検索結果
-
PROGRAM/放送作品
フィラデルフィア
差別と偏見に立ち向かう決意をしたエイズ患者の闘いを、トム・ハンクスが鬼気迫る演技で挑んだ問題作
『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミが、エイズをテーマに人間の尊厳をかけた戦いを描いた社会派ヒューマンドラマ。HIVに感染した弁護士を演じたトム・ハンクスがアカデミー賞主演男優賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2023.03.02
ピーター・バーグ監督が語った『バトルシップ』秘話
◆果たせなかった『砂の惑星』のリベンジ ボードゲームに基づいたSF侵略バトル映画『バトルシップ』は、公開後に日本でカルト的な人気を博し、今や地上波テレビで放送されるたびにSNSを賑わす“お祭り“コンテンツとして定着した感がある。要因は多々挙げられるが、やはりこの作品の激アツなクライマックスに起因するのではないだろうか。未見の方の楽しみのために詳述は割愛するとして、筆者(尾崎)は本作のプロモーションで来日したピーター・バーグ監督にインタビューし、『バトルシップ』が生まれるまでの経緯や裏話を聞き出している。その一部は雑誌媒体に加工のうえ発表したが、やむなく切り落とした部分が多く、プロダクションノートにも記載されてないネタが含まれている。なので意訳ではあるが、今回それらを再構成し、陽の目を与えるに至った。実際に作品をご覧になるときの参考となればさいわいだ。 ・『バトルシップ』撮影中のピーター・バーグ監督 Credit: Frank Masi 俳優から監督へと転身し、『キングダム/見えざる敵』(07)や『ローン・サバイバー』(13)などの硬質なサスペンスアクションを手がけてきたバーグは、本作『バトルシップ』以前のキャリアにおいて、SFやファンタジーに属するようなサブジャンルに着手したことがなかった。唯一、スーパーヒーロー映画の再定義化を試みたコメディ『ハンコック』(08)がかろうじてそれに該当しないこともないが、監督いわく「ウィル・スミス主演のスター映画」と自らカテゴライズし、自らSFジャンルには入れていない(理由は後述する)。しかも本来は『バトルシップ』ではなく、別のSF作品を手がける予定だったのだ。 ピーター・バーグ監督(以下:バーグ)「『バトルシップ』の話がくる前、僕はパラマウントで『DUNE/デューン 砂の惑星』(以下:『砂の惑星』)を準備していてね。それにあたって、SFや宇宙についてかなり広範囲なリサーチをしたんだ。かつて一度もSF映画を作ったことがなかったからね。その過程でSFにかなり興味を持ったので、『砂の惑星』が立ち消えになったときには非常に残念な思いをしたんだ。だから『バトルシップ』は、僕にとって『砂の惑星』のリベンジでもあるんだよ」 1984年にデヴィッド・リンチが監督し、後年ドゥニ・ヴィルヌーヴによって再映画化が果たされた『砂の惑星』は、もともとバーグによってプロダクションが進行していた時期がある。フランク・ハーバート財団から権利を取得したプロデューサーのケヴィン・ミッシャーがパラマウントに企画を持ち込み、ドウェイン・ジョンソン主演の『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(03)で一緒に仕事をしたバーグに監督を依頼したのだ。しかし製作費の調達や度重なる脚本の改稿によってプロジェクトは棚上げとなり、バーグは『バトルシップ』に移行したのである。 『バトルシップ』はハズブロ社が同ボードゲームの権利をミルトン・ブラッドレー社の買収によって取得し、『トランスフォーマー』や『G.I.ジョー』のように映画として展開させる計画に端を発している。 しかしオリジナルのボードゲームは、艦隊どうしが戦艦の撃沈をめぐって勝敗を競い合うもので、それがなぜ対エイリアン戦を描くSF映画となったのだろう? 「やはりSFにこだわっていたんだよ」とバーグは語り、方向性を変えた起点を以下のように明かした。 バーグ「2010年にディスカバリー・チャンネルで、宇宙天文学者のスティーヴン・ホーキンス博士がナビゲートを務めるミニシリーズ“Into the Universe with Stephen Hawking”(スティーヴン・ホーキングと宇宙へ)を観たんだ。その番組内で博士は、地球からシグナルを発信していると、地球以上の文明を持つ惑星がそれをキャッチし、資源を求めてやってきて争いになる可能性にあると示唆していた。それがエイリアンの侵略をストーリーベースにしたきっかけなんだ」 この改変と同時に『砂の惑星』から同作にあったプロットの一部である「資源をめぐる争い」を骨格として組み込み、『バトルシップ』を本格的なSFものにしたのだと語った。 また『砂の惑星』のプロダクションから移行させた要素は、それだけではない。バーグによると「自分のバージョンは環境描写や戦闘場面など、とても激しいものになる予定だった」と回想し、それらを『バトルシップ』に適応させた旨や、リンチが手がけたものとの違いを示してくれた。実際にバーグ版『砂の惑星』の世界観は非常に硬質なもので、参考としてイギリスのコミックアーティストであるマーク"ジョック"シンプソンよるコンセプトデザインを以下に見ることができる(ジョックは『バトルシップ』でもコンセプトデザインを担当)。 https://www.duneinfo.com/unseen/jock 加えてバーグは「私の『砂の惑星』はオムツを履かせたりしない(笑)」と言って、リンチ版のハルコンネン男爵を揶揄していたが、奇しくもヴィルヌーヴ版では『バトルシップ』で主人公ストーンの兄を演じたアレクサンダー・スカルスガルドの父ステラン・スカルスガルドがハルコンネン男爵を演じている。 ◆二人の映画監督から得た映像スタイル また先述した「激しい攻防戦」というワードは、そのまま監督の視覚スタイルの話題へと移行するのに都合がよかった。インタビューはバーグが2004年に発表した『プライド 栄光への絆』へとターンし、同作の試合シーンの緊張感がスポーツ映画史上でもっとも高いものではないかと言及。『バトルシップ』にもその傾向が顕著に見られ、それらの多動的でラフな映像スタイルはどこから得たものかを訊ねている。 バーグ「私には監督として、二人の師匠がいる。それはジョン・カサヴェテスとマイケル・マンだ。どちらもシネマヴェリテを基調としたスタイルを持っているが、カサヴェテスは非常に俳優に自由を与えてくれる監督で、あまりコントロールしない人だ。それが自然な演出とカメラモーションに繋がっているし、逆にマイケルは脚本がぶれないくらいのコントロールフリークで、そこが面白い。彼は友人でもあるし、『キングダム/見えざる敵』のプロデュースも担当してくれた、そしてなにより、彼のビジュアルスタイルには多くを学ばせてもらった。