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[R15相当]ゾンビ映画の常識を覆す!ブラックユーモアあふれるパロディ満載で描くコメディホラー
『エイリアン』の脚本家ダン・オバノンの監督デビュー作。ジョージ・A・ロメロ監督が確立したゾンビの特徴をことごとく真逆に再設定し、ブラックユーモア満点のパロディや脚本家らしいセリフの妙で楽しませる。
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COLUMN/コラム2021.03.01
“ゾンビ”を発明した男ロメロの最後の挑戦!『サバイバル・オブ・ザ・デッド』
120余年に及ぶ映画の歴史の中で、偉大なる発明と言えるものは、数多ある。そんな中でも、現在日々世に送り出される映画やドラマ、TVゲーム他の創作物に、多大な影響を与えているひとつが、“ゾンビ”であろう。 連日連夜、世界のありとあらゆる所で、スクリーンやモニターを、“ゾンビ”が徘徊している。そして、そんな“ゾンビ”の発明者こそ、本作『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009)の監督、ジョージ・A・ロメロ(1940~2017)であることに、異議を唱える者はまず居まい。 ロメロは弱冠28歳の時に発表した、モノクロ低予算の長編作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)で、“リビングデッド≒ゾンビ”を初登場させた。この作品で彼が現出させたのは、理由が不明のまま死者たちが甦り、生きている人間を襲っては喰い殺す、生き地獄のような世界。噛みつかれた者は確実に、死に至る。そして蘇っては、生者を喰らうようになる…。『ナイト・オブ…』は、続く『ゾンビ』(78)『死霊のえじき』(85)と合わせて、「リビングデッド・トリロジー」と言われる。この3作品でロメロは、“ゾンビもの”というジャンルを映画の世界に創り出し、確立したのである。 ロメロ作品以前にも、“ゾンビ”という名のモンスターは、存在した。そしてスクリーンにも登場していた。 それは西インド諸島のハイチに伝わる民間伝承を元にしたもので、ブードゥー教の司祭によって蘇らされた、歩く死体を指す。こちらの元祖“ゾンビ”は、生者の奴隷として働かされ、人肉を喰らうことなどない。1960年代中盤生まれの筆者の世代が、幼少時に“世界のモンスター図鑑”のような書籍で目の当たりにした“ゾンビ”は、こちらの方である。 付記しておけば、ロメロが自ら創造した“リビングデッド”に、“ゾンビ”と言う名を冠した事実はない。それは他者によるネーミングであるが、“トリロジー”の第2作、原題『DAWN OF THE DEAD=死者たちの夜明け』が、ヨーロッパや日本で公開される際に、『ゾンビ』というタイトルが付けられたことで、決定的になったものと思われる。 いずれにしろ人を喰う“ゾンビ”が登場する作品で、ロメロの影響を受けていないものは、ジャンルを問わず、皆無と言っても良い。ロメロが居なければ、「バイオハザード」も、「ウォーキング・デッド」も、「アイアムアヒーロー」も、『カメラを止めるな!』(17)も存在しなかったのである。 それにしても、架空のモンスターに過ぎない“ゾンビ”が、なぜここまで市民権を得て、持て囃されるようになったのか?その一因として、社会のリアルな現実や世相を創作物に投影するのに、実に都合が良い存在であることが挙げられる。 元々オリジナルの『ナイト・オブ…』のモチーフは、“ベトナム戦争”である。続く『ゾンビ』では、死して尚巨大なショッピングモールに集まってくる“ゾンビ”たちが、消費社会でコマーシャリズムに踊らされる現代人へのアイロニーであることは、あまりにも有名だ。 ロメロに続く“ゾンビもの”の中で、例えば韓国製の『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)で起こるゾンビ禍には、“朝鮮戦争”が重ねられている。また多くの作品で、死者が“ゾンビ”化する原因に、生物兵器の流出や疫病によるパンデミックを紐づけるのは、市井の者が抱くリアルな不安が、反映された結果であろう。 さて、そんなすべての“祖”であるロメロだが、“トリロジー”最終作の『死霊のえじき』以降は、暫し“ゾンビもの”から離れる。その時点で、このジャンルでやれることは「やりつくした」のは事実だった。