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COLUMN/コラム2021.09.08
『0011ナポレオン・ソロ』の映画リメイクは60’sマニアも大満足の仕上がり!『コードネームU.N.C.L.E.』
伝説のTVスパイ・アクション『0011ナポレオン・ソロ』とは? 日本のお茶の間でも空前の大ブームを巻き起こした、’60年代の人気TVスパイ・アクション『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)の映画版リメイクである。ご存じの通り、ジェームズ・ボンド映画第1号『007は殺しの番号(007 ドクター・ノオ)』(’62)の大ヒットを皮切りに、世界中で吹き荒れたスパイ映画ブーム。東西冷戦の時代を背景に、スリルとサスペンスとアクションを盛り込んだ諜報合戦は、まさしくタイムリーな題材だったと言えよう。当然ながら、世界中の映画プロデューサーが『007』シリーズをパクるように。その結果、ジェームズ・ボンドに続けとばかり、マット・ヘルムやハリー・パーマー、デレク・フリントにブルドッグ・ドラモンド、さらにはフランスのユベール・オスニール(OSS 117)にイタリアのディック・マロイ(077)、西ドイツのジェリー・コットン、日本のアンドリュー星野などなど、ハンサムでダンディな洒落たスパイたちが各国のスクリーンを賑わせることとなった。 そして、このスパイ映画ブームの流れはテレビ界へも押し寄せることに。ロジャー・ムーアの出世作『セイント天国野郎』(‘62~’69)を筆頭に、スパイ・コンビが世界的テニス選手とコーチを隠れ蓑にした『アイ・スパイ』(‘65~’68)、スパイ×西部劇というアイディアが斬新だった『0088/ワイルド・ウエスト』(‘65~’69)、元祖『裸の銃を持つ男』と呼ぶべきコメディ『それゆけスマート』(‘65~’70)、不可能なミッションにチームで挑む『スパイ大作戦』(‘66~’73)などなど、数多くのスパイ・シリーズが人気を集めるようになったのだが、その中でも最も成功したドラマが『0011ナポレオン・ソロ』だったのである。 主人公は女好きでチャラチャラしたアメリカ人スパイのナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)と、生真面目で物静かな頑固者のロシア人スパイのイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)。国際諜報機関UNCLE(United Network Command for Law and Enforcementの略)に所属するまるで正反対な2人がコンビを組み、ボスである指揮官アレキサンダー・ウェイバリー(レオ・G・キャロル)の指示のもと、世界征服を企む謎の巨大犯罪組織THRUSH(スラッシュ)に立ち向かっていく。ジェームズ・ボンドの生みの親であるイアン・フレミングも企画に携わった本作は、もともとは「Ian Fleming’s Solo」というタイトルで企画が進行していたものの、同時期に製作中だった映画『007 ゴールドフィンガー』(’64)にソロというキャラクターが登場することから、著作権の兼ね合いで『The Man from U.N.C.L.E.』へとタイトル変更を余儀なくされた。 実は、主人公も当初はナポレオン・ソロひとりで、相棒のイリヤ・クリヤキンは単なるサブキャラに過ぎなかったのだが、エピソードを重ねるごとにナポレオン・ソロを上回るほどのイリヤ・クリヤキン人気が高まったことから、制作陣はダブル主人公のバディ物へと設定を変更。番組自体もノベライズ本やボードゲーム、ランチボックス、アクション・フィギュアなどの関連グッズが発売されるほどの大ヒットとなり、さらに製作元のMGMは複数エピソードに追加撮影を施して再編集した劇場版まで製作。こちらの劇場版シリーズも合計8本が公開されている。日本では1965年から’70年まで放送。年間視聴率ランキングのトップ20に食い込むほど大評判となった。 華やかな‘60年代をお洒落に甦らせたオリジン・ストーリー そんな’60年代を象徴する人気ドラマを21世紀に蘇らせた映画リメイク版『コードネームU.N.C.L.E.』。舞台はテレビ版の放送がスタートする1年前の’63年。ソロとクリヤキンのファースト・ミッションを描いた、いわば『0011ナポレオン・ソロ』のオリジン・ストーリーである。行方不明になった世界的な科学者テラー博士(クリスチャン・ベルケル)を探すため、博士の娘ギャビー(アリシア・ヴィキャンデル)を東ベルリンから脱出させたCIAスパイのナポレオン・ソロ(ヘンリー・カヴィル)。しかし、テラー博士失踪の背景にイタリアを拠点とする大企業ヴィンチグエラの存在が浮上する。彼らの正体は国際的な犯罪組織で、誘拐したテラー博士に核兵器を開発させているらしい。このままでは世界のパワーバランスが崩れてしまう。そこで、本来なら宿敵同士であるアメリカのCIAとソ連のKGBがタッグを組み、「共通の敵」であるヴィンチグエラからテラー博士と研究データを奪回することを計画。ソロが上司サンダース(ジャレッド・ハリス)から紹介されたミッション遂行の相棒は、彼とギャビーの東ベルリン脱出を邪魔しようとしたKGBスパイ、イリヤ・クリヤキン(アーミー・ハマー)だった。 クリヤキンとギャビーがソ連の建築家とその妻、ソロがアメリカの古美術品ディーラーに扮してローマへ向かうことに。ヴィンチグエラの創立50周年記念パーティへ潜入した彼らは、そこで社長夫妻アレクサンダー(ルカ・カルヴァーニ)とヴィクトリア(エリザベス・デビッキ)、同社の幹部であるギャビーの伯父ルディ(シルヴェスター・グロート)と接触する。クリヤキンとギャビーはルカを通して、ソロは組織の実権を握る美しき悪女ヴィクトリアを通して、テラー博士と核兵器開発の情報を得ようとするのだが、ある人物の裏切りによって正体がバレてしまう。そこへ助けに現れた自称石油会社役員アレキサンダー・ウェイバリー(ヒュー・グラント)の正体とは?果たして、ソロとクリヤキンはヴィンチグエラの野望を打ち砕くことが出来るのか…!? 軟派なナポレオン・ソロに硬派なイリヤ・クリヤキンというテレビ版の基本設定はそのままに、それぞれ映画版独自のバックストーリーを付け加えることでキャラクターを膨らませた本作。実はお金持ちのボンボンだったソロは、第二次大戦時に米陸軍の軍曹としてヨーロッパ戦線へ加わり、そこで培った知識と人脈を活かして美術品泥棒を繰り返していたが逮捕され、無罪放免と引き換えにCIAスパイとして当局に協力することとなった。さながらテレビ『ホワイトカラー』(‘09~’14)の天才詐欺師ニール・キャフリーである。そういえば、演じるヘンリー・カヴィルもマット・ボマーとなんとなく似ている。一方のクリヤキンはスターリンの腹心だった最愛の父親が汚職で粛清されたという暗い過去を持ち、そのトラウマのせいで暴力衝動を抱えているという設定。テレビ版のクリヤキンはクールで真面目な人物だったが、映画版ではマッチョな男臭さが加味され、ソロとの差別化が明確に図られている。それは2人の見た目の印象も同様。ブランド物の高級スーツで全身を固めたお洒落なソロに対し、クリヤキンの服装はシンプルかつカジュアルで無骨。それすなわち、米ソのステレオタイプ的な男性像のカリカチュアとも言えよう。 やはり本作で最も目を引くのは、’60年代のヨーロッパの街並みや風俗・ファッションを細部まで丹念に再現した華やかなビジュアルであろう。過去の時代の忠実な再現はハリウッド映画の最も得意とするところだが、本作はその中でも別格の仕上がり。イタリアのロケ・シーンではフェリーニの『甘い生活』(’60)を参考にしたそうだが、第二次世界大戦終結から20年近くを経て高度経済成長を達成したヨーロッパの豊かさと活気がスクリーンの隅々に漲っている。女優陣のゴージャスでモダンなファッションやメイクも鮮やかだ。ナポリの倉庫で発見したものを修繕したというヴァルトブルクをはじめ、’60年代当時のクラシックカーも大挙して登場。厳密に言うと時代考証的なツッコミどころは少なくないものの、あくまでも「我々がイメージする’60年代の再現」としては申し分のない完成度である。 興味深いのは、全体的な印象として『0011ナポレオン・ソロ』というよりも、ジェームズ・ボンド映画に影響された『サイレンサー』シリーズや『ディック・マロイ』シリーズなどの亜流スパイ映画のノリに近いという点であろう。大のスパイ映画マニアだというガイ・リッチー監督だけあって、当時のお洒落で荒唐無稽で楽しい大人向けB級スパイ映画の魅力を知り尽くしているように見受けられる。ジャズからR&B、カンツォーネに至るまで懐メロ満載のBGMも最高。ペッピーノ・ガリアルディの『ガラスの部屋』なんか、’67年のヒット曲なので時代設定は間違っているものの、使い方が実に巧いので許せてしまう。エンニオ・モリコーネやステルヴィオ・チプリアーニのマカロニサウンドの使用はタランティーノっぽいセンスだし、そうした古典的なサウンドと混在しても全く違和感のない、ダニエル・ペンバートンによるグルーヴィでスウィンギンなオリジナル・スコアもカッコいい。60’sカルチャーのマニアとしては大満足の一本である。■ 『コードネーム U.N.C.L.E.』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2021.08.31
ジャームッシュの日本御目見え『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、“事件”だった!
「『ザンパラ』観た?」 1986年、大学2年の春。所属していた大学映研の部室で、合言葉のようになっていた。『ザンパラ』とは、本作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)の略称。もう35年も前の話だが、現在文芸や映画評論の世界で活躍する諸先輩が、そうした熱をリードしていた記憶がある。 確かに本作は、“事件”だった。今や吉本興業のコヤと化した、有楽町のスバル座で単館公開されるや、社会現象となり、若者たちが話題にする作品となった。 その年の「キネマ旬報」ベストテンを見ても、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』(85)や、『蜘蛛女のキス』(85)を抑えて、“第1位”に。これは批評家など専門家が選んだものだが、読者選出、即ち映画ファンが選んだベストテンでも、ジェームズ・キャメロンの『エイリアン2』(86)やスピルバーグの『カラーパープル』(85)など、拡大公開されたヒット作に続いて、“第4位”にランクインしている。 さて私は『ザンパラ』にどう相対したかと言うと、その年の春は諸々事情があって、ろくに映画館に足を運べない状況。夏が近くなってスバル座での公開が終わり、国電有楽町駅を挟んで反対側の、有楽シネマという、やはり今はなき映画館へとムーブオーバーした頃、ようやく観るタイミングが訪れた。 ところがまさにその時、愛知に住む母方の祖父が重篤との報。急遽その入院先に向ったため、初公開時は遂に見逃してしまった。 結局『ザンパラ』との邂逅は、かなり後年になってから。その時私が思ったのは、『ザンパラ』は、製作時に30代はじめだった監督の、まさに「若さの勝利」だったということ。そしてやっぱり、自分が学生だったあの頃に、「時代の空気」と共に観ることこそ、「最高」だったに違いないと、口惜しい気持ちにもなった。 個人的な想い出は、このぐらいにしよう。『ザンパラ』の、3部構成から成る内容を紹介する。 *** <The New World> ハンガリー出身で、ニューヨークに住んで10年のウィリー。16歳の従妹エヴァが、ブダペストからやって来るのを、10日間ほど預かることになる。 エディという友人と、競馬やバクチで生活を立てているウィリー。エヴァが色々尋ねても、迷惑そうに受け答えする。しかし日が経ち、2人は段々と打ち解けてくる。 そしてエヴァが、クリーブランドに住むおばの元へと、出発する日が来た…。 <One Year Later> 1年後、ウィリーとエディは、いかさまバクチで儲けた金で、旅に出る。行き先は、エヴァの住むクリーブランド。 予告なしに、エヴァが暮らす、ロッテおばさんの家を訪れてから、エヴァの勤めるホットドッグスタンドへと迎えに行く。 エヴァとそのボーイフレンドと一緒にカンフー映画を観たり、ロッテおばさんとトランプをしたり、雪が降る日に何も見えない湖に行ったり。 数日間を過ごした2人は、ニューヨークに帰ることにしたが…。 <Paradise> 金がまだ残っていることに気付いたウィリーとエディは、エヴァを誘って、常夏のフロリダに向かう。 安モーテルに3人で泊まったが、男2人はいきなり、ドッグレースで有り金ほとんどを失う。しかし懲りずに、競馬で取り返すため、出掛けていく。 放っておかれたエヴァは、土産物屋で買ったストローハットをかぶり海辺へ。そこで麻薬の売人と勘違いされ、大金を渡される。 競馬に勝って帰ってきた男2人は、エヴァの置手紙を見て、空港に急ぐ。ハンガリーに帰ってしまおうかと考えたエヴァを、ウィリーは引き留めようとするが…。 *** 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』というタイトルには、「これが本当にパラダイス?」という皮肉がこめられている。初公開時の劇場用プログラムで、そう指摘しているのは、川本三郎氏。 同じプログラムには、「みなさまからハガキをいただきました」という形で、感想や推薦コメントが掲載されている。今のような“大作家”になる以前の村上春樹のコメントは、~とても面白い映画で、知人にも勧めております。ゴダールをもっとポップにした感じだけど、嫌み・臭みがないのが良かったです~というもの。 