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「シネマ解放区」ラインナップのうち、ザ・シネマが独自の視点で特に推薦する“お宝作品”について、他では見れないプロによる解説や評論をつけたスペシャルコラムを毎月連載中!

マシスン原作の核に迫る映像化、そして幻となったシュワルツェネッガー版とは? ——『アイ・アム・レジェンド』——

尾崎一男

■前映画化作品に勝る、地上に一人残された主人公の“孤独感”  2007年に公開された『アイ・アム・レジェンド』は、リチャード・マシスンによる終末パニックホラー小説「吸血鬼」(54)の3度目となる長編劇映画化だ。前回の映画化作品『地球最後の男/オメガマン』(71)のリメイクとして、ワーナーはこの企画を世紀をまたぎ息づかせてきた。 しかし本作はマシスンの小説に立ち返ることで、単なるリメイクではなく、原作と『オメガマン』両方の性質を持つ内容となっている。ウィル・スミス演じる主人公ネビルは『オメガマン』と同じく科学者に設定されており(原作のネビルは工場労働者)、ただ事態に翻弄されるのではない、原因究明の使命を帯びたキャラクターを受け継いでいる。また過去回想のインサートによって、ネビルの背景と感染パニックの起点が明らかになる構成は原作に準拠したものだ。  いっぽう『オメガマン』からの変更点は時代設定のほか、人類がウイルス感染し、吸血鬼症を引き起こす原因が同作とは異なっている。前者は製作年度よりもやや先の2012年が舞台となり(『オメガマン』の時代設定は1977年)、そして後者は癌の治療薬として有効視されていた新型ウイルスが、抑制不能の伝染性ウイルスに変化したため引き起こされたものと改められた(『オメガマン』では中ソ戦争での生物兵器使用が原因)。 それにともない感染者の容姿や症状にも、著しい変化がもたらされている。『オメガマン』では感染者は肌の色素を失い、視力の退化した新種のミュータントと化し、自分たちの生存権を主張していた。しかし『アイ・アム・レジェンド』の感染者は「ダーク・シーカー」と呼ばれ、本能的に人を襲う凶暴な夜行性肉食生物として描かれている。その変化は「コミュニケーションのとれない外敵」という性質をおのずと強いものにし、9.11同時多発テロ以降のハリウッド映画らしい、姿なきテロリズムを暗喩したものになっている。  そして過去の映画化作にはない『アイ・アム・レジェンド』固有の特徴として、主人公ネビルの「孤独」を強調する演出が挙げられる。怪物化した感染症者との戦いもさることながら、地上から自分以外の人間が消え、ネビルは自律によって理性を保ち、近代文明から切り離された極限状態での生存を余儀なくされていく。マシスンの原作は、こうした孤独との葛藤を緻密に綴ることで、シチェーションそのものが持つ恐怖をとことんまで追求し、そして後半部の驚くべき展開への布石として機能させている。こうした原作に対する細心の配慮が、原作の根強い支持者だけでなく『オメガマン』に批判的だったマシスンの信頼をも取り戻していくのである。 ■徹底した封鎖措置と、デジタルの駆使によるニューヨークの廃墟化  そんなネビルの孤独を引き立たせるため、本作は無人となって廃墟化した市街地のシーンに創造の力点が置かれている。『オメガマン』では、この都市が無人化するインパクトのある場面を、舞台となるロサンゼルスで撮影。歩行者の少ない休日のビジネス街を中心にゲリラ撮影をおこない、効果的なショットの数々を生み出した。『アイ・アム・レジェンド』もこのアプローチにならい、作品の舞台であるニューヨーク市で実際にロケ撮影が行なわれている。ただ異なるのはその規模と方法で、こちらは南北は五番街を挟んだマディソン街と六番街の間、そして東西は49丁目から57丁目の間で歩行者と車の交通を完全に遮断し、人が一人として存在しない同シチェーションを見事に視覚化したのだ。ネビルを演じたウィル・スミスは、当時の撮影状況を以下のように振り返っている。「一生かけても無人のニューヨークなんて目にすることは絶対にないからね。あれはパワフルな光景だった。五番街の一角を無人にしたとき、僕たちは前例のないことをやっているんだということを痛感したよ」(*1) このようにして得た廃墟のショットを、本作はさらにデジタルで修正し加工することで、映画は無人となった都市の景観が、経年によってどのように変貌していくのかをシミュレートしたものにもなっている。本作のプロデュースと脚本を兼任したアキヴァ・ゴールズマンは、なによりそのモチベーションが『オメガマン』にあったのだと、同作への対抗意識をあらわにしている。「ロサンゼルスと違って、ニューヨークは24時間ひっきりなしに人が動いている。そんな場所で無人のゴーストタウンを作り出すなんて、それだけで挑戦的な価値があるといえるね」(*2)  リメイクの話が幾度となく出ては消える、そんなサイクルが常態化していた『アイ・アム・レジェンド』の映画化は、まさに作り手の企画に対する情熱的な思いと、映画技術の熟成こそが突破口を開けたのだ。  

