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PROGRAM/放送作品
17歳の瞳に映る世界
[PG12]望まぬ妊娠…少女たちの過酷な現実をドキュメンタリータッチで映し出す社会派ロードムービー
予期せず妊娠した高校生とその親友の不安や切迫感を、ドキュメンタリータッチで切実に描き出し、ベルリン国際映画祭審査員特別賞・銀熊賞を受賞。映画初出演となるヒロイン役シドニー・フラニガンの熱演が胸を打つ。
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COLUMN/コラム2023.05.08
韓国の民主主義と映画の“力”。『1987、ある闘いの真実』
チャン・ジュナン監督が、本作『1987、ある闘いの真実』(2017)に取り掛かったのは、2015年の冬だった。 時の最高権力者は、朴槿恵(パク・クネ)。韓国初の女性大統領である彼女は、1963年から79年まで16年間に渡って軍事独裁政権を率いた父、朴正煕(パク・チョンヒ)に倣ったかのような、反動的な強権政治家であった。そしてその矛先は、映画界にも向けられた。 朴政権下で作成された、「政府の政策に協力的ではない文化人」のブラックリストには、パク・チャヌク監督やキム・ジウン監督、俳優のソン・ガンホやキム・ヘスなどの一流どころが載せられた。それは暗に、「こいつらを干せ」と、政権が指示しているということだった。 保守政権にとって好ましくない題材を扱った作品は、攻撃対象となった。例を挙げれば、かつて進歩派政権を率いた、故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の弁護士時代を、ソン・ガンホが演じた『弁護人』(13)。高い評価を受けて大ヒットしたものの、監督のヤン・ソクウは、公開後多くの脅迫電話を受け、一時期中国に身を隠さざるを得なくなった。 そんな最中に、韓国の歴史を大きく変えた、「1987年の民主化運動」を映画化するなど、虎の尾を踏む行為。チャン監督も躊躇し、逡巡したという。 最終的に監督を動かしたのは、2つの想いだった。ひとつは、この「民主化運動」こそが、韓国の民主主義の歴史に大きく刻まれるべきものなのに、それまであまり語られてこなかったことへのもどかしさ。 もうひとつは、チャン監督に子どもができて、父親になった時に抱いた、こんな気持ち。「自分は次の世代にどんな話を伝えるべきなのか」「世の中に対して何を残すことができるのか」。 チャン監督は、「民主化運動」のデモで斃れた大学生、イ・ハニョルの記念館を訪問。展示品の中には、警察が放った催涙弾の直撃を、ハニョルが受けた際に履いていた、スニーカーの片方があった。監督はそれを見て、本作を作る決意を遂に固めた。ご覧になればわかるが、このスニーカーは、本作を象る重要なモチーフとなっている。 事実に基づいた作品は、生存する関係者への取材を行って、シナリオを作成していくのが、定石である。しかし朴槿恵政権下では、そうしたことが外部に漏れた場合、映画化の妨げになる可能性が高い。そのため生存者へのインタビューなどは諦め、新聞など文字情報を中心に、極秘裏にリサーチを進めることとなった。 それでもこんな時勢の中で、政府に睨まれるのを覚悟で、出演してくれる俳優は居るのか?十分な製作費を、調達できるのか?不安は、尽きることがなかった。 しかし天が、このプロジェクトに味方した。2016年10月末、朴大統領とその友人である崔順実(チェ・スンシル)を中心とした、様々な政治的疑惑が発覚。いわゆる“崔順実ゲート事件”によって、風向きが大きく変わる。政権に抗議する民衆によって、各地で大規模な“ろうそく集会”が開かれ、朴政権は次第に追い詰められていく。 その頃から本作のプロジェクトには、投資のオファーが多く寄せられるようになった。こうして製作が軌道に乗ったのと対照的に、翌2017年3月、朴槿恵は大統領職を罷免され、遂には逮捕に至る。 韓国には、1980年代後半頃の都市の姿が、ほとんど残されていない。しかし巨額の製作費の調達に成功した本作では、大規模なオープンセットを組むことで、この問題を解消。まさに奇跡的なタイミングで、製作することが出来たのである。 ***** 1987年、「ソウル五輪」の開催を翌年に控えた韓国では、直接選挙での大統領選出など、“民主化”を求める学生や労働者などを中心に、各地でデモが行われていた。それに対し大統領の全斗煥(チョン・ドファン)は、強圧的な態度で抑え込もうとする。 そんな中、ソウル大の学生パク・ジョンチョルが、警官の拷問で死亡する事件が起こる。元は脱北者で“民主化勢力”を「アカ」と憎悪する、治安本部のパク所長(演:キム・ユンソク)は、当時の韓国では一般的でなかった火葬で、証拠となる遺体を隠滅した上、「取調中に机を叩いたら心臓マヒを起こした」などと虚偽発表。この局面を切り抜けようとする。 しかし、ソウル地検公安部のチェ検事(ハ・ジョンウ)は、拷問死を疑って早々の火葬を阻む。司法解剖は行われたものの、チェ検事は政権からの圧力で、職を解かれる。 チェは秘かに、解剖の検案書を新聞社に提供。学生の死因がスクープされ、デモは一段と激しさを増す。同時に政権側の弾圧も、日々強まっていく。 刑務所の看守ハン・ビョンヨン(演:ユ・ヘジン)は、“民主化勢力”を支援。逮捕されて獄中に居るメンバーと、指名手配中の運動家キム・ジョンナム(演:ソル・ギョング)との連絡係を務めていた。 そんな彼の姪ヨニ(キム・テリ)は、政治に関心がなく、「デモをしても何も変わらない」と考える女子大生。しかし同じ大学で運動に励むイ・ハニョル(演:カン・ドンウォン)と出会い、彼の誘いであるビデオを見て、衝撃を受ける。