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タクシードライバー
[PG12]汚れた大都会、社会への怒りをためこむ孤独な男…スコセッシ×デ・ニーロによる社会派衝撃作
スコセッシ×デ・ニーロの名コンビによる社会派衝撃作。ロバート・デ・ニーロのキレた演技が白眉だが、弱冠14歳の娼婦役ジョディ・フォスターの熱演も見逃せない。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。
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COLUMN/コラム2024.01.29
大都会の孤独という現代社会の病理を描いた巨匠マーティン・スコセッシの傑作『タクシードライバー』
荒廃した’70年代のニューヨークを彷徨う孤独な魂ベトナム戦争の泥沼やウォーターゲート事件のスキャンダルによって国家や政治への信頼が地に堕ち、経済の低迷に伴う犯罪増加や治安悪化によって社会の秩序まで崩壊した’70年代のアメリカ。都市部の荒廃ぶりなどはどこも顕著だったが、中でもニューヨークのそれは象徴的だったと言えよう。今でこそクリーンで安全でファミリー・フレンドリーな観光地となったタイムズ・スクエア周辺も、’70年代当時はポルノ映画館やストリップ劇場やアダルト・ショップなどの怪しげな風俗店が軒を連ね、売春婦やポン引きや麻薬の売人が路上に立っているような危険地帯だった。そんな荒み切った大都会の片隅で孤独と疎外感を募らせ、やがて行き場のない怒りと不満を暴走させていくタクシー運転手の狂気に、当時のアメリカ社会を蝕む精神的病理を投影した作品が、カンヌ国際映画祭のパルムドールに輝いたマーティン・スコセッシ監督の問題作『タクシードライバー』(’76)である。 主人公は26歳の青年トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)。ベトナム帰りで元海兵隊員の彼は不眠症で夜眠ることが出来ず、それなら夜勤のタクシー運転手でもして稼いだ方がマシだと考え、ニューヨークのとあるタクシー会社に就職する。人付き合いが苦手で友達のいない彼は、先輩のウィザード(ピーター・ボイル)などドライバー仲間たちとも付かず離れずの間柄。昼間は狭いアパートの部屋で日記を付けているか、四十二番街のポルノ映画館に入り浸っている。乗客の選り好みはしないし、危険な地域へ送り届けるのも構わないが、しかし我慢ならないのは街中に溢れるクズどもだ。娼婦にゴロツキにゲイに麻薬の売人。ああいう社会のゴミを一掃してやりたい。ギラギラとネオンが煌めく夜のニューヨークをタクシーで流しながら、トラヴィスはひとりぼっちで妄想の世界を彷徨う。 そんなある日、トラヴィスは街で見かけたブロンドの若い女に一目惚れする。彼女の名前はベッツィ(シビル・シェパード)。次期大統領候補であるパランタイン上院議員の選挙事務所で働くスタッフだ。いかにも育ちが良さそうで頭の切れる自信家の才媛。一介のタクシー運転手には不釣り合いな別世界の住人だが、彼女に執着するトラヴィスは半ばストーカーと化し、やがて思い切ってベッツィをデートに誘う。なにかと茶々を入れてくる同僚スタッフのトム(アルバート・ブルックス)に退屈していたベッツィは、興味本位でデートの誘いを受けたところ、なんとなく良い雰囲気になって次回の映画デートを約束する。思わず有頂天になるトラヴィス。ところが、あろうことか彼女をポルノ映画館に連れて行ってしまい、憤慨したベッツィは席を立って帰ってしまう。それっきり彼女とは音信不通に。アンタも結局はお高くとまった鼻持ちならない女だったのか。ベッツィの職場へ怒鳴り込んだトラヴィスは、散々恨み言を吐き捨てた挙句に追い出される。それ以来、彼の不眠症はますます酷くなり、精神的にも不安定な状態となっていく。 ちょうどその頃、トラヴィスがタクシーを路駐して客待ちしていたところ、未成年と思しき少女が乗り込んでくる。しかし、すぐにチンピラ風の男スポーツ(ハーヴェイ・カイテル)に無理やり引きずり降ろされ、そのまま夜の街へと消えていった。一瞬の出来事に唖然とするトラヴィス。それから暫くして、タクシーにぶつかった通行人に目を向けたトラヴィスは、それがあの時の少女であることに気付く。少女の名前はアイリス(ジョディ・フォスター)。何かに取り憑かれたようにアイリスの後を追いかけ、彼女が売春婦であることを確信した彼は、今度は何かに目覚めたかの如く知人の紹介で闇ルートの拳銃4丁を手に入れ、なまった体を鍛え直すためにハードなトレーニングを開始する。ある計画を実行するために…。 トラヴィスは脚本家ポール・シュレイダーの分身脚本を書いたのは『レイジング・ブル』(’80)や『最後の誘惑』(’88)でもスコセッシ監督と組むことになるポール・シュレイダー。当時人生のどん底を味わっていたシュレイダーは、いわば自己療法として本作の脚本を書いたのだという。厳格なカルヴァン主義プロテスタントの家庭に生まれて娯楽を禁じられて育った彼は、17歳の時に生まれて初めて見た映画に夢中となり、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を経て映画評論家として活動。ところが、結婚生活の破綻をきっかけに不運が重なり、住む家を失ってホームレスとなってしまった。手元に残った車で当て所もなく彷徨いながら車中生活を余儀なくされる日々。気が付くと3週間以上も誰とも話しておらず、不安と孤独のあまり心身を病んで胃潰瘍になってしまった。このままではいけない。ああはなりたくないと思うような人間になってしまいそうだ。そう強く感じたシュレイダーは、元恋人の留守宅を一時的に借りて寝泊まりしながら、およそ10日間で本作の脚本を仕上げたそうだ。現実の苦悩を物語として書くことで心が癒され、「ああなりたくない人間」から遠ざかれるような気がしたというシュレイダー。その「ああなりたくない人間」こそ、本作の主人公トラヴィス・ビックルだった。 「大都会は人をおかしくする」と語るシュレイダー。確かに大勢の人々がひしめき合って暮らす大都会は、それゆえ他人に無関心で人間関係も希薄になりがちだ。東京で就職した地方出身者がよく「都会は冷たい」と言うが、周囲に家族や友人がいなければ尚更のこと世知辛く感じることだろう。なおかつ大都会には歴然とした格差が存在し、底辺に暮らすマイノリティはその存在自体が透明化され無視されてしまう。中西部出身のよそ者で社交性に欠けた名も無きタクシー運転手トラヴィスが、ニューヨークの喧騒と雑踏に囲まれながら孤独と疎外感に苛まれていくのも不思議ではなかろう。