検索結果
-
PROGRAM/放送作品
クリムゾン・タイド
潜水艦内で高まる極限の緊張感!デンゼル・ワシントンvsジーン・ハックマンの深海密室軍事サスペンス
娯楽サスペンスに定評あるトニー・スコット監督が、逃げ場なき深海の潜水艦という舞台を活用してスリリングに描くサスペンス。デンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンの演技合戦が息詰まる緊張感を高める。
-
COLUMN/コラム2023.04.10
「第2の挑戦」に想いを馳せて —『レモ/第1の挑戦』
◆殺人機械シリーズをライトに映画化 殺人罪の極刑を受け、死刑を執行された警官ウィリアムズ。だがそれは見せかけで、彼は蘇生され、ケネディ大統領によって発足された秘密機関《CURE》の特殊工作員として新たなキャリアを得る。そしてスーパーナチュラルな武術《シナンジュ》を会得し、銃器を必要としない殺人機械=デストロイヤーとなり、国益をおびやかす脅威的な敵を駆逐していく——。 元記者/編集者であるウォーレン・マーフィーとリチャード・サピアを生みの親とするアクションキャラクター《レモ・ウィリアムズ》は、1971年に出版された「デストロイヤーの誕生」を起点に、2023年の現在までに153巻のアドベンチャーノヴェルシリーズで活躍を繰り広げている。1985年公開のアメリカ映画『レモ/第1の挑戦』(以下『レモ』)は、そんなレモを新たなスクリーンヒーローとして、小説同様のシリーズ展開を企図された一本だった。 同作は前述の「デストロイヤーの誕生」から基本的なコンセプトと設定を受け継ぎ、アメリカの軍需産業で暗躍する腐敗した武器商人へと敵を替え(原作ではマフィア組織)、世界観を初っ端から大きく拡げている。 なにより本作がシリーズとして連続性を要求されたのは、ガイ・ハミルトンを監督に据えたことからも明白だ。スパイアクション映画の総本山ともいえる『007』シリーズを過去に4本も演出した人物から、そのノウハウを伝授してもらおうというのが製作サイドの狙いとしてあったのだ。 残念ながら『レモ』は大ヒットに恵まれず、シリーズ化のもくろみは潰えてしまったが、作品は恒久的にファンを増やし、現在もカルトな人気を誇っている。要因はフレッド・ウォード(『ライトスタッフ』(83)『トレマーズ』(90))演じる主人公レモの、観客の視座に寄せた大衆的なヒーロー像や、彼に奥義シナンジュを伝授する韓国人チュン(『キャバレー』(72)のジョエル・グレイ)の超人かつ禁欲的なキャラクターが、多くの人の心を捉えて離さないこと。加えてユーモアとシリアスを絶妙にブレンドさせた作風や、レモが恐怖心を抑制したすえに展開する極限アクションなどが挙げられる。 ◆ヒッチコックを超えろ! 自由の女神像でのアクション とりわけアクション面における本作の成果は大きく、そこはハミルトンの人選が奏功したといえる。氏はいわゆる「スネークピット(混乱のるつぼ)」を設定する達人として、その腕前を存分に発揮したのだ。特にそれが顕著なのは、本作最大の見せ場ともいえる、自由の女神像を舞台とするアクションシークエンスだろう。 当該描写は「デストロイヤーの誕生」にはないオリジナルで、発案はハミルトンによるものだ。本作のプリプロダクション当時、自由の女神は建造100周年を目前とした修復中にあり、周りが作業のために鉄骨の足場で囲まれていた。これを見た監督自身が、本編の見せ場にもってこいの場所だと判断したのだ。 自由の女神を用いたアクションシークエンスといえば、1942年にサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが発表した『逃走迷路』がそれを実現させていた。しかしハミルトンは、その見せ場をリアプロジェクション(背景投影)やマットペイント(合成画)、あるいはトラベリングマット(移動合成)といった特殊効果で加工せず、全てをライブで撮りきるプロセスに挑んだのだ。女神像のモックアップ(実物大模型)を用いるところは『逃走迷路』を踏襲しているが、『レモ』ではそれをさらに大きくし、胸部からトーチの先端までを精巧に再現した、約25メートルのモックアップをイスタパラパ(メキシコシティの管轄区域)の屋外に建造。俯角のショットは本物の女神像で、仰角ショットはモックアップでというふうに、両所で可能なアクションをカメラに収め、それらの映像素材を巧みに編集で繋ぎ合わせることにより、目も眩むような高度での戦いを創造したのである。スタントとアクションはハミルトンとスタント・コーディネーターのグレン・H・ランドールによって慎重に設計され、キャストに振り付けられた。またマンハッタンとメキシコとの異なる映像のルックは前者を基準にカメラフィルターなどで統一させ、違和感なくショットをひとつにしたのである。 なにより当時のメキシコはペソ安・ドル高という為替相場によって、ハリウッド映画における制作の重要な拠点となっていた。『レモ』もその類に漏れず、自由の女神像を中心に多くのセットは、同地のプロダクションセンターであるチェルブスコ・スタジオにて建造したものだ。この映画の制作元であるオライオン・ピクチャーズは7年前に設立したばかりの独立系スタジオで、作品に充てられる予算は限られていた。しかしプロダクションデザインを担当したジャクソン・デ・ゴヴィアは、効率的なセットデザインを提供して予算以上の成果を上げている。自由の女神像はもとより、レモがコンクリートの廊下を経てガス室のトラップに誘導されるまでの基地内のセットはドアを同じように設計し、カメラアングルの調整だけで3つしか作成していないハッチを10以上に見せる成果をもたらした。 こうしたセットデザイン手法の実績を買われ、デ・ゴヴィアは後年、アクション映画の革命的作品である『ダイ・ハード』(88)にも参加。同作では物語の舞台となるフォックス・プラザ(劇中ではナカトミ・ビルに設定)と精巧なミニチュアのモックアップを併用することで、ロサンゼルス・センチュリーシティを舞台とした大規模な都市破壊描写を可能にしたのだ。 ◆悠然と進行する「第2の挑戦」 それにしても「第1の挑戦」とは、なんと罪深いサブタイトルだろう(原題直訳は「レモ・ウィリアムズ:冒険の始まり」)。公開からじき40年が経とうとしているのに、今も続編を純粋な気持ちで待ち続けているファンがいる。 その間に、実現への動きがなかったわけではない。現に1988年、全米でTVムービー“Remo Williams: The Prophecy”が放送されている。