それは全斗煥が権力を掌握する過程で民衆の虐殺を行った、1980年の「光州事件」を映したものだった。 折しも叔父のビョンヨンが逮捕され、ヨニの意識も大きく変わっていく…。 ***** 1987年当時、日本の大学生だった私は、韓国での“学生運動”の報道に日々接して、いっぱしの興味は持っていたつもりだった。しかしいま振り返れば、「一昔前の日本の“全共闘”みたいだな~」というボヤけた感想しか持ってなかったように思う。 それを30年後、こんな苛烈且つ劇的な“エポック”として見せられ、大きく感情を揺り動かされるとは!それと同時に、現在の韓国映画の“力”というものを、改めて思い知らされた。リアルタイムで時の権力に抗うかのような内容を、“オールスター・キャスト”で映画化するという行為に、深く感銘を受けたのである。 本作の製作が軌道に乗ったのは、朴槿恵政権に崩壊の兆しが見えた頃からと、先に記した。しかしそれ以前の段階で、チャン・ジュナン監督のプロジェクトに賛意を示し、出演の意志を示したスター達が居た。 まずは、カン・ドンウォン。『カメリア』(10)で組んで以来の飲み仲間だったチャン監督が脚本を見せると、「これは作るべき映画だ」と、イ・ハニョルの役を演じることを、自ら志願したという。 チャン監督の前作『ファイ 悪魔に育てられた少年』(13)の主演だったキム・ユンソクも、いち早く出演を決めた1人。『ファイ』に続いて「また悪役か」と、ユンソクは冗談ぽく不満を言いながら、脱北者から方言を習うなど熱心に役作りを行った。また実在のパク所長に似せるため、前髪の生え際をあげ、顎下にマウスピースを入れたりなどの工夫を行った。 カン・ドンウォン、キム・ユンソクという2人を早々に得たことが、キャスティングに弾みをつけた。そして、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、ソル・ギョングといった、韓国を代表する、実力派のスターたちの出演が次々と決まっていく。 主要な登場人物の中ではただ一人、実在のモデルが居ないヨニ役を演じたのは、キム・テリ。チャン監督は、パク・チャヌク監督の『お嬢さん』(16)を観て、彼女の演技の上手さに注目。実際に会ってみて、「ヨニにぴったり」と、オファーを行った。 実は劇中でヨニを目覚めさせるきっかけとなる出来事には、監督自身の1987年の経験が投影されている。当時韓国南西部・全州の高校生だった監督は、ある日友人から、「学校の近くで珍しいビデオの上映会がある…」と誘われた。そこで上映されたのは、丸腰の市民が、軍の銃弾によって次々と倒れていく映像だった。 これは、その7年前の「光州事件」の現場で、ドイツ人記者が捉えたもの。その取材の経緯は、奇しくも本作と同年公開となった、『タクシー運転手 約束は海を越えて』(17)で描かれているが、17歳のチャン・ジュナンにとって、とにかくショッキングな映像体験だった。 チャン監督は、混乱した。自分の住む街からほど近い光州で、そんな悲劇が起こっていたのを、知らなかったことに。そして大人たちが、その事実を一切語らないことに。 この“混乱”が本作では、ヨニの感情の動きとして再現されているわけである。 監督は当時、大学生による大規模なデモをよく目にしていた。時には警察が放った催涙ガスの煙が、授業中の高校の教室に、入ってくることもあったという。 そんなタイミングで、道徳の時間に討論が行われた。「デモは悪いことだ」という方向に導かれる中で、チャン監督は勇気を振り絞って、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と疑問を投げ掛けた。その瞬間彼は、教師に睨みつけられるのを感じた。 1987年のこれらの経験が、本作を実現する“種”になったのかも知れない。監督は、そう述懐している。 本作で描かれた「1987年の民主化運動」によって、韓国の民衆は、傷つきながらも“民主主義”という果実を得た。それが巡り巡って2017年、文化をも弾圧する朴槿恵の腐敗政権は、新たに立ち上がった民衆によって打倒される。 機を同じくして、一時危ぶまれた本作の製作が実現に至ったわけだが、公開後、「1987年の民主化運動」に参加した女性が、娘と共に本作を鑑賞した話が、監督の元に伝わってきた。映画が終わった後、娘は涙を流しながら、「お母さん、ありがとう」と、母を抱きしめたという。 また、こんなレビューも寄せられた。「朴槿恵政権がなぜ文化界を統制しようとしたのか、この映画を見てわかりました。それは映画が与える力がいかに大きいかということを感じたからです」。『1987、ある闘いの真実』は、まさにこうした“力”を持った作品なのである。■ 『1987、ある闘いの真実』© 2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
第7鉱区
[PG12]石油採掘に挑む人々を謎の深海生物が襲う!逃げ場なき恐怖に震える韓国産モンスターアクション
『光州5・18』のキム・ジフン監督が、人気ドラマ『ファン・ジニ』のハ・ジウォンを主演に起用したモンスターアクション。韓国初の3D映画として製作され、正体不明の怪物との死闘を臨場感満点に描き出す。
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COLUMN/コラム2022.09.05
平凡な兵士の勇気と戦場の悪夢を全編ノンストップで描いた戦争映画大作『1917 命をかけた伝令』
