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ラストマン・スタンディング
黒澤明『用心棒』を名匠ウォルター・ヒル監督がリメイク。西部劇のムード漂う頭脳戦ギャング・アクション
黒澤明監督、三船敏郎主演作『用心棒』を、ウォルター・ヒル監督、ブルース・ウィリス主演でリメイクしたバイオレンス・アクション。30年代米に舞台を移し、西部劇さながらのガン・アクションが展開する。
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COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ストリート・オブ・ファイヤー
見終わったら絶対サントラCDが欲しくなる、痛快ファンタスティック・アクション・ロック映画!
50年代と80年代が融合したような独特の時代感が漂う不思議な街を舞台にした“ロックンロールの寓話”。陰のあるヒーローが女性ロック歌手を拉致した暴走族に戦いを挑む痛快アクション娯楽作だ!
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COLUMN/コラム2020.06.06
血と硝煙とバイオレンスの強臭にむせる『ダブルボーダー』
■保安官と麻薬王、袂を分かつ二人の男たち ジャック・ベンティーン(ニック・ノルティ)とキャッシュ・ベイリー(パワーズ・ブース)は、幼い頃からの親友どうしだ。だが今では、片やエルパソ郊外の小さな町で働くテキサスレンジャーで、片やメキシコを牛耳る麻薬王だ。ジャックにとってキャッシュは、治安を乱す元凶でもあり、かつて愛した女性サリタ(マリア・コンチータ・アロンゾ)を奪い合う宿命のライバルだった。 ウォルター・ヒル監督が1987年に発表した映画『ダブルボーダー』は、テキサスとメキシコを挟んだ国境の町を舞台に、袂を分かった男同士が血で血を洗う抗争を繰り広げていくバイオレンスアクションだ。銃を交えることでしか、その存在を主張することができない者たちへの、熱き魂のレクイエムである。 いっぽうこの映画では、もうひとつのエピソードがメインストーリーとともに並走していく。ポール・ハケット少佐(マイケル・アイアンサイド)率いる、米陸軍特殊部隊の臨時ユニットにまつわるものだ。この部隊を構成する6人の兵士たちは、全員が死亡報告を受けたゴーストアーミーであり、ベンティーンの監視のほか、町に関する覆面捜査を担っていた。 そんな彼らの目的もまた、私設軍隊を率いる麻薬王ベイリーの殲滅にあったのだ。 このように物語を大殺戮へと向ける布石とサスペンスフルな構造を経て、映画はベイリー殲滅作戦を遂行しようとするベンティーンとハケット少佐が目的を一致させ、共にベイリーが拠点とするメキシコへと赴かせていく。 ■原題が示す意味と製作までの紆余曲折 ところでこの『ダブルボーダー』、先述した二つの国境にちなんでつけられた邦題だが、原題の“Extreme Prejudice”が分かりづらいことへの配慮もあった。もともとこの言葉は、軍事作戦における「極端な偏見をもって事を終わらせる」という処刑の婉曲な表現で、劇中におけるベイリー殲滅作戦を示している。本国においてこの独自のフレーズは、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』(79)で周知の一助となっていた。 その『地獄の黙示録』の脚本を担当したのが、この『ダブルボーダー』の原案者としてクレジットされているジョン・ミリアスである。 もともと『ダブルボーダー』は、『コナン・ザ・グレート』(82)『若き勇者たち』(84)の監督として知られるミリアスが起案したもので、自身の脚本・監督のもとワーナー・ブラザーズによって製作される計画が立てられていた。本来ならば1976年10月にテキサスで撮影に入る予定だったが、ミリアスがサーフィンをモチーフにした青春映画『ビッグ・ウェンズデー』(78)を先に手がけたことにより、プロジェクトは暗礁に乗り上げる。加えてミリアス自身が本作を監督することに興味を失ってしまったことから、プロデューサーは別の監督の起用を検討し、改めて1976年11月の撮影開始日が設定された。 しかしプロジェクトは再々の延期を余儀なくされ、しびれを切らしたワーナーは権利売却のため、カサブランカ・レコードおよびフィルムワークスと交渉していたが、その契約も頓挫し、製作は塩漬け状態となっていく。 事態が大きく動いたのは1984年。『ランボー』(82)を世界的に大ヒットさせたカロルコ・ピクチャーズが『ダブルボーダー』の権利を買収し、『ランボー』の監督であるテッド・コッチェフの次回作としてようやくプロジェクトが再始動となったのだ。