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多重人格(?)ジョニー・トー監督の本領発揮作『MAD探偵 7人の容疑者』〜10月05日(木)ほか

高橋ターヤン

香港。西九龍署のバン刑事は、人が内に秘めた人格を察知する特殊な能力を持つ刑事。さらに被害者や加害者の状況を疑似体験して事件の真相を知ることで、数々の難事件を解決してきた有名刑事である。しかしバン刑事の異常行動は、事件捜査の際だけでなく、署長退任時に自身の右耳を切り取ってプレゼントするなどエスカレート。バン刑事は、状態的に奇行を繰り返すようになっていき、ついには精神病と診断されて警察も追われてしまった。  『MAD探偵 7人の容疑者』は衝撃的かつ不可解な始まり方をする映画だ。説明が極力省略されていることで、バン刑事の周囲で起こる異常な状態と異常な行動を、観客はバン刑事の周囲の人物たちと同様に「一体何が起こっているのか?」という目線で見始めることになる。  5年後、バンのもとにホー刑事がやってくる。ホー刑事は新人刑事時代に、バンと共に殺人事件を担当し、その衝撃的な捜査スタイルが強く印象に残っており、今自身が担当している事件への協力を依頼したのだ。その事件とは“ウォン刑事失踪事件”。1年半前のある夜、同僚のコウ刑事と共に窃盗事件の捜査中だったウォン刑事は、犯人を追う中で山中で姿を消した。しかしウォン刑事の拳銃が複数の強盗事件で使用され、4人の死者も出る事態となっていたのだ。ウォン刑事の生死も不明な中で事件捜査は難航し、担当のホー刑事はバンに助けを求めたのだった。  バンはコウ刑事を見るなり、コウ刑事が内面に秘める7人の人格を察知。ウォン刑事失踪事件の犯人は、コウ刑事であることを断定する。突飛で不可解な行動を繰り返しながらも事件解決に向けて少しずつ前進するバンを理解しようと努力するホー刑事だったが、バンはホー刑事の警察手帳と拳銃を持ち去って勝手に捜査を開始してしまう事態になってしまい……。  バンの持つ能力は、サイコメトリー能力(残留思念を読み取る能力)であり、ビジュアライズされたテレパシー能力(相手の考えていることが分かる能力)。サイコメトリーと言えばデヴィッド・クローネンバーグの『デッドゾーン』(83年)を想起するが、『デッドゾーン』と違ってその能力の具体的な裏付けの説明が一切ないため、バンが超能力者なのか、実はただのサイコパスなのかは最後まで明確にされることは無いというのが特徴的な作品。  監督はジョニー・トーとワイ・カーファイのゴールデンコンビ。主役のバン役には目力が強力な野性味あふれるラウ・チンワン。バンに事件解決依頼をしたために本当にひどい目に遭うホー刑事役には、アクション映画で実力を発揮するアンディ・オン。事件の当事者であるコウ刑事役は、香港の蟹江敬三ことラム・カートン。ビジュアライズ化されたコウ刑事の7人の人格役にはラウ・カムリン、ラム・シュー、チョン・シウファイらが配役されている。  89分というタイトな映画であるが、中身がギュウギュウに詰まった映画で、ラウ・チンワンが同じ食べ物を何度も注文する食事シーンや、ラウ・カムリンの立ちションシーンなど印象的なシーンの目白押し。メキシカン・スタンドオフが炸裂するドラマティックなクライマックスと、唐突に終わる間抜けにもほどがあるラストのコントラストは衝撃的だ。  さて、本作の監督であるジョニー・トーは、もちろんご存じの通り香港を代表する世界的な監督であるのだが、筆者はトー監督もまた多重人格なのではないかと疑っている。  ジョニー・トーは1955年生まれの62歳。香港の九龍に生まれたトーは、17歳の時に香港最大のテレビ局TVBでアシスタントとしてキャリアをスタートする。翌年にはバラエティ番組のディレクターとして演出家デビュー。数々のテレビ番組やテレビドラマを演出した後、1980年には『碧水寒山奪命金』で映画監督デビュー。1989年にはチョウ・ユンファ主演の『過ぎゆく時の中で』を監督し、スマッシュヒットを飛ばす。アンディ・ラウの『raiders レイダース』(91年)やチャウ・シンチーの『チャウ・シンチーの熱血弁護士』(92年)など、若手の有望株の主演作を次々と監督し、その実力を認められたトー監督は、1993年に香港版『チャーリーズ・エンジェル』とも言うべき『ワンダー・ガールズ 東方三侠』を監督。