サム・メンデス監督の祖父の記憶をヒントに生まれたストーリー 処女作『アメリカン・ビューティ』(’99)がオスカーの作品賞や監督賞など主要5部門を独占し、以降も『ロード・トゥ・パーディション』(’02)や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(’08)などで賞レースを賑わせた名匠サム・メンデス。さらに、『007 スカイフォール』(’12)に『007 スペクター』(’15)と、立て続けに2本のジェームズ・ボンド映画をメガヒットさせたわけだが、しかしそれっきり撮りたいと思うような作品がなくなったという。どの脚本を読んでも、いまひとつ気に入らなかったメンデス監督。そんな折、プロデューサーのピッパ・ハリスから「それなら自分で脚本を書いてみたら?」と勧められ、真っ先に思い浮かんだのが、子供の頃より祖父から聞いていた第一次世界大戦の思い出話だったという。 サム・メンデス監督の祖父とは、トリニダード・トバゴ出身の作家アルフレッド・ヒューバート・メンデス。15歳でイギリスへ渡って教育を受けた祖父アルフレッドは、1917年に19歳で第一次世界大戦へ出征し、キングス・ロイヤル・ライフル連隊の第1大隊に配属されている。その任務は各指揮所に指示を伝える伝令役。身長163センチと非常に小柄だったため、敵に見つかることなく無人地帯を駆け抜けることが出来たらしい。その当時の様々な思い出話を、祖父の膝の上で聞いて育ったというメンデス監督。いずれは映画化したいと考えていたそうだが、今まさにそのタイミングが訪れたというわけだ。 ただし、それまで映画の脚本を手掛けたことがなかった彼は、自身が製作総指揮を務めたテレビシリーズ『ペニー・ドレッドフル 〜ナイトメア 血塗られた秘密〜』(‘14~’16)のスタッフライターだったクリスティ・ウィルソン=ケアンズに執筆協力を依頼。早くから彼女の才能を高く買っていたメンデスは、それまでにも幾度となく共同プロジェクトを準備していたが、しかし実現にまで至ったのは本作が初めてだった。メンデスが祖父から聞いた逸話の断片と、クリスティが膨大な資料の中から選んだ複数のエピソードを繋ぎ合わせ、ひとつの脚本にまとめあげたという。それがアカデミー賞10部門にノミネートされ、撮影賞など3部門に輝いた戦争映画『1917 命をかけた伝令』だった。 仲間の命を救うため戦場を駆け抜けた若者たち 時は1917年4月6日。フランスの西部戦線ではドイツ軍が後退し、連合国軍はこの機に乗じて総攻撃を仕掛けるつもりだったが、しかしこれはドイツ軍による巧妙な罠だった。航空写真によって、敵が秘かに待ち伏せしていることを確認したイギリス陸軍。明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊第2大隊に一刻も早く伝えねばならないが、しかし肝心の電話線がドイツ軍によって切断されていた。そこで指揮官のエリンモア将軍(コリン・ファース)は、14.5キロ先の第2大隊へ伝令役を派遣することを決める。 この大役を任せられたのが若き下士官のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)。実際に指名されたのは、兄ジョセフ(リチャード・マッデン)が第2大隊に所属するブレイクで、スコフィールドは彼の親友であることから同行することになった。第2大隊の指揮官マッケンジー中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に作戦中止の命令を伝え、兵士1600名の命を救わねばならない。タイムリミットは明朝。そこかしこに遺体の散らばった無人地帯を乗り越え、いつどこで敵兵と遭遇するか分からない戦場を突き進むスコフィールドとブレイク。だが、そんな彼らの前に次々と過酷な試練や困難が待ち受ける…。 味方の部隊に重大な指令を伝えるため、2人の若い兵士が命がけで戦場を駆け抜けるという極めてシンプルなプロット。そんな彼らが行く先々で目の当たりにする光景や、敵味方を含めた人々との遭遇を通じて、あまりにも不条理であまりにも残酷な戦争の現実が、まるで悪夢のように描かれていく。ストーリーそのものはフィクションだが、そこに散りばめられた逸話の数々は、メンデス監督の祖父をはじめとする当事者たちの実体験に基づいているのだ。 第二次世界大戦に比べると、映画の題材となることの少ない第一次世界大戦。その理由のひとつは恐らく、悪の権化たるナチスや大日本帝国を倒すという人類共通の大義名分があった第二次世界大戦に対して、第一次世界大戦にはそうした純然たる悪が存在しなかったからなのだろう。しかし見方を変えれば、だからこそ戦争の愚かさがよりハッキリと浮き彫りになる。要するに、未来ある若者を戦地へ送り込んだ各国リーダーの罪深さ、それこそが第一次世界大戦における本質的な悪だったとも言えるのだ。 それゆえ、本作では敵のドイツ軍兵士も残虐非道な悪人などではなく、放り込まれた戦場での殺し合いに右往左往し、直面する死に恐れおののく平凡な人間として描かれる。「自分がたまたまイギリス人だから主人公も英国兵だけれど、実際はどこの国の兵士が主人公でも通用する物語だ」というメンデス監督。きっとイギリスだけではなく、ドイツにもフランスにもロシアにも、彼らのように仲間を救うため命をかける兵士たちがいたに違いない。この時代も国境も越えた揺るぎない普遍性こそが、この映画に備わった真の強みなのであろう。 細部まで計算し尽くされた疑似ワンカット演出 劇場公開時には、全編ワンカットの臨場感あふれる映像が大きな話題となった本作。観客に戦争を追体験させることで、人類の負の歴史を次世代へ語り継ぎたいと考えたメンデス監督と製作陣。そのために最も有効な手法と考えられたのが、カメラが最初から最後まで切れ目なく主人公と一緒に戦場を疾走するワンカット演出だったのである。