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吸血鬼を恐れぬ現代に、どんな恐怖を暗示させるのか—? 『地球最後の男 オメガマン』

尾崎一男

■チャールトン・ヘストンのディストピア三部作 『地球最後の男 オメガマン』(71)は、TVシリーズ『ミステリーゾーン』(58〜64)における数多くのエピソードや、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)の原作を手がけた作家リチャード・マシスンが、1954年に発表した同名長編小説の映画化だ。日本で翻訳が出版されたときの邦題が「吸血鬼」で、そのタイトルどおり、ウイルスの蔓延によって人類は夜行性の吸血鬼と化し、抗体として人間のまま生き残った主人公ロバート・ネビルが、孤独に耐えながら彼らと戦う物語だ。  もっとも「吸血鬼」は過去に3度映画化されており、『オメガマン』はその2本目にあたる。1本目は怪奇俳優として名高いヴィンセント・プライスが主演した『地球最後の男』(64)。マシスンが偽名で脚本執筆に加わっただけあって、物語は原作にきわめて忠実だ。またタイトルからもわかるように、『オメガマン』はギリシャ語アルファベットの最後となる文字「Ω(オメガ)」を用い、『地球最後の男』を婉曲的に踏襲している(ちなみに3本目の『アイ・アム・レジェンド』(07)はこちらを参照)  この『オメガマン』はネビルを演じたチャールトン・ヘストンがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画で、その頃の彼の立ち位置を知ると動機がわかりやすい。『十戒』(56)や『ベン・ハー』(59)など、宗教啓蒙的な性質を持つ史劇大作で世界に名を広めたヘストンだが、60年代後期は俳優としての変革期にあった。そこで先述の作品で得たパブリックイメージを保たせながら、自身のキャリアに柔軟性をもたせるための、既成でない対勢力にあらがう新たなヒーロー像を模索したのだ。中でも際立ったのが、人類が猿に支配される『猿の惑星』(68)や、人間を食料加工品にする『ソイレント・グリーン』(73)といった、時代の機微に応じて製作されたディストピア(暗黒郷)SFへのアクセスである。  当時、アメリカはインフレが加速して石油価格が上昇し、景気が後退。ベトナム戦争の長期化によってNASAの宇宙開発は凍結され、社会を暗く揺れ動かしていた。これらの事象に対する動揺を反映するかのように、アメリカ映画界にはダークで終末感に満ちた作品が群発したのである。ヘストンはそんなムーブメントに対し、自らディストピアSFに活路を見出し、マシスンの原作の現代的アレンジに強い関心を示していたのだ。 ヘストンは「吸血鬼」を主演作『黒い罠』(58)の撮影時、監督のオーソン・ウェルズから勧められて手にとっている。そして原作に惹き込まれた彼は1969年11月、プロデューサーのウォルター・M・ミリッシュ(『荒野の七人』(60)『夜の大捜査線』(67))と話し合い、ワーナーと接触。翌1970年1月には『地球最後の男』にあたってアウトライン研究を始め、同年2月8日に脚本担当のジョン・ウィリアム・コリントンと、彼の妻ジョイスらと共に脚本開発に移行している。 ■作品の背後にあるゼノフォビア  コリントン夫妻は『地球最後の男』と同様、ネビルが科学者である設定を引き継ぎ、また異なるポイントとして、ウイルスの影響によって変貌した人間の描写を更新させた。『オメガマン』において彼らは黒衣をまとい、自分たちの共同体を「ファミリー」と呼び、生存権を主張する“ミュータント”に変えたのである。 映画はこうした形で、人種のカテゴリーが崩壊し、社会的優位をが脅かされていくことへの警戒心を内在させ、そこには当時すさまじい勢いでアメリカを席巻していた公民権運動(黒人が自由と平等を獲得するためにおこした運動)や、ベトナム戦争への不審が生んだカウンターカルチャー(対抗文化)の存在がうかがえる(ヘストン自身は公民権運動の支持者であり、ベトナム戦争に反対の立場をとっていた)。