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PROGRAM/放送作品
ワイルド・スピードX2 【4Kレストア版】
ストリートカーレーサーとなった元警官が、フロリダの麻薬組織壊滅のため再び潜入捜査に挑むシリーズ第2弾
舞台をフロリダに移したカーアクションシリーズ第2弾。『ボーイズ’ン・ザ・フッド』のジョン・シングルトンが監督を務め、後に「ワイスピファミリー」に加わるタイリース・ギブソンやリュダクリスが初登場。
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COLUMN/コラム2022.10.03
現代韓国映画黎明期に清新の風を吹かせた1本『八月のクリスマス』
日本で韓国映画ブームに火を付けた作品と、一般的に認識されているのは、『シュリ』(1999)だろう。当時韓国で人気№1スターだった、ハン・ソッキュが主演。南北分断という朝鮮半島の政治情勢をベースに、韓国と北朝鮮の諜報員同士の悲恋を織り込んだアクション大作である。 2000年1月に、日本公開。興行収入18億5,000万円を上げる、前代未聞の大ヒットとなった。 しかしながら、その前年=1999年の6月に日本公開されて静かに人気を集めた、もう1本のハン・ソッキュ主演作がある。その作品こそが、現代韓国映画の存在を、日本の観客に最初に印象づけた作品であると、指摘する声も多い。 本作、『八月のクリスマス』(98)のことだ。 ***** 静かな街で小さな写真館を営んでいる、30代の青年ジョンウォン(演:ハン・ソッキュ)。 8月、夏の盛りに急逝した友人の葬式から帰ると、若い女性が急ぎの現像のため、写真館が開くのを待っていた。不躾な応対になってしまったことを詫びて、アイスキャンディを渡すジョンウォン。 それから女性は、頻繁に写真館を訪れるようになる。彼女はこの地域の駐車違反の取締員である、タリム(演:シム・ウナ)。 タリムはジョンウォンを、「おじさん」と呼ぶ。2人は他愛ないおしゃべりを重ね、やがてお互いに惹かれるものを感じ始める。 家族や友人と過ごし、そして写真を撮りに来るお客たちの応対をしながら、ジョンウォンはごく平凡な日常を送っている。しかしタリムに対して、打ち明けられない秘密を抱えていた。彼は重病で、余命幾ばくもなかったのだ。 初デートで楽しい時を過ごした2人だったが、タリムは異動になり、この地域から離れなければならない。そこでジョンウォンに会いに行くが、写真館の電気は消えていた。 病状の進んだジョンウォンは、緊急入院していたのだ。そうとは知らないタリムは、「おじさん」への想いを手紙にしたため、写真館の入口に挟んでおくのだったが…。 ***** 1963年生まれのホ・ジノ監督は、大学卒業後に韓国映画アカデミーに進んだ。その後パク・クァンス監督作品の助監督や共同脚本を担当。『八月のクリスマス』は、30代中盤にして撮った、初めての長編作品である。 スタートは、ホ・ジノが韓国の有名な男性歌手の葬式を、TVで見ていた時に浮かんだ構想。その歌手の遺影が笑顔だったことに、ホ・ジノは感動を覚えた。それが発展して、自らの遺影を笑顔で撮影する写真屋の物語が生まれたのである。 リサーチとして、実際に死にゆく者の介護をした経験がある人たちへのインタビューを行った。そこでそういった人たちが、「死んでゆく人に対しては、ある程度の距離を置いて静かに見つめる視線を次第に持つようになる」ことを聞いた。 ホ・ジノ自身が、ものごとに接する時は、抑え目に距離を保って見つめるタイプ。本作は無理矢理に観客の感情を揺らしたりしない、淡々と抑制された静かな語り口となった。 端的には、説明的な描写やセリフを、徹底的に排す。これが作品の叙情性を高め、観る者の想像力を膨らませることで、自然と観客の心を揺さぶる成果を得た。 ホ・ジノは、自分で書くと客観的になれないという理由で、まず自らの考えを脚本家に伝え、上がってきたものに目を通すというやり方で、脚本を作っていく。これは師であるパク・クァンスから、学んだやり方だという。 しかし、そうやって一旦形となった脚本も、決定稿とはならない。「映画が完成するまで変わっていくもの」と捉えている。 映画で撮るキャラクターには、「三つの要素」があるという。脚本上のキャラクター、役者本人のキャラクター、監督自身の中にあるキャラクター。これも師譲りの手法だというが、ホ・ジノはこの中で、「最も自然なものを選んでいく」。 そんなこともあって、リハーサルで俳優の動きを決めたりはしない。そして撮影現場では、俳優に具体的な指示は出さず、質問を投げかける形で、演出を行う。セリフも動きも、現場を一番大切にして、その日の俳優の動きによっては、カメラの位置を変えることも辞さない。 主役のジョンウォンは、常に笑みを絶やさない。ホ・ジノは、ハン・ソッキュと相談。ジョンウォンは死を目前にして、暗くて悲しい気分に違いないが、明るいときもあるだろうという話になった。 介護経験のある者へのインタビューからも、「死期の近い者は、ものの見方が明るくなる」という話を得ていた。ジョンウォンは、いつも笑顔を浮かべながら、その笑みの中には、大きな哀しみも抱えているキャラクターとなった。 一時、「韓国映画界のあらゆるシナリオはハン・ソッキュを通過する」と言われていた大スターは、エンディングに流れる主題歌まで担当した。そんな本作はソッキュにとって、キャリアの上での代表作の1本となった。 本作が本格的な主演デビューだったシム・ウナは、最初にホ・ジノに会った時、「監督の指示通りに演じます。自発的なことは求めないでください」と言ってきた。ところが実際は件の演出方法のため、撮影初日から困惑して大泣き。「ソウルに帰る」と騒いだという。またしばらくの間は、「この監督とは相性が悪い」と、周囲に愚痴っていた。 しかし途中から、自分の役割を見付けた彼女は、アドリブを入れるようになり、演技が良くなっていった。