ただし、実際は複数の長回しショットをつなぎ目が分からないように編集した疑似ワンカット。例えば、ドイツ軍塹壕の室内はスタジオセットだが、実は出口の直前で屋外セットのロケ映像に切り替わっている。また、スコフィールドが川へ飛び込んでからの映像も、激流に呑み込まれるシーンはラフティング施設で撮影されているが、滝に落ちてから先はティーズ川でロケされている(ちなみにロケ地は全てイギリス国内)。 とはいえ、シークエンスによっては10分~20分もノンストップでカメラを回さねばならず、なおかつ被写体を後ろから追ったかと思えば前方に回ったり、クロースアップのため接近したかと思えば引きのロングショットで背景を捉えたりと、カメラワークも流動的で非常に複雑。そればかりか、クレーンショットにステディカムショット、ジープやバイクを使った移動ショットなど、ひとつのシークエンスで幾つものカメラ技法を駆使している。そのため、撮影に際しては一連のカメラや役者の動きを具体的に細かく指示した図面を作成。それを基に入念なリハーサルを繰り返したという。 さらに、リハーサルでは移動やセリフにかかる時間も細かく記録し、それに合わせてセットの寸法サイズなどを決定。例えば冒頭の塹壕シーン。まずは何もない平地で役者とカメラを動かして何度もリハーサルを行い、シークエンス全体に必要な通路の長さや避難壕の広さを計算している。その際、ハプニングが起きる場所ごとに立ち位置をマーキング。それらの記録をベースにして、塹壕セットを建設したのだそうだ。もちろん、果樹園と農家のセットなども同様の方法で建設。そう、まるで100年以上もそこに建っているかのような生活感の漂う農家も、実は本作の撮影のため更地に作られたセットだったのである。 このようにして、まるで観客自身がその場に居合わせているような、臨場感と没入感のある映像を作り上げていったサム・メンデスと撮影監督のロジャー・ディーキンス。ただ、この手法には大きな弊害もあった。照明を使えなかったのである。なにしろ、カメラは絶え間なく移動しているうえ、縦横無尽に向きを変えるため、現場に余計な機材を置くとカメラに映り込んでしまう。それでも屋外シーンでは自然光を使えるが、問題は室内シーンと夜間シーンである。そのため、ドイツ軍塹壕の室内では懐中電灯を照明代わりに使用。また、戦火に見舞われた町エクーストを舞台にした夜間シーンでは、燃え盛る教会の炎(実は巨大照明が仕込まれている)と照明弾が暗闇を明るく照らしている。 このエク―ストの巨大セットがまた素晴らしい出来栄え!もともとは破壊される前の街並みを丸ごとセットとして建設。それを撮影のためにわざわざ壊したのだそうだ。なんとも贅沢な話である。しかも、ただ照明弾を打ち上げてセットを照らすのではなく、俳優やカメラの動きと調和するようにタイミングを計算して発射。その甲斐あって、まるで夢とも現実ともつかぬ幻想的で神秘的なシーンに仕上がっている。 さらに本作は、主人公スコフィールドとブレイクのキャスティングも良かった。観客がすんなりと感情移入できるよう、メンデス監督はあえて一般的な知名度の低い若手俳優を起用。スコフィールド役のジョージ・マッケイにブレイク役のディーン=チャールズ・チャップマンと、どちらも子役時代から活躍している優れた役者だが、しかし本作以前は決してメジャーな存在とは言えなかった。中でも、古風な顔立ちと素朴な佇まいのマッケイは、100年前の若者を演じるにはピッタリ。繊細で内向的な個性と少年のように無垢な表情が、ナイーブで実直なスコフィールドの苦悩と哀しみと勇気を見事に体現している。一方のチャップマンも鬼気迫るような大熱演を披露。ブレイクがドイツ兵に腹を刺され、段々と血の気が引いて顔が青ざめていくシーンは、メイクでも加工でもなく純然たる演技だというのだから驚く。 かくして、全編ワンカットという映像的な技巧に甘んずることも頼ることもなく、悪夢のような戦争の記憶を未来へと語り継ぐ力強い反戦映画を作り上げたサム・メンデス監督。’22年12月に全米封切り予定の次回作『Empire of Light』(’22)は、’80年代を舞台にした恋愛映画とのことだが、初めて単独でオリジナル脚本を手掛けているのは、恐らくこの『1917 命をかけた伝令』で培った経験と自信あってこそなのだろう。■ 『1917 命をかけた伝令』© 2019 Storyteller Distribution Co., LLC and NR 1917 Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
スウィンダラーズ
天才詐欺師とエリート検事が悪徳詐欺師を追い詰める!二転三転する騙し合いに手に汗握る痛快サスペンス
韓国で実際に起きたマルチ商法詐欺事件を題材にしたクライムサスペンス。『愛の不時着』のヒョンビンや『オールド・ボーイ』のユ・ジテら人気俳優が集結し、巧妙かつ予測不能な騙し合いをスリリングに魅せる。
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COLUMN/コラム2022.03.01
メキシコの生んだ伝説の悪霊ラ・ヨローナが甦る!『ラ・ヨローナ ~泣く女~』