しかしコッチェフ監督は方向性の違いからプロジェクトを降り、後に『羊たちの沈黙』(91)でメジャーとなるジョナサン・デミが監督するよう交渉が進められた。デミは1985年3月までには脚本のリライトを完了させ、同年夏にミリアスと共にテキサスでの撮影を開始する予定だったが、残念ながら実現に至ることはなかった。 そこでカロルコは新たにウォルター・ヒルを監督に任命し、彼がスティーブ・マックイーン主演のアクション『ブリット』(68)でアシスタントディレクターを担当していたとき、脚本家としてかかわっていた旧友の脚本家ハリー・クライナーを雇い脚本を書き直したことを機に、プロジェクトは一気呵成に進行。1986年4月14日にテキサス州エルパソ地域で主な撮影が始まり、ディストリビューターのトライスター・ピクチャーズは同年のクリスマスシーズンに本作を公開する態勢が整っていく。 だがヒル監督とプロデューサーサイドは翌1987年4月の公開を主張。原因は出演者に約3ヶ月の軍事訓練を課したことや、加えて上映時間の関係からハケット少佐以下ゴーストアーミーのパートが大幅に削られ(ちなみにこの大幅にカットされた場面は、映画の公開と同時期に刊行されたノベライズで確認することができる)、その説明不足を補うための追加パート撮影を余儀なくされたことなど諸事情が絡み、結果的に映画は1987年4月24日に1071スクリーンでの公開となった。 しかし最初の10日間こそ650万ドルを獲得したものの、トータル的な収入は製作費の半分にも満たない1.100万ドルにとどまり、大幅な赤字を記録してしまった。とはいえ贅沢にかけられた予算と徹底した戦闘描写が求心力となり、本作はウォルター・ヒル監督のフィルモグラフィにおいてカルト的な人気を得ている。 ■『ワイルドバンチ』とサム・ペキンパーへの敬意 また『ダブルボーダー』は、『わらの犬』(71)『ゲッタウェイ』(72)の監督サム・ペキンパーに対して、ヒル監督がオマージュを捧げた作品として認識されている。とりわけ本作はペキンパーの代表的傑作『ワイルドバンチ』(69)のリメイクであるかのように感じられる箇所が多い。 ゴーストアーミーたちの死亡報告書を見せる冒頭からして、映画は『ワイルドバンチ』のアヴァンタイトルで展開するストップモーションと運びが似ているし、パイク(ウィリアム・ホールデン)率いるワイルドバンチと『ダブルボーダー』のゴーストアーミーが共にメキシコを目指そうとする目的の一致も然り。そして敵対するベイリーの麻薬組織は、『ワイルドバンチ』で私設軍隊を持つマパッチ将軍(エミリオ フェルナンデス)と同工異曲の存在だ。 他にも特に際立つ類似点は、クライマックスにおける銃撃戦の描写だろう。集中豪雨のように画面を覆い尽くす銃弾の嵐や、スローモーションでシューティングされた崩れゆく人々——。これらは「デス・バレエ(死の舞踏)」と喩えられた、『ワイルドバンチ』における最後の銃撃描写を踏襲したものだ。ご丁寧なことに両作とも、同シチュエーションは約5分間と尺まで足並みを揃えている。 こうしたホットな引用は単に表現上のものではなく、戦いによって仲間を失いながらも、それでも屍を越えて前に進もうとする男たちの「滅びの美学」を体現している。ペキンパーの精神を現代に受け継ごうとしたヒルの尊敬心を、この『ダブルボーダー』は何よりも示したものといっていい。 だが、そんな滅びの美学を悪人が示す『ワイルドバンチ』とは異なり、本作のベンティーンたちは、不器用ながらもそれを正義で追求しようとする。 「悪の道はたやすい。だが正義の道は果てしなく困難だ」 劇中、ベンティーンの上司ハンク(リップ・トーン)がいう言葉どおり、映画は最後の最後まで、善悪をめぐる葛藤が物語を大きく左右に揺り動かしていく。だからこそ、正義に準じた者には最高の見せ場が与えられるのだ。厭世的だったペキンパーと異なり、どこかヒーローに対して希望を残していたヒルの性質を、ここでは対照的なものとしてうかがうことができるだろう。 それにしても、ジョナサン・デミ監督による『ダブルボーダー』というのも、こうして評価の定まった今となっては観たかった気もするが……。■
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PROGRAM/放送作品
ジョニー・ハンサム
甘いマスクのミッキー・ロークが醜い男に!孤独な前科者の復讐を描くハードボイルドサスペンス
『サブウェイ・パニック』の原作者による小説をウォルター・ヒル監督がハードボイルドに映画化。甘いマスクで当時人気絶頂だったミッキー・ロークが特殊メイクを施し、醜い顔を持つ前科者に扮しているのが見もの。
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COLUMN/コラム2020.01.31
