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COLUMN/コラム2023.12.11
ロン・ハワードとトム・ハンクスのコンビ第1作は、それぞれの記念碑的作品『スプラッシュ』
本作『スプラッシュ』(1984)の発端は、ロサンゼルスに住むプロデューサー、ブライアン・グレイザーが、自らの不幸な恋愛経験を反芻しながら、車を走らせている時のインスピレーションだったという。恋をする相手として、美しい容姿と心を兼ね揃えた女性が、“人間”ではなく、“人魚”だったら…。 これは良いコメディになる!そう考えたグレイザーは原案を書き、小説家でシナリオライターのブルース・ジェイ・フリードマンに、脚本を発注。出来上がると、ロン・ハワードに渡し、「興味があれば監督してみないか?」と誘った。ハワードはちょうどその時、グレイザーと組んだ初の作品にして、自らの監督第2作にあたるコメディ映画、『ラブ IN ニューヨーク』(82)を完成させたばかりだった。 1954年生まれ、両親とも俳優という芸能一家育ちのハワードは、60年代から子役として有名だった。70年代に入ると、映画『アメリカン・グラフィティ』(73)、TVシリーズ「ハッピーデイズ」(74~84/ハワードは80年までレギュラー)などに主演。青春スターとして活躍した。 しかし、演じる以上に、作ることに興味があったため、南カリフォルニア大学の映画学科へと進学。俳優としての人気絶頂期だった23歳の時には、初監督作『バニシングIN TURBO』(77)を公開している。 この作品のプロデューサーは、“B級映画の帝王”として名高い、ロジャー・コーマン。“スター”であるハワードが主演も兼ねることを条件に、製作費の60万㌦を提供した。 ハワードがコーマンから学んだのは、映画作りの実際。製作費を予算内に収めるためには、準備をしっかりしなければいけないということを叩き込まれた。 その後ハワードは、「ハッピーデイズ」への出演を続けながら、3本のTVムービーを監督。80年代を迎えると、俳優活動には区切りをつけ、本格的に映画監督の道を歩み始める。『バニシングIN TURBO』に続く第2作『ラブ IN ニューヨーク』は、「ハッピーデイズ」の共演者で、プライベートでも親友だった、ヘンリー・ウィンクラーを主演に迎えた作品。死体置場に勤める気弱な青年と売春婦の恋を描くコメディである。 先に記した通り、ハワードに『スプラッシュ』の脚本が持ち込まれたのは、『ラブ IN ニューヨーク』が完成したばかりで、まだ公開前。ハワードは、2作続けてコメディを手掛けることに、躊躇した。また、最初の脚本は水中シーンが多かったため、それだけで“赤字”が出そうなことも、コーマンの薫陶を受けた彼をためらわせた。 しかし考えを切り替え、「この作品をロマンチックなものにできないか」模索を始める。そして、会話やジョークが水中の王国で展開する流れを改めて、観客が登場人物に感情移入できるようにリライトして欲しいと、『ラブ IN ニューヨーク』の脚本家コンビ、ローウェル・ガンツとバーバルー・マンデルに依頼した。 その一方、当初はこの作品の製作を請け負っていた「ユナイテッド・アーティスツ」との契約が、キャンセルとなる。ちょうど同じ時期に他社で、ウォーレン・ベイティとジェシカ・ラング共演の『Mermaid』という“人魚映画”の準備が進められていたからである。そちらは当時としては破格の製作費3,000万㌦が注ぎ込まれる予定で、「ユナイト」は、競合を避けたのである。『スプラッシュ』の救いの神となったのは、「ディズニー」。しかし子役出身のロン・ハワードは、それに懸念を抱いた。「ロンが大人になって、ディズニー作品を作るようになった」などと揶揄されるのではないかと。「ディズニー」が、大人向けの映画を専門とする「タッチストーン・ピクチャーズ」を新設し、そこの看板作品として『スプラッシュ』を考えていることを知って、ハワードの危惧は解消する(余談となるが、“人魚”の裸体がチラチラ見え隠れする『スプラッシュ』は、「ディズニー」史上初のR指定作品となる)。 そうこうしている内に、強大な“敵”となる筈だった『Mermaid』は、俳優組合のストライキを受けて、あっけなく製作中止に。一方製作費900万㌦の『スプラッシュ』は、ストの影響を避けるように、急ピッチで製作が進められた。 ***** 幼少期に観覧船から落ちたアレン少年は、海中で美しい少女に出会い、助けられる…。 それから20年。アレン(演:トム・ハンクス)は、兄フレディ(演:ジョン・キャンディ)と共に、ニューヨークで青果物市場を経営。遊び人の兄に対してアレンは恋愛ベタで、同棲相手から一方的に別れを告げられる。 酔いに任せ、遠く離れた岬へタクシーで向かうアレン。