映画界でも脈々と受け継がれたラ・ヨローナの恐怖 日本でも大人気のホラー映画『死霊館』ユニバースの第6弾に当たる作品だが、しかしストーリー上の直接的な関連性は薄いため、厳密には単独で成立するスピンオフ映画と見做しても構わないだろう。テーマはメキシコに古くから伝わる怪談「ラ・ヨローナ(泣く女)」伝説。ラテン・アメリカ圏では広く知られた話で、過去に幾度となく映画化もされてきているが、しかし日本でちゃんと紹介されたのは、これが初めてだったのではないかとも思う。そこでまずは、「ラ・ヨローナ」の伝説とはいかなるものなのか?というところから話を始めたい。 それは昔々のこと。メキシコの小さな村に美しい女性が住んでいた。ある時、彼女は村へやって来た裕福な男性と恋に落ちて結婚し、2人の子宝にも恵まれるものの、やがて夫は別の若い女性と浮気をしてしまう。これに怒り狂った女性は、仕返しとして子供たちを川で溺死させてしまった。すぐ我に返って子供らを助けようとしたもののすでに手遅れ。深い喪失感と後悔の念に打ちひしがれた女性は、自らも川に身投げをして命を絶つ。しかし、神の罰を受けた彼女は白いドレス姿の亡霊としてこの世に甦り、我が子を探し求めて泣きながら永遠に地上を彷徨うこととなる。そして、運悪くラ・ヨローナに遭遇してしまった人間は、亡き子供たちの身代わりとして連れ去られてしまうのだ。 地域によって多少の違いはあるものの、一般的に知られているラ・ヨローナ伝説の大まかな内容は以上の通り。メキシコのみならずプエルトリコやベネズエラなど中南米各国に似たような話が存在し、昔から大人が子供を躾けるための怪談として語り継がれてきたという。「悪いことをするとラ・ヨローナにさらわれちゃうよ」と。さらに、中南米からの移民によってアメリカへも伝説は持ち込まれ、かつて1990年代にはマイアミやニューオーリンズ、シカゴなどの各地で、ホームレスの子供たちが黒い涙を流すラ・ヨローナを目撃したという噂が広がったこともあった。 ラ・ヨローナのルーツについては諸説ある。そのひとつが、古代アステカの神話に出てくる女神シワコアトル。亡き息子を探し求めて泣きながら現れる、死の予兆を感じると泣きながら現れるなどの言い伝えがあるらしいが、いずれにせよ彼女がラ・ヨローナ伝説の元になったという説が最も有力だ。また、エウリピデスのギリシャ悲劇「メディア」との類似性を見出すこともできるだろう。夫の裏切りに怒り狂った王女メディアが、復讐のため我が子を手にかけるという下りは非常によく似ている。さらに、アステカ帝国を征服したスペインの侵略者エルナン・コルテスに棄てられたインディオの愛人マリンチェが、奪い去られそうになった息子をテスココ湖のほとりで殺害し、死後に亡霊となって泣きながら地上を彷徨ったという逸話もあるそうだが、しかし彼女とコルテスの息子マルティンはスペインでちゃんと育っているので、これは裏切り者の代名詞として憎まれたマリンチェを貶めるために生まれた作り話と思われる。 そんなラ・ヨローナが初めて映画に登場したのは、メキシコで最初のホラー映画とも呼ばれる『La Llorona(泣く女)』(’33)。これはラ・ヨローナの呪いをかけられた一家の話で、ホラーというよりもミステリー仕立てのメロドラマという印象だ。続く『La Herencia de la Llorona(泣く女の遺産)』(’47)は幻の映画とされており、筆者も見たことはないのだが、推理ミステリーの要素が強かったらしい。’60年代には有名なB級映画監督ルネ・カルドナが『La Llorona(泣く女)』(’60)という作品を残しているが、しかしラ・ヨローナ映画の最高傑作として名高いのは、メキシカン・ホラーの巨匠ラファエル・バレドンの『La Maldición de la Llorona(泣く女の呪い)』(’61)であろう。ここでは黒装束に黒い眼をしたラ・ヨローナが登場。ラ・ヨローナを復活させるための生贄に選ばれた女性の恐怖を描き、マリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(’60)を彷彿とさせるゴシックな映像美が素晴らしい。 以降も、覆面レスラーのサントがラ・ヨローナと対決するルチャ・リブレ映画『La Venganza de la Llorona(泣く女の復讐)』(’74)、ラ・ヨローナ伝説にフェミニズムを絡めたシリアスな幽霊譚『Las Lloronas(泣く女たち)』(’04)、珍しく日本でDVD発売された『31km』(’06)、マヤ語の方言でラ・ヨローナを意味する悪霊ジョッケルが出てくる『J-ok'el』、ラ・ヨローナ伝説を子供向けにアレンジしたアニメ『La leyenda de la Llorona(ラ・ヨローナの伝説)』(’11)が登場。その中でも『Las Lloronas』は女性監督らしい視点の光る秀作だ。また、アメリカでもラ・ヨローナ伝説にエクソシストを絡めた『Spirit Hunter: La Llorona』(’05)、『死霊のはらわた』風にアレンジした『The Wailer』(’05)、スラッシャー映画仕立ての『The River: Legend of La Llorona』(’06)などが作られており、『The Wailer』と『The River: Legend of La Llorona』はシリーズ化もされている。ただ、’00年代のアメリカ版ラ・ヨローナ映画は、いずれもウルトラ・ローバジェットのインディーズ映画で、残念ながら決して出来が良いとは言えない。 ハリウッドが初めて本格的に取り組んだラ・ヨローナ映画 そして、ハリウッドのメジャー映画が初めてラ・ヨローナを取り上げたのが本作『ラ・ヨローナ~泣く女~』(’19)。冒頭でも述べたように『死霊館』ユニバースのひとつとして作られたわけだが、しかしシリーズ作品との関連性は『アナベル 死霊館の人形』(’14)のペレズ神父がサブキャラとして出てくることと、フラッシュバックで一瞬だけアナベル人形が姿を見せるくらいしかない。 映画の冒頭はオリジン・ストーリー。1673年のメキシコで、夫に浮気された女性が復讐のため2人の息子を川で溺死させ、自らも命を絶って白いドレスの悪霊ラ・ヨローナとなる。