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PROGRAM/放送作品
小悪魔はなぜモテる?!
[PG12相当]エマ・ストーンのキュートな魅力が全開!ウブなのに遊び人を装う女子高生を描くコメディ
ホーソーンの名作小説「緋文字」をベースに、ある嘘をついたことから遊び人のレッテルを貼られた女子高生の騒動を描くコメディ。非モテ系女子と小悪魔キャラを演じ分けるエマ・ストーンのキュートな魅力の虜に。
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COLUMN/コラム2020.04.26
『小悪魔はなぜモテる?!』 モチーフとなったアメリカ文学の古典「緋文字」とその映画化作品に関するアレコレ
本作『小悪魔はなぜモテる?!』(2010)のモチーフになっているのは、19世紀アメリカの小説家ナサニエル・ホーソンが、1850年に著した「緋文字」(The Scarlet Letter)である。 本作内では、エマ・ストーン演じる主人公が通うハイスクールの授業で、この小説が取り上げられる。「緋文字」は実際に、アメリカ人の多くが学校教育の中で、課題図書として読むことになる小説だという。 「緋文字」の舞台は17世紀、植民地時代のアメリカはボストン。ヒロインはヨーロッパから渡ってきた、イギリス人の若き女性、ヘスター・プリン。 彼女は年長の夫に命じられるまま、新天地であるこの町へと先行して渡ってきたが、夫を待つ内に別の男と情を交わし、子どもを産んでしまう。周囲から責め立てられても、彼女は頑として子どもの父親の名を明かさない。当時の厳格な清教徒=ピューリタンの社会では、死刑になってもやむなしであった。 しかし、彼女の後に海を渡った筈の夫は、何年も行方不明となっており、恐らく船が難破して、「海の底」に沈んだと思われる状況。そのためにヘスターの処罰は、「晒し台に3時間だけ立つ」という刑に軽減される。その上で身に着ける衣服の胸元には、“姦通=adultery”の意味である、緋色の「A」の文字を、未来永劫付けさせられることとなる。 赤子を抱きながら晒し台に立つヘスターを、その時初めて町に現れた、チリングワースという男が凝視する。ネイティブアメリカンの部族に捕まり、長く囚われの身となっていたというその男は、海の底に沈んだ筈のヘスターの夫だった。 チリングワースは、ヘスターの不倫相手を突き止めるために、町に身を置くことにする。そしてヘスターに、自分の正体を他の者に明かさぬよう強要する。愛する男の身や我が子のことを考えると、ヘスターはその要求を呑まざるを得なかった。 それから、7年の歳月が流れる。町の者たちに蔑まれながらも、針仕事で生計を立て、女手一つで娘のパールを育てるヘスター。一方でチリングワースは、医師として町で一目置かれる存在となっていた。 そんな中で、独り苦悩を深める男が居た。町の人々からの信頼も厚い、ディムズデール牧師。彼こそヘスターの密通の相手であり、パールの父親であった…。 筋書的には、“背徳不倫ロマンス”とも言える「緋文字」だが、植民地時代のピューリタン社会を描いた歴史小説として、高く評価されている。私が幾つかの書評を眺めて、しっくりいったのが、編集者の松岡正剛氏による、次の一文。 ~初期ピューリタニズムには、そもそも栄光と残酷とが、神権と抑圧とが、ユートピアニズムとテロリズムとが表裏一体になっていた~ ヒロインのヘスターはそんなピューリタン社会の中で、自らの信仰と良心に恥じることなく、真実の愛を求めた女性ということである。 明治36年=1903年に初めて日本語に訳された、「緋文字」。これまでに少なくとも、十数人が翻訳を手掛けている。今のところ最新の日本語版である、2013年出版の「光文社古典新訳文庫」の訳者である小川高義氏は、「訳者あとがき」に次のように記す。 ~古典音楽の場合には、時代とともに演奏スタイルの変遷があることに誰もが納得しているだろう。古典文学の翻訳にも同様の現象はあるのだと考えていただければありがたい~ ホーソンや「緋文字」を取り上げた論文や研究書は、近年になっても枚挙に暇がない。そんなことも考え合わせると、「緋文字」は、アメリカ文学を学び研究する者が必ず触れることになる“古典”であると同時に、オリジナルの出版から150年余、最初の日本語訳から120年近く経っても、新たな解釈が求められ続ける、決して古びない小説とも言える。 「緋文字」が、最初に映画化されたのは、サイレント映画の昔。かのリリアン・ギッシュが主演した、『深紅の文字』(1926)という作品である。