この岬は20年前に溺れかかったところで、彼はそれ以来カナヅチとなった。それなのになぜか、心安まる場所であった。 チャーターしたボートから、またも海に落ちてしまうアレン。気を失った彼が目を覚ますと、砂浜の上。目の前には、美しいブロンドで全裸の美女がいた。 アレンは一目惚れするも、彼女は名前も告げずに海中へと消える。実は彼女は“人魚”。20年前アレンを救ったのも、彼女だった。 アレンが海中に落とした財布から住所を知った“人魚”は、ニューヨークに現れる。全裸の彼女を保護した警察から、アレンに連絡が入り、2人は再会する。 人間の言葉と生活を、TVを見ながら学ぶ彼女のことを、アレンは外国人と思い込み、“マディソン”と名付ける。2人は愛し合うようになるが、彼女は“人魚”の掟から、あと6日間しか地上に居られない。 しかしアレンにプロポーズされたことで、マディソンはもう海には戻らず、“人間”として生きていくことを決意。ところが、長年“人魚”の存在を追い続けてきた海洋学者(演:ユージン・レヴィ)によって、公衆の面前でその正体を暴かれてしまう。 海洋博物館の研究室に隔離されてしまったマディソンと、彼女の正体にショックを受けたアレン。2人の恋の行方は!? ***** アレン役をオファーされて断わったのは、ジョン・トラボルタ、マイケル・キートン、ビル・マーレー、チェビー・チェイス、ダドリー・ムーアといった、当時の売れ線俳優たち。アレン役を得たトム・ハンクスが後に、「…役をもらえた唯一の理由は、他に誰も引き受けなかったから…」と発言しているのは、ただのジョークとは言い切れない。 監督のロン・ハワードと、ハンクスの接点は、「ハッピー・デイズ」。ハワードは、まだ駆け出しの頃のハンクスがゲスト出演した際の演技が、「…めちゃくちゃ面白くて、ずっと忘れなかった…」という。 その後主演したTVのコメディシリーズで人気が出たハンクスに、ハワードもプロデューサーのグレイザーも、当初は遊び人の兄の方を、演じてもらおうと考えていた。しかしハワードは、幅広い感情表現を必要とするアレン役でも、ハンクスならやれるだろうと気付く。まあ先に記した通り、多くのスターに断わられた後の、窮余の策だったのは否めないが。 TV育ちのハワードは、ハンクスの抜擢に見られる通り、TVでの人気者を積極的に起用した。兄役のジョン・キャンディも、海洋学者役のユージン・レヴィも、人気コント番組「セカンドシティTV」の出身である。 さてハンクスの出演が決まったが、より難題だったのが、“人魚”のマディソン役。イノセント且つチャーミングなこの役を、説得力を持って演じるのは、並大抵のことではない。またこの役は、巨大な尾びれを身に着けて、水中で長い時間を過ごす必要があった。 ハワードは、オーディションに現れたダリル・ハンナを見た瞬間、「見つけた」と直感したという。とりあえず水に飛び込んで泳いでもらったところ、その姿が「夢のように」美しく、決定打となった。 実はハンナの少女時代の夢は、“人魚”になることだった。それが転じて、いつかアンデルセンの「人魚姫」を映画化したいという願望を持っていた。そのため、それが実現する前に“人魚”役を演じることには、ためらいがあったという。 ハンナは当初、『スプラッシュ』の脚本を読むことさえ拒もうとした。しかしエージェントの強い説得によって、脚本を読むと、すぐに“マディソン”役に恋してしまった。そしてオーディションに、臨むことにしたのである。 リハーサルが始まらない内から、ハワードはハンクスに、強い口調でこんな指示を行った。「これは、君の映画じゃない。ダリルの映画なんだ。君の役目は、映画で起こることすべての“触媒”になることだ。君が本当に彼女をぞっこん惚れていると観客が信じない限り……この作品の意味がなくなるんだよ」 相手役を愛する演技をする時には、本当に愛さなければならない。ハワードの指示から、ハンクスはそう学んだという。そして、どこにでも居そうな普通の青年が、理想の女性とハッピーエンドを迎えるという、この後にハンクスが得意とする役柄が、ここで決まったのである。 撮影は、メインの舞台となるニューヨークで、まず17日間。続いてロスでの撮影を 29日間行った後、16日間の海中撮影へと進んだ。 ロケ地は、バハマ沖。その海面にボートを浮かべ、水深12㍍の地点で撮影が行われた。 ダリル・ハンナは、毎日3時間掛けて14㌔近くあるヒレを装着。そのまま水中マスクも付けずに、海中に居なければならなかった。 トイレにも行けないため食事は抜き、陸に上がる際には、クレーンで引き上げた。その日の撮影が終わると、今度は1時間半掛けてヒレを取り外した。 この撮影でハンナは1日平均9時間、45分のダイビングを4~5回行った計算になる。時には40㍍近く、息を止めたまま泳いでみせた。 