町山智浩のVIDEO SHOP UFO
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COLUMN/コラム2020.03.21
禁酒法時代のカリブ海を舞台に、酒密輸船船長と映画スターのつかの間の恋と冒険を、名匠アンリコ監督がノスタルジックに描く“夢”の映画!
今回ご紹介する映画は『ラムの大通り』というフランス映画です。 『ラムの大通り』というのは、キューバの首都ハバナに実在した地名なんです。舞台となる1920年代にはアメリカで“禁酒法”が施行されていて、キューバなどカリブ海の島々では、“ラム酒”を作ってはアメリカに持ち込む密輸業者が沢山いて、密輸の儲けで栄えた通りが“ラムの大通り”と呼ばれていたんです。 主人公は密輸入者のオッサン、コルニー。演じているのはリノ・ヴァンチュラという元プロレスラーだったフランスのタフガイ役者です。デビュー当時からギャング役で有名で、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のフィルム・ノワールなどでおなじみですね。そんな彼が、本作の監督ロベール・アンリコと組んだ冒険ロマン『冒険者たち』(67年)は日本でもすごい人気ですね。アンリコもヴァンチュラもイタリア系フランス人で、それで意気投合したらしいですね。 そんな二人が、1971年にフランスの大手映画会社ゴーモンから莫大な資金を得て、そのころ大スターだったブリジット・バルドーを相手役に招いて、メキシコ、カリブ海、スペインなど世界各国でロケをして撮った、言わば豪華なリゾート観光映画が本作『ラムの大通り』という大作なんですね。 ヴァンチュラ扮する密輸業者はホントに命知らずの男で、“暗闇撃ち”という賭けで大金を得て、密輸船を手に入れます。そんななか、彼は映画館でサイレント映画を見て、その主演女優に恋をしちゃうんですね。それで密輸業者は、バルドー扮する映画女優リンダ・ラルーを追いかけて行くんです。最初は密輸業者を主人公にしたハードなアクションものかと思っていたら、だんだん中年男の、しかもやくざな中年男の恋物語になって行きます。 ヴァンチュラは本作の中で“キングコング”と呼ばれてるんですね。力が強くて、喧嘩にも酒にも強くて、命知らずのキングコングのような荒くれ者が、映画女優に恋をしたとたん、恋する中学生みたいになっちゃうという、映画ファンにとっては自分を鏡で見るようなね、非常にロマンチックな映画になっています。 『ラムの大通り』、ちょっと映画としてはのんびりし過ぎだと思う人も多いでしょうね。こういうリゾート映画ってそうなるものなんですよ。アンリコ監督としては珍しい作品ですよ。監督はずっとハードな冒険ロマン映画を撮り続けていた人で、第二次世界大戦ではナチスドイツに酷い目にあってるんで、戦争描写などは激烈なんですよ。例えば『追想』(75年)は、戦時中に実際に起きた出来事の映画化なんですが、火炎放射器による残酷描写が本当にリアルでした。だから本来こんな緩めのロマンス映画を作る監督ではないんですよ。 でも僕は子供のころに『ラムの大通り』をTVで見て、このヌルさがとても心地よかったんですよ。吹替だったんですけど、バルドーの声を小原乃梨子さんが演ってらっしゃって、アニメ『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』(1977~78年)のドロンジョの声ですよ! ヴァンチュラの声は森山周一郎さん、あの渋い『刑事コジャック』(1973~78年)の森山さんが演ってました。そんなギャング俳優のヴァンチュラが映画女優に恋しちゃうんですよ! それが僕にはすごく楽しかったんですね。 ヴァンチュラが“キングコング”と呼ばれているのも重要で、キングコングは美女のために身を滅ぼして行く、この『ラムの大通り』は『キング・コング』(33年)、そして元を正せば“美女と野獣”の話なんですよ。 この映画、好きな人も多くて、たとえば鈴木慶一さん。彼のムーン・ライダーズの歌『ラム亭のママ』は、この『ラムの大通り』をそのまま歌にしたものですね。 それにもうひとつ、『ラムの大通り』の終わり方は、アンリコ監督の『ふくろうの河』(61年)にちょっと似てるんですね。つまりヴァンチュラの恋は、実は彼が映画を観ている間に見た夢だったんじゃないか、という。すべての映画ファンがヴァンチュラなんじゃないか、という。そんなところが僕は好きなんですね。 (談/町山智浩) MORE★INFO. ●原作となる『ラムの大通り』(未訳)は、革命家・ジャーナリストとして、3カ国の政府転覆を企て、3度も死刑判決を受けながら、波瀾万丈の末にいずれも脱獄に成功したという、ジャック・ペシュラルの自伝的小説。 ●アンリコはコルニー役に『冒険者たち』(67年)でも組んだヴァンチュラを「コルニー役はヴァンチュラ本来の性格、情熱にあふれたヒューマニスト、に近い」として選んだ。 ●アンリコはリンダ役を、「あの“佳き時代”の女優のムードに難なく溶け込んでゆく女優を他に知らない」とブリジット・バルドーにオファーし、バルドーも、アンリコ監督は「とても感じのいい人」で、役柄も「チャーミングないたずらっ娘で歌まで歌うシーンがある」と喜んで契約書にサインした。両者の初コラボ映画である。 ●アンリコの伝記によると、この映画の撮影中、リノ・バンチェラとブリジット・バルドーは、最後まで親しくはなれなかったそうな。 ●バルドーの伝記によると「バンチェラの契約書には“ラブシーンはしない、どの共演者ともキスシーンはしない”と明記されていた」とおかしそうに書いている。
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COLUMN/コラム2020.02.25
ベトナム帰還兵問題を前面に押し出したサスペンス。名匠エリア・カザン晩年の日本では劇場未公開となった意欲作!!