このパイロットドラマは『レモ』で描かれた1年後を時代として設定し、冒頭には同作の本編クリップが挿入され、映画とのリンクを主張している。しかし配役は異なり、『私の愛したゴースト』(91)のジェフリー・ミークがタイトルキャラクターを(フレッド・ウォードは出演を固辞)、『猿の惑星』シリーズ(68〜73)や『ヘルハウス』(73)などで知られる名優ロディ・マクドウォールがチュンを演じている。唯一、音楽を担当したクレイグ・サファンが続投し、映画を反復するようなテーマ曲で関連性を強めている。 ◎Remo Williams: The Prophecy それからさらに時代を経た2014年、『キスキス,バンバン』(05)『アイアンマン3』(13)で知られるシェーン・ブラックを監督に、ソニー・ピクチャーズが『ファイト・クラブ』(13)の脚本家ジム・ウールズや、「デストロイヤー」シリーズ111から131を執筆した共同著者ジム・ムラニーと新たな『レモ』の制作を開始したことが報じられた(*1)。その後ウールズに代わって『ドラキュリアン』(87)の監督フレッド・デッカーが参加し、ムラニーと脚本に取り組む段取りとなっていたが、具体的な成果は得られていない。 しかし2022年に入り、企画はソニー・ピクチャーズ・テレビジョンに引き継がれたようで、ゴードン・スミスが『ヒットマン』シリーズのプロデューサーであるエイドリアン・アスカリエと一緒に「デストロイヤー」のテレビシリーズをリリースすることが発表された(*2)。 こうして悠然とした進捗をみせている『レモ』のリブート計画だが、我々にとって長年の祈願だった「第2の挑戦」を観ることができるのは、そう遠くない日のことかもしれない(半ばヤケクソぎみに)。■ (*1) https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/shane-black-direct-destroyer-sony-726801/ (*2) https://deadline.com/2022/12/the-destroyer-series-adaptation-1235192845/ 『レモ/第1の挑戦』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
沈黙の戦艦
[R-15]核兵器搭載の戦艦がテロリストに乗っ取られた!スティーヴン・セガール主演の海上アクション
スティーヴン・セガールが製作・主演を務めた海上アクション。『刑事ニコ/法の死角』でもセガールと組んだアンドリュー・デイヴィスが監督を務め、本作のヒットを受け「沈黙」シリーズがスタートすることとなる。
-
COLUMN/コラム2023.04.07
スコセッシ&デ・ニーロ“ギャングもの”3部作の最終作!?『カジノ』
2012年、イギリスの「Total Film」誌が、映画史に残る「監督と俳優のコラボレーション50組」を発表した。第3位の黒澤明と三船敏郎、第2位のジョン・フォードとジョン・ウェインを抑えて、堂々の第1位に輝いたのが、マーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロだった。 この時点で、スコセッシ&デ・ニーロが世に放っていた作品は、8本。その内には、『タクシードライバー』(76)や『レイジング・ブル』(80)など、今日ではアメリカ映画史上の“クラシック”として語られる作品も含まれる。 しかしながらこのコンビと言えば、まずは“ギャングもの”を思い浮かべる向きも、少なくないだろう。これは多分、デ・ニーロがスコセッシ作品と並行して出演した、『ゴッドファーザー PARTⅡ』(74)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)『アンタッチャブル』(87)などの印象も相まってのことと思われるが…。 何はともかく、95年までのコンビ作8本の内3本までが、“ギャングもの”に分類される作品だったのは、紛れもない事実である。スコセッシ&デ・ニーロの“ギャングもの”3部作、それはコンビ第1作の『ミーン・ストリート』(73)を皮切りに、『グッドフェローズ』(90)、そして95年に発表した本作『カジノ』へと続いた。 ***** 1970年代初頭、サム“エース”ロスティーン(演:ロバート・デ・ニーロ)は、ギャンブルでインサイダー情報などを駆使。儲けさせてくれるノミ屋として、知られていた。 そんなサムに目をかけていたギャングのボスたちの肝煎りで、彼はラスベガスへと送り込まれる。任されたのは、巨大カジノ「タンジール」の経営。サムはカジノの売り上げを大幅にアップさせ、ボスたちの取り分も倍にする。 サムと同じ街で育ったギャング仲間の親友ニッキー・サントロ(演:ジョー・ペシ)も、ラスベガスに現れる。ニッキーは、いとも簡単に人を殺してしまう、荒くれ者。サムは危惧を抱きながらも、用心棒として頼りにする。 ある時サムは、カジノの常連で、ギャンブラーにして詐欺師のジンジャー(演:シャロン・ストーン)と出会い、惚れ込む。彼女が自分に愛は抱いておらず、腐れ縁のヒモに金を注ぎ込んでいるのも知っていたが、いずれ「愛させてみせる」と、自信満々にプロポーズ。2人の間には、早々に娘が生まれる。 しかしジンジャーは変わらず、やがて夫婦生活は暗礁に乗り上げる。彼女は酒とドラッグに溺れ、手に負えなくなっていく。 凶暴性を抑えることがない、ニッキーの暴走も、サムの頭痛の種に。しかもジンジャーが、慰めてくれるニッキーと、不倫の関係に陥ってしまう。 妻と親友の裏切り。そしてFBIの捜査の手がカジノに伸びてくる中で、サムは破滅への道を歩んでいく…。 ***** 1905年に砂漠の中に設立されて始まった、欲望渦巻くギャンブルの街ラスベガスを舞台にした、本作『カジノ』。登場人物はいずれも、「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」である。 原作&脚本でクレジットされているのは、ニコラス・ビレッジ。主に70年代のラスベガスに材を取り、実在のギャングたちとその興亡に関して、5年がかりで取材を進めた。 ビレッジは、スコセッシ&デ・ニーロの“ギャングもの”3部作の前作、『グッドフェローズ』の原作者兼脚本家でもある。しかし前作が、すでに出版されていた自作を、スコセッシと共に脚本化するというやり方で映画化したのに対し、今作でスコセッシから共同脚本の依頼を受けた時は、まだ書籍は書き始めたばかりだった。 当初は撮影が始まる前には、本も仕上げようと考えていたビレッジだったが、そのプランは雲散霧消。