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PROGRAM/放送作品
レモ/第1の挑戦
東洋の秘術をマスターした警官が最強の暗殺者へと生まれ変わる!カルト人気を集めた痛快アクション
『007』シリーズのガイ・ハミルトン監督が人気アクション小説を映画化。武器を使わずに素手のみでターゲットを仕留めるなど、秘術“シナンジュ”を身に付けた主人公レモの活躍を生身のアクションで魅せる。
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COLUMN/コラム2023.04.10
「第2の挑戦」に想いを馳せて —『レモ/第1の挑戦』
◆殺人機械シリーズをライトに映画化 殺人罪の極刑を受け、死刑を執行された警官ウィリアムズ。だがそれは見せかけで、彼は蘇生され、ケネディ大統領によって発足された秘密機関《CURE》の特殊工作員として新たなキャリアを得る。そしてスーパーナチュラルな武術《シナンジュ》を会得し、銃器を必要としない殺人機械=デストロイヤーとなり、国益をおびやかす脅威的な敵を駆逐していく——。 元記者/編集者であるウォーレン・マーフィーとリチャード・サピアを生みの親とするアクションキャラクター《レモ・ウィリアムズ》は、1971年に出版された「デストロイヤーの誕生」を起点に、2023年の現在までに153巻のアドベンチャーノヴェルシリーズで活躍を繰り広げている。1985年公開のアメリカ映画『レモ/第1の挑戦』(以下『レモ』)は、そんなレモを新たなスクリーンヒーローとして、小説同様のシリーズ展開を企図された一本だった。 同作は前述の「デストロイヤーの誕生」から基本的なコンセプトと設定を受け継ぎ、アメリカの軍需産業で暗躍する腐敗した武器商人へと敵を替え(原作ではマフィア組織)、世界観を初っ端から大きく拡げている。 なにより本作がシリーズとして連続性を要求されたのは、ガイ・ハミルトンを監督に据えたことからも明白だ。スパイアクション映画の総本山ともいえる『007』シリーズを過去に4本も演出した人物から、そのノウハウを伝授してもらおうというのが製作サイドの狙いとしてあったのだ。 残念ながら『レモ』は大ヒットに恵まれず、シリーズ化のもくろみは潰えてしまったが、作品は恒久的にファンを増やし、現在もカルトな人気を誇っている。要因はフレッド・ウォード(『ライトスタッフ』(83)『トレマーズ』(90))演じる主人公レモの、観客の視座に寄せた大衆的なヒーロー像や、彼に奥義シナンジュを伝授する韓国人チュン(『キャバレー』(72)のジョエル・グレイ)の超人かつ禁欲的なキャラクターが、多くの人の心を捉えて離さないこと。加えてユーモアとシリアスを絶妙にブレンドさせた作風や、レモが恐怖心を抑制したすえに展開する極限アクションなどが挙げられる。 ◆ヒッチコックを超えろ! 自由の女神像でのアクション とりわけアクション面における本作の成果は大きく、そこはハミルトンの人選が奏功したといえる。氏はいわゆる「スネークピット(混乱のるつぼ)」を設定する達人として、その腕前を存分に発揮したのだ。特にそれが顕著なのは、本作最大の見せ場ともいえる、自由の女神像を舞台とするアクションシークエンスだろう。 当該描写は「デストロイヤーの誕生」にはないオリジナルで、発案はハミルトンによるものだ。本作のプリプロダクション当時、自由の女神は建造100周年を目前とした修復中にあり、周りが作業のために鉄骨の足場で囲まれていた。これを見た監督自身が、本編の見せ場にもってこいの場所だと判断したのだ。 自由の女神を用いたアクションシークエンスといえば、1942年にサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが発表した『逃走迷路』がそれを実現させていた。しかしハミルトンは、その見せ場をリアプロジェクション(背景投影)やマットペイント(合成画)、あるいはトラベリングマット(移動合成)といった特殊効果で加工せず、全てをライブで撮りきるプロセスに挑んだのだ。女神像のモックアップ(実物大模型)を用いるところは『逃走迷路』を踏襲しているが、『レモ』ではそれをさらに大きくし、胸部からトーチの先端までを精巧に再現した、約25メートルのモックアップをイスタパラパ(メキシコシティの管轄区域)の屋外に建造。俯角のショットは本物の女神像で、仰角ショットはモックアップでというふうに、両所で可能なアクションをカメラに収め、それらの映像素材を巧みに編集で繋ぎ合わせることにより、目も眩むような高度での戦いを創造したのである。スタントとアクションはハミルトンとスタント・コーディネーターのグレン・H・ランドールによって慎重に設計され、キャストに振り付けられた。またマンハッタンとメキシコとの異なる映像のルックは前者を基準にカメラフィルターなどで統一させ、違和感なくショットをひとつにしたのである。 