僕は二人の正反対なアプローチをうまく折衷させながら演出をしてるけどね(笑)」 加えて、役者をコントロールしないという考え方は、バーグの中で映画における俳優の優先順位をおのずと示している。 「僕は過去にウィル・スミスと『ハンコック』を作ったけど、やはりというか観客は、ウィルのスター性に意識を支配されてしまう。違うんだ、映画のスターはストーリーなんだよ。だから『バトルシップ』はリーアム(・ニーソン)を除くと、あまり知名度の高い俳優を主要キャラクターとして劇中に置いていない。だってそのほうが、より完全にストーリーに没頭できると思ったからなんだ」 こうした俳優の話題から、質問は出演者の一人である浅野忠信に関することへと移行したのだが、「アサノの出ている作品だけでも、まずは観ておかないといけないね」と監督は言い、自分が日本映画に関して理解があまりないことを筆者に詫びていた。 しかしまさか、その日本で『バトルシップ』がこれほどまでに愛される作品になるとは、よもや思いもしなかったことだろう。■ 『バトルシップ』© 2012 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
-
PROGRAM/放送作品
インサイダー
巨大企業の不正告発をめぐる孤独な闘いの行方は?アル・パチーノ&ラッセル・クロウ競演の実話ドラマ
戦う男の姿を描く巨匠マイケル・マンが、タバコ会社の不正告発をめぐる実話を基にした社会派ドラマ。巨大企業の隠蔽工作に立ち向かう男たちの苦闘や葛藤を、アル・パチーノとラッセル・クロウが迫真の演技で体現。
-
COLUMN/コラム2023.03.01
『ゴースト/ニューヨークの幻』を名作にした奇跡のコラボと、日本での歪な愛され方
最も美しい瞬間、眩しいほどの輝きを放っているタイミングを、スクリーンに映し出すことが出来たら、その俳優は幸せだと思う。その上で、その作品がいつまでも人々の間で語り続けられるようなものになったら、まさに役者冥利に尽きるだろう。 本作『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)のヒロインを演じた、デミ・ムーア。彼女にとってこの作品は、正にそんな位置にあるのではないか? 1962年生まれのデミは、『セント・エルモス・ファイア』(85)出演を機に、80年代ハリウッドの青春映画に出演した若手俳優の一団、いわゆる“ブラット・パック”の1人として、注目を集めるようになった。 プライベートでは、『セント…』の共演者エミリオ・エステベスとの婚約破棄を経て、87年にブルース・ウィリスと結婚。翌年には一子をもうけた。 本作の撮影が行われたのは、89年の夏から秋に掛けて。デミが27歳になる前後であるが、私生活の充実も反映してか、最高にキュートに映える。今や40年以上に及ぶ彼女のキャリアを振り返っても、「一生の1本」と言えるだろう。 こうした“タイミング”のデミを得たことも含めて、『ゴースト/ニューヨークの幻』には、「奇跡的」とも言っても良い、幾つかのマッチングが作用。アメリカ映画史、恋愛映画史で語り続けられる作品となったのである。 ***** 舞台はニューヨーク。銀行員のサム(演:パトリック・スウェイジ)と、新進の陶芸家モリー(演:デミ・ムーア)は、同棲を始める。 サムの同僚カールの手伝いで、引っ越しを終え、幸せいっぱいの2人。「愛してる」という言葉に、「同じく」としか返さないサムに、モリーはちょっとした不満を抱くが…。 そんなある日サムは、口座の金の流れに不審な点を見付ける。カールの手助けを断わり、サムはひとりで洗い出しを進める…。 観劇に出掛けたサムとモリー。その帰路で、「結婚したい」とモリーが告げた時に、暴漢が2人に襲いかかる。モリーを守ろうと、サムは抵抗。一発の銃声が響く。 逃げていく暴漢を追うのを諦め、振り返ったサムが目の当たりにしたのは、血まみれになった自分を抱きかかえ、「死なないで」と叫ぶモリーの姿だった。 幽霊になったサム。悲嘆に暮れるモリーには彼の姿は見えず、声も届かない。カールの慰めで、モリーが気晴らしの外出をした際、幽霊のサムしか居ない部屋に、彼を襲った暴漢が忍び込み、家捜しを始める。 怒り狂うサムが、暴漢に殴りかかっても、拳は空を切るばかり。しかし何とか、目的のものが見付からなかったらしい暴漢の後を追って、その居場所を突き止めた。 その近所で、“霊能力者”の看板を見付けたサムは、思わず吸い込まれる。そこの主オダ・メイ(演:ウーピー・ゴールドバーグ)は、インチキ霊媒師。霊の声が聞こえるフリをして、客から金を巻き上げていた。 そんな彼女だったが、なぜかサムの声は本当に聞こえた。嫌がるオダ・メイを脅しながらも、何とか説き伏せ、モリーに危機を伝えるように、協力してもらうことになる。 死して尚モリーを想うサムの気持ちは、彼女に伝わるのか?そして、サムを死に追いやった者の正体とは? ***** パトリック・スウェイジは、87年の全米大ヒット作『ダーティ・ダンシング』で人気を博して以来、主演スターの地位を固めつつあった頃に、本作に主演。タイトルロールである“ゴースト”として、深い悲しみを抱えた、ロマンティックな役どころもイケることを、知らしめた。 “インチキ霊媒”だったのに突如本物の霊能力に目覚めてしまった、オダ・メイ役のウーピー・ゴールドバーグは、稀代のコメディエンヌの実力を発揮。大いに笑わせながらも、幽霊のサムとモリーの“再会”に力を貸すシーンでは、観客の涙を絞るきっかけを作る。彼女にこの年度のアカデミー賞助演女優賞が贈られたのは、至極納得である。 デミ・ムーアを含めた、こうした演じ手たちのアンサンブルも素晴らしかったが、本作に於いて最高の“化学反応”を起こしたのは、脚本家と監督の組み合わせ。脚本家は、ブルース・ジョエル・ルービン、そして監督は、ジェリー・ザッカーである。 ルービンは本作脚本の執筆について、こんなことを語っている。「ある人が自分の感情や感覚が現世から霊の世界へ、つまり新しい別の世界へと移動できることを知り、なんとかそれを脚本の中に活かそうとアイディアをしぼった」 つまりルービンの“死後の世界”への想いは、ガチなのである。彼のフィルモグラフィーを鑑みれば、本作以前に手掛けた『ブレインストーム』(83)『デッドリー・フレンド』(86)から、本作以降の『ジェイコブス・ラダー』(90)『幸せの向う側』(91)『マイ・ライフ』(93)まで、ズラッと“死”にまつわる物語が並ぶ。 そんな「死に取り憑かれた」ルービンの脚本を映画化するに当たって、プロデューサーが起用した監督が、ジェリー・ザッカーだった。その名を聞いたルービンは、驚きと困惑、そして落胆を隠せなかったと言われる。 ザッカーはそれまで、ハリウッドでは「ZAZ(ザッズ)」の一員として知られていた。「ZAZ」とは、兄のデヴィッド・ザッカー、友人のジム・エイブラハムス、そしてジェリーの3人の名字の頭文字を並べての呼称。