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硫黄島からの手紙
[PG12相当]渡辺謙ら日本人スターが集結!クリント・イーストウッド監督の「硫黄島2部作」第2章
クリント・イーストウッド監督が“硫黄島の戦い”を日米双方の視点から描いた「硫黄島2部作」の第2作。渡辺謙以外の主要キャストはオーディションで選んだ日本人俳優で、撮影も全編日本語。アカデミー音響賞受賞。
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COLUMN/コラム2024.03.01
マックィーンvsニューマン『タワーリング・インフェルノ』=“そびえ立つ地獄”の頂に立ったのは!?
1975年=昭和50年。日本に於いてこの年は、現在60歳前後となっている私のような世代の映画ファンにとっては、特別な意味を持つ。 夏に超高層ビルの火災を描いた、『タワーリング・インフェルノ』(1974)、冬には人食い鮫の恐怖を描いた、『ジョーズ』(75)。いずれも本国よりは半年ほど遅れて公開されたアメリカ映画が特大ヒットとなり、“パニック映画”ブームが最高潮に達した。それと同時に、“超大作”が全国数百館のスクリーンを占めて一斉公開される、“ブロックバスター”の時代が、本格化していく。 我々の世代の多くは、リアルタイムでこれらの作品に魅せられたのがきっかけで、“映画少年”になった。人生の羅針盤が、ここで狂った者が少なくない…。 本作『タワーリング・インフェルノ』の企画の発端は、ハリウッド2大メジャーの“競合”からだった。ワーナー・ブラザースが「ザ・タワー」、20世紀フォックスが「グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」という、それぞれ超高層ビルの火災を描いた小説の原作権を、30~40万㌦もの大金を投じて、買い入れたのである。 2つの小説は、ビル火災発生の状況設定など類似点が多かった。そこで両メジャーの橋渡しに登場したのが、アーウィン・アレン(1916~91)。 アレンは、コロムビア大学でジャーナリズム学・広告学を専攻後、雑誌の編集、ラジオ番組の製作、コラムニスト、出版のエージェントなどを経て、映像業界へ。60年代にはプロデューサーとして、「宇宙家族ロビンソン」「タイム・トンネル」「巨人の惑星」などのSFドラマを手掛け、TVのヒットメーカーとなった。 映画界にその名を轟かせたのは、1972年に公開された、『ポセイドン・アドベンチャー』。大津波によって転覆した豪華客船からの決死の脱出劇を描いたこの作品は、世界中で大ヒットとなり、“パニック映画”ブームの先駆けとなった。 そのアレンが、ワーナーとフォックスに、無駄な競作を避け、両原作の良いところ取りをしたストーリーを組み立てて、共同製作をする話を提案したわけである。両社は73年10月に合意に達し、このプロジェクトに、合わせて1,400万㌦の巨費を投じることを決めた。 アレンは、『ポセイドン・アドベンチャー』で大成功を収めた方法論を以て、本作の製作に取り掛かる。~キャストには有名スターをズラリと揃え、彼ら彼女らを災害の渦中に放り込む~~特殊効果を駆使して、大勢のエキストラが命を落としていく中で、スターたちも次々と犠牲になる~~最終的に、スターの何人かが生還を果す~ 74年春、キャストが固まった。2大メジャーが手を組んだ以上のニュースとなったのが、2大スターの共演。それは、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンという組合せだった。 脇を固めるのも、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、リチャード・チェンバレン、ジェニファー・ジョーンズ、シェリー・ウィンタース、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナーといった、新旧取り合わせて豪華な面々。その一翼には、アメフトのスーパースターで、後に元妻殺しで“時の人”となってしまう、O・J・シンプソンも加わっていた。 これらのオールスターキャストが、いわゆる“グランドホテル形式”で、災害の中で様々な人間模様を繰り広げていくわけだが、何と言っても、耳目を浚ったのは、マックィーンとニューマン!当時としては、これ以上にない、ビッグなカップリングであった。 そして本作『タワーリング・インフェルノ』は、74年5月にクランク・イン。70日間の撮影へと突入した。 ***** サンフランシスコに、地上520㍍の偉容を誇る、138階建ての超高層ビル「グラスタワー」が完成。最上階のプロムナードルームには、上院議員や市長などのVIPをはじめとした300名を集め、落成記念パーティが開かれることとなった。「タワー」の設計者ダグ(演:ポール・ニューマン)は、これを機に施工会社を退職することを決意。婚約者のスーザン(演:フェイ・ダナウェイ)と、砂漠へと移り住む計画だった。 しかし電気系統の異常が起こったことから、ダグは自分が指定した仕様より安上がりな材料を使った、大規模な手抜き工事が行われていることを知る。ダグは施工会社の社長で、ビルのオーナーでもあるダンカン(演:ウィリアム・ホールデン)に、「タワー」オープンの延期を迫るが、相手にされない。 危惧は的中し、81階の配電盤のショートから出火。火は、徐々に燃え広がっていった。 オハラハン(演:スティーヴ・マックィーン)をチーフとする消防隊が出動する。火災の状況を見た彼は、ダンカンを半ば脅すように説得。最上階から賓客たちを、1階へと下ろすことを承知させた。 ようやく避難が始まる中で、それを嘲笑うように火の手は広がっていく。消防隊員を含めて犠牲者が増えていく中で、オハラハンとダグたちは、一人でも多くの命を救おうと、粉骨砕身の働きをするが…。 ***** 2つの小説からエキスを抽出して、1本のシナリオにしたのは、スターリング・シリファント。『夜の大捜査線』(67)でアカデミー賞脚色賞を受賞している彼は、『ポセイドン・アドベンチャー』で、ポール・ギャリコの原作をベースに、オールスターキャストによる、“パニック映画”の鋳型を作り上げた実績を買われての、起用である。 本作では、原作に書かれた、登場人物たちの絡みは極力簡略化。救助活動が行われている最中に、トラブルが起きて、その方法がダメになる。そこで新たな救助のやり方を見つけ出すが、まだダメになる。更に次の方法を見つけて…といった形で、アクションを伴ったハラハラドキドキの展開を、積み上げた。 監督に選ばれたのは、ジョン・ギラーミン。『ブルー・マックス』(66)『レマゲン鉄橋』(69)などの戦争映画で評価されていた。 と言っても本作は、4つのグループが同時にカメラを回すという、製作体制。ギラーミンは主に、ドラマ部分を担当。アクションパートを、プロデューサーのアーウィン・アレンが監督した他に、特殊効果班、空中シーン班が稼働した。 ミニチュアやセットなどを担当したのは、『ポセイドン・アドベンチャー』のスタッフ。ミニチュアと言っても、138階/520㍍の「グラスタワー」の模型は、33㍍の高さに及んだ。「タワー」が、サンフランシスコ市街の上方高くそびえ立っているように見せるためには、マットペインティングの特殊技術が併用されたという。 ロサンゼルスの20世紀フォックスのスタジオに在る、8つのサウンドステージには、57という記録的な数のセットが組まれた。その中には、宙づりになった展望エレベーターをヘリコプターで吊るシーンを撮るために作られた、4階分の高さの建物のセットなどもある。 CGなどない時代の、大火災の映画である。セットを実際に燃やしながら撮影しても、俳優の演技が良くない時がある。そうした場合のため、セットは1度火を付けても、後でまた使えるように、特殊建材を使った耐火仕様。NGが出ると、スタッフがすぐさま、壁を直してペンキを塗り替え、カーペットや家具、カーテンなどを新品に交換して、撮影が続けられた。 30万㌦を投じ、全長100㍍、1万1,000平方㍍に及ぶ最大級のセットが作られたのは、落成パーティの場となる、最上階のプロムナードルーム。クライマックスシーンの撮影のため、鉄柵で5㍍もある支柱を組み、その上にセットを組み立てた。4,000㍑もの水を一気に流した際に、スムースになだれ落ちる構造となっている。ネタバレになるが、このような作りにしないと、映画の内容と同じく、キャストが溺死する危険性があったという。 こうしたセットの中で、3,000人ものエキストラが右往左往。25名のスタントマンが、高層ビルの窓をぶち破って飛び降りたり、エレベーターのシャフトや階段の吹き抜けに転落したり、不燃性のボディスーツを着込んで火だるまになったりしたのである。 そんな大プロジェクトの頂点に居たのが、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンだった。 マックィーンは1930年生まれ、ニューマンは4歳年長の26年生まれで、本作の頃は共に40代。アクターズ・スタジオ出身の2人は、TVやブロードウェイを経て、ハリウッド入り。60年代から70年代に掛けて、TOPの座を競い合ってきた。 とはいえ、「犬猿の仲」というわけではない。スピード狂でカーレーサーでもあるという共通の嗜好があり、また映画製作の場でスターが発言権を強めるためのプロダクション「ファースト・アーティスツ」の同志でもあった。 だが2人がそのキャリアを通じて、ライバル心を抱き合ってきたのも、紛れもない事実。特にマックィーンがニューマンに対して抱いてきた感情は、強烈なものだったと言われる。 ポール・ニューマンの出世作となったのは、実在のプロボクサーに扮した、『傷だらけの栄光』(57)。実はこの作品に、マックィーンも、出演している。 と言っても、日給19㌦で雇われた、エキストラに毛が生えた程度の役どころで、その名はクレジットもされていない。監督のロバート・ワイズ曰く、まだ無名の存在だったマックィーンの「精一杯の生意気な態度」が目を惹いたので、「ニューヨークの屋上の乱闘の場面での“小僧”の役」に付けたのである。 因みにワイズはこの9年後に、人気スターとなったマックィーンの主演作『砲艦サンパブロ』(66)を監督。時の流れを痛感したという。 ニューマンとマックィーンの次なる因縁は、『明日に向って撃て!』(69)。ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドという、19世紀末の西部に実在した2人組のアウトローを主役とするこの作品では、ニューマンの出演が早々に決定。その後共演者の候補として、マーロン・ブランドやウォーレン・ベアティ、マックィーンの名が挙がった。中でもニューマンが、特に共演を切望したのが、マックィーンだった。 実はニューマンとマックィーンのエージェントは、同一人物。そのエージェント、フレディ・フィールズは2人の共演を実現するために奔走するも、最終的に不調に終わる。マックィーンが自分の名を、ニューマンより先にクレジットすることにこだわったためだったと言われる。 結果的にマックィーンがやる筈だったサンダンス・キッド役には、ロバート・レッドフォードが抜擢され、作品の大ヒットと共に、一躍スターダムに。ニューマンとレッドフォードは、生涯を通じての親友ともなった。 因みに『明日に向って撃て!』が公開された翌70年、カリフォルニアのスピードウェイで、ニューマンとマックィーンの2人が、レースを見て楽しむ姿が、地元の9歳の少年に目撃されている。少年曰く、ニューマンがマックィーンに、『明日に向って撃て!』に出なかったことをくどくどと言及すると、マックィーンは「あんたはそれをもう一度俺に演らせる気は無いだろう!」