あるいは若い信徒を「ファミリー」と称して引き連れ、映画女優シャロン・テートの殺害に及んだチャールズ・マンソンのような、カウンターカルチャーが誘引した反社会勢力を連想させるものとなっているのだ。またウイルス感染の起因が「中ソ戦争による科学兵器の使用」と設定づけられたのも、1969年3月2日に起こった中ソ国境紛争(中国人民解放軍がダマンスキー島のソ連国境警備隊55人を攻撃した紛争)が背景にあり、そこに当時の共産主義に対するアレルギーが見え隠れしている。 他にも物語の要となるヒロインにロザリンド・キャッシュを起用し、当時のハリウッドメジャー作品としては異例の異人種間のロマンスを展開させたことで、そこに公民権運動を牽引するブラックパワーや、ウーマンリブ(女性解放運動)の影響を指摘することもできる。つまり『オメガマン』は、総じてアメリカが同時代に抱えていた「ゼノフォビア(外来恐怖症)」を反映したものになっているのである。  もっとも、こうしたゼノフォビアは原作が生まれた段階から宿命のようにつきまとっている。マシスンの「吸血鬼」が世に出た1950年代、アメリカは米ソ冷戦や共産主義への深刻な脅威にさらされ、ゼノフォビアは侵略SFという形を借りて描かれてきた。それを象徴するようにジャック・フィニィの「盗まれた街」や、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」など侵略SFのマスターピースが発表され、また映画においては数多くのエクスプロイテーションな侵略SFものが量産されている。 マシスンは幼い頃、ベラ・ルゴシ主演のモンスター映画『魔人ドラキュラ』(31)を観たとき「個体でさえ恐ろしい吸血鬼が集団化したらどうなるのか?」という思いに駆られ、それが「吸血鬼」を手がける発端だったと語っている(*1)。多数派によるカテゴリーの侵食や崩壊がイメージの根にある本作が、映画化によってその時々のゼノフォビアに感応するのは自明の理といえるだろう。 ■原作者マシスンの『オメガマン』に対する反応  そんな『オメガマン』を、原作者であるリチャード・マシスン自身はどう思ったのか?  マシスンは後年のインタビュー(*2)において、「チャールトン・ヘストンはいい俳優だし、マンソンファミリーのようなカルトを皮肉るなど、映画は時代性をよくあらわしている。だが個人的には好ましくない映画化だ」 と述べている。製作当時、ワーナーは改変のためにマシスン本人からの権利譲渡を避けたようで、こうした先方の態度に思うところがあったのだろう。ちなみにマシスンが「吸血鬼」の映画化作品で認める姿勢を示したのは、意外なことに傍流というべき食人ゾンビ映画の嚆矢『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)だ。同作は「吸血鬼」をイメージソースとしており、監督のジョージ・A・ロメロは『ナイト〜』の商標権を取り戻すために動いていたときにマシスンと会い、アイディアを拝借したことを彼に白状している。そこで商標権の登録ミスにより、自分がこの映画で儲けていないことを告げると「あなたがお金持ちになっていないなら、それ(アイディアの流用)は無問題さ」とロメロに同情を寄せたという(*3)。  さいわいにも2007年の映画化『アイ・アム・レジェンド』のときは、マーク・プロトセヴィッチの手による脚色がよく出来ていると賞賛。プロモーションにも協力するなど、ワーナーとの関係を回復させて彼はこの世を去っている。  とはいえ、こうした原作者の感情がどうであれ、『地球最後の男 オメガマン』はカルト映画として支持され、恒久的にファンを獲得し続けている。それは本作が、1970年代ディストピアものとして他にはない独特の雰囲気を放ち、また前述のようなメッセージ性をはらむ作品構造が、いつの時代の社会問題にも置き換え可能だからだろう。欧州の難民問題、トランプ政権下の移民政策etc.はたして我々はいま、この映画に何を見るのだろう?■  

