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PROGRAM/放送作品
クリスタル殺人事件
ロンドン郊外の殺人事件で、ミス・マープルが大活躍するアガサ・クリスティのミステリー!
アガサ・クリスティ『鏡は横にひび割れて』原作。『オリエント急行殺人事件』、『ナイル殺人事件』に続いて豪華キャストで贈るミステリー。ロンドン郊外の町で起こった殺人事件をミス・マープルが解いていく!
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COLUMN/コラム2024.03.01
ミステリー・ファンを魅了してきたアガサ・クリスティ映画の軌跡
ミステリーの女王は自作の映画化に後ろ向きだった? アカデミー賞で6部門にノミネートされた『オリエント急行殺人事件』(’74)の大ヒットをきっかけにブームとなったアガサ・クリスティ映画シリーズ。折しも、’50年代半ばから’60年代にかけて、スタジオシステムの崩壊やテレビの普及などの影響で低迷したハリウッド映画界が、ニューシネマの時代を経て往時の勢いと輝きを取り戻しつつあった当時、キラ星の如きオールスター・キャストに贅の限りを尽くした美術セットと衣装、セックスやバイオレンスよりも謎解きのトリックとメロドラマを楽しむ優雅なストーリーなど、まるで黄金期のハリウッド映画を彷彿とさせるようなグラマラスなゴージャス感が、世界中の映画ファンを虜にしたのである。3月のザ・シネマでは「ミステリーな春/アガサ・クリスティ特集」と銘打って、当時のシリーズ作品の中から『ナイル殺人事件』(’78)に『クリスタル殺人事件』(’80)、『地中海殺人事件』(’82)を放送。そこで、今回は同シリーズを中心としたアガサ・クリスティ映画の軌跡を振り返ってみたい。 「ミステリーの女王」として世界中の推理小説に多大な影響を与えたイギリスの推理作家アガサ・クリスティ。なにしろ知名度の高いスター作家ゆえ、その作品は古くから映画化されてきた。最も古い映画化作品は「謎のクイン氏」シリーズ第1弾「クイン氏登場」を原作とするイギリス映画『The Passing of Mr. Quin』(’28・日本未公開)とされているが、最初の重要な作品はフランスの巨匠ルネ・クレールがクリスティの同名小説をハリウッドで映画化した『そして誰もいなくなった』(’45)であろう。 とある島の豪邸に招かれた10名の客人と召使いが、童謡「10人のインディアン」の歌詞になぞらえて次々殺されていくという傑作ミステリー。そもそも原作小説がクリスティの代表作として名高い傑作ゆえ、その映画版も極めて完成度が高かった。その後、イギリスの有名なB級映画プロデューサー、ハリー・アラン・タワーズが原作の映画化権を入手し、『姿なき殺人者』(’65)に『そして誰もいなくなった』(’74)、『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』(’89)と3度に渡って映画化。中でも、’74年版の『そして誰もいなくなった』は同年公開された『オリエント急行殺人事件』を強く意識し、オリヴァー・リードにリチャード・アッテンボロー、シャルル・アズナヴール、エルケ・ソマーなどヨーロッパ映画界のビッグネームをズラリと揃えたオールスター・キャスト映画だった。 また、『サンセット大通り』(’50)や『お熱いのがお好き』(’59)の巨匠ビリー・ワイルダーが、クリスティの「検察側の証人」を映画化した『情婦』(’57)も評判となり、アカデミー賞で6部門にノミネート。’60年代にはイギリスの名脇役女優マーガレット・ラザフォードが素人探偵ミス・マープルを演じた『ミス・マープル/夜行特急の殺人』(’61)が大ヒットし、以降も3本の続編が作られるほどの人気シリーズとなったものの、しかし「ABC殺人事件」を映画化した『The Alphabet Murders』(’65・日本未公開)を最後にアガサ・クリスティ作品の映画化がしばらく途絶えてしまう。というのも、同作は小説版をコメディへと大胆に改変したのだが、これを見た原作者のクリスティは大いに失望したのである。そもそも、それまでの映画化作品の多くも、彼女にはいろいろと不満ありだったらしい。これ以降、原作「終わりなき夜に生まれつく」をほぼ忠実に映画化した『エンドレス・ナイト』(’71)を唯一の例外として、クリスティは自作の映画化を許可しなくなってしまった。 シリーズは『オリエント急行殺人事件』から始まった 時は移って’70年代初頭。シェイクスピア映画『ロミオとジュリエット』(’68)で有名なプロデューサー・コンビ、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンは、英国ロイヤル・バレエ団が着ぐるみで動物を演じる異色のバレエ映画『ピーター・ラビットと仲間たち』(’71)を大ヒットさせる。同作は共産圏のソヴィエトでも評判となり、グッドウィンはモスクワへ招待されることになった。本人の記憶だと’73年頃のことだという。その際、彼は当時まだ小学生だった娘デイジーを同伴したのだが、モスクワ滞在中に彼女は持参した本をずっと夢中になって読んでいた。それがアガサ・クリスティの小説「オリエント急行の殺人」だったのである。特にこれといってクリスティのファンではなかったというグッドウィンだが、娘に誘発されて自分も読んでみたところハマってしまったのだそうだ。 これは絶対に映画化すべきだと考えたグッドウィンだが、しかしクリスティが自作の映画化をなかなか許可しないという情報も知っていた。そこで一肌脱いだのがビジネス・パートナーのブレイボーン卿である。実はブレイボーン卿の妻パトリシアはヴィクトリア女王の玄孫にしてエリザベス2世の三又従妹、義理の父親ルイス・マウントバッテン伯爵はインド総督も務めた伝説的な海軍元帥で、ブレイボーン卿本人も由緒正しい男爵家の次男坊。さらに、住まいもクリスティのご近所さんだった。その人脈をフル稼働してクリスティの自宅を訪ね、映画化の説得を試みたブレイボーン卿。すると、彼とグッドウィンが『ピーター・ラビットと仲間たち』のプロデューサーだと知ったクリスティは、あの映画と同じくらい原作へ敬意を払ってくれるのであれば…という条件のもとで映画化を許可してくれたのである。 イギリスのEMIとアメリカのパラマウントが予算を半分ずつ提供することになり、監督はハリウッドの名匠シドニー・ルメットに決定。当初、ブレイボーン卿もグッドウィンも英国映画らしい小規模でリアリスティックなミステリー映画を想定していたが、しかしルメットはグラマラスなオールスター映画に仕立てるつもりだった。なにしろ、物語の時代設定はハリウッド黄金期の’30年代半ば。