と反論。そのやり取りの後、2人は突然少年の方を見て、ニヤリと笑ったという…。 さて『明日に向って撃て!』から5年経って、ようやく実現した、本作での本格的な共演。この作品へのコメントを見ると、ニューマンは、結構割り切って出演している感が強い。曰く、「この映画の本当の主役は火災だ」「この種の映画としてはいいできだった。できる限り素早くスター達を避難させ、スタントマンをつぎこんでね」 それに対してマックィーンのスタンスは、ちょっと違っていた。「最初シナリオを読んだ時は建築技師の役がいいと思ったけれど、途中で気が変わってね」 マックィーンが気に入ったのは、消防隊チーフのオハラハン。彼はずっと伸ばしていたお気に入りのヒゲを、役のために剃り落とした。そして、マックィーンが演じることで、元々はTOPから4番目だったオハラハンの役どころは、膨らんでいく。 本作の技術顧問である、本物の消防隊長とマックィーンの打合せ中に、近隣の映画スタジオで、本物の火災が発生した。参考になるからと、現場へと向かう消防隊長に同行。実地見学に赴いた際、ヘルメットと消防服を身に纏って、マックィーンは、放水を手伝ったという。 監督のギラーミンは、マックィーンから、自分が被るヘルメットが、イギリスの警官のように見えるので、どうにかして欲しいと言われ、困惑したことがあった。偶然にも撮影が始まる前夜、ギラーミンが食事に出掛けた先で、古風な消防士用のヘルメットを見つけたので持ち帰り、マックィーンに試着させた。すると気に入ってくれたので、ホッと胸を撫で下ろすという一幕もあった。 脚本に関しても、一悶着あった。マックィーンが自分のセリフの数をカウントして、ニューマンより12個も少ないことを発見。プロデューサーに電話して、セリフを増やすことを要求してきたのである。 そのため、休暇で海に出ていた脚本家のシリファントは、突然陸へと呼び戻された。彼はマックィーンの要求通り、セリフを12個増やしたという。 そして再び、ニューマンとマックィーンの共通のエージェント、フレディ・フィールズの出番が、やって来る。彼がプロデューサーのアレンと論議になったのは、ポスターなどで、2人の大スターの名前の配列を、どうするのか!? 最終的にまとまったのは、TOPにはマックィーンの名を置くということ。但し、その右側にクレジットされるニューマンの名は、マックィーンよりも高い位置に置いて、同格の主演であることを表す。 ともあれマックィーンは、ニューマンよりも先にクレジットされるという、長年の宿願を果した形になった。 2人は出演料100万㌦に加えて、総収益の7.5%の歩合という、まったく同じ条件で本作に出演。最終的には、1,000万㌦程度を手にしたという。しかしマックィーンにとって本作は、その大金以上に価値のあるものを手にした作品と言えるかも知れない。 因みに本作には、若い消防士役でニューマンの長男である、スコット・ニューマンが出演。マックィーンとの共演シーンもある。当初マックィーンは、ライバルの息子の面倒を見ることを嫌がったが、途中からスコットのことを気に入り、彼のセリフを増やすことまでOKした。その背景にも、こんな事情があったからかも知れない。 本作『タワーリング・インフェルノ』は、『ポセイドン・アドベンチャー』以上の大ヒットとなり、アーウィン・アレンは、「パニック映画の巨匠」と呼ばれる存在となった。また監督のジョン・ギラーミンも、『キングコング』(76)や『ナイル殺人事件』(78)など、大作を任される監督として、暫し君臨する。 しかしながらこの2人のキャリアのピークは、やはり本作であったと言えるだろう。アレンはその後、自ら監督まで手掛けた『スウォーム』(78)『ポセイドン・アドベンチャー2』(79)が連続して、大コケ。それならばと製作に専念し、ポール・ニューマンやウィリアム・ホールデンを再び招いた『世界崩壊の序曲』(80)で、キャリアのトドメを刺される。ギラーミンも80年代に入ると、低予算のB級作品やTVムービーの監督へと堕していく。 そしてまた、マックィーンのキャリアも、結果的にここがピークとなってしまった。本作に続いては、ヘンリック・イプセンの戯曲を映画化した『民衆の敵』(76)の製作・主演を務めたが、アメリカ本国ではまともに公開されないという結果に終わる(日本では83年までお蔵入り)。 その後『未知との遭遇』(77)や『恐怖の報酬』(77)『地獄の黙示録』(79)等々、様々なオファーが舞い込むも、すべて拒否。彼の雄姿は、名画座やTV放送などの旧作でしか見られなくなった。 待望の新作が公開されたのは、80年。西部劇の『トム・ホーン』、そして現代の賞金稼ぎを演じた『ハンター』が、相次いで公開された。ところがこの年の11月、彼はガンのために、50歳の若さで、この世を去ってしまったのだ。 ニューマンは60を過ぎて、『ハスラー2』(86)で、待望のアカデミー賞を受賞する。マックィーンは生涯手にすることがなかったオスカー像を、遂に手にしたのだ。 そしてニューマンは、70代までは第一線で活躍。2008年に、83歳でこの世を去った。 そんなことも考え合わせながら、1974年当時は未曾有の超大作だった本作を観るのも、長年の映画ファンとして、また感慨深かったりする。■ 『タワーリング・インフェルノ』© 1974 Warner Bros. Ent. All rights reserved. © 2023 Warner Bros. Ent. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
MINAMATA―ミナマタ―
日本に渡った写真家が目にした水俣病の恐るべき実態とは?ジョニー・デップ製作・主演で描く実話ドラマ
日本で社会問題になった四大公害病・水俣病の実態を世界に発信した写真家ユージン・スミスの実話を映画化。ジョニー・デップが製作・主演を務め、真田広之ら日本人俳優が水俣病の恐ろしさと病に苦しむ人々を熱演。