他に坂本龍一や評論家の浅田彰などのコメントが並ぶ中で、最も的を射ているように思えるのが、コラムニストの中野翠のコメント。~好意のかみ合わない3人。めぐり会わない3人。性の匂いのない3人。あらゆる否定形の中をさすらうところに「青春」をみつけ、描き出してしまったこの監督のセンスに驚く。「ない」ということをドラマにしてしまうとは!~ 本作監督のジム・ジャームッシュは、1953年生まれ。オハイオ州出身で、71年にニューヨークのコロンビア大学文学部へ入学し、作家を目指した。 大学の最終学年にパリに留学し、そこで映画にハマる。シネマテークへと通い、古今東西の作品を浴びるように観る半年間を送ったのである。 帰国後も執筆活動を続けた彼だが、書くものが、視覚的・映画的になっていることに気付く。75年には、ニューヨーク大学の映画学科に入学。本格的に映画を学び始める。 しかし課程の途中で、授業料を払う金がなくなった。ジャームッシュは中退して、学外で映画を作ろうと決心。講師の元に報告しに行くと、そこにたまたま映画監督のニコラス・レイが居た。 レイは、『大砂塵』(54)や『理由なき反抗』(55)などで知られ、ヌーヴェルヴァーグの監督たちからもリスペクトされる存在で、ニューヨーク大学では教壇に立っていた。ジャームッシュとはその時が初対面だったが、すぐに意気投合。レイの教務アシタントを務めることになったジャームッシュは、大学をやめずにすんだ。 やがてジャームッシュは、最晩年のレイの姿を捉えたドキュメンタリー映画『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(80)の手伝いをすることになる。そしてその監督を務めた“ニュージャーマンシネマ”の雄、ヴィム・ヴェンダースと出会う。 79年に恩師のレイが亡くなると、ジャームッシュは監督第1作となる、『パーマネント・ヴァケーション』(80)を撮る。この作品はヴェンダースの会社などがヨーロッパで配給し、アート系作品として話題になるも、本国では注目されることなく終わった。『ザンパラ』を撮り始めたきっかけも、やはりヴェンダース。監督作品『ことの次第』(82)で余ったフィルム、いわゆる端尺を提供し、短編映画を撮るよう促したのである。 ヴェンダースがジャームッシュに贈ったのは、高感度のモノクロフィルムで、尺は40分程度。これで10分弱ぐらいの短編が出来れば良いと、ヴェンダースは考えていたが、ジャームッシュは何と30分の作品を完成させる。それが3部構成の本作第1部に当たる、<The New World>である。 まずは友人のミュージシャンであるジョン・ルーリーと共に、ストーリーを作る。当初は男2人が、登場する物語だった。 その後ジャームッシュは、移民のアヴァンギャルド劇団のメンバーで、ハンガリーから来たエスター・バリントに出会う。そして彼女にも、自作に出演してもらいたいと考えた。 ジャームッシュは、ルーリーと作ったキャラは、そのまま彼に演じてもらうウィリーに生かし、その従妹のエヴァが登場する話に書き直した。そしてバリントに、この役を演じてもらった。 ウィリーの友人エディ―役には、ミュージシャンのリチャード・エドソンを当てた。エドソンは、ルーリーの友人だった。 即ち本作は、ストーリーを書いた時点で、誰がどの役を演じるのかが、決まっていた。キャストの3人は皆、ジャームッシュがよく知っている者たち。長い時間を一緒に過ごしており、どうコミュニケーションすれば良いか、延いてはどう演出すれば良いかも、わかっていた。 ジャームッシュ曰く、~もし俳優がひとりでも変われば、ストーリーもちがってくる~。本作以降の作品でも彼は、自分の知っている人物を当てはめないと、役柄を書くことが出来ないという。またリハーサルまでは、脚本は単なるスケッチ。出発点はあくまでも登場人物で、ストーリーはその後に来るとも語っている。 例えば監督第3作の『ダウン・バイ・ロー』(86)でも、ジョン・ルーリーはもちろん、トム・ウェイツにも、それまでに築いた関係を通じて、作り上げたキャラを演じてもらっている。『ミステリー・トレイン』(89)の日本人カップルが登場するパートも、日本映画の『逆噴射家族』(84)などを観て、工藤夕貴を念頭に置いて脚本を書いた。 フォレスト・ウィテカーのためには、『ゴースト・ドッグ』(99)、ビル・マーレイを想定しては、『ブロークン・フラワーズ』(05)と、それぞれ俳優ありきで、作品を作る。 11の作品からなるオムニバス映画『コーヒー&シガレッツ』(03)では、各エピソードに出てもらいたい俳優の組み合わせを考えて、オファー。OKが出たら、スクリプトを書くという作業を繰り返した。 話を<The New World>に戻すと、ヴェンダースの端尺をベースに、製作費8,000ドルで撮ったこの作品は、新人監督の登龍門として名高い、「ロッテルダム国際映画祭」などで評判になった。 そこで、この作品を第1部として、3部構成の1本の作品に仕立てる構想が発動。しかし無名のインディーズ監督の作品に、そう簡単に製作費は集まらない。 助け舟を出したのは、ロジャー・コーマン門下で、『デス・レース2000年』(75)などを監督した、ポール・バーテル。ジャームッシュの脚本に惚れ込み、資金提供を申し出た。 製作費12万ドルで完成した本作は、84年の「第37回カンヌ国際映画祭」で、カメラ・ドール=新人監督賞を受賞。それに止まらず、「全米映画批評家協会賞」をも手にする。 そうした欧米での高い評価を以ての、日本上陸であった。先に紹介した、劇場用プログラム掲載の、感想や推薦コメントの中には、件の中野翠氏の的確な指摘とはまた違った意味で、興味深いコメントが並んでいるので、引用する。 ~この映画は、時間の流れに従って場面を素朴に継いでいる。しかし、映画というものの本質を実に単純明快に摑んでいて、サイレント映画の手法を活用した場面と場面の黒コマの長さも適確だし、一つ一つの場面にはチャップリンを思わせる驚く程行き届いた眼が光っている。一見、プリミティーブに見えるが、大変熟練した腕前だ…~(黒澤明) ~ブラック・アンド・ホワイトの荒涼たる風景に血の色がにじみだす。一人の作家が一生に一度しか撮れない「青春映画」に特有の、あの限りなく優しく悲しい血の色が。~(大島渚) ~とても感心しました。三人の貧しい若者たちに熱い熱情のまなざしをなげかけながら、自由への憧れをせつせつと謳った作品。…~(山田洋次) 黒澤、大島、山田と、日本映画界をリードしてきた面々のコメントは、作り手達がジャームッシュの登場を、当時どう見たかという証言として見逃せない。その上で各々のコメントに、それぞれの“作家性”まで滲み出ている点が、趣深くもある。 さて『ザンパラ』で、赫赫たる成果を上げたジャームッシュには、青春映画からTVの刑事ドラマまで、監督のオファーが届くようになった。しかし本人が、「キャスティングと編集をコントロールできない映画は作らない」「雇われ監督になることに興味はない」という強い意志で、それらを退けた。 処女作から40余年。ヨーロッパや日本などからも製作資金を得ながら、ほぼインディーズ一筋で撮り続けたジャームッシュ。監督作は10数本とはいえ、そのすべてが日本公開されているというのは、なかなかスゴいことである。 しかも現在のところの最新作『デッド・ドント・ダイ』(19)に、ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントンから、イギー・ポップ、セレーナ・ゴメス等々のキャストが集まったことでもわかるように、ジャームッシュ作品は低予算ながらも、結構なスター俳優が喜んで出演するようになっている。 35年前、33歳時の鮮烈な日本デビューから歳月が流れ、ジャームッシュも、68歳。しかしある世代にとっては、彼は“青春”の象徴のままと言える…。■ 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』© 1984 Cinesthesia Productions Inc.
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COLUMN/コラム2021.08.30
ワイルダー&レモン 黄金コンビの最高傑作『アパートの鍵貸します』
アメリカ映画史に燦然と輝く、名匠ビリー・ワイルダー。彼が1940年代、パラマウント・ピクチャーズを拠点としていた頃から、温めていた企画が2つあったという。50年に映画化を実現した、『サンセット大通り』と、本作『アパートの鍵貸します』(60)だ。 ワイルダーが『アパート…』の着想を得たのは、ノエル・カワードの原作・脚本を、デヴィッド・リーンが監督したイギリス映画『逢びき』(45)を観てのことだった。元祖“不倫映画”の名作と言われるこの作品では、お互い家庭を持つ男女が、逢瀬の場として、男の友人のアパートを利用しようとする。 ワイルダーはそこから、アパートを使われてしまった、友人の男性のことに思いを馳せた。帰宅して、恋人たちが帰ったばかりで、生温かいベッドへと潜り込む。自分には恋人もいないのに…。 しかし当時のアメリカ映画の基準だと、内容が些か「不道徳」に過ぎる。いずれ舞台劇にでもと考えて、この着想は、しばしワイルダーの脳内に寝かされることになる。 そしてやって来た50年代、ワイルダーは黄金時代を迎える。先に挙げた『サンセット大通り』を皮切りに、『地獄の英雄』(51)『第十七捕虜収容所』(53)『麗しのサブリナ』(54)『七年目の浮気』(55)『翼よ! あれが巴里の灯だ』(57)『昼下りの情事』(57)『情婦』(58)『お熱いのがお好き』(59)と、ほぼ1年に1本ペースで、新作を発表。社会派作品から、サスペンス、ラブストーリー、実話もの、そしてコメディまで、ジャンルは幅広く、しかもそのいずれもが、今日では「クラシック」として讃えられる作品ばかり。 1906年生まれ。50代中盤を迎えようとしていた頃のワイルダーは、まさに円熟期と言えた。 『お熱いのがお好き』(59)を撮り終えた後、ワイルダーは、『お熱い…』で初めて起用したジャック・レモンの主演で、もう1本撮りたいと考えた。そして、『昼下りの情事』以降コンビを組むようになった、脚本家のI.A.L.ダイアモンドと頭をひねっていると、件の不倫カップルにアパートを貸す男のことを思い起こした。 かつては、映画にするには「不道徳」と思われた内容だったが、60年代に入る頃には、検閲も緩和されていた。時を経て、製作できる状況になっていたのである。 主人公の役柄と状況は、ワイルダーが温めていた通りでイケる。ではストーリーは、どうするか? ヒントになったのは、1951年にハリウッドで起こった、スキャンダラスな事件だった。後に『エアポート』シリーズなどのプロデューサーとして活躍するが、当時は俳優のエージェントだったジェイニングス・ラングが、依頼主である女優のジョーン・ベネットと浮気。それを知った、ベネットの夫で著名なプロデューサーのウォルター・ウェンジャーが、ラングを銃で撃ったのである。 この時ラングは、部下のアパートを利用して浮気をしていた。ここから、映画の中の人間関係が決まった。大会社に勤める平社員が、上司にアパートを利用されるという構図だ。 このようにして話がまとまると、ワイルダーは、ジャック・レモン、プロデューサーのウォルター・ミリッシュ、製作会社のユナイテッド・アーティスツに提案。映画化の運びとなった。 *** ニューヨークの保険会社に勤めるバド(演:ジャック・レモン)は、4人の部長が愛人と密会するための場として、自分のアパートを提供していた。そして彼らの口添えで、昇進を手にする目前となった。 ところが、人事を握るシェルドレイクに呼び出され、そのカラクリがバレてしまう。ピンチと思いきや、シェルドレイクも、バドのアパートを使いたいという。それと引き換えに、遂にバドは課長補佐へと昇進する。 出世したバドは、以前から思いを寄せていたエレベーター係のフラン(演:シャーリー・マクレーン)にモーションをかける。しかし彼女こそが、シェルドレイクの密会の相手であった。 クリスマス・イブ、それに気付いてやけ酒を煽ったバドがアパートへと帰ると、睡眠薬で自殺を図ったフランが、倒れていた。シェルドレイクが、一向に妻と別れようとしない上に、今までに数多の女性と関係を持っていたことを知って、絶望してしまったのだ。 隣室の医師の助けで、バドはフランの命を救い、懸命に介抱する。そしてシェルドレイクに、フランは自分が引き受けると、宣言することを決意するが…。 *** 先に言及した通り、ジャック・レモンありきで、ワイルダーは本作の企画を進めた。レモンのことは、そのキャリアのはじめの頃から注目しており、『ミスタア・ロバーツ』(55)で彼がアカデミー賞助演男優賞を得た演技に関しては、「腹の皮がよじれるほど滑稽だった」などと評している。 念願叶って、『お熱いのがお好き』(59)に起用。この作品でレモンは、マフィアによる虐殺事件を目撃してしまったため、女装して逃避行する楽団員を演じた。それ以降レモンは、ワイルダーのお気に入り俳優No.1となり、2人のコンビ作は、トータルで7本にも及んだ。「彼のやることには何事によらず才能のきらめきが見られた」というワイルダー。例えば午前9時に撮影開始なら、8時15分にはスタジオ入りするような、レモンの振舞いも、高く評価した。 レモンはよく、ワイルダーのオフィスに「ねえ、すばらしいアイディアがあるんだ」と訪ねてきた。そしてしばらく話をした後、ワイルダーがからかうような目つきを返すと、「…わたしも気に入ってたわけじゃないんだ」と言って帰っていったという。 フランを演じたシャーリー・マクレーンは、本作と『あなただけ今晩は』(63)で、ワイルダー&レモンとトリオを組んでいるが、本作に関しては、当初不安を抱えていた。セットにワイルダーの妻が訪問した時、「ビリーはこれがいい映画になるってほんとうに思っているの?」などと尋ねたという。 結果的に彼女のキャリアの中でも、代表作と言える2本をプレゼントしてくれたワイルダーのことを、「…わたしの人生でとても重要な人物…」と言うが、同時にジャック・レモンに対して、強い羨望の念を抱かざるを得なかった。