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COLUMN/コラム2018.05.21
『LUCY』 6/16(土)字幕、17(日)吹き替え
まず、あらすじ。 台湾に留学中の女性ルーシーは、元カレから謎の荷物の運び屋仕事を強引に押し付けられる。不安的中、中身は麻薬で、しかも届け先で韓国系ヤクザに拉致され昏睡させられ外科手術までされ、体内に麻薬のビニールを詰められる。飛行機で某所に密輸しろというのだ。挙げ句、暴行され腹部を蹴られた衝撃で体内で袋が破裂してしまう。人間の脳は通常10%しか使われていないが、その結果、彼女の脳の不活性領域は活性化し、彼女は超人化していく。 その超人化がほとんど超サイヤ人レベル。ザ・シネマがこのところ大量にお届けしている“最強オヤジ”ことセガールだが、彼の偉大なる発見は、ヒーローがひたすら一方的に強い映画は見ていて気持ちが良い、という映画の禁じ手に気づいてしまったことである(コマンドーの発展的解釈)。絶対ピンチに陥らない。一度はボロ負けし雪辱のため歯を食いしばり鍛え直し逆転という、ロッキー的なドラマ性も無い。そういうスリルや感動は無いかもしれないが、とにかく最初から最後まで一方的にヒーローが悪者をブチのめし続けていけば、見ている側としてはこの上もなく快感なのだ。本作『LUCY』はそれにも通じる、脳の快楽中枢を直接刺激してくるようなドーパミンがドバドバの痛快さがあり、そのため見ているこっちの脳の不活性領域までもが活性化しそうになってくる。 まず、体内でビニール袋が破れ麻薬を超オーバードースしてしまった直後、映画開始25分頃、浮く!早くも物理法則を無視できる能力をルーシーは身につけてフォースの覚醒。ここで第2幕の幕が上がる。2幕目では覚醒のプロセスが描かれていく。 34分頃にはお母さんに電話し、「地球の自転を感じる」とか「重力を感じる」とか、“嗚呼、時が見える”系の禅問答発言を連発。ニュータイプの覚醒だ。そして“時が見える”は、冗談ではなくて本当に終盤のキーワードになってくる。つまり本作、ここらへんから、哲学SFの趣きになっていく。 …のだが、この先の展開を記すと若干のネタバレに踏み込まざるをえなくなっていくので、まずは、キャスト・スタッフの話から先に済ませておこう。 主演のスカヨハと言えば『アベンジャーズ』のブラック・ウィドウが超最高だが、実は『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』に『her/世界でひとつの彼女』に本作と、他のSFに出る場合はSFアクション系よりも哲学SF系への出演が目立っているように思う。『アイランド』と『ゴースト・イン・ザ・シェル』にも、アクション要素も多いものの哲学SFのムードだって色濃い。ヒロインが持つ豊満な肉体美×物語が持つ深い思索性、というミスマッチが互いに引き立て合うから?とにかく、スイカに塩のごとく相性が良い。なお、本作で吹き替えを担当するのは『プロメテウス[ザ・シネマ新録吹き替え版]』でお馴染み、我らが佐古真弓だ。 さらに個人的な感想を述べると、本作はスカヨハの衣装も良い。チープで逆に良い。ベッソン組オリヴィエ・ベリオ氏のグッジョブだ。豹柄フェイクファーのライダースジャケット、その中もド派手プリントのボディコンで、大阪のオバチャンもかくやという凶悪なセンス。マニキュアはムラに剥げ、雑にブロンドに染めた髪はプリンでパサパサと、登場時からただごとならぬチープ感を全身にみなぎらせているのだが、逆にムラッとくるお水的な魅力がある。拉致られ強制外科手術された後の、トロロ昆布状態まで生地と襟ぐりがクタって黒ブラが透けている白T×激安レーヨン混ジーンズの上下姿もまた、大いに結構!良い女、良い体、グラマラス、というLUX的オーラで普段は巧みに目をくらまされているが、実は、田舎のヤンキーっぽさはスカヨハの身上だと個人的には信じている。本作は珍しく、そんな天性のDQN美を隠すことなく全身から発散してくれており、実に眼福である。 一方、モーガン・フリーマンが、Eテレの教養番組シリーズ『モーガン・フリーマン 時空を超えて』まんまの役で出演している。脳科学について講義する博士の役で、いなくても物語上まったく問題ない役なのだが、Eテレのお堅い教養番組的な知的風格をこの映画が醸し出す上で効果的に機能している。『時空を超えて』は米本国で2010年にスタートし17年まで毎年作られており、『LUCY』が2014年製作なので、どう考えてもモーフリの本作への起用は『時空を超えて』でのイメージを踏まえた上でのことだろう。吹き替えは、Eテレの菅生隆之ではなく本作では坂口芳貞が担当しているが、坂口モーフリにはやはり安定のFIX感があり、こっちはこっちで実に鼓膜が気持ち良い。 そしてチェ・ミンシクが、韓国麻薬ヤクザ役で、韓国暴力映画から抜け出してきたような役どころを演じており(下のスチール↓は決して『悪いやつら』の宣材ではありません。お間違いなく)、しかも英語なりを一切しゃべらず韓国語だけで押し通す(なので吹き替え版でも本人セリフ原音ママイキ)という力押しで国際デビューを果たしている。韓国ヤクザのセリフは字幕も無く、ヤクザ同士のドスのきいた会話の内容は観客にもさっぱり分からなくて逆に猛烈に怖いのだが(「パリパリ」というのが「急げ」という意味なんだろうとは推測できた)、とにかく、チェ・ミンシク大兄の世界デビューは、人ごとながら、韓国人ほどではないかもしれないが、日本の映画ファンとしても、これはかなり嬉しい!『シュリ』以来20年ぐらい日本の映画ファンもずっと注目し続けてきた俳優なので、そんな彼の国際的な活躍は、半分我が事のように嬉しい。「世界よ、気づくの遅かったね」って感じだ。まして私こと筆者は英語弱者なので、「母国語だけでも力押しでどうにかなるんだ!」と、(間違った)希望を抱かせてくれて、心強い。 監督は、ご存知リュック・ベッソン。90分前後のサクッとお気軽に楽しめる英語の娯楽アクション作品を大量生産しているフランスの映画会社ヨーロッパ・コープの首領(ドン)でもあり、最近ザ・シネマではそこの映画をよく流しているが、近頃ではベッソンはプロデュースと脚本に回って、メガホンは子分の中堅どころの職人監督に委ねるケースが多い。自身が監督も務めた作品としては、最近だと『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』という、『アバター』のような『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のような原色キラキラのサイケSFで、「歴史修正主義、ダメ。ゼッタイ。」もしくは「歴史修正主義やめますか?それとも人間やめますか?」という、意外にも高潔なメッセージが込められた映画があったばかりだが、やはり、何と言っても最高傑作が『レオン』であることは論を待たないだろう(絶賛放送中)。ちょっと作品ごとに毀誉褒貶いちじるしいクリエイターではあるものの、『LUCY』は個人的には彼の近年のベストワークだと評価している。この痛快さ、とにかく堪らない! ヨーロッパ・コープ社のトレードマークと言えば無茶苦茶なカーアクション。ハリウッド映画を軽く凌駕しているのだが、本作でもそれは健在で後半に凄い見せ場が用意されており、「TAXi」シリーズや「トランスポーター」シリーズ(こちらは絶賛放送中)で蓄積されたノウハウが惜しげもなく投入されているのだろう。 