トルコのイスタンブールとフランスのパリを結ぶ豪華絢爛な国際寝台列車・オリエント急行を舞台に、優雅な上流階級の人々が絡んだ殺人事件の謎を名探偵エルキュール・ポワロが解明する。古き良きハリウッド・スタイルを再現するには格好の題材だ。 そのうえ、当時は『大空港』(’69)や『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)、『タワーリング・インフェルノ』(’74)など、オールスター・キャストのパニック映画がブームになっていた。なんといっても、スターが雲の上の存在だったハリウッド黄金期の伝説的スターや名バイプレイヤーたちが、まだまだ存命だった時代である。今や名前だけで客を呼べるような映画スターはトム・クルーズくらいになってしまったが、当時のハリウッドにはネームバリューのある新旧映画スターが大勢ひしめき合っていた。オールスター映画の人材には事欠かなかったのである。 ショーン・コネリーやジャクリーン・ビセットといった当時旬のトップスターから、ローレン・バコールにイングリッド・バーグマンなどハリウッド黄金期の大スター、ジョン・ギールグッドにウェンディ・ヒラーなど英国演劇界のレジェンドに、マーティン・バルサムやレイチェル・ロバーツなどの名バイプレイヤーと、総勢14名もの錚々たる役者たちが勢ぞろい。主人公である名探偵ポワロ役には、当時「ローレンス・オリヴィエの後継者」と目されていた天下の名優アルバート・フィニーが起用された。 かくして完成した『オリエント急行殺人事件』は全米の年間興行成績ランキングで11位という大ヒットを記録。先述したようにアカデミー賞で6部門にノミネートされ、イングリッド・バーグマンが助演女優賞に輝いた。原作者のクリスティも出来栄えに大満足。この成功に手応えを感じたブレイボーン卿とグッドウィンは、アガサ・クリスティ映画の第2弾を企画する。それが、’76年のクリスティ死去を挟んだことから完成までに時間のかかったジョン・ギラーミン監督の『ナイル殺人事件』(’78)である。 ロケ地エジプトの灼熱と不便さに悩まされた『ナイル殺人事件』 原作は「エルキュール・ポワロ」シリーズの「ナイルに死す」。今回はエジプトのナイル川を下る豪華客船で大富豪の令嬢リネット(ロイス・チャイルズ)が銃殺され、たまたま友人(デヴィッド・ニーヴン)と乗り合わせた名探偵エルキュール・ポワロ(ピーター・ユスティノフ)が犯人捜しに乗り出したところ、乗客たちの誰もがリネットに対して強い恨みを抱いていたことが判明する。リネットに婚約者(サイモン・マッコンキンデール)を奪われた元親友にミア・ファロー、リネットの宝石を狙うアメリカの大富豪夫人にベティ・デイヴィス、その付添人マギー・スミスは実家がリネットの両親のせいで破産し、自由奔放なロマンス作家アンジェラ・ランズベリーはリネットから誹謗中傷で訴えられ、その大人しい娘オリヴィア・ハッセーはリネットに嫉妬し、筋金入りの社会主義者ジョン・フィンチは特権階級のリネットを蔑み、メイドのジェーン・バーキンはリネットに結婚を反対され、ドイツ人の医師ジャック・ウォーデンはリネットにヤブ医者扱いされ、顧問弁護士ジョージ・ケネディはリネットの資産を使い込んでいた。要は、乗客の全員にリネットを殺す動機があったのだ。 名探偵ポワロ役は、前作のアルバート・フィニーからピーター・ユスティノフへ交代。役柄よりも実年齢がだいぶ若かったフィニーは、ポワロ役を演じるためのメイクが嫌で再登板を断ったとも伝えられるが、いずれにせよ原作のポワロに年齢も体型も近いユスティノフの起用は大正解だったと言えよう。おかげで、ポワロは彼の当たり役となり、以降も映画やドラマで繰り返し演じることになる。脇を固めるキャスト陣も、前作に負けず劣らず豪華!チョイ役にも、サム・ワナメイカーやハリー・アンドリュースなどの名優が顔を出している。 また、今回はエジプトのナイル川や古代遺跡で実際にロケをした観光映画としても見どころが盛りだくさん。豪華客船は1901年に製造された古い蒸気船をカイロで発見し、ボロボロだった床板などを撮影のために修復した。エジプトは気温が高いため、午後のロケ撮影は不可能。1日の撮影を午前中で終えなくてはならないことから、スタート時刻は早朝4時だったという。毎朝一番に現場へ現れ、誰よりも先に準備を終えていたのが、当時69歳だった大女優ベティ・デイヴィス。最年長の彼女がお手本を示したことで、共演者の誰もが遅刻することなく時間を守ったのだそうだ。なお、砂漠のど真ん中では夜間撮影用の照明をたく電源が確保できず、そのため夜間シーンはロンドン郊外のパインウッド・スタジオに豪華客船のセットを組んで撮影。そもそも、当時のエジプトはまだ発展途上国だったことから、例えばロンドンと連絡を取るにしても1日20分のテレックスしか通信手段がないなど、かなり不便なことが多かったようだ。 さらに、本作でアカデミー賞に輝いたアンソニー・パウエルのデザインによるお洒落な衣装も大きな見どころ。舞台が’30年代半ばということで、基本的には当時のファッション・トレンドを基調にしているものの、しかし中高年女性のキャラクターにはそれよりも古い時代のスタイルを採用したという。なぜなら、人間は往々にして人生で最も幸せだったり、最も元気だったりした若い頃の流行に執着してしまうものだから。なので、ベティ・デイヴィスの衣装は1910年代風、アンジェラ・ランズベリーの衣装は1920年代風に仕立てられている。 どれもエレガントで豪華で洗練されたコスチュームばかりだが、中でも特に印象的なのはミア・ファローがエジプトで着ているストライプ柄のノースリーブ・トップス。実はこれ、使い古しの布巾をリメイクしたものだったらしい。華奢な体型のミアに似合うような、’30年代風のゆったりしたパジャマ・トラウザーをデザインしたパウエルは、これに合うようなリゾートスタイルのノースリーブ・トップスを作ろうとするも、しっくりくる生地がどこを探しても見当たらなかったという。仕方なく作業場へ戻ってきたところ、ストーブにぶら下がっている汚れた布巾が目に入った。これはフランシス人アシスタントの母親が持ち込んだ私物で、衣装部スタッフのために作業場で料理を作る際に使っていたらしい。よく見ると、ストライプ柄がパジャマ・トラウザーにピッタリ。そこで、汚れを落とすために何度も何度も繰り返し煮沸したうえで、トップスの生地として使用したのだという。ただし、臭いまで落としきることは出来なかったらしく、何も知らないミアは「誰かニンニクでも食べた?」と首を傾げていたそうだ(笑)。 アメリカでは前作ほど客足が伸びなかったものの、ヨーロッパやアジアでは大ヒットした『ナイル殺人事件』。リチャード・グッドウィンによると、中でも日本の興行成績は良かったという。