そのため脚本では役割が小さかったタリムの役どころは、どんどん大きくなっていく。本作が最終的に、ジョンウォンとタリムの“ラブ・ストーリー”の色が強い作品になったのは、シム・ウナの演技が素晴らしかったからと言える。『八月のクリスマス』というタイトルの意味は、まずは本作が八月からクリスマスまでの物語であるということ。ホ・ジノは本作で、生活の中での哀しみと笑いがぶつかり合って生まれる情緒を狙ったというが、それが、「夏の八月とクリスマスとが遭遇した感じ」だと語っている。 さて冒頭で紹介した通り、日本でも多くのファンの心を摑んだ、『八月のクリスマス』。本国韓国では大ヒットと共に、映画界に劇的な局面を作った作品の1本に数えられた。 1999年4月に開催された、「大鐘賞」。韓国のアカデミー賞と言われるセレモニーだが、その時“監督賞”にノミネートされたのが、『スプリング・イン・ホームタウン』(98)のイ・グァンモ、『シュリ』(99)のカン・ジェギュ、『美術館の隣の動物園』(98)のイ・ジョンヒャン、『カンウォンドの恋』(98)のホン・サンス、そしてホ・ジノの5人。その内ホ・ジノを含めた3人が監督デビュー作で、残りの2人も監督第2作。そして5人全員が、1960年代生まれの30代だった。 長く続いた軍事独裁政権の時代を経て、80年代の韓国では民主化の流れが強くなった。映画関係でも、シナリオの事前検閲は撤廃され、許可制だった映画会社の設立も、自由にできるように。また外国映画の輸入自由化も進んだ。ビデオや衛星放送などが大きく広がったのも、この頃である。 60年代生まれは、この時代に多感な20代を送って、国内外の映像を浴びるように鑑賞した世代。様々な規制が強かった、それ以前の世代とは、明らかに違った感性の持ち主が、多く育っていたのである。 この世代は当時からしばらくの間、“386世代と言われた。即ち1990年代に30代で、80年代の民主化運動に関わった60年代生まれの者という意味。政治経済から文化まで、その後の韓国社会をリードしていく存在になる。 話を戻して、その時=1999年の「大鐘賞」では、本作『八月のクリスマス』は、“審査員特別賞”と“最優秀新人監督賞”に輝いた。因みにシム・ウナも、本作の次に出演した『美術館の隣の動物園』(98)で、“最優秀主演女優賞”を受賞している。 さて今回当コラム執筆に当たって、参考にした日本の文献では、本作の出現に対して、従来の韓国映画のイメージを覆したことなどが、高く評価されている。その一方で気になったのが、韓国映画に対しての、“上から目線”を感じること。まだまだ、「日本映画の方が上」と思われる時代であったのだろう。 20数年経って現況を考えると、この歳月はあっと言う間であると同時に、まさに「隔世の感」がある。■ 『八月のクリスマス』© SIDUS PICTURES
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PROGRAM/放送作品
ダブル・ミッション
ジャッキー・チェンがスパイと子守に大奮闘!過去作のセルフオマージュ満載のアクション・コメディ
ジャッキー・チェンのハリウッド進出30周年記念作。『プロジェクトA』の自転車スタントや『ポリス・ストーリー 香港国際警察』のデパートダイブなど、往年の作品を彷彿とさせる肉弾アクションの数々を魅せる。
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COLUMN/コラム2020.06.02
昭和の特撮映画ファンに愛された賑やかで楽しいファンタジー・アドベンチャー『地底王国』
英国ホラーの名門アミカス・プロの末期を飾った「エドガー・ライス・バローズ三部作」 イギリスの独立系スタジオ、アミカス・プロダクションが製作したファンタジー・アドベンチャーである。アミカスと言えば、一時期は英国ホラーの殿堂ハマー・フィルムの最大のライバルと呼ばれた会社。アメリカ人プロデューサー、ミルトン・サボツキーとマックス・ローゼンバーグによって設立された同社は、『テラー博士の恐怖』(’65)や『残酷の沼』(’67)、『アサイラム・狂人病棟』(’72)などのオムニバス・ホラー映画に定評があったものの、しかしロマン・ポランスキー監督『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)が大ヒットした辺りからモダン・ホラーの人気が興隆すると、伝統的な英国ホラーは徐々に時代遅れとなってしまう。当時のハマー・フィルムと同様、ホラー映画以外のジャンルにも力を入れるなど打開策を模索したアミカス。その中で最も成功したのが、この『地底王国』(’76)を含む「エドガー・ライス・バローズ三部作」である。きっかけとなったのは、バローズの名作SF小説「時に忘れられた世界」を映画化した『恐竜の島』(’75)。恐竜などの古代生物が生息する謎の島を舞台にしたこの作品は、ちょうど当時レイ・ハリーハウゼン製作の特撮アドベンチャー『シンドバッド黄金の航海』(’73)が大ヒットしたばかりだったこともあり、イギリス映画の年間興行成績ランキングでトップ20に入るという、アミカス作品としては異例の大成功を収める。そこで同社は、同じケヴィン・コナー監督、ダグ・マクルーア主演の『地底王国』、さらに『恐竜の島』の続編にあたる『続・恐竜の島』(’77)を発表。結局、この三部作を最後にアミカス・プロは倒産してしまうのだが、古式ゆかしい特撮技術を駆使したこれらの作品は世界中のファンタジー映画ファンに愛され、昭和の日本でもしょっちゅう地上波テレビで放送されていたものだ。原作はバローズの小説「地底の世界ペルシダー」。19世紀末のイギリス、天才科学者ペリー博士(ピーター・カッシング)はアメリカ人の大富豪デヴィッド・イネス(ダグ・マクルーア)から資金提供を受け、巨大ドリルを装備した地底探検用ロケット、アイアン・モールを完成させる。