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COLUMN/コラム2020.09.04
ヴァン・ダムとハイアムズ監督が2度目のタッグを組んだアイスホッケー版“ダイ・ハード”!『サドン・デス』
巨大アリーナで繰り広げられるヴァン・ダムVSテロリストの攻防戦 ‘80年代半ばにチャック・ノリスが『地獄のヒーロー』(’84)で大ブレイクして以降、にわかにハリウッドで増えたのが格闘家出身のアクション映画スターである。ショー・コスギにドルフ・ラングレン、スティーブン・セガールにウェズリー・スナイプスなどなど。その中でも、セガールと並んで’80年代末~’90年代のハリウッド・アクションを牽引した存在がジャン=クロード・ヴァン・ダムだった。 ベルギーの出身で10代の頃から空手やキックボクシングの選手として国際大会で活躍し、チャック・ノリスの助太刀で映画界へ進出したヴァン・ダム。『サイボーグ』(’89)や『キックボクサー』(’89)などのB級映画で注目された彼は、ドルフ・ラングレンと組んだ『ユニバーサル・ソルジャー』(’92)の大成功でメジャー・スターの仲間入りを果たし、ピーター・ハイアムズ監督のSFアクション『タイムコップ』(’94)がキャリア最大の興行成績を稼ぐメガヒットを記録する。そのハイアムズ監督とヴァン・ダムが再びタッグを組んだ、アイスホッケー版『ダイ・ハード』とも呼ぶべき映画が、この『サドン・デス』(’95)である。 ヴァン・ダムが演じるのは、ピッツバーグのシビック・アリーナで消防管理の責任者を務める元消防士ダレン・マッコード。一時期メロン・アリーナとも呼ばれたシビック・アリーナは、かつてピッツバーグに実在した多目的アリーナで、NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)所属のホッケーチーム、ピッツバーグ・ペンギンズが本拠地にしていた場所だ。2年前まで地元の消防署に勤務していたダレンだが、しかし火災現場で幼い少女を助けることができなかった。その精神的な苦しみから立ち直れず、妻と離婚することになった彼は、消防士の職も辞してシビック・リーナの消防管理官へ転職していたのだ。 時はNHLのプレイオフトーナメント優勝チームを決めるイベント、スタンレー・カップ・ファイナルの真っ最中。ピッツバーグ・ペンギンズとシカゴ・ブラックホークスの対戦チケットを2枚入手したダレンは、再婚した妻のもとで暮らす息子タイラー(ロス・マリンジャー)と娘エミリー(ウィットニー・ライト)を観戦に連れていく。ところが、この試合の裏では恐ろしい計画が人知れず進行していた。テロリストたちが秘密裏に警備員や場内スタッフを殺害して入れ替わり、来賓として招かれたアメリカ合衆国副大統領ダニエル・バインダー(レイモンド・J・バリー)を人質とすべく狙っていたのだ。 テロリスト集団のリーダーは元CIA捜査官ジョシュア・フォス(パワーズ・ブース)。バインダー副大統領やピッツバーグ市長夫妻が試合観戦するVIPルームを占拠した彼は、アメリカ政府に対して17億ドルの身代金を要求する。指示した手順通り3回に分けて指定口座へ金を振り込まなければ、人質を一人ずつ見せしめとして殺害し、最終的にはアリーナの各所に仕掛けた爆弾を爆発させて観客を皆殺しにするという。 その頃、兄タイラーと喧嘩をして思わず座席を離れたエミリーは、運の悪いことにテロリストが場内スタッフを殺害する現場を目撃してしまい、人質としてVIPルームに囚われてしまう。そんな娘の後を追ってテロリストの存在に気付いたダレン。外部と連絡を取ろうにも通信手段が断たれており、アリーナの出入りはテロリスト一味が監視している。ようやく無線でシークレット・サービスの責任者ホールマーク(ドリアン・ヘアウッド)と連絡が付いたものの、テロリストに対して手も足も出ない彼らを頼りなく感じたダレンは、自ら単独で会場内に仕掛けられた幾つもの爆弾を解除し、テロリスト一味に立ち向かって娘を助け出そうとする…。 本物のアリーナで本物のホッケー選手を使って撮影された舞台裏とは? ストーリーはまさしく『ダイ・ハード』そのもの。ただし、こちらは2万人近くの観客を収容できるドーム型の巨大アリーナが舞台で、少なくともスケール感に関しては『ダイ・ハード』を上回っていると言えるだろう。しかも、ピッツバーグ・ペンギンズにシカゴ・ブラックホークスという実在のホッケーチームによる対戦試合を、主人公ダレンとテロ集団の壮絶な攻防戦と同時並行でフューチャーする本格的なスポーツ映画でもある。