まあ、「ミステリー・ナイル」という日本独自の主題歌を宣伝に使ったり、地方では同時上映にアニメ『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(’78)をブッキングしたりと、配給会社の戦略が功を奏した面もあったろうが、その一方でちょうど70年代の日本で海外旅行ブームが盛り上がっていたことも、少なからず影響していたのではないかとも思う。依然として庶民にとっては高根の花だった海外旅行だが、しかしそれでも頑張れば手が届くかもしれない夢…くらいには身近になりつつあった時代。テレビドラマ『Gメン’75』の香港ロケやヨーロッパ・ロケが話題となったように、海外観光への興味や関心も高まっていたように記憶している。エジプトの観光映画を兼ねた本作が、そんな日本人の海外旅行熱を刺激したとしてもおかしくはなかろう。 毒のあるブラック・ユーモアも楽しい『クリスタル殺人事件』 この『ナイル殺人事件』のスマッシュヒットを受けて、矢継ぎ早に作られたのが「鏡は横にひび割れて」を映画化した『クリスタル殺人事件』だ。監督は前作のジョン・ギラーミンから007映画で名を上げたガイ・ハミルトンへバトンタッチ。もともと原作本は『オリエント急行殺人事件』のヒットに便乗しようとしたワーナーが映画化を発表していたものの、最終的にジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンが権利を手に入れたというわけだ。 今回は風光明媚なイギリスの片田舎が舞台。舞台は1953年である。住民の誰もがみんな顔見知りという小さな村で、ハリウッド映画のロケ撮影が行われることとなり、久しぶりに現役復帰する大女優マリーナ(エリザベス・テイラー)を囲んだレセプションパーティで殺人事件が起きる。マリーナの大ファンである地元女性が毒殺されたのだ。ところが、目撃者の証言から毒入りカクテルはもともとマリーナのものだったことが判明。つまり、被害者女性は誤って毒入りカクテルを飲んでしまっただけで、犯人の本来のターゲットはマリーナだった可能性が浮上したのだ。そこで、村でも有名なゴシップ好きで推理好きの老女ミス・マープル(アンジェラ・ランズベリー)が、甥っ子であるロンドン警察の主任警部ダーモット(エドワード・フォックス)と組んで真相の究明に乗り出す。 恐らく、オールスター・キャストの顔ぶれはシリーズ中で本作が最も豪華かもしれない。物語の時代設定が’50年代ということで、往年の大女優マリーナにエリザベス・テイラー、その夫で映画監督のジェイソンにロック・ハドソン、マリーナとは犬猿の仲のライバル女優ローラにキム・ノヴァク、そしてローラの夫でプロデューサーのマーティにトニー・カーティスと、’50年代のハリウッド映画を代表するトップスターが勢ぞろい。当時、テイラー自身もマリーナと同じくキャリアのスランプに陥っており、劇中のセリフでも揶揄される体重の増加や容姿の衰えをいたく気にしていたそうだが、しかしロック・ハドソンとは『ジャイアンツ』(’56)で共演して以来の大親友だし、ミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーとも『緑園の天使』(’44)で姉妹役を演じた仲だし、トニー・カーティスも古い友人。昔からの仲間が一緒ならば心強いということで、3年ぶりの本格的な映画出演となる本作のオファーを引き受けたのだそうだ。 主演のアンジェラ・ランズベリーはクリスティの原作で描かれるミス・マープルを忠実に再現。当初、ランズベリーは3本の映画でミス・マープルを演じる契約をEMIと結んでいたが、しかし残念ながら興行的に不入りだったため彼女のミス・マープルはこれっきりとなってしまった。ただ、後に主演して代表作となったテレビ・シリーズ『ジェシカおばさんの事件簿』(‘84~’96)の主人公ジェシカ・フレッチャーは、明らかに本作のミス・マープル役を下敷きにしており、そういう意味では彼女にとって重要な作品だったと言えよう。そのほか、ジェラルディン・チャップリンにエドワード・フォックスも登場。ガイ・ハミルトンが手掛けた『007/ダイヤモンドは永遠に』(’71)の悪役チャールズ・グレイがマリーナの執事役を演じているのも見逃せない。 そんな本作が過去2作品と決定的に違うのは、毒っ気たっぷりのブラック・ユーモアがふんだんに盛り込まれている点であろう。特にマリーナとローラによる女優同士の嫌味と悪口の応酬はなかなか過激(笑)。「顔の皴で線路が出来る」とか、「目の下のたるみよ、ドリス・デイに飛んでいけ」とか、ビッチ丸出しなセリフの数々に思わず大爆笑だ。ちなみに、ドリス・デイは’50年代にロック・ハドソンと数々のロマンティック・コメディで主演コンビを組んだトップ女優。もちろん、それを大前提としての辛辣な内輪ジョークである。これらのセリフを書いたのは『カンサス・シティの爆弾娘』(’72)や『面影』(’76)の脚本家バリー・サンドラー。本人はオープンリー・ゲイなのだそうだが、なるほど確かにクイアーなユーモアのセンスをしていますな。もともと本作の脚本はジョナサン・ヘイルズが単独で手掛けていたものの、しかし原作に忠実過ぎて面白みがないと感じた製作陣の依頼で、サンドラーがリライトを担当したのだそうだ。 シリーズに終止符を打った『地中海殺人事件』 そして、結果的にシリーズ最終作となったのが『地中海殺人事件』(’82)。やはり前作の不入りで予算が大幅に減ったのか、どうも全体的に出がらし感が否めない。監督はガイ・ハミルトンが続投。脚本は『ナイル殺人事件』のアンソニー・シャファーが再登板し、前作のバリー・サンドラーがノー・クレジットでリライトを手掛けている。前回のエリザベス・テイラーとキム・ノヴァク同様、本作でもダイアナ・リッグとマギー・スミスが女同士のいがみ合いで火花を散らせるが、その毒舌ユーモアたっぷりの際どいセリフを再びサンドラーが担当したのだそうだ。 で、そのマギー・スミスを筆頭に、ピーター・ユスティノフとジェーン・バーキン、コリン・ブレイクリーにデニス・クイリーが2度目のシリーズ出演。まあ、名探偵ポワロ役のユスティノフは仕方ないにせよ、メインキャスト10人中の半分が再登板というのはいかがなもんだろうかとは思う。その他のキャストも、映画界のレジェンドと呼べるのはジェームズ・メイソンくらいか。ダイアナ・リッグは確かに一世を風靡した女優だが基本的にはテレビ・スターだし、シルヴィア・マイルズはニューシネマで頭角を現したアングラ女優だし、ロディ・マクドウォールも名子役出身の性格俳優だしと、オールスター映画を謳うにはちょっとばかり顔ぶれが弱いことは否めない。 