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ホウ・シャオシェン監督の真骨頂、“感じる”新感覚武侠映画『黒衣の刺客』〜07月19日(水) ほか

高橋ターヤン

“侠”とは、強きをくじき弱きを助ける仁義の世界に生きる人々を指す。日本ではヤクザとイコールで結ばれがちだが、“侠”は職業ではなく本来は生き様のことである。  侠の歴史は春秋戦国時代までさかのぼる。司馬遷の歴史書『史記』には数多くの侠客が登場し、国家を揺るがす刺客が大活躍している。春秋戦国時代を終わらせた中国初の統一国家・秦が滅びた後、漢帝国を立ち上げたのは侠客出身の劉邦。さらに後漢末期に登場し、三国時代の一翼を担った『三国志演義』の主人公・劉備玄徳もまた、関羽と張飛と共に世の混乱を憂いて立ち上がった侠客であった。  時は下り、唐の時代には今回ご紹介する『黒衣の刺客』の原作となった伝奇小説『聶隠娘』が生まれ、宋代になると傑作武侠小説『水滸伝』が登場。武術を極めた侠客が、悪政に立ち向かう姿に大衆は喝采を送った。  近代に入ると娯楽色をさらに強めた作品が多く登場。『江湖奇侠伝』『羅刹夫人』などの作品が人気を博す。そして第二次世界大戦後、香港の新聞記者である金庸が登場。処女作の『書剣恩仇録』から『越女剣』まで15作品は、すべて世界的なベストセラーとなり、武侠小説界最大のスター作家となった。また『白髪魔女伝』の梁羽生、『多情剣客無情剣』の古龍は、金庸と合わせて武侠三大家と称されている。  三大家の大ブームに乗って、香港映画界では黎明期から多くの武侠映画が登場した。クワン・タッヒン主演の『黄飛鴻』シリーズは戦後すぐの1949年から制作が開始され、様々な映画人によってギネス記録になるほどシリーズ化されている。金庸の『碧血剣』は1958年、『書剣恩仇録』『神鵰侠侶』は1960年といった具合に次々と映画化。さらに新興のショウブラザース社では1960年代からキン・フー監督とチャン・チェ監督という2大巨匠が独自の世界観で武侠映画全盛期を築いていく。  キン・フー監督は『大酔侠』(66年)で頭角を現し、『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』(67年)では香港最大の大ヒットを記録。さらに『侠女』(71年)でカンヌ映画祭を席巻し、『山中傳奇』(79年)で台湾アカデミー賞(金馬奨)をゲットした。  チャン・チェ監督はさらに娯楽寄りの武侠映画を連発。ジミー・ウォングを主演に据え、金庸作品にインスパイアされた『片腕必殺剣』(67年)がメガヒットを記録してシリーズ化され、『ブラッド・ブラザース 刺馬』(73年)や『五毒拳』(78年)といったカンフー系武侠映画まで、多くのカルト的人気作品を監督した。  70年代に入ると日本の『座頭市』シリーズなどの日本の時代劇が香港をはじめとするアジア全域で大ヒットし、その影響で残酷描写やトリッキーな武侠映画が多く生まれた。  カンフー映画全盛の80年代には、還珠楼主原作、ツイ・ハーク監督の出世作『蜀山奇傅 天空の剣』(83年)が公開。カンフー+ワイヤーアクション+VFXという画期的な作品は世界各国で支持された。ツイ・ハークは90年代にも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズで、黄飛鴻武侠映画を復権させ、『残酷ドラゴン~』のリメイク作『ドラゴン・イン/新龍門客棧』(92年)、『秘曲 笑傲江湖』を原作とする『スウォーズマン』シリーズ(90年~)など多くの作品をヒットさせている。  さらに90年代後半には、武侠漫画原作という新しい形態の武侠映画が登場。武侠+ワイヤー+CGIという『風雲 ストームライダーズ』(98年)は、馬栄成の原作の人気も相まって世界中で大ヒットしている。  そして00年代に入ると画期的な映画が公開される。アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』(00年)だ。王度廬の武侠小説『臥虎蔵龍』を原作とする本作は、世界各国の映画賞を総なめにし、第73回アカデミー賞では非英語映画であるにも関わらず、作品賞をはじめとした10部門にノミネートされて4部門を受賞する快挙を成し遂げた。本作が画期的なのは、元々“父親三部作”で知られる文芸映画の巨匠として評価されていたアン・リーが、アクションたっぷりの武侠娯楽大作を制作したことにある。アン・リー自身、幼少時から武侠映画の大ファンであり、武術指導の大家ユエン・ウーピンを武術指導に迎えて制作された『グリーン・デスティニー』は、最上級のカンフー&剣劇アクションだけでなく、アン・リーの紡ぎ出す抒情的な物語、タン・ドゥンとヨーヨー・マの美しい劇伴、ピーター・パウによる幻想的な画作りが高次元で融合し、映画史を塗り替える化学反応が起きた作品となった。  『グリーン・デスティニー』以降、多くの文芸映画の巨匠が武侠映画にチャレンジするようになっていく。『紅いコーリャン』(87年)のチャン・イーモウは、ジェット・リー主演の『HERO』(02年)を制作。チン・シウトン指導の美しいアクションも話題となり、日本でも興行収入40億円を超える大ヒット作品となった。チャン・イーモウは続けて『LOVERS』(04年)を制作し、直近ではエンタメ方面に振り切ったモンスター武侠映画『グレート・ウォール』(16年)も制作している。  またウォン・カーワイは金庸の『射鵰英雄伝』を原作とする『楽園の瑕』(94年)、近代中国を舞台にした武侠映画『グランド・マスター』(13年)を制作。『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)のチェン・カイコーは『PROMISE 無極』(05年)を発表している。  さて、ホウ・シャオシェン監督。二・二八事件を扱った『非情城市』(89年)でヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲得して世界中から注目を集め、『好男好女』(95年)で台湾金馬奨の最優秀監督賞を獲得した、台湾を代表する名監督だ。そして社会派ドラマを得意とするホウ・シャオシェンが、2015年に発表したのが『黒衣の刺客』(15年)。寡作で知られる監督の8年ぶりの新作が武侠映画とのことで、大きな話題となっていた。  唐の時代。美しいインニャンは13年ぶりに帰郷する。しかしインニャンは、あらゆる殺人術を学んだ最強の暗殺者であった。インニャンの帰郷は、軍閥の節度使ティエンを暗殺するためであったが、かつての許嫁であるティエンを暗殺することをためらうインニャンは……。  5年にも及ぶ長期の撮影を経て完成した本作は、カンヌ映画際のコンペティション部門への出品作品としてプレミア上映され、監督賞を受賞する快挙を達成。2015年の台湾金馬奨を総なめにし、アジア・フィルム・アワード、香港電影金像奨でも旋風を巻き起こした。  本作の特徴は、武侠映画としてはあまりにも静かで、あまりにも美しい展開。前述の文芸監督たちが制作したエンタメ系武侠映画とはまったく異なり、ホウ・シャオシェン監督のこれまでの作品の延長線上から一歩も踏み外さずに作られた武侠映画ということで、まさに稀有な作品と言えよう。  とにかく主人公インニャンのセリフが圧倒的に少ない。インニャンを演じたスー・チーの美しさを最大限に引き出し、「後はお察しください」とでも言うように突き放しておきながら、あまりにも豊かな表現力に圧倒されること請け合い。直観的に“感じる”ことで映画的快楽に浸る新感覚武侠映画なのである。  ホウ・シャオシェン作品のファンだけでなく、武侠映画ファンだけでなく、多くの映画ファンに堪能してほしい傑作である。■ ©2015光點影業股份有限公司 銀都機構有限公司 中影國際股份有限公司