結局はスコセッシと共に、5か月間もシナリオの執筆に没頭することになる。 ビレッジ曰くスコセッシは、彼が提供したリサーチやメモに目を通して、「…何もないところから、つまりただのメモから脚本を書いた…」という。その作業は『グッドフェローズ』の時よりも、「…数段難しかった…」と述懐している。 そんな中でビレッジが驚かされたのは、スコセッシが脚本に、音楽を書き、カット割りを書き、ビジュアルの絵を描き、作品のトーンまで書いてしまうことだった。この時点でスコセッシの頭の中では、トータルな映画が出来上がっていたわけである。『カジノ』は、『グッドフェローズ』で成功した手法に、更に磨きを掛けた作品と言える。ひとつは“ヴォイス・オーバー・ナレーション”。 登場人物の心理をナレーションで語らせてしまうのは、ヘタクソな作り手がやると、目も当てられないことになる。しかしスコセッシは、サムそしてニッキーの胸の内をガンガン語らせることで、説明的なシーンの省略に成功。3時間近くに及ぶ長大なストーリーを、中だるみさせることなく、テンポよく見せ切ってしまう。 音楽の使い方も、前作を踏襲。できるだけその時代に合わせることを意識しながらも、ローリング・ストーンズからフリードウッド・マックなどのポップス、バッハの「マタイ受難曲」のようなクラシック、『ピクニック』(55)や『軽蔑』(63)のような作品のサントラまで、様々なジャンルの音楽を使用。エンドロールを〆る、ホーギー・カーマイケルの「スターダスト」まで、実に50数曲がスクリーンを彩る。 本作に登場する「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」の相当部分は、実在の人物を基にしている。主人公サムのモデルとなったのは、フランク“レフティ”ローゼンタールという男。実際にフランクがラスベガスで仕切っていたのは、4つのカジノだったが、本作では1箇所に集約。架空の巨大カジノ「タンジール」を作り出した。 因みに、この映画のファーストシーンで描かれる、サムがエンジンを掛けた車が爆発して吹き飛ばされるシーンは、モデルとなったフランクが、82年に実際に経験したことである。映画で描かれたのと同様に、フランクは九死に一生を得たものの、彼のラスベガスでのキャリアは、終焉を迎えることとなる。 そして後々、ニコラス・ビレッジの取材に対して自らの半生を語り、それが本作『カジノ』となる。そうした流れを考えても、あれ以上のファーストシーンは、なかったと言えるだろう。 さて、「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」を演じる俳優陣。デ・ニーロはもちろん、『グッドフェローズ』でアカデミー賞助演男優賞を獲得しているジョー・ペシにとっても、そんな役どころはもはや、「お手の物」のように映る。 そんな2人に対して、当時「意外」なキャスティングと話題になったのが、ジンジャー役のシャロン・ストーンだった。シャロンは『氷の微笑』(92)で、セックスシンボルとして注目を集め、一躍スターの仲間入りした印象が強い。 本人もスコセッシに対して、「…私のようなタイプの役者を必要とする映画とは無縁の人…」のように感じていたという。まさか彼の映画に出ることになるとは、夢にも思わなかったわけである。 しかしスコセッシは、シャロンがぽっと出のスターなどではなく、そこに至るまで20年近く、この世界で頑張っていたことを知っていた。スコセッシはシャロンと何度か話をして、彼女の中にジンジャーを自分のものとして演じられる重要な要素、死にもの狂いの必死さを見出したのである。 シャロンの起用はスコセッシにとって、「冒険ではあったけれど、一方では充分な計算に基づいてもいた…」という。 いざ撮影に入ると、シャロンに対して、デ・ニーロが惜しみなく助言を行った。それに励まされてか、シャロンは次々と有機的な提案を行う。子どもの前でコカインを吸うシーンや、衣装に少々たるみを出すことで、生活が崩れてボロボロになった様を表す等々は、彼女のアイディアが、スコセッシに採用されたものである。 本作のクランクアップが迫る頃になると、シャロンには、最高の仕事を成し遂げた実感が湧いてきたという。その実感に、間違いはなかった。本作での演技は彼女のキャリアでは唯一、“アカデミー賞主演女優賞”にノミネートされるという成果を上げた。 さて本作で、俳優陣以上の存在感を発揮しているのが、文字通りのタイトルロールである、“カジノ”だ!スタジオにセットを建てるよりも、実際のカジノで撮った方が、独特の熱気や照明が手に入るという判断に基づいて、ロケ地探しが行われた。 結果的に120か所以上のロケ地が使用されたが、メインの「タンジール」のシーンでは、1955年にラスベガスに建てられた、「リヴィエラ・ホテル」を使用することとなった。このホテルは90年に入ってから改装されていたが、それはちょうど本作の舞台である、70年代風へのリニューアル。お誂え向きだった。「リヴィエラ」での撮影は、カジノの一部を使って、週4日、夜の12時から朝の10時まで、6週間以上の期間行われた。本作では売上げをマフィアへ運ぶ男が、ラスベガスの心臓部を早足で通り抜けていくシーンがある。これはこの撮影体制があってこそ可能になった、ステディカムでの長回しである。 賭場のシーンでは、前方にこそ、70年代の服装をさせたエキストラを配置したが、後方に控えるは、実際に徹夜でギャンブルに勤しんでいる、「リヴィエラ」の本物のお客。スロットマシーンなどのサウンドは鳴りっぱなしで、勝った客が、大声で叫んだりしているというカオスだった。「まるで人とマシーンと金が一つの大きな固まりになって、息をしている…」この空間で撮影することを、スコセッシは大いに楽しんだ。もちろん大音響の中で聞き取れないセリフは、アフレコでフォローすることになったのだが。 そんな中で撮影された一つが、ジョー・ペシ演じるニッキーが、立ち入り禁止にされているにも拘わらず、カジノに押し入ってブラック・ジャックに挑むシーン。ペシはアドリブで、トランプのカードをディーラーに投げつけたり、汚い言葉で悪態を突いたりする。 その撮影が済んだ後ディーラーを務めていた男が、スコセッシにこんなことを言ってきた。「本物はもっと手に負えない奴でしたよ」。何と彼は、ニッキーのモデルになったギャングと、実際に相対したことがある、ディーラーだったのだ。 このエピソードからわかる通り、本作では本物のディーラーやゲーム進行係が、カードやチップ、ダイスを捌いている。更には、カジノの連絡係などを、コンサルタントに雇った。“本物”にこだわったのである。 