ワイルダーが「…ジャックに注目するのとおなじようには、わたしに注目してくれなかった」からである。「…仕事の面ではビリーは、ジャック・レモンに首っ丈。惚れこんでいたわ。わたしがセリフや演技についてアイディアを出しても、あまり聞きたがらなかったの。彼の注意を引くことができなかったー…」「ジャックといっしょのシーンでは、いつもいい演技をしなければならないとわかっていた。ビリーは、ジャックの出来がいちばんいいテイクを選ぶんですもの…」 シェルドレイク役には、当初ポール・ダグラスが決まっていた。しかし撮影開始2日前に、心臓発作で急逝。そこで白羽の矢を立てたのが、フレッド・マクマレーだった。 しかしマクマレーは、二の足を踏んだ。ディズニーと契約中で、ファミリー・ピクチャーに出演することになっていたからだ。それなのに、浮気者の中年男の役なんて…。 マクマレーはワイルダー作品では、『深夜の告白』(44)の出演をオファーされた際にも、躊躇したことがある。その頃の彼は、コメディに数多く出演。サスペンス映画で“殺人者”の役などは、荷が重いと感じたのである。 結局『深夜の…』の時と同様、マクマレーは『アパート…』にも出演することを決めた。こうして彼のキャリアの中では、ワイルダー監督作は、異色の2本となった。 巧みなストーリーテリングやキャラクターの造形に、舌を巻く本作。同時に、美術や小道具の使い方にも、注目していただきたい。 まずはバドが勤める、見るも巨大で奥行きのあるオフィス。美術監督アレクサンドル・トロ―ネルが、遠近法を駆使して作り上げたものである。 こちらのオフィスのセットは、実は奥へ行くにつれて、机や椅子が小さくなっていく。そして配置されたエキストラも、どんどん小柄になっていく。更にその奥では、小さな子どもに、大人の服装をさせた。更に更に奥には、最小限のサイズの机と、紙に描いて切り抜いた人形を用意した。 本作の小道具として、あまりにも有名なのは、コンパクト。開けると、ひび割れた鏡が出てくる。このコンパクトによって、主人公はそれまで気付かなかった事実を知る。セリフによる説明を省略する役割を果たすわけだが、具体的にどのように機能しているかは、本編を見てのお楽しみとしたい。 コメディ・リリーフ的な役割を果たすのは、バドのキッチンに置かれたテニスラケット。バドがスパゲッティをゆでる際、ざるの代わりに湯を切るのに使う。このテニスラケットが、独身男であるバドのキャラを表すと同時に、演じるレモンの軽妙な振舞いを引き出す。 テニスラケットのアイディアは自分が出したと、ワイルダーは主張している。しかし相方のダイアモンド曰く、「…ビリーはグルメだから、あのジョークが好きじゃないんだ。彼がいやな顔をしたのを憶えているよ…」 さてダイアモンドの回想から、もう一点印象深い話を引用する。本作を撮り終えて、4カ月ほど経った頃の話である。バーで飲んでいた時に、ワイルダーが突然叫んだ。「あの映画をどうすべきだったかわかったぞ!レモンをなんらかの障害者にすべきだったんだ。そうすれば、もっと同情できる登場人物になっていただろう」 しかし後年になると、ワイルダーは本作のことを、「もう一度やり直したいと思わない数少ない映画の一本…」と言うようになる。 本作は初公開時に、興行的にも批評的にも、大成功を収めた。ジャック・レモンの演技を、「チャップリンの再来!」と絶賛した新聞評も出た。 アカデミー賞では10部門にノミネートされて、5部門で受賞。プロデューサーも兼ねていたワイルダーは、作品賞、監督賞、脚本賞と、1本の作品で3本ものオスカーを得た、史上初の映画人となった。 その時プレゼンターだった劇作家のモス・ハートは、ワイルダーにオスカーを授与する際、こんな耳打ちをしたという。「ここらがやめどきだよ」。 確かに『アパート…』のような傑作を放ってしまうと、同じレベルを維持していくのは、困難である。この後60~70年代に掛けても、水準以上の作品を送り出し続けたワイルダーだったが、振り返ってみれば、確かに本作がピークであった。 それ故に、「もう一度やり直したいと思わない数少ない映画の一本…」と、後に語るようになったのかも知れない。 さて最後に、この作品の有名なラストシーンに関わることに触れたい。本作未見の方は、この後の文は、読むのを後回しにしてもらった方が良いかも知れない。 シェルドレイクの元を去り、バドのアパートへと向かうフラン。部屋のそばまで来ると、銃声のような音が鳴り響く。バドが以前にピストル自殺を図ったことがあると聞いていたフランは、大慌てで部屋のドアをノック。バドがシャンパンの蓋を開けただけとわかって、ホッとする。 フランは部屋に入ると、以前にケリがつかなかったトランプのゲームをやろうと誘う。愛の告白をしようとするバドを遮って、「黙って札を配ってよ」で、“THE END”である。 さてこのラストシーンについて、「めでたしめでたし」なのかと、よく問われたワイルダーは、そうではないと考えていた。2人は似合いのカップルではない上、バドは失業中で、フランもこの後に職を失うのは、必至。金がなくなれば、人間関係がギスギスするし、どちらもそんなに器用なタイプではない。 ラストで2人が居るアパートにはやがて、「…“貸し室”の札がかけられるようになるんじゃないかな」というのが、“皮肉屋”のワイルダーの見解だった。 ところがそんなワイルダーが、最晩年になると、考えが変わる。「…いまではあのふたりがうまくいったと思っているよ。結婚生活は長つづきして、ふたりはもっといいアパートに入っただろう」 ワイルダーは1949年に、女優のオードリー・ヤングと結婚をする。彼にとっては2回目の結婚だったが、2002年に95歳でこの世を去るまで、彼女と連れ添った。 ワイルダーはバドとフランのその後について考えが変わった理由として、「…もしかしたらオードリーとの結婚生活のせいで、ロマンティックになったのかもしれない…」と、説明していた。■ 『アパートの鍵貸します』© 1960 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. 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COLUMN/コラム2021.08.11
2021年の今だからこそ観るべき“戦争巨篇”『遠すぎた橋』
1977年の夏休み、中1の私が公開を待ち望んでいた作品があった。それが本作『遠すぎた橋』である。 その年の春頃から、配給元が大々的にプロモーションを展開。ジョン・アディスンによる、いかにも戦争大作のテーマといった風情の勇壮なマーチも、ラジオ番組などで頻繁に耳にしていた。「史上空前の製作費90億円」「世界の14大スーパースターが結集」「すべてが超弩級。壮大な歴史を舞台にした戦争巨篇」 数々のきらびやかな惹句に、映画少年になりたての私の心はワシづかみにされた。また当時としては珍しく、B5判のチラシが3種類も作られて映画館などで配布されていたのも、本作の“超大作”感を際立たせた。 そうしたチラシなどに記された、本作で取り上げられるオペレーションの説明も、興奮を高めた。 ~〔マーケット・ガーデン作戦〕それは、連合軍、最大の、空陸大作戦。規模において、壮絶さにおいて、[ノルマンディ作戦]を遥かに凌ぐという。その厖大な史実が、いま白日のもとに~ [ノルマンディ作戦]と言えば、映画ファン的には、『史上最大の作戦』(62)である。あれを凌ぐとは、どれほどのものなのだろうか? 日本版のチラシやポスターでは、「14大スター」の中でも強く押し出されていたのが、ロバート・レッドフォード。『明日に向って撃て!』(69)でスターダムにのし上がって以降、70年代は『追憶』(73)『スティング』(73)『大統領の陰謀』(76)等々の話題作に次々と出演し、押しも押されぬ大スターとして、日本でも絶大な人気を誇っていた。 さて7月に公開されると、本作はその夏の映画興行では本命作品だった、『エクソシスト2』や『ザ・ディープ』などを上回る成績を上げた。配給収入にして、19億9000万円。興収に直せば40億円前後という辺りで、文句なしの大ヒットであった。 しかし私を含め、当時実際にスクリーンで本作に対峙した者たちは、一様に同じような違和感を抱いた。何か、思っていた戦争映画とは、違う…。 *** 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。ノルマンディ上陸作戦の成功で、連合軍の優勢へと、戦況は大きく傾いた。その3か月後の1944年9月、イギリスの最高司令官モントゴメリー元帥が中心になって、ドイツが占領するオランダを舞台にした、「マーケット・ガーデン作戦」の実行を決定する。 それは5,000機の戦闘機、爆撃機、輸送機、2,500機のグライダー、戦車はじめ2万の車輛、30個の部隊、12万の兵士を動員するという、史上空前の大作戦。ネーデル・ライン川にかかるアーンエム橋を突破して、一気にヒトラー率いるドイツの首都ベルリンまでの進撃路を切り開こうという目的だった。 モントゴメリーの命を受けた、イギリスのブラウニング中将から作戦の説明を受けた、連合軍の司令官たちは、戸惑いの表情を見せる。歴戦の勇士である彼らには、その作戦が無謀で危険なものであることが、わかったのである。 レジスタンスと連携して得た情報から、この作戦に疑義を示す声などももたらされた。しかしそれは無視され、作戦は決行される。 9月17日の日曜日、巨大な編成の輸送機が空を埋め尽くし、夥しい数の落下傘が、アーンエム近郊に降下。ベルギーからは無数の戦車が列をなして、アーンエムへと北上していく。「マーケット・ガーデン作戦」が、遂に始まったが…。 *** 先に記した通り本作は間違いなく、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線での、連合軍最大の空陸大作戦を描き、その厖大な史実を白日のもとに晒す内容であった。しかしそれは失敗した作戦、即ち連合軍の“負け戦”を描いたものだったのだ。 原題「A BRIDGE TOO FAR」をほぼ直訳した邦題である、『遠すぎた橋』。これは作戦が目標としたアーンエム橋が、連合軍にとっては「遠すぎた」という、かなりストレートに、本作の内容を表している。 勇猛果敢な兵士たちの活躍を描くような、スポーティなノリの戦争映画を期待していると、もろにハズされる。プロモーションにある意味騙されて映画館に足を運んだ我々は、完全にそんな感じだった 大々的に“主演”と謳われていた、レッドフォードにも吃驚させられた。175分という上映時間の中で、作戦を決行する見せ場ではあったものの、彼が実際に登場するのは、たった十数分間だけだったのだ。 レッドフォードのギャラが「6億円」であるのをはじめ、14大スターの高額ギャラも話題だった本作。製作費90億円で3時間近い長尺であることが、「高すぎた橋」「長すぎた橋」などと、やがて揶揄の対象にもなっていった。 中1の自分にとっては、「期待はずれの戦争大作」だった『遠すぎた橋』。しかしそれから44年経った今年=2021年の夏に、久々に鑑賞すると、別の感慨が湧き上がってきた。その詳しい内容は後に回して、先に本作の成り立ちについて、記したい。 「90億円」を調達して本作を実現したプロデューサーは、ジョゼフ・E・レヴィン。映画業界に於いて大々的な宣伝手法を確立した人物であり、『卒業』(67)や『冬のライオン』(68)などで知られる、アメリカ人プロデューサーである。 本作の監督リチャード・アッテンボローによると、彼の初監督作である『素晴らしき戦争』(69)を、レヴィンがわざわざロンドンまで観に来て激賞したことから、縁が出来た。そしてレヴィンは、「史上最大の作戦」の原作や「ヒトラー最後の戦闘」など、第2次世界大戦の戦史に関する作品で知られるジャーナリスト、コーネリアス・ライアンが1974年に上梓した「遥かなる橋」を映画化するに当たって、アッテンボローに白羽の矢を立てる。「マーケット・ガーデン作戦」について行った膨大な取材をまとめ、邦訳にして上下巻合わせて600頁近くに上る「遥かなる橋」を読んだアッテンボローは、そのスケールが大きすぎるため、まずこんな疑問を抱いたという。本当に映画化できるのか? 作戦の詳細が複雑すぎるのも、悩ましかった。上空から地上、東から西へと、作戦の舞台が頻繁に変わっていく。観客にわかるように作るには、どうすれば良いのか? そこで思い付いたのは、シーンと登場人物を結び付けることだった。例えば橋を陥落するための決死の渡河作戦のシーンの主人公は、レッドフォードが演じるクック少佐、敵弾に倒れた上官の命を救うために、ジープで敵陣を突破するシーンは、ジェームズ・カーンのドーハン軍曹といった具合に。そうすることで観客は、登場人物と共にその場面を即座に思い出すことが可能になり、話の展開を理解できるようになるというわけだ。 因みに本作の脚本は、ウィリアム・ゴールドマン。『明日に向って撃て!』と『大統領の陰謀』で、2度アカデミー賞を受賞している彼は、本作執筆に当たって、まずは原作のエピソードを、アメリカ、イギリス、ドイツと国別に分類して整理。小さな紙きれを用意して、関係各国の状況や出来事を、事細かに書き込んでいった。 そうした上で、ここはジーン・ハックマン演じる、ポーランドのソサボフスキー中将の出番だなとなったら、ポーランドの欄に目をやり、使う話を選ぶ。そうやって、史実に基づいた内容を盛り込んでいった。 ゴールドマンはこの作業を繰り返して、膨大な原作を解体・再構成。脚本を書き上げたのである。 因みにシーンと登場人物を結び付けて観客に理解させるためにも不可欠だった、大スターたちの出演交渉は、主にアッテンボローの担当だったという。大金を持って、何人ものスターの元を訪れた。脚本家のゴールドマン言うところの「爆撃」を以て、ショーン・コネリーやマイケル・ケイン、ダーク・ボガート等々を、次々と陥落した。 