舞台は移って1973年のロサンゼルス。時代設定は『アナベル 死霊博物館』(’19)の1年後に当たる。警官の夫に先立たれた女性アンナ(リンダ・カーデリーニ)は、ソーシャルワーカーとして働きながら2人の子供を女手ひとつで育てている。ある時、アンナは担当するメキシコ系のシングルマザー、パトリシア(パトリシア・ヴェラスケス)と連絡が取れないとの報告を受け、無事を確認するため彼女の自宅へ訪問すると、物置部屋に監禁されたパトリシアの息子たちを発見する。児童虐待を疑われて逮捕されたパトリシアだが、しかし本人は子供たちを守るためだと必死になって懇願する。そして翌晩、施設に預けられていたパトリシアの子供たちが、なぜか近くの川で溺死体となって発見された。 真夜中に亡き夫の元相棒クーパー刑事(ショーン・パトリック・トーマス)から呼び出され、息子クリス(ローマン・クリストウ)と娘サマンサ(ジェイニー・リン=キンチェン)を連れて現場へ駆けつけるアンナ。大きなショックを受ける彼女に、半狂乱になったパトリシアが「あんたのせいだ」と激しく詰め寄り、子供たちはラ・ヨローナに殺されたと主張する。その頃、車で待っていたクリスとサマンサは悪霊ラ・ヨローナ(マリソル・ラミレス)に襲われるが、言っても信じては貰えまいと母親には内緒にする。それ以来、アンナの自宅では奇妙な現象が相次ぎ、やがて彼女自身もラ・ヨローナの姿を目撃。悪霊は明らかに子供たちを狙っていた。恐ろしくなったアンナは教会のペレズ神父(トニー・アルメイダ)に相談し、強力なシャーマンである呪術医ラファエル(レイモンド・クルス)を紹介してもらう。愛する我が子を守るため、ラファエルの力を借りてラ・ヨローナに立ち向かうアンナだったが…? ロサンゼルスが舞台となっているのは、ここがかつてメキシコ領だったこと、現在に至るまでメキシコ系住民の多いことが主な理由であろう。’70年代を時代設定に選んだのは、もちろん当時のオカルト映画ブームへのオマージュという意味もあろうが、同時に本作が女性の映画、母親の映画であることにも深く関係しているように思う。ウーマンリブ運動の台頭によって女性の権利向上が飛躍的に進んだ’70年代のアメリカだが、それでもまだ女性の社会的地位は決して高いとは言えず、マーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)など当時の映画を見ても分かる通り、シングルマザーが子育てをするには依然として厳しい社会環境だった。周囲の理解やサポートをなかなか得られないシングルマザーが、子供を守るため悪霊に立ち向かっていくという本作のストーリーにとって、そうした時代背景はとても重要な要素とも言えるだろう。 アメリカでもラテン・コミュニティの間では誰もが知る有名な怪談だったラ・ヨローナの物語。これが長編映画デビューだったマイケル・チャベス監督も、ロサンゼルスで育ったことからラ・ヨローナを知っていたそうだが、しかし一般的な知名度はそれほど高くなかった。そのため、本作はラ・ヨローナ伝説の基本へと立ち返り、その存在を初めて知る平均的なアメリカ人女性を主人公に据えることで、予備知識のない観客でも理解できるオーソドックスなオカルト映画に仕立てられている。一部を除いてCGやグリーンバックの使用をなるべく避け、アナログな特殊メイクでラ・ヨローナを描写している点も、古き良きオカルト・ホラーの雰囲気を醸し出して効果的だ。ラ・ヨローナという題材以外に目新しさはないものの、そのぶん安心して楽しめる王道的なホラー・エンターテインメントと言えよう。 なお、本作の直後にはグアテマラ内戦時代に起きた先住民の大量虐殺事件とラ・ヨローナ伝説を結び付けたグアテマラ映画『La Llorona(泣く女)』(’19)が、さらに最近ではメキシコを旅した米国人一家がラ・ヨローナに襲われる『The Legend of La Llorona』(’22)が作られている。果たして、ラテン・アメリカの生んだ永遠不滅の亡霊ラ・ヨローナは、フレディやジェイソン、キャンディマンなどに続くホラー・アイコンとなり得るだろうか…?■ 『ラ・ヨローナ 〜泣く女〜』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
U-571
ドイツ軍の最新鋭潜水艦に潜入せよ!第二次大戦の史実を基に創造したリアルな戦争アクション
第二次大戦で実際に行われた暗号機奪取作戦をヒントにした戦争アクション。ドイツ軍最新鋭潜水艦に潜入した米軍兵の死闘を、実物大のレプリカ・セットで舞台を再現するなど、リアリティ重視の骨太な演出で描く。
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COLUMN/コラム2019.08.02
背筋の凍る深海ホラー『海底47m』の恐怖と人喰いザメ映画の変遷。