実際にシビック・アリーナで爆薬を使用したり、スケートリンクにヘリが墜落するなどの大掛かりな見せ場も含まれているため、当初オファーを受けたハイアムズ監督は本当に実現可能なのか?と首を傾げたそうだが、その疑問と不安はすぐに解消する。実は本作のプロデューサーであるハワード・ボールドウィンは、なんとピッツバーグ・ペンギンズのオーナーだったのだ! もともとアイスホッケーの興行主だったボールドウィンは、’72年にハートフォード・ホエーラーズを創設したことを皮切りに、サンノゼ・シャークスやミネソタ・ノーススターズなどのオーナーを歴任し、本作が制作された当時はピッツバーグ・ペンギンズを所有していた。その傍ら、元女優の妻カレンと共に映画の制作会社を設立し、アカデミー作品賞候補になったレイ・チャールズの伝記映画『Ray/レイ』(’04)をはじめ、カルト・ホラー『ポップコーン』(’91)やスティーブン・セガール主演『沈黙の陰謀』(’98)、ジェームズ・ワン監督の犯罪アクション『狼たちの死刑宣告』(’07)など、数多くの映画を世に送り出している。本作のプロデューサーとしてはまさにうってつけの人物だと言えよう。 そのボールドウィン夫人カレン(本作では原案としてクレジットされている)の、「シビック・アリーナを舞台に『ダイハード』みたいな映画を作ったら面白いかも」という思いつきが企画の発端だったとのこと。大きな見せ場のひとつとなるホッケーの試合シーンは、’94年10月1日にシビック・アリーナで予定されていた、ピッツバーグ・ペンギンズVSシカゴ・ブラックホークスの本物の試合を撮影して本編に織り交ぜるはずだった。ところが、NHLの経営陣と選手の間で契約を巡る軋轢が起き、’94~’95年シーズンの前半試合が中止されてしまう。 そのため、制作陣はNHLの許可を得てペンギンズとマイナー・リーグのクリーヴランド・ランバージャックスとの練習試合をセッティングし、ランバージャックスの選手たちにブラックホークスのユニフォームを着せ、およそ1万人のエキストラを集めて撮影したのだが、いまひとつ迫力に乏しかったため、別のマイナー・チームにペンギンズとブラックホークスのふりをさせて撮り直ししたものの、そちらの試合映像もボツとなってしまう。結局、地元の元プロ選手や元大学リーグ選手をかき集め、およそ4カ月に渡って撮影された試合映像が最終的に使用されることとなったのだそうだ。 ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だった!? とはいえ、本編にはリュック・ロバタイユやケン・レジェットなど、ペンギンズ所属の本物のスター選手たちが本人役で登場。面白いのは、当時現役を引退したばかりの選手ジェイ・コーフィールドが、ブラッド・トリヴァーという架空のゴールキーパー役で出演していること。性格的に少々問題のあるコワモテの選手という設定であるため、実在のゴールキーパーを使うわけにはいかなかったのかもしれない。 そのトリヴァーが試合中に体調を崩してロッカールームで休んでいたところ、テロリストに追われたダレンが寝ている彼のユニフォームとマスクをこっそり拝借して変装し、そのまま試合に出なければならなくなるシーンも本作のハイライトのひとつ。実はこれ、ソ連のホッケー選手が国際試合で敵チームの選手に化けて亡命を謀る…という、ボールドウィン夫妻が予てから温めつつも実現しなかった映画のプロットを流用したのだそうだ。ちなみに、ヴァン・ダムはスケートが大の苦手だったため、ホッケー靴ではなくテニスシューズを履いて撮影に臨み、ロングショットでは別人のスタントマンがダレン役を演じている。 また、ダレンが氷上から客席の息子へ「愛している」のハンドサインを送るシーンは、ハイアムズ監督が自らの希望で盛り込んだアイディア。実はこれ、監督の子供たちがまだ幼い頃、テレビ「セサミ・ストリート」を見て覚えたサインで、それ以来、ハイアムズ親子の間でずっと使われてきたのだという。劇中では、難しい年頃に差しかかった息子タイラーに手を焼いていた主人公ダレンが、我が子ばかりでなく大勢の人々をテロリストから守らねばならないという重責を担う中、改めて父親としての愛情をきちんと息子に伝えるべくハンドサインを送るわけだが、もしかするとハイアムズ監督はそんなダレンの親心に我が身を重ねていたのかもしれない。■ 正直なところ、欠点の少なくない作品ではある。