彼らのチームが作ってきた作品と言えば、『ケンタッキー・フライド・ムービー』(77)『フライング・ハイ』(80)『トップシークレット』(84)『殺したい女』(86)『裸の銃を持つ男』(88)と、コメディばかり。それもそのほとんどがおバカ満載、全編に渡ってパロディギャグを釣瓶打ちする内容の作品だった。 自分の渾身の脚本が、一体どうされてしまうのか?ルービンが不安に襲われたのも、無理はない。しかしこのコラボが、映画を大成功へと導く。 本作は開巻間もなくは、若い男女のラブロマンスが展開する。ところがサムが殺されて幽霊になってからは、サスペンスの色を帯びる。更にその先には、コメディリリーフのようにオダ・メイが登場。ところどころ笑いを交えながらの展開となる。クライマックスに近づくに従って、再びサスペンスの色が濃くなるが、大団円は、純愛ラブストーリーとして昇華する。 こうしたジャンルの横断は、ジェリー・ザッカーが、それまでに培ってきたテクニックを、大いに生かしたものと考えられる。とにかく観客を笑わそうと、シーン毎にギャグを詰め込むのが、「ZAZ」の作風。ザッカーはこの手法を応用し、ルービンの脚本の展開を、一つのジャンルに捉われることなく、ブラッシュアップしていったわけである。 もしも、“シリアス系”の監督が起用されていたら?恐らく本作は、もっと陰々滅々とした、ダークなタッチの作品になっていたであろう。 実はデミ・ムーアが演じるモリーは、当初は彫刻家という設定であった。それを陶芸家へと変えたのも、ザッカーのアイディア。この変更はどう考えても、ストーリー上の必然性とかではない。ずばり、サムとモリーのラブシーンを、効果的に演出するためだったのだろう。 同棲を始めたばかり。眠れない夜に、モリーがろくろを回していると、それに気付いたサムが、上半身裸のまま彼女の後ろに座る。バックに哀切な響きの、ライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディー」が流れる中で、2人は手を重ねながらろくろの上の粘土を触っているが、やがて………。 実に、情熱的且つロマンティック。映画関連の雑誌やサイトなどが選ぶ、「映画史に残るキスシーン」で、『地上より永遠に』(53)や『タイタニック』(97)などと共に、度々上位に選ばれているのも、むべなるかな(本作の翌年、ジェリーが脚本で参加している「ZAZ」作品、『裸の銃を持つ男 PART2 1/2』で、早々にこのシーンのパロディをやっているのには、「さすが!」という他なかったが…) 何はともかく、ある意味正反対の資質を持つ脚本家と監督が組んだことによって、奇跡のバランスが生まれ、そこに“旬”のキャストが加わった。こうして本作は、語り継がれる“名作”となったのである。 『ゴースト』は興行的にも、映画史上に残る“スリーパー・ヒット”=予想外の大ヒットとなった。アメリカ公開は、1990年の7月13日。実はこの7月の興行は、本作に先んじて4日に公開されたアクション大作、『ダイ・ハード2』が暫し独走するものと思われていた。ところが『ゴースト』は、公開初週で『ダイ・ハード2』を上回る成績を上げ、TOPに躍り出たのだ。 ブルース・ウィリスの代表的な人気シリーズ第2弾を、その妻であるデミ・ムーアの主演作が抜き去った形である。トータルで見れば、『ダイ・ハード2』も、北米での総興収が1億1,700万㌦、全世界では2億4,000万㌦と、当時としては十分“メガヒット”と言って差し支えない成績だった。しかしながら『ゴースト』は軽くこれを上回り、北米だけで2億1,700万㌦、全世界では5億㌦以上を売り上げたのである。『ダイ・ハード2』の製作費は7,000万㌦だったのに対して、『ゴースト』はその3分の1以下の、2,200万㌦。2011年4月にアメリカの経済ニュース専門局「CNBC」が発表した「利益率の高い映画トップ15」では、堂々の第10位にランクイン!製作費に対するその利益率は、何と1,146%というものだった。 『ゴースト』は、日本でも大ヒットした。配給収入は、37億5,000万円。細かいことは抜きに、これは興行収入ベースだと、60~70億円に達す。 本邦でも、いかに愛される作品となったか、その証左として挙げられるのが、本作の設定をパクった恋愛ドラマが、数多く製作されたこと。例えばフジテレビの「月9」枠で92年に放送された、「君のためにできること」。吉田栄作演じる主人公が自動車事故で死ぬが、自分を轢いた加害者の身体を借りて、恋人の石田ゆり子の前に現れる。ちょっと『天国から来たチャンピオン』(78)風味も入っているが、紛れもなく、本作のエピゴーネンであった。 本作から30年以上経った現在も、こうした流れはまだまだ残っている。今年1月から放送されている、井上真央と佐藤健主演のTBSドラマ「100万回 言えばよかった」。スタート早々からSNSなどで、「これ『ゴースト』じゃん」などと、突っ込みが入りまくっている。『ゴースト』は“ミュージカル化”されて、2011年からロンドン、12年にはブロードウェイでも上演された。実は日本ではそれに先駆けて、2002年に「世界初」の『ゴースト』舞台化が行われている。主演は宝塚出身の愛華みれと沢村一樹。こちらはミュージカルではなく、ストレートプレイであった。『ゴースト』関連で、今年に入って伝わってきたのが、現在チャニング・テイタムが、自らの主演で本作のリメイク企画を進めているとのニュース。それを聞いて思い出したが、実はリメイクも、日本が先行して行っていたという事実だった。 もう覚えている方も少ないと思うが、2010年11月に公開された『ゴースト もういちど抱きしめたい』が、その作品。 こちらは松嶋菜々子と、ソン・スンホンが主演。オリジナルとは男女の役割を逆転し、松嶋が女性実業家で、韓国人の陶芸家スンホンと恋に落ちるも、事件に巻き込まれて命を落としてしまう…。 そんな設定でわかる通り、ろくろを2人で回すラブシーンも、もちろん再現されている。詳細は省くが、色々と無理のある展開からこのシーンになだれ込むのだが、バックには何と、「アンチェインド・メロディー」が…。そしてそのヴォーカルは、…平井堅。マスコミ試写では、“失笑”が起こった。 この日本版リメイク、興収9億円という記録が残っているので、観客はそこそこ集まったわけである。しかしオリジナルと違って、現在ではわざわざ、口の端に上げる者も居まい。 チャニング・テイタムはリメイクに臨むに当たって、わざわざ“陶芸レッスン”を受けながら、雑誌のインタビューに応じたという。ということはやはり、「映画史に残るラブシーン」の再現に。敢えて挑戦することになるのだろうか? テイタムが鑑賞しているとは思えないが、日本版リメイクを「他山の石」として、くれぐれも同じ失敗を繰り返さないことを、願ってやまない。■ 『ゴースト/ニューヨークの幻』™ & Copyright © 2023 Paramount Pictures. All rights reserved.