そんな彼がようやく巡り合った希望の光が、いかにもWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)なイメージのエリート美女ベッツィ。この高根の花を何としてでも手に入れんと執着するトラヴィスだが、しかしデートでポルノ映画館に連れて行くという大失態を演じて嫌われてしまう。こうした願望と行動の大きな矛盾は彼の大きな特性だ。 清教徒的なモラルを説きながらポルノ映画に溺れ、健康を意識しながら不健康な食事をして薬物を乱用し、人の温もりを求めながらその機会を自ら台無しにする。まるで自分で自分を孤独へ追いつめていくような彼の自滅的言動は、人生に敗北感を抱く落伍者ゆえの卑屈さと自己肯定感の低さに起因するものだろう。こうして捨てるもののなくなった「弱者男性」のトラヴィスは、自分よりもさらに底辺のポン引きや娼婦や麻薬密売人などを蔑んで憎悪の目を向け、やがて自分の存在意義を証明するために社会のゴミと見做した彼らを「一掃」しようとするわけだが、しかしここでも彼の矛盾が露呈する。なにしろ、最初に選んだターゲットはパランタイン上院議員だ。誰がどう見たって、自分を振った女ベッツィへの当てつけである。しかも、ボディガードに気付かれたため、慌てて引き返すという情けなさ。「あらゆる悪と不正に立ち向かう男」と自称しておきながら、その実態は単なる逆恨みのチキン野郎である。結局、このままでは終われない!と背に腹を代えられなくなったトラヴィスは、未成年の少女アイリスを売春窟から救い出すという大義名分のもと、ポン引きや用心棒らを銃撃して血の雨を降らせるというわけだ。 ある意味、「無敵の人」の誕生譚。実はこれこそが、今もなお本作が世界中のファンから熱狂的に支持されている理由であろう。確かに’70年代アメリカの世相を背景にした作品だが、しかしその核となる人間像は極めて普遍的であり、古今東西のどこにでもトラヴィス・ビックルのような男は存在するはずだ。事実、ますます格差が広がり閉塞感に包まれた昨今の日本でも、彼のように鬱屈した「無敵の人」とその予備軍は間違いなく増えている。そもそも、誰の心にも多かれ少なかれトラヴィス・ビックルは潜んでいるのではないだろうか。だからこそ、世代を超えた多くの人々が彼の不満や絶望や怒りや願望にどこか共感してしまうのだろう。それほどまでの説得力が役柄に備わったのは、ひとえにポール・シュレイダー自身の実体験から生まれた、いわば分身のようなキャラクターだからなのだと思う。 映画化への長い道のりとスコセッシの情熱このシュレイダーの脚本に強い感銘を受け、是非とも自らの手で映画化したいと考えたのがマーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロ。揃って生まれも育ちもニューヨークの彼らは、主人公トラヴィスに我が身を重ねて大いに共感したという。世渡りが下手で社会の主流から外れ、大都会の底辺で不満と幻滅を抱えて悶々としたトラヴィスは、若き日の彼らそのものだったという。偶然にも実家が隣近所で、子供の頃から顔見知りだったというスコセッシとデ・ニーロは、当時『ミーン・ストリート』(’73)で初タッグを組んだばかり。その『ミーン・ストリート』の編集中に、スコセッシは盟友ブライアン・デ・パルマから本作の脚本を紹介されたという。 それは’70年代初頭のカリフォルニア州はマリブ。ニューヨークのサラ・ローレンス大学でブライアン・デ・パルマと自主製作映画を作っていた女優ジェニファー・ソルトは、ジョン・ヒューストン監督の『ゴングなき戦い』(’72)のオーディションで知り合った女優マーゴット・キダーと意気投合し、マリブのビーチハウスで共同生活を送るようになったのだが、そこへハリウッド進出作『汝のウサギを知れ』(’72)を解雇されたデ・パルマが転がり込んだのである。ジェニファーを姉貴分として慕っていたデ・パルマは、その同居人であるマーゴットと付き合うようになり、3人で作った映画が『悪魔のシスター』(’72)だ。で、そのビーチハウスの隣近所にたまたま住んでいたのが、ほどなくして『スティング』(’73)を大ヒットさせて有名になるプロデューサー夫婦のマイケル・フィリップスとジュリア・フィリップス。やがて両者の交流が始まると、デ・パルマとジェニファーのニューヨーク時代からの仲間であるロバート・デ・ニーロを筆頭に、スコセッシやシュレイダー、スティーブン・スピルバーグにハーヴェイ・カイテルなどなど、ハリウッドで燻っている駆け出しの若い映画人たちが続々とビーチハウスへ集まり、将来の夢や映画談義などに花を咲かせるようになったのである。 まずはそのデ・パルマに本作の脚本を見せたというシュレイダー。自分向きの映画ではないと思ったデ・パルマだが、しかし彼らなら関心を示すだろうと考え、フィリップス夫妻とスコセッシにそれぞれ脚本のコピーを渡したという。フィリップス夫妻はすぐに1000ドルで脚本の映画化権を買い取り、これは自分が映画にしないとならない作品だと直感したスコセッシは彼らに自らを売り込んだが、しかし当時のスコセッシは映画監督としての実績が乏しかったため、遠回しにやんわりと断られたらしい。そこで彼は編集中の『ミーン・ストリート』のラフカット版をフィリップス夫妻やシュレイダーに見せたという。ニューヨークの貧しい下町の掃きだめで、裏社会を牛耳る叔父のもとで成り上がってやろうとする若者チャーリー(ハーヴェイ・カイテル)と、無軌道で無責任でサイコパスな親友ジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)の破滅へと向かう青春を描いた同作は、いわば『タクシードライバー』の精神的な姉妹編とも言えよう。これを見てスコセッシとデ・ニーロの起用を決めたフィリップス夫妻とシュレイダーだったが、しかし脚本の内容があまりにも暗くて危険だったためか、どこの映画会社へ企画を持ち込んでも断られたという。 ところが…である。フィリップス夫妻は『スティング』でアカデミー賞の作品賞を獲得し、スコセッシも『アリスの恋』(’74)がアカデミー賞3部門にノミネート(受賞は主演女優賞のエレン・バースティン)。さらにデ・ニーロも『ゴッドファーザーPARTⅡ』(’74)の若きヴィトー・コルレオーネ役でアカデミー賞助演男優賞に輝き、シュレイダーは『ザ・ヤクザ』(’74)の脚本で高い評価を受けた。ほんの数年間で関係者の誰もがハリウッド業界の有名人となったのである。こうなると話は違ってくるわけで、ジュリアの知人でもあったコロンビア映画の重役デヴィッド・ビゲルマンからの出資を獲得し、映画化にゴーサインが出たのである。ちなみにこのビゲルマンという人物、芸能エージェント時代にクライアントだったジュディ・ガーランドの無知につけ込んで彼女の財産をごっそり横領し、本作の翌年には会社の資金横領と小切手の偽造で逮捕されてコロムビア映画を解雇されるという筋金入りの詐欺師。