大勢の観衆に見送られてアイアン・モールへ乗り込み、地底探検の冒険旅行へと出かけることになったデヴィッドとペリー博士。そこで彼らが目にしたのは、独自の進化を遂げた伝説の地底王国ペルシダーだった。奇妙な形をした植物が生い茂り、見たこともない種類の巨大生物が闊歩する地底空間。そこには原始的な文明を持つ地底人が暮らしていたが、しかし彼らは爬虫類と鳥類のハイブリッドのような種族メーハーに支配され、そのメーハー族にテレパシーで操られた半人半獣のサゴス族によって奴隷のような扱いを受けていた。しかも、最終的にはメーハー族の餌になってしまう。サゴス族に捕らえられてしまったデヴィッドとペリー博士。地底人の王様ガーク(ゴッドフリー・ジェームズ)やお姫様ディア(キャロライン・マンロー)、勇敢な若者ラー(サイ・グラント)たちと知り合った2人は、やがて地底人を解放するためメーハー族やサゴス族に立ち向かっていくこととなる。『007』シリーズや『サンダーバード』のスタッフが集まった手作り感満載の特撮アミカス社長の片割れミルトン・サボツキーの手掛けた脚本は、バローズの原作をほぼ忠実に脚色しているものの、しかしいきなり地底探検へ出発するシーンから始まるなど、余計な説明や前置きの一切を排したコンパクトなスピード感が出色。とにかくサクサクとストーリーが進行し、メーハー族やサゴス族、そしてバラエティ豊かな巨大モンスターたちとの戦いをたっぷりと楽しませてくれる。また、全編に渡って屋外ロケをせず、スタジオに建設された巨大セットおよびミニチュアセットでの撮影で完結させることによって、統一感をもって地底王国の摩訶不思議な世界を再現することが出来たのも良かった。おかげで、屋外ロケとセットの雰囲気の違いが露骨だった『恐竜の島』に比べて、アナログな特撮シーンとの合成が違和感なく馴染んでいる。それにそもそも、この箱庭やジオラマのような作り物感は大変魅力的だ。『恐竜の島』との大きな違いと言えば、巨大モンスターをパペットではなく着ぐるみスーツで描いているのも面白い。これはケヴィン・コナー監督のこだわりだったそうで、『ウルトラマン』をはじめとする日本の特撮テレビ番組に影響されたらしい。二足歩行のサイみたいな巨大モンスター同士が血みどろのバトルを繰り広げるシーンなどはなかなかの迫力。しかも、口にくわえた人間はまるでスーパーマリオネーションである。実は本作の特撮監修とメカデザインを手掛けたイアン・ウィングローヴは、あの『サンダーバード』の特撮助手だった。地底探検用ロケット、アイアン・モールが『サンダーバード』の地底戦車ジェットモグラと酷似しているのはそのためかもしれない。美術デザインおよびクリーチャー・デザインを担当したのは、歴史ドラマ大作『ベケット』(’64)や『1000日のアン』(’69)でオスカー候補になったモーリス・カーター。ロンドンのパインウッド・スタジオに建設された地底王国のセットデザインがとにかく素晴らしい。また、『007』シリーズや『2001年宇宙の旅』(’68)で知られる特撮合成の第一人者チャールズ・スタッフェルによるスクリーン・プロセスも、驚くほどナチュラルな仕上がりでクオリティが高い。まあ、若い世代の映画ファンからすればチープに感じられるかもしれないが、こういう古き良き時代の素朴な特撮も、現代のデジタル技術とはまた違った味わいがある。ちなみに、劇中で滝のように流れる溶岩は工作用の糊に着色したものだそうだ。カルト映画の女王キャロライン・マンローのお色気も必見!主演のダグ・マクルーアはテレビ西部劇『バージニアン』(’62~’71)でブレイクしたハリウッド・スター。ケヴィン・コナー監督とは「エドガー・ライス・バローズ三部作」を含む通算5本の映画で組んだ名コンビだが、実は当時既婚者だったマクルーアはコナー監督の秘書と不倫関係にあり、ロンドンに住む彼女と会うためにコナー監督との仕事を引き受けていたらしい。2人はマクルーアの離婚が成立した’79年に再婚している。なるほど、そういう裏事情があったのですな。ちょっとトボけたペリー博士役を飄々と演じているのは、ご存じクリストファー・リーと並ぶ英国ホラー界のスーパースター、ピーター・カッシング。彼はコナー監督がアミカス・プロで撮った処女作『呪われた墓』(’74)にも出演している。シリアスな怪奇俳優であるカッシングのコミカルな芝居は珍しく感じるかもしれないが、しかし彼はもともとコメディアンを目指して演劇界に入り、若い頃はボードヴィルの舞台にも立ったことがある人物。それゆえであろうか、本作の彼は実に楽しそうだ。そして、ビキニスタイルのセクシーなコスチュームも眩しいヒロイン、地底王国のお姫様ディアを演じているのは、『怪人ドクター・ファイブス』(’71)や『ドラキュラ’72』(’72)、『吸血鬼ハンター』(’73)に『シンドバッド黄金の航海』(’73)と、当時ジャンル系映画のスターとして引く手あまただったカルト映画女優キャロライン・マンロー。実際、本作ではアメリカの出資者が彼女の出演を強く希望していたため、オーディションなど一切なしでオファーされたという。当時の宣材資料を見ても彼女はマクルーアやカッシングよりも大きくフューチャーされており、少なくともジャンル系映画の世界では興行価値の高い女優だったことがよく分かる。確かに、この頃のキャロライン・マンローは抜群に美しい。なお、アミカスで「エドガー・ライス・バローズ三部作」を撮り終えたコナー監督は、次回作としてあの「ジョン・カーター」シリーズの映画化に着手したらしいのだが、しかし莫大な予算がかかることがネックになって断念。その代わりとして作られたのが、海底に沈んだアトランティスが実は火星人の都市だったというSFファンタジー『アトランティス7つの海底都市』(’78)。さらに、クリストファー・リー主演でアラビアンナイトの世界を描いた『Arabian Adventure』(’79・日本未公開)を撮ったコナー監督は、ホラー・コメディ『地獄のモーテル』(’80)を機にアメリカへ拠点を移し、日本の東映と合作した怪作『ゴースト・イン・京都』(’82)を発表。それ以降はテレビ映画やミニシリーズで活躍することとなる。■ 『地底王国』(C) 1976 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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PROGRAM/放送作品
