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COLUMN/コラム2021.12.13
ゴダール「アンナ・カリーナ時代」のクライマックス!『気狂いピエロ』
1950年代末にフランスで興った映画運動、“ヌーヴェル・ヴァーグ”。撮影所における助監督等の下積み経験のない若い監督たちが、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法で撮り上げた諸作は、世界の映画史に革命的な影響を及ぼした。 その中でも、1930年生まれのジャン=リュック・ゴダールの長編第1作『勝手にしやがれ』(1959)は、センセーショナルな話題を巻き起こした。以降ゴダールは、フランソワ・トリュフォーやクロード・シャブロルらと共に、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の中心的な存在となる。 60年代後半に“ヌーヴェル・ヴァーグ”が終焉した後も、精力的に続けられた彼の映画活動を、その変貌に於いて大別すると、次のように分けられるという。「カイエ・デュ・シネマ時代」(1950~59)「アンナ・カリーナ時代」(60~67)「毛沢東時代」(68~73)「ビデオ時代」(74~80)「1980年代」(80~85)「天と地の間の時代」(80~88)「回想の時代」(88~98)。 この時代分けは、一部時期が重なるところもあるし、ゴダールが“ヌーヴェル・ヴァーグ”の母体となる同人誌に関わるようになった二十歳の頃から、20世紀の終わり頃までのほぼ半世紀の間の区分けに限られる。ゴダールは、21世紀になって齢70を越え80代を迎えても映画を撮り続けたわけだから、その時期は何と言うのかといった疑問は残れど、今回はそういったことを掘り下げるのが、本旨ではない。 この時代分けを記した理由、それは“アンナ・カリーナ”である。何はともかくゴダール本人が―なぜアンナ・カリーナなのか? なぜならアンナ・カリーナなのだから!-などと言うほどに、女優のアンナ・カリーナとのコラボ抜きでは語れない、映画活動の時期「アンナ・カリーナ時代」があった。 ゴダールより10歳下の、1940年生まれのデンマーク人女性、ハンネ・カリン・バイヤーがパリに出てきたのは、18歳の時。フランス語が全然喋れず、飲まず食わずの生活が続いたが、ある時カフェの椅子に座っていると、モデルにスカウトされた。 モデルとしての活動が段々と評判になって、高級ファッション誌の「エル」からも声が掛かるように。その撮影現場で出会い、ハンネに“アンナ・カリーナ”の名を与えたのは、かのココ・シャネルであったという。 ゴダールとの出会いは、彼の処女長編『勝手にしやがれ』への出演交渉をされた時。出番が僅かながら、乳房を見せることを要求される役をオファーされたため、にべもなく断っている。 その後『勝手にしやがれ』を撮り終えたゴダールは改めて、長編第2作となる『小さな兵隊』(61)の主演をオファー。その撮影中にゴダールはカリーナに求愛し、間もなくして結婚に至った。 60~67年の8年間に渡る「アンナ・カリーナ時代」に、ゴダールは長編を15本監督しているが、カリーナはその内の7本、更に短編1本に主演している。その中で本作『気狂いピエロ』(65)は、最高傑作と評される。「アンナ・カリーナ時代」、延いてはゴダールの60年以上に及ぶ映画監督としてのキャリア、更には“ヌーヴェル・ヴァーグ”という映画運動全般を俯瞰しても、最高峰に位置するとの声が高い作品なのである。 『気狂いピエロ』に、カリーナと共に主演するのは、ジャン=ポール・ベルモンド。ゴダールとは、1958年の短篇『シャルロットと彼女のジュール』に出演したことから付き合いが始まり、『勝手にしやがれ』の主演で、スターダムへとのし上がった。 ゴダール作品への出演は、『女は女である』(61)、そしてこの『気狂いピエロ』まで続くが、ベルモンドはその後、ゴダール作品及びゴダール本人とも訣別。60年代後半以降はアクション映画を中心に出演し、フランスの国民的大スターになっていったのは、多くの方がご存知の通りである。 そんなベルモンドは、1975年の山田宏一氏によるインタビューで、本作『気狂いピエロ』を大好きな作品としつつも、「…いまのゴダールは別人になったようで、お手上げだけどね(笑)。『気狂いピエロ』のロマンチックなゴダールはどこかへ行っちまった」などと語っている。 ***** 金持ちのイタリア人女性と結婚したフェルディナン(演: ジャン=ポール・ベルモンド)は、失業中で怠惰な日々を送っている。そんな時に、かつての恋人マリアンヌ(演:アンナ・カリーナ)と、5年半振りに再会する。 マリアンヌはフェルディナンのことを、“ピエロ”と呼ぶ。そんな彼女と一夜を共にすると、朝になってその部屋の一角に、頸にハサミを突き立てられた見知らぬ男の死体が転がっていた。事情がわからぬまま、フェルディナンはマリアンヌと、逃避行を始める。 フェルディナンは活劇マンガ「ピエ・ニクレ」を持ち、マリアンヌは銃を持って、彼女の兄がいるという南仏へと向かう。強盗を行ったり、警察の追跡を躱すために死んだと見せかける偽装工作を行ったり、車を乗り捨てたり…。逃亡の旅が続く内に、やがて2人は、ロビンソン・クルーソーのような生活を送るようになっていった。 ところがある時、またもや頸にハサミを突き立てた男の死体を残して、マリアンヌは消える。フェルディナンは、死んだ男の仲間と思われるギャングたちに捕まり、拷問を受ける。マリアンヌは殺人を犯して、5万㌦を持ち逃げしていたのだ。彼女が“兄”と言っていたのは、ギャングたちと敵対する組織のボスで、彼女の情夫であった。 フェルディナンがマリアンヌを見つけると、彼女は再び彼を犯罪に巻き込んでから、またも行方をくらます。フェルディナンは銃とダイナマイトを持って、マリアンヌが逃げた島へと追っていくのだったが…。 ***** 元はゴダールが映画化権を買った、アメリカの犯罪小説を、シルヴィー・ヴァルタン主演で映画化しようとしたところから、本作の企画は始まった。しかしヴァルタンには出演を断られ、その後アンナ・カリーナとリチャード・バートン主演で撮ろうと試みる。この組み合わせは、バートンが「あまりにハリウッド化されてしまっていた」ために流れ、結局カリーナとベルモンドという組み合わせでの製作となった。 実はゴダールとカリーナの結婚生活は、1964年の終わり頃には破綻していた。『気狂いピエロ』は2人が離婚後にも組んで撮った3本の長編の2本目であった。 筋立てとしては、ファム・ファタール~運命の女、魔性の女~を愛してしまったが故に、自滅していく男の物語で、典型的な“フィルム・ノアール”。しかしゴダールの作品だけに、そんな一筋縄にはいかない。物語は逸脱に逸脱を重ね、あらゆる場面が、多彩な映画的・文学的・芸術的引用に彩られている。 “ヌーヴァル・ヴァーグ”に於いてゴダールの盟友だったフランソワ・トリュフォーは、まだお互い10代で出会った頃に驚きを覚えた思い出として、ゴダールの読書の仕方や映画の鑑賞方法を挙げている。曰く、本棚から40冊もの本を引っ張り出して、一冊一冊、最初と最後のページだけを読んでいく。午後から夜までに5本の映画を、それぞれ15分ずつ見ていく。大好きな映画でも、20分ずつちょん切って見ては、何度も映画館に足を運ぶ…。 ゴダールはそんな風にして得た膨大な知識を、映画の中に次々と引用していく。それがゴダール作品の、独特な文体のベースとなっていったわけだ。『気狂いピエロ』で、サードの助監督に就いていた俳優のジャン=ピエール・レオによると、本作の台本は、27のシーンから成るストーリーを大雑把に要約した30頁ほどのものしかなかったとのこと。その台本には、カメラの位置やアングルの指定どころか、セリフも全く書かれていなかった。 セリフは撮影の前の晩か当日の朝、ゴダールが即興で書き、俳優にはカットごとに口伝てで教えられるだけ。ちょっと長いセリフの場合だけ、撮影の1~2時間前に、ゴダールが学生ノートに青のボールペンで書いたものが、俳優に渡されたという。 そして本番では、カメラの位置が決まると、リハーサルは簡単に行われ、ほとんどすぐに撮影になった。同じセリフを何度も言うのが嫌いだったというベルモンドは、1回か2回のテイクで、演技を見事に決めたという。 因みにスタッフに配られる台本にも、余計なことは全く書かれていなかった。しかし、本作のストーリーは「敬愛するジャン・ルノワール監督の『牝犬』(1931)にヒントを得ている」とか「フェルディナンとマリアンヌの道中はチャップリンの『モダンタイムス』(36)のラストで恋人たちが仲よく道を歩き去っていくように」など、引用の出典は具体的に書き込まれていたという。 さてこうして作り上げられた『気狂いピエロ』は、1965年8月に世界三大映画祭のひとつ、イタリアの「ヴェネチア国際映画祭」に出品。