以降幾度も映像化もされており、TVのミニシリーズなどもある。 現在の日本で比較的容易に観ることが出来るのは、1973年製作のヴィム・ヴェンダース監督作品『緋文字』。そして、『キリング・フィールド』(84)や『ミッション』(86)などのローランド・ジョフィが監督した、デミ・ムーアの主演作『スカーレット・レター』(95)といったところか。 先に翻訳者の文を引用したが、~時代とともに演奏スタイルの変遷がある~のは、映画化に於いても同様と言える。こちらの場合、作り手の個性や特性によって、更に明確な違いが表れる場合が多い。 ヴェンダースにとって、「ロードムービーの巨匠」という声価を得る以前の作品である、『緋文字』。植民地時代のアメリカを舞台にした“古典”を、ヨーロッパ資本が西ドイツ(当時)の監督とオーストリア出身の女優(センター・バーガー)を起用して映画化したわけだが、意外なことに歴代の映画化作品の中では、最も「原作に忠実」という声がある。 しかし「原作に忠実」であれば、良いというわけではもちろんない。ヴェンダース自身が、彼のフィルモグラフィーで唯一の時代劇であるこの作品を「失敗作」と認め、「ピンボールマシンもガソリンスタンドも出てこない映画は2度と作らない」と、後に語っている。 この作品で興味深いのは、映画の冒頭から強調して描かれているのが、チリングワースの視点であるということ。先住民に囚われた後の漂泊の果てに、彼はやっと妻と再会するも、その愛が、自分以外の誰かに向けられているのを発見する。以降は復讐の機会を窺うように、牧師やヘスターの周辺に纏わりつく。しかし最終的には、再び漂泊の身を選ばざるを得ない。「いかにもヴェンダース」と言えば、ヴェンダース的なキャラクターとなっている。 ローランド・ジョフィが監督したことよりも、デミ・ムーアがヘスターを演じたということで記憶されているであろう『スカーレット・レター』は、かの「ゴールデンラズベリー賞」で“最低作品賞”“最低主演女優賞”をはじめ6部門にノミネート。同年にポール・バーホーベン監督の『ショーガール』があったため、受賞は“最低リメイク・続編賞”1部門に止まったが…。 無理もない。デミが演じるヘスターは開明的過ぎて、原作では重要なポイントである、“信心深さ”がほとんど感じられない。またこちらの作品では、原作では描かれない、ディムズデール牧師との馴れ初めのシーンがあるのだが、それが泉で泳ぐ全裸の牧師を覗き見て、ヘスターがときめく…というか欲情してしまうというもの。牧師を演じるのが、男臭さ溢れる若き日のゲイリー・オールドマンということもあって、ヘスターも牧師も、最初から「やる気満々」にしか見えないのである。 こうした“現代的アプローチ”に加えて、更に作品の混迷を深めるのが、ロバート・デュバルが演じるチリングワース。囚われの身の時に、先住民の霊性にすっかりハマった彼は、ヘスターに偏執狂的な脅迫を繰り返す。更には、シリアルキラーのような凶悪さを見せる。 クライマックスの展開は、原作から更に大きく離れる。何と、牧師が町に先住民の襲撃を呼び込んで、血生臭い殺戮シーンが繰り広げられるのだ。そしてラストは、ヘスターが我が子と牧師を伴って、更なる新天地へ旅立つのである。こんな形で“ハッピーエンド”を迎えて、開いた口が塞がらない観客が続出したというのも、むべなるかな。 この『スカーレット・レター』は、「緋文字」という“古典”に迂闊な“現代的アプローチ”を行って、惨事を招いた例と言える。それに対して、「緋文字」を“原作”としたわけではないが、“モチーフ”として“現代的アプローチ”を行い、大成功したのが、本作『小悪魔はなぜモテる?!』である。 ハイスクールを舞台とする本作の主人公、エマ・ストーンが演じるオリーヴは、非モテで目立たない女子高生。ある時ちょっとした弾みで、大学生と寝たと嘘をついたことから、噂に尾ひれが付いて、注目の的となってしまう。 そんな中で彼女は、ゲイでいじめられている同級生に同情して、「セックスした」フリをしてあげることに。それがきっかけとなって、続々とモテない男子たちから“偽装H”をリクエストされ、現金やクーポン券と引き換えに、彼らの願いを叶えていくこととなる。実際は処女のままなのに、親友からもアバズレ扱いされるようになったオリーヴは、開き直る。ちょうど授業で学んだばかりの、「緋文字」のヘスターに倣い、私服の胸元に「A」の赤い刺繍を縫い付け、ハイスクールを颯爽と歩くのだったが…。 ジャンル的には“青春コメディ”に分類される本作。17世紀を舞台にした「緋文字」の厳格且つ欺瞞的なピューリタン社会を、21世紀のハイスクールに、巧みに置き換えている。 