なにより当時のメキシコはペソ安・ドル高という為替相場によって、ハリウッド映画における制作の重要な拠点となっていた。『レモ』もその類に漏れず、自由の女神像を中心に多くのセットは、同地のプロダクションセンターであるチェルブスコ・スタジオにて建造したものだ。この映画の制作元であるオライオン・ピクチャーズは7年前に設立したばかりの独立系スタジオで、作品に充てられる予算は限られていた。しかしプロダクションデザインを担当したジャクソン・デ・ゴヴィアは、効率的なセットデザインを提供して予算以上の成果を上げている。自由の女神像はもとより、レモがコンクリートの廊下を経てガス室のトラップに誘導されるまでの基地内のセットはドアを同じように設計し、カメラアングルの調整だけで3つしか作成していないハッチを10以上に見せる成果をもたらした。 こうしたセットデザイン手法の実績を買われ、デ・ゴヴィアは後年、アクション映画の革命的作品である『ダイ・ハード』(88)にも参加。同作では物語の舞台となるフォックス・プラザ(劇中ではナカトミ・ビルに設定)と精巧なミニチュアのモックアップを併用することで、ロサンゼルス・センチュリーシティを舞台とした大規模な都市破壊描写を可能にしたのだ。 ◆悠然と進行する「第2の挑戦」 それにしても「第1の挑戦」とは、なんと罪深いサブタイトルだろう(原題直訳は「レモ・ウィリアムズ:冒険の始まり」)。公開からじき40年が経とうとしているのに、今も続編を純粋な気持ちで待ち続けているファンがいる。 その間に、実現への動きがなかったわけではない。現に1988年、全米でTVムービー“Remo Williams: The Prophecy”が放送されている。このパイロットドラマは『レモ』で描かれた1年後を時代として設定し、冒頭には同作の本編クリップが挿入され、映画とのリンクを主張している。しかし配役は異なり、『私の愛したゴースト』(91)のジェフリー・ミークがタイトルキャラクターを(フレッド・ウォードは出演を固辞)、『猿の惑星』シリーズ(68〜73)や『ヘルハウス』(73)などで知られる名優ロディ・マクドウォールがチュンを演じている。唯一、音楽を担当したクレイグ・サファンが続投し、映画を反復するようなテーマ曲で関連性を強めている。 ◎Remo Williams: The Prophecy それからさらに時代を経た2014年、『キスキス,バンバン』(05)『アイアンマン3』(13)で知られるシェーン・ブラックを監督に、ソニー・ピクチャーズが『ファイト・クラブ』(13)の脚本家ジム・ウールズや、「デストロイヤー」シリーズ111から131を執筆した共同著者ジム・ムラニーと新たな『レモ』の制作を開始したことが報じられた(*1)。その後ウールズに代わって『ドラキュリアン』(87)の監督フレッド・デッカーが参加し、ムラニーと脚本に取り組む段取りとなっていたが、具体的な成果は得られていない。 しかし2022年に入り、企画はソニー・ピクチャーズ・テレビジョンに引き継がれたようで、ゴードン・スミスが『ヒットマン』シリーズのプロデューサーであるエイドリアン・アスカリエと一緒に「デストロイヤー」のテレビシリーズをリリースすることが発表された(*2)。 こうして悠然とした進捗をみせている『レモ』のリブート計画だが、我々にとって長年の祈願だった「第2の挑戦」を観ることができるのは、そう遠くない日のことかもしれない(半ばヤケクソぎみに)。■ (*1) https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/shane-black-direct-destroyer-sony-726801/ (*2) https://deadline.com/2022/12/the-destroyer-series-adaptation-1235192845/ 『レモ/第1の挑戦』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ビッグ・アメリカン
[PG12相当]西部開拓史の伝説のガンマンの真実とは?名匠ロバート・アルトマンの演出が光る西部劇
実在する西部開拓期のガンマン、バッファロー・ビルにまつわる伝説を、ロバート・アルトマン監督がシニカルな視点から見つめ直す。ポール・ニューマンが空虚な英雄ビルを熱演。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。
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COLUMN/コラム2019.08.02
アルトマンとニューマンの共謀 『ビッグ・アメリカン』に於ける企て