しかし会場ではブーイングの嵐が沸き起こり、賞の対象にはならなかった。 これに対し、擁護の論陣を張って、逆にゴダールの芸術的な評価を決定づけたのが、フランスの小説家であり、文芸評論家でもあった、ルイ・アラゴンだった。ダダイズムやシュールレアリズムを牽引し、ナチス・ドイツの占領下では、文筆活動によって抵抗を行った、レジスタンスの詩人として知られるアラゴンは、「今日の芸術とはジャン=リュック・ゴダールにほかならない」とまで書いて、『気狂いピエロ』を激賞した。 アラゴンはゴダール作品の特徴である「引用」を、絵画の「コラージュ」と比較した。「コラージュ」とは、画面に印刷物、布、針金、木片、砂、木の葉などさまざまなものを貼り付けて構成する絵画技法を指す。ピカソやブラックなどのキュビストが用い、ダダイストやシュールレアリストの芸術家によって発展を遂げた。こうした技法を映画に持ち込んだゴダール作品は、「最も現代的な」芸術だと、アラゴンは、擁護と共に褒め称えたのである。 このような経緯があって、本作でゴダールの“芸術家”としての声価は決定的となる。そしてそれから暫しの時を経て、「アンナ・カリーナ時代」は終わりを告げる。 1967年8月、ゴダールは商業映画との決別宣言文を発表。その作品や発言などが、政治性を強めていく。その翌年=68年5月、フランスでは学生の反乱がゼネストへと発展し、時のドゴール政権を揺るがす“5月革命”が起こった。その最中に開かれた「カンヌ国際映画祭」に、ゴダールはトリュフォーやクロード・ルルーシュ、ルイ・マルらと共に乗り込んで、中止へと追いこむ。 いわゆる「毛沢東時代」(68~73)へと突入していったわけだが、この時代のゴダール作品のミューズは、アンナ・カリーナからアンヌ・ヴィアゼムスキーへと変わるのであった…。 さて、『気狂いピエロ』の公開から56年。ヒロインのアンナ・カリーナに続いて、今年はベルモンドまでが、鬼籍に入ってしまった。 既存の映画文法を破壊した『気狂いピエロ』を観て、今から56年前=1965年に映画史に放たれた閃光を追体験し、カリーナとベルモンドを悼んで欲しい。これもまた映画を観続けていく、醍醐味なのかも知れない。■ 『気狂いピエロ』© 1962 STUDIOCANAL / SOCIETE NOUVELLE DE CINEMATOGRAPHIE / DINO DE LAURENTIS CINEMATOGRAPHICA, S.P.A. (ROME). ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2017.11.05
ゴダールの果てなき映画的探究の旅の出発点となった重要な野心作『彼女について私が知っている二、三の事柄』〜11月30日(木)ほか
■「彼女」について私たちが知っている二、三の事柄…。 ジャン=リュック・ゴダールとその「彼女」、とりわけ、『勝手にしやがれ』(1959)で衝撃的な長編監督デビューを果たした後の1960年代、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として華々しい活躍を繰り広げた映画界の天才的革命児ゴダールと、彼を魅了し、その留まることを知らない自由奔放で旺盛活発な創作意欲を刺激し続けたミューズたる「彼女」といえば、映画ファンならば、やはりまずアンナ・カリーナ、次いで、つい先日惜しくも70歳でこの世を去ったアンヌ・ヴィアゼムスキーの名前と姿が、たちどころに脳裡に思い浮かぶに違いない。 ゴダールは、長編第2作の『小さな兵隊』(1960)で、カリーナを初めて自作のヒロインに迎えたのを皮切りに、以後、彼女と公私にわたる名コンビを組んで、『女は女である』(1961)、『女と男のいる舗道』(1962)、『はなればなれに』(1964)、『アルファヴィル』(1965)、『気狂いピエロ』(1965)などをたて続けに発表(この間、2人は1961年に結婚し、1965年に離婚)。ラディカルな変貌を幾度となく繰り返しながら、今日に至るまでなおひたすら我が道をどこまでも邁進し続ける、現代の生ける神話ともいうべきこの厄介な怪物ゴダールの息の長い映画作家人生において、「アンナ・カリーナ時代」とも呼称・区分されるその豊穣な季節に生み落とされた傑作群は、切なくも甘美でほろ苦い青春期の貴重なドキュメントとして、いまも世界中の多くの映画ファンを魅了し続けている。 