今回紹介するのは、本当に激レアな『突然の訪問者』(72年)。監督はあのエリア・カザン、『欲望という名の電車』(51年)や『エデンの東』、『波止場』(共に54年)を撮った巨匠の中の巨匠ですね。そんな名匠の作品にもかかわらず、日本では劇場未公開で、ビデオも発売されていない幻の映画です。 物語は、厳冬の森の中の一軒家が舞台。そこに若いカップルと父親が住んでいます。主人公ビルを演じるのはジェームズ・ウッズで、彼の映画デビュー作です。彼はベトナム戦争の帰還兵で、ビルの子を生んだばかりの彼女マーサ(パトリシア・ジョイス)と、西部劇作家として生計を立ている彼女の父(パトリック・マクヴィ)の家に居候しています。そこへ2人の男がやって来ます。それが“突然の訪問者”なんです。 2 人はビルのベトナム従軍時代の戦友で、1人はラテン系の若者、もう1人は死んだ目の無表情な軍曹です。彼らは無理やりビルの生活に入り込んできますが、ビルは彼らを追い出そうとうはしない、それはなぜか……というサスペンスです。 『突然の訪問者』は1972年当時、進行中だったベトナム戦争についての映画です。その頃、ベトナム戦争はアメリカ映画ではほとんど描かれませんでした。タカ派のジョン・ウェイン製作・監督・主演でベトナム戦争を賛美した『グリーン・ベレー』(68年)と、ベトナム帰還兵がアメリカで暴れる『ソルジャー・ボーイ』(71年)くらいでした。ハリウッドが本格的にベトナム戦争を題材に映画作り出すのは『ディア・ハンター』(78年)からで、それまでは政治的なタブーだったのです。 エリア・カザン監督は昔からユダヤ人差別や労働組合などアメリカのタブーについて積極的に触れてきた映画作家なので、彼としてはベトナム戦争に取り組まないわけにはいかなかったわけですが、誰も資金を出してくれなくて、自主製作することになりました。 『 突然の訪問者』はエリア・カザンの個人映画です。舞台となる一軒家はコネチカットにあったカザン監督の自宅で、そこからカメラはほとんど出ません。脚本も監督の息子クリスが書いています。登場人物も前述の5人(赤ん坊を入れても6人)。スタッフはカメラマンと照明、録音そして雑用の4人だけ。しかもカメラマンが編集も担当しています。 実は当時、カザン監督はキャリアのドン底にいました。1940〜50年代に行われた“赤狩り”というハリウッドの共産主義分子を発見して追放する運動で、カザンは過去に共産党に関わっていたので、仲間の名前を明かすよう追求されました。そして彼は映画を作り続けるために仲間を売ってしまいました。しかし、“赤狩り”でハリウッドを追放された人たちは60年代に復権し、逆にカザン監督は裏切り者としてハリウッドでの居場所を失ったのです。 本作は、1966年にベトナムで米兵が現地の女性を誘拐レイプ殺人した事件を基にしたフィクションです。同じ事件は1989年にブライアン・デ・パルマ監督が『カジュアリティーズ』という映画にしています。あの映画のラストでショーン・ペンがマイケル・J・フォックスを脅しますが、そこから先を膨らませた映画です。 超低予算なので技術的に様々な問題がありますが、それが逆にドキュメンタリーのような不気味なリアリティを生んでいます。とにかくレアな映画ですので、この機会にぜひ、ご覧ください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. ●映画の基になったのは「ニューヨーカー」誌のベトナム戦争に関する記事。それを基にした脚本に監督は興味を示したものの、製作はしなかった。この脚本は、後に『カジュアリティーズ』(89年)の基になったとブライアン・デ・パルマ監督は語っている。 ●製作・脚本のクリス・カザンは監督の息子で、当時の義母であるバーバラ・ローデンの初長編監督・主演作『ワンダ』(70年)の影響を強く受けている。 ●父親役のパトリック・マクヴィ以外の俳優はこの映画がほとんどデビュー作だった。 ●撮影はカザン監督の家で行われた。監督の最後から2番目の映画(遺作は『ラスト・タイクーン』〈76年〉)。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2020.01.31
20年代のイギリスを舞台に、歌と踊りを満喫させてくれるケン・ラッセル監督の異色ミュージカル!