そんな中でなかなか見つからなかったのが、「騙しのテクニックを教えてくれる人間」。そうした者は、「カジノでは絶対に正体を知られたくない…」からである。 ・『カジノ』撮影現場での3ショット(左:ジョー・ペシ、中央:マーティン・スコセッシ、右:ロバート・デ・ニーロ) スコセッシは本作で、マフィアなどの組織犯罪が力を失っていく姿を、「…1880年代にフロンティアの街が終りを告げた西部大開拓時代の終焉…」に重ね合わせたという。そして、落日の人間模様を描くことにこだわった。 また、敬虔なクリスチャンとして知られるスコセッシは、本作の物語を「旧約聖書」にも重ねた。主人公たちは、高慢と強欲があだとなって、1度は手にした楽園を失ってしまうのである。 そうして完成した本作は、後に「監督と俳優のコラボレーション50組」の第1位に輝くことになる、スコセッシ&デ・ニーロにとって、一つの区切りとなった。お互いの手の内がわかり過ぎるほどにわかってしまう2人は、この後暫しの間、コラボの休止期間に入る。 21世紀に入って、スコセッシのパートナーは、レオナルド・ディカプリオへと代わった。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)から、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)まで、そのコンビ作は5本を数える。 スコセッシとデ・ニーロとの再会は、『カジノ』から実に24年後の、『アイリッシュマン』(19)まで待たなければならなかった。70代になった2人が組んだこの作品もまた、“ギャングもの”である。■ 『カジノ』© 1995 Universal City Studios LLC and Syalis Droits Audiovisuels. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
ボーイズ・ライフ
[PG-12]デ・ニーロ×ディカプリオ共演。継父の不当な支配に屈しなかった少年の成長を描くドラマ
暴力も辞さない威圧的な継父役にロバート・デ・ニーロ。その支配に屈しない健気な少年役に若き日のレオナルド・ディカプリオ。世代を超えた演技派たちの凄みたっぷりな演技合戦によって、同名の自伝的小説を映画化。
-
COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
戦火の勇気
食い違う証言…女性軍人が戦死した真実は?デンゼル・ワシントン&メグ・ライアン競演の戦争ドラマ
ハリウッドで初めて湾岸戦争を題材にした作品。女性大尉が戦死した真相を巡って複数の証言が食い違う、『羅生門』形式の語り口が秀逸。証言に合わせて3パターンの人物像を演じるメグ・ライアンの熱演も必見。
-
COLUMN/コラム2023.03.31
アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的なサスペンス映画『殺人者はライフルを持っている』
コーマン門下生ピーター・ボグダノヴィッチの処女作 『ラスト・ショー』(’71)や『ペーパー・ムーン』(’73)でニューシネマ時代のハリウッドを牽引した名匠ピーター・ボグダノヴィッチの監督デビュー作である。瑞々しい青春ドラマやクラシカルなコメディで鳴らしたボグダノヴィッチにとって、本作は恐らく唯一のサスペンス・ホラー。ボリス・カーロフ演じる往年の怪奇映画スターが、ロサンゼルスを恐怖に陥れる本物の無差別殺人犯と対峙する。あのクエンティン・タランティーノ監督をして、「史上最も偉大な監督デビュー作のひとつ」と言わしめた傑作。世界的に有名な映画ハンドブック「死ぬまでに観たい映画1001本」にも選出された。しかし、「SFとホラーは嫌いなジャンルだ」と公言していた彼が、なぜ本作のような恐怖映画を撮ったのか。その背景には、ボグダノヴィッチ監督の恩師ロジャー・コーマンの存在があった。 もともとニューヨークの映画評論家で、「エスクァイア」誌や「サタデー・イヴニング・ポスト」誌などに映画評を寄稿していたボグダノヴィッチ。その傍ら、ニューヨーク近代美術館で映画の回顧上映を企画したり、俳優や演出家として舞台劇に携わったりしていたのだが、しかしやはり最終目標は少年時代から憧れていた映画監督だった。そのためにロサンゼルスへと拠点を移し、映画評論家としてのコネを使って業界パーティや新作プレミアに足繁く通った彼は、とある試写会で近くに座っていた映画監督ロジャー・コーマンと親しくなる。ご存知の通り、映画界を目指す若者たちを積極的にスタッフとして雇い、フランシス・フォード・コッポラにマーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテにジェームズ・キャメロンなどなど、数多くの愛弟子を一流の映画人へと育てたコーマン御大。ボグダノヴィッチもまたその門下生となり、当時コーマンが準備していた監督作『ワイルド・エンジェル』(’66)の脚本の手直しを皮切りに、助監督から雑用係までどんな仕事でもこなすようになる。 そんなある日、ボグダノヴィッチはコーマン師匠から電話で「監督しないか?」と唐突に誘われ、「はい、もちろん!」と二つ返事で引き受けたという。それこそ棚から牡丹餅みたいな話だが、しかしこれにはいくつかの条件があった。大前提は俳優ボリス・カーロフを使うこと。『フランケンシュタイン』(’31)で有名な大物怪奇映画俳優カーロフ。当時すでに80歳近い高齢者だったが、一般的な知名度が高いわりにギャラは安いこともあって、コーマンはしばしば自作に出演させていたのだが、そのカーロフとの出演契約が2日分余ってしまったため、これを上手く有効活用して新作映画を1本作れというのだ(実際は5日間かかったらしい)。 とりあえず2日間あれば本編20分くらいは撮影できる。また、コーマンの監督したカーロフ主演作『古城の亡霊』(’63)のフィルムも抜粋して使用できる。そのうえで、カーロフ以外のキャストを用いて1時間分のシーンを撮影すること。こちらは2週間以内での完了が目標。こうすればトータル1時間半の映画が出来るというわけだ。予算は総額12万5000ドル。もちろん、金を出すのはコーマン師匠である。ただし、そのうち2万5000ドルはカーロフのギャラなので、実際の映画作りは残りの10万ドルでやりくりせねばならない。まあ、なかなかハードルの高い条件だが、しかしコーマン監督のもとで低予算映画作りのノウハウを叩きこまれたボグダノヴィッチにしてみれば、決して無理な相談などではなかっただろう。むしろ彼が頭を悩ませたのはシナリオ作りだったそうだ。 