そもそも『TAXi』第1作(1997)製作時、15年間お世話になった世界最古のフランスの映画会社ゴーモンと揉めたことが、ベッソンが01年にヨーロッパ・コープ社を立ち上げたきっかけだ。ベッソン側の主張によると、ゴーモン社は『TAXi』で彼がプロデュースに回り監督を人任せにすることが不満だったという。 ベッソンという漢は現場叩き上げだ。高校を中退しゴーモンの門を叩き映画業界に飛び込んでまずアシスタントから始め、後に渡米して武者修行。帰仏してまたゴーモン社のご厄介になり、監督デビュー後、『サブウェイ』(1985)以降の作品をずっと撮ってきたのだが、そのすったもんだで袂を分かった。 なお、『LUCY』の大詰めの銃撃戦で、ソルボンヌ大学の研究所にある坐像が銃弾の雨あられで木っ端微塵にされるシーンがあるが、それは創設者ソルボンさんの像。ベッソンはこのクライマックスシーンについて「高校中退の俺が、“知”についての映画を撮るために“知”の象徴ソルボンヌをブッ壊してやったぜガーッハッハ!!」と豪語しており、たいへん好感が持てる人柄である。 ただ、ここで残念なお知らせがひとつ。「人間の脳は普段は最大でも10%しか使われていない」という、この映画の大前提となる、そして我々もどこかで聞いたことのある説が、実は、良く言ってもトンデモ系疑似科学、悪く言えば単なる都市伝説であることが、こんにちでは科学的に証明されているのである! 10%しか使っていないのであれば、残りの90%の部分に外傷的ダメージや脳梗塞で損傷を受けても支障は一切無い、それまで通り普通に生活できるということになり、「そんな訳ないだろ!」とは素人でも少し考えれば考えつく。私ごとき素人の言うことなんか信用できないって?ならば以下をご参照あれ。 ・脳の10パーセント神話(Wiki)→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E3%81%AE10%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1 ・あなたは脳の何%を使ってる?(TED動画)→ https://www.youtube.com/watch?v=5NubJ2ThK_U&feature=youtu.be 話の出発点からしてそもそも根本的に間違っていたということで、いやはやベッソン、なんともオチャメな、憎みきれないウッカリ屋さんである。もはや好感しか持ちようがない人柄だ。 さて、そろそろ、あらすじ紹介を再開しよう。 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 映画開始から55分後頃に脳の50%が活性化。またここで物語の位相が変わってクライマックスである3幕目に突入する。活性化率はまだ半分なのだが、この時点でもはや凄いことになっており、救世主ネオの域に達し、さらにDr.マンハッタン、イデの発動、アルティメットまどか路線を突き進んでいく。もちろん、とっくに韓国ヤクザごときが束になっても敵う相手ではなくなっており、もはや、人か!?神か!?という存在になっていくのである。 そして最後にはスターゲート・コリドーが彼女を待っているのだ。かの映画で(どの映画だ!)ボーマン船長は宇宙の成り立ちを高次の存在に垣間見せられ新人類への進化を許されたが、本作では、脳が進化しすぎたスカヨハが勝手にスターゲート・コリドー幻視までたどり着き、ついに最初の人類である原始猿人ルーシーと“時空を超えて”めぐりあい、宇宙の始まりを見て(これぞまさしく、めぐりあい宇宙!)、スカヨハ自身が高次の存在へと自力で進化を遂げるのである。ちなみに、最初の人類とされる300万年前のアウストラロピテクス化石が「ルーシー」と名付けられているのだ。 と、こういう映画である。公開時にはオチだけを見て日本では「『攻殻』に似てる!」という感想ばかり聞こえてきたが、その他の様々な和洋のSF作品とも豊かにリンクしているのだ。ここまで、『攻殻』以外はあえてタイトルを伏せてきたが、元ネタ探しに興じはじめたら、この作品は何度でも楽しく見返していただけること請け合いだ。■ © 2014 EUROPACORP-TF1 FILMS PRODUCTION - GRIVE PRODUCTIONS. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2017.06.26
『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』に出てくるCubanosことキューバンサンドのレシピに挑む!!!
写真/studio louise 今週末『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』やりますので、キューバンサンドのレシピをここに公開します。 映画チャンネルなのでレシピの前に一応あらすじから。 とあるレストランシェフ。売れる料理を作れとオーナーからプレッシャーかけられるんだけど、自分としてはもっと創造的でチャレンジングな料理に挑みたい。でもしぶしぶ売れ線料理を作ったところ有名料理評論家から「守りに入ってヲワコン確定」とか酷評され、キレてTwitterでケンカふっかけて炎上。クビに。で、裸一貫、中古トラックをフードトラックに改装し、元妻のゆかりの地であるキューバにインスピレーション受けてオレ流「キューバンサンド」を開発。南部からホームタウンのLA目指し、アメリカ横断でフードトラックをのんびり走らせながら、道すがらご当地グルメを喰い、それを仕事にフィードバックさせ、キューバンサンドを流しで売りつつ、ひと夏かけてあの評論家の待つ因縁のLAに戻る。 という物語でして、ロードムービーですしグルメ映画ですが、テーマ的には「♪いいな、いいな、お仕事っていいな」という映画。「俺はなぁ、人間としてはそれは問題あるかもしれねえよ。でもなぁ、この仕事だけはなぁ、人生かけてやってんだよ!誰にも負けねえぞこの野郎!!」という、猛烈に燃えてくるCalling映画なのであります。 この作品の解説番組プラチナ・シネマ トークはコチラ。 でこの映画、必然的にメッチャクチャ美味そうな食い物のオンパレードで、特にメインのキューバンサンドは、公開時に初めて見た時すぐ作りたくなって、その週末にはもう作ってましたからね。当時は食える店もありませんでしたし、今でもどこででも食えるという代物ではありません。今回で作るの3回目です。 「日本人の口にも合うようにアレンジしました」は要らんお節介だと常々感じているワタクシ。本場の、現地人が食べているのと寸分違わぬものを食いたい!というのが料理に臨む時の基本姿勢。 なのでこのレシピも、マーサ・スチュワートにかぶれたかなんかでPinterestにせっせとレシピ上げてる料理自慢のアメリカ人のオバチャンのレシピを、何人分かMIXして良いとこ採りしたものです。あちらの方は写真のセンス良くてPinterest見ていても飽きないんですよね。我が日本のクックパッドも見習いたいものです。 ま、ジョン・ファヴローの味になっているかどうかはともかくとして、間違いなくアメリカの味ではあります。 では、早速いってみましょう! 【材料】 ・豚ブロック(肩でもバラでも)・ハム・チーズ(ここだけオレ流アレンジ入れてまして、ひとクセ欲しくてゴルゴンゾーラに!普通はアメリカ料理なんだからホワイトチェダーとかが本当だと思います。