心を内在させ、そこには当時すさまじい勢いでアメリカを席巻していた公民権運動(黒人が自由と平等を獲得するためにおこした運動)や、ベトナム戦争への不審が生んだカウンターカルチャー(対抗文化)の存在がうかがえる(ヘストン自身は公民権運動の支持者であり、ベトナム戦争に反対の立場をとっていた)。あるいは若い信徒を「ファミリー」と称して引き連れ、映画女優シャロン・テートの殺害に及んだチャールズ・マンソンのような、カウンターカルチャーが誘引した反社会勢力を連想させるものとなっているのだ。またウイルス感染の起因が「中ソ戦争による科学兵器の使用」と設定づけられたのも、1969年3月2日に起こった中ソ国境紛争(中国人民解放軍がダマンスキー島のソ連国境警備隊55人を攻撃した紛争)が背景にあり、そこに当時の共産主義に対するアレルギーが見え隠れしている。 他にも物語の要となるヒロインにロザリンド・キャッシュを起用し、当時のハリウッドメジャー作品としては異例の異人種間のロマンスを展開させたことで、そこに公民権運動を牽引するブラックパワーや、ウーマンリブ(女性解放運動)の影響を指摘することもできる。つまり『オメガマン』は、総じてアメリカが同時代に抱えていた「ゼノフォビア(外来恐怖症)」を反映したものになっているのである。 もっとも、こうしたゼノフォビアは原作が生まれた段階から宿命のようにつきまとっている。マシスンの「吸血鬼」が世に出た1950年代、アメリカは米ソ冷戦や共産主義への深刻な脅威にさらされ、ゼノフォビアは侵略SFという形を借りて描かれてきた。それを象徴するようにジャック・フィニィの「盗まれた街」や、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」など侵略SFのマスターピースが発表され、また映画においては数多くのエクスプロイテーションな侵略SFものが量産されている。 マシスンは幼い頃、ベラ・ルゴシ主演のモンスター映画『魔人ドラキュラ』(31)を観たとき「個体でさえ恐ろしい吸血鬼が集団化したらどうなるのか?」という思いに駆られ、それが「吸血鬼」を手がける発端だったと語っている(*1)。多数派によるカテゴリーの侵食や崩壊がイメージの根にある本作が、映画化によってその時々のゼノフォビアに感応するのは自明の理といえるだろう。 ■原作者マシスンの『オメガマン』に対する反応 そんな『オメガマン』を、原作者であるリチャード・マシスン自身はどう思ったのか? マシスンは後年のインタビュー(*2)において、「チャールトン・ヘストンはいい俳優だし、マンソンファミリーのようなカルトを皮肉るなど、映画は時代性をよくあらわしている。だが個人的には好ましくない映画化だ」 と述べている。製作当時、ワーナーは改変のためにマシスン本人からの権利譲渡を避けたようで、こうした先方の態度に思うところがあったのだろう。ちなみにマシスンが「吸血鬼」の映画化作品で認める姿勢を示したのは、意外なことに傍流というべき食人ゾンビ映画の嚆矢『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)だ。同作は「吸血鬼」をイメージソースとしており、監督のジョージ・A・ロメロは『ナイト〜』の商標権を取り戻すために動いていたときにマシスンと会い、アイディアを拝借したことを彼に白状している。そこで商標権の登録ミスにより、自分がこの映画で儲けていないことを告げると「あなたがお金持ちになっていないなら、それ(アイディアの流用)は無問題さ」とロメロに同情を寄せたという(*3)。 さいわいにも2007年の映画化『アイ・アム・レジェンド』のときは、マーク・プロトセヴィッチの手による脚色がよく出来ていると賞賛。プロモーションにも協力するなど、ワーナーとの関係を回復させて彼はこの世を去っている。 とはいえ、こうした原作者の感情がどうであれ、『地球最後の男 オメガマン』はカルト映画として支持され、恒久的にファンを獲得し続けている。それは本作が、1970年代ディストピアものとして他にはない独特の雰囲気を放ち、また前述のようなメッセージ性をはらむ作品構造が、いつの時代の社会問題にも置き換え可能だからだろう。欧州の難民問題、トランプ政権下の移民政策etc.はたして我々はいま、この映画に何を見るのだろう?■