今回の映画は1971年の『ボーイフレンド』。主演はツィッギー。1966年にミニスカートを大ブームにしたイギリスのファッション・モデルです。“ツィッギー”とは“小枝のような”という意味で、木の枝のように痩せてがりがりなんです。そして髪の毛はショートカットでボーイッシュ。中性的な容姿が画期的でした。ツィッギーはモデルを経て女優に転身し、その主演作として作られたのがこの『ボーイフレンド』です。 監督はケン・ラッセル。僕の世代には「変態ケンちゃん」と呼ばれていました(笑)。たとえば『肉体の悪魔』(71年)は17世紀フランスで修道女たちが集団で悪魔に憑かれた事件の映画化ですが、尼さんたちがオナニーしたり浣腸されたり、ムチャクチャな内容だったり、『リストマニア』(75年)も実在のピアニスト、フランツ・リストの伝記映画なんですが、巨大なペニスがダーン! と出てくるので、日本では公開できなかったり。それで、ラ ッセル自身が、世間からあまりにも変態だと思われてるから、そうじゃないところも見せようとしてミュージカル・ラブ・コメディの『ボーイフレンド』を撮ったそうです。だけどやっぱり……変態的な映画なんですよ(笑)! まず、作りがメチャクチャ複雑。もともと『ボーイフレンド』は、1953年にロンドンの舞台で上演されて、ジュリー・アンドリュースをスターにした同名のミュージカルの映画化です。そして、そのオリジナルの舞台の「ボーイフレンド」は、1926年の「ガー ルフレンド」というミュージカルのパロディなんです。その1953年の「ボーイフレンド」を1971年に映画化するにあたって、ケン・ラッセルは、1920年代を舞台にして「ボーイフレンド」を上演する劇団の話にしたんですよ。ややこしいでしょ? ツィッギーの役は、最初はアシスタントですが、グレンダ・ジャクソン扮する主演女優が足を怪我したので、彼女の代役を任されます。そして芝居の中で彼女と相手役をする俳優と恋に落ちてしまいます。さらに、ヒロイン以外の登場人物の想像や妄想も次々に映像化され、はっきり言って何が何だかわからない映画になっています。 それに1920年代当時の舞台では、照明は天井からではなく、足もとからライムライト(石灰灯)で照らしていたんですが、ケン・ラッセルはリアリズムにこだわって、その照明を使っています。でも、顔を下から懐中電灯で照らしたら、どんな顔になるかわかりますよね? みんな怖い顔になっちゃってます。とはいえ、製作はハリウッド・ミュージカルの老舗、MGMです。それでラッセルは、1930年代のMGMミュージカルの伝説的振付師だったバズビー・バークレーの手法を再現しました。シンクロナイズされたダンサーの動きを俯瞰で撮影して、万華鏡のような豪華絢爛の映像を作るんです。これは見ものですよ!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. ●舞台の映画化権は1957年にMGMがすでに取得しており、当初の案ではドロシー・キングスリーとジョージ・ウェルズの脚本でデビー・レイノルズ主演、相手役にはデビッド・ニーブン、ドナルド・オコナーなどが検討されたが映画化には至らなかった。 ●監督のラッセルは映画化に当たって、有名なミュージカル監督バスビー・バークレーのスタイルを取り入れた。 ●映画デビューとなったツイッギーは、ポリー役を演じるため歌やタップを、ほぼ一から約9カ月にわたって練習したという。 ●1971年のロンドンでの初公開時には110分のカット版だったが、1987年の再公開時に135分の復元完全版に戻された。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.12.26
自然破壊による絶望に閉ざされた近未来の極限状況を描いた、デストピアSFの問題作!!
今回ご紹介する映画は『最後の脱出』(70年)です。 原題は「No Blade Of Grass(もう草はない)」。近未来、謎のウィルスによって全世界の植物が死に、その草を食べた家畜まで死に、食糧危機で世界の終末が迫るS Fです。 冒頭、世界各地の環境破壊のドキュメント映像で始まります。それを見ながら、この映画の舞台であるロンドンの金持ちたちは、ものすごいご馳走を食べています。「いやー、アフリカ人やアジア人たちは、食べ物がないことに慣れてるからな!」とバカにしていますが、食糧危機はすぐにイギリスにも迫っていきます。 主人公ジョン・カスタンス(ナイジェル・ダヴェンポート)は英国政府関係の仕事で、飢餓問題について研究しているので、誰よりも早く危機の情報を知り、妻や子供を連れて、食料が調達できそうな農村地帯に逃げようとする。彼は危機から人々を救う仕事なのに自分たちのことしか考えていないんです。 製作・監督はコーネル・ワイルド。俳優出身で、ハリウッドから離れて独立プロデューサーとして映画を作り続けた孤高の映画作家です。『裸のジャングル』(65年)はアフリカの現地民に囚われた白人が人間狩りの標的として追われる映画でしたが、最後は追う者と追われる者の間に尊敬が生まれていくのが感動的でした。続く『ビーチレッド戦記』(67年)では、太平洋の孤島をめぐって殺し合う米兵と日本兵の間に一瞬の友情が芽生えます。殺し合いのなかにヒューマニズムやヒロイズムを描いてきたコーネル・ワイルド監督ですが、この『最後の脱出』では、主人公さえ英雄でも正義でもなく、サバイバルのためのケダモノになります。 まずカスタンス一家は銃を手に入れようとします。だけど、銃砲店のオヤジが売ろうとしないので、いきなり主人公は人の道を外れてしまいます。 このへんの展開、ジョージ・A・ロメロの監督の『ゾンビ』(78年)に大きな影響を与えているはずです。