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“オーストラリアの伝説”をいま再び!? 『クロコダイル・ダンディー』

松崎まこと

 昨年=2018年1月、『クロコダイル・ダンディー』シリーズが、「17年ぶりの復活!?」と話題になったのを、ご記憶の方はどのくらいいるだろうか。新作のタイトルは、『ダンディー』。こちらがそのニュースの源となった、予告編第1弾である。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ https://www.youtube.com/watch?time_continue=38&v=PCS657nOY8I    壮大な大自然が映し出され、荘厳なBGMに乗って、「この夏、“オーストラリアの伝説”の息子が帰ってくる」とスーパーが謳い上げる。崖の上には “クロコダイル・ダンディー”ルック=ワニ革のチョッキを纏いカウボーイハットをかぶった男が佇むわけだが…。 カメラが彼に迫ると、かつて一世を風靡した『クロコダイル・ダンディー』を知る者は漏れなく、「ん~!?」となった筈だ。  マッチョなオージーのポール・ホーガンが演じた元祖“ダンディー”に対し、こちらに登場するその“息子(!?)”は、中肉中背…というよりは、小太りの中年男。元祖とは似ても似つかない。演じるは、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(2008)『エイリアン:コヴェナント』(17)などでおなじみの、アメリカ人俳優ダニー・マクブライドである。  予告編のリリースと共に、『ダンディー』のストーリーが紹介された。オーストラリア奥地で、元祖“ダンディー”のミックが行方不明となる。そこで捜索の適任者として、アメリカ育ちのうるさい息子、ブライアン・ダンディーに白羽の矢が立てられ、彼はオーストラリアへと上陸する。  その後続々とUPされていったティーザーやトレーラーを見ると、主役のキャスティングからはじまって、内容的には過去のシリーズのパロディの色彩が強い様子が窺える。しかしそれを超えて驚きを与えたのは、脇を固める豪華出演陣であった。  “ダンディー”Jr.の相棒となるガイド役が、『アベンジャーズ』の“ソー”ことクリス・ヘムズワースなのをはじめ、ヒュー・ジャックマン、マーゴット・ロビー、ルビィ・ローズ、ラッセル・クロウと、オーストラリア出身の人気スターが続々と登場するのだ!もちろんポール・ホーガンも、特別出演で元気な姿を見せる。  さて期待を膨らませるだけ膨らませたこの予告編については、早々に種明かしが行われた。実は『ダンディー』は“映画”ではなく、翌2月に開催される、全米最大のスポーツイベント「スーパーボウル」で放送されるCMだったのである。「オーストラリア政府観光局」がアメリカ市場向けに、約31億円を投じて行った、キャンペーンの一環という説明がされた。 「な~んだ」という話だが、それにしても1986年に第1作が公開されてから、30年余。『クロコダイル・ダンディー』は、息子キャラが主役のCM『ダンディー』で謳われるように、正に“オーストラリアの伝説”になっているのだな~と、再認識させられた。   ではここで改めて、“伝説”の第1作のストーリーを、紹介しよう。  アメリカの大新聞社の社主の娘で、花形女性記者のスー(演;リンダ・コズラウスキー)は、オーストラリアに出張中、“クロコダイル・ダンディー”の噂を耳にする。“ダンディー”は奥地で、クロコダイル=大ワニに襲われて足を食いちぎられたにも拘わらず生還した、奇跡の男であるという。  現地取材に乗り出したスーの前に、“クロコダイル・ダンディー”ことミック・ダンディー(演;ポール・ホーガン)が現れる。足を食いちぎられたというのは与太話だったが、クロコダイルと戦った証拠として、ミックは大きな傷痕を見せる。そんな彼は、野性的なセックスアピールに溢れ、一見粗野ながらもユーモアを解し、ハートがデカくて温かい、「男の中の男」であった。  スーはミックのガイドで、取材のための奥地探検へと出掛ける。車での移動中、行く手を阻む水牛に出会うが、先住民=アボリジニに育てられたというミックは、魔法のような催眠術で、それを眠らせてしまう。  歩きでのジャングル行になった後も、次々と驚きの行動を見せるミック。スーが水辺でワニに襲われた際には、俊敏な動きでワニに飛び乗り、ナイフの一撃でトドメを刺すのだった。  すっかりミックに魅了されたスーは、彼をニューヨークへと誘う。ミックも彼女に惹かれていたことから、誘いに乗って世界有数の大都市へと向かう。 カルチャーギャップもあって、ニューヨークで様々な珍騒動を巻き起こしていくミックと、その地にインテリの婚約者が待っていたスー。そんな2人の恋は、果してうまくゆくのか?  『クロコダイル・ダンディー』は、ハリウッドで幾度も映画化された、ジャングルの王者“ターザン”の現代版とも言うべき、単純な構図のストーリー。構成も演出も至極ゆる~い仕上がりのオーストラリア映画であったが、全米で公開されるや、興行成績が9週連続でTOPという、常識外れの超特大ヒットとなった。  原案・脚本を手掛け、主演を務めたポール・ホーガンは、1940年生まれで製作・公開時は40代半ば。マッチョと言っても、当時隆盛を極めていたスタローンやシュワルツェネッガーのような“ステロイド系”とは違い、もっとナチュラルな筋肉の持ち主で、その分派手さには欠ける。