それにも関わらず、長年に渡って各スタジオの重役を歴任したというのだから、ハリウッド業界というのもろくなもんじゃありませんな。まあ、最終的には自身の制作会社の倒産で多額の借金を抱えて拳銃自殺してしまうわけですが。 賛否両論を呼んだジョディ・フォスターの起用静かに狂っていくトラヴィスの心象風景をトラヴィスの視点から映し出すことで、映画全体がまるで白日夢のごとき様相を呈している本作。あえてカメラが主人公をフレームの外へ追い出し、一見したところ全く関係のないような風景を捉えることでセリフにない深層心理を浮き彫りにするなど、既存の型に囚われない自由でトリッキーな演出は、どちらもゴダールの熱烈なファンを自認するスコセッシと撮影監督のマイケル・チャップマンがヌーヴェルヴァーグにインスパイアされたものだという。ほかにもヒッチコックの『間違えられた男』(’56)のカメラワーク、ファスビンダー作品の率直さ、フランチェスコ・ロージ作品の手触り、マリオ・バーヴァ作品やヴァル・リュートン作品の怪奇幻想ムードなど、過去の様々な名作群に学んでいるところは、さすがフィルムスクール出身のスコセッシらしさだと言えよう。 撮影準備が始まったのは’75年の初旬。当時ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(’76)の撮影でヨーロッパにいたデ・ニーロは、週末ごとにニューヨークへ戻ってタクシー運転手の研修を受けてライセンスを取得し、同作がクランクアップするとすぐに帰国して10日間ほど、実際にニューヨークで流しのタクシー運転手として働いたという。ある時は運転席の身分証を見てデ・ニーロだと気付いた乗客から、「オスカーを獲っても役者の仕事にあぶれているのか?」とビックリされたのだとか。それにしてもまあ、役になりきることを信条とするメソッド・アクター、デ・ニーロらしいエピソードではある。ただし、いよいよ狂気を暴走させ始めたトラヴィスのモヒカン刈りは、次回作『ラスト・タイクーン』(’76)で映画プロデューサー役を演じることが決まっており、実際に頭髪を刈り上げるわけにはいかなかったため、特殊メイク担当のディック・スミスが制作したカツラを着用している。これが全くカツラに見えないのだから、さすがは巨匠ディック・スミス!と言わざるを得まい。 理想の美女ベッツィ役にシュレイダーが「シビル・シェパードのような女優を」と注文付けたところ、その話を聞いた彼女のエージェントから「シビル本人ではいかがでしょうか?」と打診があって本人の起用が決定。当時の彼女は『ラスト・ショー』(’71)に『ふたり自身』(’72)に本作にと重要な映画が続き、まさにキャリアの絶頂期にあった。そのベッツィの同僚トム役には、当初ハーヴェイ・カイテルがオファーされていたものの、しかし本人の希望でポン引きスポーツ役をゲット。当時ニューヨークの悪名高き危険地帯ヘルズ・キッチン(現在は高級住宅街)に住んでいたカイテルにとって、スポーツみたいなポン引きは近所でよく見かけたので演じやすかったようだ。その代わりにトム役を手に入れたのは、後に『ブロードキャスト・ニュース』(’87)でオスカー候補になるコメディアンのアルバート・ブルックス。このトムという役柄はもともとオリジナル脚本にはなく、リハーサルで監督と相談しながら作り上げていく必要があったため、即興コメディの経験があるブルックスに白羽の矢が立てられたのである。また、ポルノ映画館の売店でトラヴィスが言い寄る黒人の女性店員は、本作での共演がきっかけでデ・ニーロと結婚した最初の奥さんダイアン・アボットだ。 しかしながら、恐らく本作のキャストで最も話題となり賛否両論を呼んだのは、未成年の娼婦アイリスを演じた撮影当時12歳の子役ジョディ・フォスターであろう。もともとスコセッシ監督の前作『アリスの恋』に出演していたジョディ。その監督から「娼婦役を演じて欲しい」と電話で連絡を受けた彼女の母親は、「あの監督は頭がおかしい」とビックリ仰天したそうだが、それでも詳しい話を聞いたうえで納得して引き受けたという。とはいっても本人は未成年である。子役を映画やドラマに出演させる際、当時すでにハリウッドでは厳しいルールが設けられており、教育委員会の許可を得る必要があったのだが、しかし娼婦という役柄が問題視されて肝心の出演許可が下りなかった。そこで制作サイドは弁護士を立て、この役を演じるに問題のない精神状態かどうかを精神科医に判定して貰い、さらに性的なニュアンスのあるシーンは8歳年上の姉コニーが演じるという条件のもとで教育委員会の許可を得たという。 そんなジョディに対してスコセッシ監督が細心の注意を払ったのが、終盤の血生臭い銃撃シーンである。なにしろ、銃弾で指が吹き飛んだり脳みそが飛び散ったりするため、まだ子供のジョディがショックを受けてトラウマとならぬよう、特殊メイク担当のディック・スミスが全ての仕組みを懇切丁寧に説明したうえで撮影に臨んだらしい。ただ、このシーンは「残酷すぎる」としてアメリカ映画協会のレーティング審査で問題となり、色の彩度を落として細部を見えづらくすることで、なんとかR指定を取ることが出来たのだそうだ。 ちなみに、アイリス役にはモデルとなった少女がいる。ポール・シュレイダーがたまたま知り合った15歳の娼婦だ。撮影の準備に当たってスコセッシ監督やジョディにも少女を紹介したというシュレイダー。パンにジャムと砂糖をかける習慣や、妙に大人びた独特の話し方など、ジョディの芝居には少女の特徴が取り入れられているという。劇中ではアイリスがトラヴィスのタクシーで轢かれそうになるシーンが出てくるが、そこでジョディの隣にいる友達役がその少女である。 そして忘れてならないのは、本作が映画音楽の巨匠バーナード・ハーマンの遺作でもあることだろう。それまで自作の音楽には既成曲しか使っていなかったスコセッシにとって、作曲家にオリジナル音楽を依頼するのは本作が初めて。ハーマンが手掛けたヒッチコックの『めまい』(’58)や『サイコ』(’60)の音楽が大好きだったスコセッシは、最初から彼にスコアを付けてもらうつもりだったようだ。当時のハーマンはハリウッド業界に見切りをつけてロンドンへ拠点を移していたのだが、『悪魔のシスター』と『愛のメモリー』(’76)でハーマンと組んだデ・パルマから連絡先を聞いたスコセッシは、短気で気難しいと評判の彼に国際電話をかけて相談をしたのだが、即座に「タクシー運転手の映画などやらん!」と断られたのだそうだ。最終的にロンドンへ送った脚本を読んで引き受けてくれたわけだが、しかし当時のハーマンはすでに心臓が弱っており、ロサンゼルスでのレコーディングに参加するための渡航が大きな負担となってしまった。そのため、実際にスタジオでタクトを振ったのは初日だけ。翌日からは代役がオーケストラ指揮を務め、レコーディングが終了した’75年12月23日の深夜、ハーマンは宿泊先のホテルで就寝中に息を引き取ったのである。まるで主人公トラヴィスの孤独と絶望に寄り添うような、ダークでありながらもドリーミーで不思議な温かさのあるジャジーなサウンドが素晴らしい。■ 『タクシードライバー』© 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ドクター・ドリトル(1998) 【金曜ロードショー版】