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希少なテーマと、米式ロマンティック・コメディとの奇跡の融合〜『ヒステリア』06月01日(木)ほか

尾崎一男

■性具の王様「電動バイブ」の開発秘話  本作のタイトル『ヒステリア』とは、日本で定着しているドイツの外来語「ヒステリー」の英語読みである。感情をコントロールできなくなって、泣いたり怒ったりの激しいリアクションを示してしまうアレだ。もともとは「子宮」を指す言葉で、古来の医学では性交渉が久しくおこなわれていないと、子宮が肉体を圧迫し、女性の感情を乱すものとされてきた。そのことから、先述の症状を総じて「子宮性病的興奮状態(ヒステリー)」と呼ぶようになっていったのである。しかし後年、医学の発展とともに研究がなされ、こうした科学的、医学的根拠の乏しい診断は姿を消していく。そして、先の精神状態を称する言葉として「ヒステリー」が残ったのである。  この映画は、そんなヒステリーの治療に用いられ、のちに女性用の性具として発展を遂げる振動按摩機、いわゆる「電動バイブレーター」の開発に迫った作品だ。開発者はモーティマー・グランヴィル(ヒュー・ダンシー)という、イギリスの医師。頃は産業革命によって同国が著しい発展を遂げた、ヴィクトリア朝後期の時代である。グランヴィルはそんな発展を医療の分野にも求めようと、近代医学の理想を勤め先の病院で唱えていた。ところが、古い治療を続ける医師たちからは理解を得られず、転職する先々の病院でつまはじきにされてしまう。  ある日、縁あってグランヴィルは女性医療の権威・ダリンプル医師のもとで働くことになるのだが、そこには先述したヒステリーを抱える女性たちが後を絶たず訪れていた。こうした患者の症状を和らげるために、グランヴィルはダリンプル病院の伝統ともいえる有効的治療=すなわち女性の局部に直接手を入れ、刺激を与えるという療法を施していたのだが、そのあまりの患者数の多さに自らの手が追いつかず、彼は腱鞘炎を起こしてしまう。  映画はそんなグランヴィル医師が、ヒステリー治療の革命的な打開策となる電動バイブを生み出すまでを、笑いと感動のもとに描いていく。キャストもグランヴィル医師を演じるヒュー・ダンシー(『ジェイン・オースティンの読書会』(07))を筆頭に、『未来世紀ブラジル』(85)のジョナサン・プライスやルパード・エヴェレット(『アナザー・カントリー(84)』)、そして今や『インフェルノ』『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(16)で注目の女優となったフェリシティ・ジョーンズなど堂々たる英国人役者を揃え、興味が先行する際どいテーマを、エレガントかつ説得力のあるものにしている。 ■史実との違いーーグランヴィル医師は電動バイブを発明していない!?  しかし、この「ヒステリア』、先のごとく電動バイブ開発史を取り扱っているものの、映画は実際とかなり違うようだ。  治療器具として技術革新されてきた、電動バイブの軌跡をたどるレイチェル・メインズの研究書「ヴァイブレーターの文化史」によると、ヒステリー治療のための器具開発は世界で同時多発的におこなわれており、グランヴィル医師の発明はあくまでその一翼を担うものであった、と論じられている。  それどころかグランヴィルは、女性を快楽へと導く電動バイブを自ら作り出しておきながら「女性に使うべきではない」と主張した人物として知られ、映画で描かれている内容に食い違いを生じさせているのだ。  以下、史実とされる電動バイブ開発の流れを大略的に記しておくと、19世紀、産業革命による鉄道などの旅客輸送が発達し、それらの振動がヒステリー治療に有効であるとの医学的見解が出てきた。加えて電力の普及が、これまで手技によっておこなわれてきた治療に成り代わる、機械式按摩装置の発明を世界的に展開させていくのである。映画ではグランヴィルが友人の愛用する電動ホコリ払い機に閃きを得て電動バイブを発明するが、そこまで現実は単純明快なものではない。  また先に挙げたグランヴィルの「女性は使うな」発言だが、氏は装置の強度な振動に注意をはらい、強靭な肉体の男性治療のみに使うことを使用マニュアルに記している。