-
PROGRAM/放送作品
ザ・エージェント
[PG12]熱血エージェントの挫折と再生をトム・クルーズが好演!胸を熱くするスポーツ・ドラマ
スポーツ代理人の世界で理想を追求する青年をトム・クルーズが熱く演じる、爽やかな感動を呼ぶサクセス・ストーリー。キューバ・グッディング・Jrがアカデミー賞助演男優賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2023.03.01
ミュージカル映画の巨匠がヒッチコックの世界に挑んだロマンティック・サスペンスの傑作『シャレード』
キャスト変更の可能性もあった『シャレード』誕生秘話 恋愛ロマンスとサスペンス・スリラーの要素を兼ね備えた、いわゆるロマンティック・サスペンス映画は古今東西に数多くあれども、この『シャレード』に匹敵するような傑作はなかなか見当たらないだろう。主演はハリウッド黄金時代の大スター、ケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン。舞台は花の都パリである。裕福なフランス人男性と結婚したアメリカ人女性が、ある日突然、身に覚えのない陰謀事件に巻き込まれ、正体不明の男たちから逃げる羽目となる。まるでアルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画のようだが、実際にスタンリー・ドーネン監督は、ケーリー・グラントが主演したヒッチコックの『北北西に進路を取れ』(’59)を強く意識していたという。本作が「ヒッチコックの監督していない最良のヒッチコック映画」と呼ばれる所以だ。 と同時に、本作は’60年代当時ブームとなりつつあったスパイ映画のジャンルにも相通ずるものがある。なにしろ、タイトル・シークエンスのスタイリッシュなグラフィック・デザインを担当したのは、007シリーズのタイトル・デザインでも有名なモーリス・ビンダーである。もちろん、ビンダーはヒッチコック監督の『めまい』(’58)も担当しているので、ヒッチコック映画へのオマージュ的な意味合いもあったであろう。さらに、ヘンリー・マンシーニによるラウンジ・ミュージック・スタイルの音楽スコアもボンド映画っぽい。甘いメロディの印象的なテーマ曲「シャレード」は、やはりボンド映画群の主題歌と同じくスタンダード・ナンバーとして親しまれ、アンディ・ウィリアムスやシャーリー・バッシーなど数多くの歌手がカバー・バージョンをレコーディングした。さながら、’50年代的なエレガンスと’60年代的なモダニズムを併せ持った映画とも言えよう。 原作はピーター・ストーンとマーク・ベームの書いた小説「Unsuspecting Wife(疑わない妻)」。しかし、実はその小説の元となった映画用の脚本が存在する。執筆したのはピーター・ストーン。’30年代に人気を博した犯罪ミステリー映画『チャーリー・チャン』シリーズで有名な映画製作者ジョン・ストーンの息子としてハリウッドで生まれ育ったストーンは、やはり映画脚本家だった母親ヒルダ・ストーンが再婚してフランスへ移り住んだことから、まだ大学生だった19歳の時に初めてパリを訪れ、たちまち魅了されてしまったという。そこで、大学を卒業した彼はCBSラジオのパリ支局に就職し、報道部で働きつつ大好きなパリを舞台にしたミステリー映画の脚本を書き上げる。それが『シャレード』だった。 完成した『シャレード』の脚本を持ってアメリカへ一時帰国し、ハリウッドのメジャースタジオ7社に売り込みをかけたストーンだが、しかしどこへ行っても断られてしまったという。そこで妻に勧められて脚本を小説として書き直すことにしたのだが、それまで小説を書いたことがなかったため、同じくパリ在住のアメリカ人だった作家マーク・ベームに協力を仰いだのである。そうして出来上がった小説版は、アメリカの有名な女性誌「レッドブック」に掲載されることとなる。その際、編集部の要望で「Unsuspecting Wife」というタイトルが付けられた。というのも「レッドブック」誌では、タイトルに「Wife」「God」「Dog」「Lincoln」のいずれかの単語が入った小説は当たる、というジンクスがあったからなのだとか。実際に掲載された小説は評判となり、かつて脚本を断ったスタジオ7社の全てが映画化権を手に入れようとアプローチしてきたという。 一方その頃、『雨に唄えば』(’52)などのミュージカル映画で巨匠としての地位を確立していたスタンリー・ドーネン監督も、エージェントから送られてきた雑誌を読んで原作を気に入り、自身の製作会社スタンリー・ドーネン・フィルムズの企画として映画化権の購入に動いていた。当時の2人はお互いに全く面識がなかったものの、ストーンはメジャースタジオ各社からのオファーを断って、ドーネン監督と直接契約を結ぶことにする。最大の理由は、ロサンゼルスではなく実際にパリで全編ロケ撮影することをドーネンが約束したこと。さらに、当初からケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンを主演に想定していたストーンにとって、そのどちらとも仕事をしたことのあるドーネン監督は映画化を任せるに最適な人物だった。中でも特にグラントとは、共同で製作会社グランドン・プロダクションズを立ち上げるほどの親しい間柄である。まさに理想的な人選だ。 ところが、以前からグラントと共演したかったオードリーは出演を快諾したものの、肝心のグラントがハワード・ホークス監督の『男性の好きなスポーツ』への出演を希望して『シャレード』を断ってしまった。そのため、グラントとの共演が必須条件だったオードリーも降板することに。そこで、当時ドーネン監督は映画会社コロムビアと提携を結んでいたのだが、そのコロムビア幹部の提案でウォーレン・ベイティとナタリー・ウッドに白羽の矢が立てられ、実際に本人たちも出演を承諾したのだが、しかしギャラの金額が折り合わなかったらしく、最終的にコロムビアは企画そのものから手を引いてしまった。 はてさて困った…とドーネン監督は頭を抱えたわけだが、その直後に『男性の好きなスポーツ』を降板したグラントから連絡が入り、やっぱり『シャレード』に出演したいとの申し出があったという。そこからとんとん拍子でオードリーの出演も決定し、ドーネン監督は改めて企画をユニバーサルに持ち込んだところ、すんなりとゴーサインが出たのである。ただし、グラントは出演契約を結ぶにあたって、ひとつだけ条件を付けたという。それは、撮影前に脚本家と打ち合わせをして、自分の意見を脚本へ取り入れること。そこで脚本担当のピーター・ストーンがグラントと会うことになり、ニューヨークのプラザ・ホテルで数日間に渡って綿密な打ち合わせを行った。 その際にグラントがストーンに最も強く要望したのは、自分の演じるピーターがオードリー演じるレジーナを口説くのではなく、反対にレジーナがピーターを口説くという設定にすることだった。というのも、当時のグラントは58歳でオードリーは33歳。親子ほど年の離れた中年男性が若い女性を口説くのはみっともないと考えたのだ。また、劇中ではピーターがシャワーを浴びるシーンがあるのだが、若い頃に比べて体型が衰えたことを理由に、グラントはシャワーシーンで脱ぐことを拒否。その結果、服を着たままシャワーを浴びるというユーモラスな場面が出来上がったのだが、いずれにせよ当時のグラントは自身の年齢をいたく気にしていたらしい。実際、長年に渡ってロマンティックな二枚目スターとして女性ファンを魅了してきたグラントは、本作を最後に「二枚目役」を卒業することとなる。 フランス・ロケの魅力を存分に生かした撮影舞台裏エピソード 主人公はフランス人の大富豪と結婚したアメリカ人の元通訳レジーナ・ランパート(オードリー・ヘプバーン)。