一方、もうひとりの「彼女」とのコンビ作の方はどうかというと、17歳の女子高生の時分に、ゴダールも敬愛する映画作家ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』(1966)のヒロインにいきなり抜擢されたのをきっかけに女優としての道を歩み始め、やがてパリ大学に進学したヴィアゼムスキーを主役のひとりに起用して、ゴダールは『中国女』(1967)を発表。翌1968年にパリで5月革命が起きるのと相前後して、自らの政治的姿勢をより先鋭的に急進化させたゴダールは、カリーナに次ぐ2番目の愛妻となったヴィアゼムスキーをその革命的同志のひとりに据えて、『ウイークエンド』(1967)、『ワン・プラス・ワン』(1968)、『東風』(1969)などの過激で戦闘的な政治映画にますます深くのめり込んでいく(2人は1967年に結婚するが、1970年代前半には別れて、後に離婚)。ノーベル文学賞も受賞した高名な作家フランソワ・モーリヤックを祖父に持つヴィアゼムスキーは後年、自らも作家に転身し、ゴダールとの馴れ初めと『中国女』での撮影現場の舞台裏を「彼女のひたむきな12カ月」という自伝的小説に書き記すことになる。 さて、こうしてゴダールの1960年代の軌跡をざっと駆け足で振り返ってみると、1966年に発表された映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、彼がアンナ・カリーナ、そしてアンヌ・ヴィアゼムスキーという2人の「彼女」と個別に取り結んだ公私にわたる密接なパートナーシップの、奇しくもちょうど過渡期に生み落とされた作品ということが分かる。そしてこの映画は、ゴダールが「アンナ・カリーナ時代」に終止符を打ち、1960年代の後半以降、新たな方向へと向かうその第一歩を記した最初の里程標となると同時に、映画から物語性を剥ぎ取り、それに代わって、映画とは何か、そして、ほかならぬこの映画を一体なぜこのようにして作るのかという、それ以後、21世紀の今日に至るまでゴダールを執拗に駆り立てることになった自己言及的な問いかけを、彼自らがナレーターを務めることで初めて前面に大きく押し出し、その果てなき映画的探究の旅の出発点ともなった決定的重要作と言えるだろう。 この作品でゴダール映画の最初で最後のヒロインを務めることになったのが、ロシア系のフランス人女優マリナ・ヴラディ(彼女はその後、日本映画『おろしや国酔夢譚』(1992 佐藤純彌)に、ロシア帝国の伝説的女帝エカテリーナ二世役で出演することにもなる)。ただし、映画の題名である『彼女について私が知っている二、三の事柄』の「彼女」が、このヴラディその人だけを必ずしも指し示すわけではないところが、いかにもゴダールならではのユニークで非凡な着眼点といえる。 映画の冒頭のタイトル紹介では、『彼女について私が知っている二、三の事柄』の原題である「2 OU 3 CHOSES QUE JE SAIS D’ELLE」という数字や単語の連なりが、これまた、いかにもゴダールらしい独自のモンタージュでバラバラに分断され、時に反復や逆回転も伴いながら、「2」、「OU 3」、「2」、「OU 3」、「2」、「OU 3」、「CHOSES QUE JE SAIS D’ELLE」…といった具合に独特のリズムで順番に映し出される(しかも、「2」は青色、「OU」は白色、「3」は赤色として示され、それらを合わせると、フランス国旗の三色旗を構成するトリコロールとなる。これは、『女は女である』以来、ゴダールのカラー映画ではすっかりお馴染みの色彩戦略ではある)。続いて、「彼女」を指すフランス語の「ELLE」と左右に並置される形で、「パリ首都圏」を意味するフランス語の女性名詞の語句「LA REGION PARISIENNE」が、これまたそれぞれ、青白赤の三色で観客の前に提示されることになるのだ。 つまり、このタイトルに従うならば、「彼女」とはまず、「パリ首都圏」を意味することになる。当時、パリ郊外の道路網や公団住宅地域では、都市開発の整備拡張計画が急ピッチで進められていて、建設中の高速道路や高層ビルなどのパリ郊外の風景を点描したショットが、その騒がしい工事音を伴って、今述べたタイトル紹介のすぐ後に映し出されていく。 そしてその後になってようやく、本作の主演女優たるマリナ・ヴラディが団地の上階のバルコニーに佇んでいる姿で画面の中に初めて登場して、「彼女はマリナ・ヴラディ。女優。濃紺のセーター」云々と、ささやくように語るゴダール自身のナレーションによって観客に紹介され、続いて彼女自身が正面のキャメラに向かって、「真実を引用するように話せと、ブレヒトは言っている。