それもそのはず、グランヴィルの開発した最初の電動バイブはバッテリー式で、装置としてかなり巨大であり、映画に出てくるようなコンパクトなものではなかったのだ。  さらに言及すると、グランヴィルが開発したとされる電動バイブ第一号機は、じつは他人が作ったものとする説も存在する(「ヴァイブレーターの文化史」には、サウペトリエール病院に勤務していた精神科医オギュスト・ビグルーが発明したとの記述あり)。そうなると、もはや映画そのものが成り立たないではないか。  なので本作は、あくまで史実を基にしたフィクションであることを理解したうえで楽しむのが理想だろう。この映画で電動バイブ開発史を真剣に学ぼうとか、卒業論文のテーマにしようなどど向学心を先走らせてはいけない。もっとも、電動バイブにそこまでして執着する人に、それはそれである種の好ましさを覚えはするのだが。 ■女優も脚本家もアメリカ人、そして監督も女性のアメリカ人  この映画『ヒステリア』は本質的に、電動バイブの開発史に主眼を置いたものではない。監督を手がけたターニャ・ウェスクラーは、本作を手がけた動機についてこう語っている。 「わたしはこの映画を、グランヴィル医師のロマンティック・コメディとして作ったの」(*1)  そう、劇中でグランヴィルは、ダリンプル医師の長女シャーロット(マギー・ギレンホール)と出会う。シャーロットは女性の地位向上を推進する人物で、女の立場に気を配らず、日々手技による診療に明け暮れるグランヴィルを非難する。そんな彼女との接触こそが、グランヴィルに電動バイブの開発をうながし、ひいては女性の性の独立に貢献していく。そしてソリの合わなかったグランヴィルとシャーロットは、やがて共に惹かれあっていくのだ。このストーリーラインを引き出して見ると、二人のラブロマンスを成立させるために、史実がじつに巧く加工されていることがわかる。  そもそも本作はイギリス、フランス、ドイツ資本による合作映画で、産業革命たけなわのロンドンを舞台にしているが、製作の核となる部分はアメリカ人スタッフとキャストが担っている。ウェスクラー監督は1970年にシカゴで生まれ、コロンビア大学で芸術修士号を得て、映画の世界に入ってきたアメリカ人だし、シャーロットを演じたマギー・ギレンホールも、ハリウッドを代表するアメリカ人スターだ。そして脚本を手がけたスティーブン&ジョナー・リサ・ダイヤー兄妹もハリウッドライターとして、本作の後の2015年には“Away and Back”というロマンティック・コメディドラマの脚本を手がけ、プライムタイム・エミー賞テレビ映画のスペシャル番組部門にノミネートされている。  つまりこの『ヒステリア』は、テンプレとして存在するアメリカ映画のスタイルのひとつ「ソリの合わない男女が出会い、初対面での悪印象が行動を共にすることで愛へと変わる」といったロマンティック・コメディを、イギリス産業革命時代の性具開発という、希少なテーマにリンクさせた珍妙さこそが最たる味わいなのだ。  ただ監督が女性であることから、こうした女性的に際どいテーマに踏み込んでいける理由も納得できるし、そういう意味では奇跡の融合でもあり、両者が出会うべくして生まれた作品だ、とも解釈できるだろう。  ちなみにグランヴィルと同時期、電動電動を用いた医療装置を数多く考案し、はからずも電動バイブの開発に影響を与えたのが、かの医学博士ジョン・ハーヴェイ・ケロッグである。あの朝食シリアルでおなじみ「ケロッグコーンフレーク」の生みの親であり、その半生は“The Road to Wellville”(96・監督/アラン・パーカー)というタイトルで映画化されている(邦題は『ケロッグ博士』)。氏の開発品は、むしろ性行為を抑制させる目的のものが多かったのだが、英国の名優アンソニー・ホプキンス扮するケロッグ博士の「健康のためなら死んでもいい」とでも言いたげな独自医療への執心ぶり、ならびに当時の医療事情を汲んだ描写は本作『ヒステリア』とほんのり似通ったところがあるので、ぜひ合わせてご覧になられるといい。■ PHOTO©LIAM DANIEL2© 2010 HYSTERIA FILMS LIMITED, ARTE FRANCE CINÉMA AND BY ALTERNATIVE PICTURES S.A.R.L.