もともとはDVDとVODのみでリリースされる予定で、実際に小売店向けのサンプルDVDまで配布されていたものの、配給会社が直前になって劇場公開へ踏み切ることを決定。その結果、超低予算のインディーズ作品であるにも関わらず、全米興行収入6230万ドルのスマッシュヒットを記録することになった人喰いザメ映画である。 旅行先のメキシコでケージ・ダイビングに挑戦したアメリカ人姉妹が、血に飢えたサメのウヨウヨする海の底に取り残されてしまうという恐怖。低予算の人喰いザメ映画が毎年のように大量生産されている昨今だが、しかしその多くがDVDストレートやテレビ映画であることを考えると、この『海底47m』が映画館で真っ当に受け入れられたことは、それなりに画期的だったとも言えよう。 人喰いザメ映画の変遷を振り返る それにしても、人喰いザメ映画の根強い人気には少なからず驚かされるものがある。ご存知の通り、そもそもの原点はスティーブン・スピルバーグ監督の出世作である『ジョーズ』(’75)。海水浴客で賑わう避暑地の海岸に凶暴で巨大なホオジロザメが現れ、次々と人間を食い殺して人々を恐怖のどん底へと突き落とす。若きスピルバーグ監督のツボを心得たショック演出、作曲家ジョン・ウィリアムズによるスリリングな音楽スコアなどのおかげもあり、興行収入において当時の史上最高記録を樹立するほどの社会現象となった。 これを機に、ピラニアやクマや犬、さらには蜂やミミズやタコなど、ありとあらゆる生物が人間に襲いかかる動物パニック映画のブームが訪れ、本家『ジョーズ』もシリーズ化されて合計4本が製作された。しかし意外なことに、その『ジョーズ』シリーズに続く本格的な人喰いザメ映画は、リアルタイムではほとんど作られなかったのである。 メキシコの有名なB級映画監督ルネ・カルドナ・ジュニアは、『タイガーシャーク』(’77)と『大竜巻/サメの海へ突っ込んだ旅客機』(’78)を相次いで発表するが、蓋を開けてみるとどちらもメインは恋愛ドラマやら自然災害パニックで、人喰いザメなど刺身のツマも同然の扱いだった。フロリダを基盤に’60年代からZ級クズ映画を撮り続けたウィリアム・グルフェも、『地獄のジョーズ/’87最後の復讐』(’76)なる映画を作っているが、当時はほとんど見向きもされなかった。 一方、世界に冠たるパクリ映画大国イタリアでは、人喰いザメ映画と思ったら実は海洋版『未知との遭遇』だった!という『人食いシャーク・バミューダ魔の三角地帯の謎』(’78)という怪作が存在するが、やはりマカロニ版人喰いザメ映画といえば、イタリアン・アクションの巨匠エンツォ・G・カステラーリが撮った『ジョーズ・リターンズ』(’81)であろう。ストーリーはほぼ『ジョーズ』のリメイクだが、機械仕掛けの巨大なサメを出し惜しみせず大暴れさせるサービス精神は立派だった。これがアメリカ市場でもメジャー・ヒットを飛ばしたことから、以降もランベルト・バーヴァ監督の『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』(’84)、トリート・ウィリアムズ主演の『死海からの脱出』(’87)など、イタリアでは正統派(?)の人喰いザメ映画が何本か作られている。 このように、必ずしも大きなうねりとはならなかった人喰いザメ映画だが、しかし’90年代末になって状況が一変することとなる。レニー・ハーリン監督作『ディープ・ブルー』(’99)のメガヒットだ。テレビ向けに制作された『シャークアタック』(’99)もシリーズ化されるほど評判となり、徐々に人喰いザメ映画が量産されるようになっていく。その背景には、CG技術の発達や撮影機材のコンパクト化のおかげで、昔ほど手間暇をかけずとも、それなりに見栄えのいいサメ襲撃パニックを描けるようになったことが挙げられるだろう。 そして、製作本数がうなぎ上りに増加していくに従って、奇想天外なギミックによって観客受けを狙った悪ノリ映画も増えていく。その走りが、人喰いザメ映画というより巨大モンスター映画と呼ぶべきビデオ映画『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス』(’09)。竜巻に乗って人喰いザメが空から降ってくるテレビ映画『シャークネード』(’13)は、米ケーブル局SyFyの看板シリーズになるほどの大評判で、現在までに通算6本が製作されているほか、スピンオフ作品やコミック版、ビデオゲーム版まで誕生した。 ほかにも、人喰いザメが陸上の砂浜を暴れまわる『ビーチ・シャーク』(’11)、民家に棲みついた人喰いザメが住人を襲う『ハウス・シャーク』(’17)、恨みを持って死んだ人喰いザメが幽霊になる『ゴースト・シャーク』(’13)、雪山のスキー場に人喰いザメが出現する『アイス・ジョーズ』(’14)などなど、もはや文字通り何でもありの滅茶苦茶な状態。そのうち、人喰いザメが宇宙で大暴れするようになるのも時間の問題であろう。いや、既にそんな映画あったりして(笑)。 ただ、先述したように、これらの人喰いザメ映画の大半は、DVD市場およびテレビ向けに作られた低予算のB級作品。映画館でちゃんと上映されたのは、中国資本が入ったメジャー大作『MEGザ・モンスター』(’18)と、オーストラリアとフィリピンの合作『パニック・マーケット3D』(’12)くらいのものだ。とはいえ、この手の人喰いザメ映画が世界中で根強いファンを獲得し、安定的なマーケットを成立させていることは注目に値するだろう。 本当に恐ろしいのは人喰いザメよりも不気味な深海世界! その一方で、奇をてらうことなくリアルなスリルと恐怖を追求した、正統派の人喰いザメ映画も、数こそ少ないもののコンスタントに作られている。恐らくその代表格は、サメのうろつく海のど真ん中で置き去りにされたダイバー夫婦のサバイバルを、緊張感たっぷりに描いてサプライズヒットとなった『オープン・ウォーター』(’04)であろう。また、海岸から離れた岩場に取り残された女性サーファーが、巨大な人喰いザメと対峙することになるブレイク・ライヴリー主演の『ロスト・バケーション』(’16)も、地味な低予算映画でありながら高く評価され、興行的にもまずまずの成功を収めた。実際、当初DVDスルーされるはずだった『海底47m』が劇場公開されるに至ったのも、『ロスト・バケーション』のヒットにあやかろうという配給会社の思惑があったとされている。 主人公はメキシコを旅行中のアメリカ人姉妹リサ(マンディ・ムーア)とケイト(クレア・ホルト)。好奇心旺盛で活発な妹ケイトに対し、姉のリサは淑やかで控えめな女性だ。