とはいえ、芸能界で敵ばかり作って来た大女優がバカンス先のリゾート・ホテルで殺されるというストーリーは、いかにもアガサ・クリスティらしいゴシップ紙感覚の愛憎劇で面白いし、最大の目玉である謎解きのトリックも当然ながら良く出来ているし、なおかつロケ地となったスペインのマヨルカ島の美しい景色も非常に魅力的。『ナイル殺人事件』以来となる、アンソニー・パウエルの手掛けた衣装も、’30年代のファッション・トレンドを鮮やかに再現したノスタルジックで優美なデザインが見目麗しい。筆者が最初に映画館で見たアガサ・クリスティ映画ということもあって、個人的には特に思い入れの強い映画でもある。 しかしながら、この『地中海殺人事件』が大幅な赤字を出してしまったことから、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンのコンビによるアガサ・クリスティ映画シリーズは終了。その後、「無実はさいなむ」をドナルド・サザーランド主演でノワール風に映画化した『ドーバー海峡殺人事件』(’84)、ポワロ役のピーター・ユスティノフを筆頭にオールスター・キャストを揃えた「死との約束」の映画化『死海殺人事件』(’88)、同名小説の三度目の映画化となった『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』などが登場するも、残念ながらいずれも不発に終わった。『死海殺人事件』はキャストの顔ぶれといいクラシカルな雰囲気といい、いかにもブレイボーン卿&グッドウィンの作品みたいだったが、実際はキャノン・フィルムのメナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスが製作した映画だ。 一方、テレビではピーター・ユスティノフが名探偵ポワロを、大女優ヘレン・ヘイズがミス・マープルを演じたテレビ映画シリーズがヒットしたほか、ジョーン・ヒックソン主演の『ミス・マープル』(‘84~’92)、グラナダ・テレビが製作した『アガサ・クリスティー ミス・マープル』(‘04~’13)、デヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』(‘89~’13)など、本場イギリスでは長年に渡ってアガサ・クリスティ原作のテレドラマが愛され続けている。そうした中、ケネス・ブラナーが名探偵ポワロ役を演じて監督も兼ねたリメイク映画版『オリエント急行殺人事件』(’17)が登場。続編として『ナイル殺人事件』(’22)に『名探偵ポワロ:ベネチアの亡霊』(’23)が作られるなど、好評を博しているのはご存知の通りだ。■ 『ナイル殺人事件(1978)』© 1978 STUDIOCANAL FILMS Ltd『クリスタル殺人事件』© 1980 / STUDIOCANAL Films Ltd『地中海殺人事件』© 1981 Titan Productions
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PROGRAM/放送作品
バイキング
中世の海の支配者バイキングの戦いと生きざまが蘇る!カーク・ダグラス主演の海洋スペクタクル大作
『トラ・トラ・トラ!』のリチャード・フライシャー監督が描く海洋スペクタクル。豪華スター競演の中でも、海賊の王子役カーク・ダグラスの野性的な存在感が強い。本物を復元したバイキング船での撮影がリアルだ。
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COLUMN/コラム2019.11.22
『セックス・アンド・ザ・シティ』の基ネタになった画期的なセックス・コメディ!
今回ご紹介する映画は『求婚専科』(65年)です。 原題は「SEX AND THE SINGLE GIRL=セックスとある独身女性」。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のことを思い浮かべると思うんですが、実はあの原点が本作『求婚専科』なんですよ。 原作は同名の本で、著者はヘレン・ガーリー・ブラウン。後に女性誌『コスモポリタン』で32年も編集者をした女性で、彼女が独身女性が結婚前に男性とセックスする必要について書いたエッセイ集です。これが1962年に発売されるや、アメリカでは大事件になりました。当時は、結婚していない女性はセックスをしてはいけないと考えられていたからです。 「セックスとある独身女性」というタイトルはどうにも意味不明ですが、元の書名は「SEX FOR SINGLE GIRLS=独身女性のためのセックス」だったんです。ところが、それは直接的でまずい、という出版社の自主規制で「SEX AND THE SINGLE GIRL」に変えちゃったそうです。でも、『セックス・アンド・ザ・シティ』の原作も女性の体験的なエッセイ集で、この『セックス・アンド・ザ・シングル・ガール』を元にして書名がつけられたんですよ。 『求婚専科』は、大ベストセラーの映画化ということで、映画会社も非常に気合いを入れて、オールスターキャストになっています。ヒロインは『ウエスト・サイド物語』(61年)で世界的な大スターになったナタリー・ウッド。彼女が演じるのは原作者ヘレン・ガーリー・ブラウンなんですが、ライターではなく、精神分析医という設定です。つまり完全にフィクションです(笑)。 相手役はプレイボーイ俳優のトニー・カーティス。役はスキャンダル雑誌の編集長。彼のご近所さんの夫婦がヘンリー・フォンダとローレン・バコール。2人ともハリウッドの超ド一流スターですけど、フォンダの役は脚フェチの変態おじさん(笑)。大スターにひどい役をふってます。 監督はリチャード・クワイン。彼は同時期に『女房の殺し方教えます』(65年)という、これもまたセックス・コメディを作ってる人です。ただ、この当時のハリウッド映画はヘイズ・コードという自主規制があるので、セックスについては描いちゃいけない。だから、ものすごくおしゃれに作ってあります。あと、ギャグの量も多い。今観ても腹を抱えて笑えます。 でも、今観ると、女性に対しての扱いがひどい。トニー・カーティスは、自分の秘書やいろんな女性に手を付けまくっているくせに、ヒロインのナタリー・ウッドのことを「処女だ!」と騒いでスキャンダルにしたり、女性差別的なギャグが多い。当時は、男尊女卑から女性の地位向上に向っていく過渡期だったんですね。 「求婚」といっても、全然、結婚を申し込む話ではなくて、独身女性にセックスをすすめている処女の心理学者と、彼女を取材するうちに惚れてしまった雑誌記者のラブ・コメディですね。それで、クライマックスはなんとカーチェイス! 60年代ハリウッドの娯楽映画の技をお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作者のヘレン・ガーリー・ブラウンは、出版社の雑用係から文章力を買われてコピーライターに抜擢、40歳のときに出版した本作がベストセラーとなり、遂には世界的な女性誌「Cosmopolitan」誌の編集長にまでなった。ちなみに、彼女の夫は『JAWS /ジョーズ』(75年)を製作したプロデューサー、デヴィッド・ブラウン。●設定がニューヨーク市からカリフォルニア州ロサンゼルスに変更されているなど、映画はかなり脚色されている。●当初はレスリー・H・マーティンソン監督、ダイアン・マクベイン主演と発表された。●トニー・カーティスが女性のナイトガウンを着ているシーンは、まるで『お熱いのがお好き』(59年)で共演したジャック・レモンのパロディ。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