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微笑みの国からキツい蹴撃!最強の新人ジージャー・ヤーニン主演『チョコレート・ファイター』〜06月13日(火)ほか

高橋ターヤン

 もともとは“アジアの映画先進国”の日本の時代劇がアジア諸国でもヒットを飛ばし、世界をリードする存在であった。その後、日本から映画作りを学んだ多くの偉人、そして『ドラゴン危機一発』(1971年)でのブルース・リーの登場によって、アジアのアクション映画のリーダーの座は香港映画界へとバトンタッチされることになっていく。  ブルース・リーの死後に一時的な停滞はあったものの、1970年代末期にジャッキー・チェン+ユエン・ウーピンの黄金コンビが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)を発表すると、ジャッキー・チェンとその仲間(子役時代“七小福”と呼ばれた集団:サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウなど)やユエン・ウーピンの兄弟およびフォロワーによって、1980年代の香港はアクション映画産業は全盛期を迎え、名実ともにアジア最大のアクション映画産地として君臨することになる。  さらに1990年代には、ジャッキー・チェンやユエン・ウーピンといった京劇をバックグラウンドとする映画人に代わり、ジェット・リー、ドニー・イェンといった武術系の俳優とツイ・ハークら次世代の映画監督が発表する『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(1991年~)などの武侠映画によって、香港のアクション映画はさらにレベルアップしていくことになる。  1999年にはウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)の『マトリックス』(1999年)は、香港アクション映画の手法と人材が大胆にハリウッド映画に取り入れられて一大ブームに。ハリウッドのアクション映画は、どれもこれも香港風アクションが導入されるという事態が起こっていた。これによって香港映画界は一時的に深刻な人材難となり、その勢いは鈍化していく(その間、ジョニー・トー監督など新世代の旗手が台頭するが、それはまた別の機会に)。  そんな21世紀、アクション映画の旗手をめぐる争いで一歩抜け出したのは、“微笑みの国”タイだった。  2003年、全世界に衝撃を与えるアクション映画が登場する。プラッチャヤー・ピンゲーオ監督、パンナー・リットグライ武術指導、トニー・ジャー主演のそのアクション映画の名前は『マッハ!!!!!!!!』(2003年)。『マッハ』のストーリーは非常に単純明快。田舎の青年が盗まれた仏像を取り返すため、首都バンコクでギャング団と戦うというものだ。しかしトニー・ジャーの圧倒的な身体能力と、古式ムエタイをベースにした誰も見たことの無いようなリアルヒッティングアクションは、上映されたバンコク国際映画祭で大評判を呼び、世界各国の映画バイヤーがこぞって配給権を獲得。アクションの本場香港をはじめとする各国で記録破りの大ヒットを記録し、ピンゲーオ、リットグライ、ジャーの3人の名前は世界中に知れ渡ることになった(香港映画でも模倣が大量発生した)。  そんなピンゲーオとリットグライが次回作に選んだのは、『七人のマッハ!!!!!!!』(2004年)。格闘技の有段者が勢揃いした前作『マッハ』とは違い、各スポーツのタイ代表メンバを主演陣に揃え、そのスポーツの特性を活かしたアクションを全編に渡って披露。その奇想天外なアクションの数々は、観る者の度肝を抜くものであった。  そんな『七人のマッハ』のオーディションは2001年に行われたのだが、そのオーディション会場を一人の少女が訪れた。18歳の少女の名前はジージャー・ヤーニン。テコンドーの黒帯で、タイのテコンドー強化選手に選抜されるほどの実力を持つジージャーを一目見たピンゲーオ監督は、その素質を高く評価。自身の作品の主演女優として起用することを決断する。  しかしすぐに主演映画を撮るわけではなく、ピンゲーオ監督はこのダイヤの原石を細心の注意を払って育て上げることに。実に4年間もの長期間ジージャーにアクションと演技の基礎を叩き込むことに集中させたのだった。ここであらゆる殺陣を教え込まれたジージャーを主演に、さらに映画は実に2年もの長期間の撮影を敢行。2001年の出会いから実に6年以上の歳月を経て、ジージャー・ヤーニンの初主演作『チョコレート・ファイター』は完成したのだった。  タイで縄張りを拡大する日本人ヤクザのマサシ(阿部寛)と、タイ人女性ジンの間に生まれた少女ゼン(ジージャー・ヤーニン)。ゼンは脳の発達障害を持っていたが、ある特殊能力も隠し持っていた。それは、見ただけで相手の体術をマスターできてしまうというもの。ムエタイのジムでけいこを眺め、カンフー映画を観て育ったゼンは、密かにそのすべての動きをマスターしていたのだった。そんなある日、ジンが白血病に倒れたため高額な治療費に困ったゼンは、過去にジンが荒くれ者たちに貸していた金の回収を開始。腕っぷしで債権を回収するゼンの噂はタイの暗黒街に広まっていき、ゼンは母ジンを陥れたマフィアと対決することになる……。 『チョコレート・ファイター』は、タイで公開されるやいなや『マッハ』を超えるギガヒットを記録。2008年公開作品では年末に公開された『マッハ!弐』に首位は譲ったものの、爆発的なヒットによって興行的には大成功。主演をつとめたジージャーは、新人女優とは思えぬほどの知名度を得ることになっていった。  本作はかなり入り組んだストーリーが展開されるが、鑑賞上はまったく問題無し。ストーリーとかそういうのは一旦良いので、とにかくジージャーの素晴らしいアクションを見てほしい。蹴りの美しさ、デスウィッシュなアクションの数々など、ジージャー自身の圧倒的なパフォーマンスは言わずもがなであるが、アクション女優特有の“軽さ”を“スピード”と“正確さ”でカバーするパンナー・リットグライ監督の振り付けの妙は絶品だ。物語中盤の様々な債権回収先での戦いは、『ドラゴン危機一発』へのオマージュに溢れた製氷工場でのバトル、段ボールの並ぶ倉庫でのバトル、手頃な武器だらけの食肉加工工場でのバトルなど、シチュエーションごとに練りに練られた多彩なアクションが次々と展開。クライマックスでは屋外から室内へと戦う場所が移り、さらに屋外でのチェイスへと移行していく流れもお見事。10本分のアクション映画のアイデアを濃縮して、一切還元せずに1本に詰め込んだかのごとき満腹感は『マッハ』を凌ぐものだ。  そしてジージャー・ヤーニンだけでなく、監督のラブコールに応えて出演した阿部寛も素晴らしい。『マッハ』に衝撃を受けてオファーを快諾した阿部の日本刀アクションはキレッキレ(実は阿部がムエタイ軍団と戦うシーンも当初撮影されていたらしいが、カットされている)。他にも『テルマエ・ロマエ』以上に大胆な全裸シーン&濡れ場もあるので注目である。  そして本作のエンドロールも必見。劇中「うわぁ、あれ絶対大怪我してるよ……」とドン引いていたアクションシーンが、実際には想像以上の大惨事になっている様子がこれでもかと堪能できる。ジージャー起用エピソードもだが、本作に対する並々ならぬ制作陣の本気度が伝わってくること請け合いである(怪我をしたスタントマンはたまったものはないだろうが……)。 キュートなルックスと相反する壮絶なアクション。『チョコレート・ファイター』は、タイ映画界の底力を感じさせる文字通りの力作なのである。■ @2008 sahamongkolfilm international all rights reserved.Designed by pun international

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同業者からリスペクトされるジョージ・クルーニーの映画人としての使命感が映像に結実した、入魂の『グッドナイト&グッドラック』〜05月09日(火)ほか