しかしアッテンボローは、俳優として『大脱走』(63)『砲艦サンパブロ』(66)で共演し、親しくしていたスティーヴ・マックィーンの出演交渉には、失敗。彼がギャラを「9億円」要求したため、折り合いがつかなかったと言われる。結局マックィーンの代わりに出演が決まったのは、「6億円」のレッドフォードだった…。 撮影現場にリアリティーをもたらすためには、アッテンボローは、演技ではない“本物”が必要と考えた。そこで彼は、100名のイギリス人若手俳優たちに、クランクイン前の数週間、訓練を施すことにした。 それは、お茶の飲み方から銃器の取り扱いまで、兵士らしい立ち居振る舞いができるようにする特訓。「アッテンボローの私有軍隊」と謳われた、この若手俳優たちが撮影現場に居ることで、スタッフから大スターたちまで、「ヘタなマネはできない」という、良い緊張感が生み出されたという。 実際に「マーケット・ガーデン作戦」に参加して、本作にも実名で登場する英米の司令官や指揮官を、テクニカル・アドバイザーとして現場に招いた。これもまた、戦場や軍のリアリティーを強めるのに、寄与した。 戦場を再現するための、CGなき時代の大物量作戦も凄まじい。ヨーロッパ各国の軍隊や博物館、美術館からコレクターまで協力を得て、大量の戦車や軍用機を調達。使用した火薬量は、19,250㎏にも及んだという。 圧巻なのは、オランダ陸軍空挺部隊の協力を得て撮影された、大規模な空挺降下のシーン。風の影響などもあって、想定通りには進まないこのシーンを撮るためには、19台のカメラが用意された。その際に活躍したのは、ドキュメンタリーのカメラマンたち。何が起こっても即応し、フィルムに収められる者を集めたのである。 光学合成などの後処理が行われた部分はあるものの、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)で、戦争映画の描写が決定的に変わってしまうよりも、21年も前の作品。当時としては、考え得る限りのリアリティーを求める試みが、為されたと言える。 それだけの巨額と物量を投じて、アッテンボローは自覚的に「反戦映画」として、『遠すぎた橋』を作っている。ヒトラーの殲滅という大義はあろうとも、「戦争は、最低の最終手段」であり、「いかなる理由や目的があっても、武力行使は人間としての良識を欠いた、自尊心を否定する行為」という主張なのである。 そして本作はまた、アッテンボロー版の「失敗の本質」とも言える。本作に於いては、作戦の実行者であり責任者として描かれるのは、ダーク・ボガート演じるフレデリック・ブラウニング中将。彼は作戦を決行する上で、都合の悪いデータは見なかったことにして、その報告者は左遷してしまう。作戦の明らかな失敗を受けても、「われわれは遠すぎた橋に行っただけだ」と嘯くのみだ。 この辺りのブラウニング中将の描き方は、その家族や関係者から、抗議を受けたり、不快感を示されたりもしたという。しかしアッテンボローは、徹底したリサーチの上で、自分たちの判断を示したと、揺るがなかった。 実際のところで言えば、「マーケット・ガーデン作戦」の発案者且つ最高責任者は、先に記した通り、イギリスのモントゴメリー元帥。映画の製作中はまだ存命であったために、このような描写になったとも言われる。本作には俳優が演じるモントゴメリーは、登場しない。 因みにモントゴメリーはその著書で、「マーケット・ガーデン作戦」を次のように回顧している。「…オランダの大部分を開放し、それにつづくラインランドの戦闘で成功を収める飛び石の役割を果たしたのである。これらの戦果を収めることができなかったら、一九四五年三月に強力な軍をライン河を越えて進めることはできなかったであろう…」 その上で彼は作戦を、「90%は成功」と強弁したとされる。 中1で『遠すぎた橋』を鑑賞した時は、後に非暴力主義の偉人を描いた『ガンジー』(82)や、南アフリカでのアパルトヘイトを告発する『遠い夜明け』(87)を製作・監督することになるアッテンボローの本意を、読み取ることが出来なかった。しかし時を経て次第に、彼が描きたかったものに思いを致せるようになっていくと、本作を観る目も変わっていった。 そしてこの夏、新型コロナ禍の中で「TOKYO2020」なるイベントの強行を、私は目にすることとなった。『遠すぎた橋』に於ける、「都合の悪い情報は無視」「部下たちに忖度させる」「責任は決して取ろうとしない」指揮官の姿は、更に趣深く映るようになったのである。■
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COLUMN/コラム2021.08.11
ピーター・ジャクソンが製作を手掛けたスチームパンクなアドベンチャー大作『移動都市/モータル・エンジン』
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ホビット』シリーズの製作チームが再集結したスチームパンク系のファンタジー・アドベンチャーである。原作はイギリスのSF作家&イラストレーターのフィリップ・リーヴが発表した小説「移動都市」4部作の第1弾『移動都市』。荒野を移動する巨大都市が小さな都市を捕食し、さらに巨大化していくという独創的なコンセプトのもと、争いに明け暮れる弱肉強食の世界で自由と共存を求める反逆者たちの物語を描く。 人物関係や設定が複雑に入り組んだ作品ゆえ、本稿ではなるべく全体像が掴みやすくなるよう、背景を含めたストーリーをかみ砕きながら説明していこう。なお、一部ネタバレが含まれているため、なるべく本編鑑賞後にお読み頂きたい。 巨大移動都市が荒野を駆け巡る西方捕食時代の物語 舞台は遠い未来のこと。高度に発達した人類の文明は、2118年に起きた「60分戦争」によって滅亡。生き残った人々の多くはノマド(放浪民)となり、エンジンと車輪を用いた都市を形成して移動するようになる。これが「偉大なる西方捕食時代」の幕開け。人類の文明はハイテクからアナログへと後退し、人々は限りある食料やエネルギーを奪い合い、弱者は狩られて強者は勢力を拡大していった。 それからおよそ1600年後、かつてヨーロッパだった広大な荒野を支配し、小さな都市を次々と捕食していくのは巨大移動都市ロンドン。彼らは捕食した都市の資源を再利用し、そこに暮らしていた人々を奴隷化することで、さらに大きく成長し続けていた。ロンドンの内部は7つの層で構成されており、階層を上がるごとに住民の生活も豊かになっていく。いわば未来の新階級制度だ。最上層では特権階級の人々が暮らし、セント・ポール大聖堂などの歴史的建造物がそびえ立ち、失われたハイテク文明(通称オールドテク)の遺物を展示する博物館も存在する。その博物館で働く歴史家見習いの青年が、最下層出身者のトム・ナッツワーシー(ロバート・シーアン)だ。 そんなある日、逃げ遅れた小さな採掘都市がロンドンに捕食される。そこに紛れ込んでいたのが、ロンドンの史学ギルド長ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)に復讐を誓う少女ヘスター・ショウ(ヘラ・ヒルマー)だ。ロンドンの人々から尊敬される博識な歴史学者で、今やロンドン市長(パトリック・マラハイド)に次ぐナンバー2の権力を持つヴァレンタインだったが、実は他人に知られてはならない裏の顔と暗い過去があった。 かつて同じ考古学者仲間のパンドラ・ショウ(カレン・ピストリアス)と深く愛し合い、小さな島で一緒に暮らしていたヴァレンタインだったが、ある時パンドラが発見した「あるもの」を巡って激しい口論となる。いずれ捕食する都市がなくなれば西方捕食時代も終わりを告げるだろう。来るべき新たな時代を切り拓くため、ヴァレンタインはその「あるもの」を必要としたのだが、しかしパンドラは彼の考え方を危険視する。激しく抵抗するパンドラを躊躇せず殺害し、「あるもの」を強引に奪い取ったヴァレンタイン。その光景を目撃したのが、当時まだ8歳だったパンドラの娘へスターだったのである。 ロンドンの最下層へ降りてきたヴァレンタインを発見したヘスターは、迷うことなく宿敵である彼に襲いかかる。ところが、たまたまその場に居合わせたトムが、尊敬するヴァレンタインを守ろうとヘスターを制止し、逃走する彼女の後を追いかける。何も事情を知らないトムに「ヴァレンタインは私の母親を殺した」と告げ、外の世界へと逃げ去るヘスター。すると、トムに秘密を知られたことに気付いたヴァレンタインは、命の恩人である若者を無情にもロンドンの外へと突き落とす。 広大な荒野に2人だけ残されたヘスターとトム。厳しい世界を生き抜いてきたヘスターは、世間知らずでお人好しなトムを最初は足手まといに感じるが、しかし実直で正義感の強い彼の人柄に心を開いていく。なにより、トムもまた幼い頃に親を失っていた。やがて、人身売買組織に捕らえられて競売にかけられる2人。そこへ救出に現れたのが、反移動都市同盟のリーダー、アナ・ファン(ジヘ)だった。 反移動都市同盟とは、「60分戦争」の後でノマドの生活を選ばなかった人々の末裔。「楯の壁」と呼ばれる巨大な防壁を守り、その向こうに広がる自然豊かな静止都市シャングオを拠点とする彼らは、自由と共存と平和の理念を掲げており、それゆえ弱肉強食と争いの象徴である巨大移動都市ロンドンに抵抗していたのだ。真っ赤な飛行船ジェニー・ハニヴァー号に乗って大空を駆け巡るリーダーのアナ・ファンは、実はヘスターの母親パンドラの古い友人だった。卓越した戦闘能力を駆使して、ヘスターとトムを救い出すアナ。すると、今度はヘスターを執拗に追いかけるストーカー(復活者)のシュライク(スティーブン・ラング)が出現する。 ストーカー(復活者)とは、何百年も前に人類が開発した人間と機械のハイブリッド。人間だった頃の記憶も感情も心臓も持たない彼らは、人間を狩り殺すことを目的に作られた。その最後の生き残りがシュライクなのだが、実は母親を殺されて行き倒れになった幼い頃のヘスターを発見し、まるで拾った人形を愛でるようにして育ったのが彼だったのだ。この世に絶望した少女時代のヘスターは、自分も手術を受けてシュライクのように記憶や感情を持たぬ機械人間になることを約束。ところが、ロンドンがすぐ近くに接近したことを知った彼女は、ヴァレンタインに復讐を果たすためシュライクとの約束を破ったのだ。これに激怒した彼は、裏切り者を抹殺するべくヘスターを追いかけてきたのである。 その頃、トムと親しかったヴァレンタインの娘キャサリン(レイラ・ジョージ)は、父親が何かを隠していることに気付き始めていた。トムの親友ベヴィス(ロナン・ラフテリー)から、父親がトムを外へ突き落したことを聞いて大きなショックを受けるキャサリン。ヴァレンタインが一部の部下たちを抱き込み、セント・ポール大聖堂の中で極秘プロジェクトを進めていることを知った彼女は、ベヴィスと共に事実を確かめるべく内部へ潜入する。そこで彼らが見たのは、かつてパンドラが発見した「あるもの」を利用して作られた巨大装置。実は、「あるもの」とはコンピューターの心臓部で、ヴァレンタインが作り上げた巨大装置の正体は、かつて人類を「60分戦争」で破滅へ追いやった量子エネルギー兵器メドゥーサだったのだ。 人類は「戦争」という過ちを再び繰り返さぬよう、ハイテク技術を捨て去ったはずだった。しかし、資源の枯渇で西方捕食時代が終わりを迎えることを予見したヴァレンタインは、「楯の壁」を破壊して静止都市シャングオを侵略するべく、メデューサを用いて戦争を仕掛けようと画策していたのだ。その頃、ヴァレンタインの計略に気付いて「楯の壁」の防御を固める反移動都市同盟とヘスター、トムたち。果たして、彼らは迫りくる戦争の危機を阻止することが出来るのか…? VFX工房WETAデジタルの底力を感じさせる圧巻のビジュアル 歴史学者が過去の歴史から学ぶことを放棄し、いわば「自国ファースト」の大義名分のもと、限りある資源を略奪するために愚かな戦争へ突き進んでいく。原作小説が出版されたのは’01年のことだが、しかし’18年製作の映画版自体は明らかにトランプ時代以降の、各地で全体主義と民族主義が台頭する世界情勢を念頭に置いているように思われる。かつてドイツのナチズムや日本の軍国主義がどんな結果を招いたのかを忘れ、世界は再び同じような過ちを繰り返そうとしているのではないか。いつの時代にも通用する戦争への警鐘を含みつつ、そうした現代社会へ対する危機感が作品の根底に流れているように感じられる。 もともと映画版の企画がスタートしたのは’05年頃のこと。しかし陣頭指揮を執るピーター・ジャクソン監督が『ホビット』三部作の制作に取り掛かったため、『移動都市』の映画化企画はいったん中断することとなってしまう。再開したのは’14年に最終章『ホビット 決戦のゆくえ』が劇場公開されてから。長年のパートナーであるフラン・ウォルシュやフィリッパ・ボウエンと脚本の執筆に着手したジャクソンは、自身の長編処女作『バッド・テイスト』(’87)からの付き合いである特殊効果マン、クリスチャン・リヴァーズに演出を任せることにする。 ジャクソン監督の『キング・コング』(’05)でアカデミー賞の視覚効果賞を獲得したリヴァーズは、その傍らで『ホビット』シリーズでは助監督を、『ピートと秘密の友達』(’16)では第2班監督を務めており、映画監督としての素地は既に出来上がっていた。そんな彼に以前から監督として独り立ちするチャンスを与えようと考えていたというジャクソンだが、しかし最大の理由は「クリスチャンが監督してくれれば、僕は観客として楽しむことが出来るから」だったそうだ(笑)。 ロケ地は多くのピーター・ジャクソン監督作品と同じく母国ニュージーランド。原作本と同じくヴィクトリア朝時代のスチームパンクをコンセプトとした美術デザインは素晴らしく、デジタルの3Dモデルとフィジカルな実物大&縮小セットを駆使して作り上げられた巨大移動都市ロンドンや空中都市エアヘイヴンなどのビジュアルも壮観!ジャクソンが設立したVFX工房WETAデジタルの底力がひしひしと感じられる。残念ながら劇場公開時は興行的に奮わなかったものの、恐らくそれは先述したような人物関係や設定の複雑さが原因だったように思う。是非とも2度、3度と繰り返しての鑑賞をお勧めする。きっとストーリー以外にも様々な発見があるはずだ。■ 『移動都市/モータル・エンジン』© 2018 MRC II Distribution Company L.P. and Universal City Studios Production LLLP. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.08.10