動物と会話ができたらこんなに楽しい!名作児童文学を映画化したエディ・マーフィ主演シリーズ第1弾
名作児童文学「ドリトル先生」シリーズをエディ・マーフィ主演で映画化。ハートフルなユーモアを魅せる芸達者なエディと、自殺志願のトラをはじめ『ベイブ』のSFXチームが手がけた動物たちの掛け合いが絶妙。
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COLUMN/コラム2018.12.19
“映画史”の転換点に立ち会った2人…“スライ”と“ボブ”がスクリーン上で邂逅『コップランド』
「スタローン壮絶。デ・ニーロ超然。」 これが本作『コップランド』が、1998年2月に日本公開された際のキャッチフレーズ。そこからわかる通り、本作最大の売りは、シルベスター・スタローンとロバート・デ・ニーロ、2大スターの“初共演”だった。 そもそもこの2人、同時代のアメリカ映画を牽引して来た存在ながら、共演など「ありえない」ことと、長らく思われてきた。それは偏に、スターとしての、それぞれの歩みの違いによるものだった。 シルベスター・スタローン、通称“スライ” 。スターとしての全盛期=1980年代から90年代に掛けては、鍛え上げたムキムキの肉体で、ボディビルダー出身のアーノルド・シュワルツェネッガーと、“アクションスターNo1”の座を争っていたイメージが強い。 そんな中でも代表作はと問われれば、誰もがまずは『ロッキー』(1976~ )シリーズ、続いて『ランボー』(1982~ )シリーズを挙げるであろう。特にプロボクサーのロッキー・バルボア役は、スタローンが最初に演じてから40年以上経った今も、『ロッキー』のスピンオフである『クリード』シリーズに、登場し続けている。 一方のロバート・デ・ニーロ、愛称“ボブ”の場合は、“デ・ニーロ・アプローチ”という言葉が一般化するほどに、徹底した役作りを行う“演技派”といったイメージが、まずは浮かぶ。 “デ・ニーロ・アプローチ”の具体例は、枚挙に暇がない。出世作『ゴッドファーザーPARTII』(1974)では、前作でマーロン・ブランドが演じたドン・ヴィトー・コルレオーネの若き日を演じるため、コルレオーネの出身地という設定のイタリア・シチリア島に住み、その訛りが入ったイタリア語をマスター。その上で、ブランドのしゃがれ声を完コピした。 『タクシードライバー』(1976)の撮影前には、ニューヨークで実際にタクシー運転手として勤務したデ・ニーロ。街を流して乗客を乗せたりもした。 特に有名なのが、実在のプロボクシングミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタを演じた『レイジング・ブル』(1980)での役作り。まずトレーニングで鋼のような肉体を作ってボクサーを演じた後、引退後に太った様を表現するため、短期間に体重を27キロ増やすという荒業をやってのけた。 そんなこんなで、パブリックイメージとしては、マッチョなアクションスターのスライと、全身全霊賭けて役になり切るボブ。そんな2人の共演など、「ありえない」ことになっていたわけである。 しかしこの2人の俳優の歩みを振り返ると、スタートの時点では、そんなに縁遠いところに居たわけではない。 その起点は、1976年。 まずはマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』が、2月にアメリカで公開された。主演のデ・ニーロが演じたのは、「ベトナム帰りの元海兵隊員」を名乗る、不眠症の孤独なタクシー運転手トラヴィス。彼はニューヨークの夜の街を走り続ける内に、次第に狂気を募らせて、やがて銃を携帯。過激で異常な行動へと、走るようになる…。 デ・ニーロは、この2年前の『ゴッドファーザーPARTⅡ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞して、「最も期待される若手俳優」という位置を既に占めていたが、『タクシー…』はメジャー作品としては、初の主演作。公開後の5月には『タクシー…』が、「カンヌ映画祭」の最高賞である“パルム・ドール”を受賞したことなどもあり、その評価を更に高めることとなった。 同じ年の11月に公開されたのが、スタローンが脚本を書き主演を務めた、『ロッキー』である。うだつの上がらない30代の三流ボクサーであるロッキーが、世界チャンピオンから“咬ませ犬”として指名され、挑戦することになる。とても勝ち目がない勝負と思われたが、「もし最終ラウンドまでリングの上に立っていられたら、自分がただのゴロツキではないことが証明できる」と、愛する女性に告げて、ファイトに挑んでいく…。 この作品が製作され公開に至るまでの経緯は、もはやハリウッドの伝説になっている。ある時、プロボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチを、偶然に視聴したスタローン。偉大なチャンピオン=モハメド・アリに、ノーマークのロートルボクサー=チャック・ウェプナーが挑んで、大善戦したのを目の当たりにして感動。3日間で『ロッキー』の脚本を書き上げた。持ち込まれたプロダクション側は、スター俳優の起用を前提に、脚本に数千万円の値を付けた。しかし当時まったく無名の存在だったスタローンは、自らが主演することを最後まで譲らず、結局は最低ランクの資金で製作されることとなった。 そうして完成した『ロッキー』は、公開されるや誰もが予想しなかったほどの大ヒットに!正に、“アメリカン・ドリーム”を体現する作品となった。 デ・ニーロとスタローンにとって、“主演スター”としての第一歩になった、『タクシードライバー』と『ロッキー』は、その年の賞レースを席捲。翌77年の3月に開催されたアカデミー賞で、2人は“主演男優賞”部門で覇を競うこととなった。 両作は“作品賞”部門にも、共にノミネート。この激突はいま振り返れば、映画史的に非常に興味深い。 1967年の『俺たちに明日はない』以来、70年代前半まで映画シーンをリードしてきたのが、“アメリカン・ニューシネマ”というムーブメント。