ミッシング・デイ
養女に迎えた愛娘を取り戻せ!人身売買を企む詐欺集団との熾烈な戦いを描くクライムサスペンス
養子縁組で孤児を家族に迎え入れた夫婦が、失踪した娘を取り戻すため凶悪な詐欺集団に挑むサスペンス。ジョン・キューザックが詐欺集団のボスを憎らしげに怪演。夫婦と詐欺集団が繰り広げるカーチェイスも迫力満点。
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COLUMN/コラム2019.12.27
遅れてきたアクション映画界の大型ルーキー、快進撃を続けるジェイソン・ステイ サム!
今、最も旬なアクションスターは誰か? アクション映画界は長らくシルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、チャック・ノリスといったメンバーが、寡占ともいえるほ業界を牛耳ってきた。しかし、スタローンは73歳、シュワルツェネッガーは72歳、ジャッキー65歳、セガールは67歳で、ノリスに至っては79歳なのである。人類の平均寿命が延び、年金の支給開始がどんどん後ろ倒しになり、定年後も再雇用やセカンドキャリアが当たり前になっている昨今だとしても、いくらなんでも70代の後期高齢者にアクション映画界をいつまで背負わせているのかと怒られても致し方なしの状況は非常に問題だ。アクションスターの後継者問題は非常に深刻なレベルにあり、特に欧米のアクションスターの人材枯渇っぷりはみていて心配になるレベル。アクションスターという存在が、絶滅危惧種と言われても否定できない状態になっている。 しかしぼくのように年がら年中アクション映画ばかり観ている輩からすると、「心配ご無用!」と太鼓判を押したくなる新進気鋭の若手アクションスターがここにいる。ジェイソン・ステイサムである。 1967年、イングランド中部ダービーシャーで生まれたステイサムは、地元の露店で働きながら、カンフー、キックボクシング、空手といった武道を習得。またサッカー選手としても活躍し、のちに映画で共演することになる元プロサッカー選手ヴィニー・ジョーンズと共にフィールドを駆け回っていた時期もあった。しかし何と言ってもステイサムの才能が開花したのは、水泳の飛び込み競技。イギリス代表候補になるほど卓越した成績を残していたが、ステイサムはアスリートの道ではなくファッションモデルとしてキャリアを積み始める。トミー・ヒルフィガー、グリフィン、リーバイスといった有名ブランドのモデルを務めるだけでなく、シェイメンやイレイジャーといったバンドのミュージックビデオにも出演。そしてステイサムがモデルとして契約していたブランドのフレンチ・コネクションがある映画のスポンサーとなっており、その宣伝もかねてステイサムはその映画に出演することになる。新人監督ガイ・リッチーの長編監督デビュー作であり、ステイサムの映画デビュー作でもある『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98年)は、その年のイギリス映画のナンバー1ヒット作となり、主人公グループの一人を演じたステイサムも映画俳優として注目を集めるようになっていく。さらに続くガイ・リッチー監督作『スナッチ』(00年)にも引き続き出演。本作では狂言回しの主人公を演じ、俳優としてのステータスは一気に上がったのであった。 ステイサムの転機となったのは2001年に公開された『ザ・ワン』(01年)。ジェット・リーという稀代のアクションスターと共演したこの映画を皮切りに、ステイサムは本格的にアクション俳優としての活動を開始。リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社制作の『トランスポーター』シリーズ(02年~)では、無敵の運び屋フランク・マーティンに扮し、ステイサムの身体能力をフルに発揮したアクションとド派手なカースタンを披露。ステイサム主演で第3作まで作られる人気シリーズとなり、興行収入もうなぎ上りで『トランスポーター3 アンリミテッド』(08年)ではついに世界興収が1億ドルを突破することになる。他にも、アドレナリンを出し続けないと死んでしまう劇薬を投与された殺し屋の活躍を描く『アドレナリン』シリーズ(06年~)、シルベスター・スタローンが消耗品扱いをされてきたかつてのアクションスターを結集して制作した大傑作『エクスペンダブルズ』シリーズ(10年~)、チャールズ・ブロンソン主演作のリメイクとなる『メカニック』シリーズ(11年~)といった人気シリーズに次々と出演。確実に数字を見込めるアクションスターとしてその方向性は確定していくことになる。 しかし興収が1億ドルを突破するようなアクション大作にだけ出演する、単なるアクション俳優で終わらないのがステイサム。『バンク・ジョブ』(08年)や『ブリッツ』(11年)といった渋めのスリラーでもその存在感をアピールし、『SAFE/セイフ』『キラー・エリート』(共に11年)、『PARKER/パーカー』『バトルフロント』(共に13年)のような単発の佳作アクション映画にも主演。まさに八面六臂の大活躍で、アクション映画俳優としての地位を確立したのだった。 ステイサムのアクションの魅力は、幼少期に経験した様々な格闘技をベースにしたガチンコのファイトコレオグラフィと、抜群の身体能力を活かしたスタント。