オリーヴに表立って敵対するのは、「純潔こそ至高」とする、キリスト教原理主義の信徒の学生たち。しかしもっと手酷く彼女を傷つけるのは、無責任な噂からレッテル張りを行い、彼女の本当の姿を見ようとはしない、他の者たちなのである。また彼女の“嘘”に救われた者たちも、四面楚歌となって窮地に陥ったオリーヴを、助けようとはしない。その手前勝手さに、オリーヴは更に打ちのめされる。本作の原題は、『Easy A』。この「A」はもちろん、オリーヴの振舞いからもわかる通り、「緋文字」と同じく“姦通=adultery”の意味であるが、この原題は多重的な意味を持つ。「A」の前に、「性的に安易」という意味の「Easy」を付けることで、「オサセの女の子」を指す。それと同時に『Easy A』は、「楽々とAを取る」即ち「学校などの成績が優秀」という意味も持つのである。さて小説「緋文字」では、ディムズデール牧師がすべての真実を、町の人々の前で明らかにすることによって、物語が大団円へと向かう。本作『小悪魔…』では、冒頭から随時挿入されるオリーヴの一人語りが、実はこのディムズデールの告白に当たることが、クライマックスで明らかになる。牧師はすべてを語った後に、愛するヘスターの胸で最期を迎えたが、オリーヴがどんな結末を迎えるかは、皆さまがその目でお確かめいただきたい。 脚本のバート・V・ロイヤルの、ハイスクールを舞台に、「緋文字」をモチーフにした作品を作るというアイディアを、監督のウィル・グラックが、見事な“青春コメディ”に仕上げた、本作『小悪魔はなぜモテる?!』。製作費800万ドルという低予算の作品だったが、全世界で7,500万ドルの興行収入を上げるヒットとなった。本作が初めての単独主演だった、当時21歳のエマ・ストーンは、その魅力と芸達者ぶりを大いにアピール!この作品によって、スター街道を行くことが決定的となった。興味深いことに、先に挙げた『緋文字』と『スカーレット・レター』という、2本の映画化作品も、各々の主軸を為した関係者の、ターニングポイントとなっている。『緋文字』を「失敗作」と捉えたヴェンダースは、時代劇や歴史映画が不得手であることを自覚し、2度と手を出さなくなる。その代わり…というわけではないが、この作品の現場で、ヘスターの娘パールを演じたイェラ・ロットレンダーと、水夫役だったリュディガー・フォーグラーが仲良くなったのを見て、次作『都会のアリス』(73)の企画を思い付き、2人の主演で撮ることになる。そしてこの作品が、“ニュー・ジャーマン・シネマ”のムーブメントの中でも、ヴェンダースを「ロードムービーの巨匠」という位置に押し上げる第一歩となった。一方でデミ・ムーアは、『スカーレット・レター』の失敗を、ヴェンダースのようにプラスの方向には転じられなかった。1980年代中盤から『セント・エルモス・ファイアー』(85)などの作品で、“ブラット・パック”の青春スターとして人気を得た後、『ゴースト/ニューヨークの幻』(90)のメガヒットで、TOPスターの座に就いたデミ。90年代中盤、『スカーレット…』の前後から、“強い女性”を演じることへの執着が、見られるようになる。しかし『スカーレット…』に続く、『素顔のままで』(96)『G.I.ジェーン』(96)といった主演作も、期待されたような成果を上げられなかった。そんなことが重なって90年代末には、TOPスターからの陥落を余儀なくされてしまう。誰もが知ってるような“古典”の“映画化”には、やはりリスクが伴う。本作『小悪魔はなぜモテる?!』のような、聡明な翻案ならば、もちろん大歓迎であるが。■ 『小悪魔はなぜモテる?!』© 2010 Screen Gems, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ステイ・フレンズ
[PG12]恋愛感情なしのセックス・フレンドはアリ?男女の関係をリアルに描くちょいエロラブコメディ
カラダから始まる今どきの恋愛模様をジャスティン・ティンバーレイク&ミラ・クニスが大胆かつ爽やかに好演。主役2人がセックスを楽しむための条件を互いに主張し合う、赤裸々すぎる本音トークが刺激的だ。
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COLUMN/コラム2016.07.15
ステイ・フレンズ