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COLUMN/コラム2022.03.25
スティーヴ・マックィーン晩年の素顔も投影された遺作『ハンター』
もう40年以上の歳月が、流れてしまった。1980年11月7日…稀代のアクションスター、スティーヴ・マックィーン死去が報じられた際の衝撃を、今の若い映画ファンに伝えるのは、もはや至難の業かも知れない。 家庭環境に恵まれない不良少年だったマックィーンは、折り合いの悪かった継父によって、少年院に送り込まれる。退所後は数々の職を経て、海兵隊に入隊。3年間の軍隊生活を送った。 彼が演劇の勉強を始めたのは、20代になってから。そして30前後からスター街道をひた走り、やがて“キング・オブ・クール”と異名を取る、世界的な人気者となった。 1930年生まれ。思えばクリント・イーストウッドと、同い年である。マックィーンは「拳銃無宿」(58~61)、イーストウッドは「ローハイド」(59~65)という、それぞれTVの西部劇シリーズで世に出て、その後『ブリット』(68)『ダーティハリー』(71)という、それぞれに刑事アクションの歴史を塗り替える、大ヒット作のタイトルロールを演じた。 齢90を超えて未だに監督・主演作をリリースする、イーストウッドの驚くような頑健さ。それを思うと、マックィーンの享年50という短命には、改めてもの悲しい気分に襲われる。 筆者はマックィーンの、それほど熱心なファンだったわけではない。しかし70年代中盤から映画に夢中になった身には、マックィーンは、「絶対的なスター」と言える存在であった。 各民放が毎週ゴールデンタイムに劇場用映画を放送していた、TVの洋画劇場の全盛期。その頃確実に視聴率を取れる“四天王”と言われたのが、アラン・ドロン、ジュリアーノ・ジェンマ、チャールズ・ブロンソン、そしてスティーヴ・マックィーンだった。 マックィーンの他にポール・ニューマンやウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイら大スター競演のパニック映画超大作『タワーリング・インフェルノ』(74=日本公開は翌75年)以来、新作の日本公開が途絶えても(1976年にヘンリック・イプセンの戯曲『民衆の敵』を映画化した作品の製作・主演を務めたが、アメリカ本国でもまともに公開されず、日本では83年までお蔵入りとなった)、TVや名画座で彼と会うことは、困難ではなかった。筆者はまだビルになる前の池袋の文芸坐で、『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)という、彼の代表作2本立てを楽しんだ記憶がある。 そんなマックィーン待望の新作が、5年振りに、しかも立て続けに日本公開されたのが、1980年だった。4月に『トム・ホーン』、そして12月に本作『ハンター』。しかし『ハンター』が公開された頃には、マックィーンはもう、この世の人ではなかったのだ…。 ***** 現代社会を生きる“バウンティ・ハンター=賞金稼ぎ”のラルフ・ソーソン、通称“パパ”。彼はロサンゼルスから逃げ出した犯罪者を追って、アメリカ各地へと赴いては逮捕し、ロスに戻って警察に引き渡すのが、主な仕事である。 彼の依頼主は、犯罪者に保釈金を貸し付ける業務を行っている、リッチー。逃亡されて、保釈金がパーになることを防ぐため、ソーソンに依頼を行うのである。 ソーソンの家は、いつも多くの人間が集まっては、ポーカーに勤しんでいる。時には、まったく面識のない者まで。 そんなザワついた家で、ソーソンを優しく迎えてくれるのは、彼よりかなり年下の女性ドティー。小学校の教師である彼女は、現在ソーソンの子どもを妊っている。 粗暴な大男、爆弾魔の兄弟、逃亡中に電車をジャックする凶悪犯、日々そんな者たちと、命を危険に晒しながら渡り合っているソーソンの悩みは深い。こんな自分が、父親になって良いのだろうか? 臨月を迎えて出産目前のドティーとソーソンの関係が、ギクシャクし始める。そんな時に、彼の命を狙う者が現れた。かつてソーソンがムショ送りにした男、ロッコだ。 ある夜、仕事を終えて自宅に戻ったソーソンは、ドティーがロッコに連れ去られたことを知る。その監禁先は、彼女が教壇に立つ小学校。 急ぎ車を飛ばすソーソンは、愛する女性と、生まれてくる我が子を救うことは、できるのか? ***** アメリカでは、西部の開拓時代さながらに、現代でも“賞金稼ぎ”という職業が認めらている。そして本作でマックィーンが演じる、ラルフ“パパ”ソーソンは、実在の“賞金稼ぎ”である。 マックィーンは“ディスレクシア=難読症”で、読書は苦手であったが、76年に出版されたソーソンの伝記は、むさぼるように一気に読み上げたという。そして彼を演じたいという気持ちを、強く持った。「少なくとも50年生まれてくるのが遅かった」と、常々口にしていたというマックィーン。その晩年に生活を共にした、3番目の妻であるバーバラは、彼のソーソンを演じたい気持ちには、「…善悪がはっきりしていた、あまり複雑ではなかった古い時代に戻りたいというロマンチックな考えが影響していたのではないか…」と分析している。 実際のソーソンは、マックィーンよりだいぶ大柄で髭面の巨漢。本作には、セリフもあるバーテンダーの役で登場しているが、バーバラは、ソーソンとマックィーンには、多くの共通点があることを指摘している。曰く、「カリスマ性」「年齢も同じぐらい」「誰からも軽く見られることを許さない」「自分独自のルールで行動する反逆児」等々。 いずれにしてもマックィーンがこの題材に惹かれたのには、彼のキャリアも大いに関係あるだろう。若き日の彼をスターダムに押し上げるきっかけとなったTVシリーズ「拳銃無宿」の主人公ジョッシュ・ランダルは、まさに開拓時代の“賞金稼ぎ”。