パリで一緒に
オードリー・ヘプバーン&ウィリアム・ホールデン。『麗しのサブリナ』コンビ再演のラブロマンス
『麗しのサブリナ』のオードリー・ヘプバーンとウィリアム・ホールデンが再び共演したラブロマンス。劇中劇を中心にした物語で、オードリーが2役、ホールデンが3役を演じる。ジバンシィが手がけた衣装にも注目。
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COLUMN/コラム2016.11.12
ビキニ姿の金髪の美女や筋肉ムキムキ男たちが、アメリカ西海岸を舞台に珍騒動を繰り広げる抱腹絶倒の爆笑恋愛喜劇〜『サンタモニカの週末』〜
本編の物語が始まって早々、雲ひとつなく晴れ渡った青空の下、赤いビートル車に乗って、大海原の青い水平線を一望できる見晴らしのいい崖の上へやってきた主人公のトニー・カーティス。彼を出迎えたのは、「マリブへようこそ」と、看板の中から、サーフボードに乗って波を切りながらにっこり微笑む、ビキニ姿の金髪の美女。アメリカ西海岸、カリフォルニアの燦々とした陽光を浴びながら行楽気分を味わうにはもってこいの完璧な舞台設定だ。 ここで眼下に広がる海辺を眺めながら、のんびり食事でも取ろうと、彼が車を降りて傍らの石垣に腰を下ろしたところでふと目に入ったのが、そのすぐ近くで海辺の風景画を描いていたひとりの女性(クラウディア・カルディナーレ)。でも、何やら不機嫌そうな彼女は、描きかけのその絵を海めがけて放り捨てると、思わず呆気にとられるカーティスを尻目に、自分のオープンカーに乗ってさっさとその場を立ち去っていく。しかも、その際、彼女の車のバンパーがすぐ脇に停めていたカーティスの車のフェンダーを不注意に引っかけたせいで、ビートル車までがよろよろと坂道を駆け下りていくではないか! 慌ててカーティスは何とか自分の車を停止させようと躍起になるが、彼の孤軍奮闘も空しくビートル車は崖を一気に滑り落ち、でんぐり返しになった状態でようやく崖下の道路に停止したまではよかったものの、そこへ折しもオープンカーに乗って坂道を下りてきたカルディナーレが、またしても頓珍漢な天然キャラぶりを発揮し、周囲の連中を巻き込んでひと騒動起こした上、今度はこれまた無造作に放り捨てた彼女のマッチが路上に流れ落ちていたガソリンに点火して、ビートル車はたちまち炎上し、車内にあったカーティスの荷物はすっかり燃え屑と化してパア。かくして、映画がスタートしてものの10分と経たないうちに、主人公のカーティスは車も全財産も失い、身に着けていた衣服にまで火が燃え移ったせいで、上半身は裸、下もトランクスに靴下を穿いただけという、何とも滑稽で哀れな素寒貧の状態で、やむなくカルディナーレの住む家に居候として転がり込むハメとなる……。 こうして、この『サンタモニカの週末』(1967)は、カルディナーレ扮する気まぐれで風変わりなヒロインが、まるで『赤ちゃん教育』(1938ハワード・ホークス)のキャサリン・ヘップバーンか、『レディ・イヴ』(1941プレストン・スタージェス)のバーバラ・スタンウィックよろしく、その傍若無人な振る舞いで周囲の人々を小気味よく翻弄する場面から、快調に物語が始まる(ちなみに、『サンタモニカの週末』の原題である「Don’t Make Waves」は、「どうか波風を立てたり、平穏を乱したりしないで」という意味)。 ■未知との遭遇 筆者がこの『サンタモニカの週末』に最初に接したのは、たしかまだ十代の学生時分のこと。その時点では、この映画について何の予備知識もなく、たまたま昼間に地上波のテレビで放映されていたのを(そう、年季のいった映画ファンならよく御存知の東京12チャンネル、そしてカーティスの吹き替えの声は無論、広川太一郎!)さしたる期待もなしにいざ見出したら、冒頭からあれよあれよという間に奇想天外な珍騒動が小気味よいテンポで綴られていくその何とも軽妙な話運びと、理屈抜きに楽しめる抱腹絶倒の喜劇世界にたちまち魅せられ、おおっ、これは意外な拾い物を見つけたと、すっかり興奮して大笑いしながら、最後まで映画を見終えたのだった。 この映画を監督したアレクサンダー・マッケンドリックが、実は誰あろう、かつてイギリスの映画撮影所イーリングから、『白衣の男』(1951)や『マダムと泥棒』(1955)など、英国コメディ映画史上、屈指の傑作を世に送り出した俊才であり、その後アメリカに渡った彼が、『成功の甘き香り』(1957)、『サミー南へ行く』(1963)、『海賊大将』(1965)と、さらなる独創的でユニークな傑作を放った逸材であったことを筆者が遅まきながら知るのは、それからもっと後のこと。生涯に監督した長編劇映画がわずかに9本ときわめて寡作ながら、ごく一部をのぞくと、日本では残念ながらなかなかソフト化もされず、劇場やテレビで見る機会もほとんどない中、海外で発売されるマッケンドリックのDVDをこつこつと買い集めて、彼の奥深い作品世界に徐々に触れ、その傑出した才能と演出手腕に改めて唸らされることとなったのだった。 筆者にとってマッケンドリック入門の最初の一歩となったこの思い出深い『サンタモニカの週末』を、今回、こちらのリクエストに応じて、「シネマ解放区」で初放映してくれる機会がこうして訪れ、こんなに嬉しいことはない。ぜひこれを良い機会に、ひとりでも多くの映画ファンにこの映画を楽しんでもらい、この先、さらなるマッケンドリックの埋もれたお宝の発掘へと各自が歩を進めてくれることを願うばかりだ。 ■マッスル・ビーチで「ファイトー!」「イッパーッツ!!」 さて、ここで再び、『サンタモニカの週末』の内容紹介に戻ると、本作の主演男優カーティスは、先に名を挙げたマッケンドリックのフィルム・ノワールの傑作『成功の甘き香り』で、ショウビズ界に絶大な影響力をふるう人気コラムニストの主人公を演じたバート・ランカスターを相手に、彼の取り巻きたる準主役のプレス・エージェントに扮して陰翳に満ちた見事な熱演を披露し、甘いマスクが売りの単なる人気アイドルから大きく脱皮して、演技派俳優として高い評価を得ていた。 