常温で柔らかくしておくこと)・生ローズマリー・タマネギ1個・ニンニク2片・フランスパン(バタールとかバゲットとか。1本で2人分)■ ■ ■・ピクルス・白ワイン・イエローマスタード・タバスコ ハラペーニョソース(お好みで)・あと塩、胡椒、バター、油 【作り方】 [前日の準備] ローストポークの下ごしらえ。豚ブロックに切れ込みを深く薄く入れる。できるだけ薄く!この薄い肉を後で1枚ごと切り離してサンドの具として挟むので。そして、その切れ込みに生ローズマリーの大半(少し残しとく)とニンニク1片を薄くスライスしたものを差し込み、ラップで巻いて冷蔵庫で一晩寝かし肉に香りを移す。 ①本番当日、まずはローストポークから。下ごしらえした肉に油を引いたフライパンAで強火で焦げ目を付け、付いたら横に取り置き、いったん火を消す。 ②ある程度冷めたフライパンAに、タマネギざく切り、適当に切ったニンニクもう1片、残しておいたローズマリーを敷きつめ、その上からローストポークを置く。下の野菜類がひたひたになるまで1〜2cmほど白ワインを注ぎ、再点火して蓋をし中火〜弱火で煮詰めて1時間蒸し焼きに。 (タマネギは肉の臭み消しなので後で捨ててもいいが、ワタクシは付け合わせとして食べちゃう。ついでに【材料】外だけどジャガイモとかニンジンとかも適当に切ってブチ込んでおけば、豚脂とローズマリー香をまとった良い付け合わせになる。手間もかからないしね!) ③この1時間タイムの間にフランスパンをこのように切っておく。この1本で2人前。まず2等分にし、そのそれぞれを上下に切り分けて4分割する。その上下がサンドイッチの“上蓋”と“土台”に。 ④1時間後、ローストポークの蒸し焼きが完了。ラスト10分は蓋を外して汁気を飛ばして。ローストポークは取り除けて冷まし、他の⑤以下の作業に取り掛かりつつ、手でさわれる程度に冷めたところでニンニクとローズマリーを雑に取り払い(多少残っていても一向に構わない。食べちゃえばいいんだから)、薄いスライスを活かしてそのまま1枚1枚に切り分ける。フライパンAに残ったタマネギ(とジャガイモ)は、後で再加熱するのでこのまま放置しておく。ただしローズマリーだけは廃棄処分。 ⑤4分割したパンの内側、白い色した切断面にバターを塗り、フライパンB強火でその面にこんがり焼き色をつける。「ダニエルさん、ワックス掛ける、ワックス取る」運動をしながら押し付けて。火傷に注意! 1分程度やれば十分。それを4つ全部にやり、やり終えたらフライパンBは即・冷ます(裏から水道の水を注げば一瞬で冷める)。そして上下に切り分けた下の方、“土台”となるパンの外側(茶色いパン皮の部分)つまり腹の部分にもバターを塗って、冷めたフライパンBの中央に置く。 ⑥その“土台”の上に具材を乗せていく。下から順番に、 [最下層]チーズ…常温で柔らかくしておき、バターみたいに“土台”表面に塗りつける。これが溶けて糊のような役割を果たし具材を固定する。[第2層]タバスコ ハラペーニョソースをお好みでチーズに垂らす。オレはドバドバいくが![第3層]ハム[第4層]スライスしたピクルス(スライス・ハラペーニョでも美味そうだな。次回ためしてみよ)[最上層]ローストポーク 最後に“上蓋”の内側にイエローマスタードを塗る。これが“上蓋”の糊となって具材を固定する。その“上蓋”を具材の上からかぶせ、サンドイッチ状態に整える。 ⑦もう数ステップで完成だが、その前に。付け合わせのタマネギ等を入れっぱなしのまま放置しておいたフライパンAをここらで弱火にかけ直し、再加熱し始める。⑧一方のフライパンBも再び中火で熱し、ジュージューとサンドイッチ“土台”の腹に塗ったバターが溶ける音がし始めたら、写真ぐらいの大きさの、両側に取っ手のある(←これ重要!)鍋を使って、サンドイッチを真上から、ある程度の力をかけて90秒間圧し潰す!取っ手が片方しかないと力がかたよってサンドイッチが斜めにズレたりするので、くれぐれも左右均一に真上から力をかけて真下に向かって潰すこと。 ⑨バターの圧し揚げ焼きで“土台”がペッシャンコになるが、“上蓋”はバターを塗っていないのでまだフカフカで復元力がある。今度はその“上蓋”の屋根にもバターを塗り、フライ返しとトングを上手に使って上下ひっくり返し(糊でユルくくっ付いているとはいえ、サンドイッチがバラバラに分解しないよう細心の注意を!)、今度は“上蓋”がペッシャンコになるまで⑧と同じ作業をまた繰り返す。 完成!フライパンA、フライパンBどちらも火を止め、皿に盛り付ける。フライパンAの付け合わせのタマネギ(とジャガイモ)にはお好みで塩コショウを。 あとは、食うべし! 【実食】 んま〜い!バタくさいアメリカ〜ンな味が広がりますぞ。油っぽさを洗い流すため、この世にはビールという便利な飲み物がある。ビールにさっぱりライムも入れれば、こいつは実に最高だぜ!夏の料理って感じですなぁ!! レッツ・トライ!!! ご覧のように、もとはバゲットだったものがここまでペッシャンコになり、食感はバリバリと煎餅のよう。バターの圧し揚げ焼きでパンが煎餅状態になっちゃうのです。これぞキューバンサンドの一大特徴でしょう。映画でもこうなっていますので目を凝らしてご覧ください。 とはいえ、もとはと言えばバゲット半分。もしペシャンコになってなければサブウェイよりデカいサンドイッチになっていたはずです。しかも見た目が潰れたからといって具材の分量もカロリーも減ったわけではありませんから、食うと意外とお腹ふくれます。これ一個でビッグマックより全然食いごたえある。不肖ワタクシ42歳大の男、中肉中背若干の脂肪肝以外はいたって健康体でも、昼飯だったらこれ1個で十分です。 あと、バゲットの切断面両側だけでなく、外側の屋根と下っ腹の部分、つまり全面にバターを贅沢に塗りたくりまくるという、「こんなもん喰ってたらロクな死に方はせんな…」の超弩級コッテリ料理で、そこにハムと肉をWで挟み込む、良くも悪くも実にアメリカン極まりない食い物なわけです。まぁ毎日食う奴はいないでしょうが各自健康にはご注意を。でも、ピクルス、ゴルゴンゾーラ、ハラペーニョソース、イエローマスタードと、けっこう刺激臭的なひとクセが強烈な“酸”系の材料を多用しているために、意外や意外、しつこかったりもたれたりする食後感はないんです。つまり、わりと“酸”の食材、特にピクルスが隠れたサッパリ系の助演となって、コッテリ感や油っぽさを抑えることで成立しているような料理でして、「ピクルス嫌いなんです、ピクルス抜きで」という人は、そもそもこの食い物は向いてないかもしれません。 さてさて、食ってから見るか!? 見てから食うか!? 『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』は今週末7月1日(土)に字幕、2日(日)に吹き替えでの放送です。お見逃しなく! にしてもこの「男子、厨房に入って散らかす」シリーズにまさかの第2弾がこようとはね…。ちなみに第1弾「『暗い日曜日』に出てくる“ビーフロール”ことルラードを作る!」編はコチラ。 © 2014 Sous Chef, LLC. All Rights Reserved. 保存保存
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NEWS/ニュース2017.03.28
最新作『ゴースト・イン・ザ・シェル』。スカーレット・ヨハンソンなど豪華ゲストによる来日記者会見レポート!
