検索結果
-
COLUMN/コラム2019.02.08
“社会派”の名作『ノーマ・レイ』で覚醒したサリー・フィールド
この原稿を執筆してる時点では、2018年公開の作品を対象とする、「第91回アカデミー賞」は、ノミネートが発表されたばかり。私が今回特に注目するのは、主演・助演両部門合わせて7度目のノミネートになるグレン・クローズが、遂にオスカー像を手にする瞬間が来るのか?…である。 彼女をスクリーンで初めて観たのは、『ガープの世界』(1983)。1947年生まれのグレンは、30代中盤に出演したその作品で、初めて「アカデミー賞」にノミネート(助演女優賞候補)された。それ以来、実に35年以上の長きに渡って、第一線で活躍し続けていることになる。TVドラマでの演技に贈られる「エミー賞」、舞台の演技が対象の「トニー賞」は、それぞれ3回ずつ受賞している。そんな彼女が、銀幕での演技を対象とする「アカデミー賞」だけは、未だ掌中に収めていない。 この賞を得るには、もちろん演技の実力が必要だ。しかしそれだけでは、十分でない。時勢や対抗馬の巡り合わせなど、“運”も大きく作用するのである。 ではここで、クイズを一問。生存する女優(引退した者も含む)で、そんな「アカデミー賞」の、しかも「主演女優賞」を2回獲得した者の名を、すべて挙げよ。 昨年『スリー・ビルボード』(2017)で、『ファーゴ』(1996)以来のオスカーを獲得した、フランシス・マクドーマンド、主演賞2回に加え、助演賞も1回受賞しているメリル・ストリープ(ノミネートは主演・助演合わせて、何と21回!)あたりの名は、すぐに出てきそうだ。だがこの2人以外にも、主演部門を2回制した強者が、5人健在である。 それは、グレンダ・ジャクソン、ジェーン・フォンダ、ジョディ・フォスター、ヒラリー・スワンク、そして、本作『ノーマ・レイ』のヒロインを演じた、サリー・フィールドだ。 サリーが主演女優賞をゲットしたのは、1979年公開の本作、そして84年公開の『プレイス・イン・ザ・ハート』。1946年生まれということだから、47年生まれのグレン・クローズとは、ほぼ同年代。ところがグレンが、70代に至るまでオスカーを逃し続けてきたのに対し、サリーは30代の内に、2回獲得している。相当な“強運”の持ち主とも言える。 その後のサリーの歩みを追えば、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)で演じた、主人公の母役をご記憶の方も多いだろう。2000年代後半に主演したTVシリーズ「ブラザーズ&シスターズ」では、「エミー賞」も受賞。近年では、スピルバーグ監督の『リンカーン』(2012)で大統領夫人を演じて、「アカデミー賞」の助演女優賞候補になっている。 では“オスカー女優”になる前の、彼女のの歩みは、ご存じであろうか? ハイティーン時代、「ギジェットは15歳」「いたずら天使」といったTVシリーズで、大いに人気を博したというサリー。しかし私が、1970年代後半にスクリーンで彼女に邂逅した時の印象は、ただただ「バート・レイノルズの彼女」だった。 以前にも当コラムで取り上げたが、この頃のバート・レイノルズはTOPスターとして、アメリカで絶大なる人気を誇っていた。そんな彼と、カーアクションコメディの『トランザム7000』(1977)で、初共演したサリー。すでにバツイチで2人の子どもがいた彼女は、プレイボーイで鳴らしたバートと恋に落ちて、公私ともにパートナーとなった。そして『トランザム…』に続いて、『The End』(78 日本未公開)『グレート・スタントマン』(78)と、立て続けに彼の相手役を務めたのである。 当時はよく「美人とは決して言えない」などと書かれていた、童顔で小柄、ちんちくりんな印象のサリーは、毛むくじゃらのタフガイであるバートとの共演では、じゃじゃ馬的な魅力を発していた。とはいえ総体的には、「バートのペット」であり、「スーパースター主演作の付属品」的な印象もまた、免れ得なかった。 当時は、サリーの側からのバートへの依存心も、相当に強かったようだ。バートとの共演作が続いた後に出演した本作『ノーマ・レイ』では、「アカデミー賞」に先駆けて、「カンヌ映画祭」の主演女優賞も獲得しているのだが、その時の彼女のリアクションは、劇場公開時の本作プログラムによると、次のようなものであった。 「とてもうれしい。でも、バートと一緒の映画でなかったのは、淋しいわ。私にはバートと一緒に喜び合うことが、最高の幸せなの」 しかしサリーが『ノーマ・レイ』に単独で主演し、更にはオスカー女優になったことは、バートとの関係に、決して小さくはない変化を生じさせたのではないか?少なくとも『ノーマ・レイ』という作品には、そんなことを感じさせる“何か”がある。 