また“人魚”が海面に飛び上がるシーンは、水面下に大砲を設置して、その爆発の水圧によって、ハンナの身体を打ち上げるという、危険な方法で撮影。彼女は海面から、見事に3㍍もジャンプしてみせた。 因みに「大人向け」とはいえ、そこはさすがに「ディズニー」作品。水中シーンでは、ハンナの裸体の露出を、最小限に止める必要があった。デジタル処理でどうとでもなる、今の時代とは違う。この時は頭髪用のテープで、ハンナの髪の毛を胸に貼り付けるという、アナログな方法が採られた。またハンナの乳首には、バンドエイドを貼ったという。 『スプラッシュ』は84年3月に公開されると、大ヒットを記録。監督のロン・ハワードが“子役”出身のイメージを払拭すると同時に、トム・ハンクスが“映画スター”として、初めて認められる作品となった。 その後の2人の活躍は、説明するまでもないだろう。ハワードとハンクスはお互いにキャリアを積み重ねる中で、『アポロ13』(95)や、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)に始まる“ロバート・ラングトンシリーズ”で、随時組み続けている。 ダリル・ハンナはその後、俳優として大成したとは言い難い。しかし最も美しい時の姿を、結果的には念願の“人魚”役でフィルムに焼き付けた。それを今でも多くの人々に観続けられるのは、幸せなことではないだろうか?『スプラッシュ』の彼女は、本当に輝いている。そしてその輝きを最大限に引き出す役目を果たしたからこそ、トム・ハンクスの“映画スター”としての歩みも始まったのだ。『スプラッシュ』は現在、「ディズニー」と、ロン・ハワードとブライアン・グレーザーが設立した「イマジン・エンターテインメント」の共同製作で、リメイクが進められている。果して本作のように、“スター誕生”の場となるのであろうか?■ 『スプラッシュ』© 1984 Buena Vista Distribution Co., Inc. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.05.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年6月】にしこ
『フェリスはある朝突然に』で観る人全てをフェリス・ビューラー気取りにさせたあのジョン・ヒューズ監督が贈る、「ここまでやりますか!」的大災難トホホのちじんわりあたたかムービーの傑作であります。『大災難P.T.A.』の「P.T.A」はあれです。「Parent Teacher Association」ではありません。原題は「PLANES, TRAINS & AUTOMOBILES」。主人公2人(主にスティーヴ・マーティン)が家までたどり着くまでに使う交通手段です。飛行機でも電車でも車でもたどり着けないほどの大災難!!その全てをあなたは目撃する!感謝祭の2日前、エリート広告代理店マンのニールはクライアントへのプレゼン終わり、シカゴの家へと飛行機で帰ろうと必死。やっとの思いでタクシーを捕まえたと思ったら、巨漢の男にタクシーを横取りされてしまう。はらわたが煮えくり返る思いでなんとか飛行機に乗ったものの、ファースト・クラスの予約は感謝祭の混雑の為キャンセルされ、「席があるだけありがたく思え」とばかりにエコノミーに送られる。さらに追い打ちをかける様に、隣のシートにはタクシーを奪った憎き巨漢の男が!この巨漢の男を演じるのが70年代から90年代までのアメリカン・コメディの象徴でもあったジョン・キャンディ。あのいかにも「気が良くて」「がさつで」「厚かましい」感じのルックス通りのキャラクター、デルをこの映画でも演じています。スティーヴ・マーチン演じるちょっと神経質なニールの神経を逆なでしまくりイラつかせまくりの90分強。そう、デルこそニールに起こった「大災難」なのです。「アメリカのコメディって日本人にはちょっと大げさすぎるっていうか…」という方も食わず嫌いをせずにぜひご覧ください。今や当代一のコメディアン、スティーヴ・マーティンはいかにも日本人好みする「やりすぎない面白さ」の達人ですし、熊の様な体躯に愛くるしい目で申し訳なさそうにスティーヴ・マーティンをみるジョン・キャンディの姿はなんともほほえましい。果たして2人は無事家にたどり着く事が出来るのか!?ちょっとした秘密と押し付けがましくない感動があなたを待っています!!ジョン・キャンディは1994年に心臓発作で急逝してしまいましたが、ご存命だったらぜひまたこの2人の珍道中が観てみたかったなぁと強く思う次第です。 TM & Copyright © 2015 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. All rights reserved.