アニタ・ムイ、ミシェル・ヨー、マギー・チャンという美女三人が大活躍するアクションコメディは大ヒットを記録し、同年中に続編も制作されている。また第二次世界大戦中の中国空軍兵のラブロマンス『戦火の絆』(96年)、ラウ・チンワンと初タッグを組んだ消防士アクション映画『ファイヤーライン』(96年)と、佳作を量産体制に入る。また1996年には、TVBでプロデューサーとして活躍していた同い年のワイ・カーファイと銀河映像を設立しており、トー監督作品はこの銀河映像で制作されることになる。  1998年、名曲『上を向いて歩こう』をバックに敵対する組織に属する殺し屋2人の絆を描く『ヒーロー・ネバー・ダイ』(98年)で、カルト的な人気が爆発。さらにヤクザの親分のボディガードたちの死闘と友情を描く『ザ・ミッション 非情の掟』(99年)で、香港電影金像奨の最優秀監督賞を受賞して完全に覚醒する。『ヒーロー~』と『ザ・ミッション』で新世代香港ノワールの旗手として完全に認識されたトー監督だったが、翌年には盟友ワイ・カーファイと共同監督した『Needing You』が香港で凄まじい大ヒットを記録する。本作はアンディ・ラウと歌手として大活躍するサミー・チェンがドタバタを繰り返しながら接近していく様子を描く胸キュンラブコメディで、トー監督が香港ノワールの監督とレッテルを貼っていたファンは度肝を抜かれることとなる。  さらにアンディ・ラウとサミー・チェンを続けて起用した、香港版『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』とも言うべき『ダイエット・ラブ』(01年)を発表。特殊メイクで激太りさせた主演2人のドタバタ喜劇は、またまた大ヒットしている。  香港ノワールの巨匠、ラブコメの帝王の名を欲しいままにしたトー監督だったが、その後は日本から反町隆史を招いて制作された『フルタイム・キラー』(01年)を発表。アンディ・ラウが謎日本語を駆使し、謎が謎を呼ぶ悪夢のような展開によって、ヘンテコ映画として認識されることになる。さらに2003年にはジョニー・トーのヘンテコ路線の究極系である『マッスルモンク』を発表。未見の読者には是非観て頂きたいのであるが、とにかく凄まじく変な映画で、前半のスチャラカコメディタッチのデタラメ展開から、後半のシリアス展開へのギャップも凄く、唖然とすることを請け合いの怪作である(しかし本作は香港電影金像奨で13部門にノミネートされ、最優秀作品賞を受賞するという快挙を成し遂げる……謎である)。  ここで「ジョニー・トーもすっかり変な監督になっちまったな……」と思わせておいて発表されたのが『PTU』(03年)。香港警察特殊機動部隊の一夜を描く『PTU』は、改めてトー監督の実力を満天下に知らしめる大傑作。香港電影金像奨で10部門にノミネートされ、トー監督は最優秀監督賞を受賞している。かと思えば同年には金城武主演の軽いテイストのラブコメディ『ターンレフト・ターンライト』(03年)を発表。2003年にはノワール、ラブコメ、ヘンテコの3作品を発表しているのだ(さらにSARSでパニックになった香港を励ますために『1:99 電影行動』も監督している)。  その後もヘンテコ路線として『柔道龍虎房』(04年)、『強奪のトライアングル』(07年)、『僕は君のために蝶になる』(08年)を、ノワール路線として『ブレイキング・ニュース』(04年)、『エレクション』シリーズ(04年~)、『エグザイル/絆』(06年)、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(09年)を、さらにラブコメ路線として『イエスタデイ、ワンスモア』(04年)、『単身男女』(11年)、『香港、華麗なるオフィス・ライフ』(15年)を監督している。  さらにこの3つのジャンルをそれぞれミックスしたようなハイブリッド作品として、『MAD探偵 7人の容疑者』(ノワール+ヘンテコ)のような作品も発表する。3つのジャンルを縦横無尽に行き来しながら年に3本も4本も映画を監督し、しかも次々と傑作・怪作・ヒット作を連発するという芸当は並みのことではない。こんな作品を発表し続けるトー監督は、やはり多重人格なのではないかと思うのだ。■ © 2007 One Hundred Years Of Film Company Limited All Rights Reserved