本作でサリーが演じるのは、タイトルロールの“ノーマ・レイ”。アメリカ南部の田舎町に在る紡績工場で働く、貧しく無知で身持ちも悪い白人女性である。酒場の喧嘩で殺された元夫との間に生まれた男の子と、婚外子として生んだ女の子の、2人の子どもを持つ。 ろくな休憩所もないような、劣悪な環境の工場には、ノーマの父や母も勤めているが、2人とも長年の過酷な労働で、くたびれ果てている。それは同僚の工員たちも同じことだったが、労働者の権利を主張する術も知らず、工場側に搾取されるがままになっている。 そんな町に、ニューヨークからルーベン(演;ロン・リーブマン)という男がやって来る。彼はノーマらの勤める工場に、労働組合を作るために派遣されて来たのであった。 ふとしたことから、ルーベンと親しくなったノーマ。彼女は彼に触発されて、労働条件の改善を工場に求めるようになり、遂には組合を組織することを目指すようになる。 工場内で彼女が紡織機の上に乗り、厚紙に「UNION=組合」とクレヨンで書いて、頭上に掲げるシーンは、アメリカ映画史に残る名シーンとして、今でも度々紹介されている。また“ノーマ・レイ”は、“ヒーロー”という枠組みで、人気が高いキャラクターでもある。 労組オルグのルーベンと女工のノーマ。惹かれ合いながらも、決して男女の関係に陥らない2人の関係は、流れ者のガンマンと、その教えを受けて成長していく若者…といった構図の、例えば『シェーン』(1953)や『怒りの荒野』(1967)のような“西部劇”の、バリエーションにも見える。そこで“正義”に目覚めて貫くノーマは、なるほど確かに“ヒーロー”である。 1960年代から70年代に掛けて、アメリカ映画界に於ける“社会派”の代表的な存在だった、マーティン・リット監督の演出が素晴らしい。かつて“赤狩り”に巻き込まれ、やりたい仕事が出来ない状態に陥ったことがあるリット。本作では、労働者たちを押し潰そうとする経営側の姿勢を攻撃すると同時に、自らの権利を主張せずに自由を放棄する側の“罪”も、糾弾するかのようだ。 そんな作品『ノーマ・レイ』に主演したことで、女優サリー・フィールドは、大きな評価と勲章を得た。しかしそれこそが彼女が、バートから“自立”を図ることの、遠因になったのかも知れない。
-
COLUMN/コラム2016.12.10
新世代アクションスター スティーヴ・オースティンに着目せよ!
長年アクション映画界を牽引してきたシルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーは、共に70歳前後。2人ともいまだ現役でヒット作を量産し続けているものの、アクション映画界は長らく第二のスタローン、第二のシュワルツェネッガーを生み出すことが出来ず、苦しんできた。しかしここ数年、スタローンの後継としてジェイソン・ステイサムが急成長。良質なアクション映画を送り出し続けている。また第二のシュワルツェネッガーと言うべきザ・ロックことドウェイン・ジョンソンも世界的な大ヒット作品を次々とリリース。両者とも世界的なアクションスターとしての地位を完全に確立している。そしてその2人の牙城を虎視眈々と狙う次世代アクションスターが、本稿の主役ストーン・コールド・スティーヴ・オースティンなのである。 スティーヴ・オースティンは1964年、テキサス州オースティンで産声を上げた。少年時代からアメリカン・フットボールに打ち込み、アメフトの奨学生としてノーステキサス大学に進学するほど将来を嘱望されたアスリートであった。しかし勉学に嫌気がさして突然大学を中退したオースティンは、子供の頃から憧れていたプロレスラーの道を目指す。当時テキサス州ダラスに在住していたイギリス人プロレスラーのクリス・アダムスのプロレス道場に入門したオースティンは、メキメキと頭角を現して1989年に本名のスティーヴ・ウィリアムスとしてプロデビューを飾る。この頃、所属団体のUSWAには同名のスティーヴ・ウィリアムス(殺人医師のニックネームで新日本プロレス、全日本プロレスで活躍)がいたため、地元オースティンにちなみリングネームをスティーヴ・オースティンとし、さらにヒール(悪役)に転向することで次第に人気を博していくことになる(後に改名し、本名もスティーヴ・オースティンとなる)。 1991年にはダスティ・ローデスにスカウトされてWCWに入団。1992年からは新日本プロレスに継続参戦するようになる。しかし1995年に怪我を理由にWCWを解雇されてしまい、インディ団体にスポット参戦。そこでの活躍を認められてWWF(現WWE)との契約を手にしたのだった。WWFでは最凶のタフ野郎、ストーン・コールド・スティーヴ・オースティンとして大ブレイク。