-
PROGRAM/放送作品
バニシング・ポイント(1971)
[PG12]時速200kmでハイウェイを爆走!アメリカン・ニューシネマを代表する名作カーアクション
サンフランシスコへ車で向かう男が賭けに乗り、時速200kmの猛スピードで警察と繰り広げるカーチェイスが圧巻。当時の社会に対する怒りや反発が投影され、アメリカン・ニューシネマの傑作として名高い。
-
COLUMN/コラム2019.05.13
マシスン原作の核に迫る映像化、そして幻となったシュワルツェネッガー版とは? ——『アイ・アム・レジェンド』——
■前映画化作品に勝る、地上に一人残された主人公の“孤独感” 2007年に公開された『アイ・アム・レジェンド』は、リチャード・マシスンによる終末パニックホラー小説「吸血鬼」(54)の3度目となる長編劇映画化だ。前回の映画化作品『地球最後の男/オメガマン』(71)のリメイクとして、ワーナーはこの企画を世紀をまたぎ息づかせてきた。 しかし本作はマシスンの小説に立ち返ることで、単なるリメイクではなく、原作と『オメガマン』両方の性質を持つ内容となっている。ウィル・スミス演じる主人公ネビルは『オメガマン』と同じく科学者に設定されており(原作のネビルは工場労働者)、ただ事態に翻弄されるのではない、原因究明の使命を帯びたキャラクターを受け継いでいる。また過去回想のインサートによって、ネビルの背景と感染パニックの起点が明らかになる構成は原作に準拠したものだ。 いっぽう『オメガマン』からの変更点は時代設定のほか、人類がウイルス感染し、吸血鬼症を引き起こす原因が同作とは異なっている。前者は製作年度よりもやや先の2012年が舞台となり(『オメガマン』の時代設定は1977年)、そして後者は癌の治療薬として有効視されていた新型ウイルスが、抑制不能の伝染性ウイルスに変化したため引き起こされたものと改められた(『オメガマン』では中ソ戦争での生物兵器使用が原因)。 それにともない感染者の容姿や症状にも、著しい変化がもたらされている。『オメガマン』では感染者は肌の色素を失い、視力の退化した新種のミュータントと化し、自分たちの生存権を主張していた。しかし『アイ・アム・レジェンド』の感染者は「ダーク・シーカー」と呼ばれ、本能的に人を襲う凶暴な夜行性肉食生物として描かれている。その変化は「コミュニケーションのとれない外敵」という性質をおのずと強いものにし、9.11同時多発テロ以降のハリウッド映画らしい、姿なきテロリズムを暗喩したものになっている。 そして過去の映画化作にはない『アイ・アム・レジェンド』固有の特徴として、主人公ネビルの「孤独」を強調する演出が挙げられる。怪物化した感染症者との戦いもさることながら、地上から自分以外の人間が消え、ネビルは自律によって理性を保ち、近代文明から切り離された極限状態での生存を余儀なくされていく。マシスンの原作は、こうした孤独との葛藤を緻密に綴ることで、シチェーションそのものが持つ恐怖をとことんまで追求し、そして後半部の驚くべき展開への布石として機能させている。こうした原作に対する細心の配慮が、原作の根強い支持者だけでなく『オメガマン』に批判的だったマシスンの信頼をも取り戻していくのである。 ■徹底した封鎖措置と、デジタルの駆使によるニューヨークの廃墟化 そんなネビルの孤独を引き立たせるため、本作は無人となって廃墟化した市街地のシーンに創造の力点が置かれている。『オメガマン』では、この都市が無人化するインパクトのある場面を、舞台となるロサンゼルスで撮影。