またクリエイターとして、“ゾンビもの”だけで終わりたくないという思いも、あったのだろう。 しかしロメロは、それまでの“ゾンビもの”とは勝手が違う、例えば『ダーク・ハーフ』(93)のような、製作費が高額でスターを起用したメジャー作品では、観客や批評家の支持を得ることが、出来なかった。また常に幾つかの企画を抱えながらも、クランクイン直前で頓挫というケースも、続いたのである。 しからば改めてということか、“ゾンビもの”を監督する企画が浮上したこともあった。こちらも結局は、製作サイドやスポンサーと折り合いがつかず、実現することはなかった。 結局『死霊のえじき』で“トリロジー”にピリオドを打った85年以降の20年間は、長編の監督作品は3本しかなかった、ロメロ。猛然とスパートを掛けたのは、2000年代後半のことだった。『ランド・オブ・ザ・デッド』(05)『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(09)…。“ゾンビもの”を連発したのである。 この“新三部作”の口火を切った『ランド・オブ…』では、“ゾンビ”の侵入をフェンスで阻む街に於いて、人間界が富裕層と貧困層に大別されている。バリバリ社会批判を盛り込んだこの物語は、時系列的には、『ナイト・オブ…』にはじまる“リビングデッド・トリロジー”の流れを汲む。“トリロジー”の、いわば外伝的な内容と言える。 一方、それに続く『ダイアリー・オブ…』は、“トリロジー”から離れた新たなタイムライン、別次元での“ゾンビ”発生からスタートする物語。そしてそのアプローチも、挑戦的且つ大変ユニークなものとなっている。 卒業製作で作品を撮影中の映画学科の大学生が、“ゾンビ”発生という未知の事態に遭遇し、そのままカメラを回し続ける。即ち『ダイアリー・オブ…』は、主観映像によるフェイクドキュメンタリータッチの作品なのである。 そしてそれに続く『サバイバル・オブ…』は、時系列的には、『ダイアリー・オブ…』から連なる物語となっている。 死者がよみがえるようになった世界。アメリカのデラウェア州沖に浮かぶプラム島では、島を二分する、オフリン一族とマルドゥーン一族の対立が、激化していた。 オフリンは、死んで“ゾンビ”となった者は、頭を撃ち抜いて脳を破壊。永遠の眠りに就かせるべきだと主張し、次々と実行。一方マルドゥーン側は、死者が“ゾンビ”となっても、神の思し召しとして、そのまま生かしておくべきという考えだった。 一族の長パトリックをリーダーとするオフリン側は、マルドゥーンとの争いに敗れる。そして島外へと、追放されてしまう。 それから3週間後の、ペンシルベニア州フィラデルフィア。軍から脱走した元州兵のブルーベイカーたちは、強盗を続けて、糊口をしのいでいた。 そんな時に出会った少年から、ブルーベイカーたちは、ネットで見付けた「安全な島」の情報を知らされる。彼らはその情報を信じ、その島=プラム島へと向かうことを決める。 成り行きで、島から追放されたパトリック・オフリンも伴うことになった彼らは、半信半疑で島へと渡る。そこで見たものは、鎖につながれて生前の行動をなぞるように繰り返す“ゾンビ”たちだった。そしてそれは、“ゾンビ”を生かしておくべきと考える、マルドゥーンの仕業だった。 怒りの炎を燃やしたパトリックは、マルドゥーンに対する復讐を企てる。オフリン一族とマルドゥーン一族の戦いは、よそ者である元州兵たちを巻き込んで、再燃するのだった…。 『サバイバル・オブ…』に関しては一見した瞬間、ウィリアム・ワイラーが監督した、『大いなる西部』(58)のリメイク的な内容であることに気付く方が、少なくないであろう。テキサスが舞台の『大いなる西部』では、水源を巡って2つのファミリーが対立しているのだが、それを“ゾンビ”の処し方に置き換えた形だ。 一体なぜ、こういった内容の作品になったのか?実は前作『ダイアリー・オブ…』が、世界中にセールスされて黒字になったのを受けて、製作サイドからもう1本、何か“ゾンビもの”が撮れないかという提案が急遽あった。しかしロメロには、ちょうど手持ちのアイディアがなかったのである。 そこで思い付いたのが、ロメロ自身が大好きな西部劇の名作『大いなる西部』を、“ゾンビもの”として、現代に蘇らせるというプロジェクト。これならば、人間の愚かしさや不毛な対立劇という普遍的なテーマに、“ゾンビもの”に不可欠な、ガンアクションも盛り込めるというわけだ。 