ニューヨーク。人材スカウトのジェイミーは、ロサンゼルスで生まれ育ったアートディレクターのディランを雑誌「GQ」のためにヘッドハントすることに成功する。これをきっかけに飲み友達になる二人だったが、互いに恋人と別れたばかりなことを知って「恋愛関係には絶対ならない」ことを条件にセフレに。だがそれぞれが沸き起こる感情を否定しようとしたことから、二人の仲はこんがらがりはじめてしまい……。 大勢の人が集まる大都会。でも皆忙しいから恋人を見つけることは難しい。そして恋愛がいつか終わりを告げることを考えると、そうした関係はなかなか面倒臭いものである。でもセックスはしたい ……。こうした現代の恋愛事情を、フラッシュ・モブやアプリといった今どきのツールを交えて描いたロマンティック・コメディが『ステイ・フレンズ』だ。 監督は、『小悪魔はなぜモテる?!』(10年)のヒットによって、新世代のコメディ作家と目されるようになったウィル・グラック。エマ・ストーンが映画冒頭でディランを振るガールフレンドとして特別出演しているのは、彼女が『小悪魔』の主演女優だからだ。こんな小さな役でもスターのエマが出演してくれるということは、グラックに「この人と仕事を続けたい」と思わせる才能と人間的な魅力が備わっているのだろう。本作でもグランド・セントラル駅やタイムズスクエアといったニューヨークの名所の風景や、水上ボートの疾走シーンを盛り込んで映像にメリハリを付けているところに彼の才能を感じる。 とはいえ、プロットの関係上、ベッドシーンが多くを占める本作において、最も重要なのは主演のふたりだ。しかも大画面に耐える美しいボディを備えながら、ユーモラスに見せなければいけないのだから、下手な文芸大作よりも演じるのが難しい。この難しい役に抜擢されたのがジャスティン・ティンバーレイクとミラ・クニスだった。 音楽活動におけるスーパースターのイメージの方が断然強いティンバーレイクだけど、レコーディングやツアーの合間に俳優活動も精力的に行っている。『TIME/タイム』(11年)や『ランナーランナー』 (13年)といった主演作のほか、『ブラック・スネーク・モーン』 (06年)や『ソーシャル・ネットワーク』 (10年)、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』 (13年)などでは脇で光るキャラを演じたりと、シンガーの余技を超えた演技力を持つ男だ。 コメディへの取り組みも「イケメンがちょっとふざけてみました」というレベルを遥かに超えている。ティンバーレイクはこれまで老舗お笑い番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』で5回司会を担当しているのだが、40年以上の歴史で16人しかいない「司会を5回以上務めたスター」の中で80年代以降に生まれたのは彼だけだ。 この番組を通じて、レギュラー出演者だったアンディ・サムバーグ(ミラ・クニスを振る男として本作冒頭にゲスト出演していのが彼だ)とは親友となり、ふたりで演じたデジタルショート(ビデオ撮りのネタ)の数々は名作として『SNL』の歴史に輝いている。 また『SNL』出身のレジェンドであるマイク・マイヤーズとは、『シュレック3 』(07年)と『愛の伝道師 ラブ・グル 』(08年)で共演。ここで伝授された笑いのノウハウを、元カノのキャメロン・ディアスとリユニオンした『バッド・ティーチャー』 (11年)では全開させていたりと、「安心してコメディを任せられる」俳優としてハリウッドで認められているのだ。本作でも仕事が出来るイケメン設定でありながら、スイカを食べて下痢したり、数字の計算が超苦手というキャラをイヤミなく演じてのけている。 そんなティンバーレイクに対するヒロインを演じているのがミラ・クニスだ。彼女のことを知ったのがナタリー・ポートマンのライバルを演じたダーレン・アロノフスキー監督のバレエ映画『ブラック・スワン』(10年)という映画好きは多いはずだ。世界的にもそうした認識だったのか、この作品でミラは第67回ヴェネツィア国際映画祭で新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞しているのだが、この快挙にアメリカ人は笑い転げたはずだ。 というのも、彼女は70年代を舞台にしたレトロ調テレビ・コメディ『ザット'70sショー』(98〜06年)で人気者になってから既に10年以上のキャリアを誇っていたからだ。同じ頃始まったアニメ『Family Guy』(99年〜)に至っては、一家の長女メグの声優を今なお務め続けている。 この番組のクリエイターだったのがセス・マクファーレン。彼が映画進出作『テッド』(12年)のヒロイン役にミラを指名したのは、長年の共演から得た彼女のコメディ・センスへの信頼感ゆえだったのだ。