その風貌も、日焼けした「ただのおっさん」っぽい。  高校卒業後に建設作業員からバーテンまで、様々な職業を経験したというホーガンだが、1970年代後半からはオーストラリアのTV界では、スターとして人気を博していた。『クロコダイル…』製作以前にアメリカでも、「オーストラリア・ツーリスト協会」のCMがオンエア。「グッダイ(こんにちは)」と、オーストラリア訛りの英語で呼び掛ける、ホーガンのキャラが大受けしていたという。 そういった意味では、“ダンディー”のキャラが受け入れられる下地はあったと言える。とはいえ、なぜここまでのヒットになったのだろうか?  早速続編の話が持ち上がり、2年後=88年には『クロコダイル・ダンディー2』が公開された。こちらはそのままニューヨークに居着いたミックが、愛するスーと共に、南米コロンビアの麻薬組織に命を狙われることになる。 ニューヨークを脱出し、郷里のオーストラリアにスーを連れて戻ったミックは、そこでジャングルと荒野に罠を仕掛けながら、悪党どもを待ち受ける…。  前作と一味違う、サスペンス含みのハードな設定…と言いたいところだが、実際はそんなことはほぼ感じさせない。ミックvsマフィアのアクションシーンも展開されるが、前作とほとんど変わらず、ゆる~い構成と演出で進行していく。  因みに『2』は、第1作ほどではないが、全米興行で3週連続TOPを記録する大ヒット。同時期に公開された“ステロイド系”スタローンの『ランボー3/怒りのアフガン』を、見事に撃破した。『クロコダイル…』の世界興収は、第1作・第2作合わせて、実に700億円以上に上ったという。 今回再見して思ったのだが、『クロコダイル…』両作は正に、1980年代後半の観客が、求めていた作りだったのではないだろうか?  当時のハリウッドは、ドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーのプロデューサーコンビが席捲していた。彼らが作るのは、『フラッシュダンス』(83)『ビバリーヒルズ・コップ』(84)『トップガン』(86)といった、時にはイマジナリーラインも無視して、細かいカットを積み重ねながら、BGMをガンガン掛けていくような、いわゆる「MTV感覚」の作品。  それに比べて『クロコダイル…』と来たら、MTV感覚のカケラもない(笑)。よく言えばのんびりとした、悪く言えば間延びした構成と演出で、アクションシーンになっても、ろくにBGMも掛からない始末である。  この素朴さや安心して観ていられる感じが、バチバチの「MTV感覚」に辟易としていた、映画観客にアピールしたのではないか?いくら流行りの大ヒット作だからといって、ノレない層は確実に存在する。そこにリーチしたことが、大ヒットに繋がる要因の一つになったのではと、想像する。  そして『クロコダイル…』の大ヒットは、オーストラリアという土地とそこに暮らす人々の、あくせくしない魅力を大いにアピール。世界中から観光客を呼び込むのにも、大いに寄与したのである。  さて『2』から13年後、21世紀に入ってからシリーズ第3作として、『クロコダイル・ダンディー in L.A.』(2001)が製作される。こちらではミックとスーのカップルは、2人の間に生まれた息子と、観光化されつつあるオーストラリア奥地で、3人暮らし。ところがスーの仕事の都合で、家族でロスアンゼルスに行くことになり、そこで騒動を巻き起こすといったストーリーが展開する。  さすがに80年代のままとはいかなかったようで、構成や演出、BGMも“いま風”になっている。改めてシリーズを観返すと、『in L.A.』のそんな部分に、逆に淋しさを感じたりもする。 ミックとスーのその後の顛末にも、一抹の淋しさを覚える。実際は、演じたポール・ホーガンとリンダ・コズラウスキーの話なのだが…。  『クロコダイル…』第1作の日本公開時=1987年、ポール・ホーガンはプロモーションで来日。その時は18歳の時に結婚したという妻ノエリーンと、5人の子どもを伴っていた。実はホーガンとノエリーンは81年に1度離婚するも、翌82年に復縁という経緯を辿っている。 ところがホーガンはその後、ノエリーンとは再び離婚。そして90年に、既に周知の仲だった、18歳下のコズラウスキーとゴールインに至った。  2人の間には映画同様、一粒種の男の子が生まれ、2001年にはシリーズ第3作『in L.A.』が製作された。その後も2人揃って公の場に姿を現すことが多く、『クロコダイル…』が生んだホーガン&コズラウスキーのカップルは、長らく“おしどり夫婦”で通っていた。  しかし2014年、24年間に及んだ2人の結婚生活は破綻。『クロコダイル…』シリーズスタート時は40代だったホーガンは70代、アラサーだったコズラウスキーは50代後半にして、独身へと戻ったのである。  そんな“現実”も乗り越えて(!?)、“オーストラリアの伝説”を現代に蘇らせた、「オーストラリア政府観光局」製作のCM『ダンディー』。「ザ・シネマ」で『クロコダイル・ダンディー』シリーズ本編を鑑賞した上でご覧になられると、ぐっと楽しさも増す。   そのティーザーとトレーラーをまとめたリンクを貼っておくので、『クロコダイル・ダンディー』を必ず観てから、下記をクリックして欲しい!■ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ https://www.youtube.com/watch?v=jvmcWPeQwIc  