なにしろ、古典的な怪奇映画俳優であるボリス・カーロフを使い、さらにゴシック・ホラー映画『古城の亡霊』のフィルムを流用するわけだが、しかし予算の金額からして大掛かりなセットを組む余裕などないため、どう考えても映画の内容は現代劇にするほかない。実際、本作では内装を変えながらひとつのセットを何度も繰り返し使い回している。劇中で老俳優が宿泊するホテルの部屋も、スタッフと打ち合わせる高級レストランも、殺人犯が家族と一緒に暮らす自宅も、実はみんな同じセットなのだ。 いずれにせよ、どうやってカーロフと『古城の亡霊』を現代劇として料理したものか。当時の妻だった脚本家ポリー・プラットと何時間も相談しあったボグダノヴィッチは、しまいに煮詰まり過ぎてこんな冗談を飛ばす。映画会社の試写室でボリス・カーロフが自分の出演する『古城の亡霊』を見ている。で、上映が終わるとカーロフが振り返って、ロジャー・コーマンに「最低の映画だな」と文句を言うんだ。あくまでもタチの悪いジョークのつもりだったが、しかしこれが意外にも脚本作りの突破口となり、キャリアの限界を感じて引退を決意した往年の怪奇映画俳優という、本作を構成する2つのプロットのうちのひとつが誕生したのである。 もうひとつのプロットである無差別殺人犯の話は、撮影の前年に当たる’66年に起きた「テキサスタワー乱射事件」が下敷きとなった。元海兵隊員の若者チャールズ・ホイットマンが、母校であるテキサス大学オースティン校の時計塔展望台に立て籠もり、たまたま通りがかった眼下の通行人を次々と無差別に射殺したのである。最終的に15名が死亡し、31名が負傷。ホイットマンは事件を起こす直前に、同居する妻と実の母親まで殺害していた。当時としては前代未聞の大量殺人に全米は文字通り震撼。加えて、ホイットマンが恵まれた家庭に育った普通の明るい好青年だったこと、犯行の動機がハッキリとしないことも世間に大きな衝撃を与えた。今なお後を絶たないアメリカの銃乱射事件の、いわばルーツのような事件だ。 実は、本作のオファーを受ける数か月前、ボグダノヴィッチは「エスクァイア」誌の編集者から、チャールズ・ホイットマンを題材に映画を撮ってみてはどうかと薦められていた。これはいいアイディアかもしれない。しかも、2つの全く異なるストーリーを並行して交互に描いていけば、ボリス・カーロフの出番も少なくて済む。このような制作進行上の都合もあって、ボグダノヴィッチは銃乱射事件のプロットをもうひとつの大きな柱としたのだが、これが結果的には大正解だった。 今なお絶えない銃乱射事件を取り上げた社会性と先見性 とある映画会社の試写室。最新主演作の完成版を見終えた往年の怪奇映画俳優バイロン・オーロック(ボリス・カーロフ)は、これを最後に俳優業から引退すると宣言する。既に次回作も決まっているというのに!と大慌てするプロデューサー。居合わせた新人監督サミー・マイケルズ(ピーター・ボグダノヴィッチ)も困惑する。今回の映画でようやくデビューのチャンスを掴んだ彼は、再びオーロックを主演に据えた次回作で勝負に出ようと考えたのだからたまらない。なんとか引退を思い止まらせようと説得するサミーだったが、しかしオーロックの決意は揺るがなかった。 自分の時代はもうとっくに終わった。新聞を見てみなさい。私の出るホラー映画なんかよりも、よっぽど恐ろしい事件が現実に起きているじゃないか。そう言って、L.A.市内のドライブイン・シアターで予定されているプレミア上映のゲスト登壇もキャンセルしようとしたオーロックだったが、しかし映画監督として才能も将来性もある若者サミーの顔を立てるため、娘のように可愛がっている中国人の秘書ジェニー(ナンシー・シュエ)と共に会場へ向かうことにする。 一方、ベトナム帰還兵の平凡な若者ボビー・トンプソン(ティム・オケリー)は、人知れず深刻な悩みを抱えていた。働き者で心優しい妻に恵まれ、同居する両親のことも敬う優等生のボビーだが、その一方で拳銃やライフルのコレクションに執着しており、自らの内側で沸々と湧き上がる殺人衝動に言いようのない不安を感じていたのだ。家族にも相談できず思いつめた彼は、ある朝突然、愛する妻と母親、そして運悪く居合わせた宅配人の若者を射殺し、父親と兄へ向けた遺書を残して自宅を後にするのだった。 車へ積み込んだ荷物には複数の銃器と大量の銃弾。高速道路沿いのガスタンクに上って陣取った彼は、行き交う自動車のドライバーたちを次々と射殺していく。しかし、ほどなくしてパトカーや白バイ警官が到着したため、慌ててL.A.市内を車で逃亡したボビーは、たまたま迷い込んだドライブイン・シアターで次なる凶行を計画する。そう、バイロン・オーロックの新作映画が上映されるプレミア会場だ。スクリーンの裏側に忍び込み、着々と準備を整えるボビー。やがて周辺では夜の帳が下り、ゲストのオーロックも到着。映画の上映が始まると、ボビーは駐車場に並んだ観客の車に向かって次々と発砲する…。 まさしく現代アメリカの深刻な病理を抉り出した問題作。ごくごく当たり前の日常を過ごしていた平凡な若者が、いきなり明確な理由もなく見知らぬ人々へ銃口を向ける。劇中に映し出される1枚の写真は、ボビーがベトナム帰還兵であることを示唆しているが、果たして彼が凶行に及んだのは戦争のPTSDに起因する殺人衝動のせいなのか。それとも、日々新聞やテレビで凶悪犯罪の報道を目にして、その影響で倫理観がぶっ壊れてしまったからなのか。その真意は図りかねるものの、少なくとも銃器が誰でも容易に手に入るような環境でなければ、このような惨劇は起き得なかったはずだ。 怪奇俳優オーロックが「自分の時代は終わってしまった」と嘆くのも無理からぬこと。映画のラストで彼は「これが現実なのか」と呟くが、ボグダノヴィッチ監督曰く、ここでの「現実」とは「恐怖」の暗喩だという。要するに、現実の恐怖が虚構を超えてしまったことに、古き良き恐怖映画を体現する老人オーロックは愕然とするのである。これは21世紀の今もなお解決されることのない、アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的な映画。本作の劇場公開直前に、マーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ議員が相次いで銃殺されたのも実に皮肉な話だ。タランティーノ監督が本作について、「社会批判の要素を内包したスリラーではなく、スリラーの要素を内包した社会批判だ」と評したのは誠に正しいと言えよう。 恩師コーマンから受け継いだ低予算映画ならではの秘策とは? 