主犯格フォスをはじめとするテロリストたちはマンガ的過ぎて嘘っぽいし、都合の良すぎる展開や回収しないまま放置された伏線も目立つ。それでもなお、孤高のヒーローVSテロリストの攻防戦と白熱するアイスホッケーの試合を同時進行で絡めながら展開するストーリーのスリルは格別だし、なによりも映画にとって肝心要となるアイスホッケーの描写に手抜きをせず、ちゃんとその道のプロや経験者を集め、手間と暇と予算を惜しまなかったことが、結果として功を奏したように思える。要するに、職人がちゃんと真面目に作ったB級エンターテインメントだ。 なお、劇場公開時はアメリカ国内よりも国外での評判が高く、興行的には『タイムコップ』ほどの成功には至らなかった本作だが、ヴァン・ダム・ファンの間では根強い人気を誇り、近々マイケル・ジェイ・ホワイト主演による続編「Welcome to Sudden Death」がNetflixオリジナル映画として配信される予定。また、デイヴ・バウティスタが主演と製作を兼ねた『ファイナル・スコア』(’18)が、アイスホッケーをサッカーに変えた以外はほぼ同じような内容で、『サドン・デス』に負けず劣らず良く出来た映画だった。そちらも併せておススメしたい。『サドン・デス』(C) 1995 Universal City Studios. Inc. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.06.06
血と硝煙とバイオレンスの強臭にむせる『ダブルボーダー』
■保安官と麻薬王、袂を分かつ二人の男たち ジャック・ベンティーン(ニック・ノルティ)とキャッシュ・ベイリー(パワーズ・ブース)は、幼い頃からの親友どうしだ。だが今では、片やエルパソ郊外の小さな町で働くテキサスレンジャーで、片やメキシコを牛耳る麻薬王だ。ジャックにとってキャッシュは、治安を乱す元凶でもあり、かつて愛した女性サリタ(マリア・コンチータ・アロンゾ)を奪い合う宿命のライバルだった。 ウォルター・ヒル監督が1987年に発表した映画『ダブルボーダー』は、テキサスとメキシコを挟んだ国境の町を舞台に、袂を分かった男同士が血で血を洗う抗争を繰り広げていくバイオレンスアクションだ。銃を交えることでしか、その存在を主張することができない者たちへの、熱き魂のレクイエムである。 いっぽうこの映画では、もうひとつのエピソードがメインストーリーとともに並走していく。ポール・ハケット少佐(マイケル・アイアンサイド)率いる、米陸軍特殊部隊の臨時ユニットにまつわるものだ。この部隊を構成する6人の兵士たちは、全員が死亡報告を受けたゴーストアーミーであり、ベンティーンの監視のほか、町に関する覆面捜査を担っていた。 そんな彼らの目的もまた、私設軍隊を率いる麻薬王ベイリーの殲滅にあったのだ。 このように物語を大殺戮へと向ける布石とサスペンスフルな構造を経て、映画はベイリー殲滅作戦を遂行しようとするベンティーンとハケット少佐が目的を一致させ、共にベイリーが拠点とするメキシコへと赴かせていく。 ■原題が示す意味と製作までの紆余曲折 ところでこの『ダブルボーダー』、先述した二つの国境にちなんでつけられた邦題だが、原題の“Extreme Prejudice”が分かりづらいことへの配慮もあった。もともとこの言葉は、軍事作戦における「極端な偏見をもって事を終わらせる」という処刑の婉曲な表現で、劇中におけるベイリー殲滅作戦を示している。本国においてこの独自のフレーズは、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』(79)で周知の一助となっていた。 その『地獄の黙示録』の脚本を担当したのが、この『ダブルボーダー』の原案者としてクレジットされているジョン・ミリアスである。 もともと『ダブルボーダー』は、『コナン・ザ・グレート』(82)『若き勇者たち』(84)の監督として知られるミリアスが起案したもので、自身の脚本・監督のもとワーナー・ブラザーズによって製作される計画が立てられていた。本来ならば1976年10月にテキサスで撮影に入る予定だったが、ミリアスがサーフィンをモチーフにした青春映画『ビッグ・ウェンズデー』(78)を先に手がけたことにより、プロジェクトは暗礁に乗り上げる。加えてミリアス自身が本作を監督することに興味を失ってしまったことから、プロデューサーは別の監督の起用を検討し、改めて1976年11月の撮影開始日が設定された。 しかしプロジェクトは再々の延期を余儀なくされ、しびれを切らしたワーナーは権利売却のため、カサブランカ・レコードおよびフィルムワークスと交渉していたが、その契約も頓挫し、製作は塩漬け状態となっていく。 