ベトナム戦争の泥沼化やウォーターゲート事件などで、アメリカの若者たちの間で自国への信頼が崩壊する中で、アンチヒーローが主人公で、アンチハッピーエンドが特徴的な作品が、次々と作られていった。 『タクシー…』は、そんな夢も希望もない内容の、“アメリカン・ニューシネマ”最後の作品と位置付けられている。 一方で『ロッキー』は、当初は“ニューシネマ”さながらに、主人公が試合を途中で投げ出す展開も考えられていたというが、結局は、“アメリカン・ドリーム”を高らかに歌い上げる結末を迎える。今では、翌年の『スター・ウォーズ』第1作(1977)と合わせて、“ニューシネマ”に引導を渡す役割を果たしたと言われている。 そんな因縁はさて置き、1976年度のアカデミー賞“主演男優賞”部門に、話を戻す。海外のニュースがネットで瞬時に伝わる今とは違って当時は、アカデミー賞の戦前予想は、月刊の“映画雑誌”などで読む他はなかった。それによると、“主演男優賞”はデ・ニーロ本命、対抗がスタローンといった雰囲気が伝わってきた。 ところが、ところがである。蓋を開けてみると、“主演男優賞”を獲得したのは、『ネットワーク』に出演したピーター・フィンチだった。 シドニー・ルメット監督が、視聴率獲得競争を描いてメディア批判を行ったこの作品に於いて、徐々に狂気に蝕まれていく報道キャスターを演じたフィンチは、役どころ的には、本来は“助演”ノミネートが相応しいと言われていた。しかしノミネート発表直後に、心不全で急死。同情票を集めることとなり、アカデミー賞の演技部門史上初めて、死後にオスカー像が贈られることとなったのである。 『ネットワーク』もフィンチの演技も、腐す気はまったくない。しかし40余年経った今、この結果と関係なく、『タクシー…』のデ・ニーロや『ロッキー』のスタローンの方が、未だに熱く語られる存在であることを考えると、賞など正に水物であることが、よくわかる。 とはいえ“アカデミー賞”が、映画人にとって最大の栄誉の一つであることには、疑いもない。『タクシー…』で本命と目されながらも逃したデ・ニーロは、1978年度にマイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』での2度目のノミネートを経て、80年度にスコセッシ監督の『レイジング・ブル』で、遂に“主演男優賞”のオスカー像を手にすることとなる。 これ以降もデ・ニーロは、名コンビとなったスコセッシ監督作品他で、多くの者がお手本にするような俳優として、キャリアを積み重ねていく。そしてアカデミー賞にも、度々ノミネートされることとなる。 一方のスタローン。『ロッキー』では“主演男優賞”に加えて、“脚本賞”にもノミネートされていたが、こちらも『ネットワーク』脚本のパディ・チャイエフスキーに攫われてしまった。『ロッキー』自体は、“作品賞”、“監督賞”、“編集賞”の3部門を制覇。『タクシードライバー』が無冠に終わったのに対し、大勝利と言える成果を収めたが、以降スタローンとアカデミー賞は、長く疎遠な関係となる。 『ロッキー』で大成功を収めた後の主演作となったのが、『フィスト』(1978)。スタローンは、労働組合の大物指導者でありながら、マフィアとの癒着が噂され、最終的には謎の失踪を遂げた実在の人物、ジミー・ホッファをモデルにした主人公を演じた。監督に起用されたのは、『夜の大捜査線』(1967)でアカデミー賞監督賞を受賞し、他にも『屋根の上のバイオリン弾き』(1971)『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)などの作品を手掛けてきた、ノーマン・ジュイスン。 明らかに賞狙いの作品であった『フィスト』だが、大きな話題になることもない失敗作に終わった。同じ1978年には、スタローンが初監督もした主演作『パラダイス・アレイ』も公開されたが、『ロッキー』に続くスタローン主演作のヒットは、翌79年の続編、『ロッキー2』まで待たねばならなかった。 このように、暫しは『ロッキー』シリーズ以外のヒットがなかったスタローンだが、1980年代に、ベトナムから帰還したスーパーソルジャーを主人公にした、『ランボー』シリーズがスタート!スタローンは、アクションスターとしての地位を確立していくと同時に、1984年以降は、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する、“ゴールデンラズベリー賞=ラジ―賞”受賞の常連となっていった…。 “マネーメイキングスター”としては、常にTOPの座を争いながらも、その“演技”が評価されることは、まず「ない」存在となったスタローン。しかし彼もスタート時点は、マーロン・ブランドのような性格俳優に憧れて、初主演作では“アカデミー賞”にノミネートされた、立派な“俳優”である。アクションではない“演技”で注目されたいという気持ちは、常にあったものと思われる。 そんな彼が、50代を迎えて主演作に選んだのが、本作『コップランド』であった。ニューヨーク市警の警官が多く住むため、“コップランド”と呼ばれる郊外の町ギャリソンを舞台にしたこの作品で、スタローンが演じたのは、落ちこぼれでやる気のない中年保安官。しかし、殺人まで絡んだ警察内の不正に目を瞑ることが出来なくなり、遂には孤高の戦いを繰り広げることとなる。 スタローンは、低予算ながらドラマ性の高い本作への出演を、ほぼノーギャラで受けた。そして主人公の保安官の愚鈍さを表すために、15キロも体重を増やす、“デ・ニーロ・アプローチ”ばりの役作りを行ったという。 一方本作でのデ・ニーロは、ニューヨーク市警の内務調査官役。コップランドの警官たちの不正を暴こうとする中で、スタローンの正義感を利用する、狡猾な役どころである。とはいえ、「2大スター共演」を売りにした割りには、登場シーンもさほど多くはない、ゲスト的な出演の仕方と言える。劇場公開時には、その辺りが何とも物足りなかったが、いま見返すと、短い出番ながらさすがに的確で印象的な演技をしていることに、感心する。 余談だが、スタローンとデ・ニーロは、『コップランド』から16年後に、『リベンジ・マッチ』(2013)という作品で再共演を果たしている。こちらは本格的なW主演作品で、2人の役どころは、30年前の遺恨のために、リング上で対戦する老齢のボクサー。作品的な評価は高くないが、2人の若き日が、『ロッキー』シリーズや『レイジング・ブル』のファイトシーンから抜き出されてコラージュされている辺りが、“楽屋落ち”のように楽しめる作品ではあった。 さて本作『コップランド』の話に戻ると、公開時に“俳優”スタローンの挑戦は、それなりに高く評価はされた。しかしその演技が、賞レースなどに絡むことはなかった。 スタローンとアカデミー賞との関わりは、2016年度の『クリード チャンプを継ぐ男』で“助演男優賞”にノミネートされるまで、『ロッキー』第1作以来、実に40年ものブランクを空けることとなる。候補となったのが40年前と同じく、ロッキー・バルボア役だったというのは、逆に特筆すべきことだと思うが…。◼︎ © 1997 Miramax, LLC. 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PROGRAM/放送作品