カスタンスはどんな理由か不明ですが、アイパッチをしています。『ゾンビ』で、T Vでディスカッションをしている人もなぜかアイパッチをしているんですよ。 で、文明が崩壊すると、どちらも暴走族が暴れまわるんです。『最後の脱出』は、文明崩壊後の世界で暴走族がヒャッハーする映画の元祖だと思います。『ゾンビ』の後の『マッドマックス』(79年)もそうですね。『マッドマックス』に主演したメル・ギブソンが監督した『アポカリプト』(06年)は、コーネル・ワイルドが監督した『裸のジャングル』(65年)の、なんというかその、丸パクリなんですよ。 僕は子どものころ、テレビで『最後の脱出』を観たんですが、トラウマになりましたね。というのも、強烈なレイプシーンがあるんです。アメリカやイギリスではこのシーンはかなりカットされていたそうですが、日本では普通にテレビで放送してました。なぜそのシーンがつらかったかというと、レイプされるのが、主人公の娘で美少女なんです。撮影当時15 ~ 16歳だったリン・フレデリック、いきなりデビュー作でこれですよ。しかも、この映画で父娘を演じたナイジェル・ダヴェンポートとリン・フレデリックは、4年後の『フェイズI V 戦慄!昆虫パニック』(73 年)では、なんとセックスするんですから、観ていた町山少年もいろいろ大変でした。そんなトラウマ映画、覚悟してご覧ください! (談/町山智浩) MORE★INFO. ●原作を気に入っていたコーネル・ワイルドは、69年に自らこの企画をMGM持ち込んで製作・監督したいと申し出た。●ワイルドは脚本家ショーン・フォレスタルを雇うと、仕上げを自らジェファーソン・パスカル名義で担当した。●ワイルドによると、有名スターを起用しなかったのは、“ハプニング”を期待したからだという。はラストに、少女が不毛な地で一葉の“草の葉”が育っているのを発見する、というシーンが当初の脚本には書いていたそうだが、予算の関係で撮影されなかった。●本作はMGMが英国に所有していたボアハムウッド・スタジオで最後に撮られた作品。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.11.22
『セックス・アンド・ザ・シティ』の基ネタになった画期的なセックス・コメディ!
今回ご紹介する映画は『求婚専科』(65年)です。 原題は「SEX AND THE SINGLE GIRL=セックスとある独身女性」。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のことを思い浮かべると思うんですが、実はあの原点が本作『求婚専科』なんですよ。 原作は同名の本で、著者はヘレン・ガーリー・ブラウン。後に女性誌『コスモポリタン』で32年も編集者をした女性で、彼女が独身女性が結婚前に男性とセックスする必要について書いたエッセイ集です。これが1962年に発売されるや、アメリカでは大事件になりました。当時は、結婚していない女性はセックスをしてはいけないと考えられていたからです。 「セックスとある独身女性」というタイトルはどうにも意味不明ですが、元の書名は「SEX FOR SINGLE GIRLS=独身女性のためのセックス」だったんです。ところが、それは直接的でまずい、という出版社の自主規制で「SEX AND THE SINGLE GIRL」に変えちゃったそうです。でも、『セックス・アンド・ザ・シティ』の原作も女性の体験的なエッセイ集で、この『セックス・アンド・ザ・シングル・ガール』を元にして書名がつけられたんですよ。 『求婚専科』は、大ベストセラーの映画化ということで、映画会社も非常に気合いを入れて、オールスターキャストになっています。ヒロインは『ウエスト・サイド物語』(61年)で世界的な大スターになったナタリー・ウッド。彼女が演じるのは原作者ヘレン・ガーリー・ブラウンなんですが、ライターではなく、精神分析医という設定です。つまり完全にフィクションです(笑)。 相手役はプレイボーイ俳優のトニー・カーティス。役はスキャンダル雑誌の編集長。彼のご近所さんの夫婦がヘンリー・フォンダとローレン・バコール。2人ともハリウッドの超ド一流スターですけど、フォンダの役は脚フェチの変態おじさん(笑)。大スターにひどい役をふってます。 監督はリチャード・クワイン。彼は同時期に『女房の殺し方教えます』(65年)という、これもまたセックス・コメディを作ってる人です。ただ、この当時のハリウッド映画はヘイズ・コードという自主規制があるので、セックスについては描いちゃいけない。だから、ものすごくおしゃれに作ってあります。あと、ギャグの量も多い。今観ても腹を抱えて笑えます。 でも、今観ると、女性に対しての扱いがひどい。トニー・カーティスは、自分の秘書やいろんな女性に手を付けまくっているくせに、ヒロインのナタリー・ウッドのことを「処女だ!」と騒いでスキャンダルにしたり、女性差別的なギャグが多い。当時は、男尊女卑から女性の地位向上に向っていく過渡期だったんですね。 「求婚」といっても、全然、結婚を申し込む話ではなくて、独身女性にセックスをすすめている処女の心理学者と、彼女を取材するうちに惚れてしまった雑誌記者のラブ・コメディですね。それで、クライマックスはなんとカーチェイス! 60年代ハリウッドの娯楽映画の技をお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作者のヘレン・ガーリー・ブラウンは、出版社の雑用係から文章力を買われてコピーライターに抜擢、40歳のときに出版した本作がベストセラーとなり、遂には世界的な女性誌「Cosmopolitan」誌の編集長にまでなった。ちなみに、彼女の夫は『JAWS /ジョーズ』(75年)を製作したプロデューサー、デヴィッド・ブラウン。●設定がニューヨーク市からカリフォルニア州ロサンゼルスに変更されているなど、映画はかなり脚色されている。●当初はレスリー・H・マーティンソン監督、ダイアン・マクベイン主演と発表された。●トニー・カーティスが女性のナイトガウンを着ているシーンは、まるで『お熱いのがお好き』(59年)で共演したジャック・レモンのパロディ。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.28