事態が大きく動いたのは1984年。『ランボー』(82)を世界的に大ヒットさせたカロルコ・ピクチャーズが『ダブルボーダー』の権利を買収し、『ランボー』の監督であるテッド・コッチェフの次回作としてようやくプロジェクトが再始動となったのだ。しかしコッチェフ監督は方向性の違いからプロジェクトを降り、後に『羊たちの沈黙』(91)でメジャーとなるジョナサン・デミが監督するよう交渉が進められた。デミは1985年3月までには脚本のリライトを完了させ、同年夏にミリアスと共にテキサスでの撮影を開始する予定だったが、残念ながら実現に至ることはなかった。 そこでカロルコは新たにウォルター・ヒルを監督に任命し、彼がスティーブ・マックイーン主演のアクション『ブリット』(68)でアシスタントディレクターを担当していたとき、脚本家としてかかわっていた旧友の脚本家ハリー・クライナーを雇い脚本を書き直したことを機に、プロジェクトは一気呵成に進行。1986年4月14日にテキサス州エルパソ地域で主な撮影が始まり、ディストリビューターのトライスター・ピクチャーズは同年のクリスマスシーズンに本作を公開する態勢が整っていく。 だがヒル監督とプロデューサーサイドは翌1987年4月の公開を主張。原因は出演者に約3ヶ月の軍事訓練を課したことや、加えて上映時間の関係からハケット少佐以下ゴーストアーミーのパートが大幅に削られ(ちなみにこの大幅にカットされた場面は、映画の公開と同時期に刊行されたノベライズで確認することができる)、その説明不足を補うための追加パート撮影を余儀なくされたことなど諸事情が絡み、結果的に映画は1987年4月24日に1071スクリーンでの公開となった。 しかし最初の10日間こそ650万ドルを獲得したものの、トータル的な収入は製作費の半分にも満たない1.100万ドルにとどまり、大幅な赤字を記録してしまった。とはいえ贅沢にかけられた予算と徹底した戦闘描写が求心力となり、本作はウォルター・ヒル監督のフィルモグラフィにおいてカルト的な人気を得ている。 ■『ワイルドバンチ』とサム・ペキンパーへの敬意 また『ダブルボーダー』は、『わらの犬』(71)『ゲッタウェイ』(72)の監督サム・ペキンパーに対して、ヒル監督がオマージュを捧げた作品として認識されている。とりわけ本作はペキンパーの代表的傑作『ワイルドバンチ』(69)のリメイクであるかのように感じられる箇所が多い。 ゴーストアーミーたちの死亡報告書を見せる冒頭からして、映画は『ワイルドバンチ』のアヴァンタイトルで展開するストップモーションと運びが似ているし、パイク(ウィリアム・ホールデン)率いるワイルドバンチと『ダブルボーダー』のゴーストアーミーが共にメキシコを目指そうとする目的の一致も然り。そして敵対するベイリーの麻薬組織は、『ワイルドバンチ』で私設軍隊を持つマパッチ将軍(エミリオ フェルナンデス)と同工異曲の存在だ。 他にも特に際立つ類似点は、クライマックスにおける銃撃戦の描写だろう。集中豪雨のように画面を覆い尽くす銃弾の嵐や、スローモーションでシューティングされた崩れゆく人々——。これらは「デス・バレエ(死の舞踏)」と喩えられた、『ワイルドバンチ』における最後の銃撃描写を踏襲したものだ。ご丁寧なことに両作とも、同シチュエーションは約5分間と尺まで足並みを揃えている。 こうしたホットな引用は単に表現上のものではなく、戦いによって仲間を失いながらも、それでも屍を越えて前に進もうとする男たちの「滅びの美学」を体現している。ペキンパーの精神を現代に受け継ごうとしたヒルの尊敬心を、この『ダブルボーダー』は何よりも示したものといっていい。 だが、そんな滅びの美学を悪人が示す『ワイルドバンチ』とは異なり、本作のベンティーンたちは、不器用ながらもそれを正義で追求しようとする。 「悪の道はたやすい。だが正義の道は果てしなく困難だ」 劇中、ベンティーンの上司ハンク(リップ・トーン)がいう言葉どおり、映画は最後の最後まで、善悪をめぐる葛藤が物語を大きく左右に揺り動かしていく。だからこそ、正義に準じた者には最高の見せ場が与えられるのだ。厭世的だったペキンパーと異なり、どこかヒーローに対して希望を残していたヒルの性質を、ここでは対照的なものとしてうかがうことができるだろう。 それにしても、ジョナサン・デミ監督による『ダブルボーダー』というのも、こうして評価の定まった今となっては観たかった気もするが……。■