ドクター・ドリトル(1998)
動物と会話ができたらこんなに楽しい!名作児童文学を映画化したエディ・マーフィ主演シリーズ第1弾
名作児童文学「ドリトル先生」シリーズをエディ・マーフィ主演で映画化。ハートフルなユーモアを魅せる芸達者なエディと、自殺志願のトラをはじめ『ベイブ』のSFXチームが手がけた動物たちの掛け合いが絶妙。
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COLUMN/コラム2014.05.10
「聖なる映画」から遠く離れて ― ポール・シュレイダーのピンキー・バイオレンス世界
スケベ心と野次馬根性に満ちた好き者ならばいざ知らず、原題がズバリ『HARDCORE』、邦題も『ハードコアの夜』(1979)と、いかにも煽情的でキワモノめいた題名につい思わず腰が引けて、さてどうしたものかと、いざこの作品を前にして見るのをためらってしまう人は、結構多いのではないだろうか。しかも監督がポール・シュレイダーだというのも、いまどきあまりピンとこないし…。 しかし、そういえば、待てよ、シュレイダーといえば、マーティン・スコセッシ監督と初めてコンビを組んで生み出した衝撃作『タクシードライバー』(1976)の脚本を手がけた人物であり、あの映画の中には、ロバート・デ・ニーロに初デートに誘われたものの、それが映画館で一緒にポルノ映画を鑑賞することだと知って、インテリ美女のシビル・シェパードが憤然とその場を立ち去っていく噴飯ものの場面があったっけ…、と思い出す映画ファンならば、きっとこの映画へ対する関心と興味が沸いてくるはずだ。 そう、この『ハードコアの夜』は、『タクシードライバー』と同様、ハリウッドの商業娯楽映画でありながら、シュレイダーの自伝的要素や生の肉声が随所にちりばめられたきわめてパーソナルな作品であり、スコセッシに代わってシュレイダー本人が自ら演出のメガホンを握って監督した、いわば『タクシードライバー』のパート2でもある(その後2人でまた監督・脚本家コンビを組んだ『救命士』(1999)は、さしずめパート3といったところか)。さらには、筋金入りの映画狂たるシュレイダー自身が公言している通り、あの巨匠ジョン・フォードの傑作西部劇『捜索者』(1956)を大胆不敵にも物語の骨格に借用して現代風に翻案するなど、さまざまな映画からの影響が随所に看て取れるハイブリッドな作品ともなっていて、映画ファンならばやはり見逃せない、なんとも興味深い一作に仕上がっているのだ。 映画は、アメリカ中西部ミシガン州の都市グランド・ラピッズに暮らす敬虔なプロテスタント信者の一家が、クリスマスで親戚一同、老若男女みな顔を揃え、賑やかに家族団欒を過ごす平和な家庭風景から幕を開ける。ところが翌朝、信者たちの若者集会に出席するためカリフォルニアへと旅立った十代の愛娘が、不意に失踪したとの知らせがジョージ・C・スコット扮する父親のもとに間もなく届き、その捜索に乗り出した彼は、それから数週間後、雇った私立探偵の案内で場末のポルノ映画館に足を運び、そこで思いも寄らぬ意外な光景と対面。いかがわしいブルーフィルムの中で淫らな痴態をさらけ出していたのは、ほかならぬ彼の可愛いひとり娘だった! 苦悶と絶望にあえぎながら悲痛な叫び声を上げたスコットは、しかしその後、決死の覚悟を決め、娘の居場所を突き止めて我が家に無事連れ帰るべく、彼にとってはまるで未知の異世界である風俗産業の危険でディープな猟奇地帯へ、自ら足を踏み入れていくこととなる…。 平和と安らぎに満ちた神聖な家庭風景から卑俗の極みたるポルノ映画の闇の世界へとメーターの針が一気に大きく揺れ動く、本作の何とも両極端な物語をざっと簡単に書き綴ってみたが、ここで最初に留意すべきなのは、この映画の舞台の出発点となるミシガン州グランド・ラピッズが、シュレイダー自身の生まれ故郷であるという点だろう。そして、スコット扮する主人公の一家は敬虔なプロテスタント信者の家庭と設定されているが、これもシュレイダーの家庭環境をそのまま劇中に再現したもの。シュレイダーの一家は、プロテスタントの中でもとりわけ厳格で禁欲的なオランダ・カルヴィン派を信奉し、この宗派は、飲酒や喫煙はおろか、映画やダンスも"世俗的な楽しみ"であるとして禁じていた。 1950~60年代のフランスのヌーヴェル・ヴァーグの登場に呼応する形で、アメリカでも1960~70年代、熱狂的な映画好きが嵩じて自ら映画作りに関わるようになる新しい世代の映画作家たちが台頭し、1946年生まれのシュレイダーは、4歳年上のスコセッシや、『愛のメモリー』(1976)でコンビを組んだ6歳年上のブライアン・デ・パルマらと同様、そんなシネフィル映画作家世代のひとりに属するわけだが、子供の頃から映画狂だったスコセッシなどとは異なり、シュレイダーは、前述の宗教的な戒律のため、なんと17歳になるまで映画を1本も見たことがなかった。 将来、聖職者となるべく厳しい宗教的修練を受けた家庭と教会の束縛から逃れようと、青年となってからようやく映画を見始めた彼は、やがてすっかりその魅力に取りつかれて人生が大きく急旋回。高名な映画批評家ポーリン・ケイル女史との運命的な出会いに啓示を受けてその弟子を目指すようになり、UCLAの映画学科に進んだ彼は、在学中から数々の映画評を執筆し、小津安二郎、ロベール・ブレッソン、カール・テホ・ドライヤーという3人の神聖な映画作家たちの超越的スタイルを論じた「聖なる映画」を修士論文として発表。また、アメリカにおけるフィルム・ノワール評価の火付け役となった「フィルム・ノワール注解」や、日本の東映ヤクザ映画を体系的に英語圏に紹介した「ヤクザ映画―入門」など、古今東西の映画を幅広く論じる一方で、私生活では同棲していた恋人と喧嘩して家を追い出され、昼間は酒に酔いつぶれて、車の中で寝泊まりしたり、オールナイトのポルノ映画館で一夜を明かしたりする、孤独でみじめなどん底生活を送る一時期もあったという。本来は聖なる世界を目指していたはずのシュレイダーの、そこからの離反と逃走、そして地獄への転落。ここで彼が自ら味わった孤独や疎外感をバネにシュレイダーが一気呵成に書き上げたのが、ほかならぬ『タクシードライバー』の映画脚本だった。 