それから20年が経ち、現代に生きる初老の“賞金稼ぎ”を演じることを決めたわけである。こうしてマックィーンの栄光のキャリアは、奇しくも“賞金稼ぎ”で始まり、“賞金稼ぎ”で幕を下ろすこととなったのだ。 『ハンター』の監督は、当初ピーター・ハイアムズが務める予定だった。ハイアムズは『破壊!』(74)『カプリコン1』(77)『アウトランド』(86)『シカゴ・コネクション/夢みて走れ』(86)など、一級のアクション演出で知られる監督。 ところが稀代のアクションスターであると同時に、稀代のトラブルメーカーとして知られるマックィーンとは、意見がぶつかってしまった。マックィーンは打合せの席で銃をぶっ放し、ハイアムズは脚本のみを残して、敢えなく降板となった。 後を受けたのが、バズ・クーリック。本作は、実際にソーソンが遭遇した事件をベースに、脚色してアクションを加味した構成となっているが、主にTVシリーズやTVムービーの監督として活躍してきたクーリックのアクション演出の腕前は、ハイアムズに遠く及ばない。そのため本作が、激しいアクションシーンを見せ場にしながらも、些か切れ味に欠け、ヌルく見える構成になったのは、否定できない。 時は80年代の頭、間もなくシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーの時代が訪れる直前。60年代から70年代をリードしたアクションスター、マックィーンの遺作が、こんな形になってしまったのは、ある意味象徴的とも言える。 しかし案外、本作はマックィーン本人がそんな作りを望んだのではないかと思わせる部分も、多い。ソーソンは若い女性をパートナーにしながら、古い自動車やおもちゃをこよなく愛するという設定。これは実際のソーソンをベースにしながらも、25歳下のバーバラと暮らし、アンティーク玩具のコレクターであったマックィーンの私生活も投影されている。 そうした意味で本作に於けるソーソンと、そのパートナーであるドティーや周囲の人物とのやり取りを追っていくと、他作品ではあまり見られない、マックィーンの柔和な表情が横溢していることがわかる。こうなると、微温的でヌルく見える構成・演出が、心地よく感じられるようにもなる。 本作の撮影中マックィーンは、ロケ地のシカゴで知り合った、家庭環境に恵まれない10代の少女の保護者になったり、田舎町でのロケでは、農場の夫婦と家族のような交流をしたり。これらの心温まるエピソードは、後年バーバラが明らかにしたことだが、その一方で死の影が、彼の肉体を確実に蝕み始めてもいた。 俳優人生を通して、多くのスタントシーンを自分自身で演じてきたことに、マックィーンは誇りを持っていた。しかし本作撮影に当たっては、「スタントをするには年を取り過ぎたし金を持ち過ぎた…」と、走る高架鉄道のパンタグラフにぶら下がる有名なシーンなどに取り組むのは、スタントマンに譲った。 異変が現れたのは、逃げる犯罪者を走って追いかけるシーンを、マックィーン自らが演じた際。シーン終わりには、ぜいぜいと息を切らして、そのまま立っていられなくなった。撮影後半の数週間は、絶えず咳き込んでいる状態であったという。 79年9月から始まった本作の撮影が一段落した12月、バーバラとの約束通りマックィーンが検査を受けると、右肺に大きな腫瘍が見つかり、致死性の高いがんである“中皮腫”であることがわかった。 翌80年春には、タブロイド紙が彼の余命が僅かであることを、すっぱ抜く。マックィーンは怪しげな民間療法も含めて、がんと戦い続けた。 随時伝えられる彼の病状に、世界中のファンがヤキモキしながら生還を祈った。しかしその願いもむなしく、マックィーンは、末期がんと判明して1年も経たない11月7日に、力尽きてこの世を去ったのである。 人生の最期に彼を慰めたのは、25歳下の若妻バーバラと、晩年に改宗して熱心に信仰した、福音主義教会。彼の遺灰は太平洋へと散骨されたが、バーバラと共に、ニール・アダムス、アリ・マッグロウと、別れた妻2人も列席したという…。■ 『ハンター』TM & Copyright © 2022 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
特番 『ふきカエ ゴールデン・エイジ』前編
プレイバック80年代TV洋画劇場!エクスペンダブルズ重鎮声優が語る、洋画劇場ゴールデン時代の思い出!
80年代アクションスターが再集結した『エクスペンダブルズ』シリーズ。日本語吹き替え版も錚々たる声優陣が揃い踏みだ。この番組では大御所6人が一堂に会して、懐かしの80年代TV洋画劇場の思い出を熱く語る。
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COLUMN/コラム2020.09.07
ロシア産SF映画史上最大のヒットを記録したSFパニック大作『アトラクション 制圧』
ソビエト時代から連綿と受け継がれるSF映画の伝統近年、ロシア産のSF映画が徐々に注目を集めつつある。今年だけでも『ワールドエンド』(’19)に『アンチグラビティ』(’19)、そして『アトラクション 制圧』(’17)の続編である『アトラクション/侵略』(’20)などが相次いで日本へ上陸。かつては、ロシアのSF映画というとアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(’72)や『ストーカー』(’79)くらいしか思い浮かばない日本人も多かったと思うが、それももはや「今は昔の話」と呼ぶべきだろう。 こうしたロシア産SF映画のムーブメントは、恐らくティムール・ベクマンベトフ監督による『ナイト・ウォッチ』(’04)と『デイ・ウォッチ』(’06)の世界的なヒットがきっかけだったように思う。