1998年にはWWF世界ヘビー級王座を初戴冠するなど、人気・実力ともにWWFの頂点に君臨するスーパースターとなっていく。特にオースティンがWWF経営者ファミリーのマクマホン一家や、スーパースターのザ・ロックと繰り広げる一連の抗争(アティテュード路線)は、WWEとオースティンの人気を不動のものとしていくことになる。この人気絶頂のオースティンは、ドン・ジョンソン主演の警察ドラマ『刑事ナッシュ・ブリッジス』に刑事ジェイク・ケイジ役で出演。後に繋がる俳優としての活動も開始している。 しかしザ・ロックやブロック・レスナーらの若手を推す会社の方針に反発したオースティンは、何度かWWEからの離脱と復帰を繰り返す。そして2005年に復帰した際は、プロレスラーとしてではなく、WWEの映画製作会社のWWEフィルムズ所属の俳優としての契約となったのだった。そのためこれ以降はプロレスラーとしての試合は無くなって大会にゲスト登場となることが多くなり、メインの活動は俳優業へとシフトしていく。ちなみに2007年には、共にヅラ疑惑のあったWWE会長のビンス・マクマホンと不動産王で次期アメリカ大統領のドナルド・トランプが、レッスルマニア23で激突。負けた方が髪を剃るという髪切りデスマッチとなり、その際髪を剃る役をスキンヘッドのオースティンが務めている。この抗争は、大の大人(しかも世界的な大金持ち)が意地とプライドと髪を賭けた戦いを繰り広げるという超絶大馬鹿勝負となり、記録的なペイ・パー・ビュー売り上げを記録することになる(トランプは本件でブルーカラー層への知名度を爆発的に拡大し、それが2016年の大統領選での躍進に繋がったとの分析もある)。また2009年にはWWEの殿堂入りを果たし、その際のスピーチでプロレスラーの引退を宣言。オースティンは本格的に俳優としての活動にシフトしていくことになる。 オースティンの映画俳優としての本格なデビューは、2005年にアダム・サンドラーがリメイクした『ロンゲスト・ヤード』だ。ビル・ゴールドバーグ、ボブ・サップ、ケビン・ナッシュらプロレスラー勢に交じってオースティンも看守役で出演している。そして2007年には、WWEフィルムズがライオンズゲート社と組んで制作した『監獄島』で映画初主演を務めている。2010年にはシルヴェスター・スタローン制作のオールスター映画『エクスペンダブルズ』に、極悪用心棒ペイン役で出演。スタローンをボコボコにし、元UFCヘビー級王者のランディ・クートゥアとガチンコ勝負を繰り広げるなど大活躍を見せた。 そしてこの年には『スティーヴ・オースティン ザ・ストレンジャー』にも出演。記憶を失った元FBI捜査官が、記憶を取り戻すために巨大な陰謀に立ち向かう本作は、オースティンにとっても演技力を試されるサスペンスフルな作品となっている。とはいえ、もちろんクライマックスは「待ってました!」と喝采をあげたくなる大暴れが待っているので安心してほしい。 そして2011年には『スティーヴ・オースティン 復讐者』と『スティーヴ・オースティン ノックアウト』をリリース(オースティン主演のビデオ映画の邦題には必ず“スティーヴ・オースティン”が付くので非常に分かりやすい)。『復讐者』は、敵のバイカー集団のボス役でダニー・トレホが登場。最後はオースティンとトレホがガムテープで片手同士を結び付けて殴り合いという、番長マンガのような展開が素晴らしい作品だ。『ノックアウト』はオースティン版『ベスト・キッド』と言うべき作品で、高校の用務員オースティン(ゴツすぎる)がイジメられっ子にボクシングを教え、州大会でイジメっ子と対決するという映画。オースティンらしい『復讐者』と、らしくない『ノックアウト』は、共にオースティンファンならおさえておくべき作品だろう。その他にも年に数本はオースティン出演作がリリースされており、どれも粒ぞろいの作品なのでザ・シネマで順次放映されることを期待したい。 俳優スティーヴ・オースティンの魅力は、もちろんシュワルツェネッガーのような巨大な肉体を武器に大味な殴り合いなどWWE時代を彷彿とさせるプロレス技を活用したアクションシーン。しかしオースティンの魅力はそれだけでなく、オースティン主演映画ではスタローン映画のように敵に捕まって拷問され、耐えて耐えて最後に大爆発という展開も多い。オースティンが完全無欠のフィジカルモンスターとして描かれるわけではないというギャップが、映画の中で非情に良いスパイスになっているのだ。 つまりオースティンこそは、スタローンとシュワルツェネッガーという二人のアクション映画の重鎮の魅力を併せ持つ、新時代のハイブリットアクションスターと言えるのだ。■ © 2010 BOXER AND THE KID PRODUCTIONS INC. ALL RIGHTS RESERVED