歩行者の少ない休日のビジネス街を中心にゲリラ撮影をおこない、効果的なショットの数々を生み出した。『アイ・アム・レジェンド』もこのアプローチにならい、作品の舞台であるニューヨーク市で実際にロケ撮影が行なわれている。ただ異なるのはその規模と方法で、こちらは南北は五番街を挟んだマディソン街と六番街の間、そして東西は49丁目から57丁目の間で歩行者と車の交通を完全に遮断し、人が一人として存在しない同シチェーションを見事に視覚化したのだ。ネビルを演じたウィル・スミスは、当時の撮影状況を以下のように振り返っている。「一生かけても無人のニューヨークなんて目にすることは絶対にないからね。あれはパワフルな光景だった。五番街の一角を無人にしたとき、僕たちは前例のないことをやっているんだということを痛感したよ」(*1) このようにして得た廃墟のショットを、本作はさらにデジタルで修正し加工することで、映画は無人となった都市の景観が、経年によってどのように変貌していくのかをシミュレートしたものにもなっている。本作のプロデュースと脚本を兼任したアキヴァ・ゴールズマンは、なによりそのモチベーションが『オメガマン』にあったのだと、同作への対抗意識をあらわにしている。「ロサンゼルスと違って、ニューヨークは24時間ひっきりなしに人が動いている。そんな場所で無人のゴーストタウンを作り出すなんて、それだけで挑戦的な価値があるといえるね」(*2) リメイクの話が幾度となく出ては消える、そんなサイクルが常態化していた『アイ・アム・レジェンド』の映画化は、まさに作り手の企画に対する情熱的な思いと、映画技術の熟成こそが突破口を開けたのだ。 ■リドリー・スコット×シュワルツェネッガー版『アイ・アム・レジェンド』の幻影 そもそも『アイ・アム・レジェンド』は、本来ならば1990年代の中頃には完成が予定されていたものだ。当時アクション映画のトップスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーが主演し、『エイリアン』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)の巨匠リドリー・スコットが監督する形でプロジェクトが進んでいたのである。 リドリーはこの『アイ・アム・レジェンド』を『G.I.ジェーン』(97)の直後に手がけるつもりで、ワーナーとシュワルツェネッガー側からマーク・プロトセヴィッチ(『ザ・セル』(00))による脚本と、ジョン・ローガン(『ラストサムライ』(03)『007 スカイフォール』(12))による改訂稿を受け取っていた。リドリーは監督のオファーを承諾。その理由は意外なことに「アーノルドと一度仕事をしてみたかった」からだったという。 リドリーはローガンの改訂稿をもとにプロジェクトに着手。同稿はストーリーの流れがプロトセヴィッチの脚本(実際に映画化されたものはアキヴァ・ゴールズマンがこれを改訂)にほぼ近いが、ネビルの職業は科学者ではなく建築家で、また物語の後半、ネビルと、そして“カシーク”と名付けられた感染症者のリーダーとの壮絶な戦いが中心になっている。これは奇しくもリドリーの代表作『ブレードランナー』(82)における、デッカードとレプリカント・ロイとの異種同士の戦いを彷彿とさせ、図らずも同作を反復する刺激的な内容になっている。それでなくとも『アイ・アム・レジェンド』はリドリーの『ブレードランナー』以来のSF映画として、ファンの期待も相当に大きかったのだ。 しかし、予算計上が1億ドルを超えたあたりでワーナーは企画の進行に難色を示し、プロジェクトは暗礁に乗り上げた。シュワルツェネッガーの高額のギャラに加え、ロサンゼルス(企画時点での舞台設定)を封鎖して撮影をするという計画は、費用対効果の面で懸念の対象となったのだ。加えて当時はデジタル技術も過渡期にあり、物理的に廃墟を作り出すことを中心にする以外にない。同様の理由で吸血鬼症の感染者の表現も課題として、シュワルツェネッガー版の障害として立ちはだかった。