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「ロシアSFアクション大作」を開拓した記念碑的作品『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』〜10月10日(火)ほか

尾崎一男

■ロシア映画史上最大規模のSFファンタジー  ロシアのSF映画で即座に思い浮かぶ作品というと、未だにアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(72)や『ストーカー』(80)あたりが、日本人の一般的認識として幅を利かせているような気がしてならない。もちろん、これらが歴史的名作であることは言を俟たないが、我が国におけるロシア映画の市場が先細りしている影響もあって、最近の作品があまり視野に入ってこないのも事実だ。  しかし2000年代を境に、ロシアではハリウッドスタイルのスケールの大きな映画が興隆を成し、SFジャンルも観念的でアート志向なものばかりではなく、エンタテインメントに徹した作品が量産されている。  こうしたロシアの映画事情の様変わりは、2004年製作のダークファンタジー『ナイト・ウォッチ』に端を発する。同作を手がけた監督ティムール・ベクマンベトフが、当時小さく散らばっていたロシア国内の特殊効果スタジオをひとつにまとめ、大型の作品にも対応できる製作体制を整えた。これはジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(77)を手がけ、視覚効果スタジオの大手であるILM(インダストリアル・ライト&マジック)設立をうながし、後のSPFX映画のムーブメントを発生させたのと同じ流れである。つまり映画技術のインフラ整理によって、ロシアは「エンタテインメント大作」としてのSF映画の開発に勢いをつけたのだ。(『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』に関しては、今冬の「シネマ解放区」にて解説の予定)  この『プリズナー・オブ・パワー』も、日本円にして約37億という、当時のロシア映画史上最高額の製作費をかけた大作SFとして公開され、国内で20億円という興行成績を記録している。「それ、赤字じゃないのか?」と思われるだろうが、本作は全世界展開を視野に入れた作りをほどこし、さらに21億円という外貨を稼いでいるのである。1シークエンスにつき1セットという豪華なセット撮影や、完成度の高いCGに支えられたVFXショットの数々。バルクールを取り入れた肉体アクションはハリウッドにも劣らぬものとして観る者の目を奪い、また音楽も当初は『ダークナイト』『パイレーツ・カリビアン』シリーズなどハリウッドアクションスコアの巨匠ハンス・ジマーが担当する予定だったというから、世界市場に打って出ようとする、その本気の度合いがうかがえるだろう。  なにより専制君主の強大な権力を打ち負かそうとする自由な主人公は、ハリウッド映画のヒーローキャラクターを彷彿とさせるものだ。この明快さこそが、本作を「ロシアSFアクション大作」たらしめる牽引力といっていい。 ■ストルガツキー兄弟の小説に最も忠実な映画化作品  しかし意外にも、この『プリズナー・オブ・パワー』、物語に関してはロシアらしいメンタリティを強く放っている。原作は同国を代表するSF文学の大家・アルカージー&ボリス・ストルガツキーの手による長編小説『収容所惑星』。ストルガツキー兄弟は前述したタルコフスキーの『ストーカー』や、2015年の「キネマ旬報」外国映画ベスト・テンで6位に選出されたアレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』(13)など、映画との関わりは深い。  ただ『ストーカー』や『神々のたそがれ』が原作と大きく異なるのに比べ、『プリズナー・オブ・パワー』は意外にも、原作にほぼ忠実な形で映画化がなされている。こうした大作ともなれば、原作は名義貸し程度であるかのごとく大幅に改変されるが、ストルガツキー原作映画の中でも、最もその世界観に肉薄したものとなっているのだ。  とはいえ、原作と異なる点もなくはない。たとえば主人公マクシム(ワシリー・ステパノフ)の容姿は、映画では青い目をしたブロンド髪だが、原作では黒い瞳のブルネットだ。そして彼の乗る宇宙船は、映画だと小惑星との衝突によって破壊されるが、原作では自動対空砲で撃墜されている。またマクシムは惑星サラクシの住人の言葉を自動翻訳機を通じて理解するが、原作では徐々に現地語を覚えていくのである。  他にもクライマックスでは、国家検察官ユニーク(フョードル・ホンダルチュク)が責任を回避するため自ら死を選ぶが、原作における彼の最後は不明のままになっているし、マクシムと影の統治者ストランニック(アレクセイ・セレブリャコフ/原作では〈遍歴者〉と呼称)との壮絶な一騎打ちも、原作だと淡白な話し合いにとどまり、過激なアクション展開は映画の中だけのことだ。もっとも、これらあくまでディテールの差異にすぎず、物語を大きく激変るようなアレンジではない。  それよりも原作に忠実であるがゆえに、映画も出版当時の社会主義を批判する内容となっているところに注目すべきだろう。マクシムが敵対する惑星サラクシは、政府が「防衛塔」と呼ぶ電波塔からコントロール波を流し、国民を従属させている全体主義国家だ。彼らの服装にはナチス・ドイツのような意匠が見られるが、根底にあるのは社会主義国時代のソ連の姿である。  