親友シルヴィ(ドミニク・ミノー)とその幼い息子ジャン=ルイ(トーマス・チェリムスキー)と一緒に、フレンチ・アルプスへスキー旅行に出かけた彼女は、よく素性も分からぬまま結婚した夫チャールズとの離婚を決意する。ところが、パリへ戻ってみると自宅はもぬけの殻で、家財道具はもちろんチャールズの姿もない。そこへやって来た警察のグランピエール警部(ジャック・マラン)によると、夫は家財道具を競売にかけて得た25万ドルを持ってパリから逃げようとしたところ、何者かに列車から突き落とされて死亡したという。警察署で夫の遺体を確認し、誰もいない自宅で茫然自失となるレジーナ。するとそこへ、旅行先で知り合ったアメリカ人男性ピーター・ジョシュア(ケイリー・グラント)が現れ、新聞記事で事件を知ったと言って慰めてくれるのだった。 教会で執り行われたチャールズの葬儀。親友シルヴィとグランピエール警部以外、弔問客も殆どなかった。すると、見たこともない3名の男性が入れ代わり立ち代わりやって来る。小柄の中年男ギデオン(ネッド・グラス)にのっぽのテックス(ジェームズ・コバーン)、そして右手に義手をはめた大男スコビー(ジョージ・ケネディ)。3人ともなぜか、夫が本当に死んだのか確認しているようだ。その後、CIAパリ支局の捜査官バーソロミュー(ウォルター・マッソー)にアメリカ大使館へ呼び出されたレジーナは、そこでチャールズの本名がチャールズ・ヴォスという男であること、彼が第二次世界大戦中に情報機関OSSに所属していたこと、当時の仲間と米政府の金塊25万ドル分を横領したことを知らされる。しかも、夫は仲間と分配するはずの金塊をひとりで持ち逃げしていたのだ。戦時中のチャールズの写真を見せられたレジーナは、そこに写っている仲間たちが葬儀に現れた3名の男性であることに気付く。 夫が殺された際に持っていた25万ドルの行方をバーソロミューに問い詰められるレジーナだが、そもそもチャールズの正体を初めて知ったばかりの彼女に心当たりなどあるはずがない。夫の遺品を受け取って持ち帰った彼女は、気を紛らわすためピーターとデートに出かけるのだが、そんな彼女の前に例の3人が次々と現れて「金を返せ」と脅迫する。身の危険を感じたレジーナはピーターと一緒にホテルへ身を隠し、消えた25万ドルの所在を突き止めようとするのだったが…? 原作だとヒロインの姓はランパート(Lampert)でなくランバート(Lambert)だったそうだが、アメリカ国内に同姓同名の女性が3名実在したため変更されたという。また、ピーター・ジョシュアという役名は、ドーネン監督の2人の息子ピーターとジョシュアから取られている。男性が列車から突き落とされる謎めいたオープニングと、その後に続くカラフルでお洒落でウルトラモダンなタイトル・シークエンスのたたみかけが実にお見事!まさに掴みはオッケーという感じで、思わず期待と興奮に胸がドキドキと高鳴る。よく事情も知らぬまま陰謀事件の渦中に放り込まれたヒロイン、そんな彼女を助ける謎めいたヒーロー、そして次から次へと襲い来る危機に意表をつく驚きのどんでん返し。ロマンスとサスペンスのツボを心得たピーター・ストーンの脚本は、スリルとユーモアのバランス感覚もまた抜群に絶妙である。主演のケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの顔合わせも実にゴージャスだし、’60年代当時のパリの街並みや景色がまたロマンティックなムードを一層のこと高めてくれる。 冒頭のスキー旅行シーンのロケ地となったのは、ロスチャイルド家御用達のスキー・リゾート地としても有名なムジェーヴという町。撮影に使われたホテルも実はロスチャイルド家の別荘だった。劇中でジャン=ルイ少年がロスチャイルド男爵に雪の玉を投げつけて叱られるというエピソードは、いわばちょっとした内輪ジョークだったのである。ちなみに、ロケに同行したストーンによると、この別荘には当時ロミー・シュナイダーとアラン・ドロンがお忍びで宿泊していたそうだ。また、ジャン=ルイ少年がレジーナに水鉄砲を向けるシーンでは、最初に映し出されるクロースアップショットをよく見ると、子供ではなく大人がピストルを握っているように見える。実際、撮影では助監督マーク・モーレットが水鉄砲を握っていたらしい。観客をドキッとさせるためには、ひと目で子供の手だと分かってしまっては都合が悪かったのだ。 パリ市内のロケでも、セーヌ川のほとりやノートルダム寺院などの観光名所をたっぷりと楽しませてくれるが、その中でも謎を解くための重要なカギとして使われたのが、シャンゼリゼに近いマリニー通りの有名な切手市。ここでは現在も毎週木曜日と土曜日と日曜日の3日間、切手業者が蚤の市を開いて世界中から切手コレクターが集まる。いわば知る人ぞ知る穴場スポットのようなものだ。ただし、本作では定休日に切手市の場所だけ借り、撮影用にエキストラを集めて普段の様子を再現したのだそうだ。そういえば、レジーナとピーターが微笑ましく眺める路上の人形劇も、シャンゼリゼ通りで200年以上に渡って市民から親しまれているパリ名物である。 また、終盤の大きな見せ場として登場するのがパレ・ロワイヤル。17世紀の歴史に名高い宰相リシュリューの城館として建てられた歴史的建造物だが、当初は文化省が入っているからという理由で撮影許可が下りなかったのだそうだ。そこでドーネン監督は当時の文化相アンドレ・マルローに直談判して許可を取ったという。作家でもあったマルロー氏は、映画の撮影にとても協力的だったらしい。ただし、レジーナが逃げ込む劇場コメディ・フランセーズは入り口だけが本物で、中身は全く別の劇場で撮影されている。 このように、フランス現地のロケーションを存分に生かした本作だが、その一方でスタジオ撮影が非常に印象的だったのは、ケーリー・グラントとジョージ・ケネディがビルの屋上で格闘する緊迫のアクション・シーンである。実は、このビルの屋上はもちろんのこと、周囲の建物や眼下に見える車も全てスタジオに建てられた精巧なセット。遠近法を利用して適度な距離感を表現するべく、周囲の建物は全て実物大よりもだいぶ小さく作られており、完成した本編映像では見えづらいものの、一部の窓際には人影を映すためミゼットのエキストラを立たせたそうだ。もちろん、屋上から見下ろした路上の車は全てミニチュアである。 なお、劇中には脚本家ピーター・ストーンが2度ばかり登場する。まずはレジーナが最初にアメリカ大使館を訪れたシーンで、エレベーターのドアが開いた際に立ち話している男性2人のうち、右側に立っている背の高い黒縁メガネの男性がストーン。ただし、なぜか声だけはスタンリー・ドーネン監督が吹き替えている。そして、2度目はクライマックスでレジーナとピーターがアメリカ大使館を訪れるシーン。門番の若い海兵隊員にレジーナが公金返還の担当部署を訊ねるのだが、その若い海兵隊員の「声」を吹き替えたのがストーンだった。 かくして、1963年の12月初旬にアメリカで封切られた『シャレード』。興行的には大ヒットを記録するものの、同時に2つの大きな問題が発生する。ひとつめは本編中のセリフ。劇場公開の直前にケネディ大統領の暗殺事件が発生し、当時全米はもとより世界中に衝撃が走っていたのだが、本作ではレジーナとピーターがセーヌ川沿いを散歩するシーンで、「暗殺する(Assassinate)」という単語が2度も出てくるのだ。これが不謹慎に当たると考えたドーネン監督は、全米公開の間際に大急ぎで該当箇所の音声をカットし、代わりに「抹殺する(Eliminate)」とアフレコで差し替えたのである。なお、現在ユニバーサルがテレビ放送やソフト販売などで使用しているバージョンは、該当箇所が元の「暗殺する」に差し戻されている。 そしてもうひとつの問題が、本編中で著作権の表記を忘れたことである。正確に言うと、著作権者としてユニバーサル映画とスタンリー・ドーネン・フィルムズの名前は表記されているものの、それが著作権者であることを明確に示すCopyrightの文字やロゴマークを入れ忘れたのである。そのため、法律によって本作は著作権を放棄したものとみなされ、’80年代に家庭用ビデオが普及すると数多くの海賊版ビデオソフトが出回ることとなってしまう。本作の格安DVDは日本でも沢山出ているが、どれも使い古しの上映用フィルムやテレビ放送用マスターからコピーした代物。オリジナル・フィルムを使用した正規版マスターを保有しているのは現在もユニバーサルだけなので、映画ファンはくれぐれも注意されたし。■ 『シャレード』© 1963 Universal Pictures, Inc. & Stanley Donen Films, Inc. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