どちらもジャンル的にはファンタジーに分類される作品だが、しかしロシアでもハリウッドのようにVFXを多用したエンターテインメント映画が成立することを証明したことの意義は大きく、これ以降ロシアでも『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』(’08~’09)や『タイム・ジャンパー』(’08)とその続編『タイムソルジャー』(’10)、露米合作『ダーケストアワー 消滅』(’11)など、ハリウッド路線のSF映画が続々と作られるようになる。 ただ、振り返ればソビエト時代からロシアにはSF映画の長い伝統と歴史がある。その原点がフリッツ・ラングの『メトロポリス』(’27)や『月世界の女』(’29)を先駆けたSF映画の古典『アエリータ』(’24)。世界で初めて宇宙旅行をリアルに描いたとされる『宇宙飛行』(’35)も忘れてはならない。アレクサンドル・コズィリ&ミカイル・カリューコフ監督の『大宇宙基地』(’59)やパーヴェル・クルチャンツェフ監督の『火を噴く惑星』(’61)は、アメリカのB級映画製作者ロジャー・コーマンが追加撮影と再編集を施し、複数の全く違う映画へ変えてしまったことで有名だ。 また、ティーンエージャーたちが宇宙船に乗って銀河系へ冒険の旅に出る「モスクワ=カシオペア」(’74・日本未公開)とその続編「宇宙の十代たち」(’75・日本未公開)は、西側の特撮SFアドベンチャー映画を知らないソビエトの青少年にとって、いわば『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』みたいなものだったとも言えよう。他にも、エイリアンと人類のファースト・コンタクトを抒情的に描く『エバンズ博士の沈黙』(’74)は大人向けの優れたSF映画だったし、独特のシュールな世界観が強烈な印象を残す『不思議惑星キン・ザ・ザ』(’86)は日本でも大ヒットした。このように、かつてのロシアではタルコフスキー作品以外にもSF映画の製作が盛んだったのである。 しかし、ソビエト連邦の解体によってロシア経済が低迷した’90年代、制作コストのかかるSF映画は敬遠されるようになってしまう。いわば空白の時代だ。それだけに、’00年代半ば以降のロシア製SF映画の復権と台頭は素直に喜ばしいし、なにより伝統あるロシア映画界がいよいよハリウッドばりのSF大作映画を作るようになったことに感慨深いものがある。まあ、あくまでもまだ発展途上にあることは否めないため、どうしても大ヒットしたハリウッド映画のパクリみたいな作品は少なくないし、技術的に洗練されているとは言い難い部分も見受けられるが、しかしそこは実績を重ねるうちに成熟していくはずだ。そういう意味において、ロシアのSF映画史上最大の興行収入を稼いだ本作『アトラクション 制圧』は、ひとつのターニングポイントになった作品とも言えるだろう。あくまでもロシア的なものにこだわったストーリーと世界観舞台は現代のロシア。モスクワ郊外の北チェルタノヴォ地区では、人々が珍しい隕石雨の観測を心待ちにして大空を眺めている。ところが、その隕石雨の中には故障した宇宙船が紛れ込んでおり、そのことに気付いたロシア軍の迎撃機がミサイルを命中させたところ、宇宙船は住宅街に墜落して200人以上の住人が犠牲となってしまう。宇宙船から降り立ったのは未知のエイリアン。果たして、地球へ何をしにやって来たのか?エイリアンと対峙したロシア非常事態省のレベデフ大佐(オレグ・メンシコフ)は、少なくとも相手に攻撃する意思がないことから、無用の争いを避けるためにも戒厳令を敷いて事態を静観することを政府に進言する。 しかし、これに不満を隠せないのがレベデフ大佐の一人娘ユリア(イリーナ・スタルシェンバウム)。親友スヴェタを墜落事故で亡くした彼女は、その原因を作ったのがロシア軍側にあることも知らず、エイリアンが地球を侵略しに来たものと決めつけ復讐を決意する。恋人チョーマ(アレクサンドル・ペトロフ)とそのチンピラ仲間たちを集め、封鎖された事故現場へと忍び込んだユリアは、そこでエイリアンとばったり遭遇。驚いて転落しそうになった彼女をエイリアンが助けるものの、そうとは知らないチョーマたちは身代わりに転落したエイリアンの強化スーツを奪い去っていく。 一方、自分を助けるために重傷を負ったエイリアンを救出するユリア。ヘイコン(リナル・ムハメトフ)と名乗るエイリアンは人間とソックリで、しかも流暢なロシア語を話す。彼はたまたま事故で地球へ飛来しただけで、47光年先にある故郷の惑星へ戻ることを望んでいた。だが、そのためには現場からロシア軍が持ち去ったシルクという物体が必要だ。そこで、シルクを取り戻すべく力を貸すことにしたユリアは、やがて純粋で心優しいヘイコンと深く愛し合うようになる。だが、それを知って嫉妬の炎を燃やすチョーマは、一般大衆のエイリアンに対する恐怖心や復讐心を煽って自警団を組織し、宇宙船を破壊してヘイコンを亡き者にしようとする…というわけだ。ある日突然、空から巨大な宇宙船が地球へ飛来し、人類がパニックに陥るという侵略型SFのパターンを踏襲しつつ、実は友好的だったエイリアンの存在を通して、有史以来争いや殺し合いに明け暮れる人類の野蛮な愚かさが炙り出されていく。そうしたプロット自体は『地球が静止する日』(’51)の昔から使い古されてきたものだが、しかしそこへ未知なる他者へ対する不寛容や憎悪に煽られる大衆心理、盲目的な愛国心の危うさなど、昨今の国際情勢を取り巻く不穏な要素を散りばめることで、極めて現代的なSFドラマとして仕上げられていると言えよう。 基本的に原作物が多いロシア産SF映画にあって、本作は近年増えつつあるオリジナル・ストーリー物なのだが、それでも実は元ネタになった出来事がある。それが、’13年10月にモスクワ南部で起きた「ビリュリョーヴォ地区の騒乱」だ。工業地帯であるビリュリョーヴォ地区に暮らす25歳の若者が刺殺され、目撃された犯人が中央アジア系の移民であったことから、増加する一方の不法移民やそれを黙認する当局に対する地元住民の不満が爆発。