その慎重すぎる性格のせいで、婚約者から「退屈だ」と言われて振られてしまったリサを励ますべく、姉を夜遊びへと連れ出すケイト。そこで地元のイケメン男子コンビ、ルイス(ヤニ・ゲルマン)にベンジャミン(サンティアゴ・セグーラ)と知り合った姉妹は、巨大なサメを間近で見ることの出来るケージ・ダイビングに誘われる。 退屈な女の汚名を返上しようと、怖がるリサを説得するケイト。開放感あふれる南国の海と太陽と青空にも後押しされ、イケメン男子たちと待ち合わせてケージ・ダイビングに参加する姉妹。しかし、アメリカ人らしい船長テイラー(マシュー・モディン)は見るからに怪しげだし、船や機材も古くて錆びついている。いや、これって絶対に無許可の違法営業でしょ、本当に信用しても大丈夫なのかなーと思いつつ、ダイビングスーツに酸素ボンベを装着してケージの中に入るリサとケイト。ところが、運の悪いことに不安は的中。ケージを吊るしているクレーンが壊れてしまい、姉妹はケージの中に閉じ込められたまま海底47メートルまで真っ逆さまに落下してしまう。 落下のショックから意識を取り戻したリサとケイト。気が付くと酸素ボンベは残り僅かだし、無線も圏外で船と連絡を取ることが出来ない。そのうえ、真っ暗な海底には巨大な人喰いザメがウヨウヨしているため、うかつにケージの外へ出るのは危険。違法業者であるテイラー船長たちが助けてくれるかも分からない。かといって、自力で脱出しようにも潜水病が心配だし、なによりサメに襲われる確率が高い。そんな極度の緊張と不安の中、姉妹はどのようにして絶体絶命の危機を乗り越えていくのか…!?というわけだ。 まさしく『オープン・ウォーター』や『ロスト・バケーション』の系譜に属する、リアリズム志向の強いワン・シチュエーションな海洋サスペンス・ホラー。注目すべきは、物語の大半が海底で展開すること。過去の人喰いザメ映画を振り返ってみても、深海を主な舞台にした作品はほとんど例がない。この着眼点こそ、本作が成功した最大の理由だろう。 なにしろ、海の底はどこまでも果てしなく真っ暗。その深い闇に何が潜んでいるのか分からない。しかも、酸素ボンベがなければ息も出来ないし、そもそも海底40メートルを超えると身体的なリスクも高くなる。そう考えると、本作において真に恐るべきは人喰いザメではなく、不気味に広がる海底世界そのものだと言えるだろう。水泳の苦手なカナヅチの筆者にとっては、それこそ眩暈がするほどの恐怖である。中でも、姉妹を助けに来た船員ハビエル(クリス・J・ジョンソン)が遠くへ消えてしまい、彼を探しに向かったリサがハッと気付くと、真っ暗な空洞のごとき海底の崖が眼下に広がっているシーンなどは、まさしく背筋が凍るような恐ろしさ!この臨場感を存分に味わうためにも、出来れば映画館で見て欲しい作品だ。 監督は『ゴーストキャッチャー』(’04)や『ストレージ24』(’12)などで知られるイギリス出身のホラー映画作家ヨハネス・ロバーツ。実は彼自身が経験豊富なダイバーだという。なるほど、素人が見ても細部の描写までリアリティが感じられるのはそのためか。主演は’00年代初頭に一世を風靡した元人気ポップシンガーのマンディ・ムーアと、ドラマ『ヴァンパイア・ダイアリーズ』(‘11~’13)および『オリジナルズ』(‘13~’18)のヴァンパイア、ミカエラ役で有名なクレア・ホルト。2人ともダイビングは全くの未経験で、直前にトレーニングを受けて撮影に臨んだのだそうだ。怪しげなテイラー船長を演じるのは、懐かしの’80年代青春スター、マシュー・モディン。近ごろはスクリーンで見かけることも少なくなった。 なお、来る’19年8月16日には、待望の続編『47 Meters Down: Uncaged』が全米公開される。再びヨハネス・ロバーツ監督がメガホンを取っているものの、ストーリーそのものは直接的な関連性がない。今回は4人のティーン女子がダイビングで海底遺跡の探索に出かけたところ、暗い洞窟に潜む人喰いザメたちに襲われるというお話。日本公開を期して待ちたい。■ 『海底47m』© 47 DOWN LTD 2016, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
(吹)U-571 【日曜洋画劇場新版】
ドイツ軍の最新鋭潜水艦に潜入せよ!第二次大戦の史実を基に創造したリアルな戦争アクション
第二次大戦で実際に行われた暗号機奪取作戦をヒントにした戦争アクション。ドイツ軍最新鋭潜水艦に潜入した米軍兵の死闘を、実物大のレプリカ・セットで舞台を再現するなど、リアリティ重視の骨太な演出で描く。
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COLUMN/コラム2017.02.11
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年3月】飯森盛良
ベトナム戦争真っ最中68年公開作。南北戦争時代の西部劇にかこつけた社会風刺。主人公七人のヤングガンは長髪でこぎたない格好。自由気ままで世間知らず。好きな馬を駆り戦場で大冒険ができると田舎から出てきたイージー☆ライダーたちだが、そこには知らなかった凄絶な黒人奴隷差別の問題や、“個”を抑圧する軍隊の理不尽が待ち受けていた。軍では、髪切れ、制服着ろ、口の利き方がなっとらん、馬には乗せん歩兵として戦えなど、冒険する暇もなく彼らは命を散らせていく…青春戦争ドラマの哀愁も漂う激レア西部劇。4:3トリミングSD版だがそれでも見逃すなかれ! © 1968 Universal City Studios, Inc. Copyright Renewed. All Rights Reserved.