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巨匠ルネ・クレマンと俳優アラン・ドロンのターニング・ポイントとなった犯罪ミステリー

なかざわひでゆき

※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。本作を未見の方はご注意ください。   ヌーヴェルヴァーグの波が大きなうねりとなって席巻した、’50年代末から’60年代のフランス映画界。旧世代の巨匠・名匠たちの多くが、第一線を退いたり低迷を余儀なくされる中、この過渡期を見事に切り抜けた数少ない戦前・戦中派の一人がルネ・クレマンだった。映画監督になるためには助監督として長いこと修業を積むのが当たり前だった時代、既に学生の頃から16ミリフィルムで実験映画を撮っていた彼は、’34年に映画界入りしてからも下積みの経験は殆どなく、すぐに短編ドキュメンタリーの監督として実績を積むようになる。そして、ナチス占領下のフランスにおける鉄道員たちのレジスタンス活動をセミ・ドキュメンタリー・タッチに描いた長編処女作『鉄路の闘い』(’45)でカンヌ国際映画祭の監督賞と国際審査員賞を獲得。カンヌでの受賞時は33歳。同世代の映画監督に比べると10年は早い最初の成功だった。   さらに、『鉄格子の彼方』(’49)ではカンヌの監督賞を再び獲得し、米アカデミー賞の外国語映画賞も受賞。『禁じられた遊び』(’52)でも2度目のオスカーに輝き、ヴェネツィア国際映画祭のグランプリ(金獅子賞)まで受賞するなど、40歳を前にしてフランスを代表する世界的な巨匠の仲間入りを果たす。しかし、’54年に後のヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォーが映画雑誌『カイエ・ドゥ・シネマ』に掲載した論文「フランス映画のある種の傾向」が、クレマンのキャリアと名声に少なからず暗い影を投げ落とす。この論文でトリュフォーは、当時の旧態依然としたフランスの商業映画を厳しく批判し、ジャン・ルノワールやジュリアン・デュヴィヴィエ、クロード・オータン=ララ、マルセル・カルネといった巨匠たちを否定した。その中に、彼らよりひと回り以上も若いクレマンも含まれていたのだ。   以降も『しのび逢い』(’54)や『居酒屋』(’57)などの作品をヒットさせたクレマンだったが、しかしその一方で、若い世代の映像作家や観客からは時代遅れな旧世代の監督と見なされるようになる。そんな彼が汚名挽回とばかりに、詩的リアリズムの伝統を受け継いだそれまでの作風から脱却し、高度経済成長期のヨーロッパに蔓延する虚栄と退廃、快楽主義と物質主義の世相を、ヌーヴェルヴァーグの時代に相応しいモダンなセンスで描いた犯罪ミステリー。それが『太陽がいっぱい』(’60)だったと言えよう。   原作はアメリカの女流ミステリー作家パトリシア・ハイスミスが’55年に発表した、代表作トム・リプリー・シリーズの第1弾『リプリー』。貧しい労働者階級のアメリカ人青年トム・リプリー(アラン・ドロン)は、大富豪の御曹司である友人フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)をアメリカへ連れ戻すため、フィリップの父親に雇われてイタリアのローマへ向かう。しかし、ヨーロッパで放蕩三昧の生活を楽しむフィリップに帰国の意思はなく、いつまでもトムを連れ回して遊びほうけるばかり。このままでは5000ドルの報酬にありつけない。なんとか彼のご機嫌を取ろうとするトム。しかし自分のことを雑用係も同然に扱うフィリップの尊大な態度に業を煮やした彼は、やがてある計画を思いつき実行に移す。それは、フィリップを殺して彼に成りすまし、その莫大な財産を横領するという大胆不敵な完全犯罪だった。   第二次世界大戦で本土が一度も戦場とならなかったアメリカが、未曽有の経済的繁栄を享受した’50~’60年代。そのアメリカによる経済援助のおかげもあって、激しい戦火に見舞われた西欧主要国も当時は奇跡的な高度経済成長期を迎えていた。まさしく『甘い生活』(’60)の時代である。ただ、その物質主義的で退廃した狂乱の世相を、フェリーニが傍観者であるジャーナリストの目から俯瞰して描いたのに対し、ほぼ同時期に作られた本作では「持てる者と持たざる者の格差」に焦点を当てつつ、今も昔も社会の大多数を占める「持たざる者」の若者トム・リプリーによる屈折した復讐劇が展開していく。   