ジャンルを先行しすぎた不運のファンタジー『レジェンド/光と闇の伝説』
「この映画には石から引き抜いた剣も、火を吐くドラゴンも、ケルトの黄昏も存在しない。『レジェンド/光と闇の伝説』は「指輪物語」のような壮大なスケールのファンタジーではない。ニール・ジョーダンの『狼の血族』(84)のように、性欲を掻き立てるような作品だ」 ――リドリー・スコット ■ジャン・コクトーを目指す——リドリー・スコット版『美女と野獣』 人類が遭遇したことのない残酷異星生物の恐怖を描いたSFホラー『エイリアン』(79)や、退廃的な未来都市像でSF映画のイメージを一新させた『ブレードランナー』(82)など、今や古典として後世に影響を与えつづけている名編を、キャリア初期に手がけた監督リドリー・スコット。そんな彼が上記に次ぐ新作として臨んだのは、作り物ではない写実的なファンタジーへの着手だった。 「すべてのクエストファンタジーは、武器や超大国を手に入れるために、物語の主目的から逸脱するサイドクエストを持っており、それが複雑になりすぎる傾向がある」 こう監督が言及するように、長編映画4作目となる『レジェンド/光と闇の伝説』(以下:『レジェンド』)のストーリーは極めてシンプルなものだ。主人公の青年ジャック・オー・ザ・グリーンが、世界を闇で覆い尽くそうとしている帝王ダークネスのもとから、囚われの身となっている姫君リリーを救い出す冒険に出る。ドワーフやエルフ、そして妖精ら森の仲間たちと一緒に。 同作を創造するにあたり、スコットはこのベーシックな神話ロマンスを外殻としながら、当時主流だった『バンデットQ』(81)や『ダーク・クリスタル』(83)のようなポップクエストではない、バロック様式の装飾やゴシック的イメージを持つ重厚なものを目指した。これに適合するのは、監督自身が心酔していたジャン・コクトーの『美女と野獣』(46)で、スコットはコクトーのように、自ら美術や物語を総コントロールできる立場に置こうとしたのだ。そしてジャンルの代表作を目指すのではなく、おとぎ話に内在される寓話のように、ファンタジーに秘められた寓意を拡張させ、“その先にあるもの”の視覚化を標榜したのである。 そこで70年代に寓意に満ちた幻想小説を発表していたウィリアム・ヒョーツバーグに、監督は白羽の矢を立てた。二人は1973年に発表されたヒョーツバーグの小説“Symbiography”が、『ブレードランナー』のイメージソースのひとつとなっていることから接点を得ている。同小説は富裕層が他人の夢を見ながら人生を楽しむというディストピアをシニカルに描いたもので、ヒョーツバーグは誘惑に駆られて暗黒世界に堕ちるティーンの「純真さと汚れ」を性的アレゴリー(比喩)として転義させ、しっとりとエロティシズムを滲ませるなど、スコットの希求するオリジナル脚本を手がけた。 ■トム・クルーズを発見したコンセプト重視の配役 スコットは撮影に先立ち、脚本に忠実なキャスティングを考慮。加えて作品に現代的な動きを与えたいという理由から、フレッシュな人選を望んだ。主役のジャックには当時『卒業白書』(83)などのティーンムービーで頭角をあらわし、映画俳優としてスタート台に立ったばかりのトム・クルーズを起用。リリーには16歳のニューヨーカーである新人のミア・サラが選ばれた。監督はクルーズにフランソワ・トリュフォー監督の『野性の少年』(70)を鑑賞させ、野性的な身のこなしを会得するよう求め、彼は演技においてスコットの要望に精いっぱい応えている。 いっぽう本作の真の顔ともいえるダークネスには、イギリス人俳優のティム・カリーを起用。1975年の初公開以降、観客参加型のミュージカルとしてカルトな支持を得ている『ロッキー・ホラー・ショー』での、幻惑的かつ世界を見下すような瞳がオファーのポイントとなった。 また監督は『ブレードランナー』の特殊効果ショットに65mmフィルムを採用し、多重合成による画質の劣化を防いだように、本作では同様に大型フィルム規格のビスタビジョン(35mmフィルムを横に駆動させ、二倍の撮像を得る方式)を用い、俳優たちを任意のサイズに縮小して合成し、幻想をより現実的にする方法を考え出した。そのためダグラス・トランブル(『ブレードランナー』視覚効果監修)の嫡流でもあり、当時ビスタビジョン合成の追求者であったリチャード・エドランドにテスト撮影を依頼。残念ながら予算の都合で採用は叶わず、代わりにビリー・バーティやキーラン・シャー、アナベル・ランヨン、そして『ブリキの太鼓』(79)の印象的なドイツ人子役デビッド・ベネントといった小柄な俳優たちをアンサンブルキャストとして使う手段をとった(『レジェンド』の撮影フォーマットは35mm、上映プリントはアナモルフィックワイド)。 『レジェンド』の製作にあたって、ディズニーアニメのスタイルに影響を受けたスコットは、ディズニースタジオにプロジェクトを提出していた。撮影に巨額の予算を計上していたことと、加えてダークネスのイメージソースが『ファンタジア』(40)にあったことも要因のひとつである。だが物語のトーンが暗いという理由によってディズニーからは見送られ、プロデューサーであるアーノン・ミルチャンの尽力によって20世紀フォックスとユニバーサル・ピクチャーズの共同製作へと落ち着く。『ブレードランナー』に匹敵する製作費2450万ドルのリスクヘッジも兼ねた措置で、スコットの途方もない想像力を具現化するための頑強な下支えとなった。 この視覚アプローチへの徹底は、基本的なストーリーを伝えるために必要不可欠なものと第一義に考えられ、スコットとストーリーボード・アーティストのマーティン・アズベリーは411ページに及ぶ絵コンテを作成し、映像化可能な範囲をはるかに超える手の込んだタブローを量産した。またイギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムの妖精絵画を参考にしたり、ファンタジー文学の古典「指輪物語」の挿絵で知られるアラン・リーをコンセプチュアル・デザイナーの要職に置いた(ノンクレジットだが、リーはいくつかのキャラクターの初期スケッチを残している)。 撮影は米カリフォルニア州のレッドウッド国立州立公園のような森林帯でのロケを検討したが、重度のコントロールフリークでもある監督は『エイリアン』のノストロモ号船内や『ブレードランナー』のロサンゼルス市街セットなどにならい、ロンドンにあるパインウッドスタジオの巨大な007ステージを撮影のメインにした。スコットは言う、 「私は観客の誰一人として、偽物を見ていると思わせたくなかったんだ」 そのためにプロダクション・デザイナーのアシェトン・ゴートン(『欲望』(53)『フランス軍中尉の女』(82))を招き入れたことは成果として大きかった。ゴートンはサウンドステージにおける撮影の落とし穴を熟知しており、スコットは彼を『エイリアン』で起用したがっていたが、満を持してそれがかなったのだ。ゴートン以下クルーはスタジオ内に実際に流れる川や10フィートの池を備えた森を生成し、生きている木や花を備えて独自の生態系を顕現。撮影の人工感を払拭するため自然光を生み出すための緻密なライティング設計をほどこした(それが後にスタジオセットの火災を招いてしまう)。独特だったのが羽毛や綿毛の飛散する空間表現で、スコット監督は後年『キングダム・オブ・ヘブン』(05)で雪を同じように舞わせて雰囲気のある景観を作り上げているが、この意匠は本作におけるゴートンの発案がベースとなっている。 ■究極の特殊メイク映画 そしてリドリー・スコットはリアイティの観点から、マペットやメカニカル・ギミックを避け、人物に特殊メイクをほどこして様々なクリーチャーを生み出した。それを担ったのが、特殊メイクの名手ロブ・ボッティンである。 ボッティンは特殊メイクを大々的に活用した人狼ホラー『ハウリング』(81)を終えた直後、スコットが『ブレードランナー』での作業について彼に連絡し接触をはかったが、そのときすでにキャリアの代表作となる『遊星からの物体X』(82)に没頭していたボッティンは参加を断念。スコットから別のプロジェクトとして『レジェンド』の脚本を受け取ったのだ。そして特殊メイク映画のマスターピースといえる『オズの魔法使』(39)のようなメイクのキャラクターを作成するチャンスに、クリエイターとして抗うことができなかったのである(余談だが、『レジェンド』の沼地に棲む緑色の老怪物メグ(ロバート・ピカード)は、西の悪い魔女のリミックスとして『オズの魔法使』のオマージュを含んでいる)。 そしてこのテリトリーにおいてもスコットのコントロールフリークぶりは発揮され、キャラクター創造に対して非常に貪欲だったとボッティンは証言している。 「例えばダークネスの部下であるブリックス(アリス・プレイテン)は、ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズのようなイメージを想定した。するとリドリーはキースをゴブリンとしてスケッチし、それをイメージの起点として使用したんだ」 そんな彼らの精魂込めたファンタジークリーチャーの開発を抜かりないものにするよう、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83)で銀河皇帝のメイクを担当したニック・ダッドマンが、キャラクターを作成するためにイギリスに研究所を設立。本作において特殊メイクは大きな位置を占めていく。 クルーズとサラを除くすべての主要な登場人物は、毎朝ボッティンが率いる専門チームのもと、メイク室で何時間も過ごした。俳優一人に最低3人のメイクアップアーティストを要し、細かなアプライエンス(肉付け用のピース)を俳優の皮膚に何十も重ねて貼り付け、筋肉の動きに連動して細かな表情などが出るよう作り上げた。そのためメイク工程には3時間もかかり、なかでもダークネス役のティム・カリーは5時間も装着と格闘せねばならず、そのため彼はサウンドステージに到達する段階で疲労をあらわにしていた。しかし自分のメイク姿にアドレナリンを刺激され、苦痛なプロセスを忘れて演技に没頭したという。とはいえ撮影後のメイクはがしで、カリーは可溶性スピリッツガム(特殊メイク用接着剤)を溶かすために1時間以上も風呂につからされ、閉所恐怖症になってしまったという。 そんな苦労が報われ、ダークネスは同作のキービジュアルを担うキャラクターとなり、延いてはファンタジーデザインのアイコンとして引用されるほど象徴的な存在となっている。 ■『レジェンド』の遺したもの 1985年12月のイギリスを皮切りに、翌年4月にアメリカで公開された『レジェンド』は、2450万ドルの製作費に対して1500万ドルの総収益しか得ることができず、興行は惨敗に終わった。ターゲットを見誤ったテスト試写の不評を懸念し、125分から大幅な上映時間の短縮を余儀なくされたことや、米国市場に向けたバージョンは映像のルックに適合するよう、タンジェリン・ドリームによるまろやかなシンセサイザー音楽への差し替えが図られたりと、製作側の悪手が不振に拍車をかけたことは否めない(「ザ・シネマ」における放送はジェリー・ゴールドスミスが作曲を担当したヨーロッパ(オリジナル)バージョン)。 なにより最大の損失は監督の方向転換で、本作に全力を注いで成果を得られなかったスコットの落胆は大きく、以後、大がかりな視覚効果ジャンルから彼を離れさせてしまう。スコットが再びSFやファンタジーの世界に活路を見いだすのは、2012年製作のエイリアン前史『プロメテウス』まで27年もの時間を要することになる。 『レジェンド』の製作から36年。映画におけるデジタルの介入と発達は、自由なイメージの視覚化を大きく拡げ、「指輪物語」を原作とする『ロード・オブ・ザ・リング』トリロジー(01〜03)の実写映画化や、テレビドラマとして壮大なドラゴンストーリーを成立させた『ゲーム・オブ・スローンズ』(11〜19)など、ファンタジー映画興隆の一翼を担った。こうした路が開拓されるための轍を作り、またそれら以前に、アナログの製作状況下でファンタジーに挑んだ、リドリー・スコットの先進性と野心にあふれた挑戦に拍手を送りたい。 ちなみにジャックを演じたトム・クルーズは本作の撮影中、スコット監督から「弟に会ってやって欲しい。いま戦闘機の映画を準備している」と進言し、彼はその言葉にしたがい、リドリーの実弟である監督のトニー・スコットに会い、戦闘機パイロットを主人公とする青春映画への出演を快諾した。その作品こそが『トップガン』(86)であり、同作は彼を一躍トップ俳優へと押し上げた。クルーズにスター性を感じていたスコットの慧眼を示すエピソードであり、『レジェンド』の意義ある副産物としてここに付記しておきたい。■ 『レジェンド/光と闇の伝説』© 1985 Universal City Studios, Inc. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.08.04
中国伝統の水墨画をモチーフにしたチャン・イーモウ監督の傑作武侠アクション『SHADOW/影武者』