『成功の甘き香り』がアメリカ東海岸のNYという大都会の夜を舞台に、ショウビズ界とジャーナリズムの世界との持ちつ持たれつの閉鎖的で腐敗した関係に鋭くメスを入れ、そのどす黒い闇を辛辣な眼差しで暴き出していたのに対し、この『サンタモニカの週末』は、アメリカ西海岸、カリフォルニアの陽光溢れる海辺を舞台に、その明るく開放的でお気楽なビーチ生活と、サーフィンやボディビルなど、黄金色に日焼けした健康的な肉体美を追求する独自の文化風俗を皮肉っぽい眼差しで諷刺的に描いたもの。いわば本作は、『成功の甘き香り』の作品世界をそっくり裏返した上で、よりリラックスしたムードでその題材を軽妙に料理した、肩の凝らない娯楽喜劇版といえるだろう。 1960年代、アメリカの映画界では、海辺を舞台に、水着姿の若い男女たちが他愛ないロマンスや冒険を繰り広げるさまを、当時の最新の若者文化や風俗を織り交ぜながら、どこまでも明るく健康的に描いた、ティーンエイジャー向けの娯楽青春恋愛映画ブームが到来。とりわけ、映画ファンにはあのロジャー・コーマンの活動拠点としてよく知られたB級専門の独立系映画プロ、AIPが、『やめないで、もっと!』[原題は「Beach Party」](1963)を皮切りに、『ムキムキ・ビーチ』[原題「Muscle Beach Party」](1964)、『ビキニ・ビーチ』[原題「Bikini Beach」](1964 上記3作の監督は、いずれもウィリアム・アッシャー)、等々をたて続けに放ち、それらは「ビーチ・パーティもの」映画として、若者の観客層を中心に一定の人気を博していた。 そして、その一方で、この『サンタモニカの週末』の舞台となるカリフォルニア州ロサンジェルスの太平洋に面した湾岸都市サンタモニカは、その温暖な気候から観光リゾート地区として早くから開発され、ロサンジェルスのホーム・ビーチたる行楽地として栄えていた。海野弘氏のユニークな文化研究史シリーズ「カリフォルニア・オデッセイ⑤ ビーチと肉体 浜辺の文化史」によると、1930年代からは、この地の砂浜に、運動場や、鉄棒、平行棒などの器械体操用の運動器具が据え付けられ、プロのアスリートたちや、アクロバットやサーカスの芸人たちが集まって独自の肉体トレーニングを始めるようになり、それに釣られて多くの見物人たちも集まって大いに賑わい、いつしかそこは“マッスル・ビーチ(Muscle Beach=筋肉海岸)”と名付けられるようになったという。 映画『サンタモニカの週末』の原作となった小説の題名が、まさにこの「マッスル・ビーチ(Muscle Beach)」。先に紹介したAIPの「ビーチ・パーティもの」映画の1本にも、『ムキムキ・ビーチ』[原題「Muscle Beach Party」]という映画があったことによく注意してほしい。『サンタモニカの週末』の劇中、夜が明けて日が昇ると同時に、水着姿の大勢の男女がサーフィンを楽しむべく一斉に波間へと向かう一方、砂浜では、文字通り、筋肉ムキムキのマッチョな男たちが重量挙げをしたり、ビキニ姿の若い美女が平行棒で体操の練習に励んだりする姿が映し出されるが、一見突飛でシュールにも思えるこれらの場面は、実は当時、この地では日常的な光景だったようだ。 ここで、映画の冒頭に登場する看板の中からまるで抜け出てきたかのようにして、サーフボードで波に乗りながらカーティスの前に姿を現すビキニ姿の金髪の美女こそ(その役名もずばり、マリブ)、知る人ぞ知る悲劇の女優シャロン・テート。その件に関しては改めて後述するが、この時、24歳の彼女は、先に出演した『吸血鬼』(1967)の映画監督ロマン・ポランスキーと撮影中に恋に落ち、翌1968年、彼と結婚する運命にあった。 最初の出会いの場面から、文字通りカーティスをノックアウトして、たちまち彼をその魅力の虜にしてしまった彼女は、さらにマッスル・ビーチの砂浜に据えられたトランポリン台で、いかにも嬉々として無邪気にひとりポンポーンと自在に飛んで跳ね回り、そのさまをただもうポカーンと惚けたような表情でかぶりつきからまぶしそうに見つめるカーティスだけでなく、我々男性観客の心をもメロメロにとろけさせずにはおかない。いやー、それにしても、この『サンタモニカの週末』の一番の見どころといえば、何と言ってもこれで、何度見てもこの場面は、やはりブッ飛んでいて愉快で可笑しい。しかもこの場面、絶妙のタイミングでスローモーションやストップモーションとなり、ビキニ姿の彼女の健康的で美しいプロポーションを心おきなく楽しめるのだ。まさに眼福、眼福! ■夢のカリフォルニア ところで、このマッスル・ビーチで実際に肉体の鍛錬を積むボディビルダーの中から、戦後まもなくミスター・アメリカ、さらにはミスター・ユニヴァースとなり、やがて映画界入りして『ヘラクレス』(1957 ピエトロ・フランチーシ)、『ポンペイ最後の日』(1959 マリオ・ボンナルド)などのイタリア製史劇映画にたて続けに主演し、人気スターとなるスティーヴ・リーヴスが登場する(ちなみに、前者の撮影を手がけたのはマリオ・バーヴァ。そして後者は、共同脚本にも参加したセルジオ・レオーネが、ノンクレジットで実質的な監督を手がけている)。彼の人気のあとを追うようにして、マッスル・ビーチには、さらに多くのボディビルダーたちが集まるようになった。 この『サンタモニカの週末』に、テートの恋人役として登場するデイヴィッド・ドレイパーも、劇中では、オツムの軽いただのマッチョな青年として揶揄的に描かれ、つい観る者の微苦笑を誘わずにはおかないが、実は当時のボディビル界ではよく知られた実力派のチャンピオンで、先のリーヴスと同様、1965年にミスター・アメリカ、そして1966年にはミスター・ユニヴァースに輝いていた。そして、そんな彼の姿を、その頃、ヨーロッパの母国オーストリアから、羨望の眼差しで見つめていた一人の男がいた。その人物こそ、誰あろう、御存知シュワちゃんこと、アーノルド・シュワルツェネッガー。海野氏の前掲書に、シュワちゃんの著書からの何とも意外で興味深い文章が引用されているので、ここにもぜひ孫引きさせてもらうことにしよう。 「ドレイパーは、カリフォルニアのボディビルダーの典型であった。大きく、金髪で、陽焼けし、個性的で、勝誇った笑みを持っていた。オーストリアの冬に3フィートもの雪に 埋もれている私には、カリフォルニアのビーチにいるデイヴ・ドレイパーのイメージはまぶしいように見えた。そしてデイヴがトニー・カーティスと共演した『サンタモニカの週末』(1967)やテレビ・ショーなどが、ボディビルの、コンテスト以外での可能性を私に気づかせてくれた。」 (シュワルツェネッガー「モダン・ボディビルディングのエンサイクロペディア」。 訳は海野氏によるもの。