2つのプロットを交互に描いていくにあたって、ボグダノヴィッチ監督はオーロック側の世界をレッドやブラウンやベージュなどの暖色系で、ボビー側の世界をホワイトやブルーやパープルなどの寒色系で統一。今はどちらの世界なのかをひと目で分かるようにすることで、観客が混乱をきたさないように細心の注意が払われている。さらに、あえて音楽スコアを一切使わず、映像だけで登場人物の感情を表現することに努めた。もちろん、音楽スコアの制作に割くだけの予算がなかったという事情もある。劇中で使用されるBGMはラジオから流れてくる音楽だけ。それ以外は生活音や環境音が音楽の代わりとなり、スクリーンには映らない周辺の出来事までも見る者に想像させ、ストーリーの奥行きと広がりをより大きなものにしている。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(’54)をヒントにしたそうだが、限られた時間と資材で撮影せねばならない低予算映画にとって、これは非常に有効な手法だ。 低予算映画ならではの経費節減策といえば、当局の許可を得ないゲリラ撮影もその代表格。ロジャー・コーマンもゲリラ撮影が得意だったが、その愛弟子ボグダノヴィッチも師匠に倣い、高速道路での銃乱射シーンおよび市内の逃走シーンなどでゲリラ撮影を敢行している。そもそも、高速道路での撮影は法律で禁じられており、付近での撮影はおろか高速道路にカメラを向けることすらご法度だったという。なので、たとえ申請したとしても許可は下りない。そうとなれば無許可で勝手に撮るしかなかろう。テキパキと素早く撮影するため、現場での録音も一切なし。道路を行き交う車の音はもちろんのこと、コーラの蓋を開ける音も炭酸がはじける音も、ライフルを構えて照準を合わせるボビーの息遣いの音まで含め、高速道路の銃乱射シーンは全て後から音響効果で処理をされている。あまりにも自然なので誰もが驚くはずだ。ちなみに、たまたま現場を通りがかったパトカーや白バイも、そのままカメラに収めて使用している。 さらに、プロのエキストラを動員する予算も足りないため、スタッフやその家族はもちろんのこと、無料で出てくれる友人やそのまた友人もめいっぱいかき集めたという。例えば、高級レストランのシーンでボリス・カーロフの肩越しに見える別テーブルの男性客は、『理由なき反抗』(’55)や『ジャイアンツ』(’56)などで有名な俳優サル・ミネオ。高速道路で撃たれるドライバーの中には、『風と共に去りぬ』(’39)などの製作者デヴィッド・O・セルズニクの次男ダニエルの姿もある(オープンカーを運転する男性)。車から飛び出して助けを求める女性は俳優ロバート・ウォーカー・ジュニアの奥さん。ドライブイン・シアターの受付の若者は、本作の助監督も務めたフランク・マーシャル(後のスピルバーグ映画のプロデューサー)だ。ボビーのターゲットになる観客の中には、今もハリウッド大通りで営業する映画関連書籍の専門書店ラリー・エドモンズのオーナー夫妻やフランク・マーシャルの両親なども含まれている。 殺人犯ボビー役のティム・オケリーは本作が初の大役だった若手俳優。クリーンカットのオールアメリカン・ボーイといった雰囲気は役柄にピッタリだし、モデルとなったチャールズ・ホイットマンにも容姿が似ている。新人映画監督サミー・マイケルズは、当初はボグダノヴィッチ監督の友人ジョージ・モーフォゲンを起用する予定だったが、都合が折り合わなかったためボグダノヴィッチ自身が演じることとなった。劇中ではテレビで放送されているハワード・ホークス監督の『光に叛く者』(’31)を見て、サミーが「回顧上映で見たことがある」というセリフが出てくるが、実際にボグダノヴィッチはニューヨーク近代美術館のハワード・ホークス回顧上映を企画したことがあるし、その際にホークスとのロング・インタビューも行っている。必ずしも彼自身をモデルにした役柄ではないものの、重なり合う部分が少なからずあることは間違いないだろう。 ちなみに、サミー・マイケルズという役名は、映画監督サミュエル・フラーの本名サミュエル・マイケル・フラーから取られている。というのも、ボグダノヴィッチは友人でもあったフラー監督に本作の脚本を書き直して貰っているのだ。その際、クレジットに名前を出すことを申し出たボグダノヴィッチに対して、フラーは「これは君の書いた脚本だ。私の名前を出す必要はない」と辞退したという。そんな謙虚で懐の深い大先輩へのオマージュとして、監督役に彼の本名を使ったのである。 とはいえ、やはり『殺人者はライフルを持っている』はボリス・カーロフの映画である。実際、ボグダノヴィッチはカーロフ本人をモデルにしてバイロン・オーロックという役柄を書き上げた。ただし、カーロフ自身は俳優を引退する気などさらさらなかったのだが。ご存知の通り、もともとはギャング映画などの悪役俳優だったカーロフ。先述した『光に叛く者』はその出世作だったのだが、しかし彼に真の名声をもたらしたのは、空前の大ヒットを記録した主演作『フランケンシュタイン』をはじめとする一連のホラー映画群だった。 「これ以上老醜を晒したくない」と漏らす劇中のオーロックだが、演じるカーロフ自身も当時は両脚が湾曲したうえに呼吸も困難。歩くことすらままならないため、歩行ギプスを付けて撮影に臨んでいたという。晩年は低予算のB級・C級映画への出演が多く、オーロック同様に半ば過去の人となっていたカーロフだが、本作での芝居を見ると彼が怪奇映画俳優の枠に収まることのない、ストレートなドラマ映画も十分いける正統派の名優だったことがよく分かる。サマセット・モームの短編「サマラの約束」を独り語りするシーンなどは実に見事!撮影が終わると共演者やスタッフから感動の拍手が沸き起こり、その様子に同席したカーロフ夫人は涙を流して喜んだそうだが、長いキャリアの最晩年に本作のような映画に出会えたことは、カーロフにとって少なからぬ幸運だったのではないかと思う。■ 『殺人者はライフルを持っている』TM, ® & © 2023 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
(吹)戦火の勇気 【日曜洋画劇場版】
食い違う証言…女性軍人が戦死した真実は?デンゼル・ワシントン&メグ・ライアン競演の戦争ドラマ
ハリウッドで初めて湾岸戦争を題材にした作品。女性大尉が戦死した真相を巡って複数の証言が食い違う、『羅生門』形式の語り口が秀逸。証言に合わせて3パターンの人物像を演じるメグ・ライアンの熱演も必見。
-
COLUMN/コラム2023.03.13
スコセッシ&デ・ニーロ!コンビの第5作『キング・オブ・コメディ』は、“現代”を予見していた!?