リドリーの演出プランでは感染者は常時、皮膚を紫外線から隠すためにベドウィン(アラブの遊牧民族)のような外装をしていたが、実際に映画化されたクリーチャーに近いプロダクションデザインがなされ、その映像化にも多くの予算が費やされるであろうことが予測されたのだ。 とはいえ、このシュワルツェネッガー版、かなり長期にわたりプリプロダクション(撮影前の準備)がおこなわれていたようで、筆者(尾崎)が2000年代のリドリー・スコット作品の編集にたずさわった横山智佐子さんに取材したさい、編集室にひょっこりシュワルツェネッガーが顔を出すことがあったと語っていた。そのさいシュワは守秘義務などどこ吹く風で「今度リドリーと『アイ・アム・レジェンド』をやるんだよ、ガハハハハ!」と自慢げに話していたというから、本人もさぞや乗り気だったのだろう。ちなみに改訂稿にはネビルが葉巻を好むなど、実際のシュワルツェネッガーを想定して執筆したような痕跡が見られる。それだけシュワ自身としても肝煎りの企画だっただけに、個人的心情としては彼のバージョンも観てみたかった気がする。 ■シュワルツェネッガー版に異を唱えたギレルモ・デル・トロ ところが、もう一人『アイ・アム・レジェンド』の監督に名乗りをあげた人物は、こうしたシュワルツェネッガーのキャスティングに異を唱えている。人間と半魚人との恋を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)で、後にアカデミー賞を手中にするギレルモ・デル・トロだ。 ギレルモは当時、長編デビュー作『クロノス』(93)を完成させ、ジェームズ・キャメロン(『タイタニック』(97)『アバター』(09)監督)の米国での支援を受けながら、メジャーデビューへの糸口を探っていた。そして同作のために収集した吸血鬼の研究素材を『アイ・アム・レジェンド』に活かし、同作を企画中のワーナーに自ら監督の売り込みをかけたのだ。しかし既にシュワルツェネッガー主演で企画が検討されていることを知ったギレルモは、そのキャスティング案に違和感を覚え、マシスンの原作の精神に反するとワーナーの担当者に説いたという。彼は言う。「マシスンの原作は、普通の男が感染者たちから伝説として恐れられるところに意味を持たせている。シュワルツェネッガーの超人的なイメージは、それに合致するものとは思えないよ」(*3) これらのリジェクト(却下された)企画に対し、実際に完成した『アイ・アム・レジェンド』以上に解説を費やした気もするが、その存在の正当性を示すには、背後に消えたものが何よりも強く声を放つことがある。とはいえジョン・ローガンの改訂稿にあった鹿の群れと遭遇する場面や、ネビルが罠に足をとられてしまう展開などは完成版でも引き継がれているし、リドリー・スコットはローガンと共に、SFに向けていた創作の熱意を古代ローマへと舵修正し、英雄史劇『グラディエーター』(00)という一大成果を生んだ。そしてギレルモ・デル・トロは、温めていた『アイ・アム・レジェンド』のアイディアを『ブレイド2』(02)に活かし、型破りで新しいヴァンパイアヒーローのさらなる洗練に成功している。そしてギレルモの危惧したネビル像は、アクションスターではあるが自然な演技感覚を持つウィル・スミスにより、理想的な形で具体化されたといっていい。 当人たちにはたまったものではないだろうが、こうしてリジェクト企画を振り返るのも、作品を知るうえで決して後ろ向きな行為ではないのだ。■
-
PROGRAM/放送作品
ランボー/怒りの脱出【4Kレストア版】
[R15+]80年代のアクション映画の金字塔!“ランボー”シリーズで最高の興業を上げた第2作!
“ランボー”シリーズの第2作目で、前作以上にアクションや爆破シーンが織り交ぜてある迫力のある作品となっている。シリーズのなかで最高の興収を上げた本作は、80年代のアクション映画の金字塔と言える!