ロシアNIS貿易会の機関紙「ロシアNIS調査月報」の連載ページ「シネマ見比べ隊」で、記事担当者である佐藤千登勢は、 「保守派政党である統一ロシアの党員である監督が、面と向かってロシア批判をするはずがない。なので惑星サラクシの独裁体制をナチス・ドイツ的に描くことで、反体制的なメッセージをカモフラージュしているのではないか?」  といった旨の考察をしている。確かにそのような考えも成り立つが、この映画の場合は単純に、ストランニックの「ドイツ語をしゃべる地球人」というキャラクター設定にリンクさせたり、また世界展開を視野に入れた作りのため、わかりやすい悪役像としてナチス・ドイツの意匠が用いられたのだと考えられる。  ちなみにこの『プリズナー・オブ・パワー』の監督を務めたフョードル・ホンダルチュクは、名作『戦争と平和』(66)『ネレトバの戦い』(69)で知られる俳優セルゲイ・ボンダルチュクの息子で、姉は『惑星ソラリス』でケルヴィン博士の妻を演じた女優、ナタリヤ・ボンダルチュクという芸能一家の出身である。『プリズナー~』以降は、スターリングラード攻防戦をソ連軍の視点から描いた戦争アクション『スターリングラード 史上最大の市街戦』(13)など、統一ロシア党員らしい作品を手がけたりしているが、『パシフィック・リム』(12)のキービジュアルを模したポスターであらぬ誤解を受けた戦争ファンタジー『オーガストウォーズ』(12)や、今年公開された侵略SF『アトラクション 制圧』など、ロシア映画のエンタテインメント大作化に寄与している監督だ。自身の政治的スタンスがいかにあれ、今いちばん評価が待たれる作家といっていいだろう。 ■「インターナショナル版」と「全長版」との違い  ところで、この『プリズナー・オブ・パワー』には「インターナショナル版」と、ロシアで公開された「全長版」がある。日本で公開されたのは前者で、ザ・シネマで放送されるバージョンもそれに準ずる。後者は第一章『Обитаемый остров(有人島)』と第二章『Схватка(武力衝突)』の二部からなる構成なのだが、上映時間の総計は217分と「インターナショナル版」より97分も長い。  こう触れると、やはり気になるのは後者の存在だろう。なので両バージョンの相違をここで具体的に記したいのだが、とにかく当該箇所が多いので、大まかに触れるだけに留めておく。なんせ開巻、いきなりマクシムが惑星に不時着するオープニングからして縮められているし、他にも「全長版」はマクシムが牢獄で再会するゼフ(セルゲイ・ガルマッシュ)が収監される経緯や、ストランニックを筆頭とする高官のいびつな人間関係、あるいは政府軍の軍人だったガイ(ピョートル・フョードロフ)が支配の陰謀を知り、マクシムと共に戦おうとする改心のプロセスなどがスムーズに描かれている。加えて同バージョンでは、マクシムとガイの妹ラダ(ユーリヤ・スニギル)が互いに心を通わせていくところを丁寧に描き、捕虜となった彼女を救う意味がきちんと納得できる編集になっているのだが、「インターナショナル版」ではそのあたりが完全に削り取られ、唐突感の否めない構成になってしまっている。  他にも政府がテレビや新聞などメディア報道を徹底的にコントロールし、厳しい統制をおこなっている描写も広範囲にわたって削られているし、ミサイル攻撃を受けたマクシムとガイが政府の潜水艦に潜入し、軍のミュータント虐待を知る重要なシーンも「インターナショナル版」にはない。    このように列記していくと、「インターナショナル版」はドラマ部分をタイトにまとめ、アクションシーンに重点を置いたバージョンのように感じるだろう。しかし、そのアクションシーンも実のところ、かなり刈り込まれているのだ。特にカフェの出口でマキシムが暴漢に襲撃され、それを見事に返り討ちにするアクションシーンは、2009年の「ロシアMTVムービーアワード」で「ベストアクション賞」を獲た名場面でありながら、後半部がかなり短縮されているのだ。加えてクライマックスの凄絶な戦車戦も「全長版」より3分短かくされ、その編集の暴威はとどまるところをしらない。  放送に合わせたコラムなので、本来ならば「無駄な部分を削ぎ落としたぶん、すっきりして見やすい」とフォローしたいところだが、作品を深掘りしていく「シネマ解放区」の趣旨からすれば、正直「インターナショナル版」は短くなってしまったことで、かえって映画が分かりにくくなっている点を主張せねばならない。現状では権利の関係もあって「全長版」の放送は難しいようだが、いずれは朗報を伝えることができるかもしれない。ともあれ、ひとまず今回放送の「インターナショナル版」に優位性を指摘するならば、日本ではDVD(SD画質)でしかリリースされていない本作を、HDで観られる点にある。ハリウッド映画に拮抗するそのゴージャスな作りは、HDで観てこそ価値を放つ。その満足感たるや『惑星ソラリス』で時代が止まっていた人の、ロシア製SF映画に対する認識を一新させるに違いない。  ちなみに「全長版」にはないが「インターナショナル版」にある要素も存在しており、それがアヴァンタイトルを経て登場する、コミック調のオープニング・クレジットだ。擬音に日本語のカタカナ表記が使われているのと、ラダが日本のアニメやコミックに登場しそうな巨乳美少女に描かれているなど、いかにも海外市場に目配りしたかのような映像だが、そうではない。じつは本作、映画化に合わせてコミックスが刊行され、いわゆるメディアミックス的な展開が図られている。つまりあのオープニングタイトルの絵は、本作のコミック版なのである。序文を原作者のボリス・ストルガツキーが手がけ、映画以上に原作の精神を受け継いでいるとのこと。機会があれば、そのコミックス版も読んでみたいものだ。■ ©OOO “BUSSINES CONTACT”.2010