作品の世界観を表現した記者会見会場。BGMと共にルパート・サンダース監督、ジュリエット・ビノシュ、ピルー・アスベック、ビートたけし、スカーレット・ヨハンソンの順で登壇。 司会:本当に日本でも、ファンが多い『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』がついに、待望のハリウッド実写化ということで、記者の皆さんもすごく楽しみにされています。早速皆さんから一言ずつご挨拶をいただきたいと思います。 スカーレット・ヨハンソン:皆さんこんにちは。東京に来ることができ、とても嬉しく思います。この作品を、皆さんにご紹介できることを大変嬉しく思っています。非常に長い旅となった体験ではありますが、この作品をお披露目する初めての都市が東京であるということがとてもふさわしいと思いますし、とても興奮しています。本日はありがとうございます。 ビートたけし:あ、どうもご苦労様でございました。やっと幸福の科学からも出られて、今度は統一教会に入ろうかと思ったんですけども、やっぱりこの映画のためには創価学会が一番いいんじゃないかっていう気がしないでもないですけども(会場で笑いが起こる)、初めて本格的なハリウッドのコンピューターを駆使した、すごい大きなバジェッドの映画に出られて、自分にとってもすごいいい経験だし、役者という仕事をやるときに、もう一度どう振る舞うべきかっていうのをスカーレットさんに本当によく教えていただいた。さすがにこの人はプロだと、日本に帰ってきてつくづく思っています。それくらい素晴らしい映画ができたと思っています。 ピルー・アスベック:日本は初めてなのですが、本当に大好きになりました。いつもこういうふうに皆さんと接することができるのであれば、もっとこれからも来日したい。夕方に着きまして、神戸ビーフを初めて口にしました。人生最上のお肉で非常においしかったです。また、今日は皆様お越しいただいてありがとうございます。僕らも本当に努力してこの作品を作り上げました。それをやっと皆さんとこういう形で分かち合えることが非常に嬉しく、光栄に思っております。 ジュリエット・ビノシュ:皆さんこんにちは。こうして東京、日本に来られてとても嬉しく思っております。『ゴースト・イン・ザ・シェル』というのは、日本発のコンテンツということで、日本にこの映画とともに帰ってこられるということを本当に嬉しいことだと思っています。そして、『ゴースト・イン・ザ・シェル』の素晴らしい世界観の一部に自分がなれたということもとても嬉しいですし、この映画を作り上げた素晴らしいアーティストたちとの体験も本当に楽しかったです。正直、脚本を最初に渡されて読んだときに、まるで暗号書を解読でもしているかのように、まったく理解ができませんでした。そういった意味でも非常に自分にとっては挑戦しがいのあるとても難しい役柄でしたが、素晴らしい映画にできあがっていると思いますので、皆さん是非見て頂きたいと思います。ありがとうございます。 ルパート・サンダース監督:本当に今回ありがとうございます。今ジュリエットが言ったように、この素晴らしいレガシーの一部になるということは非常に光栄なことです。私が美術学校の学生だった頃に、この『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』には出会い、本当に素晴らしい作品で非常に想像力をかきたてられ「この実写版を作るんだったら、僕が作りたい」とそのときは思ったんですが、スティーヴン・スピルバーグが作るということが分かって、「ああ、僕じゃない」とそのときは諦めたんです。でも色々なことがあり、非常に幸運にも私が作ることになりました。この映画を通して、本当に日本が生んだ素晴らしい文化、そして非常に芸術性豊かな正宗士郎さんのオリジナルな漫画、押井守さん、神山健治さんのアニメーションや作品に、世界の皆さんがこの作品を通して知ることになるということ、私が若いころに触発されたように皆さんもこの『ゴースト・イン・ザ・シェル』を通して色んなものに出会っていただきたい。日本、東京が大好きですし、この作品を生み出したこの日本という国を本当に素晴らしいと思います。 司会:どうもありがとうございました。私から皆さんに代表質問をさせていただきます。本当に日本が生んだ、そして日本にもファンが非常に多いこの『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、これを実写化するというプロジェクトに実際参加されてみてどういうふうに感じられたのかっていうお話を聞いてみたいと思うのですが、スカーレット・ヨハンソンさんからお願いできますか? スカーレット・ヨハンソン:初めて原作アニメーションを拝見して、この作品をどう実写化していくかが自分の中ではっきり見えていなかったんです。気持ち的に怖気づくといいますか、ひるむといいますか、原作アニメーションがとても詩的で、夢のような世界が描かれていたり、その存在について静的なところがあったりと色々な要素があり、登場するこのキャラクターに対して自分がどう入っていけるのか、というところがありました。ただ、とても興味があって、アニメが自分の頭の中に残り、ルパート監督と長い時間をかけて彼が集めた色々な素材や資料を見て、彼の考えているその世界観が原作に敬意を持ちながら、独自のものを持っていることがわかりました。自分が演じる役どころ、彼女の人生というか彼女のその存在というものについて二人で色々会話をして、自分の中で否定できないようなものになりましたし、この『ゴースト・イン・ザ・シェル』というものが頭から離れないものになったんですね。監督と二人三脚で未知の世界に大きく一歩を踏み出しました。 監督がとても色々と努力をなさってこれだけ愛されている原作、作品であるということで、私も今回(参加できて)とても光栄に思いますし、とても責任を感じています。この役に自分が息を吹き込むことができ、本当に素晴らしい経験になりました。感情的にも肉体的にも大変な経験でしたけれども、人として学ぶことも多かったですし、また役者として今作から色々学べました。演じた役と一緒に成長を感じることが体験できたのでとても感謝をしています。皆さん作品をご覧になるとお分かりになると思うのですが、この役が遂げている成長を投影して、自分も成長できた作品になっていると思います。ちゃんとした答えになっているか分かりませんけれども、それだけとても大きな意味、体験ができた作品となっています ※ヨハンソン一通り話した後、お茶目に通訳の方を向いて「GOOD、LUCK!」と話す。 司会:はい。素晴らしかったです。ありがとうございました。通訳さんもさすがでございます。では続きましてビートたけしさんはどういうふうに感じられたのでしょうか。 ビートたけし:このアニメは自分の世代のちょっと下の人たちが読んでいたアニメであって、自分はこの作品のオーダーがあったときに、まずアニメ化されたものを見て、漫画を見て、かつてマニアックな人は実写版というのは必ずもともとのコミックとかアニメに必ず負けて文句を言われるというのが定説で、ファンは絶対「違う、違う、こういうのじゃない」というような感じがよくあるんですが、今回は自分の周りにもその世代の子どもたちがいっぱいいて、ちょっと見た限り、昨日ちょっと見たんだけども、やっぱりすごいということで、忠実であって、なおかつ新しいものが入っていて、もしかすると最初にアニメ、コミックの実写版で最初に成功した例ではないかというような意見があって。唯一の失敗作は荒巻じゃないかという噂もあるし(笑)。その辺は言わないようにといってますけども(笑)。それくらい見事な作品だと自分は思っているし、現場でもいかに監督がこの作品にかけているかっていうのもよく分かったし。まあ、全編大きなスクリーンで見ていただければ、いかに迫力があってディテールまでこだわっているかよく分かります。よろしくお願いします。 司会:ありがとうございます。素晴らしい本当に作品でございました。ではピルー・アスベックさんは今回参加されていかがでしたでしょうか。 ピルー・アスベック:日本で生まれた最も素晴らしい物語のひとつに参加することに、もちろん怖い思いはありました。特に演じるキャラクター、バトーは本当に愛されているキャラクターで、ファンの期待も裏切られないという思いもありましたが、この素晴らしいチームに恵まれて、そんな不安も吹き飛びました。本当に参加していて大好きでしたし、すごく楽しめました。それに攻殻機動隊のファンなんです。押井さんのアニメがヨーロッパ、そして世界公開された当時、僕はこの作品に出会いました。色々と話を聞きながら僕が士郎正宗さんの漫画を手に取り、原作のバトーは軍人であり年上なので、僕はもっと歳は若いし、平和主義者だし、ちょっと共通点が見出せなかったんですね。けれども漫画を読みましたら、ビールもピザも大好き、「これだ!」