清藤秀人

『シリアナ』(05)でアカデミー助演男優賞を受賞した時、壇上に上がったジョージ・クルーニーのスピーチに耳を傾ける同業者たちの、尊敬と憧れに満ちた表情が今でも忘れられない。クルーニーはこう言い切った。『映画に携わる仲間の一員であることを誇りに思う』と。場内に割れんばかりの拍手と歓声が沸き上がったことは言うまでもない。  同年、クルーニーが2度目の監督作に選んだ『グッドナイト&グッドラック』を見ると、まさしくオスカーナイトでの言葉通り、彼が映画人としての使命にいかに忠実であるかがよく分かる。選んだネタは、1950年代のアメリカ社会で吹き荒れたマッカーシー上院議員による反共産主義活動、いわゆる赤狩りに敢然と挑み、マーカーシズムの悪夢を終焉へと導くきっかけになったTVマンたちのリアルストーリーだ。宗教や思想の自由を束縛する政治の横暴に立ち向かおうとした人々を映像で蘇らせること。それはそのまま、今のハリウッドに求められるミッションだと、彼は確信したに違いない。その決断が、10年後のまさに今の今、これほど重い意味を持つことになるとは、当時のクルーニー自身、想像だにしていなかったかも知れないが。  物語のキーマンは、アメリカ3大ネットワークの1つ、CBSの人気ニュース番組"シー・イット・ナウ"のキャスター、エド・マローだ。ある空軍兵士が赤狩りによって不当に除隊処分されようとしている事実を掴んだマローと番組スタッフが、マッカーシー側の圧力を受けながらも、虚偽と策謀の実態を生放送の中で告発していくプロセスを、クルーニーは当時のニュースフィルムと自ら撮った映像とを交えて構成。そこまでなら、多くの監督が取ってきた既存の手段だ。1950年代にはモノクロだったTV番組を克明に再現するため、カラーで撮ったフィルムをポスト・プロダクションであえて彩度を落としてモノクロに変える方法も、さほど珍しくはない。  監督としてのジョージ・クルーニーが同業他者と少し違うのは、その徹底した美意識だ。マローはCBS入社後、第二次大戦下のロンドンでラジオ・ジャーナリストとして番組を担当していた時、毎夜ナチスの空襲に脅えるロンドン市民に対して、番組終了間際に『グッドナイト、アンド、グッドラック』と呼びかけることで知られていた。もしかして就寝後、爆死するかも知れない人々の耳に『おやすみ、そして、幸運を祈ります』がどう届いたか?想像に難くないが、"シー・イット・ナウ"でもその決まり文句が番組の結びにも使われていたことから、クルーニーは映画のタイトルとして流用。しかし、そんなキザな文句を台詞としてかっこよく決められる俳優はそう多くない。  そこで、発案段階から監督のファースト・チョイスだったのがデヴィッド・ストラザーンだ。映画デビュー前の数年間を舞台俳優として全米各地を巡演したこともあるストラザーンの口跡の良さを見抜いていたクルーニーは、信念を持って彼を主役に抜擢。一語一語が視聴者の心に届くようなその紳士的な抑揚と発音は、社会を覆う赤狩りの暗雲を切り裂く鋭利な刃物のようで、監督の狙いはどんぴしゃだったはず。声だけじゃない。ストラザーンの顔の輪郭、特に美しい眉と目が、本番中、左下に置かれた原稿とカメラの間をゆっくりと往復する時、観客は思わず惹きつけられて当時のTV視聴者になったような錯覚を覚えるほど。実物のマローはストラザーンとは似ても似つかぬルックスだが、左下と正面を往復する目線は全く同じ。監督が事実を忠実にコピーしていることが伺える。『シリアナ』でクルーニーと組み、後に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)でオスカーに輝くカメラマン、ロバート・エルスウィットの、ストラザーンの輪郭を熟知したアングルとライティングにも注目して欲しい。  クルーニーは脇役にもこだわった。台詞がある役には1950年代のアメリカ人らしい顔と雰囲気を持った俳優たちが集められた。番組スタッフ役のロハート・ダウニーJr(『アベジャーズ』の前は『チャーリー』(92)で赤狩りでハリウッドを追われたチャップリンを好演)、同じくパトリシア・クラークソン(『エデンより彼方に』(02)で'50年代のブルジョワ主婦役)、同じくテイト・ドノヴァン(『メンフィス・ベル』(90)で第2次大戦を戦った米軍パイロット役)、放送局幹部役のジェフ・ダニエルズ(『カイロの紫のバラ』(85)で往年の映画スター役)、そして、プロデューサー役にはクラシックビューティの権化とも言うべきジョージ・クルーニー本人という、まさにパーフェクトな布陣である。  音楽も粋だ。シークエンスとシークエンスを繋ぐグッド&オールドなジャズナンバーを歌うのは、現役最高峰のジャズシンガーと言われるダイアン・リーヴス。劇中でリーヴスのバッグハンドを務め、映画で使われる全曲のアレンジを担当しているのは、監督の叔母で歌手兼女優だったローズマリー・クルーニー(02年に他界)のラスト・アルバムをプロデュースしたマット・カティンガブだ。  マローが"シー・イット・ナウ"と同じくホストを務めるインタビュー番組"パーソン・トゥ・パーソン"で、伝説のピアニストでワケありのリベラーチェに白々しく結婚観を質問した直後の気まずい表情、同番組で話題に上がるミッキー・ルーニーのほぼレギュラー化していた新婚生活情報(ルーニーは93年の生涯で計8回結婚)等、クルーニーとグラント・ヘスロブが執筆した脚本には、けっこうな毒も含まれている。その最たるものは、劇中のほぼ全ショットにタバコの煙が充満している点だ。番組スタッフは四六時中タバコを吹かし、マローに至っては本番間際にプロデューサーから火を点けて貰い、カメラが回り始めても吸い続けていると言った具合だ(ストラザーンはノンスモーカーらしいが)。これには理由があって、CBSのオーナー、ウィリアム・ペイリーがタバコ会社の御曹司で、社会の喫煙には寛容だったようなのだ。  つまり、ペイリーは反マッカーシズムを貫いた結果、スポンサー離れを招いた"シー・イット・ナウ"のスタッフを危険視しつつも、社員の健康には無頓着だったということになる。そんな、ある意味古き良き企業の矛盾を炙り出しながら、赤狩り時代のTV界をヒントに、ニュース番組の、ひいては映画産業のあるべき姿を問い質そうとしたとした監督・脚本・出演のジョージ・クルーニーは、やはり業界人にとって眩しい存在に違いないという、再び冒頭の結論に立ち戻ってしまう。    結婚以来、俳優としてはどうやら一段落つき、今秋の全米公開に向けて製作中の最新監督作『Suburbicon(原題)』は、マット・デイモンを主役に迎えた初のミステリーだとか。そんなクルーニーに新たなラックが訪れることを祈りたいと思う。■ ©2005 Good Night Good Luck, LLC. All Rights Reserved.