さらに水泳競技で鍛え上げた無駄のない肉体美の躍動だ。大先輩のスタローンやシュワルツェネッガーのように巨大な筋肉の鎧ではなく、最盛期の総合格闘家ヴァンダレイ・シウバのように発達した広背筋と強くしなやかな筋肉がステイサムの強さの説得力となっているのだ。 閑話休題。ここでアクション映画界に存在する“もう一つの頂”、『ワイルド・スピード』シリーズ(01年~)に話を移そう。元々ヴィン・ディーゼルと故ポール・ウォーカーのコンビが繰り出すド派手なカーアクションで人気になったこのシリーズだが、シリーズ第5弾『ワイルド・スピード MEGA MAX』(11年)からDSS捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が参戦した辺りから肉弾アクションも増量。それに伴って興行収入も倍々ゲーム状態で増加している人気シリーズである。 そんな人気シリーズの第6弾『ワイルド・スピード EURO MISSION』(13年)では、これまでアメリカ、日本、ブラジルといった世界をまたにかけて活躍するワイスピ一家が、ついにヨーロッパに乗り込んだ作品で、イギリス特殊部隊出身のオーウェン・ショウ率いる犯罪集団との激闘を描くアクション大作だ。ハイウェイで戦車とのカーチェイスや、巨大輸送機とのカーチェイスなどド派手なアクションが続く本作は、ワイスピ一家がオーウェンを逮捕して終わるのだったが、エンドクレジット後に流れた映像は、まさに世界を震撼させるものであった。そこでは東京で瀕死の重傷を負ったワイスピ一家の主要メンバーであるハンの姿が。シリーズ第3弾『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(06年)で事故死したとされていたハンは、謎の人物によって殺されていたのだった。その人物こそオーウェンの実兄であり元SAS最強の男デッカード・ショウ、演じるのはジェイソン・ステイサムその人であったのだ! ステイサムのワイスピシリーズ参戦のニュースは衝撃をもって世界で迎えられた。続く『ワイルド・スピード SKY MISSION』(15年)では、ステイサム演じるデッカードが本格的に参戦。タイマンでホブスをボコり、カーチェイスでもワイスピ一家の強豪を上回る腕前を披露。たった一人でこれまでの主要登場人物全員を出し抜くチート状態で、ワイスピ一家はシリーズ最大の危機を迎えることになる。 主演陣のひとりであるポール・ウォーカーが撮影中に事故死するという悲劇を乗り越えて制作された『SKY MISSION』は、世界興収15億ドルを突破するというシリーズ最大の興収を記録。殺されずに逮捕されて刑務所に収監されたデッカードは、必ずや後続のシリーズでふたたび最強の敵としてワイスピ一家の前に立ちふさがるに違いない……映画を観たすべての観客がそう思ったはずだ。 しかし続く『ワイルド・スピード ICE BREAK』(17年)ではいきなりデッカードは弟のオーウェンと共にワイスピ一家側として参戦。さらにデッカード兄弟の母親であるマグダレーン(オスカー女優ヘレン・ミレン!)まで登場し、ショウ家は家族総出で謎のハッカー・サイファー(オスカー女優シャーリーズ・セロン!)と激戦を繰り広げることになる。この前作最強の敵が、次作では強力な味方となって、さらにコメディ的な役割も担う展開を、ぼくは勝手に“魁!男塾システム”と呼んでいるのだが、このシステムによってステイサムは前述の人気シリーズに加えてワイスピシリーズにもレギュラー参戦することになったのだ。 そしてワイスピシリーズ初の長編スピンオフ『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』では、デッカードはいきなり主役に昇格。ホブスとともに無敵の改造人間ブリクストン(イドリス・エルバ!)と激闘を展開するデッカードには、さらに強力な助っ人MI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)が登場。しかも何とハッティはデッカードの妹ということで、ワイスピ一家の増殖スピード以上にショウ家の増殖スピードが早すぎて、ますますステイサムはワイスピに必要不可欠な人材になっているのである。 という感じで、自身のシリーズ物を何作も抱えつつ、『エクスペンダブルズ』『ワイルド・スピード』という世界的なメガヒットシリーズでも重要な登場人物を演じ、さらに小粋なサスペンスや小品アクション映画にも多数出演。つまり今のアクション映画界はステイサム抜きでは語れない状態なのである。52歳にして意気軒高なステイサム。あと20年はその活躍から目が離せないぞ。■ 『ワイルド・スピード EURO MISSION』©2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード SKY MISSION』© 2015 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード ICE BREAK』© 2017 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
バニシング・ポイント(1971)
[PG12]時速200kmでハイウェイを爆走!アメリカン・ニューシネマを代表する名作カーアクション
サンフランシスコへ車で向かう男が賭けに乗り、時速200kmの猛スピードで警察と繰り広げるカーチェイスが圧巻。当時の社会に対する怒りや反発が投影され、アメリカン・ニューシネマの傑作として名高い。
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COLUMN/コラム2015.12.05
髑髏が怪異な現象を巻き起こす『がい骨』は、今は亡き、2大怪奇スター競演が魅力!