と思いました。ここからキャラクター作りというのができ、もちろん道のりは簡単ではありませんでしたが、ここにいらっしゃるスカーレットさん、ジュリエットさん、そしてたけしさんと、もちろん監督とともに仕事ができたことは大きな喜びでした。 司会:ありがとうございました。ではジュリエット・ビノシュさんお願いいたします。 ジュリエット・ビノシュ:先ほども申し上げましたように、脚本を受け取って一読したときには本当にまったくさっぱりわからなかった。このSFというジャンル自体にもあまり馴染みがないこともありましたし。ただ、自分の息子が映画関係の仕事をしており、特に3Dの特殊技術の関係の仕事をしていて、その息子が原作のアニメーションの大ファンで、私が監督と話し合いを重ねている間、息子が脚本を2回も読んで、色々と逆に説明をしてくれたり、「是非出たほうがいいよ。これは本当に素晴らしい話だから、本当に素晴らしいコンテンツだから」というふうに勧められたことも後押しになった理由のひとつでもありました。本当にとても難しい内容で、独自の言語みたいなもの、暗号にも近いコードみたいなものが存在する話で、自分が演じる役は非常に複雑なキャラクターでした。そういう意味で別に喧嘩したわけではないんですが、監督とかなり熱論を何度も交わしてから役づくりしていたということがあります。撮影自体は、本当にとても刺激的な現場で素晴らしい仲間に恵まれて、共演者やスカーレットが朝から現場に行くと頑張ってトレーニングをしていたり、またルパート監督が目の下にクマを作って昼夜通して働き詰めの中、とても国際色豊かな各国から集まった素晴らしいアーティスト、スタッフたちが一丸となってこの映画に取り組んでいる本当に素晴らしく活気あふれる現場でした。 私が演じるオウレイ博士というキャラクターというのは非常に多層的なキャラクターで、色々な陰謀が明らかになる悪魔のような企業で働きながら、自分が作り上げた「少佐」という存在に対して、あくまで人間的な部分を保たせようと必死になる役柄で、自分自身の人間性というのにも向き合っていくという非常に複雑でとても演じがいがあったんですね。登場シーンが非常に少ないので、その中で自分のキャラクターというのをしっかり観客に伝えなければいけない。そういう意味でもとても演じがいがある分、とても難しいキャラクターでもありました。普段は滅多に出演しないSFの映画作りの新しい側面というのにも触れて、自分にとってエキサイティングな体験でした。日本と縁があるのか、『GODZILLA ゴジラ』(2014)にも出演しているので、少しそういった世界を体験していましたが本格的なSF映画というのは今回が初めてで、これをきっかけに原作マンガを読み返したりして、とても日本のマンガとかアニメに興味を持つようになりました。 司会:どうもありがとうございました。さあ、では、監督はいかがだったんでしょうか。 ルパート・サンダース監督:本当に映画っていうものは常にプレッシャーがあるものですね。大きいものも小さいものも。本当に多くの人に見られて判断される、非常に気に入っていただけるか、憎まれるのか、何が起きるかわからない。今作の場合、世界中に原作のファンがいますし、カルトクラシックとされているものです。登壇されている人たちに、このプロジェクトに是非とも参加してほしいと私から説得しました。たくさんのファンがいる中で、士郎さんや押井さん、そういうクリエイターたちに対して恥のないような本当にいいものを作らなくてはいけないというプレッシャーがありました。私はそういったプレッシャーの中で仕事することがかなり好きな方で、疲労困憊した中で狂気の中を彷徨っている部分もありましたが、とにかく最高のものを作るんだという気持ちの中で、私の想像力を全開にして、すべてやり尽くすという気持ちでいました。本当に戦いでしたし、まるで戦争のような形でここまで漕ぎつけました。世界中の人たちの心に響くものを作りたいというふうに思いましたし、皆さんが見たことのないような新しい作品、スカーレット・ヨハンソンの出演でさらに特別なものになっていますので、『ゴースト・イン・ザ・シェル』を世界中の人たち、多くの方々に見ていただきたいと思っています。 司会:どうもありがとうございました。さあ、ではお待たせしました。今日は記者の方がたくさんいらっしゃっておりますので、質疑応答タイムに移ります。 記者:ビートたけしさんにご質問です。今回出演なさってハリウッド映画と日本映画の違い、どのような点がありましたでしょうか。監督作に取り入れたいような部分があったら教えてください。 ビートたけし:自分が監督をやるときは非常に簡単に、ワンテイクが多いんですけども、ハリウッド映画はカメラの台数も、自分は最高で3カメくらいしか使わないけども、5カメも6カメもあって、ただ歩くシーンだけでも日本で役者やってるつもりで、「よーい」、まあ「ローリング」っていうんだけれども、「よーいスタート」で歩いて、監督が「Good.」っていって、良かったのかなと思って、「Good. One more.」そのあとまた「Nice. One more.」。そのあとやると「Very good. One more.」、「Excellent. One more.」、「Genius. One more.」(笑)。結局、歩くシーンだけでも5カメラで5回か6回歩いて、30カットあるってくらいの撮り方をして、その各カメラが各パーツを狙っていたり、全体を狙っていたりして、これはお金がかかるなとつくづく思いました。 記者:スカーレット・ヨハンソンさんに質問です。この映画を撮ることで、新しい自分を発見した、新しいスキルであり自分的なキャラクター、パーソナリティでありを発見したというふうにおっしゃっておりましたけれども具体的にどの点が、「あ、私こんなところなかったのに。こんな自分があったのか。」というような発見があったのか教えていただけますでしょうか。 スカーレット・ヨハンソン:とても個人的な質問ですね。過去5年位の間で興味を持っていることは、自分の仕事に関していろんなことを発見していく中で、自分が何か不快に感じるような状態に自分を置いて、それが肉体的な面である場合もあれば、ちょっと恥ずかしいと思うような気持ちの面であったりと心地よくない状態に長く自分を置いたときに、考えたことや感じたことを大切に感じて生きています。俳優としてそういうものをいい意味で利用していくというところがあるんですが、深く掘り下げていって本能的な部分、なにが芯の部分であるか、特定のキャラクターを演じるときに、そういうものが使えるのではないかと思っています。この役は、その存在が危機に直面しているという状況を5ヶ月間くらい演じ、決して心地いい体験ではありませんでした。それをどう乗り切るか、またそういう体験をして、2週間ほど前に初めて本編を見て、乗り切ることができたと思っています。質問に答えるのが難しいのですが、とても個人的なものでもありますし、多少抽象的なものであると思うんですけれども、今回非常に難しい困難な仕事ではありました。役者としても、人としても成長することができた作品と思っています。 司会:ありがとうございました。本当に最後の時間になってしまったので、最後の質問になります。記者:監督にお伺いしたいのですが、先ほどたけしさんがご指摘になったように、漫画やアニメーションの大ヒット作には厳しい目があります。それを越えるための戦略、そしてこの作品を実写にするための意義、その辺をどのように考えて挑みましたか。 ルパート・サンダース監督:この作品は大きなチャレンジでした。アニメーションでは簡単にできることが実写になると非常に難しい。例えばバトーの目。実写にすると滑稽なものになってしまう可能性はあります。そして荒巻の髪型、これも実際に滑稽にならないように実写化するのは難しい。少佐の全裸に見えるようなスーツ。これはちゃんとやらないとやはり映画的にはよくない。色々なことがあるんですが、若い頃に出会ったこの作品に非常に縁を感じ、あらゆるチャレンジを受けて立つという気持ちで挑みましたし、本当にこの中でカットのスタイルですとか、ペースですとか、本当に日本映画を意識しているっていうところがかなりあるんですね。『酔いどれ天使』と『ブレードランナー』が出会うようなそういう世界観。黒澤明さんの作品、西洋のSF映画、そういうようないろんなチャレンジはあっても、題材が本当に偉大、素晴らしいものというふうに思っていたので、単にポップコーンがズボンについたまま映画館を出て、全て忘れるような映画ではなくて、見た後色々考えたり、いろんな話をしたりという、そういう作品にしたかったんです。 今回はスカーレット・ヨハンソンが本当に素敵な演技を見せてくれました。非常に複雑な役柄で、「誰なのか」「なんなのか」というアイデンティティの問題や技術革新のテクノロジーが発達した世界で、何が人間たるものかという比喩になっていると思います。