脚本家のポール・D・ジマーマンが、本作『キング・オブ・コメディ』(1983)の着想を得たのは、1970年代のはじめ、あるTV番組からだった。それは、スターやアイドルに殺到するサイン・マニアの恐怖を取り上げたもので、そこに登場したバーブラ・ストライサンドの男性ファンの言動に、ジマーマンはひどくショックを受けたという。 バーブラは、その男に付き纏われることを非常に迷惑がっているのに、彼に言わせれば、「バーブラと仕事をするのは難しい」となる。自分勝手な解釈をして、事実を大きく歪曲してしまうのだ。 前後して、雑誌「エスクワイア」の記事も、ジマーマンを触発した。そこに掲載されたのは、TVのトークショーのホストのセリフを一言一句メモしては、毎回査定を続けている熱狂的ファン。 本来は手が届かない筈の大スターや、TV画面の向こうの存在が、その者たちにとっては、いつの間にか生来の友達のようになってしまっている…。「ニューズウィーク」誌のコラムニストからスタートし、映画評論家を経て脚本家となったジマーマンは、そこに「現代」を見た。そして本作のあらすじを書き、『ある愛の詩』(70)『ゴッドファーザー』(72)などのプロデューサー、ロバート・エヴァンスの元に持ち込んだのである。 このシノプシスを気に入ったエヴァンスは、ミロス・フォアマン監督に声を掛けた。フォアマンはジマーマンの家に寝泊まり。10週間を掛け、2人で脚本を仕上げることとなった。 しかし両者の意見は、途中から嚙み合わなくなる。結局フォアマン主導のものと、ジマーマン好みのものと、2バージョンのシナリオが出来てしまった。 当初はフォアマン版の映画化企画が動いたが、実現に至らず。フォアマンはやがて、このプロジェクトから去った。 そこでジマーマンは、自らの脚本をマーティン・スコセッシへと売り込んだ。スコセッシは一読した際、「内容がもうひとつ理解できなかった」というが、何はともかく、盟友のロバート・デ・ニーロへと転送する。 デ・ニーロはこの脚本を大いに気に入り、すぐに映画化権を買った。そして後に『キング・オブ・コメディ』は、スコセッシ&デ・ニーロのコンビ5作目として、世に放たれることとなる。 ***** ニューヨークに住む30代の男ルパート・パプキン(演:ロバート・デ・ニーロ)は、今日もTV局で出待ちをしていた。彼が憧れるのは、人気司会者でコメディアンのジェリー・ラングフォード(演:ジェリー・ルイス)。 ひょんなことからジェリーの車に同乗することに成功したパプキンは、まるで長年の知己のように、ジェリーに話しかける。そして彼のようなスターになりたいという夢を、とうとうと語った。 そんなパプキンをあしらうため、ジェリーは自分の事務所に電話するよう告げて、居宅へ消えた。パプキンは、スターの座が約束されたように受取り、天にも上る心地となる。 ジェリーに言われた通り、電話を掛け続けるも、梨の礫。そこでパプキンは、アポイントも取らず、事務所へと乗り込む。 しかし、ジェリーには一向に会えない。自分のトークを吹き込んだテープを持参しても、秘書にダメ出しをされ、挙げ句はガードマンに排除されてしまう。 それでもメゲないパプキンは、ジェリーの別荘に、勝手に押しかける。もちろんジェリーは、怒り心頭。パプキンを追い出す。 そこでパプキンは、やはりジェリーの熱狂的な追っかけである女性マーシャ(演:サンドラ・バーンハード)と共謀。白昼堂々、ジェリーを誘拐してマーシャ宅に監禁し、彼を脅迫するのだった。 その要求とは、「俺を“キング・オブ・コメディ”として、TVショーに出せ!」 命の危険を感じたジェリーは、やむなく番組スタッフへと連絡。意気揚々とTV局へ向かうパプキンだが、誇大妄想が昂じた彼の夢は、果して現実のものとなるのか? ***** スコセッシとデ・ニーロのコンビ前作である『レイジング・ブル』(80)は、絶賛を受け、アカデミー賞では8部門にノミネート。作品賞や監督賞こそ逃したものの、実在のボクサーを演じたデ・ニーロは、いわゆる“デ・ニーロ アプローチ”の完成形を見せ、主演男優賞のオスカーを手にした。 それを受けての、本作である。先に記した通り、スコセッシがピンとこなかった脚本を、デ・ニーロが買って、改めてスコセッシの所に持ち込んだ。 デ・ニーロは何よりも、パプキンのキャラを気に入った。その大胆さや厚かましさ、行動理念の単純さを理解し、「この男が愚直なまでに目的に向かって突進するところがいい」と、ジマーマンに語ったという。 そしてデ・ニーロは、スコセッシを説得。遂には、本作の監督を務めることを、決断させた。そして2人で、ジマーマンが書いた脚本のリライトへと臨んだ。 ジマーマンは当初、パプキンには、『虹を掴む男』(47)のダニー・ケイのようなタイプをあてはめ、ファンタジー色が強い映画を作ることを、イメージしていた。ところがスコセッシとデ・ニーロが仕上げてきた脚本では、パプキンの“異常性”が強調され、よりリアルな肌触りを持つ作品となった。 デ・ニーロもスコセッシも、実際に狂信的なファンの被害に遭った経験がある。それが脚本にも、反映されたのだろう。 また80年代はじめは、スターへの関心が、爆発的に高まった頃である。それを最悪の形で象徴する衝撃的な事件が起こったのが、80年12月。ジョン・レノンが、彼の熱狂的ファンであるマーク・チャップマンによって、殺害されてしまう。 本作が本格的に製作に入った81年3月には、スコセッシ&デ・ニーロを直撃するような事件も発生する。彼らの存在を世に知らしめた『タクシードライバー』(76)で、少女娼婦を演じたジョディ・フォスターに恋した、ジョン・ヒンクリーという男が居た。彼は、『タクシー…』のストーリーに影響を受け、時のアメリカ大統領レーガンを狙撃。全世界を震撼とさせる、暗殺未遂事件を起こしたのである。 本作『キング・オブ・コメディ』のような作品が製作されることには、ある意味社会的な必然性があったと言えるだろう。パプキンやマーシャのような“ストーカー”(そんな言葉はこの当時はまだ存在しなかったが…)は、スターたちにとってのみならず、現実社会にとっても、明らかに脅威となる存在だったのだ。 そんな連中のターゲットとなってしまう、ジェリー・ラングフォード役のキャスティング。