たまたま富裕層に生まれただけのフィリップがいい思いをして、なぜ自分ばかりがこき使われ辱めを受けなければならないのか。美しくも野心的で計算高い若者トムは必ずしも好人物とは言えないものの、しかしその一方で、親の財力を笠に着て我がまま放題に振舞うフィリップに対する彼の不満と憤りは、観客の共感を呼ぶに十分な説得力があると言えるだろう。   このトム・リプリー役を演じるアラン・ドロンが素晴らしい。まるで彫刻のように完璧な美貌と少年のように無邪気な笑顔の裏に、動物的な狡猾さと歪んだナルシシズムを秘めた危険な若者。灼熱の太陽のもと、地中海の洋上に浮かぶヨットの上でフィリップを躊躇することなく殺害した彼は、その後も良心の呵責に苛まれることなど一切なく、淡々と冷静沈着に完全犯罪計画を実行していく。かといって悪人というわけでもない。計画に気付いたフィリップの友人フレディ(ビル・カーンズ)を衝動的に殺した直後、平然とオーブンから取り出したチキンの丸焼きを夢中で貪り食うその姿は、善悪の概念に縛られることのないアンチヒーローという意味において、ゴダールの『勝手にしやがれ』(’60)のジャン=ポール・ベルモンドと双璧だ。   そんな主人公トムの本能的な残酷さと冷徹さを、ルネ・クレマンは肯定も否定もすることなく描いていく。ラストに彼を待ち受ける運命についても、恐らく警察に捕まって罰を受けるであろうことを匂わせつつ、しかしあえて解釈の余地を残して幕を閉じる。なにしろ、それまでも動物的な生存本能で危機的な局面を幾度も切り抜けてきた彼のこと、いくらでも逃げ切る可能性はあるだろう。事実、原作のトムは罪に問われることなく完全犯罪を成し遂げ、クレマンも当初はトムがギリシャへと逃げおおせる結末を想定していた。しかし、さすがにそれでは観客が納得しないだろうと、製作者アキム兄弟の助言によって、とりあえずギリギリでモラルの境界線を守った完成版のエンディングに落ち着いたらしい。これはこれで賢明な判断だと思うが、もう一つのエンディングも見てみたかった気がする。   そのアキム兄弟の推薦で脚本に参加したのが、当時クロード・シャブロルの『二重の鍵』(’59)で注目されていたポール・ジェゴフ。撮影監督にはシャブロルやトリュフォー、ルイ・マルの作品でお馴染みのアンリ・ドカエが起用された。この面子だけでも、クレマンとアキム兄弟がヌーヴェルヴァーグ世代を強く意識していたことは明らかだろう。   それだけでなく、クレマンは本作でヌーヴェルヴァーグ的な即興演出も多用している。例えば、フィリップ殺害後にトムが死体を処分しようとしたところ、急な天候の悪化でヨットが強風に見舞われるシーン。これは撮影中にたまたま天候が急変したことから、ああいう形になったという。激しい波と強風に煽られながら、トムが懸命になってヨットを操縦するロングショットは、アラン・ドロン一人だけを船上に残して撮影されたもの。クルーと共に大型船へ避難したクレマンは、無線を通して「とにかくヨットを転覆させるな」とドロンに指示した。撮影後のドロンは、ひどい船酔いで倒れてしまったそうだ。なお、ヨットの船室シーンは全て、ロケ地であるイスキア島で見つけた映画館の廃墟にセットを組んで撮影されている。   かくして、本作の世界的な大ヒットによって若い世代のファン層を獲得し、米仏合作の戦争超大作『パリは燃えているか』(’66)の演出を任されるなど、第二の全盛期を迎えることになったルネ・クレマン。主演のアラン・ドロンもこれが出世作となり、一躍フランスを代表するスーパースターへと躍り出た。ちなみに、ドロンが起用されることになった経緯について諸説あるが、クレマン監督によると当初のトム・リプリー役は別の俳優(当時ブリジット・バルドーの夫だったジャック・シャリエと言われる)が予定されていたという。   一方のフィリップ役を探している際、当時ドロンのエージェントだったオルガ・オルスティッグから熱心な売り込みがあり、クレマンは参考にするため彼の出演作『学生たちの道』(’59)を見に行った。監督曰く、ドロンの演技自体はパッとしなかったものの、何か特別に感じるものがあったという。そこで、クレマンはエージェントを交えてドロンと直に面談。その時点でトム役はモーリス・ロネに決まっていたが、直接会ったドロンの方がトムのイメージに合っていると判断し、2人の役柄を入れ替えたのだそうだ。これがドロンにとって、俳優人生を変える最大の当たり役となったのだから、人の運命というのは面白いものである。■