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ニール・ジョーダンのアイルランド愛が充満する現代のおとぎ話『オンディーヌ 海辺の恋人』には、苦い隠し味も〜10月12日(木)ほか

清藤秀人

■かつて水の精霊を演じた女優たち  オンディーヌとは、もともとドイツの作家、フリードリッヒ・フーケ(1777~1843)が書いたおとぎ話『Undine』に登場する"水の精霊"の名前。人間の世界に憧れ、年老いた漁師夫婦の養女となったオンディーヌが、騎士のハンスに恋してしまい、その恋が破綻するまでを描いたその物語は、後にフランスの劇作家、ジャン・ジロドゥの手によって戯曲化される。1954年にはそれを基にした舞台『オンディーヌ』がブロードウェーで上演され、主演のオードリー・ヘプバーンは見事トニー賞を受賞。余談だが、オードリーが『ローマの休日』(53)でアカデミー賞の主演女優賞に輝いた時、ニューヨークの授賞式会場に現れた彼女のアイメイクが異常に濃かったのは、まだ上演中だったオンディーヌのメイクを落とす時間がなかったためだと言われている。余談ついでに、それから7年後、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが再演した『オンディーヌ』で主役を演じたのは、レスリー・キャロン。オードリーが一躍その名を知られるきっかけになった舞台『ジジ』のミュージカル映画版で、9個のオスカーを独占した『恋のてほどき』(58)でヒロインを演じた女優である。映画界にはよくある"因縁の関係"というヤツだ。 ■脚本はほぼ100%ジョーダンのオリジナル  さて、ニール・ジョーダンが脚本と監督を手がけた『オンディーヌ 海辺の恋人』は、幾多の脚色と因縁を紡いできた戯曲とはほぼ無関係の100%オリジナル。しかし!神秘的なオープニングは何やらマジカルで悲劇的なことが起きそうな予感を掻き立てる。舞台は現代のアイルランド南部、コリン・ファレル扮する漁師のシラキュースが、いつものように海中から引き上げた網に、見知らぬ美女が引っかかって来るところから始まる。彼女はシラキュースに名前を聞かれて、「オンディーヌ」と震えながら答えるのだった。  そこから始まる、過去に傷を持つ孤独で貧しいフィッシャーマンと、同じく、背後に謎めいた空気を漂わせる"水の妖精"の如き美女のラブロマンスは、ところどころに、貧困、離婚、アルコール依存、肉体のハンデ、麻薬犯罪、等々、タイトルとは縁遠い生々しい要素を書き加えつつ進んでいく。本作が2009年に世界各地で公開された際(日本ではなぜかDVDスルー、故に必見!)、多くの批評家たちが及第点を与えつつも、散らばった要素が一気に束ねられる現実的過ぎる幕切れに疑問符が付いた。それをカバーして余りあるのがジョーダンの母国アイルランドへの愛だ。 ■ロケ地を設定したプロダクション・デザインが秀逸だ  シラキュースが日々船出する入江の漁港の、寂れてはいてもほのかな陽光に輝く姿と、その先に広がる灰色の海の絶妙な配色。ダークグリーンに澱んだ海中を引き摺られていく黒い網と水の泡、そして、緑濃い岬の先に立つ真っ白い灯台。すべてが中間色で統一された絵画のような風景描写は、理屈抜きに、観客を映画の世界へと引き込んで行く。映画のロケ地をアイルランド南部のコーク州に設定し、作品の成否を分けるとも言われるオープニングシーンをセッティングし、それを監督のジョーダンに託したのは、ロケ地の選択やセット作りまでをトータルで受け持つプロダクション・デザイナーのアナ・ラッカード。ラッカードが本作のプロダクション・デザインで、主演のファレル等と共にアイリッシュ・フィルム&テレビジョン・アワードにノミネートされたのも頷ける。 ■コーク州には美しい灯台がいっぱい  ラッカードはコーク州内をロケハンで周遊し、大西洋に向けてエッジィな半島が何本か突き出る中の1つで、美しい漁港があるビーラ半島のキャッスルタウンベア、それを観るためにわさわざ観光客がやってくるというコーク名物の灯台の中から、ローンキャリングモア灯台、アードナキナ・ポイント灯台をロケ地としてピックアップ。灯台は映画のクライマックスでも印象的に登場する。海と灯台、半島、漁港、網漁、神話、、、それら、どこか懐かしく、それでいてワンダーランドのような世界は、同じ島国に暮らす我々日本人のノスタルジーを掻き立てもする。撮影監督として本プロジェクトに加わったクリストファー・ドイルが、同じく港町シドニーの生まれで、香港映画や日本映画でカメラを回してきたことも、作品の世界観を決定づける要因の1つだっただろう。 ■アイルランド人は基本的に魚を食べない?  ニール・ジョーダンはコークとは反対側に位置するアイルランド北部の都市で、同じ入江を望むスライゴーの生まれだ。南部に美しい山々と湖水地帯を望むスライゴーの主産業は主に牧畜と漁業。画家と大学教授を両親に持つジョーダンが、少年時代に漁業と接点を持ったかどうかは定かではないが、劇中には、港町の祭でレガッタや綱引きに興じる漁師たちの逞しい姿が映し出される。それは、アイルライドでは漁業が1つの文化として今も息づいていることを証明するシーケンスだと思う。一方で、島国でありながらアイルランドでは漁業が発達できない理由があった。カトリックの教えに従い、多くの国民にとって魚は肉食を禁じられる金曜日と断食日にのみ食する肉の代用品と位置付けられ、貧しい人の食べ物という認識が浸透しているのだ。中でも、海で獲れる魚は最下層の食材と受け取られるのだとか。つまり、そもそも漁業は需要の少ない産業なのだ。国土が海に囲まれていながら。シラキュースが貧しさから酒に溺れた過去を引き摺っているのには、そのような社会的かつ宗教的背景があるのだろう。だからこそ、彼はオンディーヌとの出会いに希望を見出し、がむしゃらに絶望からの脱却を図ろうとする。そこに深く共感し、大切なプロットとして書き加えたジョーダンの思いが(脚本も兼任)、半ばファンタジーとして推移する物語に真実味をもたらしている。 ■漁師と人魚はセットの外でも恋に落ちた!!  普段、ハリウッド映画では封印しているアイリッシュ訛りの早口英語を、水を得たように流暢に操るコリン・ファレルが、本来のワイルドに回帰してとても生き生きしている。オンディーヌ役のアリシア・バックレーダはメキシコ生まれのポーランド人女優で、弱冠15歳で祖国が誇る映画界のレジェンド、アンジェイ・ワイダ監督の『Pan Tadeusz』(99)で映画デビュー後、世界へと羽ばたいた。歌手でもある彼女が劇中で人魚の歌を口ずさむシーンがある。そして、美しい裸体や下着姿で無意識という意識でコリンを誘惑する場面も。オードリー、レスリー・キャロンに続く現代のオンディーヌは、そのカジュアルさで先人たちを軽く凌駕している。  やがて、とても自然な成り行きでコリンとアリシアはセット外でも恋に落ち、アシリアはコリンの子供を妊娠→出産。コリンは生まれた息子を彼女に託して、結婚はしないまま、その後別れて現在に至っている。 ■現在、ジョーダンはダブリンで新作を撮影中です!  そして、ニール・ジョーダンは2012年に同郷の女優、シアーシャ・ローナン主演で『インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア』(94)以来の吸血鬼映画『ビザンチウム』を監督したのを最後に、新作が途絶えている。と思ってデータベースをチェックしてみたら、さにあらず。現在、若いヒロインが歳の離れた未亡人と交流するうちにミステリアスな世界に誘われていくというスリラーを、クロエ・グレース・モレッツ、イザベル・ユペール共演で撮影中であった。それも、やっぱりアイルランドの首都、ダブリンで。ジョーダンの母国愛は不滅なのだ。■ ©Wayfare Entertainment Ventures LLC 2010