だがハマー作品も、60年代終わり頃からマンネリ化と作品の質の低下(今振り返れば、それでも充分面白かったが)を招き、観客に飽きられはじめて興行も厳しい状況に陥っていった。それでもハマーを世界的に知らしめた、『フランケンシュタインの逆襲』(57年)と『吸血鬼ドラキュラ』(58年)でのピーター・カッシングとクリストファー・リーの競演は、ホラー映画史に刻むほどの名場面の数々を生んだ……。 比較的若い映画ファンからすれば、カッシングといえば『スター・ウォーズ』(77年)での帝国軍モフ・ターキン役で知られているし、リーの場合は『スター・ウォーズ エピソード2&3』(02・05年)のドゥークー伯爵役や『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(01・02・03年)のサルマン役、そしてティム・バートン監督作品などで人気を集めてきた名優だ。 ピーター・カッシングとクリストファー・リーは、60年代から英国製怪奇映画のスターとして海外でも広く知れ渡り、SF&ホラーのジャンル系映画を製作するアミカス・プロダクションの映画にもたびたび出演した。アミカスは、オムニバス形式の怪奇ホラー物に活路を見出し、『テラー博士の恐怖』(64年)をはじめ、『残酷の沼』(67年)、『怪奇!血のしたたる家』(71年)、『魔界からの招待状』(72年)などを次々と発表し、単独のSF&ホラーものでは、『Dr.フー in 怪人ダレクの惑星』(65年)、『怪奇!二つの顔の男』(71年)、『恐竜の島』(74年)、『地底王国』(76年)などを製作してきた。 そのアミカスが65年に製作した『がい骨』では、カッシングとリーを競演させたうえ、ハマーの『フランケンシュタインの怒り』(64年)や『帰って来たドラキュラ』(68年)では監督を務めつつ、Jホラーにも多大な影響を与えた心霊映画の名作『回転』(61年)、デヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』(80年)や『砂の惑星』(84年)では撮影監督を手がけたフレディ・フランシスが監督に抜擢された。 怪奇スターのカッシングとリー、監督フランシスの3人は、アミカスのオムニバス作品『テラー博士の恐怖』で一度組んで実証済みの黄金トリオ。その3人が挑んだ『がい骨』は、ロバート・ブロック(代表作「サイコ」「アーカム計画」)の短編小説「サド侯爵の髑髏」(朝日ソノラマ発行「モンスター伝説 世界的怪物新アンソロジー」所収、現在絶版)が原作である。 物語はとてもシンプルで、悪魔学や黒魔術等のオカルト研究家として名高いクリストファー・メイトランド(ピーター・カッシング)が、骨董商人マルコが売りつけようとした不気味な髑髏の魔力に徐々に魅せられてゆくという怪奇譚。 メイトランドは、マルコから昨日も、人皮で装丁された古めかしい奇書「悪名高きサド侯爵の生涯」を購入し、それを愛でるように読んでいた。そして今回持ってきた髑髏は、サド侯爵のものだとマルコは言う。「1814年、サド侯爵が埋葬されてまもなく、頭部が盗まれた。盗んだのは骨相学者ピエールで、彼は研究対象としてサドに興味があった。サドが本当に常軌を逸していたかを、髑髏から探ろうとしていたんだ。数日後、死んだピエールの友人である遺言管理人ロンドがピエールの家を訪れると、ピエールの愛人が“彼は、あの夜から邪悪に豹変した”と言う。まもなく髑髏の魔力により、ロンドがピエールの愛人をナイフで殺害した。彼は自らの犯行を説明できず、唯一、口にした言葉が、“髑髏(がい骨)”だった……」 メイトランドは、マルコからその話を聞かされても真実か否か疑わしく、しかもあまりに高額のため、購入を躊躇していた。 だがまもなく、メイトランドのライバルで知人でもあるオカルト蒐集家フィリップス卿(クリストファー・リー)から意外な事実を知らされる。あの髑髏は、フィリップス卿の蒐集品の一つで、何者かに盗まれたという。しかもフィリップス卿は、「盗まれて、ホッとしている。君も手を出すな」と。さらに迷信を信じない彼が、「あれは危険だ。サドが異常ではなく、悪霊に憑かれていた。髑髏には今も悪霊が……」と言う姿を見たメイトランドは、あの髑髏がサドのものであると確信を得て、心底欲しくなってしまう。 そしてフィリップス卿は、先日の有名なオークションで17世紀の石像4体(ルシファー、ベルゼブブ、リヴァイアサン、バルベリト)を高額落札したのは、髑髏の意志だったと言う。 導入部のオークション会場で、フィリップス卿が石像4体をメイトランドと異様に競って落札した理由がここにあった。会場でフィリップス卿が少しばかり病的に見えたのも、髑髏に脅えていたせいかもしれない。あげくに、その石像がどのように用いられるのか、フィリップス卿が身を持って知る展開も見事だった。 