-
COLUMN/コラム2019.03.05
〜『ファンタズム』シリーズ〜 ザ・シネマでの全シリーズ連日放送は、熱心なファンにしか許されない40年の時を超えた恐怖と冒険と感動を味わえるチャンス!
『エルム街の悪夢』シリーズや『13日の金曜日』シリーズに比べるといささか地味だが、それでもなおカルト映画として世界中で根強い人気を誇る『ファンタズム』シリーズ。30万ドルの低予算で製作された記念すべき第1弾『ファンタズム』(’79)は、『悪魔のいけにえ』(’74)や『ハロウィン』(’78)といったインディペンデント系ホラーがメジャー級の大ヒットを飛ばす’70年代の時流に乗って、興行収入1100万ドルを超える大成功を収めた。とはいえ、その後40年近くの長きに渡って続編が作られることになろうとは、監督のドン・コスカレリ自身も想像していなかったに違いない。 もともと地元カリフォルニアのロングビーチで学生映画を撮っていたコスカレリ監督は、映画仲間クレイグ・ミッチェルとのコンビで、平凡な若者とその弟の悩み多きままならぬ青春を描いた『誰よりも素敵なジム』(’75)で劇場用映画デビューを果たす。撮影当時のコスカレリはまだ18歳。製作費はミッチェルとそれぞれの両親から借金した。なかなか買い手が見つからなかったものの、コスカレリの父親の知人だったロサンゼルス・タイムズの映画批評家チャールズ・チャンプリンがラフカット版を見てユニバーサルに推薦し、素人が撮った自主製作映画にも関わらずメジャー公開されるという幸運に恵まれる。 続いて、12歳の少年たちの平凡だがキラキラとした日常を鮮やかに切り取った青春映画の佳作『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』(’76)を20世紀フォックスの配給で発表したコスカレリ監督は、少年時代から大好きだったというホラー映画の製作に着手する。前2作が高い評価のわりに興行成績が奮わず、ホラー映画ならば当たりが狙えるという目算もあったという。それが父親や知人からの借金で自主制作した低予算映画『ファンタズム』だった。 舞台はアメリカのどこにでもある風光明媚な田舎町。異次元からやって来た邪悪な葬儀屋トールマン(アンガス・スクリム)が、町の住民を次々と殺してはドワーフ型のゾンビに変えていく。いちはやく異変に気付いた13歳の少年マイク(マイケル・ボールドウィン)は、年の離れた兄ジョディ(ビル・ソーンベリー)やその親友レジー(レジー・バニスター)と共に、トールマンを倒すべく果敢に立ち向かっていくこととなる。 コスカレリ監督自身が見た悪夢を映像化したという本作。夢と現実が錯綜する摩訶不思議なストーリーに明確な説明はない。そのシュールリアリスティックな語り口はルイス・ブニュエルやジャン・コクトーを彷彿とさせ、ショッキングでスタイリッシュなイメージの羅列はダリオ・アルジェントの影響も如実に伺わせるが、しかし作品全体を覆うジューヴァナイルなセンチメンタリズムは、それまでのコスカレリ監督作品の確かな延長線上にあるものと言えよう。 『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』と同じく10代前半の少年の目を通して世界を見つめる本作では、『誰よりも素敵なジム』の大学生ジムが父親の虐待から幼い弟ケリーを守ろうとしたように、ミュージシャン志望の若者ジョディが邪悪な大人トールマンの魔手から年の離れた弟マイクを守ろうとする。ジョディとマイクは両親を交通事故で失ったばかりだが、両親からネグレクトされたジムとケリーもまた親がいないも同然の孤独な兄弟だった。ある意味、『誰よりも素敵なジム』と『ボーイズ・ボーイズ~』、そしてこの『ファンタズム』は、精神的な部分で連なる三部作の様相を呈しているとも考えられるだろう。 