1978年発!“映画史”の過去と現在をつなぐ クライム・アクションのマスターピース 『ザ・ドライバー』
~こいつがハンドルをにぎったら〈ブリット〉さえも追いつけない…~ これは本作『ザ・ドライバー』が、1978年9月の公開時に用いたキャッチフレーズだ。この頃カーアクション映画と言えば、必ず引き合いに出されたのが、スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』(1968)だったのが、「時代」を感じさせる。 公開当時は中2だった私にとって、本作に改めて触れるのは、即ち1978年の空気を思い出すこと。それと同時に、連綿と続いていく“映画史”の中で本作が、メガヒット作というわけでもないのに、クライム・アクションを語る意味で、極めて重要な位置を占めていることに思い至る。 『ザ・ドライバー』初公開時の配給会社は、今はなき「日本ヘラルド映画」。ハリウッドメジャーの傘下ではない、独立系洋画配給として、長らく「東宝東和」などと覇を競っていた会社だ。 「ヘラルド」「東和」共に、1960年代半ばから70年代前半までは、マカロニ・ウエスタンやアラン・ドロン主演作などのヨーロッパ系作品が大きな売りであった。しかし70年代後半になると、ハリウッド映画や大作路線にシフトチェンジが行われた。 例えば「東和」は77年の正月興行の“大本命”として、ディノ・デ・ラウンレンティス製作の『キングコング』(76)を、拡大公開。それに対して「ヘラルド」は、ラウレンティスとかつてコンビを組んでいたカルロ・ポンティがプロデュースし、バート・ランカスターやソフィア・ローレンなどオールスターキャストのパニックサスペンス大作『カサンドラ・クロス』で対抗するといった具合に。 78年になると、ハリウッド・メジャー「20世紀フォックス」配給の『スター・ウォーズ』(77)が夏休みに鳴り物入り公開するのに先駆けて、「ヘラルド」はサム・ペキンパー監督のトラックアクション『コンボイ』を、大宣伝で仕掛けた。当時の「ヘラルド」は“ゲリラ戦”も交え、洋画戦線で様々な創意工夫を凝らしていたのである。 その年の夏興行が一段落して、「ヘラルド」が秋の目玉の1本として公開したのが、本作『ザ・ドライバー』だった。物語の主役はタイトルそのままに、“ドライバー”。銀行やカジノなどを襲った強盗たちを乗せ、凄腕の運転技術で警察の追跡を振り切ることを生業とする。車種がスーパーカーであろうと軽トラであろうと、そのテクに揺るぎはなく、完璧に“仕事”をこなす。恋人もなく友人もいない彼は、笑顔ひとつ見せない寡黙な男である…。 その夜の“ドライバー”はいつものように、“仕事”の直前に盗んだ車でカジノ前に乗り付け、犯行を終えた強盗たちが飛び出してくるのを待ち受けていた。ところが、強盗たちが予定よりも時間を喰ったため、車中で待機中、カジノに出入りする“プレイヤー(賭博師)”と呼ばれる美女に、その顔を見られてしまう。 警察には、“ドライバー”の逮捕に執念を燃やし、専従捜査班を束ねる、1人の“刑事”が居た。彼は目撃者である“プレイヤー”に、“ドライバー”の面通しをするが、彼女はなぜか、「この男ではない」と証言する。 “プレイヤー”の協力を得られなかった“刑事”は、“ドライバー”を罠に掛けるため、別の強盗事件で捕まえた悪党を脅して、“ドライバー”に仕事を依頼するように仕向ける。ところがその悪党が、“刑事”と“ドライバー”の両者を出し抜こうとしたことから、歯車が大きく狂っていく。 “ドライバー”は、“プレイヤー”の協力を得ながら、自らの“掟”を貫こうとするが…。 “ドライバー”にライアン・オニール、“刑事”にブルース・ダーン、“プレイヤー”にイザベル・アジャーニ。当時としては正に、「旬のキャスト」であった。 1964年から始まったTVシリーズ「ペイトンプレイス物語」で人気を得たライアン・オニールは、主演作の『ある愛の詩』(70)の大ヒットによって、映画の世界でもスターの座に就いた。以降、ピーター・ボクダノヴィッチ監督の『おかしなおかしな大追跡』(72)『ペーパー・ムーン』(73)、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』(75)などのヒット作・話題作に主演。リチャード・アッテンボロー監督の戦争超大作『遠すぎた橋』(77)日本公開時には、ダーク・ボガードやロバート・レッドフォードらと並んで、“14大スター”の1人に数えられた。 オニールにとって『ザ・ドライバー』は、そのキャリアのピーク時の主演作と言える。それまでの甘い二枚目ぶりを封印し、自らカースタントにも挑んだという“ドライバー”の役どころは、新境地と言えた。 