かたやメイトランドにとって、マニアやコレクターの性(さが)のせいか、恐怖や呪いの話を聞かされても、それ以上にサド侯爵の髑髏が欲しくてたまらない。私のものにするんだという強い執着心を抱き、なんとか手に入れようとする。 サド侯爵の髑髏(造型物らしさはなく、本物の人骨のよう)は不気味だが、見た目は“がい骨”そのもの。髑髏の意志を表現するため、髑髏の2つの眼孔の内側から見たような主観映像がたびたび挿入される。それはメイトランドを見据えるかのような印象を与えるが、恐怖までは感じられない。そのため、髑髏で恐怖を表現するのではなく、髑髏の意志によって人間の欲望が増幅(強調)され、存在感いっぱいの怪奇スターが異常行動を見せる! そこに緊迫感が生まれ、恐怖を滲ませる。 例えばその一つが、マルコのアパートをメイトランドが訪れた際に起きる衝撃のアクシデントだろう。ある男がアパートの上層階から、吹き抜けに取り付けてあるステンドグラスを幾つもつき破って落下してゆく凄絶ショット(まるでダリオ・アルジェント作品を観ているような興奮を覚えた)。 白眉はメイトランドと髑髏が対峙する、約20分にもおよぶ終盤のシークエンスだろうか。メイトランドは、髑髏を自分の書斎のガラス戸棚に収容するが、やがて髑髏は魔力を発揮し宙に浮遊しはじめる。その魔力に屈したメイトランドは、ベッドに寝ている妻を殺害しようとする。この一連のくだりは、ピーター・カッシングの台詞らしい台詞がひとつもない一人芝居で、彼の名演とフレディ・フランシスの演出が相まって、見事な緊迫感を生んでいる。 現在のホラー映画はVFXの見せ場が幅を利かせているが、かつては怪奇スターと監督の絶妙なコラボレーションによって興奮したものである。VFXの見せ場も嬉しいが、今では怪奇スター不在に寂しさを感じる。 劇中半ばに、メイトランドとフィリップス卿がビリヤードを興じる場面がある。カッシング、リー、フランシスの3人は鬼籍に入ってしまったが、あの世でのんびりとビリヤードを楽しんで欲しいと願う。『がい骨』での怪奇スター競演を観ながら、映画界で長年活躍してきた3人に感謝したい気持ちでいっぱい……。■ COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ワイルド・スピードX2
ストリートカーレーサーとなった元警官が、フロリダの麻薬組織壊滅のため再び潜入捜査に挑むシリーズ第2弾
舞台をフロリダに移したカーアクションシリーズ第2弾。『ボーイズ’ン・ザ・フッド』のジョン・シングルトンが監督を務め、後に「ワイスピファミリー」に加わるタイリース・ギブソンやリュダクリスが初登場。
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COLUMN/コラム2014.12.18
実は凄い子!ホンモノの格闘家テイラー・ロートナーの『ミッシングID』
多くの場合、映画の中では演技のプロである俳優がアクションをすることになるのだが、撮影前にどれほどトレーニングを積んだとしても、彼らのアクションが素晴らしい出来になるとは限らない。むしろ「スタントマンに任せておけば良いのに……」と思わせるような“半端に頑張っちゃった映画”が非常に多いのだ。 だからこそ筆者は常に思う。「演技力のあるホンモノの格闘家のアクション映画が観たい!」 最初にその筆者の願望を現実のものとしたのは、言うまでもなくブルース・リーだ。中国武術の詠春拳に始まり、空手、ボクシング、柔道、シラット、カリと様々な武術を融合させ、現在のMMA(Mixed Martial Arts:総合格闘技)の礎を気付いたブルース・リーは、『燃えよドラゴン』で映画における格闘技アクションのオリジナルにして完成形を提示した。その後のカンフー映画の大ムーブメントでは多くの武術家が映画に進出し、スクリーンでその技を見せ付けてくれたのだった。 またブルース・リーの親友で世界プロ空手選手権ミドル級王者のチャック・ノリスは、ハリウッド映画に本物の空手アクションを取り入れるとともに、タカ派アクション全盛の波に乗ってヒット作を連発させることに成功。80年代末期にはスティーヴン・セガールが、合気道というまったく新たな(それでいて伝統的な)格闘スタイルをアクション映画に持ち込み、全世界のアクション映画ファンの度肝を抜いている。 そしてアメリカで総合格闘技イベントUFCが産声を上げると、打撃系格闘技でない新たな護身格闘技としてブラジリアン柔術が知られるようになり、UFCが世界的な人気を博すようになると、ランディ・クートゥア、チャック・リデル、クイントン“ランペイジ”ジャクソンといった、現役格闘家が映画に出演するようになったのは2000年代に入ってからとなる。