リチャード・ラッシュ監督が観客のモラルに挑戦した大量破壊アクション・コメディ
『フリービーとビーン/大乱戦』は、元祖『リーサル・ウェポン』(87年)のバディ・ムービーです。サンフランシスコを舞台に、ジェームズ・カーン扮する荒くれ刑事のフリービーと、アラン・アーキンが演じるあんまりやる気のない、家庭のほうが大事な中年刑事のビーンがケンカしながら事件を解決していくアクションコメディです。こういう凸凹刑事ものっていっぱいありそうで、実はこの『フリービーとビーン』の前にはなかったんですね。この映画の前は、刑事のバディものといえば、この番組で紹介した『ロールスロイスに銀の銃』(70年)くらいしかなかったんですね。 まず、この映画、とにかくカーチェイスが凄まじい。この数年前に『ブリット』(68年)で刑事に扮したスティーヴ・マックイーンがサンフランシスコで凄まじいスピードのカーチェイスを見せて、ハリウッドで刑事アクションのブームが起こりました。でも、この『フリービーとビーン』はスピードよりも数で勝負なんです。もう70台以上の車をスクラップにします。つまり『ブルース・ブラザース』(80年)の元祖なんですよ。 しかも、その撮り方がえぐい。例えば白いバンが高いところから落ちてグシャッとつぶれるところで、わずか2メートルくらい離れたところに人がいるんですよ。その人のすぐ横にバーンって落ちるんです、車が。危ねぇだろ(笑)!! 当時、コンピュータ・グラフィックスとかないですから、本当にそれをやってるんですよ。 それだけじゃない。『フリービーとビーン』はとんでもない暴力刑事です。カーチェイスや銃撃戦に周囲の一般人を平気で巻き込んで行きます。チアリーダーを車ではね飛ばし、普通の人のアパートの寝室に車で突っ込み、看護婦を間違って撃ってしまいます。それどころか、トイレに追い詰めた敵に二丁拳銃で何十発もの弾丸を撃ち込んで文字通り蜂の巣にします。ふざけながら。そんな残酷シーンをギャグとして演出してるんですよ! 監督はリチャード・ラッシュ。ハリウッドの異端の人で、独立プロデューサー、ロジャー・コーマンの下で、暴走族もの『爆走!ヘルズ・エンジェルス』(67年)を作り、学生運動を描いた『…YOU…』(70年)で注目された、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けた、左翼、反体制、ヒッピー系の監督です。 その反権力の人がなぜ、国家権力による暴力をジョークとして撮影したのか。ラッシュ監督自身がインタビューで答えているんですけど、当時のベトナム戦争であるとか、刑事映画ブームであるとかの、映画や現実にあふれているバイオレンスそのものを茶化したかったというんですよ。「観客は笑いながら、笑っているうちに、自分が笑っていることにゾッとする」そういう映画を撮りたかったと。ところが当時はこの実験は強烈すぎた。流れ弾で看護婦さんが血だらけになるのを観て笑えないですよ。 ただ、80年代に入ると、ジョエル・シルバー製作のアクション映画が暴力で笑わせる映画を作り始めます。『48時間』(82年)、『ダイ・ハード』(88)、そして『リーサル・ウェポン』ですね。で、そこからクエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』(94年)で人の脳みそを吹き飛ばしてギャグ扱いするわけですが。『フリービーとビーン』は早過ぎたんです。タランティーノも『フリービーとビーン』に影響されたと言っています。 観ていて非常に困る映画ですが、それは、作り手の狙い通りです。これは観客のモラルに対する挑戦ですから。ある程度覚悟をしてご覧ください。俺に苦情を言わないでくださいね。作ったのは俺じゃないからね(笑)! ということで、今では考えられない、とんでもない映画ですよ!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●脚本は当初、コメディ要素のない“バディ・ムービー”だったのだが、スタッフと主演の2人が協議してアクション・コメディとなった。だが監督は、カーチェイスばかりに重点を置いていたため、主演の2人は「撮影をボイコットするぞ」と監督を脅したという。●主人公の刑事たちが使う車は、1972年型の白いフォード・カスタム500の警察車用インターセプター・セダン。スタントに使われたのは、廃棄された警察車両が1ダース以上。これはそのまま『ダーティハリー2』(73年)にも使われている。●同時期に撮影されていた『破壊!』(74年)との競合を避けるため公開時期を74年の春からクリスマスに変更した。●主演2人が続投し、監督にアーキンを迎えた正式な続編の企画があったという。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.09.27
自由を求めたコッポラ監督が設立した「ゾエトロープ」で自由自在に撮った“自分探しの旅”