“俳優は引用せよ”と」と語りかける。次いでカットが変わり、背後の風景は多少変わったものの、先ほどと服装もメイクもおそらくは同じままのヴラディが、今度は、「彼女はジュリエット・ジャンソン。団地の主婦」と、この映画の中で彼女が演じることになるキャラクターの役名・役柄と共に、やはりゴダールのささやき声で紹介されるのだ。 『彼女について私が知っている二、三の事柄』における「彼女」は、従って、映画の舞台となる「パリ首都圏」、主演女優たるマリナ・ヴラディその人、そして彼女が劇中で演じるキャラクター、といった具合に、多重的な意味を帯びて観客の前に提示されることになる。 ■一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない…。 ところで、この映画の企画は、パリ郊外に建設された新しい団地に移り住んだ多くの主婦たちが、団地生活での出費の増加に伴って金のやりくりに困り、売春に身をゆだねているという、ある週刊誌の実態調査記事に、ゴダールが目を留めたことがおおもとの出発点になっていて、「売春」という主題は、既に初期の短編『コケティッシュな女』(1955)の頃から、『女と男のいる舗道』や『アルファヴィル』を経て、さらには後の『勝手に逃げろ/人生』(1979)に至るまで、多くの作品の底流をなすゴダールお気に入りのテーマの一つでもあった。 ゴダール自身、「一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない」と題されたインタビュー記事の中で、この映画について、以下のように説明している。 「(引用者補注:『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、当時この映画とほぼ同時並行的にゴダールが撮影を進めていたもう1本の映画『メイド・イン・USA』(1966)よりも)ずっと野心的な映画だ。この映画はパリ地域圏の都市開発という問題をとりあげているという意味ではドキュメンタリーで、またぼくが映画のなかでたえず、自分はなにをつくりつつあるのかを自分に問いかけているという意味では純粋な探究の映画なんだが、この両方の側面において野心的な映画なんだ。もちろん表向きは、団地の生活を、またときどきは売春をとりあつかっているということになっている。でも本当の目的は、ある大きい変動を観察するというところにあるんだ。」 (「ゴダール全評論・全発言Ⅰ」) ゴダールは、同じ記事の中で、「いわゆる現代の生活なるものを分析したい ― 生物学者がするように、解剖し、その深部の動向をさぐりたい」とも述べていて、実際、映画の中でも彼自身が例のささやき声で、「私は今、団地とその住民の生活を、また住民たちを結びつけている関係を、生物学者が進化における個と種の関係を観察すると同じ細心さをもって観察している」とコメントする場面も出てくる。 こうして、マリナ・ヴラディ演じる映画のヒロイン、ジュリエットをはじめ、団地の住人である女性たちが、子供の養育や家事に励んだり、あるいは街で買い物を楽しんだりする日常的な生活風景と並行して、彼女たちがホテルやアパルトマンの一室で売春に励む様子が生物学者的なミクロな観察眼を通してクールに描き出され、その合間を縫って、都市開発で大きく変容するパリ郊外の風景が、こちらはマクロな視点からキャメラで捉えられていく。さらには、街の至るところに氾濫する商品広告の看板やポスター、小綺麗にデザインされた日用品のパッケージや雑誌の広告写真、イラスト、等々、人々の日常生活を取り巻くおびただしい事物のイメージも、人物や街の風景と同等、あるいはそれ以上の存在感をもって、印象的に映し出されることになるのだ。 先ほどと同じインタビュー記事の中で、ゴダールはさらに、次のようにも語っている。 「なぜこの映画をつくるのか、なぜこうしたやり方でつくるのか、マリナ・ヴラディが演じているヒロインは団地の住人を代表するような人物になっているだろうかといったように、ぼくはたえず疑問をなげかけている。ぼくは撮影する自分を見つめ、観客はぼくの思考に耳を傾けるというわけだ。要するに、これは映画ではなく映画の試みなんだ。しかもそのようなものとしてつくられているんだ。この映画はよりずっと、ぼくの個人的な探究という性格の強い映画なんだ。それにまた、物語を語ろうとするものじゃなく、ひとつの証拠資料であろうとするものだ。」 