本作『ビッグ・アメリカン』で、主演のポール・ニューマンが演じているのは、“バッファロー・ビル”。西部開拓史にその名を残す実在の人物で、セシル・B・デミル監督の『平原児』(1936)、ジョエル・マクリー主演の『西部の王者』(44)、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化『アニーよ銃をとれ』(50)等々、黄金期のハリウッド製西部劇映画にも、度々登場してきた有名キャラクターである。 しかしながら世代によっては、その名を聞くと、『羊たちの沈黙』(1991)でテッド・レヴィンが演じた、猟奇連続殺人犯の方を先に思い浮かべてしまう向きも、決して少なくないであろう。この猟奇連続殺人犯は、「獲物の女性を捕らえて殺し、皮を剥ぐ」というその手口によって、“バッファロー・ビル”と名付けられた。 実在の“バッファロー・ビル”は、「バッファロー狩りの名手」として鳴らしたことからから、そう呼ばれるようになった男である。それが後々、「獲物の女性の皮を剥ぐ」殺人鬼のニックネームに冠せられるとは、まさか本人は、夢にも思わなかったに違いない。 それほどまでに高名な、“バッファロー・ビル”の本名は、ウィリアム・フレデリック・コーディ。アメリカ・メキシコ戦争が勃発した1846年生まれで、子どもの頃から乗馬と射撃が巧みであり、10代中盤には、馬を利用した速達便である、“ポニー・エクスプレス”の騎手として活躍したと言われる。 その後金鉱開発やインディアン討伐に関わり、南北戦争(1861~65)時には、北軍のスカウト=斥候に。 南北戦争が終結すると、ビルは先に挙げたように、バッファロー狩りの猟師となった。当時バッファローは、鉄道建設の邪魔ものであると同時に、労働者たちの貴重な食料。ビルは1年半の間に、何と4,000頭以上ものバッファローを仕留めたという。 そんな彼の勇名を高めたのは、本作ではバート・ランカスターが演じている、小説家ネッド・バントラインとの出会いだった。バントラインは、ビルの様々な経験談を盛り込んだ小説を書き、大ヒットとなる。 そしてビルは、「バッファロー狩りの名手」をはじめ、「ポニー・エクスプレスの花形」「インディアン討伐の勇者」などと謳われ、一躍「西部のヒーロー」となった。そんな経緯からわかる通り、ビルの前半生の「ヒーロー譚」については、バントラインによって盛られたところが多いのは、想像に難くない。 何はともかく、若くして名声を得た“バッファロー・ビル”。そんな彼の後半生=30代後半以降は、本作『ビッグ・アメリカン』で描かれる、「ワイルド・ウエスト・ショー」と共にあった。 「西部の荒野のリアルを見せる」という触れ込みの「ワイルド・ウエスト・ショー」をビルが思い付いたのは、バントラインの次の言葉だったという。 「東部へ、大平原やインディアンを運びたまえ」 1882年にネブラスカ州ノース・プラットで試演。翌83年にオマハで、正式に幕開けとなった。 内容的には、アニー・オークリーと、フランク・バトラーの夫婦(本作ではジェラルディン・チャップリンとジョン・コンシダインが演じる)による曲撃ちで幕を開け、続いて開拓者の生活、駅馬車の襲撃、第7騎兵隊の全滅、ロープの妙技などを披露していく。 座長の“バッファロー・ビル”の出番は、インディアンによる駅馬車襲撃のパート。ビルはそこに助けに駆けつける役として、颯爽と登場したという。 この「ワイルド・ウエスト・ショー」には、往年のガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックやカラミティ・ジェーン、強盗団で西部を荒らした、元無法者のフランク・ジェームズやコール・ヤンガー、更には本作にも登場する通り、リトルビッグホーンの戦いで、カスター将軍率いる第7騎兵隊を全滅させた、スー族インディアンのシッティング・ブル等々、「西部の有名人」が出演。84年のシカゴ公演では1日4万人の観客を動員するなど、大いに人気を集めた。 86年には、ビルは240名のメンバーを率いてイギリスに渡り、ヴィクトリア女王の即位50年を記念する御前公演を実施。クライマックスの駅馬車襲撃では、ギリシャ、ベルギー、デンマークの各国王が乗客に扮し、イギリス皇太子が駅馬車台に座って、西部ムードを満喫したという。 更に89年には、フランス、スペイン、イタリアを巡演し、ローマ法王に拝謁。93年のシカゴ・ワールド・フェアでは、半年で600万人を動員。「ショー」は、全盛期を迎えた。 20世紀に入ると、その勢いは徐々に下火となっていったが、1913年に解散するまで、「ワイルド・ウエスト・ショー」は、30年の歴史を刻んだ。 「ショー」の解散に際しては、「私の胸は張り裂けるようだった」と記した、“バッファロー・ビル”。その4年後の1917年、70歳で生涯の幕を下ろした。 先に記した通り、相当に盛られていたことは間違いないが、“バッファロー・ビル”は、これだけドラマチックな人生を送ったことになっている。