今回はフランシス・フォード・コッポラ監督の『雨のなかの女』という1969年の映画です。コッポラが設立した製作会社ゾエトロープの第1回作品です。それまでのハリウッドの映画会社によるシステムから離れて、完全に独立のプロダクションを立てて映画を作ったんですね。『雨の中の女』のヒロインは、シャーリー・ナイト演じる専業主婦ナタリーで、ある日突然、母親になって家庭に埋没していく人生が嫌になって、夫に黙って車に乗って家出します。そして、ニューヨークからペンシルバニア、ウエストバージニア、テネシー州のチャタヌガ、ケンタッキー、ネブラスカ……というルートであてもなくアメリカを放浪していくロードムービーです。 『雨の中の女』はキャスティングの段階から、学生時代のジョージ・ルーカスが密着してメイキングを撮影し、今でもYouTubeで観ることができます。それを観るとわかるのは、撮影隊がヒロインと実際に旅をしながら、その場でロケハンをして、即興的にシーンを作っていく方法で撮られたことです。つまり、『雨の中の女』は、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(60年)のような、自由で実験的な映画なのです。 コッポラは、ゴダールに代表されるフランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を強く受けて映画を撮り始めましたが、ハリウッドのメジャーであるワーナー・ブラザースに雇われて、『フィニアンの虹』(68年)というミュージカル映画を作らされてショックを受けました。とにかく撮影所の年老いたベテラン・スタッフが頑固で言うことをきかない。何十年もやってきた撮り方を固守するから、映像がどうしても古臭いんです。 もうハリウッドはダメだ、と思ったコッポラは自分の映画スタジオを立ち上げて、低予算で自由気ままに撮ることにしました。それが『雨の中の女』です。 ヒロインはコッポラ自身の母親をモデルにしています。だからイタリア式の結婚式の回想が入るんです。イタリア系の家庭は男尊女卑がひどくて、特に1950年代まで、女性は専業主婦として、家事と子育てする以外の人生がなかった。それでコッポラの母親は「私って何?」と絶望して家出したそうです。モーテルに一泊しただけで、あきらめて家に帰ったそうですが、『雨の中の女』のヒロインは愛を求めてアメリカの南部や中西部に入っていきます。 彼女はヒッチハイクしていた、たくましい元フットボール選手(ジェームズ・カーン)を拾います。カーンはコッポラの大学時代の友人なのでキャスティングされたんですが、実際に元フットボール選手です。夫以外に男を知らないヒロインは野性的なカーンと一夜の情事を体験しようとしますが、できません。カーンは試合中の事故で脳が壊れていたのです。 次にヒロインは優しい白バイ警官(ロバート・デュヴァル)を好きになりますが、彼も思っていたのとは違う男でした。 原題の「レイン・ピープル」とは、雨に流されて消えてしまう人々、涙でできた悲しく孤独な、この映画の登場人物たちを意味します。 自分自身を探してさまようヒロインには、ハリウッドをはぐれて自由を求めながら、この映画を撮影するコッポラ自身が重ねられています。 『雨の中の女』は興行的には成功しませんでしたが、この映画のジェームズ・カーンとロバート・デュヴァル、それにイタリア式結婚式が、コッポラの代表作『ゴッドファーザー』(72年)につながっていったのです。 ということで、巨匠コッポラの原点、『雨の中の女』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●シャーリー・ナイト演じるナタリーは妊娠している設定だったのは、ナイトが実際に妊娠していたから。●ロバート・デュヴァル演じるゴードンが失った妻を回想するが、その妻を演じたの監督夫人エレノア(ノー・クレジット)だった。●フィルム・スクールを卒業したてのジョージ・ルーカスが撮影に密着して、後にこの撮影風景を短編『Filmmaker』(68年)に仕上げた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.08.28
普通の映画とはちょっと違う純文学な味わいのあるビートニクス世代のアクション映画
今回紹介する『ドッグ・ソルジャー』(78年)は、人狼兵士が出てくる2002年のイギリス映画のほうじゃないですよ。ニック・ノルティ扮するレイ・ヒックスというベトナム戦争からの帰還兵が主人公です。 アメリカに帰ってきたレイは、ベトナムにいた親友から送られた大量のヘロインを金に換える仕事を頼まれます。それを嗅ぎつけた麻薬取締局の捜査員たちは腐敗していて、金のためにヘロインを横取りしようと企む。だから彼らに捕まれば、殺されてしまう。なので親友の奥さんを守りながらメキシコへ逃げます。愛用のM16ライフルで追っ手と戦いながら。 こう聞くと、すごくワクワクするアクション映画になりそうですが、ちょっと違うんですね。というのも、原作はロバート・ストーンという人が書いた純文学なんです。 ロバート・ストーンは、もともと“ビート・ジェネレーション”、ビートニクスという運動から出てきた人です。ビート・ジェネレーションというのは、1950年代に始まった若者たちの文学活動。それまでアメリカの保守的な宗教やモラルから解放されて、自由を謳歌する運動で、後のベトナム反戦運動や、ヒッピー・ムーブメント、カウンター・カルチャーの源泉になりました。 だからレイはベトナム帰還兵といっても、『タクシードライバー』(76年)のトラヴィスのような病んだ男ではないんです。原作では、“禅”の研究家で、侍に憧れていたり、ニーチェの哲学を信奉していたり、合気道とか中国拳法の達人として描かれています。 というのも、レイはニール・キャサディというヒッピーのヒーローをモデルにしているからです。