対する“刑事”役のブルース・ダーンは、『11人のカウボーイ』(72)の悪役で、「ジョン・ウェインを殺した男」として注目された後、ヒッチコック監督の遺作となった『ファミリー・プロット』(76)や、ジョン・フランケンハイマー監督の『ブラック・サンデー』(77)などで主演級に。『ザ・ドライバー』と同年公開の『帰郷』では、心を病んだベトナム帰還兵を演じて、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 この頃のダーンは、偏執狂的な役どころを得意としていた。そうした意味で本作は、タイプキャストだったと言える。 本作がアメリカ映画初出演だったイザベル・アジャーニは、二十歳の時に主演したフランス映画、フランソワ・トリュフォー監督の『アデルの恋の物語』(75)で、セザール賞、そしてアカデミー賞の主演女優賞候補となり、スターダムに。日本でも76年春に『アデル…』が公開されると、映画雑誌の人気投票で上位にランクインするなど、大人気となった。 その後も次々と主演作が製作されて、本国フランスでは押しも押されぬスター女優の地位を確立していったが、なぜか日本ではそれらの作品は未公開に終わったり、劇場公開まで5~10年ほどの歳月を要したり。『アデル…』で彼女に恋したファンにとっては、『ザ・ドライバー』は2年半ぶりとなる、待望の日本公開作だったのである。 そんな「旬の3人」を擁した本作のメガフォンを取ったのは、ウォルター・ヒル。サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(72)などの脚本で注目される存在となり、75年にチャールズ・ブロンソン主演の『ストリートファイター』で監督デビューを果たした。本作が監督第2作となる。 “西部劇の神様”ジョン・フォード監督をこよなく愛するというヒルは、『ザ・ドライバー』劇場用プログラムに掲載されたインタビューで、次のように語っている。 「…警官にも、犯罪者にも、それぞれの主張というものがあるわけだ。だから映画は善と悪の対立を描くんではなくて、その両者の意志と意志のたたかいを描いていくんだ。 だからぼくはジョン・フォードを敬愛しているし、西部劇が好きなんだよ。西部劇には因習的な道徳律にとらわれず、新しいモラルを作っていくようなところがあるだろう。」 なるほど。本作にはヒルが愛する“西部劇”的な趣向が、数々盛り込まれている。様々な運転テクを駆使して逃走を図る“ドライバー”だが、ここ一番の勝負は、まるでガンマンのように、正面から正々堂々の一騎討で臨む。そして独りラジオでカントリーミュージックを聴く“ドライバー”に、“刑事”は「カウボーイ」と呼び掛ける…。 “西部劇”と同時に、その影響が指摘されるのは、『サムライ』(67)。本作の“ドライバー”のキャラクターが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督によるフレンチ・フィルム・ノアールの傑作でアラン・ドロンが演じた、寡黙な殺し屋像にインスパイアされているというのは、至極有名な話である。 現代のロサンゼルスというコンクリートジャングルを舞台にしながら、“映画史”的な伝統を受け継いだ、『ザ・ドライバー』。いわば、“西部劇風ノアール”とでも言うべき作品となっている。 実はDVDソフトなどの特典映像で、本編からカットされたシーンを見ると、“編集”時点での判断が、この作品の成否の鍵となったことがわかる。元々は作品冒頭、“ドライバー”の犯行が行われる前に、1つのシーンがあった。それは、“ドライバー”に“仕事”の仲介を行っている“連絡屋”(演:ロニー・ブレイクリー)が、“プレイヤー”の部屋を訪れ、“ドライバー”のアリバイ工作を依頼するというもの。警察での“ドライバー”の面通しで、“プレイヤー”が「彼ではない」といった理由が、はっきりと描かれていたのである。 またオリジナルの予告編には、“ドライバー”と“プレイヤー”の濃厚なキスシーンが挿入されている。恐らく作中の展開として撮影されていたこのシーンが挿入されていたら、クライマックスで“プレイヤー”が“ドライバー”に協力する理由が、「男女の仲」故ということになりかねない。 これらの説明的な部分をバッサリとカットしたからこそ、“ドライバー”“プレイヤー”それぞれの孤独感が強まると同時に、共に屹立したキャラクターとなった。この2人は、“恋愛”などの理屈抜きのプロとプロの関係であるからこそ、お互いを認めて、クールな協力関係になったわけである。この“編集”こそ、本作の成功に繋がったと言えよう。 この作品以降ウォルター・ヒルは、『ウォリアーズ』(78)『ロング・ライダーズ』(80)『48時間』(82)『ストリート・オブ・ファイヤー』(84)等々の作品を放ち、80年代中盤まで、他の追随を許さない、“男性アクション(死語!?)”の担い手として疾走した。