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「マクドナルド」“創業者”のホントのところ!? 『ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密』

松崎まこと

 誰でも知ってる「マクドナルド」は、正確な英語読みで発音すると、「マクドナルド」とはならない。「マク・ダーナルズ」「マク・ダーヌルズ」或いは「マクナード」などになるらしい。  アメリカ発のこのハンバーガーチェーンを日本で展開するに当たり、アメリカ本社の反対を押し切って、「日本語的に馴染み易い3・3の韻になるように」と、「マクドナルド」という名称にしたのは、「日本マクドナルド」の創業者・藤田田(1926~2004)である。主に関東で使われる略称「マック」はともかく、関西方面での「マクド」という呼び方は、藤田の決断があったが故に生まれたと言える。  冗談はさて置き、「マクドナルド」と命名したエピソード一つからでも、藤田のイノベーターとしての優秀さや、ベンチャー事業者としての優れた勘を読み取ることが可能であろう。「ソフトバンク」の孫正義や「ユニクロ」の柳井正など、彼の薫陶を受けた経営者も、数多い。 「日本マクドナルド」が、アメリカ本社の反対を押し切ったという意味でもう一つ有名なのが、「第1号店」を東京・銀座のど真ん中に出店したこと。  藤田はこの戦略について、奈良時代・平安時代の昔より日本では外国文化が、まず国の中心に入ってきてから広がっていった歴史があると考え、出店先を決めたと語っている。実際は、アメリカ側が自動車での来店を想定して、神奈川県の茅ヶ崎に「第1号店」を開くことを主張したのに対し、日本ではアメリカほどモータリゼーションが発展していない現実に向き合った結果が、銀座出店だったと言われている。  藤田はそうした自分の経営哲学のようなものを、経営者やビジネスマンに響くような言葉で、数多く残している。そんな中で私が特に印象深く覚えているのは、次の言葉である。 「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」  子どもの時に食べたものは、絶対忘れない。年を取っても食べ続け、自分の子ども達にも食べさせるという算段である。藤田は実際に、12歳以下の子どもたちをターゲットにハンバーガーを売りまくって、いわば“味の刷り込み”に成功。外食産業の世界で、大きな地位を築いた。  この言葉とエピソードは、ビジネス的には名言であり大きな成功譚として捉えるべき内容なのかも知れない。しかし、素直に称賛などできない。大きく引っ掛かる部分がある。  藤田自身がハンバーガーについて、「あまり好きじゃない(笑)。ハンバーガー屋だからハンバーグ食べなきゃならんという理由はないんだよ。ハンドバッグ屋のオヤジがハンドバッグ持って歩きますか?」「ハンバーガーより、うどんが好物」などと、何の衒いもなく語るような人物であったから、余計に…。  そんな藤田に、日本での「マクドナルド」展開の権利を渡したのが。本作『ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密』でマイケル・キートンが演じる主人公、レイ・クロックである。  さて、「マクドナルド」という、どう考えても人名由来のハンバーガーチェーンの“ファウンダー=創業者”を名乗る男が、なぜレイ・クロックなのであろうか?そうした疑問を抱いたプロデューサーの存在があって、本作はこの世に生み出された。  正確に言えばクロックは、「マクドナルド」自体の“創業者”ではない。「マクドナルド」のフランチャイズチェーン化を成功させた意味での“創業者”なのである。  では真の“創業者”は? “ファストフード”の命とも言える、“スピード・サービス・システム”やコストをカットしながらもクオリティを保つという革新的なコンセプトを生み出した者は、一体誰だったのか?  そこまでの疑問は、レイ・クロックの有名な自伝「成功はゴミ箱の中に」を読むだけでも、すぐに解ける。それは、カリフォルニア州のサンバーナーディーノに、自分たちの姓を冠したハンバーガーショップを開いていた、マックとディックの“マクドナルド兄弟”なのである。  クロックとマクドナルド兄弟の出会いは、1954年。当時52歳のクロックは、ミルクシェイクを作る“マルチミキサー”のセールスマンだった。ある時兄弟の店から大量発注を受けたことがきっかけで、引きも切らず客が押し寄せる、彼らの店の驚くべきシステムを知る。  クロックは、大々的な出店には慎重だった兄弟を、口八丁手八丁で説得し、「マクドナルド」の“フランチャイズ権”を獲得。チェーン化による大量出店を進めていく。  さてそこまでの経緯は良いとして、クロックがフランチャイズ展開を始めて7年後の1961年に、兄弟は自分たちの姓を付けた「マクドナルド」を、完全に手放すこととなる。そこには一体何があったのか?  クロックの自伝では、フランチャイズ各店ごとの事情に応じた変更を行なおうとすると、マクドナルド兄弟は契約を盾にして、まるで融通が利かなかったとされる。また契約上、文書を書き起こす必要があるような場合でも、口約束で済まそうとしたという。時には向上心が薄い彼らが、まるで「マクドナルド」の拡大・発展を阻んでいるかのように記された部分さえある。  ところが本作では、主役にはクロックを据えながらも、マクドナルド兄弟の視点が盛り込まれていることで、その辺りの事情がかなり違って描かれる。それは本作の製作チームが、「マクドナルド」から手を引いた後のディック・マクドナルドが小さなモーテルを所有していたという記事を発見し、そこからディックの孫とコンタクトを取ることが出来たからである。  製作チームは、その時は既に亡くなっていた兄弟が遺した、会話の録音テープやクロックとの間の書簡や記録写真、様々な設計図や模型など、貴重な資料の数々を入手。それによって、クロックの自伝だけでは窺い知ることが出来なかった物語を、紡ぐことが可能になった。  先に書いた通り、1961年に兄弟は「マクドナルド」の商権を、クロックへと譲渡した。その対価は、270万㌦。クロックの自伝によると、兄弟はこの大金を得たことで、旅行や不動産投資を楽しみにする老後に、「ハッピーリタイアした」とある。  しかし本作で描かれる「マクドナルド」売却を巡るやり取りは、そんな生易しいものではない。詳しくは本作をご覧いただくとして、兄弟が「ニワトリ小屋の中にオオカミを入れてしまった」と評したクロックの、「欲しいと思ったものは、絶対に手に入れる」やり口には、嫌悪感を抱く向きも少なくないであろう。  またクロックは、「マクドナルド」のやり口だけパクって、「クロックバーガー」を展開することも可能だったのに、「マクドナルド」という名前ごと、兄弟から奪い取ることにこだわった。本作で語られるその理由は、アメリカという移民国家や大量消費社会を考察する意味で、大変興味深い。  最後に、レイ・クロックの人物像に更に迫るため、「日本マクドナルド」の藤田田の話に戻る。藤田は自身の言で、日本出店の交渉のために、レイ・クロックを訪ねた際のやり取りを紹介している。  それによるとクロックは、名刺をトランプのように掴んで、「300枚あるよ。日本の商社の人やダイエーの中内さんも来た。でもサラリーマンには熱意はないし、ミスター中内さんは買ってやるという高姿勢だったから断った。キミは熱心だし、日本で成功できそうだからキミに売るよ」と、藤田に日本での展開を委ねたという。  素直に受け取ればクロックに、「人を見る目」「先見の明」があったというエピソードになる。しかし、本作『ファウンダー』で、レイ・クロックが自分が生んだわけではない「マクドナルド」を手に入れて“ファウンダー=創業者”を名乗り、拡大に次ぐ拡大をした軌跡を目の当たりにした後では、単に「先見の明」があったという話にはノレない。  己が好きでもない食べ物を拡販して、後に日本人の食の嗜好や習慣まで変えてしまうことになる藤田に対して、クロックは自分と同じような“何か”を感じたのではないだろうか? そんなことまで、考えさせられる。『ファウンダー』は、実に深い作品であった。■  

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