製作費は300万㌦で撮影期間は24日間という、前作『ダイアリー・オブ…』を下回る、過酷な撮影条件だったが、これはロメロにとっては、意義のある挑戦だった。成功すれば、“ゾンビもの”という枷さえ受け入れれば、ジャンルを横断した、意欲的な試みを行うことができるという証になる筈だった。 しかし残念なことに、『サバイバル・オブ…』は、アメリカでまともに劇場公開されることなくソフト化。世界中で製作費の10分の1である30万㌦しか稼ぎ出せず、ロメロの“ゾンビもの”6本の中で、唯一大コケした作品となってしまったのである。 2000年代後半、年齢的には60代後半に、一気呵成に3本の“ゾンビもの”を撮り上げたロメロ。しかし『サバイバル・オブ…』の興行的失敗が祟ったか、2010年代、70代に突入したその後は、沈黙を守ることとなる。 もうロメロの新作は、見られないのか?そんなことを人々が思うようになった頃、2017年6月、ロメロの新たな“ゾンビもの”の企画が明らかにされた。『ロード・オブ・ザ・デッド』!メガフォンは取らないものの、ロメロが共同脚本と製作手掛けるということだった。 ところがその1か月後の、7月17日。ロメロの訃報が、世界を駆け巡った。そして『ロード・オブ…』は、数多いロメロの幻の企画の中の1本となってしまったのである。 それから4年、“新型コロナ禍”で、全世界が恐怖と不安に包まれている今だからこそ、心して観よう!「映画史を変えた男」の最後の“ゾンビもの”にして、“遺作”となってしまった、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』を!! 偉大なるジョージ・A・ロメロの魂と無念を、大いに感じ取って欲しい。■ 『サバイバル・オブ・ザ・デッド』© 2009 BLANK OF THE DEAD PRODUCTIONS INC. ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
サバイバル・オブ・ザ・デッド(2009)
[R15相当]人間同士がゾンビ牧場で決闘!ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロがホラーと西部劇を融合
ジョージ・A・ロメロ監督が前作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』のサブキャラを主役に描いた最後のゾンビ映画。ゾンビ調教派と抹殺派との対立を西部劇テイストで彩り、戦争への警鐘というメッセージを訴える。
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COLUMN/コラム2018.11.16
『ゾンビ』のバージョン乱立の裏話(ロメロ本人によるインタビュー証言あり!)
■「ディレクターズ・カット版」とは? コアなファンにはいささか基礎的な話になるかもしれないが、この機会に整理しておきたい。 『ゾンビ』には大別して二つのバージョンがある。ひとつは本作の監督であるジョージ・A・ロメロ自身が編集を手がけた127分の「米国劇場公開版」。そしてもうひとつは、製作を担当したダリオ・アルジェントの監修のもとで編集された119分の「ダリオ・アルジェント監修版」だ。ストーリーは同じだが、細かなシーンの有無やサウンドトラック、残酷シーンなどに違いが確認できる。ちなみに1978年、日本で劇場初公開されたのは後者で、1985年に国内で初ビデオリリースされたときは、前者がマスターとして採用された。 今回の「ディレクターズ・カット版」は、前者である「米国劇場公開版」がキチンと形となる前のもの。ロメロが1978年の2月に本作の撮影を終え、同年5月に開催されたカンヌ映画祭のフィルムマーケットに出品するために、発表を急いだ粗編集のバージョンである。「米国劇場公開版」よりも12分長く、同バージョンにはないシーンがいくつも含まれている。代表的なものを以下に列記すると、 ■巡視艇基地でフラン(ゲイラン・ロス)とスティーヴン(デヴィッド・エムゲ)が強盗たちに詰め寄られるシーン。■神父がピーター(ケン・フォリー)とロジャー(スコット・H・ライニガー)に話すセリフが多い。■移動中のヘリでの会話が長い。■ピーターとロジャーがショッピングモールの管理室から偵察に出て、もう一度戻るシーン。■クリシュナ教信者姿のゾンビを撃退したあと、フランが「みんなこの場所に夢中で現実を見失っている。ここは刑務所と同じ」とスティーヴンに話すシーン。