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フィルムメディアの“残像”〜『フッテージ』と監督スコット・デリクソンの映画表現〜5月15日(月)ほか

尾崎一男

 一家殺人事件の真相を追い、事件現場の空き家へ移り住んだノンフィクション作家のエリソン(イーサン・ホーク)。彼はある日、同家の屋根裏部屋で現像された8ミリフィルムを発見する。しかもそのフィルムには、件の一家四人が何者かの手によって、絞首刑される瞬間が写っていた……。  スコット・デリクソン監督によるサイコロジック・ホラー『フッテージ』は、タイトルどおり「ファウンド・フッテージ(発見された未公開映像)」という、同ジャンルでは比較的ポピュラーなフックによって物語が吊り下げられている。例えば同様の手法によるホラージャンルの古典としては、1976年にルッジェロ・デオダート監督が手がけた『食人族』(80)が知られている。アマゾンの奥地へ赴いた撮影隊が現地で行方不明となり、後日、彼らが撮影したフィルムが発見される。そのフィルムを映写してみたところ、そこに写っていたのは……という語り口の残酷ホラーだ。日本ではあたかもドキュメンタリーであるかのように宣伝され、それが奏功して初公開時にはヒットを記録している。また、その『食人族』の手段を応用し「行方不明の学生が残した記録フィルム」という体で森に潜む魔女の存在に迫った『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)は、昨年に続編が作られたことも手伝い、このスタイルでは最も名の挙がる映画ではないだろうか。  しかし、それら作品におけるフッテージは、あくまで本編の中の入れ子(=劇中劇)として従属するものであって、それ自体が独立した意味を持ったり、別の何かを連想させることはない。ところが『フッテージ』の場合、劇中に登場するフッテージは「スナッフ(殺人)フィルム」という、極めて具体的なものを観客に思い至らせるのである。  スナッフフィルムとは、偶発的に死の現場をカメラが捉えたものではなく、殺人行為を意図的に撮影したフィルムのこと指す。それが闇市場において、好事家を相手に高値で売られていると、70年代を起点にまことしやかに噂されていた。実際には「殺人を犯すリスクに見合う利益が得られるのか?」といった経済的な疑点もあり、あくまでフォークロア(都市伝説)にすぎないと結論づけられているが。  しかし、そんなフォークロアが当時、個人撮影のメディアとして主流を成していた8ミリと結びつくことで、あたかもスナッフフィルムが「存在するもの」として、そのイメージが一人歩きしていったといえる。同フォーマットならではの荒い解像度と、グレイン(粒状)ザラッとした映像の雰囲気、また個人映画が持つアンダーグラウンドな響きや秘匿性など、殺人フィルムの「いかがわしさ」を支えるような要素が揃っていたことも、イメージ先行に拍車をかけたといっていい。  事実、こうしたイメージに誘引され、生み出された映画も存在する。タイトルもズバリの『スナッフ/SNUFF』(76)は、クライマックスで出演者の一人が唐突に殺されるという、フェイク・ドキュメンタリーを装った作りでスナッフフィルムを標榜しているし、またニコラス・ケイジ主演による『8mm』(05)は、スナッフフィルムを出所を追うサスペンスとして、劇中に迫真に満ちた当該シーンが組み込まれている。 『フッテージ』では、そんなスナッフフィルム、ひいてはアナログメディアの“残像”ともいえるものを、現実と幻想とを繋ぐ重要な接点として劇中に登場させている。殺人を写し撮ったフィルムの向こうに潜む、邪悪な存在ーー。本作がホラーとして、その表情をガラリと変えるとき、この残像は恐ろしい誘導装置となるのだ。デリクソン監督は言う、 「不条理な世界を確信に至らせるのならば、細部を決しておろそかにしてはいけない」 (『フッテージ』Blu-rayオーディオコメンタリーより抜粋) ■『フッテージ』から『ドクター・ストレンジ』へ  もともとデリクソン監督は、こうしたフィルムメディアの「残像」を常に追い求め、自作の中で展開させている。