大規模なデモは近隣都市へと飛び火し、ロシア人の若者と移民の間で暴力的な衝突まで発生した。フョードル・ボンダルチュク監督は本国公開時のインタビューで、「これは我々ロシア人全員に関係する問題を描いているからこそ、私の手で映画化しなくてはならないと思った」と語っているが、本作では現代ロシアに蔓延する深刻な民族対立を憂慮し、多様性のある成熟した社会の実現を願う意図があることは間違いないだろう。そういう意味で、現代的であると同時に非常に“ロシア的”なテーマを扱った映画でもある。 エイリアンの宇宙船や強化スーツの洗練された独特なデザインを含め、ロシア産SF映画がたびたびハリウッド映画の物真似と揶揄されがちだからこそ、なるべく“ロシア的”であることにこだわったというボンダルチュク監督。ソビエト時代の国民的な俳優・監督だったセルゲイ・ボンダルチュクを父親に持つ彼は、ロシアを代表するSF作家ストルガツキー兄弟の小説を映画化したSF超大作『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』も手掛けているが、恐らく本作においては従来のハリウッド的なるものと決別した、よりロシア映画らしいSFエンターテインメントの世界を模索したのかもしれない。先述したように、本国では歴史的な大ヒットを記録した金字塔的な映画だが、ここからロシア産SF映画がどのように発展していくのか要注目だ。 ちなみに、ロシア映画ファンにとって興味深いのは、チョーマ役のアレクサンドル・ペトロフとレベデフ大佐役のオレグ・メンシコフの顔合わせであろう。人気の伝奇ホラー・ファンタジー『魔界探偵ゴーゴリ』(’17~’18)シリーズで、それぞれ若き日の文豪ニコライ・ゴーゴリとその相棒グロー捜査官を演じた名コンビ。ペトロフは現在ロシアで最も売れている若手俳優のひとりで、リュック・ベッソン監督の『ANNA/アナ』(’19)ではヒロインのダメ亭主を演じていた。一方のメンシニコフは巨匠ニキータ・ミハルコフの作品に欠かせない名優で、中でも『太陽に灼かれて』(’94)に始まる「ナージャ三部作」のKGB幹部ドミートリ役で有名だ。■『アトラクション 制圧』(C) Art Pictures Studio
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PROGRAM/放送作品
特番 『ふきカエ ゴールデン・エイジ』
プレイバック80年代TV洋画劇場!エクスペンダブルズ重鎮声優が語る、洋画劇場ゴールデン時代の思い出!
80年代アクションスターが再集結した『エクスペンダブルズ』シリーズ。日本語吹き替え版も錚々たる声優陣が揃い踏みだ。この番組では大御所6人が一堂に会して、懐かしの80年代TV洋画劇場の思い出を熱く語る。
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COLUMN/コラム2016.04.04
【DVD受注生産のみ】日本が格差社会となってしまった今ふたたび輝きを放つ、60年代のみずみずしい社会派ヒューマン・ドラマ〜『愛すれど心さびしく』〜
『愛すれど心さびしく』の方が響きも美しくスッキリとしているし、なによりもストーリーの核心を的確に捉えている。当時の配給会社担当者の優れたセンスが光るネーミングだ。 主人公は物静かな聾唖者の青年ジョン(アラン・アーキン)。彼は同じく聾唖者で知的障害を持つ親友スピロス(チャック・マッキャン)の後見人だが、たびたびトラブルを起こすことからスピロスは施設へ送られてしまう。唯一の親友と離れ離れになってしまったジョン。その孤独を察した担当医師の配慮によって、彼は施設からほど近い小さな町へ引っ越すこととなる。 古き良きアメリカの面影を今に残す、のどかで平和な田舎町ジェファーソン。だが、そこには人知れず悲しみや苦しみを抱える人々が暮らしている。ジョンが下宿することになったケリー一家は、父親が腰を痛めて働くことができなくなったため、家計の足しにと自宅の使わない部屋を貸出していた。高校生の長女ミック(ソンドラ・ロック)は音楽家を夢見ているが、家には楽器はおろかレコード・プレイヤーすら買う余裕もない。それでも頑張って勉強して、いつかは自分の夢を叶えたい。将来への希望を胸に抱く多感な年頃の少女。しかし、そんな彼女に貧困という残酷な現実が重くのしかかる。 ダイナーで夕食を取っていたジョンが知り合ったのは、酔って客に絡んでいる風来坊の男ブラント(ステイシー・キーチ)。元軍人である彼は除隊後に幾つもの職を転々とするも、どれも上手くいかずに自暴自棄となっていた。誰かに自分の話を聞いてもらいたい。ただそれだけなのに、人々は迷惑そうな顔をするだけで相手にもしない。 ダイナーを追い出されて怪我をしたブラント。それを見たジョンは、たまたま通りがかった黒人の医師コープランド(パーシー・ロドリゲス)に助けを求める。白人の治療はしないと頑なに突っぱねる彼を、ジョンはなんとか説得して応急処置を施してもらう。荒廃した黒人居住地区で小さな医院を営むコープランドは、貧困と差別に苦しむ同胞たちを献身的に支える一方、白人へ対しては静かに憎悪の目を向けていた。そんなある日、娘ポーシャ(シシリー・タイソン)の恋人が白人の若者グループに因縁をつけられ、相手を怪我させてしまう。逮捕された恋人を救うため父親に助けを求めるポーシャ。しかし、コープランドはそれを断る。黒人が白人と争えばどうなるのか、彼は痛いほどよく分かっていたからだ。しかし、それを理解できない娘は父親を激しく憎む。 貧困や人種差別など様々な社会問題を背景としながら、それらの障害によって人々の対立や誤解が生まれ、お互いの溝が深まっていく。今から50年近く前の1968年に作られた映画だが、その光景があまりにも現代の世相と似通っていることに少なからず驚かされるだろう。