このような「西部のヒーロー」を取り上げて“映画化”する場合、かつてはアクションやロマンスを軸にした“娯楽映画”にするのが、王道であった。 しかし本作が製作・公開されたのは、1970年代中盤。アメリカ社会の欺瞞や虚飾を痛烈に暴く、“ニューシネマ”の潮流がギリギリ命脈を保っていた頃である。 そして監督はロバート・アルトマン、主演はポール・ニューマン。この時代にこの題材で、この監督にこの主演俳優である。真っ当な“英雄譚”などが、製作される筈がない。 ここに至るまでのアルトマンのキャリアで、ヒット作と言えば、『M★A★S★H マッシュ』(70)と『ナッシュビル』(75)。前者は朝鮮戦争を舞台にしながら、製作・公開時にアメリカが行っていた“大義なき戦い”=ベトナム戦争を、徹頭徹尾おちょくった内容である。後者も、カントリー&ウエスタンを扱った音楽映画を装いながら、アメリカという国家を批評的に描いた、野心作であった。 その他興行的には成功を収めたとは言えない、『BIRD★SHT バード★シット』(70)『ギャンブラー』(71)『ロング・グッドバイ』(73)といった、アルトマンの諸作を眺めれば、実在の「西部のヒーロー」などは、アメリカ開拓史のウラを暴くための道具立てに過ぎないに、決まっている。アルトマンはビルを、「捏造されたアメリカの英雄第1号」として描いた。 本作以前に、『ハスラー』(61)『動く標的』『暴力脱獄』(67) など、様々な“アンチ・ヒーロー”を十八番としてきたのが、主演のポール・ニューマン。彼が西部に実在した人物を演じるのは、『左きゝの拳銃』(58)のビリー・ザ・キッド、『明日に向って撃て!』(69)のブッチ・キャシディ、『ロイ・ビーン』(72)のタイトル・ロールに続いて、本作の“バッファロー・ビル”が4本目。それまでの3本と同様、いやそれまで以上に、本作では「西部」のレジェンドを、打ち壊しに掛かっている。 『ビッグ・アメリカン』に登場する“バッファロー・ビル”は、中身のないすぼらな嘘つきで、「作られた」神話に見合うようにと、背伸びをして生きているように描かれている。現実に“スーパースター”でありながら、虚飾に満ちたハリウッドから距離を置いたライフスタイルを取っていたニューマンにとっては、「願ったり叶ったり」と言える役どころであった。スターとしての存在感を意図的にへこませるようなこの役に関しては自分自身で、「ポール・ニューマンという映画スターを演じている」と、アルトマンに伝えたという。 そんなわけでアルトマン監督と主演のニューマンの想いは合致し、現場での息もぴったりに撮影は進んでいった。本作が公開される1976年は、アメリカが建国200年を迎える年。アルトマンとニューマンはその年の7月4日、正に200周年の記念日に本作を公開し、愛国的なお祭り騒ぎに、皮肉な一撃を加えることを目論んだ。 しかし彼らとは、想いをまったく異にする男が居た。プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスである。この頃のラウンレンティスは、見栄えばかりが仰々しい、『キングコング』(76)や『オルカ』(77)などの大作路線に走っていた頃。アルトマンの前作『ナッシュビル』(75)の大ヒットがきっかけとなり、本作に参加することになったのだが、撮影に当たっては、次のような注文を付けたという。 「心してアクションを満載にしてくださいよ。脚本を読んでもアクションがあまりない」 アルトマンはそれを受け入れるふりをして、もちろんやり過ごした。結局完成した映画を観て、ラウンレンティスは心底失望したという。 こうして、アルトマンとニューマンの思い通りの作品となった、『ビッグ・アメリカン』。世界三大映画祭のひとつ「第26回ベルリン国際映画祭」では金熊賞(グランプリ)を受賞するなど、高い評価を受けた。しかしアメリカ本国での批評家受けは芳しくなく、興行も「ポール・ニューマン史上最低」と、当時は言われるほどの不発に終わった。 因みに相性が抜群だったアルトマンとニューマンは、この3年後『クインテット』(79)という、近未来の氷河期を舞台にした作品で再びタッグを組む。『クインテット』は『ビッグ・アメリカン』以上に総スカンを食い、日本では遂に、劇場未公開に終わってしまった。 叛逆の映画人2人の、その性懲りのなさも、今となってはただただ素晴らしく思える。■
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PROGRAM/放送作品
ビッグ・アメリカン [PG-12]
[PG-12]西部開拓史に残る伝説のガンマンの真実とは?名匠ロバート・アルトマンの演出が光る西部劇
実在する西部開拓期のガンマン、バッファロー・ビルにまつわる伝説を、ロバート・アルトマン監督がシニカルな視点から見つめ直す。ポール・ニューマンが空虚な英雄ビルを熱演。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。