マディソン郡の橋
わずか4日間の燃え上がる運命の恋…世界が涙したラブストーリーをクリント・イーストウッドが映画化
世界中でベストセラーを記録した同名恋愛小説をクリント・イーストウッド監督・主演で映画化。アイオワ州マディソンに実在する舞台でロケ撮影され、原作の情緒豊かな美しさを余すところなく再現している。
-
COLUMN/コラム2023.03.01
ヴァン・ダムが双子の兄弟を演じた異色アクションは製作舞台裏も面白エピソードがいっぱい!『ダブル・インパクト』
原作はフランスの古典文学だった!? 当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでスター街道を爆走していたアクション俳優ジャン=クロード・ヴァン・ダムが、1人2役で双子の兄弟を演じたことが話題となったマーシャルアーツ映画である。ご存知の通り、ベルギー出身の有名な格闘家だったヴァン・ダム。’80年に全欧プロ空手選手権のミドル級王座に輝いた彼は、’82年に選手生活にピリオドを打つと映画スターを目指してロサンゼルスへ拠点を移す。アルバイトと掛け持ちしながらスタントマンとして映画の仕事をこなし、虎視眈々とチャンスを狙っていたところ、その甲斐あってキャノン・フィルムズの名物社長メナハム・ゴーランへの売り込みに成功。香港を舞台にした初主演映画『ブラッドスポーツ』(’88)の大成功を皮切りに、『サイボーグ』(’89)や『キックボクサー』(’89)、『ブルージーン・コップ』(’90)など次々とヒットを重ねていく。 その『ブラッドスポーツ』で初めて知り合ったのが脚本家シェルドン・レティック。アメリカ海兵隊出身でベトナム戦争への従軍経験もあるレティックは、ストイックな元格闘家のヴァン・ダムとウマが合ったのだろう。すっかり意気投合した2人は、レティックの監督デビュー作である『ライオンハート』(’90)など数々の映画でコンビを組むこととなる。そのレティック監督によると、もともと本作『ダブル・インパクト』の企画がスタートしたのは『ブラッドスポーツ』の直後だったという。同作の想定外の大ヒットに上機嫌だったメナハム・ゴーランは、ヴァン・ダムとレティックを自身のオフィスへ呼び出し、棚に並べられた無数の脚本の中から次回作を自由に選ぶよう勧めた。そこでレティックの目に入ったのが「Corsican Brothers」というタイトルの脚本だった。 古典文学に明るい方なら御察しの通り、これはフランスの文豪アレクサンドル・デュマが1844年に発表した小説「コルシカの兄弟」をベースにした作品。原作は離ればなれで暮らすコルシカ島出身の双子の兄弟を主人公に、弟が決闘で殺されたことをテレパシーで察知した兄が復讐を果たすという物語だ。オリジナルの脚本がこれをどう料理していたのかは定かでないものの、リライトを手掛けたレティック監督とヴァン・ダムによれば、そこからさらに原型をとどめないくらい改変してしまったらしい。確かに、完成した映画本編を見ると「双子の兄弟」「復讐」という2つのキーワード以外、デュマの小説と共通するものはほぼないと言えるだろう。 かくしてリライト作業を進めている間に、キャノン・フィルムズは経営不振に陥ってメナハム・ゴーランが会社から追放され、レティックはヴァン・ダム主演の『ライオンハート』でひと足先に監督デビュー。そんな折、ヴァン・ダムは『クリーチャー』(’85)や『ザ・ニンジャ/復讐の誓い』(’85)などの低予算映画で注目され、当時『ブランケット城への招待』(’88)や『カンザス/カンザス経由→N.Y.行き』(’88)などでメジャー進出を図っていたトランス・ワールド・エンターテインメントの創業社長モシュ・ディアマントと契約を結び、「Night of the Leopard」という作品に主演する予定だったのだが、この企画が諸事情によって頓挫してしまう。それを知ったレティック監督がディアマントに「Corsican Brothers」の企画を売り込んだことから、『ダブル・インパクト』の企画にゴーサインが出たのである。 ちなみに、ディアマントは「Corsican Brothers」というタイトルを気に入らず変更を要求したのだが、その際に『ダブル・インパクト』を提案したのはヴァン・ダムだったという。当時『ライオンハート』の編集作業中だったレティック監督は、アクション・シーンにインパクトを付けるため、別角度から撮った同じカットを2度連続で編集していたのだが、ヴァン・ダムはそれをヒントにして新タイトルを思いついたらしい。 生き別れになった双子兄弟の復讐劇! 物語の始まりは1966年。香港でトンネル建設事業に携わった裕福な実業家ワグナーが共同経営者のグリフィス(アラン・スカーフ)に裏切られ、地元の中国系ギャングによって妻もろとも殺されてしまう。その際、まだ生後数か月の赤ん坊だった双子の息子たちだけは辛うじて難を逃れる。中国人のメイドに助けられたアレックスはカトリック系の養護施設へ預けられ、ボディガードのフランク(ジェフリー・ルイス)に助けられたチャドは逃亡先のフランスで育てられた。 それから25年後。明るく溌溂とした青年に成長したチャド(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は、育ての親であるフランクと共にアメリカの西海岸へ移住し、ロサンゼルスの高級住宅街ビバリーヒルズでエクササイズジム兼格闘技道場を経営していた。この間、ずっとアレックスの行方を探していたフランクは、依頼していた私立探偵からアレックスを香港で発見したとの報告を受け、何も知らないチャドを連れて25年ぶりに香港へと渡る。天涯孤独の身で育ったアレックス(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は、それゆえ裏社会へ足を踏み入れて逞しく生き残り、現在は密輸業者として生計を立てていた。 お互いに自分と瓜二つの兄弟がいると知って困惑するアレックスとチャド。そんな2人にフランクは事情を説明する。かつて兄弟の両親がグリフィスに殺されて会社を奪われたこと、手を下したのが裏社会の元締めザング(フィリップ・チャン)であること、そして今こそ兄弟が団結して復讐を果たす時であること。しかし、シニカルで猜疑心の強い苦労人アレックスと、ノリの軽い遊び人チャドはまるで水と油。どうしてもお互いに反発してしまう。しかも、宿敵グリフィスは今や香港でも有数の大富豪で、おいそれと近付くことも出来ない。そのうえ、仲間のザングも巨大なファミリーを抱えている。兄弟とフランクの3人では多勢に無勢だ。 そこで心強い味方となったのがアレックスの恋人ダニエル(アロナ・ショウ)だ。実はグリフィスの会社で働いているダニエル。