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【未DVD化】バーブラ・ストライサンド執念の監督デビュー作『愛のイエントル』、完成までの長~い道のり~09月07日(木) ほか

清藤秀人

■バーブラは高らかにビグローの名前を読み上げた!  思い出して欲しい。第82回アカデミー賞で栄えある監督賞のプレゼンターとしてステージに登壇したバーブラ・ストライサンドが、封筒を開いた途端、思わず口走った「the time has come!(遂にこの時が来たわ)」という台詞を。そうして、バーブラは誇らしげにキャサリン・ビグローの名前を読み上げたのだ。対象作は言うまでもなく『ハート・ロッカー』。オスカー史上初めて女性が監督賞を手にした瞬間だった。 DVD未発売「愛のイエントル」の苦難の道程  当夜、バーブラが手渡し役を務めたのには訳があった。と言うか、まるで予め受賞者を知っていたかのようなキャスティングだった。何しろ、バーブラにはビグローよりもずっと前に監督賞受賞の可能性があったにも関わらず、候補にすら挙がらないという苦渋を、1度ならず2度も味わっていたからだ。『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(91)と、彼女の監督デビュー作である『愛のイエントル』(83)だ。今月は、日本語字幕付きVHSは国内で流通したものの、DVDは未発売の女傑、バーブラ・ストライサンドによる初監督作について、その舞台裏を簡単に振り返ってみたい。 ■思い立ったのは『ファニー・ガール』の直後  バーブラがポーランド生まれのアメリカ人ノーベル賞作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの短編"イェシバ・ボーイ"を読み、映画化を思い立ったのは、自ら主演したブロードウェー・ミュージカルの映画化で、巨匠、ウィリアム・ワイラーが監督した『ファニー・ガール』(68)でアカデミー主演女優賞を獲得した直後、1969年のことだった。映画化を思い立った、というのは温い表現で、資料に因ると、次は絶対これで行く!と強く確信したというのが正しいようだ。すでにグラミー賞を受賞する等、その歌手としての類い稀な才能を認められてはいたものの、『ファニー・ガール』でハリウッドデビューしたばかりの映画女優としてはまだ新人の彼女が、である。なぜか?  1904年のポーランド、ヤネブの町。学問は男の専門分野で、女はそれ以外の雑事を受け持つものと教えられていた時代に、ヒロインのイエントルは、あっけなく旅立った父が秘かに教えてくれたタルムード(ユダヤ教の聖典)に触発され、何と大胆にも、男に変装してイェシバ(ユダヤ教神学校)に入学してしまう。そうして、イエントルは性別を偽ることで、人々の偏見を巧みにかわしながらも、それ故に激しい自己矛盾に苦しむことになる。これが『愛のイエントル』のプロットでありテーマだ。 ■動機は亡き父親への熱い思いか?  バーブラ自身は1942年にニューヨーク、ブルックリンでロシア系ユダヤ人の母親、ダイアナと、イエントルの父と同じくポーランド系ユダヤ人の父親、エマニュエルとの間に生まれている。しかし、高校で文法学の教師をしていたという父親は、彼女が生後15ヶ月の時に他界。その後、ダイアナは中古車セールスを生業にしていたルイス・カインドと再婚するが、継父とバーブラの折り合いは悪く、彼女の中では幼い頃に接し、薄れゆく記憶の中で生き続ける実父の面影の中に、自分の体の中に流れるユダヤ人としてのルーツを見出していく。 ■バーブラに立ちはだかった年齢の壁  自らのユダヤ人としてのアイデンティティを映像で手繰り寄せ、実感し、広く告知したい!!そう願った時から、バーブラの苦難が始まる。彼女が原作の映画化権を取得するのは前記の通り、1969年のこと。製作はバーブラがポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーン等と共に成立したスタープロの草分け"ファースト・アーティスト"が受け持ち、原作者のシンガーが脚本を、チェコのイヴァン・パッセルが監督を各々担当することで一旦話は進むが、シンガーは当時40歳のバーブラが10代のイエントルを演じることに難色を示し、プロジェクトから退出。そこで、バーブラは当時の恋人だったヘアスタイリスト上がりのイケイケプロデューサー、ジョン・ピータースに脚本を渡すが、彼もパッセルと同じ理由で乗り気になれなかったという。厳しくもちょっと笑える話ではないか!? ■ピータースを驚愕させた荒技とは?  時は流れて1976年。ピータースと『スター誕生』を撮り終えた時、バーブラはさすがに自分がイエントルを演じるのは無理があると判断し、監督に回ることを決意する。当然、会社側は彼女の監督としての才能には懐疑的だった。2年後、遅々として進まない状況を見かねたバーブラの友人、作詩家のアラン&マーヴィン・バーグマン夫妻(『愛のイエントル』も担当。作曲はミシェル・ルグラン)は、作品をミュージカル映画にすることを提言。それならバーブラのネームバリューで企画が実現すると踏んだからだ。一方、まだイエントル役に固執していたバーブラは男装で自宅に乱入し、ソファで寛いでいたピータースを驚愕させると共に、男装なら年齢が目立たないという利点に気づかせるという荒技に出て、遂にピータースを屈服させる。  その後、一旦製作を請け負ったオライオンが『天国の門』(80/マイケル・チミノ監督によるデザスタームービーの代名詞)が原因ですべての巨額プロジェクトの中止を発表。最終的にユナイテッド・アーティストとMGMの製作で『愛のイエントル』にGOサインが出たのは、バーブラが映画化を思い立ってから13年後の1982年4月のこと。その間、20回も脚本が書き直されていた。  結果的に、バーブラは製作、監督、脚本、主演、主題歌の1人5役を兼任。イエントルが恋する学友のアヴィドールを演じたマンディ・パティンキンには、ブロードウェーのトップスターでありながら、劇中で一曲も歌わせず、歌唱シーンを独り占めしたのは、苦節を耐えて夢を実現させた彼女流の"落とし前"だったのか?恐るべき女優の執念をそこに見た気がする。 ■わがままバーブラはマッチメイカーだった!!  ところで、ユダヤの世界にはマッチメイカー、日本で言う縁結び役が存在する。同じユダヤ人コミュニティが舞台の『屋根の上のバイオリン弾き』(71)でもマッチメイカーは歌に登場するほどお馴染みだ。『愛のイエントル』の編集段階でバーブラに協力したと言われているスティーヴン・スピルバーグは、それが縁で一時は関係を絶っていたエイミー・アーヴィング(アヴィドールのフィアンセ、ハダスを演じてバーブラを差し置いてアカデミー助演女優賞候補に)とよりを戻し、1985年に結婚。その後、アーヴィングと離婚したスピルバーグは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(84)に出演したケイト・キャプショーと再婚し、今も仲睦まじい。実は、キャプショーをスピルバーグに紹介し、『魔宮の伝説』へのきっかけを作ったのもバーブラだった。場所は『愛のイエントル』の編集室。嫌味なくらい自分の希望を押し通したバーブラが、舞台裏では縁結び役を演じていたという皮肉。世紀のディーバには、そんな風に人を幸せにする才能があるのかも知れない。例え、是が非でも欲しかったアカデミー監督賞はその手をすり抜けたとしても。■ YENTL © 1983 LADBROKE ENTERTAINMENTS LIMITED. All Rights Reserved