先にも述べたように、映画とは何か、そして、ほかならぬこの映画を一体なぜこのようにして作るのかを自らに問い、あくまで映画作りの実践とその製作プロセスの分析を通して改めて映画を一から再構築していくという、何とも困難で骨の折れる映画的探究の旅を、ゴダールはこの『彼女について私が知っている二、三の事柄』から本格的にスタートさせている。そして、その果敢な試みの最初の重要な成果というべき一例が、映画の中盤で、マリナ・ヴラディ演じるヒロインのジュリエットが夫の職場であるガソリンスタンド兼自動車整備工場を訪ねる場面において示されることになる。 ここでゴダールは、「はたしてこれらの出来事、この日の16時40分頃に起きた事実をどう説明すればいいのか? どのように提示し、あるいはまた、言い表せばいいのだろうか?」「たしかにジュリエットがいる。彼女の夫がいる。ガソリンスタンドがある…。しかし、用いるべきものは、これらの言葉と映像だけなのか? ほかにはないのか?」と、次々と自問自答し、ガソリンスタンドのすぐそばには樹木が生え、木の葉が風にそよいでいること、あるいはまた、ジュリエットや彼女の夫以外にも見知らぬ若い女性がいることを、別の映像で指し示した上で、ジュリエットが夫の職場を訪ねる同じ場面を、先の音声と映像の組み合わせとはまた異なるモンタージュで、改めて観客の前に提示し直してみせるのだ。 しかし、原理的にはいくらでも組み替えがきき、無数に存在しうる、音と映像の組み合わせの潜在的可能性の中から、なぜ最終的には作品として結実する一つのものが選択されるのだろうか? この根源的な問いに、絶対的な一つだけの正答など、ありようはずはない。一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない。しかし、無論、すべてを一本の映画のなかにもちこむことは不可能である…。 かくして、そのジレンマに引き裂かれながらも、ゴダールはこの『彼女について私が知っている二、三の事柄』以後もずっと、従来の決まり切った硬直化したスタイルとは異なる、音と映像の新たな結びつきの可能性を徹底的に追い求めて(彼のその試みはやがて、皆も知る通り、「ソニマージュSONIMAGE」[=「音SON」+「映像IMAGE」]と呼ばれることになる)、音と映像の断片が絶妙に接合し、また時には離反しながら圧倒的な強度に満ちた映画世界を形成する、あの鮮烈で精妙極まりないモンタージュ技法を編み出し、21世紀を迎えた今日もなお、その独自の映画的探究の旅を続けてやまないのである。■ © 1967 Argos Films
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COLUMN/コラム2015.10.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年11月】うず潮
ジャン=リュック・ゴダールなど巨匠たちが監督した6話形式のちょいエロ・オムニバス。原始・中世・近代・未来の時代ごとに生きる娼婦たちの姿を、コミカルに描いたクスッと笑える1本。ジャンヌ・モローやラクエル・ウェルチなど豪華女優陣のキュートな演技にも引き込まれ、時代時代合わせて登場するオシャレな衣装や小物も見どころです!男女問わず、ぜひ見てほしい作品です。 オープニングを飾る第1話は、原始時代を舞台にブロンドのミシェール・メルシェがラムちゃんばりの衣装で男を誘惑。第2話は、ローマ時代。エルザ・マルティネリがセクシーで豪華なドレスで夫の皇帝シーザーを健気に誘惑。第3話は、フランス中世時代。ジャンヌ・モローが強気な娼婦役に。セクシーなドレスに加え、男女の騙し合いも見どころ。第4話は、産業革命時代。ラクエル・ウェルチがグラマラスな体と恋の駆け引きで玉の輿を狙う娼婦役で男を虜に。第5話は、1960年代。ナディア・グレイが車で流す娼婦役に。60年代のファッションや当時の車のデザインがキュート!第6話は、監督・脚本にジャン=リュック・ゴダール。当時妻だったアンナ・カリーナを起用し、近未来の不思議な愛のカタチを描く。 ザ・シネマでは、世界のアートフィルムやカルト・ムービーを紹介するレギュラー枠【シネマ・ソムリエ】で本作を放送中! © 1967 Gaumont (France, Rizzoli Film (Italie), Riato Film Preben Philipsen GmbH (Allemagne)