巨匠にとって名誉挽回のチャンスだった…? 中国映画界の巨匠チャン・イーモウが放った武侠アクション映画の傑作である。処女作『紅いコーリャン』(’87)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得して以来、数々の名作で世界中の映画祭を席巻してきたチャン・イーモウ。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(コン・リー)に輝いた『秋菊の物語』(’92)や、チャン・ツィイーを一躍トップスターへと押し上げた『初恋のきた道』(’99)など、チャン・イーモウ監督といえば中国の田舎を舞台にした素朴でノスタルジックな作品を思い浮かべる映画ファンも多いと思うが、しかしカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した『活きる』(’94)や『妻への家路』(’14)では中国の近代史をヒューマニズムたっぷりに振り返り、『キープ・クール』(’97)や『至福のとき』(’00)では変わりゆく現代中国を独自の視点で見つめるなど、実のところ30年以上に渡る長いキャリアで多彩な作品群を手掛けてきた。 中でもチャン・イーモウ監督作品のイメージを大きく変えたのが、大胆なワイヤー・アクションと鮮烈な色彩の洪水が圧倒的だった武侠アクション映画『HERO』(’02)と『LOVERS』(’04)。ハリウッド映画にも負けないエンタメ性と中国の伝統文化に根差す芸術性を兼ね備えた両作は、従来のファンからは賛否両論ありつつも、映像作家として同監督の懐の深さを広く知らしめたと言えよう。 しかしその一方で、本格的なハリウッド進出作となった米中合作『グレート・ウォール』(’16)は、巨額の製作費を投じただけの空虚なB級モンスター映画となってしまい、「チャン・イーモウよ、一体どうしてしまった!?」と悪い意味で驚愕させられた。7500万ドルの赤字を出したとも言われる同作は、中国国内の映画レビューサイトでも低評価を受けて物議を醸すことに。その輝かしいキャリアに大きなミソを付ける形となったわけだが、そんなチャン・イーモウ監督が見事に汚名を挽回した会心の作が、久々の武侠アクション映画となったこの『SHADOW/影武者』(’18)である。 策士たちの思惑に翻弄される影武者の運命とは? ※下記あらすじにおける()内の平仮名は漢字の読み、カタカナは俳優の名前 時は戦国時代。度重なる戦や権力抗争で命の危険に晒された王侯貴族は、密かに「影」と呼ばれる身代わりを仕立てていた。影たちは命を懸けて主君に仕えたものの、しかしその存在が歴史の記録に残されることはなかった。これはそんな時代に生きた影武者の物語。中国南部に位置する弱小の沛(ぺい)国は、強大な炎国に領土の一部・境(じん)州を奪われながらも、その屈辱に甘んじて休戦同盟を結んだ。 それから20年後、境州の奪還を強く主張する沛国の重臣・都督(ダン・チャオ)は、境州を統治する炎国の楊(やん)将軍(フー・ジュン)に独断で決闘を申し込み、あくまでも現状維持を望む享楽的な若き国王(チェン・カイ)の逆鱗に触れる。とはいえ、相手は民衆からも宮廷内からも人望が厚い英雄・都督。さすがの国王でもぞんざいに扱うことは出来ない。そのため、国王は琴の名手でもある都督と妻・小艾(しゃおあい/スン・リー)に演奏を命じてお茶を濁そうとするが、しかし都督は「境州を取り戻すまで琴は弾かない」と頑なに断るのだった。 というのも、実は国王の目の前にいる都督は影武者だったのである。8歳の時に母と生き別れ、彷徨っているところを都督の叔父に拾われた彼は、たまたま都督と瓜二つだったことから影武者として育てられたのだった。1年前に受けた刀傷が原因で病を患ってしまった都督は、その事実を隠すために自らは屋敷の秘密扉から通じる地下洞窟へ身を隠し、その代わりに影武者を立てて周囲を欺いていたのである。この事実を知っているのは、都督と影武者そして妻・小艾の3人だけだった。 都督の描いた筋書き通りに動く影武者は、国王に自らを厳罰に処するように求め、官職を剝奪されると「一介の民」であることを理由に楊将軍との決闘へ赴くことを宣言する。これはあくまでも私と楊将軍との問題であり、国王も沛国も関係ないというわけだ。しかし、都督は楊将軍との決闘を口実に敵陣へ攻め入り、境州を奪還して自らが沛国の王となることを画策していた。そのために100人もの囚人たちを軍隊として鍛え、小艾のアイディアによって傘の戦術を編み出す。これは鋼で作られた鋭利な傘を武器に、女体のごとき柔らかな動きで楊将軍や炎国軍の豪快な剣術に対抗しようというのだ。 しかしその一方で、都督の動きをけん制するように国王も動き始めていた。楊将軍に使者を遣わした国王は、実の妹・青萍(ちんぴん/クアン・シャオトン)と将軍の息子・平(ぴん/レオ・ウー)を政略結婚させ、両国の休戦同盟をより強固なものにしようとする。ところが、相手方からの返答は「姫を側室に迎える」という屈辱的なものだった。それでも国益のため受け入れようと考える国王。だが、その裏にはうつけものを装った国王の狡猾な策略があった。かくして迎えた決戦の時。炎国の大軍が待ち受ける境州の関所へ向かった影武者だったが…? 手作りの職人技にこだわった圧倒的な映像美 真っ先に目を奪われるのは、まるで中国の伝統的な水墨画の世界を思わせるスタイリッシュなモノクロの世界。しかもこれ、モノクロで撮影されているわけではなく、美術セットから衣装まで全て白と黒のモノトーンで染め上げられているのだ。赤を基調とした初期の「紅三部作」を筆頭に、鮮やかな色彩を効果的に使ってきたチャン・イーモウ監督だが、本作はまさしく逆転の発想。しかも、この作品全体を統一する白と黒の対比は、そのままストーリーの光と影、登場人物たちの表と裏、そして都督と影武者の主従関係を象徴するメタファーとなっている。この野心的かつ革新的な映像美だけを取っても、チャン・イーモウ監督の本作に賭ける意気込みや覚悟のようなものが如実に伝わってくることだろう。 さらに、監督は劇中で使用する衣装や小道具など全てにおいて、中国の素材を使って中国の職人が手作業で作り上げる「職人技への回帰」を標榜。デザインに関しても「中国の伝統」に徹底してこだわり、韓国や日本を感じさせるような要素は全て排除されたという。中でも、兵士たちの鎧や甲冑、鋼の刃を仕込んだ傘などのデザインのカッコ良さにはゾクゾクとさせられる。 もちろん、その傘を使用した終盤の大規模な合戦アクションも素晴らしい。雨の降りしきる中、敵陣の町へと潜入した100名の囚人部隊が、グルグルと回る傘で身を守りながら坂道を滑り降り、周辺を取り囲む敵軍に刃を飛ばしていくシーンは、過去のどんな映画でも見たことのないような奇策に思わず興奮してしまう。よくぞ考え付いたもんですよ。楊将軍との対決で影武者が披露する、ダンスのように華麗な武術技もお見事。ワイヤーやCGなどをなるべく使わず、リアリズムにこだわったスタントは「本物」ならではの迫力と緊張感だ。実際、撮影に使用された特製の傘は切れ味が鋭く、一歩間違えば大怪我をする可能性もあったという。ある意味、俳優やスタントマンも命がけだったのである。 ちなみに、本作の元ネタとなったのは『三国志』に出てくる荊州争奪戦。製作総指揮を務めるエレン・エリアソフがチャン・イーモウ監督に持ち込んだオリジナル脚本は、『三国志』をかなり忠実に脚色した内容だったそうだが、しかしチャン監督はそのままではつまらないと考え、以前から興味を持っていた「影武者」をテーマに大胆なアレンジを施した。ロケ地には荊州と同じ中国南部の湖北省をチョイス。これまでの『三国志』の映像化作品は、荊州争奪戦を北部の乾燥した地域で撮影することが多く、雨や霧の多い荊州とは全く環境が異なっていたからだ。これまたチャン監督が目指したリアリズムのひとつ。終盤の舞台となる町の巨大セットは6ヶ月かけて建設され、沛国の囚人部隊が水中へ潜って敵陣へ乗り込むシーンでは、375トンの水を張った巨大プールが用意されたという。撮影チームは総勢1000人近く。紛うことなき超大作だ。 主人公の影武者と都督をひとりで演じ分けたのが、チャウ・シンチー監督の『人魚姫』(’16)にも主演した中国のトップ俳優ダン・チャオ。これまでアクション映画の経験があまりなかった彼は、およそ2ヶ月に渡る筋トレと食事で体重を72kgから83kgへと増やし、筋骨隆々とした肉体を作り上げたという。そのうえで1日6時間のアクション・トレーニングを4か月間続け、まずは先に影武者のシーンを撮影した。それが終わると今度は、食事制限によるダイエットを行い、5週間で体重を20kg落とすことに成功。病で肉体の衰えた都督を演じたわけだが、ダン自身も過度なダイエットのせいで体力が減退してしまい、撮影中にたびたび低血糖で倒れてしまったらしい。まさしくデ・ニーロやクリスチャン・ベールも真っ青のメソッド・アクティング。しかも都督に瓜二つの顔をした影武者と、別人のように老け込んでしまった都督を、一人二役で演じるというややこしさ。これだけの難役を、よくぞこなしたものだと感心する。 なお、本作は台湾の映画賞・金馬奨で最優秀監督賞や最優秀美術賞など4部門を獲得し、ジャンル系映画の殿堂サターン賞でも最優秀国際映画賞など4部門にノミネート。これによって、チャン・イーモウ監督は『グレート・ウォール』で傾きかけた信頼と名声を取り戻すことに成功した。■ 『SHADOW/影武者』© 2018 Perfect Village Entertainment HK Limited Le Vision Pictures (Beijing) Co.,LTD Shanghai Tencent Pictures Culture Media Company Limited ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2021.08.04
“ジェネレーションX”の金字塔が、いまも輝き続けるワケ『ファイト・クラブ』
今年6月、モダンホラーの帝王こと、作家のスティーヴン・キングが、本作『ファイト・クラブ』(1999)を初めて観たことを、twitterで明かした。初公開時に彼は交通事故による大怪我などで観ることが叶わず、長きに渡って未見だったという。それが遂に、邂逅を果したというわけだ。 これにすぐフォロワーから、突っ込みのツイートが入った。「ルールその1に違反してますよ」と。 映画の中で紹介される、あまりにも有名な「ルールその1」は、「ファイト・クラブのことを決して口外するな」。因みに「ルールその2」も、同じ文言である。 これに対して助け舟を出したのは、本作主演のエドワード・ノートン。「ファイト・クラブのルールには、次のような注事項があります。『物語のトピックについて、それがどんな形であれ、スティーヴン・キングは好きに話していい』というものです」 このやり取りに遡ること2年前には、アメリカのある大学で、過去に見たことのある映画のレポートを書けというレポートが課された際の、ある大学生の対応が大きな話題となった。彼女が記したのは、たった1行だけ。「ファイト・クラブ ルールその1、ファイト・クラブのことを決して口外するな」 結果として彼女は、ユーモアを解する教授から、「100点満点」の評価を貰った。そしてこの一件をSNSで披露したところ、拡散に次ぐ拡散となったわけだ。 初公開から20年余の月日が経っても、有名無名問わず、人々の口の端に上り続ける、『ファイト・クラブ』。その魅力とは、一体どんなところにあるのだろう? ***** 大手自動車会社勤務の“僕”は、高級なコンドミニアムに住み、北欧家具や高級ブランド衣類などを買い揃えるヤング・エグゼクティヴ。しかし、“不眠症”に悩まされる日々を送っていた。 そんな“僕”は、睾丸ガン患者の集いに、患者のふりをして参加。治療の副作用で胸が大きくなった男の胸に抱かれて涙を流すと、その夜はぐっすりと眠れた。 ヤミツキとなり、“僕”は重症患者の自助グループを、幾つも渡り歩くようになる。しかしそうして得た心の平穏は、マーラという女性によって、打ち砕かれる。 マーラも病気ではないのに、様々な病名のグループに参加していた。“僕”はマーラを排除しようとするが、失敗。お互いに参加するグループを分け合うことで、手を打つ。 そんな時に“僕”は、タイラー・バーデンという男に出会う。タイラーは、「本気になれば家にある物でどんな爆弾も作れる」などと語り、そんな彼に“僕”は好感を抱く。 “僕”の自宅がガス爆発で、すべての家財と共に焼失した。唖然とした“僕”は、知り合ったばかりのタイラーに電話を掛ける。 バーで飲み意気投合した“僕”にタイラーは、「力いっぱい俺を殴ってくれ」と依頼。“僕”はそれに応え、2人は殴り合いとなる。 廃墟のようなタイラーの屋敷に住み始めた“僕”にとって、殴り合い=ファイトは心の癒しとなる。やがて彼らの元に、モヤモヤを抱えた男たちが集まるように。それは“ファイト・クラブ”という、殴り合いのグループへと発展する。 タイラーは“ファイト・クラブ”のカリスマ的なリーダーとなり、やがて“僕”が忌み嫌うマーラと男女の関係になる。“僕”と彼とは、段々ズレが生じるようになっていく。 タイラーは、“ファイト・クラブ”の中から“スペースモンキー”というメンバーを抽出。文明社会に対して、無政府主義的な攻撃を仕掛け始める。 タイラーのテロ計画に怖れを抱いた“僕”は、それを阻止すべく奔走するが…。 ***** “ブラピ”ことブラッド・ピットが演じるタイラーや、ヘレナ・ボナム=カーターのマーラとは違って、エドワード・ノートン演じる“僕”には、役名がない。“ナレーター=語り手”とクレジットされる。 クレジットにもその意が籠められていると思うが、本作の主役は正に一人称の、「信頼できない語り手」。彼が知覚し表現していることは、どこまで真実なのか? 例えばミステリー小説だと、アガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」や横溝正史の「夜歩く」で、物語の語り手が殺人犯だったというオチがつく。本作に於いては、果してどういう意味で「信頼できない」のか?ネタバレになるので、これ以上は控えておく。 本作には、原作がある。キャラ配置やエピソードなどは、ほぼ原作に忠実な映画化と言って良いだろう。 著者は、チャック・パラニューク。1962年生まれの彼は、ワシントン州バーバンクのトレーラーハウスで育った後、オレゴン大学でジャーナリズムを専攻。