そのうえで本作は、ストーリーなきストーリーに主人公マイクの揺れ動く複雑な心情を投影する。愛する両親を一度に失い、唯一の肉親である兄ジョディもまた、町を出てひとり立ちしようとしている。思春期の多感な少年が人生で初めて直面する喪失感、このまま一人ぼっちになってしまうのではないかという不安感、そしてまだ子供であるがゆえの無力感。それらをひとまとめにした象徴が、得体の知れない悪魔トールマンなのである。 誰もが少なからず身に覚えのある、成長期の漠然とした不安や恐怖を想起させる。それこそが、どちらかというと難解な内容でありながらも、多くのファンが『ファンタズム』に魅了される最大の理由であろう。しかし、その後の続編はちょっとばかり違った方向へと舵を切る。 大手ユニバーサルの出資で製作された第2弾『ファンタズムⅡ』(’88)は、’80年代当時のホラー映画ブームを意識した純然たるエンターテインメント作品に仕上がった。なぜなら、ユニバーサルがそれを求めたからである。 ストーリーは逞しい青年に成長したマイク(ジェームズ・レグロス)と相棒レジー(レジー・バニスター)が宿敵トールマン(アンガス・スクリム)を倒さんと各地を巡るロードムービーへと変貌し、『エルム街の悪夢』のフレディばりに神出鬼没なトールマンや前作でも強烈な印象を残した空飛ぶ殺人銀球「シルバー・スフィア」のパワーアップした恐怖が強調され、大量の火薬を使った爆破シーンやガン・アクションがふんだんに盛り込まれた。マーク・ショストロムがデザインし、弟子のロバート・カーツマンやグレッグ・ニコテロが造形した派手な特殊メイクの数々も見どころだ。 まあ、確かに続編とはいえ半ば別物のような作品だが、しかしここではヒロイック・ファンタジー『ミラクルマスター/七つの大冒険』(’82)でも披露した、コスカレリ監督の娯楽映画職人としての実力が遺憾なく発揮されている。もちろん賛否はあるだろう。ユニバーサルの要求で、マイク役を当時売り出し中の若手イケメン俳優ジェームズ・レグロスに変更させられたことも残念だ。それ以外にもスタジオからの横やりは多く、コスカレリ監督としては少なからず不満も残ったという。しかしそれでもなお、シリーズ中では最も単純明快なB級ホラー映画として十分に楽しめる。 続く『ファンタズムⅢ』(’94)でもそのエンタメ路線は引き継がれるが、製作元がメジャーからインディペンデントへと戻ったこともあり、コスカレリ監督の好きなように作られているという印象だ。なによりも、マイク役に1作目のマイケル・ボールドウィンが復活したこと、ビル・ソーンベリー演じる兄ジョディも再登板したことの効果は大きい。本作からシリーズ随一の愛されキャラ、レジー(レジー・バニスター)が実質的な主人公となり、旅の途中で出会った女戦士ロッキー(グロリア・リン・ヘンリー)や「ホームアローン」少年ティム、そして今やシルバー・スフィアと化したジョディがタッグを組み、トールマン(アンガス・スクリム)に狙われるマイクを救おうとする。 過去作で散りばめられた謎の真相を本作で明かすことを試みたというコスカレリ監督。その言葉通り、トールマンの目的やドワーフたちの正体、シルバー・スフィアの仕組みなどが解明され、いわば「ファンタズム・ワールド」の全体像がおぼろげながらも見えてくる。といっても、みなまでを詳細に語らず観客に想像の余地を残すところはコスカレリ監督ならではと言えよう。夢と現実の交錯するシュールな語り口も、原点回帰を如実に実感させて嬉しい。 しかしながら、真の意味で『ファンタズム』の原点に戻ったのは、次の『ファンタズムⅣ』(’98)である。