■ロジャーが死んだ後、3人がモール内での生活を送るシーンが「米国劇場公開版」よりも長い。 このカンヌに出品されたものは、ホラーやSF関連のコンベンションやカレッジなどでも上映され、正式なバージョンでないにもかかわらず、知る人には知られる存在となっていた。四つ星評価で有名な映画評論家レナード・マーティンのムービーガイドブック“Leonard Maltin's Movie Guide”には、かなり以前からこのロングバージョンのことが記されており、また日本では1985年にパイオニアLDCからリリースされた『ゾンビ』のレーザーディスクに封入されているライナーノーツ(執筆は光山昌男氏)にもこの『米国劇場公開版よりも長いバージョンのことが細かく触れられていた(同ライナーノーツでは『ゾンビ/アンカット・アンド・アンセンサード』と仮称) それから9年後の1994年。このロングバージョンは『ゾンビ/ディレクターズ・カット完全版』(ディレクターズ・カット版)というタイトルを得て、東京国際ファンタスティック映画祭にて日本で初上映され、新宿シネパトスを封切りに劇場公開されることになる。 ■ロメロ監督自身による「ディレクターズ・カット版」の位置付け こうした性質上、ロメロ本人はこれを正式な監督承認のものとは明言していない。同バージョンは前述したように、あくまで粗編集のものであって、完成した「米国劇場公開版」が監督自身の認めるバージョンである。そのため一般的に本国では、この「ディレクターズ・カット版」は「エクステンデッド・エディション(拡張版)」という呼称がなされている。 以下のインタビュー発言は2010年4月8日、筆者が『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(09)のプロモーションでロメロに取材をしたときのものだ。雑誌用に起こした文字テキストから、使わなかった部分でこうした会話が交わされている。 ——『ゾンビ』には監督の手がけたバージョンは127分のアメリカ劇場公開版と、139分のエクステンデッド・エディション(ディレクターズ・カット版)がありますね。 ロメロ 僕自身、いろんなバージョンが出ているのは知ってるんだけど、それぞれのバージョンを全部は観ていないし、どれがどれだかよくわからない。契約上ダリオ・アルジェントがヨーロッパの公開版の権利を有し、彼がカットするという条件だった。それは彼の方がヨーロッパの観客の好みを知っていて、僕のほうがアメリカの好みを知ってるからっていうことで、だから僕がアメリカ公開版をカットした。それがオリジナル版かと言われればそれかもしれないし、ダリオのカットしたものもあるし、僕が一番最初にオリジナルをカットしたものもある。だから何をもってオリジナルかというのはわからないし、よく特典映像とか言って誰も観ていない映像ってのがあるけど、そういうのは僕も見てないくらいでね(笑)。いったい誰が撮ったんだというような映像があるもんね、『ゾンビ』には。 ——僕が知りたかったのが、ダリオ・アルジェント側に渡したという編集素材用の3時間ラフ・カットバージョンが存在するというのがあって、それは噂の域を出てなかったんですけども、それは本当に存在するんでしょうか? ロメロ ノーノー(笑)、あの作品を僕はそんなに撮影してないってば。 ■バージョン違いが生まれた背景 同作の熱心なファンとの温度差を覚える淡白な回答だが、ではなぜ「ディレクターズ・カット版」という、あたかも監督承認のようなタイトルがつけられたのか? これは1992年に公開された『ブレードランナー ディレクターズ・カット最終版』以降、興行的に耳馴染みのあるワードや語感を優先し、従来のものとバージョンの異なる作品を総じて「ディレクターズ・カット」と呼ぶ傾向にあり、本作もそれに準じたものといっていい。しかしロメロは自分で編集をおこなう監督だし、ディレクターズ・カットという呼称に決して偽りはない。むしろ粗編集版をさらに刈り込んでいるだけに「エクステンデッド・エディション」という呼び名にこそ違和感が残る。 なにより承認の有無にかかわらず、完成版を作っていくうえで、何が必要で何が切り落とされていくのか、その過程がうかがえるだけでも「ディレクターズ・カット版」は興味深いバージョンだ。まさに国文学の世界における「原典」と「異本」の関係にも似て、考古学的な興味を大いに喚起させられるものといえるだろう。 そもそも、なぜこうしたバージョン違いが生じたのかは、ロメロが言及したとおり流通権の分与が起因となっている。