卒業後は、大型トラックの製造会社で、整備工などを務めた。 その頃彼は、ホスピスでボランティアを務めていた。その経験が小説「ファイト・クラブ」、延いては映画版に活かされていく。「…看護も料理もなにもできなかったから、付き添いと呼ばれる役目につきました。僕は患者たちを毎晩互助グループに連れて行き、会が終ると彼らを連れて帰れるように、隅で坐ってなきゃならないんです。何グループも坐って見ていると、こんな健康なやつがわきで坐って見てるってことに、本当に罪の意識を感じ始めました。これじゃまるで観光客ですよ。だから僕はこう考え始めたんです。もし誰かが病気のふりをしているだけだったら、って。他の患者たちが与えてくれる親密さや正直さがほしい、それから、感情をぶちまけてすっきりしたい…」 この頃のパラニュークはまた、クリスマスなどの機会に突発的に集まって、イタズラを仕掛ける団体にも参加していた。そこにも“ファイト・クラブ”の元ネタになった部分があると思われる。彼は実際に、自分や周囲の友人や仲間たちが体験したことのあるエピソードを聞き集め、それを作品に折り込んでいったと、後に語っている。 アメリカに於いて主に1960年代中盤から70年代終盤に生まれた、いわゆる“ジェネレーションX”に属し、その世代を代表する作家と言われることが多い、パラニューク。自らの世代について、「我々は良い人間になるように育てられてきました…」と語る。 子ども時代から両親や教師などの期待に応えることばかり要求され、社会に出ても上司の求めるがままに働く。「…我々はどうして生きていくかを知るために、自分の外側ばかり見ているんです」というわけだ。 そしてある時に、パラニュークは思い至った。「人生のある一点を過ぎて、ルールに従うんじゃなく、自分でルールを作れるようになったとき、そしてまた、他のみんなの期待に応えるんじゃなく、自分がどうなりたいかを自分で決めるようになれれば、すごく楽しくなるはずです」 彼は経験から得たアイディアや想いを、コインランドリーやジム、時にはトラックの車体の下でクリップボードに挟んだ紙に書きながら、小説「ファイト・クラブ」を3カ月で完成させた。「執筆というよりも口述筆記に近かった」と言うように、感情のほとばしるままに、書き上げたという。 この小説に目をつけたのが、ハリウッドメジャーの20世紀フォックス。新人脚本家であるジム・ウールスが、小説に於ける反社会的姿勢の生々しさをどう表現するかに腐心して書き上げたシナリオを持って、当時の旬の監督たちに交渉した。 ピーター・ジャクソン、ダニー・ボイル、ブライアン・シンガーらが、それぞれの事情で次々と断った後、名前が挙がったのが、デヴィッド・フィンチャー。サイコサスペンス『セブン』(95)で大ヒットを飛ばして、一躍注目の新鋭となっていた。 実はフィンチャーは、原作の熱狂的ファンで、自分で映画化権を買い取ろうとしていた。彼は言う。「ナレーターがどんな人間か判っていた。この自分のことだったから」 ◆『ファイト・クラブ』撮影中のデヴィッド・フィンチャー監督(右)とヘレナ・ボナム=カーター 1962年生まれ。やはり“ジェネレーションX”である彼は、現代の消費社会における虚無感の描写に、強く共感を覚えていたのである。 主演の“僕”には当初、マット・デイモンかショーン・ペンが想定されていた。しかしフィンチャーは、『ラリー・フリント』(96)での演技を高く評価して、エドワード・ノートンを起用。 1969年生まれのノートンは本作に、~戦闘体勢に入った“ジェネレーションX”~を見出した。「僕自身が心の底から共感できるものが『ファイト・クラブ』にはいくつかあった。45歳以上の人にこの作品が理解できないとは言わないけれども、多くの人が『はぁ?』という反応を示しても不思議ではない」 タイラー・バーデン役は、やはりショーン・ペンが有力候補の1人だった。しかしフィンチャーの出世作『セブン』で主演だった、ブラッド・ピットに決まる。 1963年生まれのビットは、ハンサムな色男や金髪のロマンチック・ヒーローのイメージには、敢えて抗した役柄を好んで演じる。「…『ファイト・クラブ』は我々の文化への愚弄と虫ずが走るほど嫌いなのにむりやり押し付けられたものへの応答なんだ…」こちらもノリノリで、役に挑んだ。「もし他の誰かになれるとしたら僕はブラッド・ピットになりたい」フィンチャーのこんな発言は、本作に於いて極めて示唆的と言える。 ノートンとブラピは撮影前、ボクシング、テコンドー、総合格闘技などを特訓。また石鹸で爆弾を作るシーンのために、石鹸を手作りするレッスンも受けたという。 クレジットされていないが、フィンチャーの僚友だった、1964年生まれの脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーによるシナリオのリライトなどを経て、『ファイト・クラブ』は、クランクイン。撮影は132日間、72のセットが組まれ、300を超えるシーンが撮られた。 フィンチャーは、時には100を越えるテイクを回すことで知られる監督だが、本作には通常の3倍以上のフィルムが使われたという。 これは余談になるが、ほぼ紅一点の主要キャスト、1966年生まれのヘレナ・ボナム=カーターは、本作でハリウッドに於ける方向性が決まったかのように思える。それまで「イングリッシュ・ローズ」とも「コルセット・クィーン」とも呼ばれた彼女は、イギリス情緒の溢れるクラシックな作品でのヒロインのイメージが強かった。 しかし、薬物中毒や病に苦しんでいた時期のジュディ・ガーランドの人生を参考に役作りを行ったという本作で、そのイメージを打破。一躍「ゴスの人」の印象が、強烈に打ち出された。直接は関係ない話だが、2000年代に入って、公私ともにティム・バートン監督のミューズになっていったことが、本作を振り返ると、至極納得がいく。 些か脱線したが、このように“ジェネレーションX”の中でも、エッジが利いた作り手・演者が集結して、「現状打破」を過激に叫ぶような本作が、20世紀終わりに登場。劇場公開時の興行成績こそ成功とは言えなかったが、後にリリースされたDVDは大ヒットとなるなど、当時の若者たちの心を捉えたのは、至極当たり前のことだったと言える。 そして今、21世紀に入って20年が過ぎ、全世界を閉塞感が覆っている。本作の人気は、再燃して然るべしと言えるだろう。「ファイト・クラブのことを決して口外するな」 映画史に残るこの「ルール」は、もはや日々破られるためにあるのだ!■ 『ファイト・クラブ』© 1999 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.07.08
アル・パチーノvsロバート・デ・ニーロ ライバルにして友人同士の、初の本格共演作 『ヒート』
2005年10月21日、ビバリーヒルズのホテルで、アル・パチーノを顕彰する催しがあった。その席には彼と共演経験がある者を中心に、綺羅星のようなスター達が出席。「アメリカン・シネマテーク賞」が贈られたパチーノに、次々と賞賛の声を浴びせた。 会場には姿を見せなかったものの、メッセージビデオを寄せた中には、ロバート・デ・ニーロが居た。彼はパチーノに呼び掛けるような、こんな祝いの言葉を贈った。「アル、何年にもわたり、おれたちは役を取り合った。世間のひとたちはおれたちをたがいに比較し、たがいに競わせ、心のなかでばらばらに引き裂いた。正直に言って、おれはそんな比較をしてみたことはない。たしかにおれのほうが背が高い。おれのほうが主役タイプだ。しかし正直に言おう。きみはおれたちの世代で最高の俳優であるかもしれない……ただし、おれをべつにしてだ」 1940年生まれのパチーノと、43年生まれのデ・ニーロ。まさに同世代の中で、長年ライバル同士と目されると同時に、親しい友人関係にあった。そんな2人の仲を、端的に表したメッセージと言えよう。 共に、イタリア系アメリカ人。俳優を志した若き日、ニューヨークでスタニスラフスキー・システムを基にした「メソッド演技法」を学んだのも、同じだ。但し、パチーノの師がアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグであるのに対し、デ・ニーロが学んだのは、かつてストラスバーグと衝突して袂を分かった、ステラ・アドラーであった。 俳優としてのキャリア初期、デ・ニーロは『The Gang That Couldn't Shoot Straight』(71/日本未公開)という作品に出演した。彼が演じたのは、パチーノが『ゴッドファーザー』(72)に出演が決まったため、断った役である。 その『ゴッドファーザー』でパチーノが演じたマイケル・コルレオーネの役は、デ・ニーロも候補として、名が挙がった1人だった。結果的にこの役を得たパチーノは、作品が記録破りの大ヒットになると同時に、スターダムにのし上がり、アカデミー賞助演男優賞の候補にもなった。 2人の初の共演作は、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)。とはいえこの作品の中で、2人が顔を合わすシーンはない。パチーノが引き続きマイケル・コルレオーネを演じたのに対し、デ・ニーロの役は、マイケルの父であるヴィト―・コルレオーネの若き日であったからだ。 パチーノは今度は、アカデミー賞の主演男優賞候補になる。一方この作品で一躍大きな注目を集めたデ・ニーロは、候補となった助演男優賞のオスカー像を勝ち取った。 これは余談になるが、デ・ニーロが演じたヴィト―の生まれ故郷は、イタリア・シチリア島のコルレオーネ村。実はこの地は、パチーノの祖父の出身地であった。 さて、『ゴッドファーザーPARTⅡ』時には30代前半だった、パチーノとデ・ニーロ。そんな2人が初の本格共演を果たすのには、それから20年以上の歳月、共に50代となるまで、待たなければならなかった。 それが、マイケル・マン製作・監督による本作『ヒート』(95)。パチーノが演じる、ロサンゼルス市警の警部ヴィンセント・ハナと、デ・ニーロが演じる、プロの犯罪者ニール・マッコリ―の対決が描かれる、2時間50分である。 *** ニール・マッコリ―をリーダーに、クリス、チェリト、タウナーらがメンバーの強盗グループの今回のターゲットは、多額の有価証券を積んだ装甲輸送車。大胆不敵な襲撃で輸送車を横転させ、警察の追っ手が掛かる前に証券を手に入れて、現場から立ち去る計画だった。 ところが新顔のメンバーが、ガードマンの1人を無意味に射殺。そのため、目撃者である他のガードマンたちも、葬らざるを得なくなる。 急報を受けてロス市警から、強盗・殺人課のヴィンセント・ハナ警部が駆けつけた、彼は犯行の手口から、強盗のリーダーが、相当に頭が切れるタイプであることを見抜く。 グループの仲間たちが家族持ちなのに対し、ニールは情の部分を断ち切った独り者。しかしある時に出会った、グラフィック・デザイナーのイーディと恋に落ちる。 一方ニールたちを追うヴィンセントは、捜査にのめり込む余り、過去に2度の離婚歴がある。現在は3番目の妻とその連れ子の娘と暮らしているが、またもや関係がギクシャクし始めていた…。 ちょっとした糸口から、ニールたちの正体を割り出したヴィンセントの捜査チームは、強盗グループが犯行に及んだところを、一網打尽にする計画を実行する。ところが犯行途中、捜査チームのちょっとしたミスから、ニールは警察の罠に気付き、企てを中止して引き上げる。 ニールは意趣返しのように、逆に罠を張る。そして、ヴィンセントはじめ捜査チームのメンバーを突き止める。 虚々実々の駆け引きを経て、ヴィンセントとニールが、直接対決する日が近づく。それが2人のどちらかにとっては、最期の日になる。そんな予感を孕んでいた…。 *** デ・ニーロと同年の、1943年生まれのマイケル・マンは、70年代から「刑事スタスキー&ハッチ」「ポリスストーリー」など、TVの有名刑事ドラマの脚本や監督を担当。80年代にはエグゼクティブ・プロデューサーを務めた、「特捜刑事マイアミ・バイス」で大当たりを取った。 映画監督としては、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)でデビュー。本作に至るまでに、『ザ・キープ』(83)『刑事グラハム/凍りついた欲望』(86)『ラスト・オブ・モヒカン』(92)といった作品を手掛けていた。 本作でパチーノが演じた刑事と、デ・ニーロが演じた犯罪者には、実在のモデルが居る。刑事のモデルは、元シカゴ市警の警察官で、退職後に脚本家となったチャック・アダムソン。マンの映画監督デビュー作『ザ・クラッカー』で、脚本及び犯罪に関する専門的なアドバイザーを担当したことがきっかけで、マンの親友となり、「マイアミ・バイス」他のマン作品に深く関わるようになった。 犯罪者のモデルは、アダムソンが警察時代に追っていた、その名もニール・マッコリ―。60年代のシカゴで仲間と共に、深夜の金庫襲撃などを繰り返していた。最終的には食料品チェーン店に強盗に入った際、監視していた警察に追い詰められ、アダムソンとその同僚によって、射殺された。 マンはアダムソンからマッコリ―の話を聞いて、2人の関係をベースにした、刑事と犯罪者の対決の物語を映像化しようと構想を練る。そしてまずは89年に、TVムービーとして、『メイド・イン・L.A.』を完成させる。 この作品は日本の場合、『ヒート』公開後に、VHSやDVDなどのソフトで観た方がほとんどと思われる。そうした順番で鑑賞すると、『メイド・イン・L.A.』は、『ヒート』をスケールダウンして、ノースターで製作した93分のダイジェスト版のように感じられる。 もちろん実際は、その逆。予算のスケールアップはもちろん、パチーノ、デ・ニーロ以外に、脇役にもヴァル・キルマーやジョン・ボイトなどのスターを配し、尺も2倍近くにしたのが、『ヒート』なのである。先に映像化したものが“ダイジェスト”のように感じられるのは、展開がほとんど変わらず、主要な登場人物の数も、ほぼ同じだからであろう。