付け加えれば、『エイリアン』シリーズ(79~ )のプロデューサーという役割も、長年果たすこととなる。 そして『ザ・ドライバー』は、後続のアクション映画に大きな影響を与え続ける作品となった。やはりロスを舞台にした、『ターミネーター』第1作(84)では、夜のカーチェイスシーンで、同じロケ場所を使用。ジェームズ・キャメロン監督も、本作の影響を明言している。 犯罪組織から請け負った荷物を何でも運ぶ天才的なドライバーを主人公としたのが、『トランスポーター』シリーズ(2002~ )。ジェイソン・ステーサムの出世作となったこのシリーズも、『ザ・ドライバー』の存在なくしては、成立しなかったかも知れない。 もっとストレートに、強盗を逃す“ドライバー”を主人公としたヒット作が、2010年代には2本登場した。1本目は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』(11)。実は『ドライヴ』の原作小説は、『ザ・ドライバー』にオマージュを捧げて書かれたもので、ライアン・ゴズリング演じる寡黙な主人公の役名は、本作と同じく“ドライバー”となっている。 もう1本のヒット作は、記憶に新しい、『ベイビー・ドライバー』(17)。映画マニアで知られ、『ザ・ドライバー』に深い愛を捧ぐエドガー・ライト監督は、『ベイビー…』の主要登場人物たちの役名を、本作同様に記号化した。アンセル・エルゴートが演じた主人公の“ベイビー”をはじめ、強盗団のボスは“ドック”、メンバーは“バディ”“ダーリン”“バッツ”といった具合である。その上でライト監督は、わざわざウォルター・ヒルに、“声の出演”までさせている。 ウォルター・ヒル監督自身のキャリアは、80年代中盤をピークに、その後は正直言って、失速した感が強い。しかし、何とも言えない、“映画史”の妙とでも言うべきか。ヒルが“西部劇”と“ノアール”から受け継いだスピリットは、このような形で2010年代のクライム・アクションにまで、大きな影響を及ぼしているのである。■ 『ザ・ドライバー』© 1978 Twentieth Century Fox Film Corporation - © 2013 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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PROGRAM/放送作品
ダブルボーダー
麻薬密売を巡る三つ巴の戦いの行方は?男の世界の巨匠ウォルター・ヒル監督が放つ骨太ハードアクション
テキサスレンジャーとその幼なじみである麻薬王。愛憎悪渦巻く男の対立に、極秘作戦に挑む特殊部隊の思惑が絡み、息詰まる三つ巴戦が繰り広げられる。西部劇を彷彿とさせるクライマックスの銃撃戦が壮絶。
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COLUMN/コラム2019.01.08
『バレット』とウォルター・ヒルが語る“男気”映画術
■スタローンと監督ウォルター・ヒル、初のコラボ 2013年製作の映画『バレット』は、シルベスター・スタローンが殺し屋を演じることで話題を呼んだノワールスリラーだ。40年間ヒットマンとして生きてきた、ニューオーリンズの殺し屋ジミー・ボノモ。彼はその日、汚職警官のグリーリーを始末し、相棒のルイスと仲介人に会うはずだった。だが待ち合わせ場所に現れた謎の人物による襲撃を受け、ルイスを殺害されてしまう。復讐に燃えるジミーは、グリーリーの元相棒である刑事テイラー(サン・カン)とともに事件の真相を追う……。 当時のスタローンは『ロッキー・ザ・ファイナル』(05)や『ランボー/最後の戦場』(08)など、かつての当たり役にオンタイムの自分を反映させることでシリーズ再生を果たし、また彼と同期のアクションスターが一堂に会する『エクスペンダブル』シリーズ(10〜)でシニア・アクションを先導するなど、マーケットを絞った活動で俳優としての最盛期を再び迎えていた。 そしてこの『バレット』も、こうしたスタローンのマーケティング戦略が顕著に出た映画となっている。というのも本作、作り手が現代アクションの流儀に適応させようとせず、80年代後半から90年代初頭のアクション映画への回帰を示しているからだ。 もともと『バレット』は、フランスの漫画原作者マッズ(本名アレックス・ノラン)がストーリーを手がけ、コリン・ウィルソンが絵を担当したグラフィックノヴェルシリーズをベースとしている。同作は2004年にベルギーの栄誉あるコミックアワード「サン=ミッシェル漫画賞」でベストシナリオ賞を獲得し、その後、英語による翻訳版が出版され、映画化の運びとなっている(映画の原題である”Bullet to the Head”は、そのときの英語タイトルを受け継いだものだ)。 しかし原作と異なり、警察と殺し屋組織を交えた群像劇をバディムービーにしたのは、他でもない監督ウォルター・ヒルの提案によるものだという。 スティーブ・マックイーンが主演した『ゲッタウェイ』(72)の脚本で注目を浴び、75年に『ストリートファイター』で監督デビューした、アクション映画の巨匠ウォルター・ヒル。以降『ウォリアーズ』(79)や『48時間』(82)『ストリート・オブ・ファイヤー』(84)といったヒット作を数多く手がけ、また『エイリアン』(79~)シリーズのプロデューサーとしても知られた存在だ。特に『48時間』はバディムービー(相棒映画)の礎を築いた名編として、アクション映画史にそのタイトルを深く刻んでいる。 『バレット』は、こうしたヒルの過去作のあらゆる要素が盛り込まれ、氏を象徴する旧来のスタイルを劇中にて呼び覚ましている。殺し屋が刑事とチームを組むという設定は、脱獄囚に同僚を殺された刑事が服役中のワルと組み、犯人逮捕に挑む『48時間』を彷彿とさせるものだし、スタローンと、今や『アクアマン』(18)で旬の俳優となったジェイソン・モモアとの斧によるタイマン勝負は、チャールズ・ブロンソンが喧嘩ファイトで日銭を稼ぐアウトローに扮した『ストリートファイター』(75)にその原型を見ることができる。 ■80年代アクション回帰の意図とは? 『バレット』の日本公開時、筆者は光栄にもプロモーション来日したウォルター・ヒルにインタビューをさせてもらった。電波媒体向けのビデオ映像、ならびに紙媒体数誌に掲載する記事のための取材だったが、なにより自分が監督の大ファンということで、興奮の面持ちで取材にあたったのを昨日のことのように覚えている。まずはさておき企画との関わりと、先述したような80年代アクションへの回帰への起因を訊くと、彼はこう答えてくれた。 「『バレット』は監督選びに難航していたらしく、スタローン自身が私に声をかけてきてくれたんだ。そこで条件をふたつ先方に投げかけたんだよ。ひとつは本作をバディムービーにすること。“きみ(スタローン)が主役の作品なんだから、私が80年代に手がけたバディムービーを再生させるような作品がいんじゃないか?”って。それをスライ(スタローンの愛称)に言ったら“じゃあ、それを監督するのはもう決まっているじゃないか”って即座に返されてね(笑)」 二人のキャリアから考えると意外に思われるが、ウォルター・ヒルとスタローンは、これまでに一度も監督・主演として組んだことがなかった。ただ親交は以前からあったようで、それが『バレット』へと結実していったのである。ちなみにヒルが製作側に要求したもうひとつの条件は、本作をデジタルで撮影することだったそう。しかし先の流れから、プロデューサーはフィルムによる撮影を依頼している。 ところが異色のコンビを作るのに手慣れたヒルも、スタローンが演じたボノモのキャラクターを膨らませていくのに苦労したという。 「前科者と刑事とをどう絡ませるのかがネックだったし、ボノモと彼の娘との関係を設定づけるのには、とても時間を要した。私の映画は、どれもストーリー以上にキャラクターありきの作品だと思う。ただ、キャラクターに求めるものが普通の作家とは違う。多くの場合、映画のキャラクターは心理プロファイリングで作られていくが、私の場合はそのキャラクターがどういう道徳観を持ち、どういうルールで生きているかを最大に重んじるんだ」 これなどはまさに『バレット』のボノモを含め、監督の作品それぞれに通底する人物像だ。でもそんなキャラクターたちが単に強いだけでなく、正義をなすことの難しさをそれぞれに体現している。 「それが私の好むところのテーマでもある。正義を遂行するのは難しい。だがそれを志として生きてゆき、切り開いていくキャラクターにひたすらこだわってきた。ただ演出するだけの監督を請け負うことには興味がないんだ」 ■リアリティの滲んでいるものこそが、自分にとっての映画なんだ(ウォルター・ヒル) ところでこのインタビュー、筆者が依頼を受けるにあたり、以前よりウォルター・ヒルに疑問を抱いていたことを「本人に直接確認させてくれ」という要求つきで承諾した。 ひとつはヒルが企画していた『ストリート・オブ・ファイヤー』の続編について。彼は同作のヒーロー、トム・コーディ(マイケル・パレ)を主役にした三部作の企画を抱えていたが、 「あれは残念なことに、スタジオ側とうまく企画を進められなかったんだよ。私のキャリアの中で唯一、パート2や3があると示唆した作品だし、頭の中でアイデアをかなり練っていたんだ。だから今でもチャンスがあるなら、ぜひトライしたい」 とのこと。続編ものをやらないというのは彼の美学としてあり、唯一『48時間PART2/帰って来たふたり』(90)は、主演であるエディ・マーフィーの熱意にほだされ、例外的に請け負ったものだ。 そしてもうひとつは、ヒルが極度のSFアレルギーだという噂の真相について。『エイリアン』を「SFは嫌いだ」という理由から監督する要請を断り、また演出をめぐり、スタジオとの意見の相違からクレジット権を剥奪された『スーパーノヴァ』(00)の実例がある。 しかし、この個人的な興味に対する答えこそ、『バレット』を含め彼の作品すべてに通底しているものであり、この発言をもって本稿の結びとしたい。 「SF嫌いは単なる噂にすぎない。若い頃には(アーサー・C・)クラークや(ロバート・A・)ハインラインをよく読んだし、このジャンルに愛情もあった。ただSF映画は複雑化したVFXやCGIの制作プロセスが必要不可欠で、俳優のテンションを上げにくいグリーンバックで撮影する手段には、個人的に違和感を覚えているんだ。私にとって映画というのは、ジョークは腹の底から笑えて、弾は当たると痛い。そこに血と肉でできている人間が登場し、彼らは命を賭けて戦っている。そういうリアリティの滲んでいるものこそが、自分にとっての映画なんだ」■ © 2012 HEADSHOT FILM INVESTMENTS, LLC
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PROGRAM/放送作品
バレット
[R15+]スタローンがウォルター・ヒル監督とタッグ!伝説の殺し屋を熱演した男気溢れるアクション
『48時間』のウォルター・ヒルが10年ぶりに監督復帰。同時代に一世を風靡したシルヴェスター・スタローンと初タッグを組み、'80年代ばりのハードな肉弾戦が際立つ男気あふれるアクションは必見。
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COLUMN/コラム2014.05.03
【DVD吹き替え未収録】役者エディ・マーフィをどう解釈し、どう演じ直すか。日本が誇るべき文化、“吹き替え”の真髄がそこにある。
海外で作られた映画・ドラマ・アニメなどの台詞を翻訳し、新たに俳優陣が演じ直す “吹き替え”。日本の映画ファンには、様々な理由を挙げて“字幕派”を標榜する人がいるが、中には只の原語至上主義者もいて、これらを一緒くたにすることには違和感がある。一方、“吹き替え派”は、字幕より吹き替えのほうが作品を理解するのに必要な情報量が多いことに加え、吹き替えを手がけた日本のスタッフ・キャストがどう作品を解釈したかも味わうという大きなお楽しみを共有している。 外国作品を吹き替えで見るのが当たり前という国は多い。アートの国フランスもそうだし、米国こそ、まるで字幕を毛嫌いしているかのようだ。たとえば日本の宮崎駿監督のアニメには、そうそうたる顔ぶれのハリウッドスターが英語吹き替えに集結している。 よく日本の吹き替えは世界最高レベルといわれるが、1本の作品に声優として参加する俳優の数が多い事実は確かだ。米国アニメ「ザ・シンプソンズ」のオリジナル・キャストは主要6人で30人を超えるキャラを演じるが、日本の吹き替えでも台詞が一言しかない複数のキャラを少数の俳優が演じ分けることが多いとはいえ、最終的に映画1本に20人以上が出演することも。こんな“吹き替え”を、文化と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。 前置きが長くなった。エディ・マーフィ。1980年代のハリウッドに彗星のごとく現れ、多数のヒット作に主演しているスーパースターだ。近年では『ドリームガールズ』でアカデミー助演男優賞にノミネートされながら、自分が受賞を逃したと知ってすぐ授賞式の会場を後にするというホットなエピソードを残した。そんな破格の才能マーフィを、日本の吹き替え文化はどう解釈してきたのか。 マーフィが全米で注目を集めたのは、人気バラエティ番組「サタデーナイトライブ」でのこと。初出演当時はまだ19歳で脇役扱いだったが、その芸達者ぶりが認められ、そのシーズンが終わる頃には史上最年少でレギュラーに格上げされた。自身と同じアフリカ系をからかい、セレブたちも同等にコケにするという独自の過激な芸風で人気を博した。 そんなマーフィが映画デビューを飾ったのが1982年の『48時間』。相棒を殺されたジャック刑事(ニック・ノルティ)は、犯人について詳しい受刑者レジー(マーフィ)を48時間だけ釈放させ、捜査に同行させる。ザ・ポリスのヒット曲「ロクサーヌ」をエキセントリックに歌いながら、マーフィは登場。それまでのシリアスな空気を一瞬でユーモラスに変えてしまうだけでなく、主演のノルティを食いかねない、圧倒的存在感を見せた。 『48時間』が日本テレビ系で、続編『48時間PART2/帰って来たふたり』がフジテレビ系で放送された際、レジーを演じたのは下條アトム。実力派俳優だが、海外ドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』でスタスキーの声を演じ続けた、吹き替えの名手でもある。“スタハチ”はバディもののお手本のようなドラマだが、そこで三枚目に近いスタスキーを演じた下條にマーフィ演じるレジーをアテさせたのは、下條のネームバリューとバディものを演じるスキルの高さ、両方が生む相乗効果を計算してのキャスティングだったと思う。相手役のノルティをアテたのが、『48時間』では故・石田太郎(吹き替えでは『新刑事コロンボ』も有名)、『48時間PART2~』ではアーノルド・シュワルツェネッガーなどタフガイ役を得意とする玄田哲章というのも、下條の軽妙さをより際立たせる。ちなみに、第1作と第2作の両方で樋浦勉が異なる悪役を演じているが、こんな洒落っ気も吹き替えの魅力だ。 そしてマーフィにとって、今なお語り継がれる代表作になったのが『ビバリーヒルズ・コップ』の3部作。マーフィが演じるのは、不況の町デトロイトで働く刑事アクセル。頭の回転が速く腕っぷしも強い、しかしユーモアを大事にする愛すべき男だ。そんなアクセルが友人を殺した犯人を追って高級住宅街ビバリーヒルズへ。そこでルールやモラルを重んじる地元警察の刑事たちと対立する。第1作の見ものはデトロイトとビバリーヒルズの文化ギャップを軽々と乗り越えるアクセルの活躍。冒頭の違法取引でのマシンガントークから、まさにマーフィの独壇場となっている。 気にしたいのは、『48時間』第1作ではまだ準主演だったマーフィが、『ビバリーヒルズ・コップ』では主演に格上げされている点。マーフィ自身のプロダクションも製作に名を連ねている。『48時間』の大ヒットを受け、映画会社パラマウントはマーフィと独占契約を結んだ(一説によれば5本の出演に対し1500万ドルも払うという破格の待遇だった)。なお余談だが、当初はシルヴェスター・スタローンの主演が予定されたが、スタローンは脚本を直したいといういつもの悪い癖(?)を出し、マーフィがアクセル役に抜擢された。 第1作がテレビ朝日系で放送された際、マーフィの声を演じたのは富山敬。アニメ界において『宇宙戦艦ヤマト』の古代進役といった二枚目役から『タイムボカン』シリーズのコミカルなナレーションまで幅広い役柄を演じた伝説の名優だ。洋画吹き替えでも二枚目から三枚目(TV『特攻野郎Aチーム』のクレージーモンキー役など)まで幅広くこなしたが、『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセルもまた二枚目と三枚目の二面性を持ち、名人・富山の豊かな表現力がフルに発揮された。 しかし続編の『ビバリーヒルズ・コップ2』は、放送したのが第1作と異なりフジテレビ系だったためか、『48時間』2部作の下條アトムがアクセル役に。下條にとってもマーフィに慣れたのか、安定した吹き替えとなった。下條はマーフィのヒット作『星の王子ニューヨークへ行く』がフジテレビ系で放送された際も、主人公アキーム王子を好演した。 そして、いよいよこの人の出番だ。山寺宏一。最終的にマーフィのほとんどの作品で彼の声をアテる、まさに真打ちになっていく。ザ・シネマが放送する『ビバリーヒルズ・コップ3』は、山寺がアクセルを演じたテレビ朝日バーションだ。 なぜ山寺マーフィが待望されたか。それはマーフィ自身の芸風の変化に理由がある。往年の喜劇スター、ジェリー・ルイスに影響を受けたのか、少年時代から物真似の天才といわれたマーフィは、1人で何役も演じる芸を売りにすることが増える。『星の王子ニューヨークへ行く』でマーフィは、特殊メイクの力も借りて1人4役に挑戦。また、ルイス主演の『底抜け大学教授』をリメイクした『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』では1人7役に挑み、続編『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』ではマーフィ本人を含むとはいえ、1人9役にエスカレート。こうなるとマーフィの声は、“七色の声を持つ男”、山寺にしか演じられないというように評価が定まってしまう。 そんな山寺だが、実はマーフィ以外の仕事でも亡くなった富山敬の後を継いでキャスティングされることが多い。こうして星と星はつながり、マーフィは“吹き替え”界の大きな星座になっているのだ。 以上を通じ、“吹き替え”のスタッフやキャストが、作品や出演者をどう解釈し、それをどう日本語に乗せようと苦労しているのが、何となくでも見えてくるだろう。コンピュータの自動翻訳なんて足元にも及ばない、“吹き替え”の真髄がここにはある。■ Copyright © 2014 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.