尊敬する社長がそんな極悪人だとは信じられないダニエルだったが、しかし愛するアレックスのため内部の機密情報を探っているうち、動かしがたい犯罪行為の証拠を見つけてしまう。ところが、そんな彼女の動向をグリフィスの女用心棒カーラ(コリー・エヴァーソン)が秘かに監視していた。アレックスとチャドの存在に気付き、亡き者にすべく追っ手を差し向けるグリフィスとザングの一味。果たして、兄弟は親の仇を取ることが出来るのか…!? ヴァン・ダムは成功しても義理人情に厚い男だった! 実は、主人公のアレックスとチャドには、それぞれ名前の由来となった人物がいる。まずアレックスの元ネタは、ヴァン・ダムの恩人であり芸名(本名はジャン=クロード・カミーユ・フランソワ・ヴァン・ヴァレンバーグ)の由来となった人物ポール・ヴァン・ダムの息子アレックス。ベルギーの裕福な実業家だったポール・ヴァン・ダム氏は大の格闘技マニアで、知り合った当時まだ17歳だったヴァン・ダムの実力を高く評価し、なにかと金銭的な面倒を見てくれていたらしい。一時期、彼は香港へ渡ってカンフー映画スターを目指したこともあるのだが、その渡航費などを提供してくれたのもヴァン・ダム氏だったようだ。その際、一緒に香港へ同行したのが氏の息子アレックス。君はいつか必ず有名な映画スターになる!と背中を押してくれた恩人に対する、ヴァン・ダムからのささやかなオマージュだったのだろう。 一方のチャドは、無名時代のヴァン・ダムと親友だったチャド・マックイーンが元ネタ。そう、あのスティーヴ・マックイーンの子息である。彼もまた下積み生活を送るヴァン・ダムを励まし、あちこち遊びにも連れ出してくれたという。受けた恩は決して忘れない。そんな義理堅いヴァン・ダムの真面目な性格を、主人公たちのネーミングから伺い知ることが出来ると言えよう。 ヴァン・ダムの義理堅さといえば、本作のキャストやスタッフの顔ぶれにもよく表れている。例えば、ザングの用心棒である怪力マッチョ男ムーンを演じている香港俳優ボロ・ヤン(ヤン・スエ)。『燃えよドラゴン』(’73)の悪漢ボロ役で世界的に知られ、筆者世代の日本人にはテレビドラマ『Gメン’75』の香港空手シリーズでもお馴染みのカンフー・スターだ。ヴァン・ダムとは前作『ブラッドスポーツ』でも共演。その際にヴァン・ダムは、「次は必ずもっと大きな映画で呼ぶから」と約束したそうだが、本作ではそれをちゃんと守ったのである。ちなみに、ボロは英語がほとんど喋れず、なおかつ優しいトーンの声だったため、セリフは全て別人がアフレコで吹き替えている。 また、アレックスが隠れ家にしている麻雀店の店長マーを演じているカメル・クリファは、ヴァン・ダムとは13歳の頃からの付き合いである長年の大親友。『ブラッドスポーツ』の大ヒットで名を成したヴァン・ダムは、当時ベルギーでレストランを経営していたクリファをパーソナル・トレーナーの名目でハリウッドへ呼び寄せ、『ライオンハート』以降の多くの出演作に役者としても起用。本作からはプロデューサーとして製作にも携わるようになった。レティック監督とのパートナーシップも同様だが、決して自らの成功を独り占めにはしない、それもまたヴァン・ダムの義理堅さである。 さらに、ウエスタン・ブーツのかかとに仕込んだ拍車を武器にするグリフィスの用心棒を演じるピーター・マロータは、アルバニア出身の有名なテコンドー師範。ヴァン・ダムとは以前から顔見知りだったそうだが、テコンドーの講習会を開くためパリに滞在していたところ、ちょうど『ライオンハート』のプロモーションで訪仏していたヴァン・ダムとたまたま遭遇し、本作の用心棒役およびスタント・コーディネーターをオファーされたという。彼もまた、これ以降『ユニバーサル・ソルジャー』(’92)や『ボディ・ターゲット』(’93)、『クエスト』(’96)などなど、俳優兼スタント・コーディネーターとしてヴァン・ダム作品に欠かせない常連組となり、『ジャン=クロード・ヴァン・ダム/ファイナル・ブラッド』(’17)では監督にまで進出している。 本国アメリカ側とロケ地・香港側でバトルが勃発!? 主なロケ地となったのは、ヴァン・ダムにとって個人的な思い入れも深い香港。現地での撮影コーディネートは『キックボクサー』でも組んだ地元プロデューサー、チャールズ・ワンが取り仕切り、観光客が足を踏み入れることのないディープなロケ地から格闘技の心得のあるエキストラまで、なんでも格安ですぐに調達してくれたという。ところが、この香港側のワン氏とアメリカ側のプロデューサー陣との間で対立が勃発し、撮影途中で香港から引き揚げなくてはならない事態となる。アメリカ側はワン氏のことが信用ならないと主張したのだが、しかしレティック監督によると本当の問題はアメリカ側にあったらしい。 本作の製作を手掛けたストーン・グループ・ピクチャーズは、先述したモシュ・ディアマントと俳優マイケル・ダグラスが共同出資して立ち上げた製作会社。当時、ストーン・グループでは元アメフト・スター選手ブライアン・ボスワース主演のアクション映画『ストーン・コールド』(’91)と『ダブル・インパクト』の2本を同時進行で製作していたのだが、会社的にはボスワースを第2のシュワルツェネッガーに育てるという目論見もあって、本作よりも『ストーン・コールド』の方に力を入れていたという。そのため、実は『ダブル・インパクト』の予算をこっそり『ストーン・コールド』に回していたらしく、それにワン氏が気付いてしまったことから対立に発展したというのだ。 事情を知ったヴァン・ダムもレティック監督もワン氏の味方に付いたものの、結局はアメリカ側の強引な独断によって香港から撮影隊を撤収することが決定。とりあえず屋外シーンのロケだけは全て香港で済ませ、残りの屋内シーンはロサンゼルスで撮影されたのである。ただし、蓋を開けてみれば予算2500万ドルの『ストーン・コールド』は世界興収900万ドルという超大赤字。ボスワースを第2のシュワルツェネッガーに育てることは叶わなかった。一方の『ダブル・インパクト』は予算1500万ドルに対して、世界興収3000万ドルというスマッシュヒットを記録。改めてヴァン・ダムのスター・パワーを見せつける結果となった。 ちなみに、本作には最終版でカットされた幻の別エンディングが存在する。全てが終わってアメリカへの帰路に就いたチャドとフランク。ロサンゼルス行きの旅客機に乗った2人に声をかける客室乗務員を見ると、なんとアレックスの恋人ダニエルと瓜二つではないか!えっ、もしかしてダニエルにも実は双子の姉妹がいたの…!?と、チャドとフランクがビックリ仰天したところでジ・エンドとなる。■ 『ダブル・インパクト』© 1991 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
メッセージ・イン・ア・ボトル
手紙の入った瓶を通じて大人の愛が育まれていく…ラブストーリーの名手ニコラス・スパークスの小説を映画化
『きみに読む物語』の原作者ニコラス・スパークスの小説を初めて映画化した作品。心に深い傷を持つ大人の男女が徐々に愛を育んでいく姿を、ケヴィン・コスナーとロビン・ライト・ペンが静かな演技で魅せる。
-
COLUMN/コラム2023.02.24
1973年の大事件を描いた『ゲティ家の身代金』が、2017年を象徴する映画となった経緯