『ヒート』は長尺にした分、各キャラクターの描写が厚くなっている。正直、未消化に終わって、余計に感じられるところも散見するが。 さてアクション以外の見せ場として、両作にあるのが、クライマックスの対決に至る前に、ヴィンセントがニール(『メイド・イン・L.A.』では役名はパトリック)に声を掛け、宿敵同士である刑事と犯罪者が、コーヒーショップで会話をするシーン。これはモデルとなった2人の間に、実際にあった出来事を脚色したエピソードだという。 アダムソンがマッコーリーを尾行していた時に、期せずしてショッピングモールで、顔を合わせてしまった。その時アダムソンは、犯罪者であるマッコーリーの行動を深く理解したいと考え、コーヒーに誘ったのである。そして2人で、多くのことを語り合ったという。 この“実話”を基に、マンはヴィンセントとニールが、「…コインの裏と表のような関係…」であり、「似たもの同士…」であることを表現するシーンを作った。共にワーカホリックで、平穏な家庭生活などは望めない、孤高のプロフェッショナル。それ故に2人は、激しく戦わざるを得ないというわけだ。 作品の本質を表す、屈指の名シーンと言えるが、一方で『ヒート』初公開時にはこのシーンがあるが故に、観客らが「あらぬ疑惑」を抱く事態となった。それについては、後ほど詳述する。 本作でマンが大いにこだわったのが、“リアリティー”。俳優陣には準備段階で、犯罪者の行動原理を学ばせた。 例えば犯罪チームの一員チェリトを演じたトム・サイズモアの場合、刑務所で受刑者の話を聞いたり、営業中の銀行を訪れ、自分が強盗だったらどう狙うかをシミュレーションした。更には実在のギャング団行きつけの店のテーブルで、わざわざ食事までした。 撮影前には3カ月に及ぶ、コンバット・シューティング=実践的射撃術の訓練を実施。犯罪者チームと警官チームは、それぞれ銃の撃ち方や扱いに微妙な違いがあることから、別々のトレーナーを付けて行った。これは、劇中で対立する2つのチームに、馴れ合いの空気を作らせないための工夫でもあったという。 マンは、ロサンゼルスでのオールロケにもこだわった。ロケ場所は実に85箇所にも及んだが、ハイライトはやはり、12分間に渡る白昼の市街戦の舞台。週末にロスのオフィス街の大通りを丸ごと借り切って、映画史に残るような壮大なドンパチを繰り広げた。 主演を務めた2大スター、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロについては、マンはその演技を、次のように語っている。「デ・ニーロは役を建築物のように構築する。細部をすこしずつ、信じられないほどこまかく研究する。…一方、アルの役への入りかたはちがう。ピカソが何も描いてないキャンヴァスを何時間もみつめて集中するようにだ。集中したあとで何刷毛か絵筆をふるう。それだけで人物が生きて立ち上がる」 そんな2人が対峙する最大の見せ場が、先に挙げた、コーヒーショップのシーンだった。しかし初公開時は、私も含めて多くの観客の中に、「?」を残す結果となった。具体的には、「パチーノとデ・ニーロ、共演してないのでは?」という疑念が、猛然と沸き上がったのである。 2人の会話シーンは、各々のバストショットの切り返しばかり。同一画面に2人が存在する、そんな2ショットのシーンが、全く存在しなかったのである。 パチーノとデ・ニーロが、いくら親しい友人同士といっても、撮影現場ではお互いTOPスターのプライドなどもあって、そうはいかなかった。だから別々に撮ったのである。そんなもっともらしい解説も、当時耳にした記憶がある。 でも実際は、そんなことはなかった。現場のスチールやメイキングなどから明らかだが、2人はちゃんと共演していたのである。しかもリハーサルなしで撮影したこのシーンは、2人のアドリブも満載に、11テイクも回していた。 では、実際にはカメラに収めた2ショットなどは、なぜ使わなかったのか?「共演してないのでは?」という疑惑を生み出すような編集に、どうしてなったのか? パチーノとデ・ニーロは、視線を合わせたり逸らしたりしながら、セリフの応酬をする。そうした中でお互いが、「似ている人間」であることを理解していく。 それを見せるためには、それぞれの表情がはっきりと映る、バストショットの切り返しが最も有効。交互に見せることで、2人の演技が融合していく。マンと編集者は、そう考えたのである。 初見から25年経って、そのシーンを観返してみて私が思ったのは、「似た者同士」である2人だが、同じ世界での共存は許されない。2ショットを省いたのには、そんなことを表す意図があったようにも思えてきた。この編集だからこそ、刑事と犯罪者、それぞれの“孤高さ”が際立ってくる。『ヒート』で初めて、本格共演を果たしたパチーノとデ・ニーロ。2人はその後、『ボーダー』(2008)『アイリッシュマン』(19)と、ほぼ10年に1度ほどのペースで共演を重ねている。 一方、その後様々な犯罪映画を手掛けたマイケル・マンは、現在ヴィンセントやニールらの、本作以前のストーリーを描く前日譚の小説化や脚本化に取り組んでいると伝えられる。この映像化が実現しても、齢80前後となったパチーノとデ・ニーロが同じ役で再登板することは、ちょっと考えにくいが…。■ 『ヒート』© 1995 Monarchy Enterprises S.a.r.l. in all other territories. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.07.07
監督が望んだ『夢の涯てまでも』究極バージョンへの道
■2時間以上も拡張されたヴェンダースの野心作 ヴィム・ヴェンダースが1991年に発表した映画『夢の涯てまでも』は、9か国・20都市をめぐる広範囲なロケに加え、壮大なSF的発想と2年にわたる長期撮影、そして製作費2300万ドルが投入された、アートハウスの作家映画としては破格の製作規模を持つ作品である。しかし編集に関しては監督の思い通りにはならず、上映時間の妥協を余儀なくされ、その判断は興行成績や評価に影響を与えてしまった。 本稿で詳述する『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』は、ランニングタイムが4時間47分と劇場初公開時より2時間以上も長くなり、内容も大幅に拡張されている。これからご覧になるという方には早計な配慮かもしれないが、以下『劇場公開版』と今回の『ディレクターズカット版』の違いをおおまかに記しておきたい。 基本的に『劇場公開版』と『ディレクターズカット版』で物語に大きな変更は生じていないが、内容を理解するうえで必要な描写が、前者は後者からばっさりと切り落とされているのが分かる。なんせ序盤からして、主人公クレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)の元恋人ユージーン(サム・ニール)が、なぜこの作品の語り部であるのかを記す登場場面がカットされているし、クレアの長い旅のきっかけとなる現金輸送も、依頼主であるチコ(チック・オルテガ)とレイモン(エディ・ミッチェル)のキャラクター描写が大幅に削られてしまっている。またクレアの親友である日系人マキコなど、彼女に関わりを持つ主要人物が丸ごといなくなっており、そのため『劇場公開版』は不足する要素をナレーションで補わねばならず、ヴェンダース自身が「ダイジェスト版だ」と言ったのも大いに納得がいく。 また物語の中盤にある日本パートでも、トレヴァー=サム(ウィリアム・ハート)が滞在先の箱根で森(笠智衆)老人に目を治してもらう場面が『劇場公開版』では簡略化され、目の治癒は後半の布石でありながら印象の薄いエピソードになっているし、彼とクレアが世界各地を駆け巡るセクションと、後半部のオーストラリアにおけるドリームマシン開発のセクションは、『ディレクターズカット版』では均等化されてバランスを保っているものの、『劇場公開版』は前半部に時間を割いたため、後半部の未消化を招いている。特にサムと父ヘンリー(マックス・フォン・シドー)の確執と和解は、この映画におけるドラマチックな要素のひとつだが、『劇場公開版』の急ぎ足な展開はそれを損ね、加えてドリームマシンが生み出す夢のシーンが少ないのも、作品の魅力を低減させてしまっている。当時NHKの協力を経て、ハイビジョン合成を駆使して創り出された夢の映像はこの映画の大きな話題だったが、今回の『ディレクターズカット版』ではそれが復活しており、作品の独自性とアートスタイルがいっそう高まっている。 結果として『ディレクターズカット版』は、全体の大幅な肉付けによって物語のニュアンスも大きく変わり、加えて不明瞭だった展開や登場人物の行動の真意に、観る者の理解が及ぶよう配慮されている。特にクレアがサムと旅路を共にする複雑な感情は、ユージーンとの恋愛関係が動機づけられていることで理解できるし、また都市から都市へのディテールを増した移動描写によって、旅情性が強く感じられるものになっている。これこそ『都会のアリス』(73)や『パリ、テキサス』(84)など、ロードムービーの名手として知られたヴェンダースの真髄といって相違ないだろう。 ■『夢の涯てまでも』さまざまなヴァージョン違い もともとヴェンダースはアメリカの配給元であるワーナー・ブラザースとの契約上、『夢の涯てまでも』を2時間30分で完成させなければならない義務を負っていた。だが編集作業の時点で、規定の上映時間内に収めることは不可能だと認識。さらに作品を完成へと進めていく過程において、彼は映画にもっと長い時間が必要だと気づき、プロデューサーにランニングタイムを拡大するよう請願する。しかし、契約条件がくつがえされることはなかった。 そこでヴェンダースは長年のお抱え編集者であるピーター・プリゴッダに協力してもらい、自分で管理していたスーパー35mmのオリジナルネガからマスターポジを作り、それを基に約20時間の長さに及ぶ粗編集の【ワークプリント版】を制作。そこからさらに2部作・計8時間の構成へと整え、ヴェンダースは再度プロデューサーに掛け合い『夢の涯てまでも』を2本の映画としてリリースするよう依頼したのだ。残念ながらそのアイデアも却下され、監督は自分の方法でロングバージョンを世に出すことにしたのである。さらにこの8時間のものはさらに6時間へと縮められ、この【6時間版】とスクリプトを元に書かれたノヴェライズが日本で出版された。 結局、ワーナーを配給とする【米劇場公開版】は2時間38分の上映時間となり、1991年9月12日にアメリカで公開。いっぽうでドイツやフランスなどの非英語圏では、ヴェンダースが6時間版を2時間59分に刈り込んだ【ヨーロッパ公開版】が上映された。日本では91年10月に開催された第4回東京国際映画祭でヨーロッパ公開版がクロージング上映されたのだが、翌年に一般公開されたときは米劇場公開版だったため、「映画が短縮されている」と不満を抱く者も少なくなかった。こうしたユーザーの声に応じる形で、93年11月にヨーロッパ公開版が『夢の涯てまでも ディレクターズ・カット版』と題して国内限定公開され、翌年の94年4月25日にパイオニアLDCが同バージョンを『夢の涯てまでも〈特別版〉』と銘打ち、LDソフトをリリース。それは日本でしか発売されなかったこともあり、海外のファンがこぞって求め、本作の再評価をうながす一助となった。 結局、ヴェンダースは劇場公開から2年後、改めて『夢の涯てまでも』の長時間バージョンに着手。ランニングタイムは5時間に設定され、テレビ放送のミニシリーズを想定し、三部に切り分けられた。この【5時間版】は1994年7月に英ロンドンのナショナル・フィルム・シアターで上映され、ヴェンダースは劇場でのティーチインに参加。その後、1996年12月には米ワシントン大学で、また5年後の2001年1月にアメリカン・シネマテークで上映がおこなわれ、4年後の2005年にはドイツを皮切りに、イタリア、フランスなどワーナーが権利を持つアメリカ以外でDVD化された。 ■そして決定バージョン『ディレクターズカット版』へ やがて時代は デジタルで旧作を鮮明な画像・音質で蘇らせる隆盛を迎えた。2014年、ヴェンダースはフランス国立映画センター(CNC)支援のもと、自らの財団において自作のレストアを意欲的におこなっていく。そして翌年の2015年、ついに『夢の涯てまでも』の最終形態ともいえる『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』を制作。ランニングタイムは4時間47分で、上記の3部作構成からインターミッションを挟んだ2部構成へと戻されている。特筆すべきは画質と音質の向上で、『ディレクターズカット版』はベルリンのフィルムラボ「ARRI Film&TVServices」にあるオリジナルカメラネガからARRISCANフィルムスキャナーを介して4K解像度で作成され、入念な復元作業がほどこされた。音声も元の35mm磁気トラックからリマスターされ、そのすべての工程をヴェンダースが承認したものだ。 この『ディレクターズカット版』は同年「ヴィム・ヴェンダース回顧展」の一環としてニューヨーク近代美術館で初公開され、4年後の2019年12月には米クライテリオン・コレクションからブルーレイとDVDでソフトリリースされた。そして日本では、映画専門チャンネル「ザ・シネマ」での放送と、同社配信サービス「ザ・シネマメンバーズ」でようやく視聴が可能となった。ちなみにこの『ディレクターズカット版』ではインターミッションが取り払われ、一本の長大な作品としてまとめられている。劇中、クレアが長い旅を経て自分の物語を終わらせたように、ヴェンダースのヴァージョン違いをめぐる格闘の歴史もまた、長い時をかけて完結を迎えたのだ。■ 『夢の涯てまでも 【ディレクターズカット版】』© 1994 ROAD MOVIES GMBH – ARGOS FILMS © 2015 WIM WENDERS STIFTUNG – ARGOS FILMS