士郎さんが発表した当時はインターネット、携帯電話のないそういう時代でしたから、このテーマというのは非常に今日的なテーマであって、多くの観客にこの映画を見ていただいて、テーマやアイデアについて士郎さんがパイオニアであったこの作品を見ていただきたいと思います。 司会:どうもありがとうございました。たくさん質問、皆さん手を挙げてくださっておりますけども、お時間の都合で申し訳ありませんでした。ではこのあとフォトセッションに移りますので、よろしくお願いします。 ジュリエット・ビノシュが今日はルパート・サンダース監督のお誕生日!といって称え、会場に拍手が起こる。ゲストが後段しフォトセッション後、会見終了となった。<終了> ■ ■ ■ ■ ■ 原題:GHOST IN THE SHELL原作:士郎正宗『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(講談社「ヤングマガジン」所蔵)監督:ルパート・サンダース脚本:ジェイミー・モス、 ウィリアム・ウィーラー、アーレン・クルーガー出演:スカーレット・ヨハンソン、ピルー・アスベック、ビートたけし、ジュリエット・ビノシュ、マイケル・ピット 2017年/アメリカ/2D・3D©2017 Paramount Pictures. All Rights Reserved.配給:東和ピクチャーズ2017年4月7日(金)より全国公開 ■公式サイト:http://ghostshell.jp/
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COLUMN/コラム2016.04.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年5月】おふとん
ソフィア・コッポラ監督・脚本のアカデミー脚本賞受賞作。 ともに孤独と不安を抱えるハリウッド・スターのボブ(ビル・マーレイ)と若妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)の出会いと別れを描く。舞台はトーキョー。 監督の実体験が元になった本作。音楽・場所・服・とき、全部の要素がソフィアのスノビズムの名の元で、綺麗な丸に収まっています。セバスチャン・テリエからはっぴいえんどまで、サイバーパンクシティから神社まで、スカヨハのおしりからツーリストの滑稽さまで、と何とも贅沢&繊細に描かれるニッポン。 日本人にはメタ視点の日本を、旅行者にはロンリープラネットよりリアルなニッポンを。食わず嫌いしていた人にも、是非観ていただきたい作品です。 ザ・シネマでは5月ソフィア・コッポラ監督全5作を再放送。お見逃しなく! ©2003, Focus Features all rights reserved
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(3)
飯森:次に「ロスト・イン・トランスレーション」【注29】と「SOMEWHERE」【注30】をセットで喋らせて頂きたいと思います。「ロスト~」はアカデミー脚本賞に輝いた作品ですが、日本人にとっても「マリー・アントワネット」【注31】と並ぶソフィアたんの代表作として知られているかもしれません。なにしろ東京が舞台ですし。主人公はウイスキーのCMに出演するため来日したベテランのハリウッド俳優と、お洒落なファッション・フォトグラファーの夫にくっついてきた大学出たばかりの新婚奥さん。この2人がたまたま同じホテルに宿泊するわけです。 なかざわ:新宿のパークハイアット東京【注32】ですね。 飯森:このハリウッド俳優の置かれた状況がまさにロスト・イン・トランスレーション状態で、言葉が通じなかったり、日本人の習慣や感性が分からなかったりする。CM撮影やスチール撮影の現場で、どうにも歯車の噛み合わないもどかしさを感じているわけです。一方の若妻の方も旦那がさっさと一人で撮影旅行に出かけちゃって、いきなり右も左もわからない新宿に一人で放置される。そんな彼らがホテルのラウンジ・バーで知り合い、お互いにアメリカ人だってことで言葉を交わしていくうち、だんだんと仲良くなっていくわけです。で、誰かと一緒にいるってハッピーなことだな、と噛み締めながら、あっという間に東京滞在の期間が終わってしまい、それぞれの人生へと戻っていく。 なかざわ:面白いのは、お互いに親近感というか、惹かれあうものがありながらも、具体的にロマンスへは踏み込まないんですよね。 飯森:そこですよ!決してロマンスには行かない。でもベッドシーンはあるんです。そこは後ほど説明しますね。で、もう一方の「SOMEWHERE」ですけれど、これもハリウッド俳優の話。主人公は人気のアクションスターで、ロサンゼルスのシャトー・マーモント【注33】という実在するセレブ御用達の高級ホテルで暮らしながら、自堕落な生活を送っている。暇になると部屋にポールダンサー【注34】を呼んでエロ踊りを踊らせたり、映画スターの余得で向かいの部屋の宿泊客とセックスしちゃったり。そこへ、離婚した奥さんが連れて行った中学生くらいの愛娘が転がり込む。元奥さんの都合で、しばらく娘を預かることになるんです。それで一緒にお出かけして、一緒にご飯を食べて、一緒にTVゲームをする。なんてことはない娘との時間を過ごす。最後も別にドラマチックに娘と死に別れたりするわけでもなく、ただ単に預かり期間が終わったので娘が去っていくだけで、映画はアッサリおしまい。 なかざわ:確かサマーキャンプに行くんですよね。 飯森:で、その娘といた時間というのがまた、なんともキラキラしているんですよ。「ロスト~」の主人公たちの東京滞在もキラキラしていた。このキラキラは先ほどの「ヴァージン・スーサイズ」や「ブリングリング」の“10代キラキラ”とはちょっと性質が違うので、“ラブストーリー一歩手前キラキラ”と名付けたい。ショッキングなことを言うと、実は「SOMEWHERE」にもベッドシーンはある。父娘の間で。「ロスト~」でもハリウッド俳優と若妻のベッドシーンがある。 なかざわ:ただ一緒にベッドで横になっているだけでしょ? 飯森:そう!そういう意味での文字通りの“ベッドシーン”で、これは意図的だろうと思うんですよ。ラブストーリー一歩手前だからベッドの上では何も起きない。そもそも「SOMEWHERE」でそれが起きたら大変です!ボロフチック【注35】になってしまいますから(笑)。主人公はラブストーリーには絶対に発展するはずのない男女。「SOMEWHERE」は父娘だから当たり前ですが、「ロスト~」だってそうだと思いますよ。あの映画を恋愛映画だと言っている人もいますけど、本当か!?と。スカーレット・ヨハンソン【注36】がビル・マーレイ【注37】に恋愛的な意味で惚れていたと思いますか? なかざわ:思わないですよ。親愛の情は抱いていたと思いますけど。 飯森:そう!まさに「親愛の情」としか表しようのない感情ですよね。ビル・マーレイにしたって、確かに一般論として男は下心が最優先になる不便な生き物だけれど、彼という役者の場合、そんな印象をほとんど受けない。若い頃からそういう俳優で、女を食っちゃうにしても飄々とした斜に構えた感じを若いのに漂わせてましたけど、この歳になるとその方面では完全に枯れ果てた出涸らしに見える(笑)。あの天下のスカヨハのプリケツを前にして、しかもベッドで一緒に寝るのに!だから、恋に落ちることは絶対ないカップルに見えるんです。 なかざわ:最後にキスをして別れますけど、あれも恋愛のキスではなく親子のキスみたいな印象でしたし。 飯森:どちらの作品でも主人公たちは“デート”をしますが、でも、「今日はパパとデート」、「今日は異性の知人とデート」っていうノリですよね。〆でホテルに行かない方のデート。その楽しそうな時間を支配しているのは、またしても“キラキラ感”。ベッドを共にしても、例えば「ロスト~」の場合だと寝転がってお悩み相談大会になっちゃうし、「SOMEWHERE」ではベッドの背もたれに寄りかかって一緒にアイス食いながらテレビを見ている。恋愛一歩手前とか、父娘とか、男女のフレンドリーな関係の心地よさが、この2作品ではキラキラした感じで描かれているんです。 なかざわ:他者と繋がって心が触れ合うことで、前向きに生きていけるようになるというテーマが、どちらでも共通しているように思いますね。 飯森:「SOMEWHERE」の父親は泣いていましたよね。娘がいなくなったことで、またあの空っぽな生活に戻らねばならないのかと慄然とする。娘とのあのキラキラした日々が、いかに充実していたかを思い知らされるわけです。 なかざわ:確か最後に車を乗り捨てますよね。 飯森:そう、最初のシーンではフェラーリらしき車に乗ってグルグル回っていて、あれは解釈に苦しみましたが、ラストではフェラーリを乗り捨てていました。 なかざわ:あれって、それまでの自堕落な生活との決別を心に決めた瞬間だと思うんですよ。 