そのセンスは本作以外でも、ジェイソン・シーゲル(今作の劇中映画に特別出演している)と共演した『寝取られ男のラブ♂バカンス』(08年)や『デート & ナイト』(10年)といったコメディでも十二分に発揮されている。 このふたりを中心に、ウディ・ハレルソンやパトリシア・クラークソン、リチャード・ジェンキンズといったオスカー受賞/ノミネート俳優たちが周辺に配され、それぞれ同性愛者、恋愛依存症、アルツハイマー病患者を演じることによって、映画には重層的な視点が加わっている。それによって映画では人生を謳歌する術としてのセックスが語られる。だから本作、下ネタ満載でエッチではあるけど全然いやらしくはないのだ。 とはいえ、本作を観ても、セフレから本当の恋人になるなんて、映画の中だけの絵空事と思うかもしれない。でも実際にそうしたことが起きるのだ。その証拠に格好の具体例を挙げてみよう。 『ステイ・フレンズ』と同じ年に、ベテランのアイヴァン・ライトマンが監督した『抱きたいカンケイ』というやはりセフレを題材にしたロマンティック・コメディが公開されている。主演は、ミラがライバル役を演じた『ブラック・スワン』(10年)の主演女優ナタリー・ポートマン、そしてアシュトン・カッチャーだった。 カッチャーは、日本では『バタフライ・エフェクト』(04年)や『ベガスの恋に勝つルール』(08年)、伝記映画『スティーブ・ジョブズ』(13年)で知られている俳優だけど、元々の出世作はミラと同じ『ザット'70sショー』である。しかもそこで彼が演じていたマイケルは、ミラ扮するジャッキーとくっついたり別れたりを繰り返していたのだった。ふたりの相性があまりに良かったことから、番組のファンは私生活でも付き合って欲しいと願っていたそうだが、この時点ではふたりは単なる仲の良い友人同士だった。 ところが『ステイ・フレンズ』と『抱きたいカンケイ』が公開された翌年、ふたりの関係は急展開する。ある授賞式でふたりは久しぶりに再会。ミラが長年交際していた『ホーム・アローン』の名子役マコーレー・カルキンと別れたばかり、カッチャーが05年に結婚したデミ・ムーアと破局したばかりなことを知ったふたりは、「昔から知ってる仲間だから友情が壊れることもない」とセフレになったのだ。でも映画同様、ふたりとも相手が別の人間とデートするのを嫌がるようになり、12年には真剣交際を開始。ウィル・グラックが監督したリメイク版『ANNIE/アニー』に揃ってカメオ出演した14年には婚約および第一子が誕生。15年には正式に結婚している。現在ミラはカッチャーとの第二子を妊娠中だ。セフレから生まれる真実の愛は実在するのである。 Copyright © 2011 Screen Gems, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.06.03
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年7月】にしこ
アート・ディレクターのディラン(ジャスティン・ティンバーレイク)は生粋のLAっ子。しかしあの「GQ」の編集長というポストでヘッドハンティングを受け、ニューヨークへ移り住む事に。彼をヘッドハンティングした腕利きハンターのジェイミー(ミラ・クニス)とニューヨークに不案内なディラン。二人は面倒を見る、見られているうちに意気投合。大親友に! 誰といるより気楽で楽しい!お互い彼女と彼氏と別れたばかり。で、溜まっている!! 「エクササイズ的な感じでセックスする?!」 どちらからともなく持ちかけた誘いで親友からセックスフレンドへ。最初はただセックスを楽しんでいた二人だが、次第になんとも割り切れない気持ちが湧いてきて… という割と最近あるある「恋愛感情より前にセックス」的ラブコメのセオリーはがっつりはずしてないのですが、軽妙で洒脱で気が利いているのです!!この作品!! 主演二人の実力やケミストリーももちろんあると思いますが、監督ウィル・グラッグの演出のなせる業かと。ウィル・グラッグはエマ・ストーン(本作にもちらっと出てます!彼女のキャラクター最高!)主演のスクール・カースト茶化し系コメディの傑作「小悪魔はなぜモテる?!」の監督。テンポがよくてシニカルだけど温かみのあるコメディ作りを本作でも感じます。オープニング・エンドクレジットも洒落てるんだから~♪ 最近、役者としての活躍が目覚ましいジャスティンも、本作では軽めに素敵な歌声を披露してますし、コメディエンヌとしての信頼度バツグンのミラ・クニスのきわどさとキュートさの抜群のバランスも最高!お見逃しなく!! Copyright © 2011 Screen Gems, Inc. All Rights Reserved.