人名や数字表記を若干改めた。) つまり、シュワちゃんがボディビル界から華麗な転進を遂げ、映画俳優としての道を歩むようになったのは、ほかならぬこの『サンタモニカの週末』のドレイパーを見たのが、きっかけだったというのだ! 当時ヨーロッパのボディビル・チャンピオンだった彼は、1968年、憧れのアメリカ西海岸へと渡ってその年のミスター・ユニヴァースに輝き、その後さらに、ミスター・ワールド、ミスター・オリンピアの三冠も達成した偉業を引っ提げて映画界に進出し、皆も御存知の通り、スーパースターとなる(以前、本欄の拙文でも触れたように、まだ駆け出しの俳優時代のシュワちゃんの姿は、『ロング・グッドバイ』(1973 ロバート・アルトマン)の中でも楽しめる)。そして彼が、後のカリフォルニア州知事になる種も、ひょっとすると、ボディビルの聖地たるマッスル・ビーチへの憧れ、あるいは、この『サンタモニカの週末』によって、既に蒔かれていたのかもしれない。 ■奇しくも時代の潮流の変わり目に生み落とされた、マッケンドリックの不運な遺作 さて、『サンタモニカの週末』の物語は、先述のテートのトランポリンの場面以降も、二転三転しながら愉快に展開し、実はプロの女性スカイダイヴァーであるテートが披露する決死の空中遊泳、さらに映画の終盤には、あの映画史上に名高いチャップリンの傑作喜劇『黄金狂時代』(1925)のクライマックスを大胆不敵にも借用した、ハラハラドキドキの珍場面が観客を待ち受けているわけだが、それについてはぜひ見てのお楽しみ、ということにして、例によってすっかり長くなったこの拙文も、そろそろ締めに入ることにしよう。 『サンタモニカの週末』が、当時の「ビーチ・パーティもの」映画の一大ブームにあやかって作られた1本であることは先に述べたが、本作が全米で劇場公開された1967年には、その人気やブームは既に終わりを迎え、アメリカ社会はいまや、ベトナム反戦や公民権運動の高まりなどもあって、次のサイケやドラッグ、ヒッピー文化といった、より強烈で混沌渦巻く刺激的なカウンター・カルチャーへと時代の潮流が変わる、ちょうど転換期にあった。ブームを牽引したAIPは、もはや「ビーチ・パーティもの」映画の製作を取りやめ、代わって、ロジャー・コーマン監督が、LSD他のドラッグによるサイケ・トリップを全編にフィーチュアした『白昼の幻想』を発表するのが、まさにこの1967年。やはりこの年の6月、カリフォルニア州モントレーで、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンら、豪華多彩なアーティストたちが出演した大規模な野外ロック・フェスが開催されて大成功を収め、それと呼応するように、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺には10万人ものヒッピーたちが集結して「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれる一大社会現象が発生する。 さらに、この時期、AIP製作の一連のバイカー映画に相次いで出演し、『白昼の幻想』にもキャストやスタッフとして参加したデニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソンの反逆児3人は、もっと自分たちのやりたい映画を自由に作りたいとAIPを飛び出して、カウンター・カルチャーの金字塔的作品『イージー・ライダー』(1969)をやがて生み出すことになる。その一方で、同作の全米公開からひと月も経たない1969年8月9日、当時妊娠8カ月の身重だったポランスキー夫人のテートが、狂信的カルト集団「マンソン・ファミリー」によって惨殺され、26歳の若さで短い生涯を閉じるという痛ましい悲劇が起きることになるのだ。 『サンタモニカの週末』の原題の直訳は、先にも述べたように「どうか波風を立てないで」だが、一見アナーキーではあっても、所詮は白人の健康的なブルジョワの男女たちが繰り広げるささやかな波乱の出来事をどこまでも明るく愉快に描いたこの上質の娯楽恋愛喜劇が、むしろ同時代的に進行するもっと大きな文化・社会変革の波に呑み込まれてしまい、公開当時はさしたる反響を得られることなく終わってしまったのは、今から思うと致し方のないことだったのかもしれない。 実のところ、この『サンタモニカの週末』の映画企画は本来、マッケンドリック監督が自ら構想したものではなく、彼とカーティスが、この映画に関わるようになったいきさつ自体、まるで『成功の甘き香り』の物語を地で行くような、何とも皮肉めいたものだった。後年、彼がその体験を苦々しく振り返って語ったところによると、本作のプロデューサーが、片やカーティスに、マッケンドリック監督が君とぜひ一緒にやりたい企画がある、と言って本作への出演を持ちかけ、他方で、マッケンドリックにも同様に、カーティスが君とぜひやりたい企画がある、と言って本作の監督の仕事をオファーしたものらしい。2人ともそれぞれ、題材自体はまったく馬鹿げた代物と内心では思っていたものの、あの彼がそういうのであれば……ということでOKの返事をし、いざ後になってから、ことの真相を知り、お互いに臍を噛んだという。 完全主義者として知られるマッケンドリック監督は、与えられた厳しい悪条件の下、懸命に力を注いで本作を作り上げたものの、結局、映画界にすっかり嫌気がさして監督業の足をきっぱり洗い、1969年からは、当時新設されたばかりのカリフォルニア芸術大学(カルアーツ)の初代映像学部長に就任して、以後は長年、後進の育成に情熱を注いだ末、1993年、81歳でこの世を去った(彼の遺した映画講義録をもとに作られた書物が、「マッケンドリックが教える映画の本当の作り方」)。 カルアーツで彼に映画の授業を習い、その後、映画監督への道を進んだジェームズ・マンゴールドらを中心に、マッケンドリック再評価の声が近年高まっているが、彼の真価や重要性が広く世間に知れ渡っているとは、到底まだ言えないだろう。まずはぜひ、この『サンタモニカの週末』を見て存分に楽しんで欲しいが、実はこの滅法面白くて愉快な彼の遺作が、マッケンドリック・マニアや研究者たちの間では、概して一番評価が低い作品とみなされているのだ。学生時分にこれを最初に見て、たちまち彼の映画に病みつきになってしまった筆者からすると、ええっ、そんな馬鹿な、と言いたくなる一方で、諸々の点を勘案すると、まあ、それも一理あるかも、という気も現在はする。……ふーむ、てことは、ほかの作品は、どんだけ凄いんだ? と、これで少しは興味と好奇心をそそられたでしょうかね、皆さん。まあ、ここはひとつ騙されたと思って、この『サンタモニカの週末』を試しにどうかお楽しみあれ!■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