飯森:だから冒頭ではフェラーリで同じ所を無意味にグルグル回ってたんだ!フェラーリは虚栄の象徴か! なかざわ:そういうことだと思います。 飯森:あとね、これは僕の私見なんですけれど、ソフィアたんは恋愛が嫌いだと思うんです。「ヴァージン・スーサイズ」でも、確かに近所の小僧どもはリスボン家の美人姉妹に憧れますけれど、彼女らは自分たちだけの閉鎖された世界でキャッキャしていて、外の男子と恋愛する気がなさそう。小僧どもはそれを遠くから指をくわえて見守ることしかできない。 なかざわ:彼女たちはさながら妖精のサークルですよね。 飯森:唯一恋愛っぽくなるのは、ジョシュ・ハートネット【注38】演じるイケメンの不良に三女のキルステン・ダンスト【注39】が憧れる展開ですけど、これにはとんでもないオチが付く。あの美少年が25年後にはどうなっているか。「あんた少女時代にイケメンから何か酷い目にでも遭わされたの!?」とソフィアたんの恋愛相談に乗ってあげたくなる、それくらい、憎悪さえ込めたような衝撃の展開(笑)。だから、彼女は恋愛が嫌いなんじゃないかと思えるんです。まあ、小僧どももジョシュ・ハートネットも原作通りではあるんですが。 なかざわ:そういえば、ソフィア・コッポラの作品で純然たる恋愛映画ってないですよね。 飯森:「ブリングリング」も主人公の転校生はゲイだから、親友の女子と意気投合こそすれ恋愛には発展しえない。あとで話す「マリー・アントワネット」ではフェルゼン【注40】が出てきますけど、「ベルサイユのばら」【注41】とは大違いで、何も起こらない。もしかすると、ソフィアたんの理想というのは、この人とは恋に落ちることはないけれど一緒にいるとすごくハッピーになれる、そんな異性のパートナーがいるって素敵じゃない?ってことなのかもしれない。女だからってラブストーリーを描くと思ったら大間違い、恋だの愛だのなんて私大っ嫌いなのよ!ダサっ!!とでも言わんばかりの剣幕を感じてしまう。勝手にそう僕が感じてるだけなんですが、本当に、過去に何かあったのか(笑)? <注29>2003年制作、アメリカ映画。アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネートされ、脚本賞を獲得。 <注30>2010年制作、アメリカ映画。ヴェネチア国際映画祭では最高賞の金獅子賞を受賞。 <注31>2006年制作、アメリカ映画。アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞。 <注32>新宿新都心の新宿パークタワーに入居しているホテル。 <注33>1929年に創業したロサンゼルスのホテル。フランスの古城シャトー・アンボワーズを模したヨーロッパ風建築で、古くからハリウッド映画人に人気がある。 <注34>垂直の柱を使用したアクロバティックなダンスを踊るダンサーのこと。現在ではダンス競技の一種として認められているが、もともとはストリップクラブの出し物の一つで、本作に登場するポールダンサーもストリッパー。 <注35>ヴァレリアン・ボロフチック。1923年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画監督。タブーを恐れない大胆な性描写で有名。代表作は「インモラル物語」(’74)など。2006年死去。ザ・シネマ10周年記念として前月に特集を組んだ。前回対談のトークテーマ。 <注36>1984年生まれ。アメリカの女優。本作では若妻役を演じる。そのほかの代表作には「真珠の耳飾りの少女」(’03)や「それでも恋するバルセロナ」(’08)、「アベンジャーズ」(’12)など。 <注37>1950年生まれ。アメリカの俳優。本作では中年のハリウッド俳優役。その他の代表作には「ゴーストバスターズ」(’84)や「3人のゴースト」(’88)、「天才マックスの世界」(’98)など。 <注38>1978年生まれ。アメリカの俳優。代表作は「パール・ハーバー」(’01)や「ブラックホーク・ダウン」(’01)、「ブラック・ダリア」(’06)など。 <注39>1982年生まれ。アメリカの女優。代表作は「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(’94)、「スパイダーマン」(’02)、「メランコリア」(’11)など。 <注40>「ベルサイユのばら」に登場するスウェーデン貴族。モデルとなったフェルセン伯爵もマリー・アントワネットの愛人だった。映画に登場するのは、こちらのフェルセン伯爵の方。 <注41>池田理代子による日本の漫画。フランス革命前後を舞台に、マリー・アントワネットら実在の人物と男装の麗人オスカルなど架空キャラクターの激動の運命を描く。宝塚歌劇団による舞台化を契機に空前の大ブームを巻き起こし、テレビアニメや実写映画にもなった。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」(続き) 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2014.06.21
ハリウッド暗黒史に語り継がれるふたつの怪事件 ― その虚飾にまみれた倒錯と悲哀の世界
ブラック・ダリア事件は、20世紀のアメリカ犯罪史上最もセンセーショナルな未解決事件のひとつである。1947年1月15日の午前10時半、ロサンゼルスの空き地を通りかかった主婦が発見した女性の死体は、胴体がふたつに切断されていた。さらに血と内臓を抜かれたうえに性器が切除され、口が左右の耳元まで裂かれたその死体はさながらグロテスクなアートのようで、ネクロフィリアらの性的倒錯者による犯行が疑われた。被害者の名はエリザベス・ショート。ハリウッド女優としての成功を夢見て、マサチューセッツ州から上京してきた22歳の美しい白人女性だった。ロス市警は前例のない大がかりな捜査態勢を敷き、何人もの容疑者が捜査線上に浮かんだが、事件は迷宮入りしてしまう。 マスコミが熾烈な取材合戦を繰り広げ、被害者エリザベスを悪夢のようなメロドラマのヒロインに見立てて報じたこの事件は、ブラック・ダリアというネーミングもキャッチーだった。事件の前年に公開されたレイモンド・チャンドラー脚本のスリラー映画『青い戦慄』の原題が『The Blue Dahlia』であり、生前のエリザベスが黒い服を好んだことからブラック・ダリアと命名されたのだ。殺人の手口といい、被害者のプロフィールといい、そのあまりにも異様な残虐性と悲劇性を知れば知るほど、否応なく闇の中の真相への好奇心をかき立てられてしまう。そんな特別な魔力を秘めた怪事件である。 ブライアン・デ・パルマ監督が手がけた2006年作品『ブラック・ダリア』は、ジェームズ・エルロイの“暗黒のL.A.4部作”の一作目となった同名犯罪小説の映画化だ。エルロイとブラック・ダリア事件の間には数奇な因縁がある。エルロイは事件発生の翌年にあたる1948年にロサンゼルスに生まれたが、10歳の時に母親を何者かに惨殺されてしまう。しかもその事件は迷宮入りし、やがてどす黒い犯罪の世界に引きつけられたエルロイは、非業の死を遂げた自らの母親の残像をエリザベス・ショートにだぶらせていく。こうしてブラック・ダリア事件は“アメリカ文学の狂犬”と呼ばれる異端的作家の原点となった。そんなエルロイの個人的なトラウマや執着が反映された小説に基づく『ブラック・ダリア』は、事件の全貌を徹頭徹尾リアルに再現することを試みたノンフィクション的志向の作品ではなく、あくまで“事実を背景にしたフィクション”なのである。 かくして完成した『ブラック・ダリア』は、デ・パルマ監督のもとにヴィルモス・ジグモンド(撮影)、ダンテ・フェレッティ(美術)、マーク・アイシャム(音楽)らの一流スタッフと、ジョシュ・ハートネット、アーロン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンクらの豪華キャストが集った堂々たるハリウッド大作だというのに、興行的にも批評的にも失敗作と見なされた。その要因はいくつか考えられるが、筆者が思うにまず脚色のミスが挙げられる。エルロイの長大な原作小説から多くの要素を削ってプロットをスリム化したにもかかわらず、出来上がった映画は極めてストーリーが錯綜してのみ込みづらい。エルロイ流の濃密な心理描写&暴力描写が際立つ小説では、複数のエピソードがいつしか絡み合い、ひとつの真実へと到達する構成が圧倒的なカタルシスを生んだが、たかだが2時間の映画でそれを成し遂げるのは容易ではない。そもそもデ・パルマという監督は職人的なストーリーテラーではなく、根っからのヴィジュアリストである。大勢の登場人物の入り組んだ相関関係を描くには不向きなタイプで、ドラマの焦点がぼけてしまった感は否めない。 それ以上に大問題なのはマデリンというファムファタールを演じるヒラリー・スワンクが、どこからどう見てもミスキャストとしか思えないことだ。