『タクシードライバー』のデ・ニーロ演じる主人公は、自分を取り巻く周囲の卑俗にまみれた汚い現実社会に吐き気や嫌悪感を催し、これを自らの手ですっかり一掃して洗い清め、その中から、街娼の少女たるジョディ・フォスターを清純な天使に勝手に見立てて救い出そうと、常軌を逸した暴力的行動にうってでる。そしてこの『ハードコアの夜』では、ポルノ映画の世界に身を落とした我が娘をその汚らわしい世界から奪還すべく、敬虔なカルヴィン教徒たるスコットが、薄汚い街路=ミーン・ストリートの中を必死で駆けずり回るのだ。 しかしまた、この映画でシュレイダーは、自らの父親をモデルに、聖なる世界を代表する父権主義的なスコットの主人公像を造型する一方、彼本人はむしろ、そこから逃走を図って映画の俗世界に身を投じる娘の側に、自らを深く投影させていたはずだ。シュレイダーのその自己分裂症的な傾向は、『タクシードライバー』のデ・ニーロが、「オレに向かって話してるのか?」と、鏡の中に映るもう一人の自分と、対話ならぬ奇妙な自問自答を繰り広げる、あのあまりにも有名な場面に既にくっきりと明示されていた。聖と俗、理想と現実の二項対立として、お互いに激しく反発し合いつつ、実は自分とは反対側にある世界に次第に魅力を覚えて微妙に惹かれ合う、アンビヴァレントな関係性。ここに、シュレイダーの映画世界が絶えず孕む、奇妙なジレンマと不思議な魅力の謎が潜んでいるように筆者には思われる。消息不明の娘の手掛かりを得るため、夜の風俗街の探訪に乗り出した『ハードコアの夜』の主人公スコットは、はじめのうちこそ、若い裸の女性を前にしても石部金吉的な堅物の姿勢を崩さなかったのが、やがてかつらに付け髭までしてポルノ映画のプロデューサーへとすっかり様変わりし、自ら俳優のオーディションをこなしていくあたりは、もう何ともおかしくて爆笑もの。一見高尚で気難しい芸術派の映画作家を気取ってはいるものの、なんだかんだ言って、やっぱりシュレイダーは下世話で卑俗な裏世界の話が大好きなのだ。彼がその後も、性の快楽を題材にした『アメリカン・ジゴロ』(1980)や『ボブ・クレイン 快楽を知ったTVスター』(2002)といった作品を撮り続け、目下のところの最新作たる『ザ・ハリウッド』(2013)では、「アメリカン・サイコ」の作家ブレット・イーストン・スミスのオリジナル脚本、そして主役陣にはあの全米お騒がせ女優のリンジー・ローハンと現役の人気ポルノ男優という異色の顔合わせによる官能的スリラーに挑んでいることも、そのことをよく物語っていると言えるだろう。 ところで、先にも軽く触れたように、シュレイダーはこの『タクシードライバー』と『ハードコアの夜』両者の作品の主人公に、コマンチ族にさらわれた姪を何とか見つけて連れ戻すべく、執念深くその居場所を探し続ける『捜索者』の主人公ジョン・ウェインの姿を重ね合わせている。と同時に、実はシュレイダーが、この『ハードコアの夜』の物語を考案するにあたって、必ずや大きな影響を受けたに違いないと筆者がにらむ、もう1本の映画がある。それは、ロバート・アルドリッチ監督の『ハッスル』(1975)。この映画の中にも、自分の愛娘をブルーフィルムの中に見出して苦悶する、哀れな父親の姿が登場する。演じるのはベン・ジョンソンで、『捜索者』にこそ出ていないが、彼もまたフォードの西部劇には欠かせない常連役者のひとりだった。ちなみにシュレイダーが、東映ヤクザ映画の研究成果を生かして、兄のレナードと2人で共作し、当時空前の高値でワーナーに買い上げられた『ザ・ヤクザ』の映画脚本は、当初アルドリッチが監督する予定となっていたが、企画の交渉段階で交代を余儀なくされ、結局シドニー・ポラックが監督を務めて1974年に映画化された。それ以前にもシュレイダーは、アルドリッチ監督の『キッスで殺せ』(1955)をフィルム・ノワールの精華たる傑作として高く評価していて、自らの監督作『アメリカン・ジゴロ』の中に、既によく知られたブレッソンの名作『スリ』(1959)からの借用以外に、この『キッスで殺せ』からも幾つかの場面をパクッている。 そしてまた、シュレイダーが、日本のヤクザ映画研究から汲み取った、このジャンル必須のお約束事というべきクライマックスの殴り込みシーンは、『ザ・ヤクザ』のみならず、『タクシードライバー』や本作などにしっかり転用されていることも、ここで言い添えておく必要があるだろう。あのクエンティン・タランティーノが偏愛するバイオレンス・アクションで、彼がかつて創設したカルト映画専門の配給会社にこの名を冠したことでも一部の映画ファンにはよく知られた、シュレイダー脚本、ジョン・フリン監督のカルト映画『ローリング・サンダー』(1977)も、やはりこの系譜に連なる1本。ヴェトナム帰還兵の主人公が、孤独や疎外感、苦難を味わった末、後半、その怒りを爆発させる展開は、これまた『タクシードライバー』の姉妹編的作品ではあるが、シュレイダーが当初書き上げた脚本に、後から別人の手が大幅に加えられており、彼はこれを自作とは認めていない。 シュレイダーが約50本にものぼる日本の東映ヤクザ映画をまとめて見て、先に述べた研究論文「ヤクザ映画―入門」を発表した際、そこに『網走番外地』や『緋牡丹博徒』シリーズが含まれていたことは、その文中に言及されていることからおそらく確かだろうが、はたして彼はその時、昨今海外でもすっかり人気の、石井輝男や鈴木則文らのいわゆる東映ピンキー・バイオレンス映画も目にしていたのだろうか? いずれにせよ、シュレイダーは既に1970年代、タランティーノらに先駆けて、映画史上に輝く古典的名作から、セクスプロイテーション映画や日本のヤクザ映画にいたるまで、古今東西のさまざまな映画ジャンルを独自に混ぜ合わせて、ハイブリッドで面白い映画世界を生み出していたことは、今日、もっと多くの映画ファンに知られて再評価されてもいいのではないだろうか。■ ©1978 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ドクター・ドリトル
動物と会話ができたらこんなに楽しい!名作児童文学を映画化したエディ・マーフィ主演シリーズ第1弾
名作児童文学「ドリトル先生」シリーズをエディ・マーフィ主演で映画化。ハートフルなユーモアを魅せる芸達者なエディと、自殺志願のトラをはじめ『ベイブ』のSFXチームが手がけた動物たちの掛け合いが絶妙。
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COLUMN/コラム2012.09.21
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年10月】飯森盛良