氏のキャリア最初期を飾る劇場長編作『エミリー・ローズ』(05)は、エクソシズム(悪魔祓い)を起因とする、女子大生の死の真相を明かしていく法廷サスペンスで、その外観は『フッテージ』のスナッフ映像と同様、フィルムライクな画作りが映画にリアリティを与えている。さらに次作となる『地球が静止する日』(08)は、SF映画の古典『地球の静止する日』(51)をリメイクするという行為そのものがフィルムへの言及に他ならない。続く『NY心霊捜査官』(14)を含む監督作全てが1:2.35のワイドスクリーンフォーマットなのも、『エミリー・ローズ』でのフィルム撮影を受け継ぐ形で、デジタル撮影移行後もそれを維持しているのだ。  そんなデリクソンのこだわりは、今や充実した成果となって多くの人の目に触れている。そう、今年の1月に日本公開された最近作『ドクター・ストレンジ』(16)だ。  同作は『アイアンマン』や『アベンジャーズ』シリーズなど、マーベル・シネマティック・ユニバースの一翼を担う風変わりなヒーロー映画だが、その視覚体験は近年において飛び抜けて圧倒的だ。ドクター・ストレンジはスティーブ・ディトコとスタン・リーが1963年に生み出したクラシカルなキャラクターで、当時の東洋思想への傾倒やドラッグカルチャーが大きく作品に影響を与えている。その証が、全編に登場するアブストラクト(抽象的)な視覚表現だろう。VFXを多用する映画の場合、その多くは存在しないものをリアルに見せる具象的な映像の創造が主となる。しかし『ドクター・ストレンジ』は、ストレンジが持つ魔術や多元宇宙の描写にアブストラクトなイメージが用いられ、誰も得たことのない視覚体験を堪能させてくれるのだ。  それは俗に「アブストラクト・シネマ」と呼ばれるもので、幾何学図形や非定形のイメージで画を構成した実験映画のムーブメントである。1930年代にオスカー・フィッシンガーやレン・ライといった実験映像作家によって形成され、原作の「ドクター・ストレンジ」が誕生する60年代には、美術表現の多様と東洋思想、加えてドラッグカルチャーと共に同ムーブメントは大きく活性化された。  このアブストラクトシネマの潮流も、フィルムメディアが生んだもので、デリクソンは実験映像作家のパーソナルな取り組みによって発展を遂げた光学アートを、メジャーの商業映画において成立させようと企図したのである。  デリクソン監督が作中にて徹底させてきたフィルムメディアの“残像”は、ここまで大規模なものになっていったのだ。 ■日本版ポスター、痛恨のミステイク  このような流れを踏まえて『フッテージ』へと話を戻すが、原題の“Sinister”(「邪悪」「不吉」なものを指す言葉)を差し置いて、先に述べた論を汲んだ邦題決定だとすれば、このタイトルをつけた担当者はまさに慧眼としか言いようがない。  しかしその一方で、我が国の宣伝は本作に関して致命的なミスを犯している。それは日本版ポスターに掲載されている8ミリフィルムのパーフォレーション(送り穴)が、1コマにつき4つになっていることだ。  8ミリを映写するさい、プリントを送るためのパーフォレーションは通常1コマにつき1つとなっている。しかしポスター上のフィルムは4つ。これは35ミリフィルムの規格である。つまりポスター上に写っているのは8ミリではなく、35ミリフィルムなのだ。  まぁ、そこは経年によるフィルムメディアへの乏しい認識や、フィルムということをわかりやすく伝えるための誇張だと解釈できないこともない。しかし、単にアナログメディアを大雑把にとらえた措置だとするなら デリクソン監督のこだわりに水を差すようで、なんとも残念な仕打ちといえる。 ©2012 Alliance Films(UK) Limited

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