1973年7月、イタリアのローマで起こった、ある少年の誘拐事件は、遠く離れた日本でも、大きなニュースとなった。当時小学3年生だった私も、鮮明に覚えているほどに。 人々の関心を引いたのは、要求された身代金が、1,700万㌦(約50億円)と桁違いだったから?そして、誘拐された少年の祖父が、資産5億㌦(約1,400億円)を誇る石油王だったから? いやいや、それだけではない。この事件が多くの人々を驚かせたのは、「大金持ち」である祖父の、異常としか言いようがない、振舞いだった。 それから44年。その事件を題材に書かれたノンフィクションを映画化したのが、本作『ゲティ家の身代金』(2017)である。 監督を務めたのは、現代の巨匠の1人、リドリー・スコット。クランクイン時の主なキャストは、ミシェル・ウィリアムズにマーク・ウォールバーグ。そして、ケヴィン・スペイシーという、布陣だった…。 ***** ローマの街角で突然拉致された、16歳のジャン・ポール・ゲティ三世。彼を誘拐した者たちの狙いは、三世の祖父で、フォーチュン誌によって「世界初」の億万長者に認定されたアメリカ人石油王、ジャン・ポール・ゲティの資産だった。 三世の母ゲイルは、今は三世の父=ゲティの息子とは離婚している身であったが、身代金は義父だったゲティに頼る他ない。しかしゲティは、莫大な額の要求を、にべもなくはねつける。「応じれば、他の孫も誘拐の標的になる」 シレッと言ってのけるゲティに対して、ゲイルは呆然とする他なかった。 ゲティはその一方で、自分の下で働く元CIAのチェイスを召喚し、誘拐犯との交渉を指示。彼をゲイルの元へと、向かわせた。 調査によって、三世本人による偽装誘拐の疑いも浮上。そんなこともあって、交渉は遅々として進まない。ゲイルの苛立ちは、日々募っていく。 誘拐犯たちにも、焦りが生じる。このままでは埒が明かないと見た彼らは、他の犯罪グループに、三世の身柄を売り渡す。 美術品に大枚を投じても、身代金の要求には一切応じないゲティに、ゲイルの精神は追い詰められていく。そんな彼女に同情したチェイスは、自分の雇い主であるゲティに、反発心を抱くようになる。 犯罪グループは、ゲティらに揺さぶりを掛けるため、遂に非情な手段に乗り出す。ある日彼らから届いた郵便を開けると、そこには切り落とされた、人間の耳が入っていた…。 ***** 屋敷を訪れた者が電話を掛けたいというと、邸内に設けた公衆電話へと案内し、その料金を負担させる。高級ホテルに宿泊中も、ルームサービスは「高い」と忌避。滞在中の洗濯物は自分で洗って、室内に吊るして乾かす…。 映画の中で描かれる、億万長者とはとても思えないような、こうしたゲティの吝嗇ぶり。そのすべてが事実に基づいたものと聞くと、ただただ驚き呆れてしまう。 当初は1,700万㌦を要求されていた、孫の身代金も、その5分の1以下の320万㌦まで値切る。それでも全額を払うことはなく、支払ったのは所得から控除できる最大限度額の220万㌦まで。身代金を、“節税”に使ったわけである。 その上で足りない額は、誘拐された三世の父である、自分の息子に貸し付ける形を取る。4%の利子を付けて…。 ゲティは生涯で5回結婚し、5人の息子を儲けた。愛人も多数いたというが、こんな男である。まともな愛情表現は望むべくもなく、息子たちをはじめその係累には、不幸な人生を歩んだ者が、少なくない。 一体どうして、こうした人物が出来上がってしまったのか?それだけで1本の映画が作れそうな気もするが、監督のリドリー・スコットの関心は、そこにはあまりない。息子の誘拐犯とだけではなく、このモンスターのような義父と対峙せざるを得なかった、ゲイルの“気丈さ”にこそ、スコットは注目する。 出世作『エイリアン』(79)で、シガニ―・ウィーヴァ―演じるリプリーという、強い女性キャラを生み出した。『テルマ&ルイーズ』(91)では、女性2人を主人公にした「90年代のアメリカン・ニューシネマ」を、世に放っている。本作でのゲイルの描き方は、そんなスコットの、面目躍如と言うべきだろう。 ゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズは、スコットの期待によく応えてみせた。それに比すれば、元CIAのエージェントを演じたマーク・ウォールバーグは、些か精彩に欠ける。 さて先に本作に関して、クランクイン時のメインキャストは、ウィリアムズにウォールバーグ。そして、ケヴィン・スペイシーだったことを、記した。しかしご覧になればわかる通り、本作にスペイシーの姿は、影も形もない。 2017年5月にスタートした撮影で、当時50代後半だったスペイシーは、特殊メイクを施して、80代のゲティを演じた。撮影は順調に進み、8月末にはすべて終了。あとは12月末の公開に向けて、仕上げを急ぐだけだった。 ところが10月末に、大問題が発生する。かつてケヴィン・スペイシーが、14歳の子役にセクハラを行っていたことが、報道されたのである。これは氷山の一角で、スペイシーに対してはこの後、多くの男性から同様の告発が行われた。 折からハリウッドでは、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる、数多の女優、女性スタッフへの長年の性暴力が発覚。「#MeToo運動」に火が点いたタイミングであった。 11月8日、スコットはスペイシーの出演シーンを、すべてカットすることを決断。同時に、作品の完成を延期や中止することなく、12月末の公開を予定通りに行うことも、決めた。 そこでスペイシーの代役として、クリストファー・プラマーを起用。撮り直しを行うこととなった。 再撮影は11月下旬、僅か10日足らずのスケジュールで行われた。ミシェル・ウィリアムズやマーク・ウォールバーグは、1度スペイシーと共に演じたシーンを、プラマーとやり直すこととなった。一部ロケ映像に関しては、セットで撮影したプラマーの演技を、スペイシー版の映像と合成するという処理を行っている。 プラマーは、役作りに掛ける時間はほとんどなく、また先に撮影したスペイシーの演技を参考にすることもなしに、ゲティを演じた。見事にハマったのは、当時88歳の老名優の実力という他ない。さすが、長いキャリアの中でアカデミー賞、エミー賞、トニー賞の演技三冠を受賞している、数少ない俳優の1人である。 付記すれば本作でプラマーは、アカデミー賞の助演男優賞の候補に選ばれた。受賞は逸したものの、演技部門でのノミネートでは、史上最年長の記録となった。 さてこれで本作に関するトラブルは、無事収拾…と思いきや、公開後に更なる火種が燃え上がった。新たに浮上したのは、ハリウッドに於ける「男女格差」である。 再撮影のため、本作には1,000万㌦の追加経費を投入。しかしプラマー以外の俳優は“再撮影”に関しては、「ただ同然」のギャラで協力したと言われていた。 実際にミシェル・ウィリアムズに支払われたのは、1,000㌦以下。しかしマーク・ウォールバーグに関しては、“再撮影”で新たに150万㌦ものギャラが支払われていたことが、2018年の1月になって判明したのである。 1,500倍もの賃金格差が生じたのは、まさに「差別」に相違なく、「#MeToo」の流れにも連なる。契約を盾に高額ギャラを要求したと言われるウォールバーグには、非難が集中した。 結果的にウォールバーグは、150万㌦全額を、「#MeToo」運動の基金に寄付。後に「自分の配慮が足らなかった」と、反省の弁を述べている。『ゲティ家の身代金』は、総製作費5,000万㌦に対し、全世界での売り上げは5,700万㌦ほどに止まった。興行的には「不発」という他ない成績だが、製作者の意図とは無関係なところで、2017年からのハリウッド=アメリカ映画界の流れを、象徴する作品となってしまったのである。 誘拐を奇貨にして、さらわれた孫の親権まで奪おうと企てる、怪物的な男性ゲティに、一歩も退くことなく立ち向かった、勇敢な女性ゲイル。そうした物語の構図が、本作に襲いかかったアクシデントと、期せずしてダブる部分も、大いにあるようには感じるが。■ 『ゲティ家の身代金』© 2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.