マデリンが惨殺されたエリザベス・ショートに“瓜ふたつの美女”という設定は、この物語において絶対に押さえておかねばならない重大ポイントだというのに、“男前”のスワンクはお世辞にも主人公の警官バッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)をひと目で魅了するほどの美貌の持ち主とは言いがたい。おまけにエリザベス役のミア・カーシュナーとは似ても似つかぬ貌立ちであり、二重の意味で不可解な配役となった。エリザベスの可憐さや愛に飢えた哀しみを表現したカーシュナーの好演が光るぶん、なぜカーシュナーにひとり2役でエリザベスとマデリンを演じさせなかったのかと惜しまれる。そうすれば“死んだはずの美女へのオブセッション”を主題にしたヒッチコックの『めまい』の信奉者であるデ・パルマの創作意欲も、大いに刺激されたであろうに。こうも観る者に困惑を強いるスワンクの役どころ、逆にぜひとも注目していただきたい。 とはいえフィルムノワールには“混乱”が付きものであり、それがいびつな魅惑にも転化しうるジャンルだけに、上記のネガティブなポイントも踏まえたうえで本作を楽しみたい。とりわけ“ミスター・ファイアー”の異名で鳴らす熱血警官リー・ブランチャード(アーロン・エッカート)と“ミスター・アイス”ことブライカートの出会いから、エリザベスの死体が発見されるまでのハイテンポな導入部がすばらしい。この警官コンビが犯罪者のアジトを張り込む姿を映し出すカメラが緩やかにビルの屋上を越え、エリザベスの死体発見者の主婦を捉えていくダイナミックなクレーンショット! その後もブランチャードが2人の殺し屋に襲撃されるシークエンスなど、デ・パルマ印の“影”や“階段”に彩られ、長回しとスローモーションを駆使したスリリングな場面が少なくない。『ファントム・オブ・パラダイス』の怪優ウィリアム・フィンレイと、『ハリー・ポッター』シリーズのレギュラー女優フィオナ・ショウが終盤に見せつける狂気の形相も圧巻のひと言。そしてデ・パルマといえば『キャリー』『殺しのドレス』から近作『パッション』に至るまで“衝撃のラスト”が十八番だが、本作のラストには“アメリカ犯罪史上最も有名な死体”たるエリザベスの切断死体を活用している。そのサプライズ演出にギョッとさせられるか、ニヤリとするか、ぜひお見逃しなく。 ブラック・ダリア事件から12年後の1959年6月16日、TVシリーズ「スーパーマン」の主演俳優としてお茶の間のヒーローとなったジョージ・リーヴスが自宅で突然の死を遂げた。拳銃による自殺説が有力とされているこの事件を題材にした『ハリウッドランド』は、架空のキャラクターである私立探偵ルイス・シモの調査を通して、リーヴスが死に至るまでの軌跡を忠実に再現したという触れ込みの実録ドラマだ。ハードボイルド・ミステリーの形をとっているが、知られざる“衝撃の真実”が見どころではない。カメラワークや色調共にクラシック・スタイルの端正な映像で語られるのは、スーパーマンのイメージが強すぎて映画界では大成せず、人知れず苦悩を深めていった男の悲劇。当時のハリウッドはテレビの普及などによってスタジオ・システムが揺らぎつつあったが、まだTVドラマは二流役者の仕事と見なされていた。 何より驚かされるのは、リーヴス役のベン・アフレックにまったくスター俳優らしいオーラのようなものが感じられないことだ。リーヴスはスタジオ重役の妻(ダイアン・レイン)との不倫に耽ったり、それなりに華やかな俳優人生を送ったようだが、アフレックの瞳や表情には生彩がなく、動きもやけに鈍い。白黒テレビの時代ゆえに、青と赤ならぬくすんだ灰色のタイツ&マントに身を包んで「スーパーマン」の撮影をこなすシーンなどは、目も当てられないほど痛々しい。本作が製作された2006年はアフレックのキャリアが停滞していた時期で、それがオーラの欠如となって表れたのか、それとも確固たる役作りによるものだったのか、今となっては不明である。いずれにせよアフレックの悲哀漂う演技は、破滅へと向かうリーヴスのキャラクターに見事にはまり、ヴェネチア国際映画祭男優賞受賞、ゴールデン・グローブ助演男優賞ノミネートという栄誉をたぐり寄せた。そしてこの翌年、アフレックはミステリーノワールの秀作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』で監督デビューを果たし、のちに『アルゴ』でアカデミー作品賞を受賞。飛躍的な復活を遂げたのだった。 また本作は、エイドリアン・ブロディ演じる探偵シモのキャラクターの負け犬っぷりも強烈だ。妻子と別れ、どん詰まりの日々を送るシモは、金目当てで請け負ったリーヴスの死の調査に深入りするうちに、この孤独なスーパーマン俳優にシンパシーを抱くようになる。すなわちこれは一見対照的な世界に身を置きながらも、本質的に同じ悩みを持つ男たちの魂が共鳴する物語なのだ。この映画には『ブラック・ダリア』のような過激なヌードやバイオレンスもなく、本格的なスリラーや謎解きを期待する人は肩すかしを食らうだろう。しかしある程度の人生経験を積み、ふと“もうひとつの人生”を夢想したりする40代以上の視聴者の心には、ちょっぴり切なく響くドラマに仕上がっているのではあるまいか。 1940~1950年代の混沌としたムードや風俗を今に甦らせた『ブラック・ダリア』『ハリウッドランド』には、現代劇では醸し出せない優雅さと禍々しさがせめぎ合っている。夢という名の虚飾と欲望にまみれた奇々怪々なふたつの事件。それらを生み落としたハリウッドの得体の知れない闇には、まだまだ映画化の題材がいくつも転がっていそうである。■ ©2006 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GmbH & Co.KG? And NU IMAGE ENTERTAINMENT GMBH
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COLUMN/コラム2014.04.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年5月】飯森 盛良
1947年にLAで起こった猟奇殺人事件を描いている本作で、スカーレット・ヨハンソンもヒラリー・スワンクも喰ってしまうほど素晴らしかったのが、ミア・カーシュナー!公開時は心を鷲づかみにされ、いまだにされっぱなしのままです。 体を真っ二つに切断され、口を耳まで切り裂かれた状態で発見された女性の全裸惨殺死体。刑事たちは捜査を進めるうち、在りし日の彼女を撮影したフィルムを入手します。そこに写っていたのは、映画業界での夢にしがみつくためルックスと裸を武器にするしかなかった、愚かで美しい一人の女性の姿。与えられない愛情を懇望し、あるいは不本意で惨めな人生に絶望し、あきらめたような泣き笑いの半笑顔をカメラに向ける生前の彼女。そんな、男心を激しく揺さぶり、男たちの人生を狂わす、死せる薄幸の美女ブラック・ダリアを、ミア・カーシュナーは、はかなく、切なく好演しています。 個人的に、死んだ女にマジ惚れするのはローラ・パーマー以来のこと!男性諸兄はこの薄幸オーラに“持ってかれちゃう”かもしれませんよ。御覚悟あれ。 ©2006 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GmbH & Co.KG? And NU IMAGE ENTERTAINMENT GMBH
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COLUMN/コラム2013.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年2月】銀輪次郎
異国の地、東京で孤独な男女が出会い、次第にお互いの気持ちを分かち合う関係になっていく恋愛未満のラブストーリー。舞台は東京。作品中に日本語会話シーンが多数登場するも、米国公開時は日本語部分に字幕が付けられずに上映された本作。私たち日本人からすると“異国の地での戸惑い”を共感するのが少々難しいのですが、日本が描かれる作品は私たちにある種の「気付き」を与えてくれます。この作品もその一つ。本作中で特に驚かされたのが、しゃぶしゃぶ肉のランク付け。日本人には容易な判別も、外国出身の方には難しいようです。幼少期を日本で過ごしたことのあるソフィア・コッポラだからこそ、うまく日本を紹介してくれているなと感じる一方で、やはりどこか不思議な日本がここにはあります。また本編中には、なんだか少し懐かしいマシュー南(藤井隆)のバラエティー番組や、ハイテンションなCMディレクター役の田所豊(ダイヤモンド☆ユカイ)も登場!こちらもお見逃しなく。 ©2003, Focus Features all rights reserved