同時期にアジアでは古式ムエタイのエッセンスをふんだんに取り入れたタイ映画『マッハ!!!!!!!!』や、インドネシアの伝統武術シラットの達人たちが出演する『ザ・レイド』が世界的な評価を受けるようになっている。 こうしたアクション映画の成功事例に共通するのは、単に本物の格闘技をその道の達人たちとともにそのまま映画の世界に持ち込んだわけではなく、既存の映画のアクションの方程式の中に本物のエッセンスをふんだんにまぶすことで、映画のアクションに対するリアリティを格段にアップさせた点である。そして俳優として人気を博しながらも、前述のアクション映画でのリアリティを大いに感じさせるアクションの出来る俳優、その中でもイチオシとなるのが、テイラー・ロートナーなのである。 ロートナーと言えばアメリカで社会現象になるほどの大ヒットを記録したヴァンパイア・ラブロマンス『トワイライト』で人狼青年ジェイコブを演じたことで、ティーンの人気を獲得したイケメン。今では映画一本の出演料が2000万ドルを超えるAランク俳優として活躍していることは、周知の通りである。しかしこのロートナーは、単なる二枚目俳優ではないのだ。 1992年2月、ミッドウェスト航空のパイロットである父とソフトウェア開発会社に勤める母の下に生まれたロートナーは、6歳から空手を習い始め、7歳の時にはアメリカ国内の空手トーナメントに出場。そこで空手やテコンドーの師範であるマイケル・チャットと出会い、チャットの道場であるエクストリーム・マーシャルアーツへの入門を許可される。そこでメキメキと頭角を現したロートナーは、8歳にして黒帯を取得。いくつかのジュニア世界選手権で優勝し、キックボクシングで有名なISKA(国際競技空手協会)の国際大会でも優勝して、2003年には空手の世界ランキング1位になっている。ロートナーは名実ともに世界最強の少年空手家であったのだ。 そしてロートナーの師であるチャットは、『パワーレンジャー』シリーズや『オースティン・パワーズ』などの映画/テレビでスタントマンを務めていたため、その世界にロートナーを紹介。様々な民族がミックスされたエキゾチックなルックスを持ち、世界ラインキング1位の空手家という完璧を絵に描いたロートナーは、オーディションに次々と合格。『トワイライト』のジェイコブ役で全米最高のマネーメイキングスターの仲間入りをしたのだった。そんなロートナーの初主演作が、本稿で取り上げる『ミッシングID』なのである。 ケンカっぱやいのが玉に傷な男子高校生ネイサン・ハーバー。ネイサンに徹底した格闘スキルを叩き込み、その習得状況は非常に厳しくチェックが入るという点において一風変わってはいるが、理解のある両親のもとで幸せに暮らしていた。ただ時折見る女性が殺される生々しい夢に悩まされており、カウンセラーのベネット医師の下に通っていた。ある日幼馴染のカレンとともに学校の課題のために児童誘拐の調査を始めたネイサンは、誘拐被害児童の情報提供を呼びかけるサイトで驚くべきものを見付けてしまう。それは、自分自身の幼少期の写真であった。単なるそら似とも思えたが、その写真に写っている児童が身に着けているものは、ネイサンの子供のときの洋服と染みの位置まで完全に一致。ネイサンはサイトの運営にコンタクトを取り、さらに両親にそのことを問いただしてみた。しかしその時、自宅を訪れた黒いスーツ姿の二人組に両親は射殺されてしまう。間一髪脱出に成功したネイサンは、カレンとともに自身の出生の秘密を探るための旅に出発するのだったが…。 ストーリー的には、ティーン版『ボーン・アイデンティティ』とも言うべき内容の作品であるが、何より本作のアクションシーンには、最新のMMAテクニックがふんだんに盛り込まれているのが特徴的であろう。中盤の列車内でのアクションシーンでは三角締めなどの柔術技も披露。長い手足を持つロートナーの柔術テクニックはなかなかのものである。もちろん本業(?)である空手の経験を存分に活かしたサイドキックやパンチは、一朝一夕に身に着けたようなものではないだけに迫力満点だ。 ちなみに本作のスタントコーディネイターはブラッド・マーティン。『エクスペンダブルズ』シリーズや、ジェイソン・ステイサムの『バトルフロント』でもMMAのエッセンスを大量に投入したアクションをコーディネイトしたやり手アクション監督であり、『ミッシングID』でもその辣腕は奮っている。 サスペンスとして充分に魅力的な本作であるが、そこにロートナーのキレッキレのアクションに加え、ジャッキー・チェンばりのスタントシーンも堪能できる『ミッシングID』。是非ともこの機会ご覧になって頂きたい。そして新たなアクションスター、テイラー・ロートナー誕生の瞬間を確認してほしい。■ © 2011 Lions Gate Films Inc. All Rights Reserved.