求婚専科【町山智浩撰】
町山智浩推薦。お軽いドタバタSEXコメディだが、原作の主張とは真逆の映画に!町山解説必聴の実は問題作
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。ウーマンリブの時代に書かれた女性の性解放の指南書を、保守的なハリウッドがゆがめて映画化しお軽いSEXコメディに。なにが問題!? 町山解説あわせて必聴。
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COLUMN/コラム2015.08.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年9月】にしこ
バンドマンのジェリー(ジャック・レモン)とジョー(トニー・カーティス)はひょんな事からギャングの抗争に巻き込まれ殺人現場を目撃!ギャングの目くらましの為に欠員募集中の女性ばかりの旅の楽団に女装してもぐり込む。楽団で知り合った女性シュガー(マリリン・モンロー)にぞっこんLOVEになってしまう2人だが、女装している為気持ちを打ち明けるわけにもいかず…。 というシンプルなストーリーですが、見どころ満載!まず、ジェリー役のジャック・レモンは劇中のほとんどを女装で演じていますが、これがなんともいえない!どうみても結構ガタイの良い男が女装しているだけなのですが、ジャック・レモンの名人芸故に、ダフネというベーシストがコケティッシュな魅力に溢れたキュートな女性に見えてきます。それを証拠に彼女(彼?)は年老いた大富豪に求婚されるに至るのですから! トニー・カーティス扮するジョーは、シュガーの恋心を得る為に、大富豪の子息と女装のジョゼフィーンを演じ分けるわけですが、このドタバタが、わかっているけれど面白い!うっかりイヤリングつけたまま、大富豪の子息ルックで愛を囁いたりしてしまいます。 ビリー・ワイルダー作品は皆そうですが、小粋でおしゃれ!禁酒法時代のファッションやインテリアも、観る目に楽しくあります。女性だらけの楽団なので、当時の女性のブラジャーやネグリジェなども出てきてキュート! 物語最後のラインは、名セリフとして有名ですが、なるほど「ぎゃふん!」とうなる見事なひとこと!お見逃しなく! そして何より、シュガーというヒロインを演じるマリリン・モンロー。この映画を観た方ならば誰でも例外なく彼女の魅力の虜になる事でしょう。だって本当にチャーミングなんです!グラマーで美人なだけではなく、お酒好きで少女の様に純粋で、かなり抜けててエロかわいいんだから! SOME LIKE IT HOT © 1959 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)求婚専科
覆面取材のはずが…ナタリー・ウッド&トニー・カーティスが洗練された恋模様を魅せるラブコメディ
シチュエーションコメディを得意としたリチャード・クワイン監督の本領発揮作。主人公らがそれぞれ車で追いかけ合うクライマックスのドタバタ劇は爆笑モノ。ヘンリー・フォンダら脇を固める豪華俳優陣にも注目。
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COLUMN/コラム2012.10.29
2012年11月のシネマ・ソムリエ
■11月3日『パリ、テキサス』 カンヌ国際映画祭パルムドールに輝くヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー。記憶を失い、アメリカ西部をさまよう男を主人公にした家族の断絶と再生の物語だ。放浪の主人公が目ざしていたのは、劇中には登場しないテキサス州パリという実在の町。主人公の孤独を表す荒野の風景、ライ・クーダーの哀愁のギター音楽が心に残る。主人公と息子の微笑ましい交流シーンに加え、観る者の目を奪うのは妻役のナスターシャ・キンスキー。マジックミラーを用いたクライマックスは忘れえぬ名場面である。 ■11月10日『ベルリン・天使の詩』 『パリ、テキサス』と並ぶ名匠ヴィム・ヴェンダースの代表作。東西冷戦末期のベルリンを舞台に、下界の営みを見つめる天使たちの姿を描いたファンタジーである。人間界への憧れを抱く天使ダミエルの心の移り変わりに沿って、白黒からカラーへ移行していく夢幻的な映像美。フランスの名手アンリ・アルカンによる撮影が絶品だ。天使とサーカスの舞姫との愛のドラマに宿ったロマンティシズムも本作の魅力。『刑事コロンボ』でおなじみのピーター・フォークの味わい深い助演もお見逃しなく! ■11月17日『マリリンとアインシュタイン』 マリリン・モンローなど1950年代のアメリカを象徴する4人の歴史的な有名人を模したキャラクターが登場。彼女らの人生が交錯する架空の一夜を映画化した異色作だ。ホテルの一室を舞台にしたシュールなディスカッション劇。『赤い影』などの映像派の鬼才ニコラス・ローグらしい視覚的ギミックやファンタジーがアクセントを添える。アインシュタイン博士を翻弄するモンロー役はローグ監督の夫人テレサ・ラッセル。“無意味”という原題にふさわしいラスト・シーンの大爆発スペクタクルに息をのむ。 ■11月24日『ローズ・イン・タイランド』 テリー・ギリアム版「不思議の国のアリス」というべきファンタジー。ジャンキーの父親の突然死によって、草原の一軒家に取り残された少女の悪夢的な冒険を映し出す。頭だけのバービー人形、草原の下に出現する海など、ギリアム監督ならではの美しくもグロテスクなイメージが噴出。少女の空想が現実をのみ込んでいく、そのスリル!ギリアムの少女愛を感じさせる小さなヒロイン役は「サイレントヒル」のジョデル・フェルランド。朽ち果てゆく死体に扮したジェフ・ブリッジスの怪演も見逃せない。 『パリ、テキサス』© 1984 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH, ARGOS FILMS S.A. and CHRIS SIEVERNICH, PRO-JECT FILMPRODUKTION IM FILMVERLAG DER AUTOREN GMBH & CO. KG 『ベルリン・天使の詩』© 1987 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH and ARGOS FILMS S.A. 『マリリンとアインシュタイン』COPYRIGHT © MCML XXX? ZENITH PRODUCTIONS LIMITED ALL RIGHTS RESERVED 『ローズ・イン・タイドランド』©2005 Recorded Picture Company and Capri Tideland Inc.