ジマーマンの当初のイメージは、構想がスタートした70年代初頭にTVやラジオで大活躍だった司会者、ディック・カヴェットだったが、それから10年ほどが経った時点では、誰もがジョニー・カースンを思い浮かべた。 NBCの「ザ・トゥナイト・ショー」の顔であり、アカデミー賞授賞式の司会を何度も務めたジョニーには、実際に出演交渉が行われた。しかし、誘拐事件を実際に引き起こしかねないという恐怖と、TVのトークショーなら1回で撮り終えてしまうのに、1シーンを40回も撮り直さなければならないようなことには耐えられないという理由から、あっさりと断られてしまう。 次なる候補としてスコセッシが思い浮かべたのが、フランク・シナトラやオーソン・ウェルズなどの大物。いわゆる“シナトラ一家=ラット・パック”のメンバーからは、サミー・デイヴィス・Jrやジョーイ・ビショップも候補となった。 そして、“シナトラ一家”には、ディーン・マーティンも居るな~と思った流れから、最終的に絞り込まれたのが、マーティンが“ラット・パック”の一員になる前に、『底抜け』シリーズ(49~56)でコンビを組んでいた、往年の人気コメディアン、ジェリー・ルイスだった。 ジェリーは「この映画では自分はナンバー2だと承知している。君に面倒はかけないし、指示どおりにやってみせよう…」と言って、スコセッシを感激させた。 ジェリーの“ストーカー”マーシャは、当初の脚本では、もっとめそめそしたセンチメンタルな女性だったという。それをスコセッシが、攻撃的で危険な性格へと書き換えた。 デ・ニーロはこの役を、お互いの実力をリスペクトし合っている友人のメリル・ストリープに演じて欲しいと、考えていた。しかしストリープは、脚本を読みスコセッシと話した後で、このオファーを辞退。 オーディションなどを経てマーシャ役は、20代中盤の個性的な顔立ちのスタンダップ・コメディエンヌ、サンドラ・バーンハードのものとなった。サンドラ曰く、当時の自分は「完全にイッちゃってた」とのことで、その生活ぶりは「最低で、デタラメ」で、マーシャに「そっくりだった」という。 スコセッシは本作では、「即興はほとんどやってない」としている。そんな中でも即興の部分を担わせたのが、バーンハードだった。監禁して身動きを取れなくしたジェリーに、色仕掛けで迫るシーンなどで、コメディエンヌとしての芸を、たっぷり披露してもらったという。 パプキンの幼馴染みで、彼が思いを寄せる、現在はバー勤めの女性リタ役には、ダイアン・アボット。アボットは、デ・ニーロの最初の妻で、撮影当時は別居中。オーディションにわざわざ呼ばれて、この役に決まったというが、その裏に作り手側のどんな思惑があったかは、定かではない。 デ・ニーロの役作りは、例によって完璧だった。彼は、コメディアンの独演を何週間も見学。また、ジョン・ベルーシやロビン・ウィリアムズとの友情も、助けになったという。 デ・ニーロは撮影中、ジェリー・ルイスの“完璧な演技”に畏敬の念を抱いた。ルイスも同様で、デ・ニーロの仕事ぶりを評して、「一ショット目で気分が入ってきて、十ショット目になると魔法を見ているようになる。十五ショット目まで来ると、目の前にいるのは天才なんだ…」と語っている。 スコセッシはデ・ニーロと共に、「…主人公をどこまで極端な人物に描くことができるか」に挑戦した。パプキンのような人物を演じて、デ・ニーロが俳優としてどこまで限界を超えられるか、やってみようとしたのだという。その結果についてはスコセッシ曰く、「私の見る限り、あれはデ・ニーロの最高の演技だ…」 脚本のジマーマンは、出来上がった作品について、次のように語っている。「僕はこの映画を生んだのは自分だと思っている。ただ、たしかにこの映画は僕の赤ん坊だが、顔がマーティ(※スコセッシのこと)にそっくりなんだ」。 作り手たちにとっては、満足いく作品に仕上がった。「カンヌ国際映画祭」のオープニング作品にも選ばれ、一部評論家からも、絶賛の声が届けられた。 しかし、『タクシードライバー』でデ・ニーロが演じたトラヴィスの自意識を、更に肥大化させたようなパプキンのキャラは、観客たちには戸惑いを多く与えることとなった。 私が『キング・オブ・コメディ』を初めて鑑賞したのは、日本公開の半年ほど前、1983年の晩秋だった。本作は配給会社によって「芸術祭」にエントリーされており、その特別上映で、いち早く目の当たりにすることができたのだ。 その際、パプキンそしてマーシャの、独りよがりで執拗な振舞いに、まずは圧倒された。それと同時にそのしつこさに、観ている内に、かなり辟易とした記憶がある。 悪夢再び。スコセッシ&デ・ニーロにとっては、コンビ第3作だった『ニューヨーク・ニューヨーク』(77)の如く、2,000万㌦の製作費を掛けた『キング・オブ・コメディ』は、興行的に大コケに終わる。 しかし、それでこの作品の命運が尽きたわけではない。デミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』(2016)が公開された際、大きな影響を与えた作品として、先に挙げた『ニューヨーク・ニューヨーク』が再注目されたように、本作も製作から36年の歳月を経て、新たにスポットライトが当てられる事態となった。 トッド・フィリップスの『ジョーカー』(19)とホアキン・フェニックスが演じたその主人公の造型が、本作及びルパート・パプキンのキャラクターにインスパイアされたものであることは、一目瞭然。フィリップス監督はご丁寧にも、TVトークショーの司会役にロバート・デ・ニーロを起用して、その影響を敢えて誇示した。 ネット時代、有名スターに対するファンの距離感とそれにまつわるトラブルが、頻繁に問題化するようになった。現代に於いてこの作品は、そうした“加害性”を、いち早く俎上に載せた作品としても、評価できる。 そんな流れもあって、初公開時の大コケぶりを覆すかのように、『キング・オブ・コメディ』は、アメリカ映画の歴史を語る上で、今や無視できない作品となった。 スコセッシ&デ・ニーロ。そうした辺りは、「さすが」としか言いようがない。■ 『キング・オブ・コメディ』© 1982 Embassy International Pictures, N.V. All rights reserved.