貧しさゆえ高校を中退せざるを得なくなったミック。もっと勉強したい、自分の可能性を試したい。そう涙ながらに訴える娘に、心を鬼にした母親が疲れきったように言う。“若い頃は誰だって夢を見るもの。でも、いずれは忘れてしまう”と。夢を見ることすら許されない貧困の現実。そのやるせない痛みは、今の観客の胸にも鋭く突き刺さるはずだ。 社会の理不尽に心を打ち砕かれ、言いようのない悲しみを抱えた人々。そんな彼らに、主人公ジョンは深い理解を示し、癒しと救いを与えていくことになる。貧しさにゆえに崩壊しかけたケリー一家、社会に馴染むことのできない不器用なブラント、人種差別が心の壁を作ってしまったコープランド親子。言葉を喋ることのできないジョンは、だからこそ彼らの悩みや問題の根幹を鋭い観察眼で見抜き、そっと優しく背中を押していく。人は誰もが孤独な存在。でも、お互いに心を開けば分かり合える。そう気づかせていく。なぜなら、そんな彼も本当は孤独だからだ。 ここからはネタバレになってしまうため、詳しくは述べない。ジョンを待ち受ける運命は哀しくもほろ苦いが、しかし同時にささやかな希望の余韻も残す。彼が人々に示してくれた優しさと思いやり。それは、2016年の今の我々にも必要なものだと言えよう。 そして、本作はその繊細かつ瑞々しい演出のタッチ、夏から秋へかけての季節の移り変わりを叙情的に捉えた美しい映像にも特筆すべきものがある。 監督はロバート・エリス・ミラー。’50年代から『うちのママは世界一』や『ルート66』などのテレビドラマを手がけてきた彼は、ジェーン・フォンダ主演のラブコメディ『水曜ならいいわ』(’66年)で劇場用映画デビュー。キアヌ・リーヴス主演の『スウィート・ノベンバー』(’01)としてリメイクされた『今宵限りの恋』(’68)を経て、本作のゴールデン・グローブ賞作品賞ノミネートで一躍評価されるようになった。 その後、ジェームズ・コバーン主演のコメディ『新ハスラー』(’80)やブルック・シールズ主演のアメコミ活劇『ブレンダ・スター』(’89)など、わりと多岐に渡るジャンルを手がけた人だが、やはり本作のような繊細で美しいドラマに本領を発揮する人だと言えよう。 その証拠とも言うべきが、この次に撮った『きんぽうげ』(’70)。こちらは兄妹のように育ったいとこ同士の男女を主人公に、それぞれが理想の恋人を見つけて4人で共同生活を始めるというお話。フリーセックスの花開く時代を物語るかのように、のびのびとした奔放な恋愛関係を繰り広げていく彼らだが、しかしそんな自由はいつまでも続かない。 嫉妬や束縛。ナイーブな若者たちが目覚めていく人間のどうしようもない性(さが)。楽しい共同生活はやがて終わりを迎え、彼らは人生のままならなさを通じて大人へと成長していく。このほろ苦さ。実はお互いに愛し合っていたのに…という、ある種の近親相姦を匂わせるいとこ同士の複雑な関係は若干余計に感じるが、しかしイギリスやスペイン、イタリア、スウェーデンなどヨーロッパ各国を舞台に、四季折々の美しい街や自然の風景を織り交ぜながら描かれる繊細なドラマは、さすがロバート・エリス・ミラーだと唸らされる。それだけに、後に『ブレンダ・スター』のような凡作を立て続けに撮ってキャリアを終わらせてしまったことが惜しまれる。 最後に素晴らしいキャストについても言及せねばなるまい。主人公ジョンを演じているのはアラン・アーキン。映画デビュー作『アメリカ上陸作戦』(’66)でいきなりアカデミー主演男優賞候補になった彼は、本作でも同賞にノミネート。近年は脇役として変わり者の爺さんなんかを演じており、『リトル・ミス・サンシャイン』(’06)でアカデミー助演男優賞を獲得したことも記憶に新しいだろう。どちらかというとアクの強い個性的な役者だが、本作では穏やかな心優しい青年を素朴な味わいで演じて観客の胸を揺さぶる。 一方、そんな彼と心を通わせる少女ミックを演じるソンドラ・ロックもまた魅力的だ。後に『ガントレット』(’77)や『ダーティファイター』(’78)などでヒロインを演じ、クリント・イーストウッドの公私に渡るパートナーとして活躍。別れる際にひと悶着したことでも話題となったが、そんな彼女も本作ではまだデビューしたての美少女。思春期特有の危うさや脆さを全身で体現しており、なんとも眩いばかりに初々しい。こちらもアカデミー賞の助演女優賞にノミネート。間違いなく彼女の代表作と呼んでいいだろう。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
シネマ・トーク~ザ・シネマ開局10周年スペシャル~(後編)
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映画界この10年の動きを振り返る映画好きのためのトーク番組。出演は、『映画ブ、作りました。― 千秋&苺の映画感想ノート』を上梓された千秋、ジェイソン・ステイサムの声でおなじみ声優の山路和弘、映画ライターのてらさわホーク。司会は映画が大好きというドーキンズ英里奈。後編では、この10年の人気スターや、ギャラ長者番付といった気になるテーマについて語る。
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PROGRAM/放送作品
シネマ・トーク~ザ・シネマ開局10周年スペシャル~(前編)
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映画界この10年の動きを振り返る映画好きのためのトーク番組。出演は、『映画ブ、作りました。― 千秋&苺の映画感想ノート』を上梓された千秋、ジェイソン・ステイサムの声でおなじみ声優の山路和弘、映画ライターのてらさわホーク。司会は映画が大好きというドーキンズ英里奈。前編では、この10年間の興収上位作品や、高騰する製作費、日本での吹き替え人気の高まりなどについて語る。