キャサディはビート文学の金字塔である、ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード(路上)』で、ケルアックの分身であるサルを引っ張り回して全米を放浪する悪友ディーン・モリアーティのモデルです。 キャサディはその後の1964年、『カッコーの巣の上で』の原作者ケン・キージーと共にサイケデリックにペイントしたバスに乗って全米各地でLSDを配ったことでも有名です。それはアレックス・ギブニー監督の『マジック・トリップ』(11年・未)というドキュメンタリー映画にもなっています。キージーとキャサディは60年代、メリー・プランクスターというヒッピー集団と一緒にコミューンに住んでいました。 この『ドッグ・ソルジャー』はヒッピーが滅んだ数年後の話なので、コミューンは廃墟になっています。そこを砦にして、主人公レイは、襲い来る敵軍団をたった1人で迎え撃ちます。 監督のカレル・ライスはユダヤ系チェコ人で、ナチから逃れてイギリスに渡った人です。第二次世界大戦後、彼は“怒れる若者たち”の小説を映画化していきます。「怒れる若者たち」とは、貴族や地主ら支配階級に、労働者階級の若者たちが怒りを爆発させた文学運動です。そこでビート・ジェネレーションとつながってきます。 レイが守るヒロインはチューズデイ・ウェルド。1950年代のティーンアイドルで、10代から酒や麻薬に溺れた人なので、ヘロインを注射するシーンはリアルです。 主題歌はCCRの「フール・ストップ・ザ・レイン」。ベトナム戦争中のヒット曲で、「誰が雨を止めてくれるのか」という歌詞の「雨」はベトナムへの空爆だと言われています。 以上のように深い深い背景のある異色のアクション、『ドッグ・ソルジャー』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作はロバート・ストーンがベトナム戦争終結直前の74年に出版した『DOG SOLDIERS』(日本では未訳)。翌75年度の全米推薦図書賞に輝いた。●当初、主役のレイ・ヒックス役にはクリス・クリストファーソンを製作者側は希望していたが、出演料が高くて断念。監督のライスが偶然見た『リッチマン・プアマン』(76年TV)のノルティのアクションに感心して本作に推薦した。●ノルティは海兵隊員らしい姿勢を維持するため、撮影の間ずっと背中に固定器を着けていた。●主演ノルティとチューズデイ・ウェルドはあまり相性がよくなかったらしい。彼女は撮影後、契約条項に入っていた「スター扱い」されなかったことでユナイテッド・アーティスツを2500万ドルで訴えた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.07.25
主人公ラクエル・ウェルチの娘役(当時10歳の)ジョディ・フォスターにも注目!
『カンサス・シティの爆弾娘』(72年)は、ローラーダービーという70年代に流行ったスポーツのスター選手が主人公です。バンクのあるトラックをローラースケートで走り、敵チームの妨害をかわしてポイントを稼ぐゲームで、日本ではローラーゲームと呼ばれて、1972年頃、毎週TVで放送されて人気でした。日本のチーム名は「東京ボンバーズ」。キャプテンの佐々木ヨーコさんは大スターでした。 ローラーゲームは実はプロレスのようなものでした。つまりスポーツというよりショービジネス、筋書きがあるエンターテインメントでした。反則攻撃が売り物で、ベンチなどを使った凶器攻撃や、女の人同士が髪の毛を引っ張りあうキャットファイトに観客は熱狂しました。女性選手は体の線がはっきり見える服を着て、ちょっとエロチックな見世物の要素もありました。でも、本作が作られたころはアメリカ人も日本人も無邪気にこれが真剣勝負だと信じていて、それを前提にこの映画は作られています。 主演はラクエル・ウェルチ。あまりにも完璧なスタイルで60年代に世界中の男性をノックアウトしました。特に『恐竜100万年』(66年)での原始人ガールは衝撃で、『ショーシャンクの空に』にも出てきますね。こういうスタイルが良すぎる女性は、ゲイの男性からも人気があるんです。『カンサス・シティの爆弾娘』のシナリオを書いたバリー・サンドラーもそうでした。 サンドラーはUCLAの学生時代、とにかくラクエル・ウェルチが大好きで、彼女を主役にしたローラーゲームの映画が観たくて、自分で一所懸命シナリオを書いて、ラクエル・ウェルチさんの家まで持ってったんですよ。で、ウェルチさんが自分で映画会社に持ち込んで、映画化にこぎつけたんです。サンドラーはこれでハリウッド・デビューして、1982年に書いた『メーキング・ラブ』はハリウッドが始めて同性愛を真正面から描いた映画になりました。 僕が『カンサス・シティの爆弾娘』を観に行った理由は、ラクエル・ウェルチよりも、ジョディ・フォスターが出てるからなんですよ。ウェルチの娘役でね。僕はフォスターのファン世代なんです。そのころ、彼女が出ている映画は『タクシードライバー』から『ダウンタウン物語』、『白い家の少女』(すべて76年)まで片っ端から観てたので、『カンサス・シティの爆弾娘』にも子役で出ていると知って、名画座まで追っかけました。でも、ジョディは売れっ子になる数年前だから、ろくにアップもなかったですけどね(笑)。 この映画、ラクエル・ウェルチは「カンサス・シティの爆弾娘」と呼ばれているんですが、舞台はオレゴン州のポートランドなんですよね。いったんスターの座から落ちたヒロインが、どん底から再起していく、スポーツ物の定番です。共演はケヴィン・マッカーシー。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)とか、昔の50年代のホラーSF映画によく出ていた俳優ですが、本作ではローラーゲームの大物プロモーター、W W Eのヴィンス・マクマホンみたいな経営者を演じていて、ヒロインと恋愛関係になります。