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「考えるな、感じるな、ただ下らなさに笑え」香港ナンセンスコメディの正当後継映画『ドラゴン・コップス -微笑(ほほえみ)捜査線-』〜09月11日(月)ほか

高橋ターヤン

 おそらくほとんどの方はブルース・リーの一連の作品やジャッキー・チェンの作品のような「カンフー映画」ではなかろうか。その他にジョン・ウーの『男たちの挽歌』や『インファナル・アフェア』、ジョニー・トーの一連の作品のような「香港ノワール」を思い浮かべる方もおられるであろうし、中にはウォン・カーワイやピーター・チャンのようなアート寄りな作品を連想される方もいるのではないだろうか。  そしてそうしたジャンルと並んで、香港映画の代表的ジャンルとして今なお人気を博しているのが、コメディ映画、特にナンセンスコメディ映画なのである。  香港映画は日本の技術者の協力の下、京劇ベースの武侠映画からスタートし、キン・フーやチャン・チェのようなアクション映画に骨太な人間ドラマを持ち込んだ名監督が登場。さらにブルース・リーの登場によって、本物の武術のバックグラウンドを持つ俳優たちによる別次元のアクション映画が登場することで、最初の全盛期を迎える。ブルース・リーの急逝によってその勢いは陰りを見せるかに思えたが、ブルース・リーの遺産である「カンフー映画」というジャンルは次世代のスターを生み出せずにいた香港映画界を延命させることに成功した。  ブルース・リーによって、東アジア最大の映画会社ショウ・ブラザースと並ぶ規模に成長したゴールデン・ハーベスト社は、次なるドル箱の映画を探していた。そこで目を付けたのが、ブルース・リーと同窓で、TV番組の司会者として人気を博し、映画界に活動の場を移していたマイケル・ホイだった。  マイケル・ホイは『Mr.BOO!』シリーズ(日本の配給会社によって一連のシリーズのようなタイトルを付けられているが、それぞれが独立した作品)を立ち上げて、香港映画史上に残るメガヒットを記録。カンフーアクション映画一辺倒であった香港映画界に大きな風穴を空け、この大ヒットがジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーらを輩出するコメディ・カンフー映画の呼び水になったことは言うまでもない。  『Mr.BOO!』の特徴は、言うまでもなくナンセンスギャグの連発、そして社会風刺の効いたストーリー展開だ(もちろん日本では吹替版の故・広川太一郎氏の絶大な貢献があるが、本稿では無関係なので泣く泣く割愛する)。これ以降、香港には様々な種類の映画が登場し、いよいよアジアのハリウッドとしての地位を確立していくことになる。マイケル・ホイの系譜は、さらに香港映画史上最大級のヒット作となった『悪漢探偵』シリーズに繋がり、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーの『福星』シリーズや『霊幻道士』シリーズといったアクションコメディの大流行に繋がっていくことになる。  そして80年代後半になると、現在に至るまでヒットメーカーとして活躍する一人の天才監督が登場する。バリー・ウォン(ウォン・ジン)だ。芸能一家に育ち、テレビ局の脚本家から映画監督に転身したバリー・ウォンの名を一気に知らしめたのは、何と言っても『ゴッド・ギャンブラー』シリーズだろう。1989年にノワール食の強いギャンブルアクション映画『カジノ・レイダース』を撮りあげたバリー・ウォンは、同時期にナンセンスコメディ、エンタメ方向に思いっきり振り切ったギャンブルアクション映画『ゴッド・ギャンブラー』も制作。香港ノワールのハードコアで陰惨な世界に飽いていた香港の映画ファンは、笑って燃えて最後にホロリとさせる『ゴッド・ギャンブラー』の上映館に押し寄せたのだった。  バリー・ウォンは次々とヒット作の制作・監督・脚本を担当し、そのコメディ作品ではチョウ・ユンファやアンディ・ラウといった人気俳優の新たな側面を引き出すことに成功。そのため多くの有名スターが、こぞってバリー・ウォンの作品に出演するようになっていく。  しかしバリー・ウォンの最大の功績は、コメディ映画の次世代スーパースターを次々と発掘したことであろう。その中でも最大のスターに成長したのがチャウ・シンチーだ。チャウ・シンチーはバリー・ウォンのナンセンスコメディのあり方をさらに進化させて世界的な映画人へと成長していくことになるが、こちらも本稿とは直接関係は無いため割愛する。  さて、このバリー・ウォンの確立したナンセンス・コメディで大化けした俳優もいる。前述のチョウ・ユンファやアンディ・ラウだけでなく、『ドラゴン・コップス』の主役の一人を演じたジェット・リーだ。