今はIKEAがあるあたりだ。バブル崩壊から数年後、当時はバブルの徒花の巨大屋内スキー施設が建っていて、深夜にはそのシルエットが黒々と天高くそびえ、不気味だった。ふもとは港湾倉庫街。二浪が確定し、終夜バイトをしていたオレ。人生ドン詰まり感、世に出れない焦燥感を抱きながら、海からの寒風吹きすさぶスキー施設の足元を、M-65の襟を立て、バイト先の倉庫まで週6日通った。なんだか解らんが何かに凄まじくムカついてたオレは、トラヴィスにおのれを重ねながら、何十回もこの映画を観た。家ではパッチン腕立てと東京ガスで鉄拳焙りをしてたのは言うまでもない。厨二ではなく二十歳の頃の話だ。そのおかげか、今どうにかこんな仕事で喰えてる。M-65は黄緑に色褪せたが、20年来オレのバディであり続けてくれてる。で、だ若者よ!不景気と閉塞感に窒息しそうな今日の若者よ!とりあえず、M-65を着なさい。全てはそこからだ。そしてトラヴィスを胸に、とりあえずパッチンと東京ガスをしながら、雌伏の今日を生きるのだ!そのうちなんとかなるだろう。 Copyright © 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ハードコアの夜
失踪した愛娘を探して性産業のアンダーグラウンド世界をさまよう父親の姿を描くシリアス・サスペンス
『タクシードライバー』のポール・シュレイダー監督は、厳格なプロテスタント家庭の出身。そんな監督が、同じ信仰を持つ敬虔な家族がSEX産業のアンダーグラウンド世界に巻き込まれていく恐怖を描いたサスペンス。
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COLUMN/コラム2008.06.12
6月の吹き替えの日は
まえにここのブログで「昭和の洋画吹き替えを無形文化財に指定せよ」という記事を書いてから、視聴者の皆様よりたくさんのご意見・ご要望をいただいてます。ありがとうございます! 「よくぞやってくれた!っていうか、いっそ吹き替え専門チャンネルになって」という激励(?)もあれば、「吹き替えなんて邪道だから字幕版だけでよい!」というご意見もあります。 結論として、ザ・シネマとしては、吹き替え専門にはなりません。けど、吹き替え特集に力は入れ続けます。 吹き替え版しかやらない、という作品が原則ないよう心がけてますので(ごくごくまれな例外中の例外はご勘弁ください)、吹き替え否定派のかたは、字幕版の放送のほうでお楽しみください。 また吹き替え肯定派のかたは、今後も特集「吹き替えの日」にご注目ください。その筋のひと的に価値ある吹き替え版を、これからも厳選してお届けします。 っていうか、その筋のエッジなひとたちのあいだで高まった吹き替え再評価の気運って、いま、広く一般ピープルのあいだにも「むかしは映画って夜9時からテレビの洋画劇場で見てたよなー、あの頃の吹き替えって懐かしいよなー」的な昭和ノスタルジアとして波及してるんですよね。 字幕のオリジナリティも良い。吹き替えの妙も捨てがたい。要はケース・バイ・ケースなのでは?という柔軟な立ち位置にザ・シネマはいますが、この気運がますます盛り上がればよいと願っており、吹き替え再評価ブームの一翼を担えれば、と思ってます。 そこで早速、またしても「6月20日は吹き替えの日」という24時間特集を組みます! 今度のラインナップは、 『レッドブル』…シュワ=玄田哲章 『ロックアップ』…スタも玄田哲章 『レッドソニア』…シュワ=今度は屋良有作 『インナースペース』…(後述) 『ユニバーサル・ソルジャー』…ヴァンダミング=山ちゃん、ドルフ・ラングレン=大塚明夫 『テキーラ・サンライズ』…(後述) というアクション系6タイトルです。 とくにご注目いただきたいのが、『レッドソニア』。これについては以前書いたとおり。 さらに追加で書くと、この映画は『コナン・ザ・グレート』の番外編だとまえに触れましたけど、正伝『コナン・ザ・グレート』でヒロインの女剣士バレリアをアテてた戸田恵子が、異伝『レッドソニア』ではヒロインの女剣士ソニアを担当してます。なるほど、『コナン』シリーズでの戸田恵子は、正義のヒロイン女剣士担当声優ってワケなんですね。 ちなみに、正伝『コナン・ザ・グレート』のヒロイン女剣士役サンダール・バーグマンは、異伝『レッドソニア』では悪の女王役です。ヒロインやった女優が今度は悪役で起用された。こういうキャスティングの遊びって、番外編ならではのお楽しみですよね。ただ、逆に言うと、戸田恵子はサンダール・バーグマンFIXの声優扱いをされなかった、ってことです。 個人的には、そうであって欲しかった!そうすれば正伝と異伝がきれいに日本語の声でもつながったのに、というらちもないマニア願望をいだかずにはいられない僕です…(すでにシュワ声優が玄田哲章と屋良有作で違っちゃってますから、その時点でつながらないのですが…)。 次に注目は『インナースペース』。DVDは、なんと『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督が吹き替え演出を担当、デニス・クエイド=上杉祥三、マーティン・ショート=野田秀樹、メグ・ライアン=斉藤慶子という、ある意味サプライズ人事ですが、まぁ、これに関しては各自、DVDでお楽しみください。 今回ザ・シネマで放送しますのは、見ようと思っても見れないレアなテレビ版です! こっちのバージョンですと、デニクエ=谷口節、マーティン・ショート=堀内賢雄、メグ・ライアン=佐々木優子と、手堅い人事になってて安心です。 さらに!きわめつけは『テキーラ・サンライズ』。あさ10時からはメル・ギブ=神谷明版、よる10時からは野沢那智版にて放送!(我ながらこんなマニアックな企画よくやるわ…) この映画でのメル・ギブソンは、ヤクのディーラーという「二枚目なヤバいひと」の役なんですが、メルギブの二枚目感は神谷明に、ヤバいひと感は野沢那智に、僕ならそれぞれ軍配を上げたい。ぜひ、聴き比べてみてください。 さらにさらに、『レッドブル』のジェームズ・ベルーシ=富山敬、『ロックアップ』のドナルド・サザーランド=家弓家正といった脇も、見逃せない(聴き逃せない?)配役です。 というわけで、全国の吹き替えファンの皆々様、6月20日も、ザ・シネマ吹き替えの日、ご堪能ください! コアな吹き替えマニアではない一般ピープルの皆様も、この日は、一昔前のテレビ洋画劇場、荻昌弘が、水野晴郎が、高島忠夫が、そして淀長翁が(むろん木村奈保子もですが)、夜ごとシネマの世界へと誘ってくれた、あの時代の夜の、あの雰囲気に囲まれて、幸福なノスタルジーに浸りきってみてはいかがでしょう? それにしても、いゃー、昔のテレビ洋画劇場って、本っ当にいいもんですね! 【特報!】そして盛夏8月、すごい品ぞろえで「吹き替えの日」を実施予定!詳細後日!! 乞う御期待!!!■