監督がT V出身のジェロルド・フリードマンだからか、ちょっとメロドラマ風です。でも、ウェルチ様は権力のある男に屈することなく独りで闘う道を選びます。 ローラーダービーは70年代半ばには廃れましたが、21世紀に入ってから蘇りました。アメリカの女性たちが自主運営でリーグを作っていったのです。真剣勝負のスポーツとしてのローラーダービーを。それは『ローラーガールズ・ダイアリー』(09年)という映画になっていますから、この『カンサス・シティの爆弾娘』とぜひ、比べてみてください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●ウェルチはスケート・シーンのほとんどを自身で演じた。その訓練中に右の手首を負傷したため6週間撮影が中断。その間ウェルチはブダペストへ飛んで、リチャード・バートン主演の『青ひげ』(72 年)にカメオ出演した。●全米のトップ・スケーターはもとより、日本(当時日本で人気絶大だった“東京ボンバーズ”)とオーストラリアのチームも撮影に招かれた。●TVドラマの監督だったジェロルド・フリードマンの劇場映画監督デビュー作。●撮影監督は当初ヴィルモス・ジグモンドが担当するはずだった。●K・Cをいじめるジャッキー・バーデット役ヘレナ・カリアニオテスがゴールデン・グローブの最優秀助演女優賞を受賞した。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.06.25
芸達者で非常にキャラクターが強い俳優を集めた、遺産相続を巡る悪辣なコメディ
今回紹介するのは『三人の女性への招待状』(67年)というアメリカ映画です。日本では現在、観ることができなくなっている作品ですね。 監督はジョセフ・L・マンキウィッツ。彼は『三人の妻への手紙』(49年)で、アカデミー賞の監督&脚色賞をW受賞し、翌年の『イヴの総て』(50年)でも監督&脚色賞をW受賞。2年間に4つのオスカーを獲った記録を持っている名監督です。 『三人の妻への手紙』という映画は、3人の奥さんに「私はこれからあなたの旦那と駆け落ちする」という手紙が届くんですが、どの旦那なのかわからない……という、不思議なミステリーでした。 今回の『三人の女性への招待状』は、イタリアはヴェネツィアから始まります。主演はレックス・ハリソン。『マイ・フェア・レディ』(64年)のヒギンズ教授役や、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)のドリトル先生で日本でもお馴染みですね。彼が演じるM r.フォックスという男は億万長者で、自分だけのために、劇場を借り切って芝居をやらせるような大金持ちです。 その演目はシェイクスピアと同時代の劇作家ベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ』という芝居なんですが、それを観たフォックスはタチの悪いイタズラを思いつきます。自分が病気でもうすぐ死ぬと嘘を言って、遺産を誰に分けたいか考えるから来てくれという招待状を、過去に付き合った3人の女性に書くんです。そして、この3人が、遺産目当てどんな醜い争いをするか、自分にどんなおべっかを使うのかを見てやろうというわけです。 その芝居の手伝いとしてフォックスは、アメリカ人の俳優を雇います。これを演じるのはクリフ・ロバートソン。「アルジャーノンに花束を」を映画化した『まごころを君に』(68年)で主人公を演じたことで有名ですね。 招待される3人の女性は、まず、イーディ・アダムス。マリリン・モンローみたいな、当時のセクシー女優です。2人目は、ヨーロッパの貴族と結婚したフランス人。キャプシーヌが演じています。冷たい感じの美貌の人ですね。3人目はスーザン・ヘイワードが演じる、アメリカの田舎のお金持ちシェリダン夫人。ヘイワードは『私は死にたくない』(58年)という映画で死刑囚に扮して高く評価された演技派ですが、ここでは完全にお笑い演技をしています。 そして、そのシェリダン夫人の付き人にマギー・スミス。TVシリーズの『ダウントン・アビー』の年老いた伯爵夫人として日本でも非常に親しまれている女優さんですが、若い頃はこんなにかわいかったんですよ。 こんな芸達者で濃いキャラクターたちが1カ所に集まって、遺産相続をめぐってどんなコメディを演じるのか?と思って観ていると、この映画、あさっての方向へ話が行きますから! 登場人物のキャラクターもどんどん覆されていくんです。どんでん返しはジョセフ・L・マンキウィッツ監督の得意技ですから。いったいどこに着地するのか、お楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作は邦訳もあるトーマス・スターリングの『一日の悪』。これを『Mr. Fox of Venice』として戯曲化したフレデリック・ノットの台本を監督が映画用脚本化。それにベン・ジョンソンの1605年の戯曲「ヴォルポーネ」を加えたもの。『三人の妻への手紙』(49年)に似てはいるがリメイクではない。●メリル・マッギル役は当初アン・バンクロフトにオファーされたが、彼女が舞台出演と重なったため、イーディ・アダムスに変更になった。●撮影当初からの撮影監督ピエロ・ポルタルピをクビにして、ジャンニ・ディ・ヴェナンツォに変えたが、撮影半ばで肝炎により死去(わずか45歳)、弟子でカメラ・オペレーターのパスクァリーノ・デ・サンティスが引き継いだが、クレジットは辞退した。 © 1967 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved