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PROGRAM/放送作品
ぼくの小さな恋人たち【4Kレストア版】
大人になることを急かされた少年の成長──ジャン・ユスターシュ監督の自伝的作品にして青春映画の傑作
42歳で早世したジャン・ユスターシュ監督の2本目にして最後の長編作。自らの少年時代を映像に昇華させ、大人の都合で生活環境の変化を強いられた少年の成長と性の目覚めを、カラー映像で瑞々しく綴る。
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COLUMN/コラム2024.04.10
ブライアン・デ・パルマ復活!ケヴィン・コスナーをスターに押し上げた“西部劇”『アンタッチャブル』
アメリカに禁酒法が敷かれていた、1920年代から30年代はじめ。悪名高きギャングのアル・カポネは、酒の密造と密輸で莫大な利益を上げ、シカゴで「影の市長」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。 警察や議会、裁判所までがカポネの影響下に置かれる中、孤独な戦いを始めた男が居た。財務省から派遣された若き捜査官、エリオット・ネスである。 ネスは意気盛んに、密造酒摘発に乗り出す。しかし配下の警官は買収されており、捜査情報の漏洩で、初陣は大失敗に終わる。 世間の失笑を買ったネスは、初老の警官マローンと偶然知り合う。彼が信頼に値する男だと見定めたネスは、カポネに対抗するためのチーム作りへの協力を依頼する。 躊躇するマローンだったが、ネスのまっすぐな正義感に打たれ、警官の本分を通すことを決意。 マローンの指導の下、新人警官のストーン、財務省から派遣された簿記係のウォレスという仲間を得たネスは、大掛かりな摘発を成功させる。早速カポネの側から買収や脅迫などが仕掛けられるが、ネスは断固はねのけるのだった。 賄賂や脅しに決して屈しない4人のチーム“アンタッチャブル”と、カポネの築いた帝国は、血で血を洗う戦いへと、突入していく…。 ***** 「アンタッチャブル」というタイトルは、元々は本のタイトル。その内容は、実在の財務省捜査官だったエリオット・ネスが、アル・カポネ逮捕までの顛末を語ったインタビューを元に、構成されたものである。 この本によると、ネスたち“アンタッチャブル”は、デスクワーク中心の捜査官。銃を撃ったなどという話は、登場しない。 ところがこれを原作にしたTVシリーズの「アンタッチャブル」(1959~63/全118話)では、事実を大幅に脚色。ロバート・スタック演じるネスは、FBIの捜査官とされ、彼とその部下が毎回のように銃撃戦に臨んでは、ギャングを射殺するシーンが登場した。このシリーズはアメリカだけではなく、日本でも大人気となり、70年代頃までは度々再放送が行われていた。 TVシリーズの制作から、時は流れて20年余。1980年代中盤になって、このTVシリーズの放映権を持っていたハリウッドメジャーのパラマウントが、自社の75周年を記念する企画として、「アンタッチャブル」の“映画化”に取り組むことを決めた。 担当となったのは、パラマウントの契約プロデューサーだった、アート・リンソン。しかし彼は、原作となったTVシリーズを見ていなかった。 そんな彼が脚本を依頼したのは、デヴィッド・マメット。映画の脚本は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81)『評決』(82)を担当。後者ではアカデミー賞にノミネートされている。それ以上に評価されていたのは、劇作家として。「アメリカン・バッファロー」(76)「グレンガリー・グレン・ロス」(84)などを手掛け、後者ではピューリッツァー賞やトニー賞を受賞している。「アンタッチャブル」のTVシリーズは、リアルタイムで見ていたというマメット。シカゴ育ちで故郷をこよなく愛し、また“禁酒法”の時代に関しては、「マニア」と自負するほど詳しかった。 マメットはリンソンと打ち合わせながら、脚本の執筆を始める。実在の“アンタッチャブル”のメンバーが10人だったのを、4人に絞るのは、TVシリーズに倣いながらも、2人は端から、TVの映画版にする気はなかった。「75周年作品」にも拘わらず、パラマウントは1,500万㌦という、当時としても“大作”とは言えない製作費しか提供しなかった。そんな状況でリンソンが監督として声を掛けたのは、スローモーションや長回し、360度回転カメラ等々、技巧を凝らした映像美で熱狂的なファンを持っていた、ブライアン・デ・パルマ。 サイコサスペンスの『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)、ギャング映画の『スカーフェイス』(83)などではヒットを飛ばしたデ・パルマだが、その頃はちょうどキャリアの曲がり角。敬愛するヒッチコックにオマージュを捧げた『ボディ・ダブル』(84)、初のコメディに挑戦した 『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)が続けて大コケしたため、メジャーヒットを欲していた。 そんなデ・パルマが本作『アンタッチャブル』(87)の監督を引き受ける決め手となったのは、マメットが8か月掛けて書いた、その時点では第3稿となる脚本。これまで自分が手掛けてきた作品と違って、例えばジョン・フォード作品のような「伝統的なアメリカ映画の流れ」を汲んでいると感じたのである。 デ・パルマはこの作品を、“ギャング映画”ではなく、『荒野の七人』のような“西部劇”だと捉えた。実際マメットは、「老いたガンファイターと若いガンファイターの物語」としてストーリーを組み立てたと語っている。「神話的なアメリカのヒーローにまつわるスケールの大きな話」。これがプロデューサーのリンソン、脚本のマメット、監督のデ・パルマの間で一致した、本作の方向性となった。 主役のエリオット・ネスは、かつてなら、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダが演じたような役柄。望まれるのは、理想主義と強さを合わせ持つ、良い意味でクラシックな個性だった。 まずメル・ギブソンの名前が挙がったが、『リーサル・ウェポン』(87)の撮影が重なっていた。続いてウィリアム・ハートやハリスン・フォードなど、当時の売れっ子俳優が候補となった。 しかし、予算が折り合わない。そこで浮上したのが、売り出し中ではあったが、かなり知名度が落ちる、ケヴィン・コスナーだった。 コスナーの起用に懐疑的だったデ・パルマは、監督仲間のローレンス・カスダンとスティーヴン・スピルバーグに相談したという。 カスダンは、『再会の時』(83)でコスナーを起用しながらも、上映時間の関係で彼の出番を全カット。その後西部劇『シルバラード』(85)で正義のガンマンの役を与えている。スピルバーグは、プロデュースしたTVシリーズ「世にも不思議なアメージングストーリー」(85~87)の中で、自分が監督した一編で、コスナーを主役にしている。「彼はクリーンかつ素直で将来性がある」2人の監督のコスナーに対する評価は、まったく同じもので、デ・パルマもコスナー抜擢の踏ん切りがついた。 ネスの仲間のキャスティングも、重要だった。カポネを脱税で摘発することを提案する経理のエキスパート、ウォレス役には、『アメリカン・グラフィティ』(73)で知られた、チャールズ・マーティン・スミス。彼はこの「真面目でおかしな男」を、「漫画チックにしてはならない」と、肝に銘じながら演じたという。 アンディ・ガルシアは当初、カポネの用心棒で殺し屋のフランク・二ティ役の候補だった。しかし本人の希望もあって、新人警官ストーンのセリフを読んだらハマったため、“正義”の側に身を置くこととなった。 さてベテラン警官のマローンである。何とか“大作”の装いにしたいと考えたデ・パルマは、かねてからファンだった、元祖ジェームズ・ボンド俳優のショーン・コネリーにオファーした。「初めて脚本を読んだ時は“まるで天の啓示”のように感じた…」という、当時50代後半のコネリー。コスナーとの組み合わせは、まさに「老いたガンファイターと若いガンファイター」であった。 コネリーに対して、「いつも遠くから彼の仕事は素晴らしいと思っていた」コスナーは、この共演について、「プロの俳優としての、そして個人としての彼のスタイルには影響されたし、そこから学ぶこともあった」と語っている。まさに役の上での、ネスとマローンの関係に重なる。コスナーにとってコネリーは「特別な人」となり、後に自らの主演作『ロビン・フッド』(91)に、特別出演してもらっている。 コスナーはメソッド式で、ネスの役作りを行ったという。カポネについて、あらゆる文献を読み漁り、財務省関係、FBIなどで実際にネスを知っていた人々から話を聞いた。その中には実際の“アンタッチャブル”の、その時点でただ一人の生存者も含まれている。 ただマメットが、ネスのタフガイのイメージを和らげようと、守るべき愛する家族を持つ男としたことに関しては、役作りは容易だった。コスナーには当時、3歳と1歳の子どもがいたからである。 本当はデスクワークが似合う男なのに、成り行きで深みにはまっていく。シカゴの暗黒街の現実を知るにつれ、段々とタフになっていく。コスナーの役作りで、そんなエリオット・ネス像が出来上がっていった。それはデ・パルマによるネスのイメージ、「下水に落ちた白い騎士」と、正に合致していた。 「白い騎士」に対抗して、“悪”を体現するアル・カポネ役に、デ・パルマが切望したのは、ロバート・デ・ニーロだった。1960年代末、無名時代の2人は何度も組んでいたが、それから15年以上。アカデミー賞を2度受賞して、すでに名優の誉れ高かったデ・ニーロを起用するには、僅か2週間の拘束で、製作費の1割に当たる150万㌦も払わなければならなかった。 デ・パルマは、渋る映画会社の重役たちに、己の降板まで仄めかして起用を承諾させた。しかしデ・ニーロ本人から、なかなか出演のOKが届かない。 宙ぶらりんの状態でデ・パルマが頼ったのが、ボブ・ホスキンス。『モナリザ』(86)の演技で、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で俳優賞を受賞して波に乗っていた彼にデ・パルマは、「もしデ・ニーロがやらなかったら、やってくれるか?」と、失礼を承知でオファーを行ったのである。 結局デ・ニーロが出演に応じ、デ・パルマはホスキンスに謝罪の電話を入れることとなった。数週間後、ホスキンスには詫び料として、20万㌦の小切手が届いたという。 正式な契約の日に、デ・ニーロに初めて会ったアート・リンソンは、酷いショックを受けた。出演していたブロードウェイの舞台の出で立ちで現れたデ・ニーロが、「七十キロもなくて、ポニーテイルをしている上に、三十歳ぐらいにしか見えない」状態で、ろくに口をききもしなかったのだ。カポネは太っていて四十歳、騒々しい男なのに…。 リンソンはデ・パルマを罵った。「あんな奴のためにボブ・ホスキンスを断ったなんて!もうおしまいだ」 そんなリンソンをデ・パルマはなだめながら、太鼓判を押した。次に会う時のデ・ニーロは、別人のようになっていると。 それから5週間。現れたデ・ニーロは、すっかり変わっていた。彼は契約後、すぐにイタリアに飛び、そこでパスタやポテトやピザ、ビール、牛乳を詰め込んで11㌔増量。更にカポネの出身地、ナポリ風のアクセントを身に着けて帰ってきたのだ。いわゆる“デ・ニーロアプローチ”だ。 更には古いニュースを見て、本物のカポネそっくりの声と動作、癖を身に付けた。外見的にも、髪の生え際を剃ることで、カポネの月のように丸い顔を作り上げた上、撮影中はローマから来たメイクアップ・アーティストが毎日3時間掛けて、顔の左側にカポネの有名な古傷を再現。更にはボディ・スーツを着込むことで、万全を期した。 本作の衣裳は、ジョルジョ・アルマーニが担当したが、デ・ニーロはリトル・イタリーの洋服屋に頼み、もっと本物らしくリメイク。更には画面には映らないにも拘わらず、絹の下着を、カポネが注文していた店に発注。それに加えて、カポネ愛用ブランドの葉巻や靴も手に入れた。 リンソンは、これらの経費の請求書に肝を冷やしながらも、デ・ニーロの役作りに関しては、不安を抱くことはなくなっていった。 本作のクランクインは、1986年の8月上旬。13週間の撮影で、使用されたロケ地は25以上。その多くが30年代前半には、カポネ行きつけの場所だったという。 クライマックスで、カポネの脱税の証拠である、帳簿係を拘束するための銃撃戦が撮影されたのは、シカゴのユニオン駅。20人のスタッフが2週間掛けて準備を行い、照明のために、電力会社が一時的に駅への電気の供給を増やした。 ここでデ・パルマは、映画史に残る『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”を引用。赤ん坊の乗ったベビーカーが階段を滑り落ちていく中で、激しい銃撃戦をデ・パルマの十八番、スローモーションで捉える。 実はこのシーンは、本作が“大作”の装いながら、製作費が抑えられたための、“代案”だった。本来は、列車に乗った帳簿係を車で追った上に、列車に乗り移って銃撃戦が繰り広げられる筈だったのが、予算の都合で実現不可能。代わりに撮られたこのシーンが、結果的にデ・パルマらしさが横溢する、本作を代表する名シーンとなったのである。 新旧問わずデ・パルマ作品には、“映像美”に走る反面、ストーリーがおざなりになる傾向がある。しかし本作は、マメットのストレート且つ説得力のある脚本によって、そうした欠点を解消。更には、デ・パルマが以前から仕事をしたかったという、エンニオ・モリコーネ作曲のスコアも素晴らしい響きを見せ、1987年に作られた“西部劇”としては、これ以上にない仕上がりとなった。 当初予定されていた製作費1,500万㌦はオーバーして、2,400万㌦が費やされたが、87年6月に公開されると、北米だけで7,500万㌦を稼ぎ出した。その秋に公開された日本でも、配給収入が18億円に達する大ヒットとなった。 アカデミー賞では、ショーン・コネリーに助演男優賞が贈られた。そしてケヴィン・コスナーはこの後、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)『JFK』(91)『ボディガード』(92)等々、ヒット作・話題作への出演が続く。特にプロデューサーと監督を兼ねた『ダンス・ウィズ…』では、アカデミー賞作品賞と監督賞の獲得に至り、大スターの地位を手にした。 監督のデ・パルマは、本作のヒットでせっかく取り戻した“信用”を、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで無化する。次に復活するのは、やはり人気TVドラマシリーズを、オリジンを軽視して映画化するという、本作のパターンを踏襲した、『ミッション:インポッシブル』(96)となる。■ 『アンタッチャブル』™ & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-
怪奇小説家ラヴクラフトが創造した異次元の恐怖を完全映像化!ニコラス・ケイジの怪演が光るSFホラー
恐怖小説とSF小説の先駆者H・P・ラヴクラフトのコズミック・ホラー「宇宙からの色」を映像化。人知を超えた何かによる異常現象を体験し狂気に陥っていく一家の父を、ニコラス・ケイジが鬼気迫る表情で怪演。
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COLUMN/コラム2022.04.11
ブルース・ウィリスのやりたい放題が炸裂したトンデモ超大作『ハドソン・ホーク』
今年3月30日、ブルース・ウィリスが“失語症”のために、俳優業を引退するという、衝撃的なニュースが飛び込んできた。この病気は、脳卒中や脳外傷などによって発症することが多く、会話や読み書きを含む言語能力が低下するというもの。 近年のウィリスと言えば、やたらと出演作が多く、しかもその大半が、劇場公開にまで至らない、いわゆるビデオストレート作品。そこから推して知るべしだが、評判が芳しくないものがほとんどであった。 そのため、アカデミー賞開催前夜に、「サイテー」の映画を選んで表彰する「ラジー賞=ゴールデンラズベリー賞」では、昨年=2021年にリリースされたウィリスの出演作8本を対象に、「ブルース・ウィリスが2021年に見せた最低演技部門」を新設。3月27日にはその中から、『コズミック・シン』(日本では昨年11月にDVD発売)が、「サイテー賞」に選出された。 しかしその3日後に、ウィリス引退の報が流れると、「ラジー賞」の主催団体は、この賞の設置を撤回。「もしも誰かの健康状態がその人の意思決定やパフォーマンスの要因になっているのならば、その人にラジー賞を与えるのは不適切…」との説明を行った。 いずれにしても、まだ67歳。ウィリスがスターダムにのし上がっていくのを、リアルタイムで目撃していた世代としては、「残念」という他はない。 ゴールデングローブ賞やエミー賞の獲得歴はあれど、アカデミー賞には、まったく縁のない俳優であった。そしてその逆に、件の「ラジー賞」の常連でもあった。今となってはそれも、“バカ映画”も含めて数多くの娯楽作品に出演を続けた、彼の勲章と言えるかも知れない。 ウィリスが世に出たのは、30歳の時。85年スタートのTVシリーズ「こちらブルームーン探偵社」(~89)に、当時は格上のスターだったシビル・シェパードの相手役として、オーディションで3,000人の候補者の中から選ばれたのである。 そこで人気を得た彼は、スクリーンの世界を目指す。その決定打となったのが、『ダイ・ハード』(88)のジョン・マクレーン役だった。たまたま事件現場に居合わせてしまった平凡な中年刑事が、愚痴をボヤきながらも機知の限りを尽くして、犯罪集団を壊滅へと追い込んでいく。 当時はシルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーなど、バリバリ大殺戮を繰り広げるような、筋骨隆々な無敵のヒーローものの全盛期。そんな中、見た目は冴えない中年男で、はじめは拳銃を撃つのも躊躇するようなマクレーン刑事は、至極新鮮に映ったものである(もっともそんな『ダイ・ハード』も、シリーズ化されて回を重ねていく内に、マクレーンの無敵ぶり・不死身ぶりが、ジェット戦闘機相手に、素手で挑んでも勝ってしまうほどに、インフレ化していくのだが…)。 何はともかく90年代は、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、非アクションも含めて、数多くのメガヒット作に出演。ウィリスは、TOPスターの地位を揺るぎないものにしていく。 しかしそんな最中でも、もちろんうまくいかなかった作品はある。近年ほどではないにしろ、当時から出演作が多かったウィリスの場合、結構な死屍累々。そんな中でもとびきりの“爆死”作品として語り継がれることになったのが、本作『ハドソン・ホーク』(91)である。 ***** 10年間のムショ暮らしをようやく終えた、エディ(演:ブルース・ウィリス)。彼は“ハドソン・ホーク”と異名を取る怪盗で、悪徳観察官から新たな“仕事”を持ち掛けられるも、今はただ落ち着いた生活を送りたため、その依頼を断わる。 かつての仲間で親友のトミー(演:ダニー・アイエロ)の元に身を寄せたエディだったが、悪の誘いは引きも切らない。結局エディは、マフィアのマリオ・ブラザースの脅迫に屈し、トミーと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ作の芸術作品「スフォルツア」を盗み出すハメになる。 見事犯行に成功した2人だが、ニュースでは、失敗したものとして報じられる。そして盗んだ筈の「スフォルツア」が、オークションへと出品される。 エディは、オークション会場へと乗り込む。「スフォルツア」は、怪しげな富豪のメイフラワー夫妻に競り落とされるが、その瞬間に会場では大爆発が起こる。エディは隣り合わせた謎の美女アナ(演:アンディ・マクダウェル)の命を救うも、自らは落下物のために気を失う。 気付くと走る救急車の中で、マリオ・ブラザースの囚われの身となっていたエディ。決死の脱出に成功すると、今度は彼の前に、過去に因縁のあったCIA捜査官キャプラン(演:ジェームズ・コバーン)の一味が現れる。 再び気絶させられたエディが、次に目が覚めたのは、ローマ。そしてメイフラワー夫妻をTOPに頂く犯罪組織が、世界征服のために必要なものを、自分を使ってバチカンから盗ませようとしていることを知る。 マフィアにCIA、そしてバチカンまで絡んだ世紀の大陰謀に、エディは相棒トミー、謎の美女アナと共に立ち向かっていく…。 ***** 日本の劇場用プログラムに掲載されている、複数の解説コラムでは、お馴染みの「ルパン三世」に、やたらと言及している。なるほど、一流の腕を持つ怪盗ながら、ちょっと間抜けなところもあり、またセクシーな美女にはからっきし弱い辺り、「ルパン」的ではある。 実際に物語のベースとして参考にしたのは、『泥棒成金』(55)や『トプカピ』(64)『ピンクの豹』(63)『おしゃれ泥棒』(66)といった、往年の“泥棒映画”群。また大富豪夫妻が、珍奇な発明品を用いて世界征服を企む辺りは、60年代に『007』シリーズの大ヒットで次々と製作された、荒唐無稽なスパイ映画シリーズ『サイレンサー』(66~68)や『電撃フリント』(66~67)などの影響と言われる。『電撃フリント』の主役だったジェームズ・コバーンがCIAのエージェントを演じるのは、その流れであろう。 さてそんな本作誕生のきっかけは、製作から遡ること10年以上前の、1980年のある夜。ロバート・クラフトというミュージシャンが、ニューヨークのグリニッジビレッジにあるナイトクラブで演奏していた際、観客の1人だったウィリスが、ハーモニカを吹いたことに始まる。 2人は仲良くなり、当時はバーテンダーで生計を立てていたウィリスは、しばしばクラフトのステージに参加するようになった。クラフトのレパートリーの中でも、ウィリスが特にお気に入りだった楽曲が、「ハドソン・ホーク」。 これはクラフトがある昼下がりに、マンハッタンのウエストサイドを歩いていた際に、ハドソン川の方から風が吹いてきたのにインスピレーションを得て、作った曲だった。“ホーク”というのは、ミシガン湖を襲った暴風に付けられた名前で、それをハドソン側からの風に結び付けて、「ハドソン・ホーク」というタイトルにしたのである。 ウィリスはこの由来を聞いて、古典的なエンタメ作品のキャラのテーマにぴったりだと感じた。そしてクラフトの依頼で、この曲に歌詞を付けた。その際に、“ハドソン・ホーク”とその相棒トニーのキャラクターも出来上がったという。 しかし、当時はまだ無名の存在だったウィリスとクラフト。もしどちらかが映画を製作する立場になったら、「世界一の怪盗映画」にしようと誓い合ったが、これらのアイディアは暫し、凍結となった。 それから月日が流れて、TVの人気者となったウィリスは、『キャデラック・カウボーイ』(88/日本未公開)という作品に主演する際、“ハドソン・ホーク・プロ”と名付けた、自らのプロダクションで製作に参画した。この作品は当たらなかったが、次に主演したのが、『ダイ・ハード』。 その2年後には続編『ダイ・ハード2』(90)も大ヒットとなって、ウィリスは“スーパースター”の座を手に入れる。彼は勇躍、クラフトと共に、本作の製作に乗り出したわけである。 ウィリスは、本作のプロデューサーを、『ダイ・ハード』シリーズはじめ、『リーサル・ウェポン』シリーズ(87~98)、『マトリックス』シリーズ(99~ )など、ド派手なアクション大作で勇名を馳せた、ジョエル・シルバーに依頼。シルバーは、ドル箱シリーズの主演スターからの頼みを、むげには出来なかったものと思われる。 監督に決まったのは、フランシス・フォード・コッポラ門下の出身で、『ヘザース/ベロニカの熱い日』(89)という青春もののブラック・コメディが評判となった、マイケル・レーマン。相棒トニー役には、ウィリスと以前からの知り合いだった、ダニー・アイエロがキャスティングされる。アイエロはスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、そのキャリアがピークを迎えた頃だった。 元々ミュージシャンでありコメディアンであったウィリスは本作に関して、「…出来るだけ突拍子もないコメディにしたかった」と語っている。ある意味でその願いは、実現することとなる…。 ニューヨーク、ロサンゼルスから、ローマ、ブダペスト、ロンドンと、大々的なロケーションを行うと同時に、複数の巨大セットを建てて行われた本作の撮影は、トラブルの連続。謎のヒロイン役は、イザベラ・ロッセリーニやイザベル・アジャーニの名が挙がった後、マルーシュカ・デートメルスに決まるも、クランクインして6週間後に、彼女は背中を痛めて降板となる。 その代役となったアンディ・マクダウェルによると、本作の撮影に臨んでは、セリフを覚えることよりも、製作側の突然の要求に柔軟な対応ができるよう準備していたという。現場がいかに混乱していたか、伝わってくる証言である。 主要スタッフの交代劇もあり、脚本の最後も書き直しが行われるなど、相次ぐトラブルに、製作費はどんどん膨れ上がる。最終的に、当時としては破格の4,000万㌦に達した。 アクションとミュージカルとコメディを融合させた本作で、“スーパースター”ブルース・ウィリスの思うがままに進行させたツケは、高くついた。全米公開の興収は、製作費の半分にも満たない、大コケ。 その年度の「ゴールデンラズベリー賞」では、作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にわたって受賞を果たし、正真正銘の“サイテー作品”と認定された。思えばウィリスの引退まで続いた「ラジー賞」との因縁は、この時に始まったわけである。 本作後、先にも記した通り、ブルース・ウィリスは数々のメガヒット作に出演し、“スーパースター”としての地位を確固たるものにしていく。その中ではプロデューサーとして参画した作品もあるが、脚本にまで手を出した作品は、後にも先にも、本作1本に終わった。 本作を賞賛する声はほとんど聞かないが、30年余に渡って我々映画ファンを楽しませてくれた、稀代のアクションスター、ブルース・ウィリスが心底やりたかったことを、やり尽くした作品である。『ハドソン・ホーク』は、彼のフィルモグラフィーを振り返る上で、ある意味ハズせない1本と言える。■ 『ハドソン・ホーク』© 1991 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
悲しみよこんにちは
ジーン・セバーグの瑞々しい魅力がまぶしい…天才少女作家サガンの処女小説を鮮烈なタッチで映像化
フランソワーズ・サガンが18歳で書き上げた処女小説を映像化。現在をモノクロ、回想をカラーと使い分ける場面転換が秀逸。中性的な魅力が光るセバーグのヘアスタイルが“セシル・カット”と称されブームに。
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COLUMN/コラム2020.09.02
カロルコ!ヴァーホーヴェン!そしてシャロン・ストーン!! 90年代ハリウッドに咲いた仇花的作品『氷の微笑』
今年8月、女優のシャロン・ストーンが、「ザ・ビューティー・オブ・リビング・トゥワイス」なるタイトルの、自らの回想録を執筆し、来年3月に出版することを発表した。 そのニュースを伝える、日本での記事の見出しは、~「氷の微笑」シャロン・ストーン回想録執筆し出版へ~。本文中での彼女の紹介も、~米映画「氷の微笑」(92年)などで知られる元祖セクシー女優シャロン・ストーン(62)~というものであった。 本文では、マーティン・スコセッシ監督の『カジノ』(95)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことなども記されてはいた。しかしシャロン・ストーンと言えば、やっぱり『氷の微笑』。彼女の女優としてのキャリアが、本作1本で語られがちなのは、否めない事実であろう。 逆に言えば彼女は、この1本で30年近く経った今でも、語られる存在になっているわけである。それほど、公開当時のインパクトは凄かった。 本作幕開けの舞台は、サンフランシスコに在る豪邸の一室。豪奢な真鍮のベッドの上で、激しくもつれ合う男女の姿があった。女の髪はブロンドだが、その顔の詳細は映し出されない。 女は男の上にまたがり、ベッドサイドから白いシルクのスカーフを取り出す。そして男の両腕を、ベッドの支柱へと結び付ける。 SMチックな趣向に益々高まった2人が、そのままオーガニズムに達するかと思った瞬間、女はシーツの下から、今度はアイスピックを取り出して、いきなり男の喉元へと振り下ろす。快楽の絶頂から、苦痛と恐怖のどん底に突き落とされた男に、女はあたり一面を血の海にしながら、何度も何度も、鋭利な刃を突き立てるのであった…。 この猟奇殺人の捜査に乗り出したのは、サンフランシスコ市警殺人課の刑事ニック・カラン(演:マイケル・ダグラス)。捜査線には、被害者のセフレで、ミステリー作家のキャサリン・トラメル(演:シャロン・ストーン)が、浮かび上がる。何と彼女は、事件の数カ月前、今回の殺人の手口がそっくりそのまま描かれた、ミステリー小説を発表していたのである。 事件の謎を追う中で、新たな殺人が起こる。更にはキャサリンの過去にも、様々な疑惑が生じていく。キャサリンを犯人と睨んだニックは、真相に迫っていく中で、やがて彼女の危険な魅力に吸い込まれ、溺れていくのであった…。 オープニングの、ショッキングなSEX殺人。そしてキャサリン・トラメル=シャロン・ストーンが、警察の取り調べを受ける際に、椅子に座って足を組みかえるシーンが、世間の耳目を攫った。そのシーンのシャロンが、タイトスカートでノーパンという装い故に、「ヘアが映る」「股間が見える」というのが、センセーショナルな話題となったのである。 本邦の場合、本作公開の前年=1991年から、宮沢りえの「サンタフェ」をはじめ、いわゆる“ヘアヌード写真集”のブームが巻き起こっていた。そのブームに、うまくリンクした部分もあったと思う。 至極、下世話な話ではある。だが本作の公開は当時紛れもなく、ちょっとした“事件”だったのだ。 そして『氷の微笑』は、全米での興行成績が1億2,000万ドルに迫り、全世界では3億5,000万ドルを稼ぎ出した。日本でも配給収入で19億円、興行収入に直せば40億円前後を売り上げた。 斯様に世界的な大ヒットとなった本作は、プリプロダクション=製作準備の段階から、何かと話題となっていた。まずは、脚本である。 手掛けたのは、『フラッシュダンス』(83)『白と黒のナイフ』(85)などのヒット作がある、ジョー・エスターハス。彼が書き上げた本作の脚本の獲得に、8人ものプロデューサーが名乗りを上げて、争奪戦が起こった。 値段はどんどん吊り上がり、買い手は一人また一人と脱落していく。そんな中で、最終的に300万ドルという、当時としては「史上最高」となる脚本料が付いて、落札となった。 本作脚本を詳細に検討した場合、ディティールの粗さなど、果して「史上最高」の価値があったのかどうかは、大いに議論となるところである。しかしその脚本料故に、ハリウッドでの本作への注目度が、端から並大抵のものでなかったことは、事実である。 「史上最高」の300万ドルを支払ったのは、独立系の映画製作会社「カロルコ・ピクチャーズ」であった。「カロルコ」は、マリオ・カサールとアンドリュー・G・ヴァイナによって76年に設立され、82年に、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』第1作から製作活動を本格化。90年には『トータル・リコール』、91年には『ターミネーター2』と、絶頂期のアーノルド・シュワルツェネッガーを主演させた、メガヒット作を立て続けに放っていた。 本作の製作が本格化して、まずは殺人課の刑事ニック役に、マイケル・ダグラスが決まった。大スターであるカーク・ダグラスの長男であるマイケルは、アカデミー賞で作品賞を含む5部門に輝いた、『カッコーの巣の上で』(75)のプロデューサーとして注目された後、俳優としても、『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(84)『危険な情事』(87)『ブラック・レイン』(89)などのヒット作に主演。オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(87)では、父は生涯手にすることが叶わなかった、“アカデミー賞主演男優賞”を獲得している。 このように80年代、名実ともハリウッドのTOPスターの1人となったマイケル。年齢的には40代後半という円熟期を迎えて、90年代最初の主演作に選んだのが、本作であった。 続いては監督が、ポール・ヴァーホーヴェンに決まる。オランダで数々の問題作を発表後、80年代後半にアメリカ映画界へと渡ったヴァーホーヴェンは、『ロボコップ』(87)『トータル・リコール』(90)と、監督作が連続ヒットを記録。本作を手掛けた辺りが、ハリウッドに於ける絶頂期だった。 「カロルコ」!マイケル・ダグラス!ヴァーホーヴェン!90年代はじめのハリウッドに於いては、まさにブイブイ言わせている面々が集まって、いよいよ物語の“肝”となる、キャサリン・トラメル役を決める段となった。 ヴァーホーヴェンの意中の女性ははじめから、監督前作の『トータル・リコール』に出演していた、シャロン・ストーンだったという。『トータル…』でのシャロンは、シュワルツェネッガー演じる主人公の妻にして、実は敵の回し者という役どころ。アクションシーンでは、2カ月間の空手の特訓の成果を見せ、強い印象を残していた。 ところが「カロルコ」側からは、「もっと大スターを使いたい」との注文がついた。当時のシャロンは、デビュー以来10年以上もブレイクしないまま、三十路を迎えた、“B級ブロンド女優”に過ぎなかったのである。 また、シャロンが89年に主演したスペイン映画『血と砂』を観たマイケル・ダグラスも、「カロルコ」の主張に与した。「あんなひどい映画に出ている女優と共演すると自分の人気に傷がつく」というのが、その理由だった。 そのためヴァーホーヴェンは、100人もの女優と面接するハメになった。イザベル・アジャーニ、ジュリア・ロバーツ、キム・ベイシンガー、ミシェル・ファイファー、ニコール・キッドマン、ジーナ・デイヴィス等々、錚々たる顔触れが並んだが、裸のシーンが多く、悪女のイメージが強いキャサリン・トラメルを演じるのに、前向きになる者は少なかった。 そこでヴァーホーヴェンは、4カ月掛けてプロデューサーたちを説得。遂にはシャロンの起用に成功した。 この役がダメだったら、女優をやめようと考えていたというシャロンにとって本作は、まさに「最後の挑戦だった」。ヒッチコックの『裏窓』(54)のグレース・ケリーをイメージして役作りを行った彼女は、ヴァーホーヴェンやダグラスと撮影中に頻繁にディスカッション。時には衝突しながらも、撮影に1週間を要した、激しいセックスシーンなどで、迫真の演技を見せたのである。 さて先にも記したが、本作で特に話題になったのが、ノーパン&タイトスカートでの足の組み換えシーン。このシーンも、シャロンのアイディアによるものと、劇場用プログラムには記されている。ところが公開キャンペーンで来日した際の、ヴァーホーヴェンのインタビューでは、自分が大学生だった23歳の時の実体験に基づいて、生み出されたシーンだとしている。 友人の奥さんが、いつも座っている時に下着をつけていないので、「見えるというのが分かっているんですか?」と質問した。すると彼女は、「もちろん。目的があって、履いてないんだもん」と答えたのだという。ヴァーホーヴェンはそれをずっと覚えていたので、本作に使ったという説明である。 しかしこれも、リップサービスの可能性がある。シャロン説とヴァーホーヴェン説の、どちらが正しいのか?その謎は、公開から22年経った、2014年に解き明かされた。当時報じられた、シャロンの言をそのまま引用する。 「撮影した時、それはノーパンであることを暗示するシーンになるはずだったの。でも監督が『君の下着の白い色が見えてしまう。脱いでもらわなきゃいけない』と言うから、『見えるのはイヤです』と答えたの。すると監督は『いや、見えることはないから』と言うの。だから私は下着を脱いで彼に渡したわ。『じゃあ、モニターを見よう』と彼が言うから見たの。当時は、いまのようになんでもハイビジョンではなかったから、モニターを見た時には本当になにも見えなかったのよ。だから映画館で大勢の人に囲まれてあのシーンを見た時にはショックを受けたわ。上映が終わると監督の頬にビンタをお見舞いして、『私が1人の時にまず見せるべきだったんじゃないの』と言ってやったわ」 この監督の騙し討ちこそが、映画の世界的ヒットの原動力になったというわけだ。 さて冒頭に記した通りシャロン・ストーンは、本作1本で、長く語り継がれる存在になった。逆に、他に何の作品に出ていたのかは、ほとんど記憶に残らない女優人生でもある。 渡米後の監督作が、本作で3本続けてメガヒットとなった、ポール・ヴァーホーヴェンは、その後に手掛けた『ショーガール』(95)が大コケ。続く『スターシップ・トゥルーパーズ』(97)『インビジブル』(00)も期待した成績を上げられず、21世紀には母国オランダに帰って、活動を続けている。 そして「カロルコ・ピクチャーズ」。90年代初頭には毎年のようにメガヒット作を出しながらも、本作脚本に300万ドルの値付けを行ったことに代表されるような、放漫経営が祟って、95年には倒産の憂き目に遭っている。 さすれば本作は、1992年のハリウッドに咲いた仇花、一瞬の夢のような作品だったとも言える。 そして14年後、「カロルコ」崩壊後もプロデューサーを続けたマリオ・カサールらが、再びシャロン・ストーン=キャサリン・トラメルを引っ張り出して製作したのが、『氷の微笑2』(2006)である。しかし、そこにはマイケル・ダグラスの姿はなく、ヴァーホーヴェンも、メガフォンを取ることはなかった。 『2』製作に当たっては、前作時には30万ドルと言われたシャロンのギャラは、1,400万ドルまで膨張。1作目にマイケルが手にしたギャラとほぼ同額になっていた。 しかしその出来栄えも世間の注目度も、「兵どもが夢の跡」という他はなく、ただただ「世の無常」を感じさせられる作品であった。■『氷の微笑』(C) 1992 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!
ヴィム・ヴェンダースが圧倒的な映像美で綴る、もう一人の天使の物語…名作『ベルリン・天使の詩』の続編
ベルリンの壁崩壊後のドイツを舞台にヴィム・ヴェンダース監督が製作した『ベルリン・天使の詩』の続編。前作同様、モノクロとカラーが交差する手法で映像美を魅せる。カンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞。
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COLUMN/コラム2018.10.15
フェリーニ初のカラー映画は、自身の夫婦生活を投影したセクシュアルでサイケデリックなダーク・ファンタジー『魂のジュリエッタ』
イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ。彼の映画に出てくる主人公たちは、しばしば異空間のような世界をひたすら彷徨(さまよ)う。高度経済成長に浮かれる現代ローマを舞台にした『甘い生活』(’60)然り、退廃的で享楽的な古代ローマの混沌としたデカダンを再現した『サテリコン』(’69)然り、そして旧世代のプレイボーイがウーマンリブ的な女性だらけの世界に足を踏み入れる『女の都』(’80)然り。これらの作品では、狂言回しとしての主人公をある種の象徴的な世界へと放り込み、放浪の過程で多種多様な人物と交わらせることによって、映画が作られた時代の空気や精神を鮮やかに浮き彫りにしていく。あえて明確なストーリー性を薄め、映像にも寓話的なシンボリズムを多用するのが特徴だ。この手法をさらに個人の内面へと推し進め、主人公のパラノイア的な心象世界にフェリーニ自身の映画監督としての苦悩や迷いを投影したのが『81/2』(’63)であり、その姉妹編に当たるのが本作『魂のジュリエッタ』(’65)である。 主人公はブルジョワ階級の人妻ジュリエッタ(ジュリエッタ・マッシーナ)。結婚15周年のお祝いを準備していた彼女だが、大勢の友達を引き連れて帰ってきた夫ジョルジョ(マリオ・ピスー)は、すっかりそのことを忘れていたようだ。釈然としないままパーティの夜は更け、やがて余興の降霊会が始まる。幽霊オラフに「あなたは不幸な人間だ」と言われて気を失うジュリエッタ。それ以来、彼女の脳裏で何者かが囁くようになり、忘れかけていた過去の記憶が次々とフラッシュバックし、あらゆるところで悪夢の断片を見るようになる。 そんなある晩、寝言で知らない女性の名前を2度もつぶやく夫。不安に駆られたジュリエッタは、親友ヴァレンティナ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)に誘われ両性具有の預言者ビシュマ(ヴァレスカ・ゲルト)の助言を仰ぐ。男を悦ばせる術を学べと言われて抵抗感を覚えるジュリエッタ。しかし、家に戻るとスペインからやって来た夫の友人ホセ(ホセ・ルイス・デ・ヴェラロンガ)を紹介され、夫にはない繊細で知的な魅力を持つ彼に惹かれる。さらに、自由奔放な隣人スージー(サンドラ・ミーロ)と親しくなった彼女は、知らずに招かれた乱交パーティで出会った若い美青年にベッドへ誘われるものの、すんでのところでハッと我に返って逃げ出す。 なお一層のこと心をかき乱され、現実と妄想の境界線がどんどん曖昧になっていくジュリエッタ。興信所の調査で夫の浮気も決定的になった。アメリカ人の精神分析医から「本当は夫と別れることを望んでいるのじゃないか、自由になることを恐れているだけじゃないか」と指摘され戸惑う彼女は、夫の不倫相手と直接会おうと意を決するのだったが…。 『カビリアの夜』(’57)以来、久々に愛妻ジュリエッタ・マッシーナを自作に起用したフェリーニ。『81/2』の主人公である映画監督グイドがフェリーニの分身であったように、本作のジュリエッタはジュリエッタ・マッシーナ本人の分身とも考えられるだろう。事実、『魂のジュリエッタ』には、フェリーニ夫妻の私生活を投影したであろうと思われる部分が少なからずある。おしどり夫婦と呼ばれて50年近くの結婚生活を添い遂げた2人だが、その一方で日常生活は家庭内別居にも等しく、同じ家の中でもお互いの居住空間は別々だったという。しかも、夫フェリーニの女性関係は半ば公然の事実。本作に出演している女優サンドラ・ミーロとも不倫の噂があった。必ずしも順風満帆な結婚ではなかったのだ。 一説によると、あまりにも現実の夫婦生活に近い要素がストーリーに盛り込まれていることから、当初は脚本を読んだジュリエッタが強く憤慨していたとも伝えられている。このままだと2人は離婚してしまうのではないか?と周囲の友人が心配したほど、一時は険悪な仲になってしまったそうだ。『81/2』では映画監督として創作に行き詰まった自身の苦悩と葛藤を描いたフェリーニだが、本作では妻ジュリエッタを介して自身の複雑な結婚生活の実態を、ある種のフェミニズム的な幻想譚へと昇華させた。そういう意味でも、本作は『81/2』に続くフェリーニの私小説的な映画として見るべきなのだろう。 目を引くのは全編に散りばめられた鮮烈な色彩と、シュールでシンボリックな幻想的ビジュアルの数々だ。本作はフェリーニにとって初めてのカラー映画。色とりどりの衣装からセット、照明に至るまで、まるで色を得た歓びが弾けるかのように、ありとあらゆる色彩が所せましとスクリーンを埋め尽くす。ヒロインの秘めたる性的願望と罪悪感を具現化したような悪夢的なイメージショット、前衛的かつ実験的な演出や画面構図もワクワクするくらい刺激的だ。今見ても全く古さを感じさせない。さながらセクシュアルでサイケデリックなダーク・ファンタジー。そのクセになるトリップ感は、以降の『サテリコン』や『カサノバ』(’76)、『女の都』にも相通ずるものがあると言えよう。 製作費は当時のイタリア映画としては破格の300万ドル。それゆえ、プロデューサーのアンジェロ・リッツォーリは、主演がジュリエッタ・マッシーナでは興行的に弱いのではないか?と心配し、代わりにキャサリン・ヘプバーンを推薦してきたがフェリーニは頑として折れなかったという。その代わりということなのかもしれないが、両性具有の預言者ビシュマ役にハリウッド・スターを起用しようと考えたフェリーニは、渡米した際に往年の大女優メエ・ウェストにオファーを持ちかけたが断られた。結果的に選ばれたのは、パンク・カルチャーの源流になったとも言われるドイツ出身の前衛舞踊家ヴァレスカ・ゲルトだ。 本作はジュリエッタ・マッシーナ以下の華やかな女優陣も見どころだ。ジュリエッタの隣人スージー、祖父と駆け落ちしたサーカスの踊り子ファニー、そして幻覚に出てくる幽霊アイリスの3役を演じるサンドラ・ミーロは、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ロベレ将軍』(’59)などで一世を風靡した小悪魔的な女優で、結婚を機に芸能界を引退していたが、フェリーニのラブコールに応えて『81/2』の映画監督グイドの愛人カルラ役でカムバックした経緯があった。本作では決してセクシーとは言えない主演女優ジュリエッタに代わって、妖艶な魅力を存分に振りまいている。85歳になった今もバリバリの現役だ。 ジュリエッタの親友ヴァレンティナには、ハリウッドでも活躍したイタリアの知性派女優で、フランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』(’73)でアカデミー助演女優賞に輝いたヴァレンティナ・コルテーゼ。ジュリエッタの妹でテレビ女優のシルヴァには、『鉄道員』(’56)の清純な娘役から国際的な人気セクシー女優へ成長したシルヴァ・コシナ、もう一人の妹アデーレには同じく『鉄道員』の母親役で有名なルイーザ・デッラ・ノーチェが扮している。また、若いメイドのエリザベッタ役を演じているミレーナ・ヴコティッチは、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(’72)に『自由の幻想』(’74)、『欲望のあいまいな対象』(’76)など晩年のルイス・ブニュエル作品に欠かせない常連で、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』(’83)や大島渚の『マックス・モン・アムール』(’86)にも出ていた知る人ぞ知る名脇役女優だ。 そして、ジュリエッタの潜在的なコンプレックスの元凶である威圧的な母親として強烈なインパクトを残すのが、ファシスト時代のイタリア映画界を代表するスター女優カテリーナ・ボラット。彼女もまたサンドラ・ミーロと同様に、引退していたところをフェリーニに熱望され『81/2』で女優復帰し、フェリーニの弟子でもあったピエル・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市』(’75)では少年少女に背徳的な物語を語って聞かせる老貴婦人を演じていた。 なお、ジュリエッタがメイドたちと一緒に見ているテレビの美容番組で、顔面美容法のお手本を披露しているモデルは、実際に当時のヨーロッパで活躍していたアメリカ人トップモデルで、マリオ・バーヴァ監督の『モデル連続殺人!』(’64)で演じた顔面を焼かれて殺される犠牲者役が印象深いメアリー・アーデン。同じ番組の最後を締める女性司会者役には、ヴィットリオ・デ・シーカの『あゝ結婚』(’64)やダミアーノ・ダミアーニの『警視の告白』(’71)などで知られる美人女優で、’60年代お洒落系ガーリー映画の名作『キャンディ』(’68)ではリンゴ・スターの童貞を奪ったキャンディに復讐しようとする凶悪バイカー姉妹のリーダーを演じていたマリルー・トロがカメオ出演している。 また、友人や知人を自作に出演させることの多いフェリーニ。本作でも彼が普段から助言を得ていた自称ローマ警察の公認霊媒師ジーニアスことエウジェニオ・マストロピエトロが降霊会の霊媒師役で登場し、イタリアの文豪サルヴァトーレ・クァジモド夫人で元プリマドンナのマリア・クマーニ・クァジモドが預言者ビシュマの講演会で観衆の一人(ピンクの花飾りのついた帽子を被った白いドレスの御婦人)として顔を見せている。 ゴールデン・グローブ賞をはじめ、ニューヨーク批評家協会賞やナショナル・ボード・オブ・レビュー賞の外国語映画賞を獲得し、本国イタリアでもシルバー・リボン賞(イタリア版ゴールデン・グローブ)の助演女優賞(サンドロ・ミーロ)と美術賞(ピエロ・ゲラルディ)に輝いた『魂のジュリエッタ』。恐らく一般の観客にとっては斬新すぎたのだろう。当時は興行的に失敗してしまい、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』(’68)を挟んだ次回作『サテリコン』まで4年のブランクが空く結果となってしまったが、サイケデリック・ムーブメントとポップ・アートの時代を敏感に捉えたフェリーニの先鋭的な映像センスは今なお刺激的だし、なによりもその自由奔放で豊かなイマジネーションには感動と興奮を禁じ得ない。◾︎ ©1965 RIZZOLI
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PROGRAM/放送作品
ベルリン・天使の詩
天使が舞い降りた古都ベルリン。ヴィム・ヴェンダース監督がめくるめく壮麗な映像美で綴るファンタジー
天使と人間の女性の愛を描き、日本でも大ヒットしたヴィム・ヴェンダースのファンタジー。まだ“壁”が存在していたベルリンを舞台に、天使の視点をモノクロ、人間の視点をカラーで表現した映像美にも魅了される。
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COLUMN/コラム2016.04.04
【DVD受注生産のみ】日本が格差社会となってしまった今ふたたび輝きを放つ、60年代のみずみずしい社会派ヒューマン・ドラマ〜『愛すれど心さびしく』〜
『愛すれど心さびしく』の方が響きも美しくスッキリとしているし、なによりもストーリーの核心を的確に捉えている。当時の配給会社担当者の優れたセンスが光るネーミングだ。 主人公は物静かな聾唖者の青年ジョン(アラン・アーキン)。彼は同じく聾唖者で知的障害を持つ親友スピロス(チャック・マッキャン)の後見人だが、たびたびトラブルを起こすことからスピロスは施設へ送られてしまう。唯一の親友と離れ離れになってしまったジョン。その孤独を察した担当医師の配慮によって、彼は施設からほど近い小さな町へ引っ越すこととなる。 古き良きアメリカの面影を今に残す、のどかで平和な田舎町ジェファーソン。だが、そこには人知れず悲しみや苦しみを抱える人々が暮らしている。ジョンが下宿することになったケリー一家は、父親が腰を痛めて働くことができなくなったため、家計の足しにと自宅の使わない部屋を貸出していた。高校生の長女ミック(ソンドラ・ロック)は音楽家を夢見ているが、家には楽器はおろかレコード・プレイヤーすら買う余裕もない。それでも頑張って勉強して、いつかは自分の夢を叶えたい。将来への希望を胸に抱く多感な年頃の少女。しかし、そんな彼女に貧困という残酷な現実が重くのしかかる。 ダイナーで夕食を取っていたジョンが知り合ったのは、酔って客に絡んでいる風来坊の男ブラント(ステイシー・キーチ)。元軍人である彼は除隊後に幾つもの職を転々とするも、どれも上手くいかずに自暴自棄となっていた。誰かに自分の話を聞いてもらいたい。ただそれだけなのに、人々は迷惑そうな顔をするだけで相手にもしない。 ダイナーを追い出されて怪我をしたブラント。それを見たジョンは、たまたま通りがかった黒人の医師コープランド(パーシー・ロドリゲス)に助けを求める。白人の治療はしないと頑なに突っぱねる彼を、ジョンはなんとか説得して応急処置を施してもらう。荒廃した黒人居住地区で小さな医院を営むコープランドは、貧困と差別に苦しむ同胞たちを献身的に支える一方、白人へ対しては静かに憎悪の目を向けていた。そんなある日、娘ポーシャ(シシリー・タイソン)の恋人が白人の若者グループに因縁をつけられ、相手を怪我させてしまう。逮捕された恋人を救うため父親に助けを求めるポーシャ。しかし、コープランドはそれを断る。黒人が白人と争えばどうなるのか、彼は痛いほどよく分かっていたからだ。しかし、それを理解できない娘は父親を激しく憎む。 貧困や人種差別など様々な社会問題を背景としながら、それらの障害によって人々の対立や誤解が生まれ、お互いの溝が深まっていく。今から50年近く前の1968年に作られた映画だが、その光景があまりにも現代の世相と似通っていることに少なからず驚かされるだろう。貧しさゆえ高校を中退せざるを得なくなったミック。もっと勉強したい、自分の可能性を試したい。そう涙ながらに訴える娘に、心を鬼にした母親が疲れきったように言う。“若い頃は誰だって夢を見るもの。でも、いずれは忘れてしまう”と。夢を見ることすら許されない貧困の現実。そのやるせない痛みは、今の観客の胸にも鋭く突き刺さるはずだ。 社会の理不尽に心を打ち砕かれ、言いようのない悲しみを抱えた人々。そんな彼らに、主人公ジョンは深い理解を示し、癒しと救いを与えていくことになる。貧しさにゆえに崩壊しかけたケリー一家、社会に馴染むことのできない不器用なブラント、人種差別が心の壁を作ってしまったコープランド親子。言葉を喋ることのできないジョンは、だからこそ彼らの悩みや問題の根幹を鋭い観察眼で見抜き、そっと優しく背中を押していく。人は誰もが孤独な存在。でも、お互いに心を開けば分かり合える。そう気づかせていく。なぜなら、そんな彼も本当は孤独だからだ。 ここからはネタバレになってしまうため、詳しくは述べない。ジョンを待ち受ける運命は哀しくもほろ苦いが、しかし同時にささやかな希望の余韻も残す。彼が人々に示してくれた優しさと思いやり。それは、2016年の今の我々にも必要なものだと言えよう。 そして、本作はその繊細かつ瑞々しい演出のタッチ、夏から秋へかけての季節の移り変わりを叙情的に捉えた美しい映像にも特筆すべきものがある。 監督はロバート・エリス・ミラー。’50年代から『うちのママは世界一』や『ルート66』などのテレビドラマを手がけてきた彼は、ジェーン・フォンダ主演のラブコメディ『水曜ならいいわ』(’66年)で劇場用映画デビュー。キアヌ・リーヴス主演の『スウィート・ノベンバー』(’01)としてリメイクされた『今宵限りの恋』(’68)を経て、本作のゴールデン・グローブ賞作品賞ノミネートで一躍評価されるようになった。 その後、ジェームズ・コバーン主演のコメディ『新ハスラー』(’80)やブルック・シールズ主演のアメコミ活劇『ブレンダ・スター』(’89)など、わりと多岐に渡るジャンルを手がけた人だが、やはり本作のような繊細で美しいドラマに本領を発揮する人だと言えよう。 その証拠とも言うべきが、この次に撮った『きんぽうげ』(’70)。こちらは兄妹のように育ったいとこ同士の男女を主人公に、それぞれが理想の恋人を見つけて4人で共同生活を始めるというお話。フリーセックスの花開く時代を物語るかのように、のびのびとした奔放な恋愛関係を繰り広げていく彼らだが、しかしそんな自由はいつまでも続かない。 嫉妬や束縛。ナイーブな若者たちが目覚めていく人間のどうしようもない性(さが)。楽しい共同生活はやがて終わりを迎え、彼らは人生のままならなさを通じて大人へと成長していく。このほろ苦さ。実はお互いに愛し合っていたのに…という、ある種の近親相姦を匂わせるいとこ同士の複雑な関係は若干余計に感じるが、しかしイギリスやスペイン、イタリア、スウェーデンなどヨーロッパ各国を舞台に、四季折々の美しい街や自然の風景を織り交ぜながら描かれる繊細なドラマは、さすがロバート・エリス・ミラーだと唸らされる。それだけに、後に『ブレンダ・スター』のような凡作を立て続けに撮ってキャリアを終わらせてしまったことが惜しまれる。 最後に素晴らしいキャストについても言及せねばなるまい。主人公ジョンを演じているのはアラン・アーキン。映画デビュー作『アメリカ上陸作戦』(’66)でいきなりアカデミー主演男優賞候補になった彼は、本作でも同賞にノミネート。近年は脇役として変わり者の爺さんなんかを演じており、『リトル・ミス・サンシャイン』(’06)でアカデミー助演男優賞を獲得したことも記憶に新しいだろう。どちらかというとアクの強い個性的な役者だが、本作では穏やかな心優しい青年を素朴な味わいで演じて観客の胸を揺さぶる。 一方、そんな彼と心を通わせる少女ミックを演じるソンドラ・ロックもまた魅力的だ。後に『ガントレット』(’77)や『ダーティファイター』(’78)などでヒロインを演じ、クリント・イーストウッドの公私に渡るパートナーとして活躍。別れる際にひと悶着したことでも話題となったが、そんな彼女も本作ではまだデビューしたての美少女。思春期特有の危うさや脆さを全身で体現しており、なんとも眩いばかりに初々しい。こちらもアカデミー賞の助演女優賞にノミネート。間違いなく彼女の代表作と呼んでいいだろう。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.