国内での資金調達に限界を覚えたロメロと製作会社「ローレル・グループ・エンタテインメント」の代表リチャード・P・ルビンスタインは、資金援助を海外に求め、同社の渉外担当であるアーヴィン・シャピロを通じて『ゾンビ』の脚本を海外の映画関係者に配布。それに反応したのが、当時最新鋭のサラウンド音響設備を活かしたいという理由で作品を探していた、プロデューサーのアルフレッド・クオモだったのだ。加えて氏がダリオ・アルジェンドへと脚本を手渡し、彼らはヨーロッパと極東、そして日本など英語圏以外の権利と引き換えに、イタリアの映画製作会社「ティタヌス」に流通権を販売。投資をバックアップしたのである。 また質問の後ろに出て来る「3時間バージョン」というのは、撮影と並行して作成され、アルジェント側にも編集の元として送られたワークプリントで「ディレクターズ・カット版」のさらに前段階のものだ。3時間は大げさだとロメロに否定されたが、実際それは2時間30分に及び、その一部は同作の秀逸なドキュメンタリー『ドキュメント・オブ・ザ・デッド』(85)の作中で見ることができる。だが残念なことに撮影監督のマイケル・ゴーニックによれば、これらの素材はすべて破棄されたという。◾️ ©1978 THE MKR GROUP INC. All RIGHTS RESERVED.
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クリープショー
怖すぎて面白い!ジョージ・A・ロメロ&スティーヴン・キングが夢のタッグを組んだオムニバス・ホラー
スティーヴン・キングが考案したブラックユーモア満点の恐怖エピソード全5話をジョージ・A・ロメロが映像化。さらに特殊メイクの達人トム・サヴィーニも加わる豪華布陣だ。キングは第2話の主役も熱演している。
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死霊のえじき
[R15+]ついに地上はゾンビに支配された…ジョージ・A・ロメロ監督が衝撃を放つゾンビ3部作の完結編
ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロによるゾンビ3部作の完結編。わずかに生き残った人類が地下施設で取り組むゾンビの生態研究が異様。大量のゾンビが虐殺を繰り広げるクライマックスは直視できないほど壮絶。
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(吹)死霊のえじき
[R15+]ついに地上はゾンビに支配された…ジョージ・A・ロメロ監督が衝撃を放つゾンビ3部作の完結編
ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロによるゾンビ3部作の完結編。わずかに生き残った人類が地下施設で取り組むゾンビの生態研究が異様。大量のゾンビが虐殺を繰り広げるクライマックスは直視できないほど壮絶。
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ゾンビ[ディレクターズ・カット版]
ジョージ・A・ロメロ監督自らの編集で恐怖度がアップ!いまだ衝撃が色あせないゾンビ映画の金字塔
ゾンビ映画の最高峰をジョージ・A・ロメロ監督自ら編集し直したディレクターズカット版。生存者たちのドラマを膨らませると同時にゾンビの虐殺シーンも長くなり、より殺伐とした恐怖感が高まっている。
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28日後…
[PG-12]ゾンビの脅威が猛スピードで迫る!鬼才ダニー・ボイル監督が放つ新感覚サバイバルホラー
『ザ・ビーチ』の原作者アレックス・ガーランドによる書き下ろし脚本をダニー・ボイル監督が映画化。俊敏に動く新たなゾンビ像で震え上がらせる一方、ゾンビの生みの親ジョージ・A・ロメロ監督作へのオマージュも。
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ダイアリー・オブ・ザ・デッド
ゾンビ映画の開祖ロメロ監督が、流行りのPOV(主観撮影)で描く、臨場感あふれるゾンビ・ホラー!
ゾンビ映画の開祖、『ゾンビ』のロメロ監督による、正統な21世紀「デッド」シリーズ第2弾。『クローバーフィールド』などで近年流行の、登場人物の持つカメラの視点で映画を描く”POV”を導入、臨場感を高めている。