『少林寺』で大ブレイクした後、不遇な10年を経てコメディ要素を強くしたワイヤーアクション超大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでマネーメイキングスターの地位を確立したジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)。『ワンチャイ』シリーズの監督ツイ・ハークと揉めてシリーズを降板した後に出演したのが、バリー・ウォンの『ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ/烈火風雲』だった。ここで『ワンチャイ』以上にワルノリしたコメディ演技を開花させたジェット・リーは次々とバリー・ウォン作品に出演。中でも今回紹介している『ドラゴン・コップス』との類似点の多い『ハイリスク』は、香港映画マニアの好事家の間でも非常に評価の高い作品だった。しかしジェット・リーはハリウッドに進出し、再びシリアス路線に戻ってコメディ演技を封印。実に8年ぶりに本格コメディ映画に復帰したのが、この『ドラゴン・コップス』なのである。  セレブリティの連続死亡事件。死体は常に微笑んでいるという怪異な事件だ。この事件を追っていた刑事プーアル(ウェン・ジャン)と相棒のフェイフォン(ジェット・リー)、そして彼らの女性上司のアンジェラ(ミシェル・チェン)は、死んだ者たちに共通点を見出す。彼らはすべて売れない映画女優のチンシュイ(リウ・シーシー)と関係していたのだった。プーアルはチンシュイから事情を聞くが、チンシュイを迎えにきた姉のイーイー(リウ・イェン)は怪しさ満開。捜査を進めていると、死んだ者たちには保険金がかけられており、その受取人はすべてイーイーだったのだ……。  映画のビジュアル的にジェット・リー主演映画のように思えるだろうが、本作の主演はプーアル刑事役のウェン・ジャンだ。テレビ俳優としてブレイクした後、ジェット・リーがアクションを封印したヒューマンドラマ『海洋天堂』で、ジェット・リーの自閉症の息子役で本格的に映画界に進出。チャウ・シンチーの『西遊記~はじまりのはじまり~』や『人魚姫』でブレイクした若手俳優だ。実生活でもジェット・リーを「パパ」と呼ぶほど仲の良いウェン・ジャンは、共演2作目となる本作でも息の合ったコメディ演技を見せており、コスプレも厭わない自信満々なポンコツという点で前述の『ハイリスク』でのジャッキー・チュンを彷彿とさせる。  またバリー・ウォンは、自作でチンミー・ヤウのような常軌を逸したような超美人女優にムチャブリを繰り返すことで有名だったが、『ドラゴン・コップス』も負けていない。台湾で大ヒットした青春ドラマ『あの頃、君を追いかけた』でブレイクしたミシェル・チェン。本作ではアクションに挑戦したり、壁に激突したりと大活躍を見せる。そして行定勲監督の『真夜中の五分前』で双子の姉妹を演じたリウ・シーシーはワイヤーアクションにも挑戦。さらにシンガーやテレビ番組の司会者として有名で、中国の美人ランキングで1位にもなったリウ・イェンは、パブリックイメージ通りの豊満なバストを半分放り出したまま登場する。  そしてジェット・リーファンなら期待するアクションも盛り沢山。オープニングではジェット・リーとの共演は『カンフー・カルト・マスター』以来6作品というコリン・チョウは、相変わらず息の合ったアクションを展開。監督・主演を務めた映画『戦狼 II』が興行収入800億円超えという世界興行収入を塗り替える大ヒットを記録しているウー・ジンも登場。そして最後には時空を超えた人物との最終決戦が待っている。 ……改めて申し上げるが、本作はハードなバディアクションものではなく、あくまでもナンセンスコメディ映画だ。真面目な作品や、コメディタッチのアクションという期待をして観るとその落差に呆然とする類の作品である。しかしあえて言いたい。 「おれ達の好きな香港映画はこれだ!」  と。  まさにマイケル・ホイが切り開き、バリー・ウォンが再構築し、チャウ・シンチーが世界を制した香港コメディ映画の正当なスタイル。本当に下らないギャグが連発し、ヒット作のパロディが随所に取り込まれ、凄まじい人数のカメオ出演者が登場するというオールスターかくし芸大会的な、香港映画が本来持っていたサービス精神の塊のような作品。その正当後継者が、この『ドラゴン・コップス -微笑捜査線-』なのだ。■ ©2013 BEIJING ENLIGHT PICTURES CO., LTD. HONG KONG PICTURES INTERNATIONAL LIMITED ALL RIGHTS RESERVED

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