トールマン(アンガス・スクリム)にさらわれたマイク(マイケル・ボールドウィン)を救うべく、レジー(レジー・バニスター)とスフィア化した兄ジョディ(ビル・ソーンベリー)が行方を追うわけだが、ここでは第1作目の未公開フィルムをフラッシュバクとして効果的に多用することで、失われた時間や過ぎ去った思い出に対する深い郷愁と万感の想いが浮き彫りにされていく。さらに、かつては善人だったトールマンの意外な過去を描くことで、必ずしも思い通りにはならない人生や運命の悲哀が強調されるのだ。 かつて13歳の美少年だったマイクもすっかり大人。レジーやジョディに至っては立派な中年だ。みんなもはや決して若くはない。静かに忍び寄る老いを前にした彼らの後悔と不安、そして来るべき苦難の道など想像もしなかった平和な過去へのノスタルジーが、トールマンとの終わりなき戦いの日々を通して描かれていく。30年前の幼きマイクと若きレジーの、まるで波乱の未来を予感したような複雑な表情で幕を閉じるクライマックスは、1作目から追いかけてきたファンならば涙なしに見ることは出来ないだろう。これは、『ファンタズム』と共に大人へと成長してきた大勢のファンへ対する、コスカレリ監督からの真心のこもったラブレターである。 そして、それから18年の歳月が経ち、老境にさしかかったコスカレリ監督が自らの「死生観」を投影した作品が『ファンタズムⅤ ザ・ファイナル』(’15)である。ここで彼は初めてレジー(レジー・バニスター)を単独の主人公に据える。もちろんマイク(マイケル・ボールドウィン)やジョディ(ビル・ソーンベリー)、トールマン(アンガス・スクリム)も登場するし、1作目のラヴェンダーの女(キャシー・レスターの美魔女ぶりに驚嘆!)や3作目のロッキー(グロリア・リン・ヘンリー)も再登板。しかし、物語はあくまでも年老いたレジーの視点から語られていく。 相変わらずトールマンを倒してマイクを救うための旅を続けていたレジー。しかし、ハッと目を覚ますとそこは病院で、自分が痴呆症と診断されて入院していることをマイクに告げられる。トールマンとの戦いも何もかも、彼がマイクに語って聞かせた妄想だという。しかし再び目を閉じると、トールマンによって崩壊した世界の真っただ中で、レジーはマイクと共に武器を手にして戦っている。どれが夢でどれが現実なのか全くわからない。その混沌を通して、限りある人間の生命と肉体の儚さ、それでもなお前へ進むことを諦めない精神の不滅が描かれるのだ。 病床に臥したレジーをマイクとジョディが囲むシーンはまさに胸アツ。1作目と同じキャストが演じているからこその、人生と時間の重みをまざまざと感じさせる。ここまで来ると熱心なファン以外は完全に置いてけぼりなのだが、もちろんそれで全く構わない。むしろこの感動を味わえるのは、1作目から熱心に追いかけてきたファンのみに許された特権であり、そういう自己完結したガラパゴス的な映画があってもいいと思うのだ。 この『ファンタズムⅤ ザ・ファイナル』を最後に、トールマン役のアンガス・スクリムが急逝。正真正銘のファイナルとなった。振り返れば、アンガスはコスカレリ監督のデビュー作『誰よりも素敵なジム』(ロリー・ガイ名義で出演)以来の付き合い。レジー役のレジナルド・バニスターもそうだ。マイク役のマイケル・ボールドウィンは『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』からの常連。ジョディ役のビル・ソーンベリーだけは『ファンタズム』1作目が初参加だったが、それでもなお40年近く付き合ってきたことになる。『ファンタズム』シリーズはドン・コスカレル監督のみならず、その仲間たちにとってもライフワークだった。その時を超えた恐怖と冒険と感動を、ザ・シネマの全シリーズ連日放送で味わえるのは誠に贅沢だと言えよう。◼︎ © 1988 Starway International, Inc.